夕焼けが照らす往来が少なくなった通りを、文は小鍋を抱えて歩いていた。
自身の仕事は未だ片付いていないのだが、それすら放り出してある事に没頭していた結果、こうしてはたての家を目指して歩く羽目になっているのだ。
「作り過ぎちゃった・・・」
サンカに教わった異国の料理を作ってみるまでは良かったのだが、少々多めに出来てしまった。そこで、教わった通りの味付けなのか確認してもらうという名目で体よく押し付けようという魂胆なのだ。
「くしゅん」
冷たい風が吹き、思わずくしゃみをしてしまった。
夏が終わった事もあって、あれだけうるさかった蝉は姿を消し、代わるように秋の虫達が鳴き始めている。些か肌寒さはあるものの風呂敷に包まれた鍋が温かく、それが温石のようになってくれているために左程苦痛にはならない。
「・・・・」
文は歩きながら、目的地の家の主とその居候の事を思案した。
はたての言動や態度等からして、サンカと初めて会ったというのは嘘だろう。かの者を里に連れてきた時の事を思い出してみるが、初対面と言い張るには余りにも不自然だった。
椛や文といった例外を除き、会話はおろか目を合わせる事もなかったような人物が、初対面の相手にあれ程寄り添い、笑顔を見せ、尽くすことができるだろうか。自分なら無理だ。得体のしれない外からの来訪者ともなれば余計である。
そして不自然な点はもう一つあった。
今まで限られた他者以外との関係を断って一人部屋に引き籠っていた彼女は、ある日を境に勲功を多く残すようになり、現在の地位まで上り詰めた。当時は何かに火が付いたのかと思っていたが、それがサンカが幻想入りする数年前、丁度彼の記憶が残っている辺りからだと、話を聞いて気づいた。
(どうも不審なのよねぇ)
はたては何かを隠している。旧知の仲である自分にすら話せない何かを。
「あや?留守かな?」
そうしてはたての家に到着すると、普段は煌々と明かりのともっている戸の向こうが暗かった。
二人揃って居ないとなれば寧ろ好都合だ。断られることもないので、勝手に上がって一筆したため置いていく事ができる。
鍋を一旦どこかに置こうと目を動かすと、家の中から気配を感じた。気のせいかとも思ったが、確かに何かの存在を戸の向こう側からひしひしと感じている。文は警戒しながら、戸に手をかけてみた。
「あれ?」
なんの抵抗もなく開いた。鍵を掛けずに出かけたのならば、なんとも不用心だ。奥では暗い中で何者かが動いており、空き巣かと思い身構えた。
と、短い音が聞こえた後小さな明かりが灯り、女の顔が青白く浮かび上がる。女はブツブツと小さな声で呟いており、虚ろな目でその明かりを見つめていた。
「・・・はたて?」
声をかけると、その顔がこちらを向いた。確かに彼女ははたてであったが、髪は乱れて大粒の涙を流し、腕にできた線状の模様から何かが垂れているのが伺えた。
「文・・・」
「ちょっとなにしてるの!傷だらけじゃないですか!!」
文は鍋を投げる様に置くと、救急箱を取りに走った。
「あぁ・・・どうすればいいんだろう」
念写の力を行使して地底での一連の様子を見ていたはたては年季の入ったカウンターに突っ伏した。
どうにも落ち着かないらしく、時折携帯を取り出しては念写して、笑顔になったり苦虫を噛み潰した顔になったりしており、時々爪を噛むのを文に窘められていた。
「死んじゃったらどうしよう・・・」
「あんまり悩んでも仕方ないでしょ?それにあの人はそう簡単に死ぬ人じゃありませんし」
文は慰める様にはたての背に手を置いた。
腕の応急処置をした文は、急遽近くに出店していたミスティアの屋台に連れて行き、詳しい事情を聴いていた。
とうとう捨てられたのかと思っていたのだが、最近はお互いに(サンカは自覚がないようだが)依存してきているのですぐにその線は消えたし、訳を知ってからは同情した。
ほら、と空になった猪口にぬる燗を注ぎ、自身はおでんを食べる。時期が早い気もするが、ヤツメウナギは取り扱っていなかった。出汁の染みた大根が旨い。
「今までだって必ず帰って来てたでしょ?」
「でも・・・今回はどうなるか分からないわよ。地底なんて危険な処に・・・」
先程から永遠とこのやり取りを繰り返している。
ミスティアは別段気にした様子ではないが、数時間前の訪問を最後に客足が止まってしまった。たまに客は来ていたのだが、はたてから放たれている異様な雰囲気を受けて、皆一杯だけ飲むか回れ右をして帰ってしまった。
これでは営業妨害も良いとこだ。連れてきたのは失敗だったかもしれないと、ため息をつく。
「そんなに心配でしたら、手の届くところに置いておけば良いんじゃないんですか?」
ミスティアが掃除をしながらいたずらっぽく言う。まだ閉店になるには大分時間が速いが、これ以上やっても商売にならないと判断したのだろう。暖簾や提灯を片付け始めている。
夜雀という妖怪である彼女は、時折(拒否できない)サービスで歌を歌うのだが、今日は一度も歌っていなかった。多少の申し訳なさを覚えつつ、文はもう一口大根を頬張った。
はたてはミスティアの何気ない一言を聞いて起き上がると、彼女の方を見た。泣きはらしていたので、まだ少し目が赤い。
「え?」
「大切な物は箱に仕舞っておけばいいんです。どこかにいったり壊れたりすることもないですから」
「・・・・」
「冗談です。サンカさんは人ですし、そんな事したら後々大変ですから」
商売道具である酒瓶を一本取り出すと、まだ客が居るというのに小さなグラスに注ぎ始めた。切子細工のグラスの中で踊る酒が、美しい青い色の光を乱反射させている。
「今日はもう閉店です。今から私も飲んじゃいますね」
「良いんですか?あんまり飲むと貴方は音痴になるじゃないですか」
「ちゃんと弁えてます。ささ、はたてさんもサンカさんの無事を願いつつ飲みましょう」
「・・・私、迎えに行ってくる」
「え?ちょっと・・・」
はたては席を立つと、黒い翼を広げて一瞬で飛び立った。
何故こんなにも簡単な事に気づかなかったのだろうか。色々準備は必要だが、目的のためなら何だってできる。
本当の意味で二人きりになったら何をしようか。頬が自然と緩むが、彼女が湛えていたのは普段の笑顔ではなく、まるで悪魔のような笑みだった。