市民の活気溢れる新王国の都市、クロスフォードの郊外にひっそりと存在する墓地。無数に建てられた石碑が等間隔で並列している。寂寞な空気が墓地一帯を支配する中、ジェイク・ラーディスは同じ姓名が、刻まれた二つの石碑を見下ろす。右手に握った花束が僅かに震える。
「五年前の革命で、以前の戸籍やらなんやらは役所から消えちまってたが、こんなところにいたのか。お前ら」
ジェイクは嫌味の混じった口調で、土の下で眠る父と妹を哀れむ。石碑の間に花束を添えて、踵を返す。すると喉の奥から痛みが走り、咳き込む。口元を右手で塞ぐと、手元に僅かに生温かさを感じる。解くと手のひらに血が付着していた。赤い液を睥睨して、思わず苦笑する。
「俺も近いうちにそっちに行くかもな……」
黒い外套に隠れた黒色の機攻殼剣に触れる。諦念したように嘆息を漏らす。
墓参の後、空が黒く染まる頃、ジェイクは急ぎ足で、学園に向かっていた。
「今日伝えよう。ルクスに伝えて、それで終わりにしよう」
学園の校門を抜け、声をかけてきた生徒達に呼応しつつ、ルクスの部屋を目指す。足音を鳴らし、階段を駆け上がる彼の瞳には強い決意と同時に、墓参りでの手のひらの血が起因して、焦りのようなものが混じっていた。
ルクスの部屋の前に着いた。己の中で渦巻く緊張感を押し殺す。木製の扉を、勢いに任せて開放する。
「ルクス! 急用だ! 俺を!!」
瞳に映る光景に先ほどまで、胸中を支配していた焦燥感や緊張感が吹き飛び、夜の闇に消えた。
そこにはベットの上で銀髪の少年の胴体に、桜色の髪の少女が溢れんばかりに胸を押し当て、まさに今、二人の男女が愛を確かめ合おうとする光景だった。
「すまん。邪魔した」
ジェイクは静かに扉を閉める。扉の奥からルクスが大声で何かを叫んでいたが、気にも止めなかった。本来なすべきだった行為への思いは失せて、別の思考が彼を支配し、自室へと誘った。
ジェイクが走り去った後、ルクスは額に手を当てる。フィルフィには全身のマッサージをしてもらっていたが、不意にあのような体勢になってしまった。それも新任教官が自室に入室するという最悪の瞬間に……。
「さっきのって、ジェイク教官だね」
「ジェイク教官にどうやって説明しよう……」
ルクスは軽く頭を掻いて、ため息をつく。
「ルーちゃん。ため息をつくと幸せが逃げちゃうよ。それにジェイク教官なら大丈夫。悪い人じゃないから話したら分かってくれるはず……」
相変わらずフィルフィの顔は表情に変化がないが、声音の中に確かな自信と、確信が込められていた。
「そうだね。ありがとう。フィーちゃん」
「うん」
フィルフィは軽く頷くと、ルクスの部屋を去っていった。一人になった部屋でベットに背を預けて、天井を見上げる。瞼を下ろそうとした時、扉を軽く叩く音が聞こえる。
「はい。どうぞ」
ルクスが入室を許可すると扉が音を立てて開く。そこには手に白い袋を持った白髪の長身痩躯の男が立っていた。廊下の闇が彼の身の回りを、支配していたので不気味に見える。
「ジェ、ジェイク教官! さっきのは誤解なんです!」
ルクスの言葉に応答せず、後ろ手で扉を閉めて、重い足取りで近づく。
「ルクス。これをお前にやるよ」
ジェイクは白い袋をルクスの前に差し出す。ルクスはゆっくりと手を伸ばし、指先から伝達される妙な重量感に疑問を持つ。不安感に駆られながらも、白い袋を開け、中身を取り出す。目前の真実に、ルクスの表情が硬直する。
「それ貸してやるよ」
「なんでですか!!」
優しさを含んだジェイクの言葉に、ルクスが気炎を立てて返す。ルクスが手に取っていたのは情事に関する本だった。先ほどの誤解が招いたことにより、厄介なことが起こったとルクスは悟る。
「使ったらちゃんと手洗えよ」
「待ってください! というかまさかこの袋の中にまだたくさんあるんですか!?」
動揺するルクスに、ジェイクは普段の刃物のような眼光とは、程遠い暖かい目を向ける。
「それだけで満足しないと思ってな、色んな種類を用意していた」
「ちょっとやめてくださいよ! こんなの!」
親指を立てて話すジェイクの言葉を、ルクスが牽制する。年頃の青年であるルクスもこのような物に興味がないわけではないが、袋の中にあるまだ見ぬ未知の教本を読み解く自信はなかった。
「俺も教育者以前に一人の男だ。お前がああいう行動をする気持ちも理解できる。ましてやこの環境下だし、べっぴんさんも多い。そりゃあさっきみたいな感じにならねえ方がおかしい。だがなこういう状況だからこそ男がしっかりしなきゃダメだ。男女の関係で人生棒に振るうのは男として恥ずべきことだぞ!ルクス!」
「なんで説教されてるの!」
「いやしかし、さっきの体勢。お前さん、受け身の方だったとはな。もちろんその手の種類もあるからな。それに受け身だからって気にすんなよ。お前みたいな奴は結構いるから」
「誤解ですってばあ!」
ルクスの激情の一言が部屋中に響く。ジェイクの一方的な発言の連続で、ルクスは心身ともに疲労を覚えている間、本人は腹を抱えて、哄笑する。ジェイクが落ち着いた後、フィルフィがルクスを気遣ってマッサージをしてくれていた事を、伝えて納得を得た。
「いや、でも真面目な話。恋人欲しいと思わないの?」
「気になりはしますけど、今の僕は恩赦により生かされた身ですから。そんな暇ありませんよ」
ジェイクの瞳に、ルクスの取り繕ったような笑顔が映る。しかし彼の立場を知っているので表情と言葉の意味も理解できる。アーカディア帝国の生き残りとして捕縛されて、国民の雑用を受け持つことで生かされた身。色恋沙汰に手をつける時間などない。不条理と暴虐が支配した帝国を滅亡させたにも関わらず、讃えられることもなく、貧相な生活を強いられた青年。以前、程雑用案件も少なくなったにも関わらず、五年間の習慣が簡単に抜けるわけもなく、当然色恋沙汰にも手が行かない。ジェイクは色沙汰などではなく、心の自由すら拘束されている気でならなかった。ルクスから哀愁を感じたジェイクは彼の銀色の頭に手を当てる。
「そんな小せえ背中で色んな物抱えてきたんだな。すげえなお前、でも立場がどうであれ、てめえはまだガキだ。ガキは人の頼り方を覚えろ。もし何かあるってんなら俺も手を貸す。そう簡単に変わるなんてことは無理だろうけどよ……」
ジェイクは激励を送ると、急に羞恥を感じたのか頬が赤く染まる。しかし、ルクスは、再びジェイクに笑みを向ける。偽りも虚飾もない一人の青年の笑顔だった。
翌朝の訓練場。数十人の生徒達が緑の絨毯の上で整列する。そこにはルクス、クルルシファー、リーシャ、フィルフィ、ティルファーの姿はなかった。そして、ライグリィとジェイクの方に視点を置く少女達の数人から焦りや何かを恐れるような表情が見受けられた。理由は一つ。今朝。幻神獣《アビス》の群れが新王国に向かってきているという報告が入ったからだ。
幻神獣《アビス》--遺跡内部から現れる怪物で多種多様な姿や性質を持つ。対抗できるのは装甲機竜のみで、この学園の存在理由の一つだ。
今回、上記の五人がいないのはそれが原因だ。
「今現在、出現した幻神獣は王国軍と我が校の精鋭部隊 騎士団《シヴァレス》が対処に当たっているが、我々は平常通り、訓練を行う。いいな!」
ライグリィの不安を打ち消すような厳かな声音に訓練場に響く。生徒一同が、満場一致の気炎で返す。
生徒達が各班に別れて、真剣に見守るライグリィに対して、ジェイクは睡気眼を擦り、猫背で呆然と立っていた。
「おい、なんだその姿勢は! 背筋を伸ばせ!」
「うるっせえな。朝からよ」
ライグリィの轟音に近い叱咤が、ジェイクはこめかみを、右手で抑える。
「教官たる者! 生徒達の見本にであれ!」
「堅物すぎだろ。そんなんだから彼氏の一人も出来ないんだろうが……」
ジェイクが吐き捨てるように苦言を述べる。するとライグリィは顔全体に血を巡っていき、動揺で瞳孔が揺らす。
「ふざけるな! 私はこの国の機竜使い育成に尽力を注ぐと誓った身だ。女など捨てている!」
「ああーいるいる。こういう奴に限って街中で、不意に肘が体に当たったら痴漢やら御託並べて、女の権利主張するんだよなぁ〜、いや〜困るよ全く」
ジェイクのあからさまの無視と軽率な態度に、ライグリィは憤りを感じていく。
「ジェイク・ラーディス! 私はなーー」
ライグリィが突発的に何かを発しようとした時、ジェイクが自身の方に飛び込んできた。その瞬間に後ろで爆発が起こり、黒煙が上がる。ジェイクはライグリィを庇い、彼女を覆う形で倒れた。
「すみませーん」
上空からワイバーンに乗った少女からの謝罪が届く。砲撃を誤って、二人の方に放ってしまったらしい。ジェイクが大空に向かって叱責を飛ばした後、右手に違和感を感じた。目前には頬をほのかに赤く染めて、視線をそらすライグリィの姿。そして、彼女の左胸を固定されたように持っていた自身の右手。
「いや、さっきのは事故じゃないですか……」
ジェイクが弁解すると、ライグリィが視点を戻し、不気味なほどにこやかな笑みを向けた。
その頃、新王国の外れにある森で新王国の機竜使いと王立士官学園から選抜された精鋭部隊。騎士団《シヴァレス》が遺跡から現れた幻神獣の掃討に当たっていた。
ルクスもワイバーンで飛翔しながら、襲い来る幻神獣をブレードで次々と切り倒す。しかし、王国軍の機竜使いは長期の戦闘により疲労困憊だ。そして、次々と出現する幻神獣に、苦戦を強いられていた。
「倒してもきりがない」
ルクスがブレードを構えながらも焦りの表情を浮かべる。メンバー達も空中で幻神獣を地に落としていく。ここでやられては新王国の存亡にも関わるかもしれない。そんなことはさせない! ルクスは覚悟を込めた瞳で横一列で迫り来る幻神獣の群れを睨む。
「うおおおおお!」
ルクスが吶喊を上げた際に、目の前を轟音とともにものすごい速度で何かが、突っ切った。その直後、巻き起こった突風が機竜の機体を揺らす。騎士団の隊員もあまりの事に音のした方に目を向ける。その数秒後、幻神獣達が奇声を上げて、その場から飛び去っていく。
「な、なんだ! 幻神獣達がどんどん離れていく!」
「おそらくさっき飛んできた何かにびびったんだろ。ってことは!」
「俺達新王国の勝利だ!」
新王国の機竜使い達が、天地で武器を掲げて歓喜する。ルクス含む騎士団の隊員達は、突然の出来事に釈然としなかった。
ルクスは一人、正体を突き止めるため、後ろから聞こえる仲間の呼びかけに呼応せず、森の上を滑空する。
「さっきのは一体……」
幻神獣を退却させることには成功したものの、やはり正体が気になる。新手の幻神獣かもしれない。ルクスの胸中に一抹の不安が過ぎる。しかし、それは杞憂に終わった。
森の中に開けた場所があり、そこに流れる小川に見覚えのある人物が、仰向けで浮上していた。
水上着陸して、知人を白銀の両腕で掬い上げる。予想はついていたが、ゆっくり近づき、顔を確認する。
「何してるんですか、ジェイク教官」
「ライグリィに……女について語ったら、投擲された」
ジェイクはルクスに助言を述べると静かに眠った。ルクスは何も言わず、凍りついたような無表情でジェイクを黙視して、浮揚した。
その後、ライグリィが都市部の酒場で、一人でぶどう酒の瓶を、何本も開けて、号泣しながら乱酔している姿が目撃された。
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