地霊殿を出たサンカは、旧街道を一人歩いていた。
地底は地上と違って蒸し暑く異様な臭気が漂っており、大きく息を吸い込むと肺が締め付けられるような感覚がして咳き込んでしまう。
道端には物乞いや酔いつぶれた妖怪、路地裏で金を巻き上げているゴロツキ等が屯していて、お世辞にも治安は良くなさそうであるし、無計画に増築された家屋がそのイメージを増長させた。
「猫さん猫さん、待ち人さんはどちらかにゃ」
疲れからか、胸元で丸くなるお燐に投げやりな調子で語りかける。当然返事は無いが、こうして独り言でも語り掛けなければ気が狂いそうだった。
(毎度毎度気まぐれで異変を起こして・・・お陰で後始末が終わらないじゃないか)
確か首謀者は天人だったと紫からは聞かされている。暇つぶしで異変を起こして紫に半殺しにされたと聞いたが、それだけではサンカの腹の虫がおさまりそうにない。いっそ異変の首謀者諸共、天人全てを自分が文字通り根絶やしにすれば、この妙なムカつきも消えるのだろうか。仙果を食べて生きる彼らを捕食すれば、甘い味がして旨いかもしれない。
・・・いや、食っては駄目だ。
自分を餓鬼として認めて以来、人間としての価値観が急速に妖怪に近い物になってしまった。そのうち人を襲うようになりそうで、戦々恐々としながら日々を過ごしている。
「ニャー」
「ご主人に可愛がられて自由を謳歌するなんて、僕は君が羨ましいよ」
喉元をさすってやると、お燐はゴロゴロと落ち着く鳴き声を上げた。
「うぶっ」
「おっと、すまないな」
丁度路地裏から出てきた誰かにぶつかった。足を止めて一歩引いてみると、はたての物より豊満な胸部が目に入った。女のようだがサンカより背が高く、何処かで見覚えのある恰好をしている。
「怪我はないかい?」
整った顔立ちに似合わぬ大きな一本の赤い角、筋肉質な腕に携えられた朱色の酒杯。その女は、宴会の時に椛に絡んでいた鬼だった。
この鬼はサンカの顔を見ている筈だ。もし正体に気づかれれば何をされるか分からない。一応サンカも鬼ではあるが、恐らくは格上であろうこの鬼に対して勝機はあるのだろうか。
いや、恐らくは無理だろう。お燐を抱え直すと会釈をして、足早にその場を去ろうとした。
だが空しくも、その行動は無に帰すこととなる。
「待ちなよ」
肩をがっしりと掴まれ後ろに仰け反ると、その鬼は耳元に顔を近づけてきた。フッと耳に吐息がかかり、脈が速くなる。
「なんの用で」
「お前、あの時の餓鬼だろう?」
一気に血の気が引き、驚きで見開かれた目が小刻みに揺れる。
何故気づかれた?帽子を目深に被っているので外から目を伺う事は出来ない筈だし、声色も変えていた筈だ。
走馬灯でも見る様に高速で思考を張り巡らせていると、その鬼はサンカの首を鷲掴みにして、先程歩いてきた路地裏へと連れて行った。
「私は星熊勇儀って名前だ。それで?ここに何しに来た」
鬼は勇儀と名乗ると、彼を壁際に追いやって詰め寄った。
答えによってはこの場で始末する、と殺気まで出している。別にやましい事をしているわけでもないので、全く臆さずに答えた。
「僕はさとりさんから指示を受けて此処に来ました。怪異を解決するようにと」
「ほーう」
お燐に目を落とすと、ジタバタと暴れ出して、腕の中から抜け出て地面に降り大きく身震いする。すると徐々に赤髪の少女へと姿を変え、二人の間に割って入るように立ち上がった。
「大丈夫だよ勇儀。さとり様の言ってた救援ってのはコイツさ。敵じゃないよ」
「コイツが?大丈夫なのか?」
「すくなくとも語尾にニャアを付けて話すような奴が、悪だくみするとはアタイは思えないよ」
そう言いながら振り向くと、鬼が警戒していた餓鬼は顔を赤くして俯いていた。
黒猫が人になれるとは思ってもいなかっただけに好き勝手言ったが、まさか聞かれた上に喋られるとは。
勇儀はサンカの恥ずかしそうな反応を見ると口をへの字に曲げ、
「まあ、一応鬼だし嘘はついてなさそうだな。」
と頬を掻いた。
先程まで感じていた殺気は無く、表情も幾分か柔らかくなっているので、一先ず安心だろうか。暑くなった顔を冷やそうと帽子を手に取って扇ぐと、異臭が鼻についた。
「ほらほら、時間が無くなるから急ごう」
お燐が二人の背中をグイグイと押すと、勇儀はサンカの前に立ちふさがった。今度は何用かと尋ねると、彼女は口角を少し上げた。
「・・・いいや、その前に寄り道をさせてもらうよ。ついてきな」
そう言うと、サンカの襟をつかんで何処かへと歩き出した。
着いた場所は巨大な池の畔だった。池とはいっても水は血のように赤い上に粘度が高く、妙に生臭い。遠くには白い靄が形をゆっくり変えながら徘徊している様子が見れる。
勇儀はどこからか取り出した一升瓶から酒杯に酒を注ぐと、サンカに向き直った。
「それじゃあ、体術だけで私の持つこの杯に入った酒をこぼしてみな」
「はい?」
「勇儀、さとり様から協力しろって言われてるじゃないか」
「私は自分の認めた相手としか協力しないし、酒も飲まない。力を貸してほしいならこれ位やってみせな」
何故鬼と戦わなければならないのだろうか。
お燐は勇儀に詰め寄ったが、勇儀は彼女を一蹴し、力を満身に込めた。気は高まりを見せ、大気が揺らぐ。
「いくぞ」
待て、準備も整っていないしまだやると言った覚えもない。
制止させようとするが、既に勇儀は足を振り下ろしており、反射的に腕で受け止めた。
ズン、と鈍い痛みと衝撃が腕を伝うと、足が少し地面にめり込んだ。勇儀は更に力を籠め、彼の腕から骨が折れる音を立てさせる。
「この!」
サンカが勇儀の片足を払ってバランスを崩させると、彼女は素早く彼を蹴り上げて後方に宙返りし、距離を置いた。
自身の腕を一瞬だけ見ると、骨を修復するために煙を吐いている。
「勇儀の攻撃を耐えた・・・並みの妖怪ならなら即死なのに」
お燐は手を開いたり閉じたりするサンカを見て驚愕した。
これが餓鬼というものなのか。話しには聞いていたが、驚異的な再生速度と勇儀の蹴りをモロに受けても動じない堅牢さには一目を置く。
「かかってこいよ。それとも餓鬼はこんなものなのか?」
鼻で笑われると、ゆっくりと立ち上がって相手の目を見つめた。
理由はないのだが、先程から彼女の言葉には人を試すような調子であり、何か真意は別にある気がした。どうにも解せないのだ。
すると、いつまでも自分から攻撃してこない彼に業を煮やしたらしく、勇儀はたった一歩で肉薄してきた。
拳は正確に顔を捉えており、容易に首が飛ぶ速度と威力を持って迫ってくる。
だがサンカは避けようとしなかった。左手を強く握りこみ、歯を食いしばって勇儀の拳に自らの拳を叩き込む。
威力を完全に相殺できず歪んで骨が露出するが、気にも止めず、無事な方の手でもう一撃お見舞いする。
(ようやくやる気になったか)
彼女はほくそ笑んで再び蹴り技をお見舞いするが、寸ででそれは回避されてしまい、顎へ一撃を受けた。顎に衝撃を感じて体が少し浮かぶと、勇儀は苦悶に満ちた顔になる。
痛みを感じないわけではないが、この一撃はこれまで味わったことのあるどの痛みをも超えていた。その後も一方的とも言える連撃を受け続け、回避を連発し続ける。
この男は意外と手強い。再び距離を取ると、杯をお燐に押し付ける様に渡し、ほんの少し本気を出してみた。気の高まりは更に強くなり、地鳴りのような感覚を与えてくる。
(厄介だなぁ。まだ強くなるのか・・・)
サンカは浮足立った様子の勇儀に対して、ヤレヤレと首を振り、腕を垂直に立てて顔を覆うように構えた。