一昨日アップロードした際、誤って準備稿を上げてしまいました。本文は既に修正済みですが、混乱を招いてしまった事をお詫びいたします。
今後も幻想怪奇目録を宜しくお願いします。
あの男の言うことを素直に聞いておくべきだったと、鎖に繋がれた子天狗は後悔した。
飛び立ちはしたのだが、無事に仲間と合流できたか気になってしまい、戻ってきた所を捕まってしまった。幸いにも乱暴こそされなかったが、麻袋を被せられて何処かも分からぬ場所に連れてこられてしまったので、家に帰ることもできなくなってしまった。
覚えている限りではあるが、現在に至るまで碌な目に合っていない。
仲間外れにされるので友達と言える相手はおらず、家に居れば親に頻繁に殴られる。親からの暴力は愛情表現だと教え込まれたが、よその家の子天狗達が手を繋いで歩いているのを見ると、何故か悔しくて仕方なかった。
(なんで私ばっかり)
一体自分が何をしたのだと、蝋燭が照らし出す低い天井を仰ぎ、素知らぬ顔をして時間を進める世界への憎悪を爆発させた。
「やかましい烏だな。焼き鳥にして・・・・ん?なんだ、用事でもあるのか?」
外で見張りが何者かとやり取りしているのが聞こえ、叫ぶのを止めて聞き耳を立てる。
どうやら相手は男らしく、最近何処かでその声を聞いた覚えがあった。
「ちょっとな。ここに5両ある。やるから向こうに行っててくれ」
「お、今日はツイてるな。ありがとよ」
暫くして一人分の足音が遠ざかり、扉が鈍い音を立てて開く。
扉の向こうには小さなランプを持った男がいて、狭い入口を屈みながら部屋に入って来ると、開口一番、
「窓もないのか?・・・酷いな」
と嫌そうに唸った。
男は西洋式の装備で武装しており、足音を殺して目の前まで来て屈むと、手に持ったランプを顔の高さまで持ち上げた。
思わず眩しさに目を細めると、彼は申し訳なさそうにランプを床に置く。
「お前、あの時の天狗か?」
「え?・・・」
俯いたまま上目遣いに声の主を確認すると、例の男の顔が煌々と灯りに照らされていた。胸をなで下ろし、無事で良かったと安堵の息を漏らす。
「何故助けた?殺されていたかもしれないのだぞ?」
男はとても不思議そうにしたが、それも当然だろう。彼らは立場上、数多くの妖怪や物の怪達に恨まれているのである。それなのに妖怪が憎悪の対象である彼の怪我の手当てをし、更にはその身を案じるなんて理解しがたい筈だ。
大人の前ではどうしても息が詰まるし、身構えてしまうが、それでも辿々しい言葉遣いで彼の疑問に答えた。
「だ、だって・・・苦しそうだったし、それに・・・」
「それに?」
「・・・誰かが、誰かが目の前で・・・し、死ぬのは、嫌だから」
「ふむ・・・うーん」
男はなにも読み取る事のできない能面顔のまま、底が見えない程の闇を湛えた目で考え始めた。その双眸は潤んだはたてを映していて、まるで心の中を見透かされている気分だ。
「そうか。ふむ」
暫し互いに沈黙したまま見つめ合っていると、男は唐突に右腕を上げた。殴られると思い、咄嗟に痛みに耐えるべく目を瞑る。
だが、殴られる訳でも叩かれる訳でもなく、頭を静かに撫でられる感覚を感じて目を開けた。男の暗く死んだ目と能面のような顔はなりを潜め、小動物を愛でる時の、とても優し気な表情を浮かべていた。
少し肌の荒れたその手は大きくて暖かく、どうしてかささくれ立った気分がとても安らぐ。
「感謝する。それと、お前の願いを何でも一つ叶えてやる。勿論出来る範囲でだが」
「え?」
「助けてくれた礼だ。もしあのままだったら、今頃野犬の餌になっていたからな。願いは―」
「帰りたい・・・お家に帰って、お父さんとお母さんに会いたい!」
「・・・逃がせと?」
しまった、と子天狗は顔を青くする。ついそのまま望みを言ってしまったが、捕まえた獲物を逃がすなんてお人好しでは無いだろう。
子天狗は怒らせてしまっただろうかと思考を巡らせていたが、男は慣れた手つきで錠を外し、汚れるのも構わずに片膝を着いて、そっと手を差し伸べた。
「承知した。その願い、叶えてやろう」
「ほ、本当にお父さんとお母さんに合わせてくれるの?本当にお家に帰してくれるの?」
「嘘を言ってどうする。さあ、立てるか?」
誰かに心配されるなんて、誰かに手を差し出されるなんて、そんな事一度だって無かった。何かの罠かも知れないとは思ったが、今はただ、彼の傍らに居たかった。
子天狗は頷いて、あふれ出す大粒の涙を拭いながら、男の手を強く掴んだ。
◆◆◆◆
「ね、ねえ、誰も私達を追いかけてこないけど・・・」
漆黒の闇が迫る空の下、二人は手を繋いで施設から抜け出した。外の風景は子天狗の記憶に新しく、男が持ち出した地図で家までの道のりも判明したため、道に迷う事は無いだろう。
何の妨害も無かったのが不思議だったが、男は
「皆やっつけたからな」
と軽く流してしまい、それ以上は語ってくれなかった。今まで気づかなかったが、夕焼けで見えるようになった彼の頬には、ベッタリと赤い粘着質な物が付いていて、まるで赤鬼を連想させる。
普段ならその風貌を見れば恐ろしいと思うだろうが、手を引かれているせいで妙な安心感があり、逃げようとは考えなかった。
―キュウ
張りつめていた緊張が解けたのか、何か食べさせろと腹が文句を言い出す。すると男は歩みを止め、懐から真っ白な包みを取り出した。
「口を開けてごらん」
「?・・・ッ!!」
言われるがまま口を開けると、男は包みの中から白い小さな粒を2つ取り出して放り込んできた。子天狗は驚いて吐き出しかけたが、その粒はとても甘くて、すぐに夢中になった。
「旨いか?」
「・・・うん」
「良かった。足しにならないと思うが、今はそれで我慢してくれ。もう少し歩いたら腹に貯まる物を食べさせてやる」
男は休憩がてら飴を頬張る彼女を見つめていたが、ふと思い出したように尋ねてきた。
「そういえば名前は?」
「ふえ?」
「名前だ。それくらいあるだろう?」
そういえばそんな物があった気がする。名前で呼ばれた事は少なかったので忘れかけていたが、自分を自分たらしめているその文字列を、彼女は男に教えた。
「はたて・・・姫海棠はたて」
「良い名前だ。俺―いや、僕は箕作サンカ。約束しよう。僕は何があっても、君を守り抜いてみせる」
天狗を連れて部隊から脱走した彼は、もう元居た組織には戻れないどころか、追われる身に転じた事を意味している。そこまでしても守り抜くと言い切ったサンカに、誰かに尽くされた事のなかったはたては一瞬で心を奪われ、気持ちが高ぶるのを感じ取った。
「どうしたんだ?顔が赤いぞ」
「な、何でもない」
鼓動が高鳴り、別の意味で息が詰まる。首を傾げるサンカに心の内を悟られないよう、はたては無くなりつつある飴を楽しむ事に専念した。