それではごゆっくりお楽しみください。
沈む太陽を背に踊り狂うかの如く走ってくる人影は、普段は里の入り口の大門の前で警備をしている男の天狗だった。
彼は里に来たばかりのサンカに強い警戒心を向けていた人物だが、時折酒の差し入れをしている間に徐々に態度を軟化させて行き、現在では愚痴から笑い話までする仲になっていた。
そんな彼の表情が距離が近づくにつれて良く覗える事が出来る様になると、サンカは目に見えて怪訝そうな顔をした。
悪ふざけか、はたまた酔っぱらっているのか、迫ってくる彼の目は別々の方向を向いて焦点が合っておらず、更には無理に笑っているかの様に口角が吊り上がっており、涎をボタボタ垂らしている。服は小汚く、腕を振り回して走る姿はおよそ正常な思考をしているとは思えなかった。
「どうしたんだはたて?具合が悪いのかい?」
はたてにはその男の様子が、タタラの能力によって操られた妖夢と類似していると思えた。
特有の不快感を与える歪な動きは、彼女の脳裏に強烈な印象を植え付けており、当時の一挙手一投足が鮮明に思い出させる程だった。
はたては冷や汗が吹き出すのを感じながら、隣で警戒するサンカに上ずった声で如何にか事情を伝えると、彼は素早くスペカを取り出し、はたてを自身の背後へと隠した。
只ならぬ様子のはたてを見た文達もまた、それに倣って戦闘態勢へと移行する。
「止まれ!従わなければ、同胞であっても斬り捨てるぞ!」
一人が大盾を地面に固定して声を荒げながら警告すると、男は素直に立ち止まった。
盾越しにマジマジと観察していると、その体にはどうして今まで気が付かなかったのかが不思議な程の、大きな裂傷が幾つも出来ているのが見て取れた。
一番大きい傷になると肉も抉れて無くなっており、下から白い何かが見え隠れしている。あの重傷で生きていたのだとしても、走ったりするのはまずできない筈だ。
あまりの異様さに皆が狼狽していると、男の体には目に見えて大きな変化が表れ始めた。頭と腹が不自然な程に膨れ上がり、眼孔は落ちくぼんで血を流し始める。それと共に空気は血生臭い物に変わり、不快さを感じる生暖かさを伴ってサンカ達を包んでいく。
完全に変化を終えた頃には、馴染みのある天狗の姿は無く、これまで地底や人里の近くで討伐してきた異形そのものになり果てた存在だけが、今にも抜け落ちそうな黄色い歯をむき出しにして唸り声をあげていた。
「生き残りはそれだけか?」
「!」
憎たらしく、耳にこびり付く嫌な声が聞こえたと共に、異形の隣に一瞬で男― タタラが現れた。
瞬きは一切していなかったにも関わらず、接近には全く気が付くことが無かった。もしこれが咲夜と同じく時を止める類の能力だとしたら非常に厄介だろう。
「もっといると思っていたが、少し数が少ないなぁ」
タタラのその一言が合図だったのか、異形が地の底から響く声を張り上げると、里中の家屋から異形になり果てた天狗達が一斉に溢れ出てきた。彼らはどれも欠損が酷く、もはや人型を成していない物まで混じっていた。
その中には覚えのある顔が幾つかあったらしく、天狗達は放心する者、何故と泣き叫ぶ者、ぶつけようのない怒りに震える者と様々だ。
「ヒッヒヒヒ・・・腹が空きすぎて共食いしていたみたいだなぁ?困った困った」
「里の女の子をあんな化け物に変えたのもお前か?」
「里の?なんだったか・・・」
サンカに尋ねられたタタラは、うーんと首をわざとらしく大きく捻ると、これまたわざとらしく声を上げた。人を苛つかせるのは相当に上手いらしいが、乗せられないためにも平静を保つために努力する。
「ああ、ああ、あの童か。実に楽しかったなぁ」
吐き気を催す邪悪とはこの事だろう。語られた内容は正しく鬼畜の所業であった。
まだ幼気ない子供を如何にして怪物へと仕立て上げたのかを早口に自慢するタタラは、その場にいる全員の怒りを買うのにそう時間は掛からなかった。
「この外道が!」
椛が刀を振り上げて走り出そうとしたが、すぐにサンカに喉を強打されて呼吸を止められた上に、首の後ろを叩かれて気絶させられてしまった。
サンカは椛を文に預けて、帽子を深く被り直して持っていたスペカを仕舞うと、普段それらを収納しているポケットから真っ黒な紙を一枚取り出す。
黒い紙は普段使っているスペカによく似ていたが、彼の持っているどのスペカとも雰囲気やデザインが異なっており、傍に付きっ切りだったはたても、弾幕ごっこの練習に付き合っている文も見たことが無かった。
「文、皆を連れて逃げてくれ。ここは僕がやる」
「正気ですか?あの数が相手では―」
「良いんだ。急いでくれ」
「・・・分かりました。皆さん、撤退しましょう」
文はこれから起きる物事の邪魔になると判断してくれたらしく、椛を抱えたまま皆を率いて空へと登り、博麗神社がある方角へ飛翔していった。恐らくは霊夢を呼びに行ったのだろう。
サンカは残ったはたてにも逃げるように促すが、彼女は異形の大群を前にしても逃げることを断固として拒んだ。
「はたても逃げてくれ。ここで死なせる訳にはいかない」
「約束したでしょ?何があっても、絶対サンカから離れないんだから。貴方が死ぬ時は私だって・・・」
決心した強い口調で言うが、強く繋がれた手が震えている。きっとはたても大量の異形と対峙するのは恐ろしいのだろう。
「・・・絶対に離れないでくれよ。はたて」
「ええ」
タタラが嘲た笑い方をしながら姿を消すと共に、今まで沈黙を保っていた異形達が耳障りな叫び声を上げながら一斉に走り出した。
圧倒的すぎる物量をたった一人で相手にするのは到底不可能に思えるが、サンカは特に慌てる訳でも逃げる訳でもなく、淡々と黒いスペカの名を宣言した。