茜色の夕日が校舎を照らす頃、ジェイク・ラーディスは気だるけな態度で、廊下の窓から腕を乗り出す。
夕日の眩しさに若干、目を細めながら赤く染まった空を見つめていた。
「あー、今日も疲れた。んで結局、今日も無理だったか」
ジェイクは頭を掻きながら、嘆息を吐く。この学園に来た目的。ルクス・アーカディアに『依頼』を聞いてもらい、遂行してもらうこと。しかし、未だにそれを実行できずにいる。
「いや、何度か機会はあったはずなんだよな……」
ジェイクは一度目より、重く嘆息を吐いた。
「ため息をつくと、幸せが逃げるわよ」
聞き覚えのある声が、背後から届く。徐に振り向くと、この学園長であるレリィ・アイングラムが悠然と立っていた。
「それで幸せが逃げるなら、俺は一生幸せになれんかもな」
ジェイクは自嘲を混じえた声音で、学園長に言葉を返す。レリィは苦笑を浮かべると、ジェイクの隣に背中を預ける。
「ルクス君への依頼はどうなったの?」
「いや、まだ言えてない」
「そう。大した用じゃないなら、忘れてこの学校の教官として勤務するのも悪くないかもね」
レリィは唇に人差し指を当て、悪戯な微笑を見せる。
「おいおい。ただの浮浪者が若者に教授してもいいのかよ」
「今の状態がそれじゃない」
「そうだけどよ」
ジェイクが気難しそうな表情を夕日に向ける。レリィは両手で口を押さえて、押し殺すように笑う。視線をそらして、子供のように笑い続けるレリィを見て、口角を上げようとした時、視界が歪んだ。
その瞬間、脳を直接、手で握られるような激痛が走る。足に力が入らなくなり、徐々に体勢が崩れる。
「ジェイク教官?」
突然の出来事にレリィが不安そうな趣で、ジェイクに駆け寄る。すると、突如、ジェイクの頭部を襲った謎の頭痛は、静かに止んだ。
「大丈夫?」
「ああ、迷惑かけた。」
ジェイクはレリィに心配を他所に、何事もなかったように立ち上がる。レリィは不安げな表情でジェイクの背中を見つめる。先ほど彼が背中を丸めた、光景が頭に焼きついたからだ。
「それじゃあ、また明日な」
以前の墓参りとは違う症状に、焦りを感じたジェイクは逃げるように、レリィに別れを告げる。近いうち、自分に降りかかる災いに不安を感じながら、薄暗い廊下を一人、進んだ。
翌日、午前の授業を終えて、昼休憩の時。爽やかな快晴の下、ジェイクが訓練場の長椅子で、頭の下に手を組んで、寝そべっていた。しかし、青々しい空とは反対に、ジェイクの顔色を曇っていた。
「立ちくらみなんて初めてだったなあ……」
先日の廊下での一件が、頭に過ぎる。教室の人間には知られていない事から、レリィは口外していない事が確かだ。ジェイク自身。昨日の出来事を知られるのは都合が悪いからだ。
「にしてもなんでこんなことになるかねえ……」
ジェイクは自身を取り巻く現場から逃避するように、静かに目を閉じる。暗闇の中からかつての情景の数々が浮かぶ。屋根に叩きつけるよう降り注いだ豪雨の夜。父と、妹の婚礼について口論になり、家を飛び出した事。改名して、国々を回った事。その道中で祟りと呼べる物に見舞われた事。再び目を開いて、曇り一つない晴天を瞳に写す。
「今更、こんなこと思い出しても意味なんてないのにな……」
ジェイクは自嘲するような口ぶりで呟き、鼻で嗤った。すると、つむじの指す方角から、活気のある青年の呼び声が耳に入る。上半身を起こして、背筋を伸ばす。ルクスの他に、リーシャ・クルルシファー・フィルフィ・三年生のセリス。そして、ルクスと同じ銀髪の少女がこちらに向かっていた。
「真昼間からハーレムとはお前もやり手だな。ルクス」
「違いますよ」
「あながち間違っていませんけどね。兄さんはすぐに女の人を増やすんですから」
銀髪の少女がルクスに辛辣な言葉を飛ばす。それを受けたルクスは肩を落として、嘆息を漏らした。
「貴方がジェイク教官ですよね。アイリ・アーカディアと申します。いつも兄がお世話になっています」
アイリは慇懃な態度でジェイクに一礼する。ジェイクも軽く挨拶を述べたあと、鋭い視線が突き刺さる。
視線を辿ると、長い金髪の長身の少女が頬を赤らめて、涙目でジェイクを睨んでいた。
「あ、貴方は以前。ルクスと掃除用具入れで身を重ねていた方ですね! 貴方の存在、不許可です!」
「酷!」
セリスの罵倒に精神に僅かな傷を負った後、ルクスがジェイクを手助けするようにセリスを窘めた。
「まったく主人様にお手を煩わせないでくださいな」
不意に聞こえる落ち着いた声音。ジェイクは声のする方を見ると、ルクスの真横に黒く長い髪と左右非対称の瞳をした少女が、悠然と立っていた。ジェイクは少女の黙視した際に思わず、瞠目する。
「よっ、夜架!」
ルクスは驚いたのか、声が裏返っていた。夜架はルクスの目を見ると、無垢な笑みを向けた。
「お久しぶりです。主人様。面倒な手続きやらが終了して、入学が決定いたしましたので、ご挨拶に参りました」
ルクスに綺麗なお辞儀を向けた後、ジェイクと目が会う。ジェイク自身も彼女から目を話すことが出来なかった。
「あら、貴方は……」
「なんで、お前さんがここに……」
「二人とも、まさか知り合い?」
ルクスが徐に二人の間に足を踏み込む。ジェイクと夜架の間に妙な空気感に違和感を覚えたのだろう。
「ああ、以前旅先で会ったことがあってな……」
ジェイクは言葉の続きを話そうとするが、喉の奥でつっかえた。何故なら切姫夜架という少女も、ジェイクがルクスに対する『依頼』に関わりかねない存在だからである。言葉を発しようか逡巡していると、昼休憩終了の鐘が校内に響く。
「ルクス。次の授業が始まる! 行くぞ!」
リーシャに急かされて、ルクスはジェイクに一礼した後、せわしなさそうな様子で、友人達と共にその場を去った。ジェイクの元から去った後、夜架が音もなく、近寄りジェイクの耳元に口を寄せる。
「放課後、練習場の外れにある噴水場に来てください」
夜架はそう呟くと、勢いよく地面を蹴り、跳躍する。校舎の上に乗り、どこかへと姿を消した。
「これも奇縁ってやつかねえ……」
ジェイクは再び、長椅子に腰を深く腰を預けて、胸中に蠢く不安感を吐き出すように嘆息をついた。
放課後、夕日が沈み始めて、影が濃くなる頃。ジェイクは噴水場に向かう。集合場所が目に入ると、黒髪の少女が大理石で作られた噴水の淵に腰を下ろしていた。夜架はジェイクに気づくと、妖艶な笑みを浮かべて、立ち上がる。
「お呼びしてすみません。といっても貴方も思うところはありそうだったので」
「ああ。大有りだ」
ジェイクは斜め下の少女に軽口を返す。すると夜架はまっすぐな目でジェイクの目を捉える。
「よく生きていましたね」
「まあな。弟は元気か?」
「弟は死にましたわ」
無表情で、淡々と弟の死を述べる夜架に、ジェイクは異様さを感じた。
「そうか。災難だったな……それでなんで古都国の姫が、ここにいるんだ?」
ジェイクは胸に抱いだ疑問を夜架に投げかける。不意に吹いた風が彼女の長く艶やかな髪を揺らした後、開示し始めた。弟の身を案じてアーカディア帝国に下ったこと。『帝国の凶刃』として暗躍し続けたものの、弟が殺されてしまった事。監獄に幽閉されていた事。現在はルクス・アーカディアに仕えていることなどを自らの口で打ち明けた。
「こちらからも質問です。貴方はあの日、古都国がアーカディア帝国に襲撃された際、弟から依頼を受けて未開だった遺跡の探索に行ったはず。どうやって生き延びたんですか? そして、なぜこの学園に?」
ジェイクは彼女の質問に応じるか、逡巡した。彼女はルクスに対する『依頼』に関して、彼女は関わっていたが、ルクスの下僕と自称する彼女の事だ。『依頼』の妨げになる事を懸念して伏せることに決めた。
「確かに俺はあの日、探索に行った。だが探索の途中で帝国の軍人を遭遇して、奴らとの戦いで負傷したが、持ち前の根性で命からがら逃げ切って、しばらく異国の山岳地帯で隠居生活してた。この学園には俺の実力を見込まれて雇われただけだ」
嘘は言っていない。ジェイクは自分を言い聞かせる。夜架は華美な双眸から鋭利な眼光を覗くと、諦念したように瞼を閉じる。
「理由は分かりましたわ。主人様も貴方を慕っているようですし、私も貴方に敵意は持ち合わせていませんわ。
ですが、もし主人様を脅かそうというのでしたらーー」
夜架は、ジェイクの顎下まで瞬時に距離を詰めて、頸動脈に少し反り返った機攻殼剣の刃先を向ける。彼女の動作で巻き起こった風が、遅れて二人の肩身を撫でた。ジェイクは彼女の動作の早さに、僅かに動揺する。
「私は貴方の首を飛ばすことを、一切躊躇いませんわ」
夜架は抑揚のない声音で、告げると無垢な笑顔をジェイクに向ける。ジェイクは彼女から笑顔では誤魔化しが効かないほどの殺意を感じ、思わず苦笑する。
「それでは今日からよろしくお願いいたしますね。ジェイク教官」
異国の少女は白髪の男の首元から機攻殼剣を引くと、一礼を送る。不意に強い風が吹いて、ジェイクの長髪が視界を覆う。白い窓かけが視界から離れた時には少女の姿はなかった。
「一切躊躇わないか……それでいい。俺の望みはそれなんだから」
絶え間なく噴出する水の音が、周囲の音をかき消して支配する中、ジェイクはかき消えそうな声音で、呟く。
空は既に暗くなり、星芒のみが彼の独り言を聞いていた。
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