ダームストラング城、その美しき庭園をぶち壊しながら、ダンテとフラメルは一進一退の戦いを続けていた。
全身から特殊な魔力を放出している生きた伝説生物、バジリスクの超スピードにフラメルがしがみつけているのは、魔力同士を合着させて立っているからだ。
加速する戦いの中で。ふと──バジリスクはダンテを見据えて記憶を呼び起こす。
「今、ようやく思い出した……あなたはホグワーツ創始者から教えを授かっていた、あのダンテ殿ですね?あの時の少年が随分とまあ様変わりしたものです」
「……あァ、どっかで見た面だなと思ったが、あの陰険蛇野郎のペットじゃねェか!懐かしいなァ、あの時の蛇コロが今やいっぱしの王様気取りか!歳は取ってみるもんだなァオイ!」
「あなたは堕ちるところまで堕ちたようですね。かつてはあなたも、サラザール様達に学問や道徳を学んだうら若き少年だった。それが今や、人の世に仇を為す悪鬼へと成り下がるとは、いやはや……歳は取りたくないものです」
「……やっぱり、見知った仲か」
「ええ。ダンテ殿は元は孤児で、ダンテ・ダームストラングという名前も、当時有名だった純血一家の名前からとったもの。マグルから魔法のことで迫害され、暴れていたところを拾われた……という流れだった筈です」
「……っくく。サラザールの蛇が千年越しに俺と相対するとは、何の因果だろうな。
……サラザール。うん、この名を呼ぶのも久しぶりか──」
「俺が初めて負けた相手だ──」
噛み締めるようにして、言った。
怒り。嫉妬。羨望。尊敬。それらの感情のどれでもないような、言語化さえ不可能なサラザールへの──否、創設者達への燻った想い。
何となく、だが。初めて人間らしさを垣間見た気がした。
「……歴史が正しければ、お主は名門ダームストラング校の創設者なんじゃろ。一端の教育者ともあろうもんが、どうして下衆どもなんぞに協力するんじゃ」
「──満たされねェんだよ」
「は?」
「奴等の真似事で学校を作ってみても、飯を食っても箒に乗っても酒を飲んでも女を抱いても、ついぞ俺の心を満たすものは無かったんだ。結局のところ、俺は自分の力をつけて戦うことにしか喜びを見出せなかったのさ。ホグワーツにやって来るまで、そんな生き方しかしてなかったからな」
「………」
「無駄な時間だったよ!俺ァ俺だけのために生きるべきだったんだ!世界で最も単純明快な摂理、『力』!それだけが俺の心を慰撫してくれる!学校を捨て修行に励み最強の四人へと挑む道を選んだのさ!
……しかし俺は創設者に、戦闘向きでない性格のロウェナにすら勝てなかった。そのうち俺は邪悪と見做され四人がかりで封印されたってわけさ。……クソがッ!俺は最後まで創設者に敵わなかった、最後まで勝てなかった!ならばこそ俺は戦争を起こして、その覇者となることで世界最強を証明してやる。ヴォルデモートという恐怖の象徴が君臨すれば対抗勢力が力をつける、それを完膚なきまでに叩き潰す。いずれはヴォルデモートすらも殺す……それがホグワーツ創始者ですら成し得なかった世界最強の証明だ……!!」
「ほーん。しっかしまあ学校作れる能力はある癖に創始者様には負けるとか、お主には人事の才能はあっても戦いのセンスは無いようじゃけどのォ?」
「センスが無いかどうかは、今に分かるさ……!!」
ホグワーツ創始者を慕っているバジリスクにとって、ダンテほど嫌悪する存在もないだろう。直に教えを受けておきながら、そんな目的の為にしか生きられない男。
許すわけにはいかない。
あの素晴らしき四人の強さしか見えていないなど、愚かしいにも程がある!
バジリスクの唸る高速移動。蛇王はあくまでフラメルの援護に回った。彼にできる最大の役割は錬金術師の脚となることだと理解していた。
「
「喰らうものか!」
互いに拮抗した実力の魔法使い同士が衝突した場合、勝敗を分けるのは魔力の消費と相性である。
ニコラス・フラメルは錬金術による大質量の物理攻撃を得意とする魔法使いであるが、ダンテの魔術は吸収と放出をメインとするもの。どれだけフラメルが錬金術で物質生成をしようとも、ダンテは一瞬の内に無に帰してしまう。
理論上、全属性魔法を使えるフラメルは、これまで相手に合わせて弱点を突ける物質を生成する戦法が主であったが、ダンテに限ってはそれも通用しない。
その圧倒的不利をカバーしているのはフラメル自身の地力と、フラメルを背に乗せたバジリスクの存在であった。フラメルの機動力を補える。
「乗り心地は如何ですかな、ニック殿!」
「最高だぜバジリスクちゃん、儂のことは気にせずもっと飛ばせ!」
「承知致しました!」
単純な運動性能だけならあの人狼に次ぐバジリスクだ、ダンテの消滅魔弾を器用に躱していく。一撃ですら喰らえば消耗は計り知れないだろう。
消滅魔弾は、ダンテの魔法の中でも間違いなく極悪な魔法だ。
『防御力無視』、バジリスクの堅牢な鱗であってもあの魔法を防ぐことは不可能である。小規模ながらも空間を削り取るあの魔弾を阻止する術はない。
弱点は、消滅魔弾は直進しかできないのと、射程距離が短いといったところか。一定以上まで貫通はできず、ある程度まで進んだところで魔弾に込められたエネルギーが無くなってしまう。
そういう意味では、消滅魔弾は近〜中距離戦において真価を発揮するといえよう。
しかしならば──ダンテは、フラメルを近距離に引き摺る算段はある!
「
先程とは一転して、黒渦がダンテの掌に浮くと、あらゆるモノを吸収していく。
ブラックホールというやつだ。たちまちフラメルの矮躯が紙のように吸い込まれていくのを、何とか魔力で持ち堪える。
「ぐ……踏ん張れ、バジリスクちゃん!」
「申し訳ありませぬ、踏ん張る脚が御座いませぬ!」
「それもそうか!」
(しかし、読めたわい……あの吸収と放出は同時にはできないようだの。それが出来るんなら最初っから吸収しながら涅槃を撃ちまくればいいだけの話。
しかもあの
「アグアメンディ!」
発射された水球は、しかし並の魔法使いのそれとは比べ物にならない規模。
大抵の水魔法は水鉄砲、熟練の魔法使いでもウォーターカッターのような使い方をするのがせいぜいだが、フラメルのそれは川の氾濫を思わせる大瀑布。空気中の水分も瞬間的に利用しているので、その水量に際限はない!あくまでフラメルは水の流れを変えているだけなのだ。
黒渦が水を吸収するも、全てを呑み干す前に破裂してしまった。してやったりとフラメルは笑みを浮かべる。
「気付いたか──!」
「吸収にも限度があるんじゃろう。吸い込む量があまりに多すぎるとパンクする!所詮は魔法、人の手に拠るもの。強い能力ではあるが、限界はここまでじゃ」
(……しっかしよう。水でダンテごと流し去るつもりだったのに、ほとんど吸収されちまうとは思わなんだ。何とか騙し騙しやっとるが、持久戦になると先に死ぬのは儂の方じゃの)
フラメルが恐れているのは魔力切れだ。
元来、実験や研究に重きを置く研究者気質の魔法使いは、総じて魔力量が多くない傾向にある。要所要所で魔法を使うことが多いため、逆に肉体が魔力の上限を低くしてしまうのだ。スネイプやデネヴがこの枠組みに入る。常人よりは魔力量は上だが、闇祓いなどに比べれば低い方だろう。
フラメルもその典型だった。
老獪に立ち回るも、心内では舌打ちを隠せはしない。それを踏まえた上で、敢えての強気発言。余裕は強者の特権だ。
「『輪廻』『涅槃』この二つは最早攻略したも同然。さあて、お次はどう来る?」
「フゥン、その程度で勝った気でいやがるたあ笑えるね。追い詰められているのはあんたの方だ、爺さん。絶対的な魔力量がどうしようもなく不足している。それじゃあすぐ魔力は尽きて俺手ずから殺すまでもなく死ぬ」
「……貴様の方が歳上じゃろがい」
「こいつぁ失礼。失礼ついでに俺の取って置きを見せてやるぜ。
「────」
殴った、と思った時には既に拳は届いていた。
早い、早過ぎる。接近戦に利のあるダンテとは距離を縮めず、つかず離れずの位置をキープしていたフラメルだったが、ここに来てダンテの殴打を喰らう。
突然の衝撃はフラメルに身構える隙すら許さず、ただダメージのみを与える。表面が抉れ、鈍い痛みの後に刺すような苦痛がフラメルを襲った。
続く第二撃を、しかしフラメルはまたもや受身に失敗してしまう。それもその筈、衝撃に備えようとした瞬間にダンテが視界から消え去り、背後から強襲して来たのだから。砲丸で殴られたかのような痛み。
魔眼で魔法の構造を読み解く隙すら与えられず、ダンテの蹴りの衝撃が顔面を強打した。脳が揺れる。魔力を全身に回し、瞬間的に凝固させることでかろうじて重症は避けているものの、そう何度も喰らっていい攻撃ではない。
「これが──俺の──強さだ!!」
「ぐッ……」
「どうしたニコラス・フラメル!俺こそが最強だ!!使えない連中を切り捨てた結果がこれさ!俺はこの世における最高傑作だろう!?」
「グラディオ、風よ!!」
「おっと!」
ノーモーションの全方位攻撃を、しかしダンテはバックステップで躱す。……ただのバックステップがなんて速度だ。ジェット噴射でもしたかのようなスピードで背後へとかっ飛んでいる。
だがそれで、フラメルはダンテの超高速移動の秘密に気付く。
「全身に涅槃を纏わせているのか……!」
「ご明察」
触れれば最後、全てを掻き消す涅槃を敢えて全身に薄く纏うことによって、ダンテの周りの空間が歪み、少し動くだけでもまるで瞬間移動したかのように高速移動ができるという仕組みだ。
しかも……その状態で殴られればその分ダメージも負ってしまう。薄く纏った涅槃が肉体を僅かとはいえ損耗させるのだ。
常に涅槃を身体中に垂れ流す必要があるため、精密操作と正確性が求められる超高難度の魔法術式!攻防一体、更には速度まで身につけた魔法鎧が、アレだ。
「ちょっと動くだけで自動的に姿現ししちまうようなモンか?使い勝手の悪い……センスが無いと自滅するかもしれん諸刃の剣じゃねえか」
「俺はセンス全開なんだよ!!」
またもや放たれる高速連打を、バジリスクが盾となる形で防ぐ。その強靭な鱗をただの連撃が抉っているというのが恐るべき事実だが、さりとて負けてはいられまい。
足場へと、罠呪文。フラメルに近付こうとしたダンテは、しかしそれを躱すことができない。雑巾でも絞るみたいに足元の床が巻かれ、一本の鋭い槍……というよりも塔になりダンテの腹を貫かんとする。が、難なくダンテは塔を砕き破壊した。
だがまだ終わりではない。形状を変化させられたダームストラング城の床が、壁が剥き出しの凶器となりダンテを襲う。
それすら、ダンテの涅槃・竅はゆっくりと周囲一帯あらゆる全てを消してしまう。
「止まるなバジリスクちゃん!!」
「承知ッ」
バジリスクは巨躯をしならせ、ダームストラング城の塔という塔を伝いながら移動していくのに対して、ダンテのそれはあくまで直線の動き。『どの空間を削るか』を瞬時に判断してはその場所へと飛ぶ。
空間を歪めながら進むダンテにとって空中戦という概念はなく、仰ぎ見るべき空を踏み締めるように駆けていく。
フラメルが杖を振るえば堅牢な魔法障壁の張られた建築物ですら飴細工のように姿を変えて、即席にして必殺の武器となってダンテを貫かんと突進するも、これを腕の一振りで消滅させてしまうのだからたまったものではない。──しかしその本質が涅槃である以上、あの状態は長くは維持できまいと考える。
涅槃・竅はセンス故の代物だ。何かを間違えれば致命的に崩れるし、付け入る隙もあるというものだ。
瞬間的でいい。
あの消滅エネルギーを使い切らせるだけの質量の暴力!今いるのはそれだ。
一つの杖からそれぞれ違う呪文を放出するのは初めてだが、やるしかあるまい。
この両手には世界の命運が掛かっていると心得よ。
右手には嵐。
左手には雷!
フラメル自身を台風の目として、巨大な天気のバリアが形成される!
「とぐろを巻いて流れに乗りな、バジリスクちゃんよ。風が、雨が、君を痛めつけることはねェ」
「──天候変化だとォ!属性魔法の極地を使いやがるか!しかも、えェ、おい!二重属性の同時使用ときたか……!!」
「コツを掴めば難しいことじゃねェわい。え?何?お主できねェの?」
「ほざけ!抜群に解放だ!!」
渦を巻く剛風と、乱気流の中を我が物顔で闊歩する天上の雷が、突っ込んでくるダンテの消滅エネルギーを消費させていく。途端にダンテは消滅エネルギーを一点集中させて、前方へと撃ち天候バリアを消し飛ばさんとする。
純粋な火力勝負、ならぬ魔力勝負。
フラメルの狙いはそこにあった。単純な魔力比べでは、フラメルがダンテに勝てる道理などない。ならばこそ、敢えてこの天候防壁を展開したのだ。風は見えない力。周辺一帯の魔力を一時的にコントロール化に置くことで、ダンテが魔力勝負をしている隙に不可視の攻撃を放てるというもの!
(────)
風の刃が、骨肉を切断しかねない程の切れ味で濃縮され、解き放たれる。
ダンテの反応は早かった。
風の動きを感じとるや否や、消滅エネルギーを一旦解除、すぐさま涅槃から輪廻へと切り替えて風の刃を吸収させる。
当然、即席の輪廻はその全てを吸収することはできずに霧散してしまうが、霧散の瞬間に足下に涅槃を発生させる。空間を歪めて空に浮くような姿勢だったダンテは、即座に地へと回避せしめた。
ダンテが地面へと足を着けると、降り注ぐは上方向からの暴風雨。
走り、校舎内に逃げ込んで、姿を隠してみる。が、それは悪手。物質であれば何であれ変化させてしまうフラメルにとって校舎など『材料の宝庫』だ。
建物ごと押し潰せ。
物質で圧壊させてやれ!
崩れ去る校舎の残骸を見下ろして、フラメルはそれでも警戒を怠らない。
瓦礫を圧縮し、黄金へと変えることで即席と牢獄へと変貌させた。
「攻守が裏返ったのう」
全ての運動エネルギーを強制的にゼロにしてしまうダンテの魔法、『引力魔法』とでも言おうか。確かに強力だが、また同時に限度があることも理解った。
全ての魔法には法則がある。
法則性さえ破れば、こちらのもの。
バジリスクにはもう物を見て呪い殺す眼はないが、まだピット器官による熱源感知がある。ダンテが近寄ればすぐに迎撃可能な態勢を整えていた。
だからこそ。
背後よりの強襲は、フラメルにとって予想だにしないものだった。
「がッ……あ……ッ?」
魔力で形成した剣で、背中から急所を一突きにされる。
骨張った身体がびくびくと震え出し、苦痛をつぶさに訴えかけた。
けれど、痛みよりも先に疑問が来た。
如何に俊敏性に長けた吸収魔法とて、瓦礫ごと押し潰してしまえば意味はない。脚がどれだけ早くても道が無くてはロクに走れやしないのと同じように。
しかし、ダンテは抜け出した。バジリスクにも、フラメル本人にも気付かれることなく背後へと回ってみせた。
──どうやって?
「……『涅槃』の、連続使用……か?」
「フゥン、流石に研究者。今の高速移動の正体にも気付くか」
空間を削り擬似的な瞬間移動を為す。
移動できる距離は長くはないが、瞬間的にいくつもの涅槃を使うことで長距離移動すら可能にする……瞬間的な反応速度がモノを言う早業。
フラメルが逆の立場なら、絶対に出来ないだろうという確信を抱かせる程には、ダンテの動きは速かった。涅槃を使い瞬間移動した先で、また涅槃を使う……という簡単なロジックではあるが、それが残像すら残さぬ疾さを生み出す。
それこそ、匂いや温度を残さぬ速度で。
深々と抉られた心臓。
ごぶり、と血を吐いて倒れる。無詠唱で治癒魔法をかけるも、完治するだけの魔力が残されていない。食いしばった歯の隙間からとめどなく血が溢れる。
(やらかした)
驕りがあった。
無意識のうちに、自分の実力を過大評価していたのだろうか。
それともダンテを甘く見ていたか。
心臓が止まる。
ゆっくりと死が近づいて来る。
「フラメル殿……!ああ、そんな……」
「残念だったな、錬金術師。俺に殺されることで世界最強の証明となれ」
何を言っているのかも朧気だった。
熱い血が、一秒ごとに熱を失い、まるで冷水のように感じられた。
(……ペレネレ……)
一足先に逝ってしまった亡き妻の影法師が瞼の裏に揺らめいた。
終わり、なのだろうか。
出しゃばりすぎたのだろうか。
研究の為にと生き永らえ、後進のためにと錬金術を極め。
数百年の生で、確かに残せたものはあっただろうか──?
──何で、錬金術なんて熱心に学ぼうとしたんだろう。
誰かに勝ちたい訳じゃなかった。
大層な理由があるわけでもなかった。
何しろ錬金術を始めたのは数百年前のことだ。きっかけなんて覚えちゃいない。ただ何となくやってみて、何となく今まで続けてきた。そこに大層な目的があったわけじゃない。意味があったわけじゃない。
錬金術は血とか肉とか、肉体の一部のようなものになっちまって、切り離しができなくなっていた。好きとか嫌いとか、そういう感情ももう無かった。
あって当たり前の物だから。
命の水で寿命を伸ばしたのだって、ダンテみたいに生きて目標を達成したかったとかいうわけじゃない。寿命を伸ばす薬の臨床実験を人に試すのもどうかと思って、仕方ないので妻と一緒に服用した。薬が失敗したら死ぬだけだと笑い飛ばしていた。
──どうして、錬金術をこれまで続けてきたんだろう。
伸びた寿命でやることと言えば、飽きもせずひたすら錬金術の研究。それ以外のことも沢山やったし、世界を巡る夫婦旅行に行ったりもしたし、各地で身分を偽って子供に勉強を教えたりもした。
でも、一番取り組んできたのは錬金術。
一番やり込んだのは錬金術だ。
どうしてのめり込んだんだろう。
正直言って、他の学問でも良かった気がするのだ。占星術で未来のことを識ってもよかった。魔術を極めてもよかった。どうして数ある学問の中から、わざわざ錬金術だなんてもを選んだんだろう。
──それは多分。失敗していい学問だったからだ。
錬金術は一握りの成功を得るために何億もの積み重ねが必要になる。
面白くはないが浪漫はあるだろう?
挑んで、挑んで、挑んで、その悉くが失敗に終わった。
賢者の石だって理論は突き止めても成功には中々至らなかった。
ニコラス・フラメルを偉大な錬金術師と持て囃す者もいるが、そうじゃない。人より長く生きた分、人より多く失敗しただけのことだ。錬金術師としても、人としても大いに間違えた。
その失敗の数こそ、あのダンテとかいう『若造』に勝つ要因になる。
成功はただの結果に過ぎない。
失敗にこそ意味がある。
挫折にこそ真価を問う。
十重二十重の困難があってこそ、フラメルの魔法は完成する。
(この数百年間、一度だって胸を張って錬金術師と名乗れたことはない。こんな非効率なジジイが偉大であるものか。人よりエネルギーを使っただけのことだ。……しかしまあ、ようやっと自信が出てきたわい)
これ以上は不可能。
これ以上は無理。
死という限界は見えた。ああ、ならばこそだ。
勝負はここからだ。
世界中の人間全てが諦めても、儂だけは諦めてやるものか。
錬金術師が輝くのはいつだって、不可能とか無理とか言われた事柄をひっくり返す時なのだから。
──ようやく、いいモノができそうだ。
「……何で。心臓を貫いたのに、何でまだ動けんだテメェ!!」
「──彼方より此方。彼岸より此岸。希いしは遥か彼方。此より執り行うは宿業の果てへの逸脱なりて、然らば因果の際涯への歩み也。──『リ・オブスキュラ』」
過去の人間でありながら、千年先の魔法界に於いて不遜な態度を崩さなかったダンテでさえ、そのあまりに未知な魔法に恐怖を覚えた。
確かに自分は背後より心臓を突き刺し、老いぼれに引導を渡した筈だ。フラメルは倒れ、バジリスクの背の上に横たわる亡骸となった筈だった。
それが、突如として虹色の光に包まれては破けた心臓が再び脈打つというのだ。
訳がわからない。
理解が追いつかない。
というか、理解できる代物なのか?
あまりにもおかしい。文献にすら載っていないような、見たことのない魔法。どれにも類することのない不可思議な魔力。
宇宙人の魔法と断じてしまえば、まだ納得できるというものだ。
「……土壇場で新たな力とやらにでも目覚めたってえのか?大仰な魔力を出しやがりくさって。所詮は一発芸だ、僅かな時間しか保たねえ欠陥品……コトが起きる前にお前を殺せばいいだけだッ!」
近づくことはせず、消滅魔弾による距離を取りながらの攻撃。
この場における最適解だ。消滅魔弾ならばこの世全ての物質を削り取る。空間ごと無かったものにしてしまえる。フラメルが何をしようが、その全てを消滅させるのがこの魔弾だ。
しかし──フラメルが杖を振ると、何やら黒い、のっぺりとした壁が老人を守るようにし出来上がる。違和感。これまでの戦闘で消滅魔弾を防ぐ手はないと分かっているだろうに、何故わざわざ『防御壁を作る』などという原始的な対処法に出たのか?
その疑問はすぐに晴れる。
如何な魔法をも消滅させてしまうその魔弾は、しかしその黒い壁に阻まれた。
「な──は──?」
「確かに一発芸じゃがよ。老人が何百年もかけて編み出した渾身のネタじゃ。笑い転げて死んでも知らねえよ?」
「そうか──テメェ、錬金術を極めた結果、一つの世界を構築しやがったな!?この世ならざるもう一つの世界!そこから魔力と、この世ならざる物質を持ってきていやがるんだ!!」
「御名答」
即ち、ダークマター。
この世に存在しない物質。
この世に存在しないのだから、この世の法則が通用する道理はない。
フラメルが持つ夢想の世界から、魔力と未知の物質を引っ張り出す神の御技。
成程フラメルの切れかけの魔力を充填するために、他所から魔力を補充するというアイデア自体は理解できる。ただ……その補充先が、よもや別世界などというあやふやなものとは、思いもよらなかった。
錬金術師として、この世の理を知り尽くした男が。そんな奇想天外な解決策を編み出そうなどと、一体誰が予想できた?
(心臓も、その彼岸の物質で補ってやがるんだ……!!そんなのアリか?何だってこんな奴が俺以上の力を──違う!そんな筈はねぇ!認めるな!)
欠点はある。
使うのはあくまで違う世界の魔力、これを使用している間は自分本来の魔力を使うことができなくなるというもの。
更に、この『彼岸の魔力』は極めて調節が複雑で難しい。フラメルならば問題なく扱えるが、魔力操作にそれなりに気を使うことになる。
自分本来の戦い方を捨て、全く別の魔力の計算、操作をしなければならないというのは非常にキツいものがある。敵と戦いつつ脳内では高度な計算を組み立てなければならない。魔力を使うために今度は頭脳を酷使しなければならないのだ。
しかしそうまでしてフラメルが此岸の魔力の使用に拘るのは、ダンテがそれをするだけの相手だと認めているからこそだ。
(『彼岸の物質』の法則を解析される前に倒さにゃあならん。どっちみち、短期決戦を仕掛けるより他ねぇか)
「しかし読めたぞ。その紅い力を使わずしてそれだけの魔力を生成する方法、すなわち賢者の石じゃろう。貴様は賢者の石と契約を交わし擬似分霊箱にしたのじゃろ?だから魔力も無尽蔵に使える……逆に言えばお主の体内のどっかに隠されてある核さえ見つけりゃあこっちの勝ちじゃ」
「ジジイが……!!」
「貴様の方が歳上じゃろうが、クソ老害。死に時を見失った愚かモンが。失敗から何も学ばんかった阿呆がよ。失敗ることの素晴らしさをその身に刻んでから死ね」
意図せずして呆れを孕んでいた。
ダンテ・ダームストラングは頭は良いのだろうが、ただの馬鹿だ。
学びの意義を知らず、考えず。精神が子供のまま停止している。素材は優秀でもアレでは良い道具へと錬成させられない。
強く在ろうとすることは否定しない。
強くなりたいというのも否定しない。
ただ、その為に全てを切り捨てても良いとか抜かす奴には負けたくない。
「強いとか弱いとか……そんなことばっか言ってると、女の子にモテねえよ」
「てめ……、──落ち着け。キレるな、ダンテ。
今まで築いた地位も名誉も捨て、汚泥を啜ってでも世界最強の座を目指す。そういう生き方を選んだんだろうが。ここでキレて全て台無しにするつもりか?屈辱の千年を思い出せ。辛酸を舐め拘泥を啜った千年を思い出せ──」
(──暗示か?)
「ふぅ。待たせたなぁ、フラメルの小僧。やってやろうじゃねェか。彼岸だか何だか知らねえが、全部俺の魔法で消してしまえばいいだけだッ!!」
再び、ダンテの猛攻が始まる。
それはさながら嵐のようだ。血風が吹き荒び魔力飛び交い、次元すら編訳させる跳躍駆動。臨界まで魔力を活用しているのがよく分かる。
対するフラメルもまた、一寸も思考を停止させることなく魔力を回している。
終わりの見えぬ死闘。
果てのない消耗戦。
速度と消滅に重きを置いたダンテの高速戦闘を押し潰さんと、彼岸の物質を呼び寄せて暴力を作り出す。それは遥か幻想の光景のようだった。杜絶された空間は吹き抜ける朝の爽気のように澄み切って、二人の戦いを彩った。
それも長くは続かない。
分かっているのだ。真に勝負が決まるのは魔法の撃ち合いではなく、大出力における衝突の瞬間だと。
裂帛の気合いとともに、フラメルの形成する純黒の四角い物質群が、災害で崩れる家屋のようにダンテを襲う奔流となる。それらは時間が経つと消える性質はあったけれども、実質的に無限に魔力を使えるようになったフラメルだ。一度でも呑まれてしまえば勝敗は決する──故にダンテは空間跳躍を連続的に使用する必要に迫られた。
互いに尽きない魔力を持ち、必勝の活路が開けているため、あとはその勝負処をどこに設置するか──それを悟らせないように立ち回るのが両者の攻防であった。
或いは、ダンテの魔法が純粋な消滅エネルギーでなければ、ダークマターごと押し流せる属性魔法であったならば──勝負の行末の違っていたのかもしれない。
一度でも読み違えれば終わり。
一手でも遅れれば即座に詰み。
沸騰しそうな程に脳が熱を帯びた。
勝負はここか。今行くのか。
理詰めで結論を見出すけれども、本能すらも活用して、たった一つの勝因を勝ち取るがために千にも及ぶ不可避の死を思考して除外する。両者の激突は全ての言動に理解を求める段階にあった。それが攻撃なのか、防御なのか、フェイントなのか、意図はないのか。攻撃ならばどれだけの速度で放つのか、遅延はあるのか、魔力量は、規模は、種類は、弾道は。
気が狂いそうになる計算式を、しかしダンテとフラメルは構築せしめた。
そして、結論づける。
『勝負はこのとき』
終焉は音もなくやってきた。
「涅槃・最大出力!!」
「彼岸の力よ此方へ来れ!!」
一切の光を灯さぬ黑い奔流。
天の理すらも拒絶する白霞。
本来ならばこの世の法則に束縛されないフラメルが、消滅魔弾の効力など無視して押し流す筈だった。しかし、現実として互いの魔力は拮抗している。何故か。
先の無限とも言える攻防の中で、彼岸の物質の一端をダンテは理解したからだ。
ダンテが持ち合わせる高い適応力で未知に抗っている真っ最中!
「バジリスクちゃん、離れてなァ!」
巻き込まれれば無駄死にだ。それはバジリスクも本意ではないだろう。
言葉に込められた意図を理解して、そそくさと退散する蛇王を、侮蔑も露わにダンテは嗤った。『あいつは俺より弱かったから仇討ちができなかった』
(俺は違う!無様じゃない!俺はあの創始者すら成し得なかった偉業を果たせる!)
「──!!ははははは!!どうやら俺の方が魔力出力は上のようだな!!一度に使える魔力量なら俺に分がある!!勝利は右手に!栄光は左手だァ!!」
「…………」
「観念したか!そうだッ、そのままじっくりとバターが溶けるように死ぬがいい!腕の先からゆっくりと、丹念に!お前がいた痕跡から殺し尽くしてやる!!それが俺の強さの証明の──…がッ、な、何!?」
「勝利を前にすれば図に乗る。敗北を感じれば暗示をかける。そんな自分の力しか見えない愚か者だから気付けんのだ」
ダンテの脇腹を、高速回転する魔法弾道が肉ごと抉った。
ただの魔力弾ならば、最大出力で魔力を射出している最中のダンテであっても如何様にも対応できた。けれどその魔力弾は、あまりに殺傷性が高すぎて、咄嗟の防御も間に合わぬほどに極悪だった。
たちまち、ダンテの肉体に想像を絶する程の激痛が襲いかかる。これは──毒か!
「──バジリスク・フリペンド」
バジリスクは攻撃から逃れるために離れていたわけではない。
味方を呼ぶ為に離れたのだ。
接近戦ならば相性的にダンテが有利。蛇王の鱗すら吸収・消滅させてしまう。ならばこそバジリスクが取った手段は遠距離からの狙撃であった。
毒牙を魔力で撃ち出すことによる必殺の一撃を、彼は一度見たのだから。
後は魔法使いさえいれば再現できる。あの魔法ができる……!!
「助かった、ジキル」
「……!?闇祓い風情が……!!」
「常に高速で移動している奴が、わざわざ脚を止めてくれているのだ。狙わない道理が何処にある?」
「がッ、くそォァァァア!!」
スクリムジョールに気を取られた瞬間、フラメルの黒き物質が拒絶の檻を突き破りながらダンテを貫く。肉体を半壊させてダンテは錐揉みしながら瓦礫の中へと突っ込んでいく。しかし……まだ終わりではないだろう。
ダンテの体内のどこかにある核……賢者の石を壊すまでは!
「ありがとうな、ジキル」
「とんでもない。貴方に無理ばかりさせてしまった」
「『ラニーチーズサンド』じゃったか?アレ、儂も美味いと思う。この老いぼれにもよ、あの世に行っちまったらでいいから教えてくれんか」
「自分には老人介護は無理です」
「──友人としてなら付き合いましょう」
「ぬははは、この歳で友達が出来ちまったわい」
「あんたの伝記に憧れてた。隣で戦えたことを光栄に思う、ニコラス・フラメル」
「ニックでいいよ」
「君のことも名前で読んでええかの?老人は長い名前は覚えられんでな。ジー、とかどうじゃろ」
「……ふ。そりゃあいいな、ニック」
「さて、来るぞ。ルー」
瓦礫に押し潰され、姿を見せないと思えば背後から強襲する──
──その手口は、もう知っている。
「なッ──なっ、なっ、」
「『何で俺の動きが分かった』か?逆に聞きたいのう。……『何で同じ手が二度も通用すると思った?』」
ダンテが背後に立った瞬間、幾多もの黑い棘がダンテの肉体を貫通した。
「力は絶対、最も価値あるもの……そう言ってたお主は今その『力』とやらで縫い付けられとる訳じゃが、ええ?こんなもんがお前の理想か?全く面白くないわ。
ネロから『手に余るようなら殺してくれて構わない』とは聞いとるが……息子にんなこと言わせんじゃねぇよ」
「──!!」
怒り狂ったダンテが取った行動は、奇しくも最適解と呼べるものだった。
消滅エネルギーを伴わない広範囲への魔力爆発。焼け鉢になったのが見て取れる。その窮鼠猫を噛むとも言える行動は、爆裂的な猛攻で周囲一帯を破壊していく。
対するフラメルは最早、つぶさな迷いすら見せはしない。
でき得るだけの彼岸物質を杖に集中。
極まった魔力は、天の旭光。
千年前からの悔恨に決着を着ける。ど真ん中をブチ抜く──!!
「じじい、きさまッ、きさまあああああああああああああ!!!!!」
「あの世でホグワーツの創始者様に謝ってこい。特別に──儂が今から送ってやるからよォ!!」
測定される魔力は想定の埒外。
颶風の唸りが時を刻む。
渇望を抱いた男の肉体に奈落を拓き、虚空へまでもその癒えぬ創を拡げて、周囲の全てを虚無の果てへと吹き飛ばす。
「毛ジラミどもがァアアアアアアアアアアアア!!!!」
断末魔とともに。
ねじれを抱えたまま、ダンテは吹き飛び消え行っていく。
解き放たれた亜空衝撃。魔力が加速して渦巻き螺旋の奔流を創り出していく──。
黒く眩い、破滅の刹那。
その代償は大きかった。
「爺さん、あんた身体が……」
「……ああ、まぁ。限界が来たってことなんだろう。なあに、気にするでない。騙し騙しやってきた死がようやっとやって来ただけの話さ。死神が六百年遅れで取り立てに来た。延滞料金が高くつくぜ、こりゃあ」
「……なあに、世界を救う手助けになったんです。神様も許してくれますとも」
「ありがとうよ。創始者様にはよろしく言っておくわい。ゆっくり来いよ、ジー」
(あぁ……疲れた、眠い……老人は寝るのが早くてかなわんな──)
些細な談笑と、
ふわりとした微睡があって。
ニコラス・フラメルは長い一日に別れを告げていく。
ほんとうに、ほんとうに──
長い一日、だったなぁ──
ニコラス・フラメル 死亡
死因:ダンテの不意打ちを喰らい心臓停止。その後彼岸の物質を使い延命するも、限界が来て死亡