紫に事情を説明して得た療養の為の数週間が過ぎ、腰は完治した。当然だがはたての助けを借りる事無く自力で動けるので、いつでも依頼を受けられる筈なのだが・・・
「はたて。もう体調は万全だし、そんなに世話しなくても・・・」
「駄目よしっかり療養しないと。買い物してくるから、留守番おねがいね」
はたては楽し気な様子で返すと、戸を開けて出て行ってしまった。
献身的に身の回りの世話をしてくれるのはありがたいが、入浴中に背中を流そうと入ってこようとしたり、歯を磨こうとすると代わりにブラッシングしたり等、流石に度が過ぎてきている。
これまでに何度か遠まわしに断りを入れてみたり、理由を聞いたりしてみたが、彼女はこれも療養のためだからと取り合ってくれなかった。
(紫さん、最近見ないけどどうしたんだろう・・・)
療養を始めたばかりの頃は毎日のように顔を出していたが、ここ最近紫の姿を見ていない。
彼女も異変の後始末で忙しいのかもしれないが、サンカに任せる依頼も重要であるし、霊夢や魔理沙を駆り出して代わりに解決させたなら何かしらの知らせを入れてくれてもいい気がする。
幾ら完治が遅れているからとは言えど、変な所でマメな紫が突然訪問しなくなるのは不可解だ。
何気なく視線を外にやると、視界に広がる山々は赤、黄、緑といった様々な色が折り重なり、頂上から麓までをカラフルに染めている。紅葉狩りをすればさぞ綺麗だろう。人里の方を見れば、青々とした田んぼから水が抜かれ、稲が黄金色の穂を輝かせている。
(まあ、心配しなくても大丈夫か。しかし引きこもり一直線だな・・・せめて庭に出させてくれればいいんだけど)
はたてと二人きりで居られるのは嬉しいが、一日中家の中でボーっとしたりゴロゴロしているのも嫌になってきた。たまには低く狭い天井から離れて、青い空を仰いで精一杯伸びがしたいものだ・・・まあ、それも叶わない夢なのだが。
せめて空が見える縁側で横になろうと立ち上がると、懐からスペカが滑り落ち、そのままはたての部屋へ滑り込んでいってしまった。ほんの少し開いた隙間へ入っていくとは運が良いのか悪いのか、サンカは参ったなと頬を掻いた。
女性の部屋に入るのは気が引けるが、だからといってはたてに取りに行ってもらうのも申し訳ない気がする。
そこで彼は一瞬だけ入ってすぐに出れば良いと判断した。ごく短時間なら怒りもしないだろう。彼女はそこまで神経質な性格ではないのだから。
意を決して建付けの悪い襖を開けると、素早い動きで部屋へと踏み込む。中はそこだけ夜かと思う程に暗く、伸ばした指先が闇に消えた。窓と思わしき場所から光が薄っすらと漏れているところからすると、木の板でも打ち付けてあるのかもしれない。
余りにも暗いので蝋燭を灯そうかとも思ったが、目的の札は割とすぐに見つけることが出来た。
「有った有った。あまり奥の方に行ってなくて良かった」
札は畳んだ布団と床の間に挟まっていた。拾い上げて安堵しながらそれを仕舞うと、視界の隅に一冊の本が無造作に置いてあるのが見えた。普段なら気に留める事もないのだが、何故か無性に気になる。
なんとなく手に取ってみると、本は所々退色して痛んでいる上に表紙に何も書かれていなかったが、サンカにはそれが日記だと分かった。
(はたてのかな。何を書いてるんだろ?いや、でも勝手に見るのは・・・)
暫しの自問自答の末、結局読んでみる事にした。背後から差し込む薄明りで照らしながら、無作為に開いたページの内容を読むべく目を凝らす。
[7月24日。やっと見つけた。でも彼は何もかも忘れていた。どうして?約束したのに]
彼とは自分の事だろうかと、サンカは思った。確かこの日付は自身が幻想入りした日のものだ。それに忘れているとはどういう事なのだろう。ページをめくる。
[7月25日。彼が愛の告白をしてくれた。全てを忘れてても、私達は結ばれる運命みたい]
更にページをめくると、指が滑って一気にページが飛んだ。飛んだ先のページは文字が崩れてきており、所々赤黒い染みが出来ている。
[9月3日。今までで一番多く目を合わせて、一番多く笑顔を向けてくれた。嬉しい・・・あの笑顔を他の女になんて見せたくない。サンカは私の物なんだから、もっともっと私を見てくれるように頑張らなきゃ]
[9月4日。里の小娘が彼に色目を使ってきた。腹はたったけど、彼は適当にあしらってすぐに私の傍に来てくれたから許してあげる事にした。あの残念そうな顔ときたら・・・ざまあみろ]
[9月5日。食事に私の血を混ぜてみたら、彼は何時もより美味しいって言ってくれた。毎日は無理だけど、これからは時々入れてあげなきゃ。少しづつ私に染まっていくなんて、なんて素敵なんだろう]
「!」
血?まさか・・・背筋に悪寒が走ると、日記を床に落とした。日記はあるページを見せるかのようにパラパラとめくれて止まった。上から下まで同じ言葉をびっしりと書き綴ったそれは、白い紙面が黒くなる程だった。
[好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き・・・]
「愛してるわ。もう離さない」
振り向くとそこに彼女は居た。うつろで生気を感じさせず、この部屋の暗闇よりも深い闇を抱いた、普段の愛くるしい姿とは似ても似つかぬ、異形と呼ぶに相応しい雰囲気を放つ彼女が。
サンカは短い悲鳴を上げて尻餅をついて後ずさると、はたては心底おかしそうにクスクスと笑い、サンカの腕を掴んだ。
「今度こそ、一緒に幸せになろう?アナタ」
「え?・・・むぐ!?」
直後、はたての両手が素早く伸びて来た。サンカは咄嗟に防御しようと手を動かしたが、彼が反応するよりもはたての方が速く、両腕を押さえつけられ、口を彼女の口で塞がれてしまった。
彼女は口内に舌をねじ込むと何か苦味のある物を移して来た。サンカは吐き出すことも出来ず、なされるがままにそれを飲み込んでしまうと、はたての服を掴んだ手が力が抜けて崩れ落ち、やがて痺れた感覚が全身を覆った。
(何をするんだ・・・はたて!)
完全に不覚を取られたようだ。意識はしっかりしているが、体は動かず上手く呂律が回らない。辛うじて動く目で見上げると、恍惚の表情を浮かべているはたてが見下ろしている。
「これでやっと・・・やっと・・・」
彼女はだらしなく涎を垂らし、溶けたかのように伸びるサンカの様子を確認すると、彼を抱き上げて部屋の中へと運び込んでいった。