雄也視点
真っ黒闇の中で誰かの声が響く。
『不思議。お前みてても全然愛情なんか湧かないんだよね。まあ結婚したのも仕事無くなった時にそなえてだし。お前産んだのもおろせないから当たり前か。
もう浮気にはならないけどまた
この声は母さん……?確かこの時父さんが亡くなってようやく帰って来たと思ったら言われたような……
『ホントにつまんねーよなお前。母ちゃんクソで、学校どころか家でもぼっちでピアノ弾くだけって、俺だったらこーなる前に死んでるわ。
あ、これ先生にチクんなよ。チクったら殺すから。』
これは中学の時の……この後「だから結局こーなんだよなー」って集団でボッコボコに蹴られたんだよね……なんとか指は庇えたからよかったけど。
『やっぱり父さんのとこ逝った方がいいんじゃない?このままずーっと苦しいより何も感じない方が幸せだと思うんだけど。私もせいせいするし。』
現にほら、もうすぐ逝けるんでしょ?なら早く逝っちゃえよ
消えない罵声は次第にざーっというノイズ音に変わり、どんどん強くなって───
「う、うーん……」
雑音で目を覚ますと、僕は知らない路地で電柱にもたれかかっていた。周りを見ると薄暗い中、ぴちゃん、ぴちゃんと小さい飛沫がアスファルトから上がっている。
「雨の音……か。」
起きた原因を理解して、眠っていた頭が働きだす。
なんでこうなったんだっけ……そうだ。ライブの後、気づいたら
動き出した頭が出来事を思い出していく。けれど、そこに良いものなんて何一つなかった。
手を見ても、相変わらず向こうが透けていてる。
「ほんと、最っ低だよね……」
夢で見た母親と、今の状況や自分のやったこと。その他色々なものが込み上げて零した言葉が、自分の首を締めていくようだ。
しばらく忘れてたのに、記憶の下の方に埋まってたのに。完全に嫌なものを掘り起こしてしまった。
結局、楽しいことは一瞬なんだ。弦巻さんや皆のお陰で忘れていたけど、どんな事にだって終わりは来る。僕はそれがとても早かった。それだけだよ。
「みんな僕のことを忘れてくれればいいんだけど……無理だよね……結構関わっちゃってたし……
こうなるんなら、幽体離脱してすぐにどっか遠い所にいっとけば……」
気持ちが大切と言うなら今は体に戻るのは無理だし、一人で終らすこともできない。そんなどっちつかずな自分にすら愛想が尽きそうで……
「もういいや、二度寝しよ……すごく疲れた。」
何もかもが億劫になり目を閉じる。どうせ見るのは悪夢だろうけど、このまま寝ている間に何もかも終わってしまえば。そんなことを考え意識を手放そうとすると───
「あ!いた!みんなー!ゆーくんみつけたよ!」
声……?気のせいかな?と思ったのだが、しばらくすると───
「うわ、確かに薄くなってる……」
「雄也君、大丈夫かな……?」
「きっと眠ってるのよ。あたし、数珠を持ってるから揺すってみるわ!」
なんか夢にしては随分はっきりしているような……
「あれ?みんな……?」
「あ、ゆーくん起きた!」
「ようやくお姫様……いや、王子様のお目覚めだね。」
なんとか瞼を持ち上げると、僕のもたれた電柱から扇状にみんなが集まっていた。日曜日ということもあって全員私服だ。
「なんでここがわかったの……?」
「雄也君が居なくなったって聞いて、私がエヴァースの奥さんに連絡したの。そしたら『そういう情報ならおばちゃんにまかせなさい。』って。」
松原先輩が教えてくれた。エヴァースのって……あ、あの喫茶店の人か。
「それで、皆は何しに来たの?」
「いや何しにって……キミを探してに決まってんじゃん。」
「探すって……僕もう消えちゃうんだよ?見ててもいいことなんか……」
皆に見せた手が心なしかさらに薄れて見える。これ、もしかしてあまり長くないのかな……
「確かに透けているわね。けれど、体に戻れば大丈夫よ!喫茶店のおば様も、美麗もそう言ってたわ!」
「戻るったって……こんな気持ちじゃどのみち上手く行かないって……」
励ましがますます苦しい。真っ黒で重い気持ちが堰を切ってどんどん流れていく。
「だから間違いだったんだよ……最後にこうやって消える位なら、初めから皆に会わなければよかったんだよ……できるなら今からでも忘れて欲しい。そうすれば最初から自分なんか居なくたって────」
話す度に胸の辺りがどんどん冷えて、それが全身に廻っていく。僕は最低だ……こうやって迷惑かけて、それなのにこんな酷いこと言って、でも止められなくて───
「忘れて欲しいなんて……そんなの、そんなの絶対に嫌だよ……!」
「……!」
僕の言葉を遮ったのは松原先輩だった。
「案内してくれたお礼もまだ出来てないのに……せっかくこうやって皆と仲良くなれたのに……そんな悲しい事、言って欲しくないよ……!」
目に涙を浮かべながら、まっすぐこちらを見据える先輩。震える語気に怒りがうっすら滲んでみえた。
「そーだよ!!ゆーくん体に戻ったらとーちゃんの作ったコロッケ食べるって言ってたじゃん!!はぐみ!ずーっと楽しみにしてんだよ!?」
あのとき言ったこと、覚えていたんだ……
「かのシェイクスピアは言っていた。『行動は雄弁なり』とね。
厳しい言い方になるかもしれないけれど……君はまだ、その行動をしていないのではないかな?」
シェイクスピアの言葉をなぞる瀬田先輩。だけど、それはいつもの決め台詞とは違い、深く考えなくても意味がはっきり伝わって来るものだった。
「あたしがキミにこんな事言っていいのかわからないけどさ……なんていうか、もう少しだけ頑張って欲しい、かな?
せっかくこれからだって時にお別れとかってなっちゃうと……やっぱしんどいじゃん。」
メンバーの中で唯一、僕の過去を知ってる奥沢さん。いつもと変わらない口調のように感じたけど、途中から顔が帽子のつばに隠れて見えなかった。
「……なんで……なんで励ましてくれるの?迷惑じゃないの?酷いことばかり言ってるのに怒らないの……?」
突き放そうとしているのに、忘れて欲しいって言ってるのに……頭の中が「なんで」と「どうして」でぐちゃぐちゃになっていく。
「そんなことしないわ。だって昨日までの雄也は、体に戻りたいって言ってたじゃない。」
「それはこうなる前だからじゃん……こんな事になったら気持ちだって変わるよ……」
「思っていること全部が変わってしまう事なんてあるかしら?
怖い気持ちに隠れてしまっているだけで、心のどこかでは体に戻りたい。あたしたちともっと楽しい事をしたいって思っているかもしれないわ。」
「……」
するりと中に踏み込まれてしまった気がして、思わず目を反らすと───
「やっぱり思っているのね!それなら、雄也が体に戻るのに大切な気持ちを見つけられるまで、あたしはずーっと応援するわ!」
「何も言ってないんだけど……」
「言わなくたって癖でわかるもの!雄也は言いたくないことや隠し事があると、いつもそっぽを向くじゃない。」
「うぐ……」
どうしてそういう所は鋭いのさ……みみっちい自分がさっきまでと違う意味で嫌になった。なんか皆もちょっと表情ゆるんでるし……
「それに、応援してるのはあたし達だけじゃないわ!皆雄也に伝言を残してくれたの!」
ほら!と、自分のスマホを見せてくる弦巻さん。そこには───
『大変なことになってるみたいだけど……諦めちゃダメだよ!私もCIRCLEの皆も君が元気になってウチのライブに来てくれるのを待ってるから!』
『ゆーくんとそんなに話せてないけど、このままお別れなんてあたしはいやだよ?
ゆーくんのこれからにはハロハピの皆と過ごす日常とか、今まで食べれなかったおいしーものとか、たくさんの「エモい」ものが待ってて、それが「いつも通り」になっていくんだからさ~。』
『あたしもゆーくんに消えて欲しくないな。だって演奏してた時すっごく「るんっ♪」とくる顔してたもん。
それにそれに!本当の姉弟じゃないけどキミにもおねーちゃんがいるんでしょ?だったら、今度一緒におねーちゃん自慢しよ!』
『レモンティーの約束、反故にされたらウチの旦那悲しむよぉ?ああ見えてすっごーくナイーブだからねぇ。』
『消えかかっていても時間はまだあるし、今の雄也より酷い状態から持ち直した人だってちゃんといる。
だからお願い。前を向いて。透けてない顔を私に見せて。
もう怒ったりしないから。』
「みんな……」
れい姉や喫茶店の奥さんだけじゃない。まりなさんに、青葉さん。そして日菜先輩も……
「幽霊を笑顔に!!」というタイトルのグループチャットには幽体離脱してから今まで僕が関わって来ていた人達からの激励が書き込まれていた。
「確かに雄也はちょっぴり怖がり屋さんかもしれないけれど、酷い人でもひとりぼっちでもないわ。
優しくて、頑張り屋さんで、とーっても素敵な人だってみんなが知ってるもの!」
勇気なら、あたしたちがあげるわ!!
ほら、行きましょう!と、真っ直ぐ差し出された手に触れると、さっきとは真逆の温かいものが胸からどんどん広がっていく。
顔を上げると、いつの間にか雨も止んでいて雲の隙間から差し込む光で彼女がいつもより輝いて……ずっと見ていたくて……
自分では埋められない。足りない。そう思っていたものは、あっけないくらい簡単にみたされてしまった。