重く陰鬱な暗雲立ち込める昼下がり、号令に付随して足並みを揃えた兵達が前進を始めた。それはまるで田畑を喰らい尽くす蝗の大群を連想させ、周囲は蹂躙され尽くし、通った後には何も残されていない。
膨大な数の新式兵器と戦術を備え、目につく物を手当たり次第破壊していく様は、人間の強さと狡猾さを誇示すると共にその愚かさをも示している。
「用意整いました。何時でもいけます」
何も知らずに前進を続ける敵を離れて見物していると、白狼天狗が声を掛けてきた。彼はずさんに手入れされた大刀と紅葉があしらわれた防盾を装備しており、何時でも敵陣に飛び込める万全の状態をとっている。
「うむ・・・しかし、弾幕が使えない者がこんなに居るとは」
後方に目をやると、武器の手入れや遺書を書き綴る天狗達がおり、一人が視線を感じたらしく手を振った。
彼らにも使えそうな武器をあるだけかき集めて持たせているが、飛び道具は旧式で粗悪な火縄銃から一部の天狗のみが行使できる弾幕、近接武器は錆びた小刀から薙刀までと玉石混交状態である。目的が撃滅ではなく足止めなので引っ張り出した武器でも心強いが、所詮は`素手よりはマシ´の域だ。役に立つかは神と彼らの腕が決めてくれるだろう。
片手が使えないサンカの代わりに、白狼天狗は小さく手を振り返す。
「貴方方との戦いで数を減らしましたからね・・・今では数える程度しか」
口をつぐみ、申し訳なさそうに目を伏せる。サンカは当然の意見だと水に流しつつ、新調した義足から小さな金属音を立てて座る。
すると白狼天狗は時間を潰すためか、文が撮ったらしい写真を見せてくれた。映っているのはまだまだ小さい赤ん坊で、はたてには無い大福のような真ん丸加減と、小さな狼の耳が愛らしい。聞けば二月前に生まれたばかりだそうで、やんちゃっぷりに日々手を焼いているそうだ。
「名前はなんと言うんだ?」
「椛と言います。将来は立派な白狼天狗になってほしいと思いまして」
「良い名前を付けたな。大きくなってからが楽しみだ」
「・・・この選択に後悔はしていないのですか?彼方側にいれば官軍になるのは確実。それを投げ捨ててまで、何故賊軍である我々の味方をするのです?」
神妙な面持ちで言うと、理解できないといった具合に首を振った。多少の疑念と差別心が垣間見えたが、心配しているつもりなのだろう。サンカは敵の様子に睨みを利かせながら、小さく笑い飛ばす。
「なんて事はない。ただ約束を守るためだけに此処に居る。あの娘・・・はたてとの約束のためにな。生憎細かい事を考えるのは苦手であるし、それに―」
「それに?」
「敵が多ければ多い程、強ければ強い程、後の時代にも名を残せる。あの娘にも自慢出来るってものさ。理解はされないだろうが」
らしくない強がりだとは思う。四肢の内唯一残った生身の部分が情けなく震えており、先程から抑えるために力を込めている。戦を続ける為に封じ込めていた人間らしさを解き放った序でに恐怖心も蘇ったのか、死の淵へと赴くのがとても恐ろしく、逃げ出したい気分にもなった。勿論、はたての無事が保証できなくなるので実行に移す気は更々ないが、それでも怖い物は怖いのだ。
「射程に入りました。指示を」
「・・・」
「サンカさん?」
「・・・あ?ああ、よし。1番から4番、放て!」
天狗の耳がピクリと跳ね、番号を当てがわれた者達が銃を撃つ。弾丸は遠方の兵の頭に命中して赤い霧を噴出させ、足並み揃えた隊列を崩し―ていなかった。
元を辿れば、金に釣られて集まってきた連中の寄せ集めで編成された部隊。所詮は烏合の衆である。一度でも調子が乱れれば芋づる式に指揮系が崩壊し、同士討ちすら始めてしまう危うさがあるのだ。だが、ハチの巣を突いた状態へと変貌する訳でもなく、取り乱す事無く味方の亡骸を踏みつぶし、粛々と前進を続けている。
「どういう事でしょうか?まるで応えていませんよ?」
白狼天狗が驚きの声を上げるが、そんな事はサンカにも分からなかった。考えられるとすれば餓鬼が能力を使用しているくらいだが、見た所戦列には加わっていない。
とすれば、双方に節目となるこの戦を見届けるために参加しているであろう義弟の護衛にまわっている筈だ。用心するに越した事は無いが、一度に投入できる数はそう多くはないし、精々2体が限度だろう。
「これは憶測だが、本当に討つべき敵は此処に居ない」
「いない?」
「あの人間達は恐らく操られている。どんな手を使っているのかは知らんが、餓鬼が絡んでいるのは間違いないだろう」
「なら私が探してみましょうか?千里眼が使えますので・・・」
「頼めるか?」
「分かりました。失礼しま―」
白狼天狗が身を乗り出そうとした瞬間、銃弾が肩を貫いた。彼は顔をしかめながらサンカを下敷きにするが、うめき声一つ上げずに堪えている。
「くっ!」
「傷を見せてみろ。応急処置を・・・」
傷口を抑える手を退かすと、猛烈な腐臭がした。肉は溶けて緑色のまだら模様が浮き上がっており、明らかに腐敗が始まっている。サンカは驚愕の表情のまま、傷の周りを小刀で削りとって捨てた。
「おおい人間さん、こりゃいったい」
「俺にもわからん。指が惜しければ触るな」
方言の強い天狗が指を慌てて引っ込めた。
銀ならまだしも、ただの鉛玉は妖怪の肉は溶かさない。この弾は見覚えがあり、しかもある人物の手で作られた特別製なのだ。これを運用しているということは、読みが半分当たっていた証拠にもなる。
「まさか大将首も居たとはな。少しはやるようになったか」
凶弾が飛来した方向を睨む。その先には、不愉快なニヤケ面をした男がいた。