どうぞごゆっくりしていってください。
「成程ね~。トンネルを潜って此処に来た君が、椛に案内されて妖怪の山から下山しようとしてた、と」
「は、はい」
数分後。男は何故か正座をさせられていた。
事情の説明を代わってくれた少女……名を犬走椛という-は、魑魅魍魎が群雄割拠する山、通称妖怪の山を警備する白狼天狗という種族であるとの事だった。山に立ち入った人間を追い出すのがその主たる仕事らしく、最初に敵対的な態度をとったのもそのせいらしい。
一方で退屈そうに携帯を操作する黒い羽の生えた少女は椛の上司に当たるらしく、終始尊大な態度を崩さない。
「ふーん……椛、お疲れ様。この男は私に任せて、仕事に戻って良いわよ」
「えっ、しかし-」
「任せてって言ってるでしょ?ほらほら、他の天狗からサボってると思われるわよ」
椛は何か言いたげだったが、口をへの字に曲げると、刀と盾を手に取り駆けだして行った。
それを見送った男は、目の前で仁王立ちしている少女に向き直り、頭の先から爪先までざっと流し見た。
紫と黒をメインとした色調は中々派手で、椛と違って露出の多いミニスカートやハイソックス、薄い桃色のブラウスと、現代っ子らしい格好をしている。
彼女も天狗らしいが、天狗らしさを出しているのは頭に被った紫色の頭巾くらいなものである。
「なに?私に何かついてるの?」
「椛さんは白狼天狗って言ってましたけど、貴方も天狗なんですか?」
恐る恐る疑問に思っていた事を尋ねてみる。空から舞い降りて来たのがどうも信じられないがための質問だが、少女は
「そうよ、私は烏天狗。見てわからないの?まあそうよねー、幻想郷の外じゃ中々見られないから仕方ないよね」
と、さも当前のように言い放ち、大きな欠伸をしてみせた。
天狗というのは顔が赤く鼻が長い物の怪といった風貌で、山伏らしい恰好をした者を指すのだと思っていたが、目の前にいるのは翼が背中から生えている事を除けば、その辺にいる極ごく普通の少女であった。
男は更に質問した。
「幻想郷って、何です?」
「ここ?妖怪やら神やら人間やらが共存する、貴方が元居た外来に一番近くて遠い処って言われている場所。神隠しって知ってるでしょ?あれの行き先が此処」
彼女は再び欠伸をすると、多少面倒くさそうに説明してくれた。
幻想郷と呼ばれるこの地は、100年(正確な年は覚えていないらしい)程前にとある賢者によって作り出された、幻想として消えゆく者達や忘れ去られた者たちが集う場で、天狗以外にも様々な種族が暮らしているのだという。
それを聞いた男は得体の知れない環境への恐怖心は何処へ行ったのか、天狗だけでなく河童や土蜘蛛なんかもいるのか、と顔には出さず色めき立ち、そして冷静になれと感情を圧し殺した。
考えてみれば帰り方が分からない事を失念していたのだ。
老婆は黒い翼の生えた天狗と思わしき人々に帰されたと言っていたので、きっとこの少女も元いた世界への帰り方を知っている、或いは知る人物を紹介してくれる筈である。
それさえ知っておけば、後は心行くまま怪異の観察が出来る夢のような環境に変化するのだ。
希望を見いだした男は、再度質問する。
「最後に一つ、此処から帰る方法を教えてください」
そう言うと、彼女は携帯を操作するのを止め、少し考える素振りをし、男の顔を舐め回すようにジッと見て来た。更には背後に回り込んだり、左腕や足を軽く触れてみたり、挙句には匂いまで嗅いできた。
流石に不気味に感じて半歩後退ったが、彼女はじっと目線を合わせたままで微動だにしない。その目つきは商品を物色するような、あまり良い気のしない物だった。
そして暫くの沈黙の後、少女から語られた現実は、あまりにも酷な物だった。
「ないわよそんなの」
「へ?」
思わず間抜けな声を出してしまう。
「無い?」
「うん」
「本当に?」
「ええ。アンタはもう外には出れないわ」
「そんな馬鹿な……だってお婆さんは此処から帰って」
「そのお婆さんは神か強力な呪術でもついてたんじゃないの?大体、アンタが此処に来たって事は外の世界の連中に忘れられてるって意味よ?戻ってなんの特があるの?」
男は落胆したが、同時に絶望する必要はないと思った。
確かに少女の言う通り、元いた世界を今まで通り放浪した所でなんの特もない。放浪生活を一度止めて居を構えるのも悪くないだろうし、妖怪も見放題なら、話題にも事欠かないだろう。
それならどこで生活するか、それが問題だ。本当に妖怪等がいるなら、野宿しようものなら翌朝には骨になっていそうである。
とすれば人里に行くしかないのだろうが、果たして外から迷い込んだ何処の馬の骨とも知れない男を受け入れてくれる程、懐深いだろうか?
早くも手詰まりになった気がしないでもない。
「どうしたのー?黙り込んじゃってさぁ」
「いや、別に」
思考を一旦止めて顔を上げると、天狗少女は携帯電話を取り出して何やら文字を打ち込んでいた。
数百年間外と隔絶されていたこの地域にも携帯があるのかと感心したが、その携帯も濃淡のある黄色で構成されており、持ち主に負けず劣らずで派手だ。ストラップにミニチュアの筆が付いているのが、なんだかおもしろい。
男は立ち上がると、行く当てもなく歩き出した。足が痺れているせいで生まれたての小鹿のように震えるのが情けない。
「どこに行くの?」
「生活できる処を探さないと。帰れないなら猶更―」
「なら私のところに来る?」
何を言ったのか一瞬理解できず、男は少女に聞き返す。
「今何て?」
「私の家に来る?って言ったの。頼る当てもないでしょ?」
「いいんですか!?」
渡りに船である。自称烏天狗の少女が家に来るかと言っているのは、上手くいけば天狗の生活というのも見れるかもしれないし、住みかを得られる事を意味しているのだ。
匂いを嗅いできた時点で彼女は普通ではないかもしれないが、天狗とはいえ少女の見た目である。いざとなれば倒すのも難しくは無いだろうし、この際は目を瞑る事に決めた。
「お邪魔できるならっ!?」
言い終える前に少女が素早い動きで距離を一瞬で詰め、男を抱えるようにして空へと飛び立つ。
そして息つく間も無く雲の上まで上昇し、音が遅れて聞こえてくる程の驚異的な速度で飛行を始めた。
男は人一人を軽々と持ち上げる筋力や飛行能力を見て、彼女を正真正銘の天狗であると認め、自身が抵抗した所でどうこうできるような相手ではない事を瞬時に理解した。
雲の切れ目から現れる大地を見て叫ぶ。
「飛んでる!?」
「あんまり暴れないでよねー。滑って落とすかもしれないわよ?」
「ヒッ……」
「そういえば、アナタ名前は?同棲するんだから、それくらい教えてよね」
「名前!?」
空中で自己紹介するのは生まれて初めてだし、ましてや宙ぶらりんである。
男は声を絞り出すようにして、その問いに答えた。
「み、箕作サンカ!」
少女は呆気にとられたように目を丸くすると、みるみる表情が明るくなり、心がときめいたのが見て取れた。
その表情はまるで、恋する乙女そのものだった。
「私は姫海棠はたて。よろしくね、サンカ!」