「うーん・・・」
サンカは水の張られた桶の前で、手に持った物を凝視しながら唸っていた。
房楊枝と呼ばれるそれは、いわば歯ブラシの一種である。柳の枝を煮た後に叩いてブラシ状にした物で、歯の裏側が磨きにくい事を除けば楊枝にも舌掃除にも使える便利な道具だ。
実は、これまで使っていた歯ブラシ達は一週間と経たずに消えてしまっていた。
最初は何度か新品を購入していたのだが、すぐに無くなってしまうし、外界に行くのにもそこそこ苦労するので、はたてに勧められるがまま人里で購入してきたこれを使うようになった。
ただ、この房楊枝も既に5代目になる。
消える度にはたてに聞くが、彼女は決まって知らないと答えるし、誰かが忍び込んで盗んでいくにしてもメリットが全くないので余計無くなる理由が分からない。
(紫さんよりはまだ若い筈なんだけどなぁ・・・)
サンカは痴呆が始まっているのだろうか?と頭を抱えつつ、房楊枝を元の場所へ戻した。
「ねえ、買う必要のある物を紙に書いてくれない?」
外からはたての声が聞こえる。窓を開けて見ると、そこには洗濯板を使って服を洗う彼女の姿があった。洗剤の量が多かったらしく、やけに泡立っているのが分かる。
サンカは時々此方まで飛んでくるシャボン玉を割りながら、現在切らしている物を思い浮かべた。ちり紙に石鹸、そして蝋燭・・・あとは食材くらいだろう。
一応天狗の里でも売ってはいるが、人里まで行った方が安く買い物ができる。
彼は私室に向かい、先程思い浮かんだ必要な物を、忘れない内に手帳に書き込んで切り離した。
そろそろこの手帳も変え時のようだ。分厚かったページも大分埋まり、何度も切り離したせいで薄くなっている。
「終わったー!冷たくて大変だったわ!」
「ご苦労様」
洗濯を終えたはたてが両手を温めながら戻ってくると、彼女はメモを受け取って軽く目を通し、買い物袋と財布を取り出した。一緒に付いていきたい所だが、残念な事に今回は自宅待機である。
こんな見た目になるまでは人里まで二人で買い物へ出ていたのだが、神社の一件以来、半獣人の寺子屋教師や、人間に友好的な妖精・妖怪から本気の攻撃を受け、白昼堂々望まぬ血みどろの攻防戦をするようになってしまった。
更には噂を聞きつけた博麗の巫女まで姿を見せるようになったので、現在では紫からの依頼を受けた時を除いて
当然、はたてが
聞けば、紫からの進言を受けた里の長である大天狗が、いざという時の為の戦力として使うために、サンカの存在を里ぐるみで隠蔽するよう指示してくれたのだ。
偉い人に兵器扱いされているのは不服であるが、この際我儘は言わない。
「それじゃ、買い物行ってくるわね。お留守番はよろしく!」
「行ってらっしゃい。ゆっくり待っているから」
玄関先で突風が吹いたと同時に、はたては一瞬で飛び立っていった。何処かの文屋程速くはないが、黒い翼を蒼空へ広げて飛翔していく姿はとても美しく、不思議と憧れすら覚える。
彼は日の光を手で眩しそうに遮りながら姿が見えなくなるまで見送ると、箒を手に取って静かに部屋へと戻った。
◆◆◆
(これくらいにしておくか)
その日の夕暮れ。サンカは家の中を神経質なまでに掃除すると、汗を拭って庭に引っ張り出した椅子に体重を預けた。
あれだけ存在感のあった夏は何所へ行ったのだろうか。耳を傾ければ鈴虫の鳴く声が聞こえ、白い彼岸花は相変わらずその重たそうな花弁を風に揺られ、時々その周りを空と同じような色味のトンボが行ったり来たりしている。
「平和だな・・・」
何もすることが無くなったので、ゆったりと流れていく雲を魂が抜けたように見上げながら、指で輪郭をなぞっていく。
考えてみれば、幻想郷にやってきてからはずっとはたてと一緒だった。こうして何も考えず、しかも一人きりの日はいつ振りだろう。
(まだ5時か)
時計を確認する度に、体感より針が進んでいない事を知らされる。
かつての自分なら孤独で居られる時間を貴重だと喜んでいたかもしれないが、今ではただひたすら退屈で、息苦しい時間でしかなかった。依頼を熟している間は何時もはたてを家に残しているが、彼女もこんな気持ちだったのだろうか。
そうしてあれこれ考察していると、聞きなれた明るい声が玄関から聞こえた。咄嗟に駆けて行って戸を開けると、商品が詰まった買い物袋を携え、髪が乱れたはたてが立っていた。物が重いのか、或いは急いで帰って来たせいなのか、息が上がっている。
「ただいま!」
「おかえり」
サンカは普段の様な冷静さを装いつつ、しかしいつもより調子の良さそうな挨拶を返し、荷物を部屋に運ぶべく買い物袋を受け取ろうと手を伸ばした―
「はうっ!?」
その瞬間、凄まじい痛みが彼の腰を襲った。
声にならない声を上げると、彼は腰を押さえながら横たわり、うめき声を上げた。掃除の時に重い机を持ち上げたり、重い物を持って庭と家を行き来していたのがいけなかった様だ。ぎっくり腰になるとは、なんとも情けない話である。
「こ・・・腰が・・・」
「ちょ、ちょっとサンカ!大丈夫!?」
はたては落とした荷物に気を止めず、辛そうに悶えるサンカを見て混乱しつつすぐに介抱を始めてくれた。
やはり歳のようだ。もう二度と無理はしないようにしようと、サンカは肝に銘じた。