得体の知れない薬を飲まされてから、一体どれだけ経ったのだろうか。効果が切れて体が動くようになった頃には、はたての部屋に閉じ込められていた。
手足は縛られており思い通りに動くことが出来ず、壁から天井へと埋め尽くされた自身の写真を見る度に寒気を覚えた。目の前には天使の様な笑顔を湛えたはたてがいる。
「・・・・どうしてこんな事を?」
サンカは戸惑いながらも、目の前でニコニコと嬉しそうにしているはたてに行動の意図を尋ねた。まだ少し痺れているせいか、あまり呂律がまわらない。
「何所にも行かせないためよ。アナタ」
さも当然だといった口調で質問に答えた。声や顔はいつもの調子なのだが、これまでも何度か感じた黒い感情が別格な強さ現れており、思わず怯んでしまった。背中にフツフツと鳥肌が出来、本能が危険だと警鐘を鳴らし続けている。
気圧されていると、彼女は少しずつ距離を詰めて来た。サンカは説得を試みるフリをしながら、状況を打開するための策を練りつつ様子を窺う。
「やめてくれはたて。僕を閉じ込めても得はない」
「・・・・もう・・・嫌なのよ」
「へ?・・・」
「私、いつも不安だったの。血だらけで帰って来た時なんて夜も眠れなくて、次の日に顔を合わせる度に生きててくれたって安心して、次は大丈夫かなって怖くなって・・・私ね、何年も一人でとても寂しかったの。とても辛かったの。でも、あの腐った日常から救い出してくれたアナタともう一度会って、平和な世界で二人で幸せな日々を過ごしていく・・・そんな夢の為にずっと頑張ってこられたわ。だから・・・だからアナタの居ない日常に戻るなんて、そんなの絶対に嫌なの!!紫の依頼なんかもうどうでもいい!!念報も止めてやる!!一緒に居られない要素は全部消してやるわ!!私にはアナタさえいればもう何もいらない!!アナタは私の物なんだから!!」
「ッ!!」
はたてはヒステリックに絶叫すると、息を荒げたまま糸が切れた人形の様にピタリと動きを止め、ゆっくりと顔を上げた。瞳孔は開ききっており、深い闇が怯えたサンカを映し出す。
「文やミスティアが相談に乗ってくれたの。そしたらとっっっても良い事を教えてくれたわ。大切な物はしまっておけばいい、って。だから、アナタが外に出れないように頑張って結界を張ったの!偉いでしょ?」
「何を言って」
「どうして今までこうしなかったのか不思議でならないわ。ねえ、アナタも嬉しいよね?ううん、嬉しくない筈がないわ!だって私に傍に居てくれって言ってくれたもの!それって私と同じ気持ちだって事よね!?だからアナタはここで私と二人っきり、ずっとずっとずーっと一緒に居られるのよ!?こんな幸せ他にないわ!!」
はたてが矢継ぎ早に愛の言葉を紡ぎながらブラウスのボタンを外すと、そっと彼女の体が露わになった。体には彼方此方に線状の傷が刻まれており、まだ新しい物から痕になったもの、更には内出血しているのか、傷口がどどめ色になっているものまである。
自傷痕だ。ただの怪我ではあのようにはならない。もしや、治しても治しても腕に付けてくる傷も自分でつけていたのだろうか。良く見れば、スカートに隠れている太もも付近にも傷がついていた。
はたてはウットリとしながら、その傷口を撫で回している。目を覆いたくなった。見たことを後悔した。それでも目を逸らす事が出来ず、情けない程に歯がガチガチと音を立て、体が震えてしまう。
彼女はそんなサンカの様子が目に入っていないのか、喜々としながら傷の一つ一つの説明をし始めている。すっかり自分の世界に入ってしまっている様だ。
「これはね、私がアナタの事を好きって思った時に付ける愛のシルシなの!ほら見て!私がどれだけアナタの事を愛しているかわかるでしょ?」
「やめてくれ・・・こんなの・・・」
「愛の証明だけじゃないわ!私はアナタの為ならなんだってする!昔私を助けてくれたみたいに、アナタが望めば誰かを殺すことだってできるもの!だからさぁ、私を愛してよ!私を求めてよ!ねえ、ねえねえ!!」
「やめろ!!」
サンカは言葉をかき消すように叫んだ。それははたてに対する明確な拒絶の意思だった。
拒絶された彼女の顔からは、狂ったような笑顔が消えて真顔になり、やがて動揺や疑念に溢れた物へ変わっていく。自分の愛する人に、自分を愛してくれる人に拒絶された。それは何故なのか彼女には理解できなかった。
一瞬の静寂の後、叫んで息を荒くするサンカの首を締め上げた。指には力が込められており、喉がギリギリと音を立てて締まっていく。
「なんで?ねえなんでよ!?好きって言ってくれたのは嘘だったの?いつも私の料理を美味しいって食べてくれて、いつも可愛い笑顔を見せてくれたのに!!ねえどうしてよ!!私の何がいけないの!?」
「やめ・・・は・・・はた・・・て」
呼吸が出来ない。このままでは窒息死するのは火を見るより明らかだ。
幸いにも意識が飛びかける直前に、はたてが手の力を緩めたため、サンカは息を大きく吸い込んで空気を肺に送り込んだ。
彼女は俯きながら何事かブツブツと呟くと、納得した様に目を丸くして、涙目で咳き込んでいる彼の顔を手で持ち上げて覗き込んできた。首にはしっかりと手の痕が浮き出ており、はたてはそれを見て更に嬉しそうな顔をする。
「そっかぁ・・・他の女に何か吹き込まれたんだね?大丈夫、この家で私と二人きりで暮らし続ければ他の女共が間違ってる事に気づくから」
これ以上は耐えられない。芋虫のように体を転がしてはたてから逃げようとすると、見えない壁のような物に行く先を阻まれた。襖は開け放たれているのに、向こう側の部屋へ出る事が出来ないのだ。
絶望した表情を浮かべたサンカを見た彼女は、彼を再び部屋の中央に引きずり戻しながら笑う。あれだけ好きだった彼女の顔が、今では狂気をはらんだ全くの別人のような顔に見えた。
「その結界は貴方が生きている限り絶対に外に出れない様に作ってあるの。このために毎日少しづつ作ったのよ?一生二人きりでいようね・・・ああ、もうこんな時間。ご飯作ってるから、大人しくしてて?」
そう言い残すと、彼女は襖を静かに閉めて隣の部屋へと消えて行った。
次に帰ってきた時に何をされるか予測がつかない。あんな調子でこれから生活するのであれば、もしかしたらいつか本当に殺されてしまうだろう。
はたての後姿が見えなくなった事を確認したサンカは、転がった際に拾い上げたポケットナイフで手足の縄を切断すると、起き上がって部屋を見渡した。焦っているせいもあり、サンカの頭にはここから逃げる事以外思いつかなかった。
「何か手はないのか・・・何か手は・・・」
似たような事例は無いものかと記憶を掘り起こしてみるが、役に立ちそうな情報や経験はなさそうだ。こんな時脳というのは現実逃避したくなるのか、余計な記憶まで湧いてくる。楽しかった今までの思い出や何気ない日常の風景等だが、今となってはそれも遠い幻想になろうとしていた。
(また紅魔館でお茶を飲みたかったなぁ・・・うん?)
そういえば、パチュリーと再び会った際になにか重要な話をしたのだった。会話の内容は一体なんだっただろうか。
暫く額に指を当てて思い出してみると、その言葉が見つかった。
―取り込んだ命はストックされるの。そして・・・
(そうか。この手があった)
一か八かではあるが、はたての結界の特性が彼女の言う通りなのであれば、やってみるだけの価値はある。サンカは自身の右手を自身の心臓の位置に押し当てると、僅かな明かりが漏れている窓であろう場所に背中を預け、息を整えた。高鳴り始める鼓動が緊張感を彼に与えてくる。
(もってくれよ)
彼は覚悟を決めると、スペルを静かに読み上げた。