7話 変な奴
朝だ。
首を動かして時計を見ると、針は7時を指している。顔を掻きつつ欠伸をしながら起き上がると、昨日のはたての冷たい視線と声を思い出して、肌寒くも無いのに身震いした。
あれは何だったのだろうか。自分に聞かれてはまずいことだったのか、それとも単に二人で会話したかったのか。どちらにせよ、彼女は紫との仲があまり良くないようだ。
(顔洗ってこなきゃ)
サンカは丁寧に布団を畳むと、縮こまった体をほぐして顔を洗い、着替えを済ませて居間へと向かった。先程から良い香りがしており、空になった胃がひもじさを訴え始めている。
「おはよう」
「おはよー!よく眠れた?」
まあそこそこ、とサンカは返す。はたては既に朝食を用意しており、味噌汁を椀へよそっている所だった。
促されるまま用意された膳の前に座ると、こっそりとはたてを観察した。だが、上機嫌な彼女に昨日の冷たさは無く、寧ろ愛らしさを感じる笑顔を振りまいている。サンカはあまり深く考えない事にし、食事に手を付けた。
「ん、旨いな」
「本当!?お代わりもあるから、沢山食べてね!」
「朝から沢山は食べられないよ」
はたてが作った料理は格別であった。現在の味になるまで計り知れない努力を重ねたらしく、どれをとっても一級品なので朝から贅沢をしている気分になれる。
「あ、ご飯粒付いてる」
「え?あ、本当だ。ありがとう」
「待って、私が取るわ。もう、可愛いんだから~!」
「よしてくれ。可愛くなんてないから……」
恥ずかしさに顔を赤らめると、そっとはたての手が頬に触れ、くっついた米粒を取ってくれた。彼女をお嫁に貰った男はさぞ幸せ者だろう。そう思いながら、サンカは引き続き食事を楽しみつつ、はたてとの談笑に花を咲かせた。
◆◆◆◆◆
「本当に行っちゃうの?」
「うん。人里も見てみたいしね」
食事が終わった後、サンカは出かける準備をしていた。理由は単純で、幻想郷内を探検したいが為だ。はたては危険だと出かけるのを止めさせようとしていたが、危険な場所は行かない、お昼前には帰ると約束したことで外出を許可してくれた。
特に昨日見た神社には行っていけないと念押しされている。なんでも強力な妖怪がいるらしい。
靴を履いて中折れ帽を被り、外に出る。弱い風が吹いており、気温は昨日より快適だ。
「それじゃ、行ってきます」
「いってらっしゃい」
小さくなっていくサンカの後ろ姿を見送ると、彼女はすぐさま携帯を取り出してキーをタイプした。入力された文字はサンカの名前で、ロードが完了すると現在の彼の姿が表示される。
「大丈夫。ちゃんと見てるから」
はたてはフフッと静かに笑うと、先日のような冷たさを覚える表情へと変わっていた。
―――――
山は広く深かったが、幸いなことに麓へ降りる道があった。獣道を抜けて建物が見えた方角を目指す。
(快晴だな。これなら夏も悪くない)
空は雲一つない晴天で、蝉が騒がしく合唱し続ける中、サンカは鼻歌混じりに歩く。田んぼが広がっているのは外界と同じだが、天狗の暮らしが江戸後期から明治初期の水準だったのは驚かされた。ここに住む人間もそれくらいの文化様式なのだろうかと、想像が膨らんでいく。
「うん、悪くない場所だな。いっそこっちに永住してしまおうか」
「良い案だと思いますよ。それ」
「やっぱりそう思う……ん?」
見ると隣を一人の少女が歩いていた。少女ははたてと同い年ほどで、髪型は黒髪ショート、服装は白いブラウスに黒いショートスカート、そしてここの天狗の特徴を有していた。手には微妙に型落ちらしいカメラを携帯している。
「なんだい、君は?」
「あや?案外驚いてませんね?」
「もう変な物を見るのも慣れた」
少女は変なものは失礼な、とムッと頬を膨らませた。
「へえ、こっちでも新聞があるんだね」
肩掛けの茶色いバッグから飛び出た新聞の束を見て、サンカが意外そうな声を漏らす。
「あ、そうなんですよ。良かったら購読しませんか?」
「間に合ってるんで」
「あやや?」
変わった言葉使いで残念そうにすると、彼女は気を取り直し、ペンをマイクに見立てて顔に向けてきた。少女はニカッと笑う。
「私、射命丸文って言います。早速なんですが、はたてとの関係を教えてください!!」
射命丸文、時間はかかったが、その名を聞いてはたてから教えられた偉い立場の天狗だと思い出し、帽子を取って適当に会釈する。
文は答えが帰ってくるのを期待しているのか、目をランランと輝かせている。押しが強いのはどうも苦手だ。
「……別に、僕はただの居候だよ」
「あやや?本当にそうなんですかぁ?」
「そうだけど……」
「本当ですかぁ?本当に本当ですかぁ?」
しつこい。一体どんな回答を待っているのだろうか。
はたてに拾われて居候しているだけと強調しながら説明すると、文はつまらないですね、と心底残念そうにする。
「じゃああなたの事教えてくださいよ。きっと良い記事が書けます」
「覚えてない」
そう言うとまたもやしつこく絡んで来た。
覚えてないというのは半分は本当であり、幼少期の記憶どころか、過去の記憶は一切合切がすっかり抜け落ちていた。覚えている範囲と言えば3年前くらいからであり、その頃には一人で放浪生活を送っているので期待されるような話は出来ないのだ。
こちらも本当に知らないと伝えると、彼女はフムフムと頷き、取り出したメモ帳になにやら書き込み、ついでに写真を懇願してきた。
「写真もダメだよ」
「いいじゃないですか減るもんじゃありませんし。次の新聞の特大スクープにしますので、お願いしますよぉ」
「……見出しは何?」
「記憶を失った青年の真実!実はツチノコだった!!」
とんでもない出まかせを書き込もうとしていることを知った彼は、帽子を顔に押し付けて顔を見せなくした。文は冗談と笑っているが、胡散臭い雰囲気のせいであまり信用できない。
「勘弁してくれ。時間が無くなる」
「むう、仕方ないですね。では今回はこの辺にしておきます」
文は口を尖らせて、
「それじゃ」
と言って消えた。紫のように空間に消えたのではない。超高速で飛んで行ったのだ。強い風に帽子を飛ばされそうになり、慌てて抑え込む。
「面倒なのに目を付けられたなぁ」
また遭遇しないように気を付けよう。彼は一人頷くと、再び風景を楽しみつつ歩き出した。