とうとうたどり着いてしまった。堂々たる風格を漂わせる漆塗りの大門をくぐり抜け、松明が煌々と照らし出す里へ二人は踏み込む。
石畳が敷かれた大通りに宿や茶店が並んでいるのは人街と同様だが、規模がどれも巨大で、往来する天狗達には活気がある。当たり前ではあるが、彼らには皆黒い翼か白い尻尾が生えていて、そういった物のない、所謂人間らしい姿をした存在はいなかったし、かと言っておどろおどろしい風景という訳でもなかった。
(なんというか、思っていたよりも普通だな)
はたてに手を引かれながら、サンカは麻布の隙間から周囲を伺う。彼は人間であるため、話を通す前に正体が露呈して騒ぎが起きる事を考慮し、暫くは麻布を被ってやり過ごす事に決め込んでいた。本当ならこんな場所に長居はしたくないのだが。
「ん?おい、そこの」
道端で飲んだくれていた天狗達から声を掛けられ、その中から一人の男が徳利片手に千鳥足で歩み寄って来た。まさか早々に正体がバレてしまったのかと思ってサーベルに手をかけたが、男はサンカには目もくれず、隣にいるはたてを見て目を丸くした。
「おお、はたてじゃないか!今までどこに行ってたんだ!?」
「あ・・・お、叔父さん」
呼び止めた烏天狗ははたての親戚だったらしく、彼女はどもりながらもやり取りを始めた。酷く怯えているのが気がかりだが、その親戚が手を出す気配は今の所無いので傍観に徹しつつ、警戒は強めておく。酔っ払い相手なのでなかなか話は終わりそうに無い。
(しかし、一体これはなんの匂いだ?)
サンカは暇を持て余しつつ、辺りを漂う香りを嗅ぎながら眉をひそめた。しつこい脂の匂いからすると肉を焼いているらしいが、それに加えて形容しがたい臭気も感じ取れる。彼らが吸っている煙管が発生源らしいが、煙草にしては匂いが違い過ぎる―
「なる程・・・兄ちゃん人間なんだな、ついて来いよ」
思考を遮られ、顔を上げる。男はニタニタ笑いながら親指で薄暗い路地裏を指し示し、先に歩を進めていった。はたてに聞いてみれば、事情は理解したと反応した所から考えるに、一緒に説得してくれるらしいとの事だ。
(何かくさいな)
嫌な予感はする。だがこの場で油を売っていても仕方ないし、一人で行かせるのも一抹の不安があるので、後を着いていく事にした。
幸いにも路地では旅路で訪れた街のように死体は転がっていなかったが、何かしらの病に犯されたらしい者達が、茣蓙の上で今にも事切れようとしている。しかし、如何にも息絶え絶えな様子にも関わらず、何故かその表情は明るく、不審な挙動をしている者もいるのが妙に引っかかった。
「着いた着いた。さあ入れ」
訝し気に路上の者達を観察していたが、路地が急に広くなり、とある屋敷の前に出た。屋敷は一目で分かる高級そうな造りであるが、周辺の重い空気もあってか不気味な雰囲気を漂わせており、立ち入るのを躊躇してしまう。
「歓迎するぜ兄ちゃんよ。でだ、知ってる事全部話してもらうぜ」
叔父が態度を一変させた。同時に後頭部へ強い衝撃を受けて膝をつくと、皮膚が切れたのか、生暖かい感触が首筋を伝って滴り落ちて行く。サンカは騒ぎが大きくなるのも辞さず、反撃のため拳銃を抜き取ろうと腰へ手を伸ばした。
が、伸ばした手は普段拳銃を下げている場所を素通りした。おかしいと思って手元を見ると、ある筈の拳銃がケースごと消えている。
そういえばはたてに預けたままだったと思い出したところで、首を人間の比ではない握力で締め付けられ、意識が混濁し始めた。呼吸ができないのもあって体も満足に動かせず、ただただなされるがままだ。暗くなってきた視界の先には、自身の2倍の巨躯を持ち、筋骨隆々な腕に返り血を付けた男の天狗がいる。
「は・・・たて・・・」
サンカは叔父に押さえつけられて泣き叫ぶ少女の名を呼びながら、暗黒の世界へと意識を落とした。
◆◆◆◆
「このクソガキがぁ!」
怒号と共に風景が一回転して床に叩きつけられる。両親がいる部屋へと連れてこられたはたては、体中に青痣を作っていた。叔父は彼女を放り込んだ後、母親から阿片膏を受け取ってさっさと帰ってしまったし、母親と言えば、暴行を受ける娘には目もくれず、紫煙をくゆらせ、鬱陶しそうに小判の枚数を数えている。
そして今、はたてに暴行を加えているのは彼女の父親であるが、はたてには血のつながりはなく、本当の意味での父親はとっくの昔に死んでいた。
「どこ見てんだああ!?」
顔に蹴りが入るが、はたては鼻血を出しながらも泣きそうになるのを堪え、父親を睨みつけた。サンカを家で匿うお願いをするつもりだったが、家主の父親は酒に酔っていてとても話なんてできないだろう。
「チッ・・・ガキがなんて目をしやがる」
父は初めて見る娘の反抗的な態度に怯んだのか、唾を吐きつけると部屋を出て行く。
(・・・お兄ちゃん)
はたては二人に対し、生まれて初めて強い憎悪と殺意を抱くと共に、連れ去られたサンカの身を案じた。あの図体の大きい男は親の何方かが雇ったと思われるので、この屋敷の座敷牢辺りに閉じ込められている筈だ。
親の言動や常識が必ずしも当たり前ではないと、サンカと過ごした短い時間でうすうす察していた。それでも彼多少は残っているだろう親の良識を信じて此処まで来たのだ。だが―こんな男を父として慕っていたのか、こんな女を母として慕っていたのか。今となっては自分までも憎たらしく、恥ずべき存在だと感じてしまう。
(こいつらのせいで・・・)
はたては顔に付いた唾を拭きとって起き上がり、我関せずの母親へと軽蔑の眼差しを向け、自力で手当てを始めた。