玉砂利に顔を打った後に周囲を見回すと、そこは紫の屋敷だった。
ここの空気は普段から妙に冷たいのだが、今回はどういう訳か刺すような寒さを感じる。空気を深く吸い込めば、肺が痛んで咳き込んでしまう程だ。
一緒に連れてこられたはたては、まるで猫の様に小さく丸まって凍えてしまっていた。
無理もない。人だろうが妖怪だろうが、腕や足の露出が多い格好でこの気温となれば、だれでもこうなる。
気休めかもしれないが、サンカはそんな彼女へ自身が着ていた上着をかけてやると、より体を小さくかがめて団子の様な姿へと変貌した。
「ここなら他人は入ってこれないわ」
紫が日傘をくるくる回しながら隙間の中から現れると、二人を立ち上がらせ屋敷の方へ行くように促した。
確かにここには一部の限られた人物しか入れない。余程部外者に聞かれたくない事なのだろうか。
「紫さん、続きをお聞かせしていただけませんか」
「そんなに急かさないで。ゆっくり話すから」
疲れがあるのか、珍しく声に覇気がなかった。
足の怪我の方こそ治っているが、顔色が悪い上に歩き方はフラフラと頼りなく、時々転びそうになるのをサンカとはたてで支えながら屋敷へと歩いて行った。
◆◆◆
「さてと、それじゃあお待ちかねの本題よ」
どうにか屋敷に入り、藍が出してくれたお茶で体を温めていると、紫はサンカの方へ意識を向けた。
どんな話をされるのだろうかと身構えていると、彼女は懐から茶色く変色した一枚の紙を取り出し座卓に置いた。
写真は古く所々に赤茶色の染みができており、椅子に座った男と、つまらなそうにその後ろに立つ男が映っていた。二人は大河ドラマに出てくるような恰好で、腕章や陣笠、携えた銃等から兵隊か、それに準ずる組織の者だと思われる。
「これは・・・僕?」
「そうよ。それは貴方」
つまらなそうにしている男はサンカそのものだった。現代の写真と比べれば不鮮明であるが、毎日のように見て来た自分の顔を間違える事はない。
それに手前に座っている男にしても、恵比寿のような目つきと不自然なまでに吊り上がった口が不気味だ。
ーしかし、この男には見覚えがある。それもかなり最近になって会った気もする。
「なら、こっちの男は・・・」
「蝦夷タタラ。今回の一連の大量失踪の首謀者にして、貴方の義理の弟」
言葉が出てこなかった。あの時、不気味という文字がピッタリな男が発した〔兄上〕という言葉は聞き間違いではなかったようだ。
もし紫の話が事実なら、時分にも家族がいた事になる。
そして何故幻想郷の住民を拉致しているのか、何故今更になって姿を現したのか、何故兄であるサンカに対して敵対心を向けたのか。それらは理解できそうになかったが、紫がこの男の情報を教えた意味は瞬時に理解する事ができた。
「排除しろと?」
「その通りよ。確実に始末してきて」
「・・・汚れ仕事は僕の役目ですか」
「そうね。貴方の立場上、誰かを殺める事でしかその罪は償えないわ」
「どういう事ですか?」
サンカが食い入るように身を乗り出すと、紫は頭を抱えながらもこれまでこなして来た依頼の本当の目的を、言いにくそうにしながら話し始めた。
彼女曰く、これまでの依頼は異変の芽を摘むだけでなく、サンカが過去に犯した大罪を償わせる意味もあったらしい。
彼の犯した大罪とは、数多くの妖怪や物の怪、更には人間を殺めて来た事だ。例えそれが指示された事で本人の意思とは異なっていたにせよ、なんの罪もない者達を殺めた事に変わりはないのだ。
そのためサンカは地獄行きが確定しており、寿命が尽きたと同時に他者に与えた苦しみを永遠と味わい続ける決まりになってしまっていた。
そこで紫は閻魔に直接交渉し、異変の早期解決やそれに付随する問題を解消する事で、完全に清算する事はできないにしろ、犯した罪が多少軽くなる様にしてもらったのだそうだ。
ただ、多かれ少なかれ過去に善行を重ねていた事で(身に覚えはないが)、左程此方で依頼に駆り出す必要が無かったのが唯一の救いだとも、彼女は言っていた。
「どうして僕なんかの為にそこまで・・・」
「そっちの子になんとかしてってお願いされちゃうと・・・どうしても、ね」
紫が苦笑いしながら指をさす方向へ顔を向けると、サンカの上着に包まりながら話を聞いているはたてがいた。
「君が?どうして?」
「・・・私はサンカに幸せになってほしい。だって、私の一番好きな人だもん。苦しむ所なんて見たくないわ」
はたてはいたって真面目な顔で堂々と断言した。
サンカに幸せになってほしい。そんな願いのためだけに、彼女はあまり仲がよくないであろう紫に頼んでまで解決しようとしてくれていたようだ。
まさか異変解決の駒にされるとは思っていなかったようだが、彼を思う気持ちは人一倍強いと言える。
「何にせよ奴を倒さなければ、待っているのは破滅のみよ・・・これが私からの最後の依頼になるわ。奴を止め、幻想郷を救って」
少々荷が重いが、義理の弟と幻想郷、ひいてははたてを天秤にかけたら迷いなく後者を選ぶ。・・・と言いたい所だが、どの道拒否権は無いので了承以外の返答はない。
サンカは湯呑みに入ったお茶を飲み干すと、はたての手を借りながら立ち上がり、部屋を後にした。