晴れやかな朝。僅かな頭痛を抱えながら、ジェイク・ラーディスは起床した。本日は学園は休みなので職務はない。
「ああークソッ、なんでいつもこの時間帯なんだよ。ある種の洗脳だぜ。全く」
惰眠を行なっても問題ないはずだが、生活習慣が固定されてきたため休日でも平日同様の時間帯に、目覚めるようになった。洗面台の蛇口を捻り、冷水で眠気を纏った顔を洗う。閉ざされた視界の中、昨日のセリスとの一件を思い出す。彼女の恩師であるウェイド・ロードベルトを侮辱し、平手打ちを受けた。
「さすがに言いすぎたよな……」
眠気が額から流れ落ちた水とともに、排水口へ流れていく。正面を向き、鏡の中の自分と目が会う。
「今日あったら謝ろう」
近くにかけてあったタオルで拭き、朝食を取るため食堂に向かう。部屋の扉を開けた時、胸元に銀色の髪が存在するのが目に入り、視線を下ろす。
「ジェ、ジェイク教官!」
銀髪の青年、ルクス・アーカディアと鉢合わせする。突然、扉が開いたため、驚きのあまりしばらく瞠目していた。
「おお、ルクスおはよう。何の用だ?」
先日の一件もあり、彼にも若干の気まずさを抱いている。ジェイク自身のルクスに強く当たってしまった事を後悔していた。
「はい。実は……」
ルクスは横目で廊下の角を捉える。ジェイクはルクスの視線の先を目で追う。金髪の髪の毛らしきものが見え隠れしていた。すると廊下の角から背の高い金髪の少女が姿を表す。セリスは目を釣り上げ、重々しい足取りで二人の元に向かう。ジェイクの目前で止まる。もじもじと身を捩らせながら何かを言いたげに上目遣いをする。
「あ、あの昨日は申し訳ありませんでした! 気が立ったとはいえ手を出すべきなかったです」
セリスは眩い美髪を揺らして、ジェイクに頭を下げた。まるで親から叱りつけられる前の子供のように
背中を僅かに震えている。
「セリス……」
ジェイクが抑揚のない声で彼女を呼ぶ。セリスがゆっくりと首をあげると、目の前に白髪が降下する。ジェイクがセリスに向かって頭を下げていた。
「ジェ、ジェイク教官!?」
「こちらこそすまなかった。昨日は言いすぎた。お前の恩師を否定することはお前を否定することに繋がりかねない。本当にすまなかった」
深々く、頭を下げて謝罪の言葉を述べる。予想外の出来事に、セリスは瞠目した。
「あ、頭を上げてください」
セリスの言葉で、頭を上げて静かに態勢を伸ばす。セリスも動揺していたのか、頬が赤く染まっていた。
「そのことはもう大丈夫です。ただ、教えてください。貴方とウェイド先生の関係、そして何故貴方がそこまで先生を敵視するのかを……」
セリスは真っ直ぐな視線を向け、胸中に秘めた思いを吐露した。質問から逃走を図るようにジェイクは口を閉ざす。僅かに逡巡した後、開口し真実を伝えようとした時、胸に骨を削られるような痛みが走る。余りの激痛に足元に体を崩す。耳鳴りが脳内に響き、駆け寄るルクスとセリスの呼びかけが一切、聞こえない。
そうだよな、、、もう時間ねえよな……瞼が徐々に落ち始め、全てが闇に染まった。
叩きつける暴風と豪雨の夜。一つの屋根の下で青年が父と大声で剣幕を立てていた。青年は自身が忌み嫌う皇帝に妹を嫁がせようとする父と口論になり、父親が嫁がせることによってこの没落しかけた自分たちの地位を守ることができるという自論に対して反感を抱いたのだ。互いの口から数多の誹りや暴言を飛ばす。家内の雰囲気は今現在、自分達の屋敷を叩きつける雨風に引けを取らないほど最悪なものだった。
「なんでそうする必要があるんだよ! あのクソ皇帝に嫁がせるとかどうかしてるぞ!」
「このままでは我が家は没落する! その事の重要性が分からないのか!」
青年は先ほどより強く父を睨みつける。父の方もそんな息子に哀れみの目を送っていた。
「もうやめて!」
悲痛な叫びが部屋の隅から家中に木霊する。青年の声のした方に視線を向けると、涙目の妹がこちらを眉間に皺を寄せる。
「兄さん。もういいの……私が決めたの」
妹は悲哀がにじみ出た笑みを青年を向ける。青年は青筋が浮き出るほど、拳を強く握る。近くにあった木製の机上に胸中で蠢く得体の知れない怒りを、拳に込めて勢いよく打ち込む。拳から肘に向かって、鈍痛が骨肉を貫く。青年は急かされるようにその場を離れる。
「どこに行く!」
父は青年の背中を追いながら、叱責を飛ばす。青年が玄関を開け、雨風の音がより鮮明に耳に届く。青年は睥睨する目を父に向ける。
「昔からあんたとは性格も考えも合わなかった。でもここまでだとは思わなかったよ。じゃあな」
青年は父に乖離することを伝えて、夜の帳に吸い込まれるように家を飛び出す。雨でぬかるんだ地面を踏みつけながら走る。背中にのしかかる父の声は、激しく地を叩く雨によって徐々にかき消されていく。二人を嘲笑うように雨はより強く大地に降り注いだ。
重く閉ざした瞼を開く。辺りは薄暗く茶色の煉瓦に敷き詰められた天井が、目一杯に視界に映る。
「ジェイク教官!」
天井を遮るように銀髪の青年の顔が映る。ジェイクは上半身を起こす。部屋の中ではルクス、レリィが心配そうな趣でジェイクを覗く。
「お前らなんで、ここは?」
「学園の医務室よ。いきなり気絶なんてどうしたのよ。夜の二十時よ」
ジェイクは窓掛を手で切り、窓を見る。外は大きな円形の月が堂々と空に居座り、周囲には眩い輝きを放つ星芒。ジェイクは空いた口が塞がらなかった。自分が朝起きて早々、気絶して目覚めた時、周囲は夜の帳に包まれていたのだから当然だ。レリィが不安げな表情を浮かべる。彼女は以前にもジェイクの容体の変化を目の当たりにした。彼女はその件もあってか表情にはより一層不安感を纏っている。
「そうですよ。教官。いきなり倒れたから驚きましたよ」
「そうか、どうやら予想以上に疲労が溜まってたみたいだ。すまねえな。」
ジェイクはルクスの頭を謝辞とともに優しく撫でると、彼は不満げながらも頬を赤く染めていた。
「今日は一日、この部屋で安静にしていなさい。学園長命令よ」
「いや、でも」
「学園長命令よ」
レリィは影のある笑みをジェイクに向ける。笑みから伝わる威圧感に圧されて泣く泣く頷く。
「それではお大事にー」
レリィは笑みを向けて、手をひらひらとジェイクに振り、退室した。
「まったく、、、、、、そう言えばセリスは?」
「あー、それはですね……」
ルクスは眉をハの時に傾け、部屋の隅を指差す。ジェイクが指された方向に視線を向けると、膝を抱えて部屋の隅で鎮座するセリスの姿があった。背中から漂う哀愁は夜の闇と相まってより濃さを増している。
「なんか、自分が質問したせいで、ジェイク教官が卒倒したと思い込んでいるみたいで」
「おまえのせいじゃねえよ。元気だしなー」
セリスにちゃらけた口調で慰めの言葉をかけるも、石のように動かない。むしろ先ほどまで確認できた首元が発言以降、亀のように引っ込んでしまったせいか見えなくなってしまった。ジェイクは嘆息を吐いた後、態勢を再び、ベットに眠る状態に戻す。
「今日はゆっくりしてください。それじゃあ僕は着替えとか持ってきますので」
「待て、ルクス」
ジェイクは抑揚のない語気で、扉に向かうルクスの足を止める。部屋に置いてある機攻殼剣の事が、脳裏を過ぎったのだ。僅かな逡巡の後、ルクスに着替えを取りに行かせる事を決めた。
「いや、頼んだ」
ジェイクはルクスに言伝を済ますと彼は首を縦に振った後、部屋の扉を閉める。一人、ベットの上から月光で照らされた首都、クロスフォードの立ち並ぶ建物を、遠い目で見下ろす。二十時ということもあり、街には未だに活気に溢れていた。立ち飲み屋で酒瓶片手に哄笑する壮年の男達。手を繋ぎ互いに微笑み合う若い男女。街灯や家々の明かり、市民の笑い声で埋め尽くされた賑やかな夜の街を静観していた。
窓から突き刺さる月明かりに照らされた、薄暗い廊下をルクスは一人で進む。昼間とは違い夜の廊下は妙な静けさが周囲を支配していた。すると後ろの廊下から足音が聞こえる。首を後ろに向けると、誰もいない。
「気のせいか」
気にせず前進すると、再び足音が耳に入る。今度は先ほどより付近だ。ルクスはもう一度、振り向くとやはりそこには何もなく先ほどまで歩いていた廊下がどこまでも続いていた。ルクスはより警戒して周囲を見渡す。
ため息をついた時、一瞬で視界が暗闇に覆われるいきなりの出来事に叫声をあげる。校内中にルクスの声が響く。
「ルーちゃん。私」
聞き覚えのある声音。ルクスはそっと胸を撫で下ろす。
「なんだ。フィーちゃんか」
「うん。ルーちゃんいたから驚かせようとしたんだ。だからルーちゃん。お願いだから私の後ろにいる子なんとかして」
フィルフィの無表情に僅かな焦りが見えたので、彼女に後ろを見ると殺気を纏った黒髪の少女が刀身をフィルフィの頸に突きつけていた。
「よ、夜架! 落ち着いて!」
「あら、こんばんは。主人様。すみません。主人様の叫びが聞こえましたのでてっきり主人様を狙う賊かと思いまして。フィルフィさんも申し訳ありませんわ」
夜架は無垢な笑みを浮かべ、刀身を懐に直す。
「時に主人様。こんな夜に一体何を?」
「ジェイク教官が医務室で一日過ごすことになって着替えとか取りに部屋に行く途中だったんだ」
ルクスは二人にありのままを話し、ついでに二人も同行することになった。暫く歩き、ルクス、フィルフィ、夜架は部屋の前に着く。ルクスが扉の開けて、部屋に入る。部屋の中に灯籠を灯して、洗面台の近くにあった行李に衣類や歯ブラシなどを入れていく。必要なものを揃い終えたので二人に声をかけようとすると二人は一点の方向に視線を集中させている。
「どうしたの?」
ルクスは二人の捉えている標を辿ると、そこには黒く歪な形をした物体が置いてあった。
「なんだろ……これ」
ルクスはその異様な姿に好奇な目を向けていると、隣にいたフィルフィが早足で部屋で出た。
「まさか……」
夜架が何かを隣で呟いた後、ルクスに一礼して部屋を飛び出す。横を通りすぎる途中で映った彼女の横顔に焦りを含んでいるいるようにも見えた。
「えっ? 二人とも!?」
ルクスは首をかしげて、行李を抱えて部屋の扉を閉めた。部屋の外に出たフィルフィは相変わらず無表情だったが、どこか怯えているようにも見えた。
「どうしたの? フィーちゃん」
「ルーちゃん。さっきのやつ。なんか変。あれは何?」
「どんなふうにおかしいの?」
普段と違うフィルフィの態度にルクスは動揺するも彼女の言葉に耳を傾けた。
「血の匂いがする。後、大勢の人の悲鳴。泣き叫ぶ声。怒り狂った人の声。断末魔が混じったような叫声が聞こえるの」
フィルフィの震える唇から、飛び出した発言でルクスの背筋を怖気が走る。ルクスは彼女を慰めながら足早にその場を離れて、フィルフィを部屋の前まで送った。ルクスが医務室に向かおうとした時、フィルフィが服の裾を掴む。
「行李を渡したら、今日、私のところ来て……」
普段なら断るルクスだが、普段とは違う彼女の雰囲気を心配だったため了承した。ルクスは医務室の扉の前に着き、扉を小突く。軽い呼応が聞こえたので、扉を開ける。
「お待たせしました。あれ? セリス先輩は?」
「誰にでもミスはあるぜ!的なこと繰り返して言ったら、眩しいくらい満開の笑顔を浮かべて一礼した後、出て言ったよ。『学園最強』あんな単純でいいのかよ」
ジェイクのため息に思わず、口元が引きつる。ルクス自身も何度か経験があるため、否定はできない。
「必要なものはこの中に入っていますので、それじゃあ失礼します」
ルクスはフィルフィの一件もあったせいか、ジェイクに違和感を抱いていたのだ。足早に部屋を立ち去ろうとした時、背中に呼び声がかかる。
「何もなかったか?」
ジェイクがまっすぐな視線がルクスの目を逃すまいと捉える。鋭利な目つきが一段、鋭く見えた。緊張感のあまりルクスは生唾を飲む。
「えっ? 何がですか?」
ルクスは首を傾げて反問を返す。ジェイクと暫く、無言の駆け引きのようなものが続いた後、ジェイクは静かに嘆息を吐く。
「いや、悪い。なんでもない」
ジェイクは僅かに笑みを作る。今のルクスにはその笑みが全て見透かしてようにも見えて、不気味さを覚える。静かに扉を閉めた後、心に渦巻く不安感を押し殺して、フィルフィの部屋へ足を進めた。
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