「おっと」
大広間に入るなり、飛び出すようにコルダが走っていったものだから、ネロはほんの少し驚いて片眉を上げた。
コルダ・マルフォイは愚直な少女だがああいう風な取り乱し方をするような少女ではなかった、と記憶している。彼女は窮地に陥るほど令嬢らしく肝が据わるタイプの少女で、ああいう風に追い詰められて憔悴したような顔をする人間ではないと思っていたのだが──。
「……って、ああ、成程」
新聞を見て納得する。
粗方の事情を察したネロは様子を見に蛇寮へと引き返した。談話室に入ると、女子の寝室の方で何やら声が聞こえる。
コルダは自室に篭ったのか。さて、様子を伺おうにも男性のネロは女子寮に入ろうとすると城そのものに拒否されるわけだが……ネロは気にした風もなく杖を取った。
「エクスペクト・パトローナム」
蝙蝠の守護霊が生まれて、その聴覚を使い会話を聞こうという算段である。あまり行儀の良い行為とは言えないが、万が一、自殺だの自主退学だのといった話が出ればそれこそ死喰い人の思う壺だ。
蝙蝠は悟られることなく女子部屋の前まで飛んでいく。部屋の前にはパンジーやコルダと仲の良かった女子生徒達がいる。コルダ本人は部屋の中のようだ。
大方、部屋の中に引き篭もったコルダを説得しようとしているのか。
「あ──コ、コルダ、その──今回のことはえっと、まあ、驚いたけれど。でも、私達は気にしてないっていうか、私達で良ければ相談に乗るから、だから──」
「相談したら、何か変わったんですか」
友の不器用な励ましを、しかしコルダは苛烈なる自己嫌悪と絶望で返した。
「相談したら、貴方は何かしてくれたんですか?貴方に相談したら私は狼にならなくて済むんですか?貴方に相談したら氷魔法の手術の維持費を払ってくれたんですか?それでも脱狼薬でも煎じてくれたんでしょうか。人狼が差別されていつ憎悪の目で見られてしまうか分からない恐怖から守ってくれましたか!?
──今、絶賛、周りから問い詰められているお兄様とお母様を、貴方は好奇の目から守ってくれるんですか……!!」
「ッ──」
「──できませんよね?貴方達に相談した程度じゃ解決できない問題なんですよ。マルフォイ家はこれで終わりです、それを何とかできるものならしてくださいよ……!
相談したら力になれるだなんて思い上がらないでくださいよ!!」
「コルダ、」
「帰って!!」
およそ発したことのない声色だった。
コルダの嘆きは八つ当たりだ。行き場のない苛立ちを友にぶつけただけだ。
けれど──もし今回の件で、マルフォイ家の縁談が消えたり、貴族社会において軽んじられるなんてことになれば、それはコルダがマルフォイ家を取り潰したも同然。
少なくともコルダはそう感じている。
かける言葉を見失って、パンジー達は肩を下ろして降りて行く。
人がいなくなって、コルダの胸中には悔恨ばかりが生まれてしまう。
「……やなこと言っちゃった……」
大粒の涙が頬を濡らした。
底冷えする苦悶の中で息をする。
ごつん、と扉に頭を打ちつけた。もう何もしたくない。誰とも話したくない。
「もう、消えたい……もう嫌だよ……」
▽▽▽▽▽▽
ネロ・ダームストラングの話をしよう。
北欧の、名前も無いような小さな魔法使いの村でネロとリラは育った。慎ましやかなそこでの暮らしはとても時間の流れが緩やかに感じられて、ネロとリラは日がな一日中雲が千切れてはくっつくのを眺めたり、星を見て猫と戯れたり猫を吸ったり話したり舐めたりする生活を送っていた。
少ない子供と遊んだり、夜には年寄りの御伽噺を聞いたりする……それくらいしかその村には娯楽がなかった。
けど、それでいい、と考えていた。ネロは確かにそこに幸せを感じていた。
だがリラの考えは違っていた。
「うーん……私は将来この村の外に出て、色んなところを旅して回りたいな。だってお婆ちゃんが言ってた話だともっともっと素敵な場所がこの世界にはあるんだもの。地平線を覆い隠す岩の大地に、晴天を衝く白亜の門。燃え上がるよえに紅い木々や、大時計が時を刻む厳粛な塔。行ってみたいところが沢山あるの」
「へェ、そりゃ立派な夢だナ。でもお前なんかが旅してもすぐに餓死するだロ」
「しないよぅ」
「あっそ。タンポポ食うか?」
「うん」
その辺に生えてた適当な野花をもきゅもきゅと貪るリラ。こんな呑気な妹が旅なんてできるのだろうか。
曰く、いつか旅の記録を纏めた本を書きたいのだそうだ。
別に止める気はないが、こいつが村の外に出るんだったら自分もついて行った方がいいのだろうか。……面倒臭い。
ただ、子供ながらに、リラの考え方に内心驚いていた。俺はこうして空を眺めるだけでも楽しいのだけれど、リラはそうじゃないんだ。叶えたい夢や目標があるんだ。
「俺とお前じゃ欲しいモンが違うんだナ」
「ううん……?」
「でも、そっちの方が面白いよナ」
自分とは違う価値観。自分とは違うものの見方。それが面白かった。
村にいる人数は少ないが、全員が全員違う考えをしてるというのが面白い。
──だがある日、突如として理解できない思考の持ち主が村を襲った。
村に現れた老魔法使いが、魔法の実験と称して村人達を虐殺していったのだ。
当時のネロ達は知る由もなかったがその老魔法使いは偶然紅い力に目覚めた邪悪なる闇の魔法使いで、自分の力を誇示するためだけに罪なき人達を殺して回っていた最低の卑劣漢だったのだ。
ヴォルデモート製の紅い力は別だが、本来紅い力とは術者本人の肉体を蝕む呪われた秘奥の魔術。だが自身のただでさえ少ない寿命を削っていることにすら気付かず、老魔法使いは暴れ回った。
「く、ははは……これが紅い力か!素晴らしい!儂の人生の全てを捧げた甲斐があったというもの!枯れ果てた筈の魔力が漲ってくるわ!」
「しかし……誰かが逃げ伸びて噂が広まっては面倒じゃのう。どれ、ここの村人は残らず儂の尊き研究の贄とするかのう」
そこからはもう、無我夢中だった。
村の子供達とリラを連れて近くの森へと逃げ出し、ぐるぐると頭を回す。
大人達は死んでしまった。せめてここにいる子供達だけでも助け守らないと。そう思ったが、杖すら持たぬ子供達が大人の魔法使いから逃げられるわけがない。児戯が如く殺されていった。もう村の生き残りはネロとリラだけだった。
何を望んだわけでも、何を冒したわけでもなかったのに。
朝にジャムをつけたパンを食べて、昼に子供達と遊んで、夜に星を眺める生活ができればそれで満足だったのに。そんなささやかな生活で満たされていたのに。
森の奥まで逃げて逃げて、大樹の根本にある秘密基地の中に逃げ込んだものの、すぐに居場所はバレてしまう。お気に入りの場所は土足で踏み荒らされ、ネロが大切にしていたものは悉く壊れていった。
老魔法使いは愉悦のままに魔力を振るい、ネロとリラは苦悶に喘ぐ。即死ではないものの、多量の失血で死が近付いてきた事実が殊更に怖かった。
じきに酸素を取り込めなくなり、ここで二人息絶える──
──というところで、奇跡が起きた。
何の偶然か、老魔法使いの呪文が木の根に当たり、奇妙な反応を示したのだ。
そして不可思議な光が出たかと思うと、ばりばりと、木の根を食い破って、禍々しい魔力に覆われた一人の男が現れたのだ。
「ふ、ふふ──忌々しい創設者どもの封印も千年は続かなかったようだな!感謝するぜガキども、お前達のお陰で目覚めることができた」
「な──何じゃ、お前は──」
「ん?……なんだよ、俺の封印を解いたのはそっちの爺さんか。フゥン、紅い力か!中々の魔力だな、かなり弱まっていたとはいえあの四人の封印を壊すとは。いや、この感じは過去に何度か魔法使いどもが俺を結界から解こうとしてたのか。お前の攻撃は最後の切っ掛けに過ぎなかったってわけだ……」
「何だお前は、消えろッ、儂の前から消え失せろッ!何なのだその魔力はッ、有り得んぞッ、儂はいずれ歴史に名を刻む男!真理の探求に心血を注いだ儂の魔力が貴様如きに負けているなどと──」
「俺を解放したのはどうも。だが俺の邪魔するんならくたばれや。なあ?」
勝負は一瞬。
老魔法使いの頭から上は、アイスクリームでもくり抜いたかのように『かき消えた』。
仮に老魔法使いを放っておいたところで紅い力を使った代償でその内死に絶えていたのだろうが、こうして何処とも知れぬ森の中で人知れず死んでいったのは、これまでのツケが回ってきたというところか。
ダンテ・ダームストラングと名乗ったその男は、老魔法使いの杖を使って、見たこともないような魔法でネロとリラの肉体を回復させた。だがいくらヴォルデモートの足元にも及ばぬ程度だったとはいえ、伝説に語られる紅い力を喰らったのだ。
他人を治すのは専門外のダンテができたのは、魔法史に語られることのない異端の錬金術による延命処置。身体には錬成陣が描かれ、そこから生まれる魔力がネロとリラの肉体を無理矢理補強したのだ。
「何でここまで……?」
「フゥン、別にお前達じゃなくてもその内誰かに魔法陣埋め込んで実験材料にしようと思っていたのよ。生き延びたけりゃ俺に服従するこったな。
さてと……俺は世界最強の存在になるために色々と準備をしなきゃならねえ。まずはこの辺の地理を教えてもらおうか」
ダンテは強く、同時に賢かった。
世俗を理解すると瞬く間にそれなりの地位を築いてみせた。彼の気まぐれなのか何なのか、ネロ達にダームストラング校への入学もさせた。社交界のマナーや基礎的な魔法、そういった『生き抜く術』を彼から吸収していった。
ダンテに拘束されることはあったが、それでもネロ達は比較的幸福な生活を送っていたと言っていいだろう。
ただ──彼は常に飢えていた。常日頃から最強になりたいと呟いていた。ゴドリックやサラザール、ヘルガやロウェナを越える存在になるのが夢だと。
別に夢があるなら応援はするが、彼のそれは夢というより妄執だった。
(本当にそれが幸せなのか?ここにだって綺麗なモンは沢山あるのに、すげぇモンは一杯あるのに、最強になるってのがそんなに大事なことなのか?)
リラもそうだ。
老魔法使いに殺されかけて以降、彼女の好奇心はどこへやら、物静かで臆病な性格になってしまった。旅をして本を書くのが夢だったと言っていたくせに、ダンテの付き添いで海外に行っても見たことのない景色を見ても、一切の興味を示さない。
彼女の脳裏には今もあの村の惨状が広がっていて、もう美しいとか綺麗だとか、そういう情緒が失われているように思えた。トラウマになっている訳ではないのだろうが、どうせいつか消えるものに対してどんな感情を抱けばいいのか分からなくなっているのだろう。
(お前の夢はどうなったんだヨ。もうどうでも良くなっちまったのか?あんなに行きたがっていたのに。……いつの間にか目を逸らすのがお前の癖になっちまった)
ダンテは強さしか見ていない。リラはそもそも見ようとしていない。
あの老魔法使いも強さに取り憑かれて近くの幸福を見逃したのだろう。
──教えてあげたい。
自分が感じたあの美しき高揚と多幸感を彼等にも共有してあげたい。
ほんの少し上を見上げれば満天の星があるのに、俯いてしまっている人達の視線を上げてあげたい。村の外に無理に出ようとしなくたって、ちゃんと幸せは此処にあるのだ。近くにちゃんとあるのだ。
近くにある幸せに気付かず嘆いているような奴の視線を変えてやる。
見逃した幸せに気付かせてやる。
それがネロ・ダームストラングの人生に於ける生き方だった。
▽▽▽▽▽▽
──事件はその日の夜に起きた。
コルダがいなくなったのである。食事にも来ないコルダを心配したパンジーが、屋敷しもべに夕食を用意させて部屋に入ろうとして……気付く。鍵が開いている。
コルダが何処かに行っている。行方を眩ましてしまったのだ。
ただでさえパニックになっているスリザリン寮にこの情報は伝えられない。
スネイプはドラコと教員、警備の魔法使いだけにこれを伝達した。
彼女は聡い子だ、まさか自殺はないとは思うが……。それでも年頃の少女だ、最悪のケースを考えておくに越したことはない。
捜索隊が組まれ、宵闇を切り裂きながら城中を探し回る。とはいえ目撃情報を辿れば自ずと居場所は見えてくる。そしてコルダがいると思しき場所に最初に辿り着いたのは、タマモとコージローのペアだった。
「女子トイレに入るのは抵抗があるが、そうも言ってられんな。コルダはこの先の秘密の部屋に隠れている」
「んー、困ったわね。確か蛇語を使わないと部屋の中には入れないのでしょう?コルダちゃんはバジリスクに言って無理矢理入ったようだけれど、私達はそういうわけにもいかないし。さて、どうしたもんか」
「──!誰だそこにいるのは!」
『──扉よ開け』
シューシューと独特の音が発せられたかと思うと、蛇口の蛇が反応し秘密の部屋へと入り口が現れる。音の発生源へと振り返ると、そこにいたのはネロ・ダームストラングであった。
「あなたは……」
「おう、ネロってるかお前ら。ご覧の通り俺は蛇語使いでナ。ここの仕掛けも何の問題もねェってわけヨ。さっ、そういうわけでさっさと行こうゼ」
彼は仮にも名門魔法学校の代表選手として選ばれた男だ。
戦力としては申し分ないどころかありがたい……のだが、タマモとコージローは僅かばかりの警戒の色を浮かべていた。彼はホグワーツに味方として接触してきたとはいえ、全てを話したわけではないことを知っている。
まあ、何かあれば即、叩き切るまで。
根本がサムライの彼等はそういった駆け引きを好まない。敵であれば首を落とす。そうであるが故に同行を許した。彼が妙な動きを見せたら最後、殺すまで。
「分かってるな、ネロ。コルダに危害を加えるようなことはするなよ」
「ああ」
「どうしようかな、一度ドラコやスネイプ先生に知らせて……いや、却って意固地になるだけかな。このまま進もうか」
「しかし意外だ、お前はこういうことに関わるタイプじゃないと思っていたが」
「なーに、この城に寝泊まりしてる以上は宿代を払わねえとって考えただけよ」
「ふうん?まあ、いいけれど。それにしても随分とまあ、様変わりしたものね?前に会った時は(趣味じゃないけど)ミステリアスで結構かっこよかったのに」
「確かに。今やその面影もない」
「あん時は色々と綱渡りでナ、代表選手やらダンブルドアとの交渉やらダンテの監視やらリラのお守りやら、色々とやる事が多すぎてキャパオーバーしてたんだヨ。クラムを弄る時間だけが癒しだった」
「可哀想にな……彼は散々、もうほんと散々お前の愚痴を言っていたよ」
「何それウケる。……っと。また扉か?しかしこりゃあ……」
「兄さん、どこか行くの?」
「ちょっとナ」
「……コルダさんのことですか?首を突っ込まない方がいいと思います」
「へえ。何で?」
「だって、傷つきますよ。お互いに……」
広い空間へと続く大扉が硬く閉ざされており、更に凍ってしまっている。アロホモラで解錠はできるだろうが、そのあまりの質量故に動かすことができない。
魔法を使えばいくらでも対処のしようがあるが、どうこうしている最中にコルダは勘づいて裏口なり何なりから逃げてしまう危険がある。さて、と考えたところでコージローが前に出て、
「まだ見せたことがなかったな。タマモには千里を見通す眼と弓の腕がある。ハヤトには強靭な脚と速さがある。そして俺には……!」
めりめり、という音とともにゆっくりと扉が開いていく。
コージローは純然たる筋力──肉体のパワーだけなら魔法界でも上位に位置する怪力の持ち主であったのだ。
「この怪力というわけだ」
「……俺も大概だけどお前も結構人間離れしてんのナ」
「これは生まれつきだ」
「へえ、すげぇもんだナ。よくこんなでけぇの動かせるモンだヨ」
「!そ、そうか、ああ……そうか。いや別に照れてなどいないが」
「こいつ慣れてないのよ、自分のことを面と向かって褒められんの」
「おいタマモ!」
「は?ニホンの名家で顔も良くて実力も折り紙つきなんだロ?世辞なんていくらでも言われ慣れるだロ。俺がそうなんだから」
「でもこいつ入学当初は無愛想で無口でロクに口聞かなくてさー。今じゃ随分マシになったけど、ほんと威嚇する犬って感じだったなー。行事ごとに誘っても修行の方が大事だなんて言って。忍者の家系だから社交会なんかにも出ないから、友達作る機会ほ殆どないし。遠巻きに見る女子は多いけど結構敬遠されてたしさあ」
「え〜何それもっと知りてぇ〜」
「やめッ、やめろタマモ!あの頃の話はやめてくれ!黒歴史だから!」
軽口を交わしつつも、足取りは慎重そのもの。
コルダは秘密の部屋のどこかで息を潜めている。気配は感じるものの、どうやら出迎える気はなさそうだ。あまりに意外な方法で開けられたものだから呆気に取られているのだろうか。
「出ておいでコルダちゃーん」
「別に皆んな怒ってねえってー」
「まあ……その……何だ。人生色々あるよな。だからその、ほら、帰ろう」
「下手糞か」
ようやくプラチナブロンドの少女が姿を現す。
貴族然とした高潔な少女は、しかしどこか燻んでいるように見えた。
「……私を連れ戻しに来たんですか。ご苦労様です。頭を冷やしたらすぐ戻るので、放っておいてくれますか」
「嘘つけ。逃げる気だロ」
「ッ……」
「あんまりこういう風な言い方はしたくないんだが、お前一人いなくなったところでもう事態は収拾つかないと思うぞ。それは無責任だと思う。……お前も名家の生まれなら、分かるだろう?」
「貴方達は狼になったことがないからそんなことが言えるんです……!」
「それは卑怯だよ、コルダちゃん。全く同じ境遇の人なんているわけない。……私の言いたいことは分かるよね」
「なら──見せてあげますよ。私がどれだけ醜いのかを」
「待、」
「擬似月光展開──氷よ解けよ」
人狼にしか使うこととない月光魔法がプラチナブロンドを照らし、コルダを少女たらしめていた魔法は解ける。
見目麗しい少女は、しかし吐き気を催すほど穢らわしい狼へと変貌する。
少女が化物になったのではない。
化物が少女の姿になっていたのだ。
人狼とは醜いものだ。姿形が、ではなくその在り方が。一度堕ちてしまえば狼としての本性が露呈し、慟哭と共に人に害をなす獣と成り果ててしまう。コルダは物心ついた時からその苦痛と恐怖に抗ってきた。
全てはマルフォイ家のために。そうあれかしと教えられ、そう在りたいと常日頃から思ってきた。代々続くマルフォイ家の永盛は命と同じくらい大切なもの。
それを土足で踏み躙られた。
死喰い人に身体を壊され、死喰い人に精神を壊された少女は、苦悶を抱えて凶爪を振るった。
「ッ」
無論、歴戦の猛者たるコージローやタマモが回避できない理由はない。
理由はない、が──どうしたものかと逡巡する。コルダの抱えている闇は思っていた以上に深く重い。いや、抱えさせられたというべきか。
イギリス魔法界の差別思想は極めて根強いものだ。
旧態依然の純血思想の魔法使いがのさばり権力を使って迫害する。アンブリッジがその典型だ。なまじ力を手にしてしまったが故に、持たざる者に対する歪んだ偏見が人の心を殺す。
ましてや、グレイバックという根っからのクズ野郎が大量殺人鬼として名を馳せてしまっている現在、「人狼は皆んなグレイバックみたいな奴なんだ」という認識が生まれているのだ。
「が、ぁ──何で、何で何で何で何で、ぁなたは……!!」
「コルダちゃん!やめなさい!」
「うるさいうるさいうるさい!!」
この世のものとは思えないひどい声でコルダは怨嗟の雄叫びを上げる。タマモとの特訓で狼状態でもある程度喋れるようになったのだが、それが却ってコルダの苦痛を底上げしてしまった。
魔法学校対抗試合が行われていた際、コルダはタマモに『内に宿る化物を制御する方法』を教えてもらおうと教えを請うていた。そこには確かに同輩への尊敬があったのだろうが、されどその本質に、邪なものが混じっていなかったわけではない。
(あれは多分嫉妬だ。コルダちゃんは私に対して僻みに近いそれを抱えていた)
高潔なコルダの内に潜んだ憧憬。
フラーやタマモはあんな風に周りから認められているのに、どうして私だけが我慢しなければならないのか、という。
だって、同じ境遇ではないか。
何で私だけが隠し通さなければいけないのか。……その昏い感情を表に出すことはなかったし、自分自身よくない考えとは感じていたが、それでも、うら若き少女には堪えるものがあった。
「消えろ消えろ消えろ消えろォッ!!」
分かっている。
こんなことをして意味がないことは。
理解している。
この行為に正当性がないことくらい。
ただ暴力に縋り、思うがままに鬱憤を晴らすなど、それこそ忌むべきグレイバックそのものだ。マルフォイ家の娘として、いやそれ以前に人として到底看過される行いではない。
だが──では、どうすればいいのだ。
何をすればいいのだ。こうして力に溺れる自由も得られないのなら、どんな行為が正当性を持つというのか。泣き寝入りするのが正解だとでも?
……分からない……!
「ああ、そうか、お前は分からないんダ」
コルダの慟哭に答えるように、ネロが声をかけた。
「今のお前は、一体どうしたらいいか分かんねえんダ。考えても答えが出ねえから悩んでんだナ」
図星を突かれた。
却って激昂した醜き人狼は、ネロに狙いを定めて怨讐の仇と見做す。
「貴方が、貴方なんかに何が分かるんですか、ただの部外者の貴方が!」
歪な形をした筋肉が膨れ上がり、ネロを吹き飛ばさんと振るわれる。その暴力性こそ脅威だが、ネロ程の実力者ならば回避は容易。
──されどネロはその一撃を身体全体で受け止めた。
ばきばきぼきぼき、嫌な音が響き渡る。
骨が砕け、肉が千切れ、それでもネロは気迫のみで受け止めた。魔法的なものはまるで使っていなかった。これにはコルダ自身も驚愕した。ネロ達であれば避けられる程度の速度で剛腕を振るったのだから。
「な……ッ」
「やめとけ」
「………何を、」
「それでも、やめとけ。これ以上は」
コルダの理性は取り払われ、更に一段階ボルテージを上げて激しくなる。
図星なのだ。
信頼していたものが揺らいだと同時、己の生き方すらも蝋燭の火のように不確かなものになってしまった気がした。オスカーを殺せばめでたしめでたし、そんな単純な話ではないのが尚のことタチが悪い。
「うるさい、うるさい、うるさいうるさいうるさい!!私の前から消えてッ!!皆んな皆んないなくなってしまえばいいんだ!!こんな化物なんかと一緒にいるべきじゃないんだッ!!『セクタムセンプラ』!!」
「ネロ!!」
「がっ……!!」
「あ──」
咄嗟だった。
頭に血が上っていた。パニックだった。
そんな言い訳が通用しないほどに、深々とネロの肉体を見えない刃が抉った。
ああ、そんな、まさか。
どうしようどうしようどうしよう。
無為に人を傷つけてしまっては、それこそ本当の化物に──
「“化物”じゃねェ……コルダ、だ。お前の名前はコルダ・マルフォイだ──」
だが。
ネロは倒れない。
およそ信じ難いほどの生命力……いや、これはそんな段階をとうに越えている。
苦しい筈なのに、けれど、それ以上にコルダの方が苦しいという瞳を向ける。
「これは、お前がつけた傷だ。お前の罪の証だ。闇の魔術でつけられた傷は治りが遅い。これもその手の類の魔法だろう。
…………逃げるなよ、お前の罪から。その時まで、やるべきことを、やるんダ」
「何で……何で、貴方が、そこまで」
「………………知るか………」
知らず、コルダの口からは嗚咽が漏れていた。
よもやこの男の口車に乗せられたか。
いや──きっと再確認しただけだ。
家族しか味方がいないと思っていたけれど、ホグワーツにやってきて、ネビルに、シェリーやロンやハーマイオニー、ベガという秘密を共有できる存在ができた。仲間ができたのだ。
スネイプや、アレンなどの闇祓いも秘密を守ってくれている。リーマスやタマモという似た境遇の存在もいる。たぶんダンブルドアも気付いていたのだろう。
その全てを放棄するところだった。
「偏見は消えねえ。お前の苦しみが消えることもねえ。けどそれだけじゃねえ。お前がその優しさに気付くことのできないほど哀れな人間ならその時死ねばいい」
「ぁ──わたし、は──」
生まれてからずっと、痛みを背負って生きてきた。
ずっとそれが嫌で嫌で、心の中でいつも泣きじゃくっていた。部屋の隅で身体を丸めてめそめそと。ただ、下を向いて耳を塞いでいたから気付けなかっただけで、声をずっとかけ続けてくれる人はいたのだ。
私は──いかに相応しくないといえどもマルフォイ家の娘なのだ。
まだ残っているものを疎かにするほど落ちぶれちゃいない筈だ。
あの後、泣き腫らして眠ったコルダをタマモが、鈍痛で気絶したネロをコージローが抱えて寮まで運びに行った。道中、バジリスクが心配そうな目つきでこちらを見てきていた。失明してるのだが。
秘密の部屋で眠っていたバジリスクは憔悴したコルダがやって来たのを見て、このまま寮まで帰すのも可哀想だと匿ってあげていたのだ。一年前もシェリーを中に入れてあげていたようで、どうやらその手の少女には縁があるのかもだ。
医務室にネロを連れて行くコージローと別れ、タマモは談話室へと向かう。
(私達の出番、殆どなかったなー…いや、私達が活躍するような状況じゃ駄目なんだろうな。結局戦うことしか頭にないような奴なんだもんなあ)
「コルダ……!!」
スリザリン寮に入ると、入口でドラコが待ち構えていた。
どこまでも妹想いの兄は、コルダの身をずっと案じていたらしく、深夜になってもソファで妹の帰りを待っていたのだ。
ドラコの声でコルダが目を覚ます。
「ぁ──おにい、さま……?」
「このッ、……この馬鹿者!僕が、どれだけ……どれだけ心配したと思って……
僕はお前までいなくなるんじゃないかと……!」
「……ごめっ、なさ……」
「……はぁ。まったく、仕方のない。君もマルフォイを支えていく存在になるんだ、そんな調子だと困るぞ?……これから大変かもしれないが、辛いことも共有するのが家族なんだ。助け合っていこう。コルダ」
「っ、はい……!」
(──俺にその人の悩みを解決する力なんてねェ。結局はただの路傍のクソガキ、金も権力も俺は持ってねェ)
何が変わったという訳でもなければ、何が好転したという訳でもない。
ネロの行いは、そもそもが救世主ごっこに過ぎないのだ。その人が幸せに気付いていないのならそれを指摘することはできるけれど、それ止まりなのだ。
叱咤激励と呼ぶのも烏滸がましいただの慰め。それだけ。何もできちゃいない。
──けど、まぁ。
ああやってまた笑えてんなら、良いか。
最近友達にネロネロ言い出す奴が出てきてました。嬉しくなりました。やったぁ。
ダンテはゴドリック達に封印されて1000年くらい囚われていたんですけど、悪い魔法使いが封印を解こうとしたことが何度かあってそれで封印が若干弱まっていました。でなければ創設者の封印がそう易々と破られるわけないと思うんですよね…。