シェリー・ポッターと神に愛された少年【完結】   作:悠魔

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15.バンプ・オブ・チキン

 シリウスの屍がそこにあった。

 ベラトリックスが笑っていた。

 十指はのこらず冷え切って、吹き抜ける風は呪詛と怨嗟。

 浅い呼吸を繰り返し、寸刻を争う状況下にあって、それでもシェリーは遠くに倒れ伏す冷たいシリウスから目を離すことができなかった。

 

「シリウス……シリウスが……」

「気をしっかり持てシェリー!!指示が聞こえたろう!?ここから逃げるんだ!!」

 

 そう言ってシェリーを引き摺ろうとするルーピンも、感情を押し殺し切れていない様子だった。当然だ。親友を殺された彼がベラトリックスに対してどれほどの憤怒を抱えていることか……。

 

「シリウス……パッドフットよ……」

 

 そしてペティグリューも、どこか投げやりにその様子を見ていた。

 トンクスという一流の闇祓いを相手にその余所見は致命的だ。トンクスには七変化という能力があり、自分の姿形、更には魔力までもを自在に操ることができる。

 魔法使いの魔力は、しばしば絵の具に例えられる。

 魔法を使うということはパレットから絵の具を選んでキャンバスに絵を描くようなもので、各人が使える色はある程度決まっているというものだ。

 ペティグリューの魔法無効化ガスはその色を分析して落とす……というもの。

 しかしトンクスの魔力は謂わば全ての色に変わることができる力!

 だから分析も間に合わない!魔法無効化ガスは効かない!

 機を得たと、杖を振るい──

 

「……ああ、もういい。やめだ」

「エクス──」

「『じっとしてろ』」

「!?」

 

 トンクスの身体が空中で停止する。

 ペティグリューの言ったことが本当に現実に起きたかのように、止まったままほんの数ミリも動かせなくなってしまった。

 これも紅い力の一端か?

 けれどペティグリューはとどめを刺すこともなく、コートを翻すとふらふらとどこかへ行ってしまう。彼が離れると、トンクスの身体に自由が戻った。

 

(……っと、今はそれより、早くここから離脱することが最優先……!!)

「離脱などさせんよ。アルバスが逃げるというのなら、アルバスがここにいなければならない理由を作るまで」

 

 影の王、グリンデルバルド。

 すっかり汚れた黒衣を整えてくつくつと嗤い自身の影を伸ばすと、闇祓い達の影に繋げて拘束していく。まずい。彼の影を支配する能力に対抗できるのは、同じく影に関わる能力のシリウスと、規格外のダンブルドアだけ。その二人がいない今、もう先代の帝王を止める者はいない。

 これ以上この場に留まるのはまずいとジキルが即席の杖を何本か消費し、宙に浮かぶ階段を作る。その上をシェリーを抱えたルーピンが走るものの、すぐにグレイバックの斬撃により道が破壊されてしまう。

 

「くそ……何とかシェリーだけでも、」

「させんよ」

 爆発音とともに現れたのはオスカーだ。

 彼の背後では煙がモクモクと上がっている……まさか。

 

「暖炉を潰せ。脱出経路など他にも用意してあるのだろうが、少なくとも逃走の成功率は下がる」

「ッ、この……!!」

 状況は最悪だった。

 ヴォルデモートによって敷かれた結界術によりこの空間は『姿現し』ができなくなってしまっている上に、箒で飛ぼうものならベラトリックスに焼かれて終わりだ。

 アーサーと、後詰めの魔法戦士達が用意している移動鍵だけが頼りだが、そこまで辿り着くことができるかどうか。

 

「暖炉など後でいくらでも作り直せる。それよりもお前達を逃がさないことの方がよほど重要だろう?」

「貴様──ぐあッ!?」

「君らしくもない、ムーニー。背後の私に気付かないなんて。だがやはり君は素晴らしい、咄嗟に盾で防御するなんて」

「ワーム……テール……!!」

 

 ルーピンは脇腹を貫かれた。卑劣だが最も効果的な不意打ちという手段で、大きな奴を貰ってしまった。茫然自失としていたシェリーの顔面に血飛沫が飛ぶ。ぐらりと体勢が崩れ、ルーピンはその場に倒れた。

 だが皮肉かな、それが彼女の意識を復活させる一助となった。そうだ──こいつらを残らず殲滅することこそが、私の使命。

 杖を握る手に力が篭る。

 赦さない。赦してなるものか。

 紅の輝きが再び憤怒の彩に染め上げられようという時、そこに無限の星が現れる。

 

「ヴォルデモート……!!」

「出迎えご苦労。

──ふん、アレンとかいう小僧に手間取ってしまうとは、俺様も堕ちたものよ」

「……!?アレンを、どうしたんだ──」

「さてな。案外、その辺に血達磨で転がっていたりしてな」

「───ッ」

「さて、用事があるのは貴様だシェリー。今一度言うぞ、死喰い人になれ。服従の呪文は使いたくない……身も心も俺様に捧げることでこれまでの狼藉を不問とする。俺様は才ある者を尊ぶのだ」

「誰が!!」

「そうか。残念だ……」

 

「ではセドリックの時と同じように、貴様を服従させてルーピンを殺させる」

 

 血の気が引いた。

 ルーピンは今、動けない。

 すぐ近くには喜悦を隠し切れていない様子のオスカーと、かつての友に虚な視線を送るペティグリュー。そして誰あろうヴォルデモートがいる。

 逃走は不可能。

 かといって戦って勝てる保証もどこにもない。いや……それどころか、事態はそれ以上に悪化し始めている。

 あの悲劇を。

 あのナイフの感触を、肉を貫くあの感覚をもう一度味わえというのか。想像するだけで身震いがする。あれだけは、あれだけは絶対にもう嫌だ。憤怒の貌が少しずつ恐怖の様相を帯びていく。

 されど帝王は何ら呵責なくシェリーに服従の呪文を放った。

 虚空に浮かぶ百の杖から、服従の呪文特有の緑の閃光が放たれる。ルーピンを庇う形で魔法を連射するシェリーだが、いかんせん数が多すぎる。

 魔力相殺が追いつかなくなる。

 押し切られる──!

 

 

 

「……………、は?」

 

 

 

 それは帝王の放った言葉だった。

 呪文は確かにシェリーに命中した。

 しかし、本来自分の意のままに動かせる筈のシェリーが動かせない。服従の呪文を使っても尚、彼女は傀儡とならぬのだ。

 憤懣やるかたないことだが、ヴォルデモートはよもや自分の呪文が失敗した可能性を考えた。……だがそれにしてもこの現象は不可解だ。シェリーに直撃した魔法の数は一つや二つではない。目算で一度に七本の魔力が身体を貫いたのだ。その全てが失敗したとは到底考えにくい。

 つまり、彼女は七回服従の呪文を受けてそのどれもが効いていないということ。

 明らかにおかしい。

 ……そういえば、シェリーの服従の呪文に対する耐性はやおら奇妙な点がある。

 一年生の時は、ヴォルデモートは自分とシェリーが魔法的な繋がりがあることを利用して杖なしでも服従させられた。

 四年生の時も同様に服従の呪文で縛り、自分の思うがままに操れた。

 だが──そもそも服従の呪文とは意識すら支配できるからこそ『禁じられた呪文』として認定されている。シェリーは意識を失っている様子はなかった。

 どういうことだ……?

 

 その疑問と、思考が、彼にとって大きすぎる隙を生み出してしまった。

 

「ダンブルドア──」

「トムや、年寄りの冷や水を侮るでない」

 魔法を無効化するペティグリューや、攻撃を透かすオスカーには目もくれない、ヴォルデモートだけを狙ったダンブルドアの流星が如き突撃。至近距離に近寄ったダンブルドアは、何やら、見ても理解すらできないような複雑な魔法陣を展開させた。

 白い髭の赤い染みは大きくなる一方。

 口から血を吐こうとも、

 傷が広がろうとも、

 それでも彼は呪文を止めない。

 止めてはならぬ理由がある。

 

「封印術って奴じゃよ」

「………!!貴様……!!!」

「すまんのう、トム。わしには世界の人々を余さず救うという欲求はなくとも、可愛い生徒を残さず守るという責任がある」

 ヴォルデモートの膨大な魔力が溢れ出す。

 紫のそれが、空中に飛散し、そして光の鎖によって巻き留められ、凝縮する。

「わし達の戦いの趨勢を決めるのは必ずしも力の多寡ではない」

 これが、ダンブルドアの一撃。

 世界最高の封印。

「──想いの多寡なのじゃ」

 

 光の鎖が帝王を巻き取り動かなくさせる。

 ぎり、と歯を食いしばると、ヴォルデモートは怒りも露わに激昂した。

「老いぼれが……!!こんな封印もう二百は解いてやったわ!!」

「いいんじゃよそれで。本命は六十八の特級封印じゃからの」

「何……!?」

 

 ダンブルドアの仕掛けた封印は、その殆どがダミー。その中に紛れ込ませた、ヌンドゥすら従属させてしまう強力すぎる封印こそがダンブルドアの狙いだった。

 何百と杖を生み出す能力は封じられ、帝王は身体をよろめかせる。まさしく耐え難き屈辱だろう。沸騰寸前の血が血管を駆け巡り目が血走っていく。

 

「膝は……つかん……!!」

 

 さりとてヴォルデモートは無理矢理その場に踏み留まると、緑色の火炎で己を縛る鎖を焼き払っていく。流石に闇の帝王、あれだけの封印術を喰らってなおこれだけの魔力を行使できるとは尋常ならざる力だ。

 それでも──やはり、弱まっている。

 手負いのダンブルドアと、能力を制限されたヴォルデモート。

 互いの勝負に乱入する形で割り込んできたのは重傷を負ったレックス・アレンとゲラート・グリンデルバルド。息もつかせぬ攻防の中、ふわりとシェリーとリーマスの身体が砂によって支えられる。

 派手な金髪な男が、息が詰まりそうな血の匂いを振り払いながら、それでも魔力を全力で放出したのだ。あれだけ痛め付けられては、最早魔法を使うことすら心身に負担をかけるだろうに……。

 砂から生気が失われていく。ここにきて、ペティグリューが魔法無効化ガスを使ったのだろう。戦況が気になるところだがそんな懸念をよそに、シェリーとリーマスは上階に転がった。ここは一階……エントランスだ。魔法省の職員が出勤する暖炉の半分は破壊されており、まだ無事な暖炉も死喰い人達の攻撃で少なくなってきている。

 ふらふらと立ち上がるシェリー達の下へ見慣れた赤毛の二人が近寄った。

 ……アーサーと、パーシーだ。

 何だか、この二人の顔を見るのはとても久しぶりのように思えてならない。

 仲直りできたのか……。

 

「シェリー、リーマス!無事か!?」

「何とか……それよりここから早く、」

「逃しはしない」

 銀縁の眼鏡の男が、障害物をすり抜けながら現れる。

「ッ──オスカー!!僕は、僕はあんたを信頼してた!!それなのに!!」

「ああ、君は大いに役に立ってくれた。助かったよパース。小間使いとしては君はまあまあ優秀だった」

「……、あんたが死喰い人だって気付けなかったのは僕が間抜けだったからだ。だが僕みたいな間抜けにも意地はある!!」

「私の相手をするつもりか?威勢はいいがこの数を相手にどうするつもりだ」

「ッ、囲まれて……」

 

 髑髏の仮面を傍に、黒衣の男達がシェリー達に杖先を向けている。

 闇祓い側の逃走も計略のうち……下のフロアは幹部に任せて、末端の死喰い人達は先回りしていた……!

「せいぜい足掻けよ。足掻いた末の絶望が見たいのだからな」

「──散れッ!!」

 

 アーサーの怒号とともにシェリー達はその場から離れる。同時に、炸裂する閃光。

 三六〇度、見渡す限り敵しかいない。

 それにひと口に末端の死喰い人と言ってもそれなりに数があればそれだけで脅威なのだ。それは先のヴォルデモートの『何本もの杖を生み出す魔法』でシェリー自身がよく身に染みている。

 リーマスが多少無理をして、肉体の一部分だけ人狼に変化させて攻撃を弾いていくが、身体にかかる負荷は尋常ならざる苦痛となって彼を蝕んでいる。

 ふと。

 シェリーの足が止まった。

 

「ファッジさん……!?」

「な、なななななんで、なんで私の魔法省がこんなことにィ!」

 

 無駄に豪奢なビロードのローブ。

 魔法省大臣が何故かエントランスの隅っこで縮こまっていた。

 シェリーは咄嗟に時計を見る。時刻はもうとっくに朝……出勤時間だ。まだ使える暖炉が次々と燃え出し、煙突飛行粉で手帳片手に意気揚々と現れては、エントランスの惨状と死喰い人達を見て腰を抜かす。

 英国魔法界が闇の帝王の存在を認めていないのは知っての通り。そんな状態で朝から髑髏の仮面の軍団を目の当たりにすればどうなるか、想像に難くない。

 床にひっくり返って無様に震える魔法省大臣を守るようにシェリーが立つと、再度紅い力を解放した。

 

(守らなきゃ……守らなきゃ、この人達を私が……)

「あァ〜〜!!やァ〜〜っと見つけたよポッティーちゃ〜〜〜ん!!!」

「おお、来たか」

「!!!……あ、ああ、ベラ──」

 

──ベラトリックスが。高いヒールをかつんと鳴らし、魔法省に哄笑を轟かせた。

 ぶるり、と身震いがする。シリウスはあの女に殺されて──目の前で──

 

「もう寂しくないでちゅよぉ、オツムの弱いポッティーちゃん!ちょっと後始末に手間どっちゃってねェ!!そら!狼野郎もよく聞きな!!あんた達の大好きな大好きなシリウスおじちゃんはねー、さっき私が『火葬』してきたよ!!葬儀屋呼ぶ手間が省けてよかったでちゅねー!!」

「……!!」

「な、ぁ、え?シリウス・ブラック?奴は死喰い人に与している筈……そ、それにそこにいるのはオスカーか!?どういうことなんだこれは一体ッ、状況を説明しろッ」

「……くく。愚かな大臣。話は単純だ、私が死喰い人であり、闇の帝王は復活し……貴方達はここで始末されるということです」

「ひいっ!?」

「ァハハハハ、あァ、いいこと思いついた。ねえ、ポッティーちゃん!頭の中お花畑のシェリーちゃん!今からそいつらどーすると思うー!?

──残らず皆殺しにしてやる。ァアアアアハハハハハハハハハハァア──ッ!!!」

「うわああああああ!?」

 

 放心していた職員達は一斉に逃げ出し、それを一網打尽にせんとベラトリックスが火炎で焼き払っていく。シェリーの紅い力で火炎を薙ぎ払うも、世界最強の火炎魔法使いの名は伊達ではない。薙ぎ払ったそばから火炎は勢いを増していく。

──ああ、人が、死んでしまう。

 反対にシェリーの魔力は尻すぼみに弱まっていくばかりだ。ベラトリックスとシェリーの間には今、大きすぎる力の差が存在しているのだ。

 その差を作っているのは、単純な力量の差やシェリーが紅い力を使いすぎたことによる消耗も大きいが……それを決定的にしているものがある。

 残酷で無情な真実。

 『ベラトリックスは人を殺せる』

 『シェリーに人は殺せない』

 たったそれだけの違いが、両者の明暗を分けてしまっている。シェリーは人が死ぬのも人を殺すのも嫌いな少女。その優しさが漬け込む隙を作ってしまっている。覚悟が違うのだ。戦士としての素質がなかった。

 けれどもはや、彼女はこれ以上どうすることもできなかった。

 ……それなら……。

 

「私に人が殺せないのなら、私はこの人達の代わりに死ぬ……」

「………、ぇ?」

「死の呪文を防ぐ肉壁くらいにはなれる……お願いファッジさん、私が時間を稼ぎますから、逃げて、逃げてください……私の命を使って、生きて、ください……」

「な、にを……」

 

 狂った少女の懇願に狼狽する。

 自分の死が何より恐ろしいコーネリウス・ファッジは、自分以外の死が何より恐ろしい少女の言い分を理解できない。

 火炎を突っ切ってやってくるオスカー・フィッツジェラルド。

 疲弊し切っているシェリーに彼を撃退するだけの魔力は残っていない。ふらりと立ち上がり、倒れるのを堪えているかのような覚束ない足取りでオスカーの前に立ち塞がる。そうだ。それでいい。

 代わりに死んでしまえばいい。

 命を使ってしまえばいい。

 何もかもが、どうでも良い。

 

(ああ、私、死ぬんだ──)

 

 

 

 

 

 

「──ぇ?」

 

 コーネリウス・ファッジはシェリーのコートを掴んで煙突飛行粉を持たせて、シェリーを暖炉に放り投げた。すると自動的に炎が揺らめき、シェリーの肉体は魔力体へと変質すると、ここではないどこかへ『移動』した。

 消えた暖炉の火を、信じられないものでも見るかのような目でオスカーは眺めた。

 

「何をやっている?」

 

 オスカーの底冷えするような声は彼の肺腑を鷲掴みにした。

 煙突飛行粉(フルーパウダー)の亜種──緊急煙突飛行粉(チムニーパウダー)。魔法省における重大な役人のみが持つことを許される、数十キロ離れた地点であっても瞬く間に移動できる魔道具。

 だが問題はそこではない。

 緊急煙突飛行粉はその名の通り緊急時にのみ使用を許可されているモノ……すなわち一人分しか用意されていない貴重品。それを彼はシェリーに使った。

 即ち──ファッジが逃げる術はもう無くなってしまったということ。

 彼は自分の代わりに彼女を逃がした。

──強いて言えば、この場の誰もがファッジの僅かに残った善性の一欠片が生み出す勇気を軽んじていたことが、この奇跡のような脱出劇を作ったといえる。

 臆病者の一撃(バンプ・オブ・チキン)

 ロン然りネビル然り──弱きものほどいざという時に力を発揮するもの。

 がくがくと、男は脚を震わせた。冷静になって、後悔の念が湧く。

 これまでオスカーの冷徹な声を聞いたことも、本性を垣間見たこともなかった。

 裏側に溜め込まれた悪意が霞んだ輪郭を塗りたくっていく。煙のようにおぼろげな男は、その実誰よりも有害だった。

 

「だ、大臣は、不祥事を起こしたらその責任を取らなきゃならないんだよ……」

「それが今だと?」

「はは、は。そう、そうだよな。私があの子を逃がしたところで、もう、私の罪は消えないのに、私が過去最低の大臣なことは変わらないのに、今更こんな、何を……」

 

 走馬灯、というやつか。

 まだ若かった頃、ファッジは魔法省を変えるのだと腐心し、やる気と情熱だけはもっている青年だった。……やる気が空回りしていたと気付いたのは入省数年後か。

 要領良く仕事をこなすと言えば聞こえはいいが、その実どれだけ上手く手を抜いていくかだけ考えていた。それがキャリアだと本気で思っていた。ただ、仕事を全て適当にするほどにはクズにもなれず、かといってそれらを完璧にこなす程の能力もなく。そんな人生を数十年繰り返し、クラウチやダンブルドアといった大臣の器たる人物が選ばれなかったが故の繰り上がりで大臣になっただけ。

 そりゃあ、権力にだって溺れる。こんな馬鹿を大臣なんかにしたのは選んだ方にも原因がある。結局、大臣という役職になっても良いように使われることには変わりなかった。魔法界の安寧を人質に、地位と給料を搾取し続ける毎日。

 問題には気付いても対処する力はない。だからダンブルドアに何かと助言を求めたし、厳しい問題は見ないフリをした。その結果がこのザマだ。何を変えればよかったのか。何をすればよかったのか。何をすればダンブルドアみたいに、クラウチみたいになれたんだろう。……年頃の少年少女の証言を嘘呼ばわりして虐めることでは、絶対にない筈だ。

 ……ああ、馬鹿みたいだ。

 変えるべきは弱い自分だったというだけの話。

 ただそれだけの、話。

 

「何をやってんだろなぁ、私は……」

「──到底理解できない感情だ」

 

 緑の閃光が炸裂した。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽▽▽

 

 

 

 

 

「ファッジ……さん……?

………!!ぁ、ああぁ、あああ、ああああああ──ぁっ、ファッ、ジさ……!!」

 

 シェリーはどこかの暖炉に転がっていた。

 緊急煙突飛行粉はあくまで万が一のための最終手段であり、国外の暖炉にまで繋がっているケースもあるのだという。ファッジがその粉を使ったことで、死喰い人はもうシェリーの位置を特定できなくなってしまった、というわけだ。

 だが、そんなことなど、当のシェリーは知ったことではない。早く戻らねば……早く戻らねばファッジか。死んでしまう。

 何かすぐに魔法省に戻れる方法がないか確認して──

──あった。魔法飛行粉!

 

「魔法省!……何でっ、魔法省、魔法省!!何で!?何で反応しないの!?ここからじゃ距離が遠すぎるから!?」

 

 シェリーは周囲を見渡した。

 小ぢんまりとしたロッジ。雪が降り積もった場所にあるファッジの隠れ家だ。

──雪?もう春なのに?そんな遠いところまで来てしまったのか?

 嘘だろう。これでは魔法省に行けない。

 死ねない!

 早く、早く──何かないのか。

 

「箒、そうだ、箒に乗って魔法省まで飛んでいけば……!!クリムゾンローズのスピードならすぐに、……あ、壊れて……」

 

 シェリーの愛箒はオスカーに破壊されていることを思い出した。

 隠れ家の中に箒はないかと探すも、せいぜい『流れ星』程度の型落ちの箒しか置かれていない。こんなものに乗ったって間に合うものか!

 

「そうだ、姿現し!やったことはないけれど紅い力で魔力をブーストすればきっと飛べるはず──……っ、身体に力が……?」

 

 力を解放しようとした途端にシェリーはよろめき、倒れる。魔力を練ることさえ今は難しい。何で、何でこんな時に。紅い力にはデメリットは無いんじゃなかったか。

 ……まさか。シェリーの場合、紅い力を使うごとに寿命を削るので、その削った命の分だけ身体が休息を求めているのか?

 だとしたら、これ程までに自分の身体を憎らしく思ったことはない。

 何故こんなに貧弱なのか。何故これほどまでに脆弱な肉体なのか。鷹揚に構えている暇はない。ないというのに。

 

「こ、の──役立たず!!こんな、こんなこんなこんな!!ぁあ、ぁあああ、ぁあああああああああああああ!!!!!!」

 

 苛烈、そして泥濘とした想いは叫びという形で吐露された。

 ファッジのすぐ近くにはオスカーが近付いてきていた。あの妖しくも殺人への遊興しか映さない瞳の男が、ファッジに何もしないとは思えない。

 けれど、今すぐ魔法省に行く手段は存在しない。何一つとして。

 部屋の鏡に自分の貌が映る。何とまあ酷いものだ。切迫した状況が母譲りの美しさを乏しめているように思えた。

 殺すだの何だのほざいておいて、呆れを通り越して笑えてくる。叩き割れた絶望が脳髄を揺さぶる。

 

「訳知り顔であの女(わたし)は何を偉そうに宣っていたんだ!!悟ったような顔で!!何を!!

 あなたは……あなたは本当に役に立たないな!?力をつけた!?全員殺す!?足を引っ張って迷惑かけてそれで満足か!?

 はは、……ぁあ、こんな……こんなくだらない能力まで手に入れて!!」

 

 ふとシェリーの動きが止まる。

 彼女はあらためて鏡を覗き込んだ。そこには朧げに醜い女の姿が映っていた。

 血の色に染まった髪も、薄汚れた手も、不死鳥の騎士団を死喰い人の巣窟に入れ込ませてしまったこといい、何もかもが奴等に似ている。そっくりだ。

「まるで、まるで死喰い人だ……

 ぁはぁはははぁはは、はははッ、あああああああ………はっ、あああああ!!!」

 

「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」

 

 壊れた頭を掻きむしり、発狂した身体からは悲鳴とも慟哭ともつかぬ耳障りな音が漏れ出した。血管の一本一本が軋んでは苦痛を訴えた。この世の全ての罵詈雑言を向けられたとて、この女の罪は言い表せないだろう。

 狂って、狂って──。

 だがシェリーは土壇場で狂い損ねた。

 狂気に呑まれてさえしまえばシェリーの心にも救済はあったのだろうが、彼女の毅然とした理性はそれすら許さなかった。嗚咽は堪えようもなかった。

 事切れた屍のあの感触、あの感触がシェリーを苛ませる。

 

「ごめんなさい……」

 

 流れ落ちる涙を止める気力さえ失われ、愛する家族の人生を終わらせたことに慟哭を重ねる。詫びずにはいられない。もはやこの懺悔を天国に届けることにさえ申し訳なさを感じつつ、彼女は何度も無意味な謝罪を繰り返す。

 

「ごめんなさい……ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい………ごめんなさいごめんなさい……!!」

 

 次なる戦いまでの安息の時間、その安らかな時間がシェリーにとっての最大級の責め苦だった。少女は贖い切れぬ罪を抱えたまま、喪失した心で己の罪の所在を問う。

 生まれてこなければよかった。

 生まれてさえこなければ事態を悪化させることはなかった。

 私でさえなければ、きっとシリウスだってファッジだって、あんなところで死なずに生き延びることができたのではないだろうか──。

 そもそも、罪人がのうのうとホグワーツに通うこと自体おかしかった。

 

「ホグワーツにはもう帰れない……」

 

 私一人で死喰い人を殺す、そう言うだけの気力はとうに失せていた。

 ならばどうするかと考える余裕もない。正常な思考など望むべくもない。

 ただ、今のシェリーは。

 あの城に帰る資格はないと感じていた。

 




コーネリウス・ファッジ 死亡
死因:オスカーによる死の呪文

シェリー・ポッター 行方不明
足取りは未だ掴めず

その他、死傷者数十名
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