「ん・・・う」
冷たい雨粒が顔に当たり、衝撃でおかしくなった思考が急速に戻り始める。痛みは全く無いのだが、立てないのでどこかの骨が折れたかしているらしい。
(厄日だな)
サンカはこの先どんな処罰が待っているのかと考えて、胃が痛くなった気がした。
決して失敗できないと散々釘を刺されていたにも関わらず、仲間を死なせて目標を取り逃がした上に、自身も負傷してこのザマだ。さっさと切腹しなければならない程の失態なのだが、サーベルも途中から折れて使う事ができず、猶更情けなくなる。
(自決用に小刀を持って来るべきだったな・・・ん?)
息が出来ない。顔に溜まった水を拭い取ろうと顔に触れ、頭に何か巻かれているのに気付いて、手を止める。薄く柔らかい素材で出来たそれは包帯で、手触りは普段持ち歩いている物に似ている気がした。
包帯を巻いてくれた者は、今度は足の手当てをしてくれており、時々足に触れられる感覚があった。手で触れる面積が小さいので、どうやら子供らしい。
(地元の子に助けられるとはな。かたじけない)
片足を持ち上げて包帯を巻いている何者かに礼を言うべく上半身を起こすと、信じがたい光景を目撃してしまい言葉を呑み込む。片足を(下手くそながら)懸命に手当てしていたのは、敵対する筈の妖怪だったのだ。
妖怪はまだ子供で、背中から生えた翼からするに烏天狗か何かだ。性別は女で、顔は整っていて美人の部類に入るが、生々しい傷跡が多くて折角の美形を台無しにしている。
一言で言ってしまえば醜いその天狗が、何故敵対している人間を助けたのか。不思議に思いつつ、声をかけてみる。
「おい」
「!」
何をしているのかと尋ねると、天狗は物凄い速さで距離を取った。動けないのを知らないのか、手頃な枝を持ってユラユラと振りながら威嚇している。
鍛えられた兵であるサンカにとっては滑稽に映るが、子天狗の表情は怯えており、近頃の人間がただ妖怪に襲われる存在ではないと理解している様子だ。
「そう怯えるな。取って食ったりはせん」
「・・・ほ、本当に?」
雨に消え入りそうな酷く弱々しい声だ。透き通っていて鈴を転がすような美しい声なのが非常に惜しい。
仰向けが辛くなってきたサンカが感覚のない左腕を器用に使って座ると、天狗が声を上げた。
「あ、足が・・・」
「足?ああ、これじゃ歩けない訳だ」
「痛くないの?」
「痛い?そんな感覚は俺にはない」
手当の途中で中途半端に包帯が巻かれた足を見ると、膝下の中間辺りから骨が折れて飛び出していた。なる程、これでは動けないのも当然である。
痛くないのは勿論やせ我慢ではない。生まれつき痛みを感じず、どんな怪我を負っても平気という体質のせいなのだ。おかげで随分気味悪がられたが、戦となればそれが利点になり、敵将をゴリ押しで打ち取った事も何度かあった。
「早く行け。仲間に見つかったら無事じゃすまない」
警告すると、名も知らぬ子天狗は何度か小さく頷いて飛び立っていった。子供だというのに自力で飛行できるだけの力を持っているのだから、人に似ているがやはり決定的に違う生き物らしい。
「おーい、無事かー!」
「ここだ!足が折れて動けん!」
サンカは呼びかけを行いながらやって来る仲間に対して返事をしながら、何時までも天狗が飛んで行った方向を眺めていた。
◆◆◆
それから数日後、彼は捕らえた人外達を収容しておく施設に居た。流石に重大任務を失敗してしまったので、早い噺が左遷されてしまったのだ。
命を捨てずに済んだのは、お偉いさんが義弟だったからだろう。かなり冷たく扱われたが、普段通りなので別に気にしてはいない。
(臭いな。掃除もしてないのか)
元々はこの国を支配していた将軍の命で作られた施設だった事もあり、中々に作りは凝っている。だが収容されていたのは犬や猫や良くわからない舶来の畜生共だったので、本来の用途で使われなくなった今でも、鼻が曲がってしまう程の激臭が充満していて辛い。
国の予算を作ってまで保護する思想はご立派だが、蚊一匹潰すだけで島流しにしてしまうのはやりすぎだし、保護自体も人間の傲慢さ此処に極まれりで虫唾が走る。救いなのは次の将軍が比較的真っ当な思考だったくらいか。
「それでこんな辺鄙な所までねえ」
「よりにもよって新大陸に逃げたらしくてな。手も足も出せないし屈辱だ。こんな場所に飛ばされるなんて・・・」
「新兵の稽古の的にされなくて済んだのだから、良しとしなさい」
先導する老人は杖を突きながら、サンカの話しを聞いて苦笑いした。
結局羅刹は捕り逃した後、港に停泊していた貿易船に紛れ込んで遠い異国へと脱出してしまったと、伝令隊に聞かされた。もう追うことは二度と叶わず、下手に手出しすれば同族で殺し合いをしている余裕も無くなるだろう。
「丁度新しいのが来たらしい。見に行くかね?」
「ああ」
俄かに騒がしくなった外に出てみると、新たに捕らえられた妖怪や物の怪が自由を奪われた状態で歩かされていく所だった。
ヨタヨタと行進する列をボンヤリ眺めていると、その中に見覚えのある顔が混じっているのに気が付いた。薄汚れてくたびれた赤い服に、整った顔立ち。間違えるはずがない、数日前に治療を施してくれた子天狗だ。
「あの娘は?」
「若い衆の慰み物になるか、砕いて畑の肥やしといった所かね。精々人間様として生まれなかった自分を呪うが良い」
老人はいい気味だと笑い飛ばして何処かへ歩いて行ったが、サンカは不快感を伴いつつどうにか助け出せないかと思案していた。別に妖怪がどうなろうと知った事ではない筈なのだが、どうしてかその子供だけは生きてほしいと強く願い始めてしまい、頭から離れない。
「同情か・・・歳をとったもんだ」
彼は子天狗の後ろ姿を見送ると、思いついた計画の準備の為に、宛がわれた部屋へと向かった。