天井からぶら下がった灯りに羽虫が群がり、自身の呼吸音がハッキリと聞こえてくる静かな部屋で、サンカはあたかも魂が抜けたかのように動きを止める。
自分は何をしていたんだろうか。両手に肉塊を持ち、口元と服を血でべっとりと染めながら、彼はふと我に返った。確か、紫に命令された後、怪しいと思った宝石店に足を運んで、それから店の女に誘われて食事を取りに……
(んぐっ)
喉の辺りに違和感を覚え、血染めの手を口の中に突っ込む。指先に細長い糸のような物を捉え、ずるりと引っ張り出してみる。
出てきたのは、千切れた頭皮から生えた毛髪だった。長さからするに、どうやら女の物らしい。
「そうだ、あの女……」
今一度周りを見渡す。床一面に広がった血の池と、食いちぎられたような何かの肉の塊、そして口から出て来た髪の毛―全てを察して嘔吐すると、その吐しゃ物の中には肉片だけでなく、歯や骨等も出て来た。
サンカは羅刹を食っていたのだ。彼は受け入れたくない現実から目を逸らし、震えながらもテーブルを支えに立ち上がると、自分に暗示をかけるように、
「僕は人間だ……僕は人間なんだ……人を食う筈がないんだ……」
と何度も呟く。そうしてブツブツと壊れたように繰り返していると、徐々に落ち着きを取り戻して来た。
暗さにも目が慣れると、ノブを外された壁と同色に塗られたドアがある事に気が付き、何があるか気になったサンカは警戒しつつ、そのドアを蹴破った。
「これは……」
現れた部屋には、大がかりで珍妙な機械が置かれており、散らばった資料とおぼしき大量の紙を見るに、羅刹はこの場所で幻想郷に入るための装置を作っていたらしい。全くの偶然ではあったが、紫からの依頼は達成したに違いなかった。
サンカはポケットからライターを取り出すと、資料に火を付け、装置を近場にあったバールで叩き壊す。そして火が収まったのを見届けると、破れかけた札を手にし、隙間を開いた。
今日はもう家に帰ろう。購入した品物の片付けと服の掃除、それから紫への報告。やりたい事は沢山あるが、疲れていてはなにも出来ない。サンカは眠気を醒ますかのように伸びをし、凄惨極める部屋を後にした。
◆◆◆◆◆
判断が鈍ったままでは危険と判断したサンカは、眠気覚ましにと霧の立ち込める湖で身を清め、体を拭かずに汚れた服を羽織り、ライターを灯りにして帰路に着いた。服に染みついた血の臭いに釣られて寄ってきた妖怪もいたが、不思議と襲って来た輩はおらず、無事に天狗の里までたどり着けた。門番をしていた天狗には驚かれたが、夜の妖怪の山をただの人間が抜けて来たのだから、当然の反応だろう。
(遅くなっちゃったな。泣いてないと良いけど)
サンカは背後からの好奇の目を背中に感じつつ、家の戸を叩く。
「ただいま」
戸が素早く開き、中からはたてが飛び出す。彼女は涙と鼻水で顔がグシャグシャになった状態で、サンカの胸へ飛び込んだ。
「は、はたて」
「うぅぅぅ……」
「おかえりなさい。今日はお疲れ様でした」
「その声……椛ちゃんか。ありがとう。大変だっただろう?」
「ええ、暴れるし泣くしでもう……」
廊下の角から椛が顔を出した。彼女はハハハと苦笑いをすると、大きなため息をついて座り込んでしまった。サンカが留守にしている間、はたての面倒を見ていてくれたらしく、その顔には疲れが窺える。
「それより、服が血だらけじゃないですか。怪我をしたんですか?すぐに手当てをした方が―」
「いや、これは僕のじゃないんだ。心配いらないよ」
「ちょっと何の騒ぎだい?」
「はたて様の御付きの人間が帰って来たんですって」
「御付きって、あの?」
ひそひそと会話が背後で交わされている。段々とこの状況が恥ずかしくなってきたサンカは、泣きじゃくるはたてを連れ、家の戸を閉めた。
「全く、ちょっとの時間くらい別々に居られるようになってほしいよ……そうだ、また今度外界に行くんだけれど、なにかほしい物はあるかい?」
はたてを寝かしつけたサンカが椛に問う。彼は血に汚れた普段着を脱ぎ、はたてに貰った甚兵衛を着用していた。椛にはその格好が珍しかったらしく、普段着よりもよく似合っているとお世辞を言われた。
「欲しい物、ですか?」
椛は持っていた湯呑を置き、手を顎にあてて考え始めた。外界でと言われると、やはり何が良いのか思いつかないのだろう。
暫し苦悶する様を眺めていると、欲しい物が思い浮かんだのか、椛はうんうんと頷いてサンカを見た。
「じゃ、じゃあ、甘い物を」
「甘い物?わかったよ。それにしても意外だね。君の事だから、てっきり煎餅とかお茶とか選ぶと―痛ててて!」
言い終わる前に、椛はサンカの頬をグイっと抓った。メリメリと音を立てて頬が引っ張られ、爪が肉に食い込む。
「年寄り臭いって言いたいんですか!?私だって甘い物くらい食べます!!」
「ごめんよ悪かった!許してくれ!顔が千切れる!!」
椛は気が済むまで頬を引っ張った後、そっと手を放した。頬は赤く腫れ、爪が喰い込んだ痕から血が出ていたものの、能力のお陰かすぐにそれも収まった。傷や怪我の治りが早まっているとは言え、彼女は容赦という物を知らないらしい。
「痛てて……」
「これからは言葉に気を付けてください。それにしても……」
椛は涙目になって蹲るサンカに忠告すると、背後から聞こえてくる寝息に、その大きな獣の耳を傾けた。
「お付き合いされているのは存じてましたが、仲も良いようで安心しました」
「うん?付き合い?」
「はい。はたて様がそう仰ってましたが……」
「はたてが?」
「ええ。好きって言ってもらったから両想いだ、と」
(言ったっけ?)
いきなり何を言い出すのだろうか。サンカは家に上げてもらっているだけで、はたての彼氏、ましてや婿になった覚えはない。確かに人前でも遠慮なしにくっつかれる事が多いし、家の中では常に傍らに居たが、あくまではたてが勝手にそうしているだけで、サンカ自身は特に意識した事は無かった。そんな関係にいつなったのだろうか。
椛と共に首を捻りつつ、その話が出た時期を探っていると、丁度自分がスペルを初めて使用した頃と重なり、合点がいった。どうやらはたてに対して言った慰めの言葉を、違う意味で捕らえてしまっていたらしい。
「ああ、あの時か」
「やっぱり言ってるじゃないですか」
「いや、あれはそういう意味でなくて……」
椛に懇切丁寧に説明すると、椛は心底残念そうに肩の力を抜いた。あの女といい椛といい、何をそんなに残念がるのだろうか。女心はつくづくわからない。
「なーんだ……はたて様の勘違いか」
少し安心したように、椛はお茶を啜って一息つく。
「そういう訳だよ。期待させちゃって悪いけど」
サンカは襖を少しだけ開き、熟睡するはたての様子を窺う。体を赤ん坊のように屈めて布団に包まった格好は、普段よりも大分幼く見え、庇護欲が掻き立てられる。
「……この子と一緒に居ると、どうも落ち着けなくなるんだ。胸の辺りが苦しいと言うか、締め付けられると言うか」
「ぶっ!?」
椛が口に含んだお茶を盛大に吹き出した。サンカは突然の出来事に慌てながらも、拭くものを持ってこようと立ち上がる。
「だ、大丈夫か!?今拭くもの取ってくるから!」
「ゲホッ、い、いえ大丈夫です!それより、今の本当ですか!?」
「何が?」
「胸がどうとかってやつです!」
「え?う、うん。そうだけど」
椛は苦しそうに息をしながらも、顔を真っ赤にしながらサンカの前へと回って、鼓膜が破れるのではと思うくらいの声量で怒鳴った。
「サンカさんは鈍感通り越して馬鹿です!それは異性として好きって意味じゃないですか!!」
「ああ……そうなのか。この感情が好意って奴なのか。スッキリしたよ」
サンカは騒ぐ椛をよそに、どこか楽し気に笑った。