第一話 From electron to soul
『尖兵計画。それは瀞霊廷で立案された、死体に戦闘用の擬似魂魄を入れることで対虚用の尖兵として戦わせる計画のことである』
『だが、その計画は中央四十六室によって中止を言い渡された。その理由は「死体を戦わせるという非人道的な計画である」と、真央霊術院の霊界歴史学の授業で学んだ事だろうと思う』
『しかし、そうした事実こそが瀞霊廷における倫理観の欠如というものが強く浮き彫りになっているのである』
彼らは「死体を戦わせる」という事実を非人道的だと捉えている。その点は私も異を唱えるつもりはない。私が危惧しているのは、「戦闘用の擬似魂魄」という存在を、彼らは受け入れていることだ』
『果たして、我らの都合によって魂を生み出し、彼ら魂の意思の有無を初めから度外視して戦わせる…それは人道的行為なのだろうか?』
『私が知りうる限り、尖兵計画の実行前段階において、戦闘用魂魄の運用についての議論が交わされたことがあっても、戦闘用擬似魂魄達の意思・権利についての議論が交わされた試しがない。魂魄である以上、彼らは義骸のような道具ではない。我々と同じ魂なのだ。それなのに、なぜ彼らのみが、意思の自由なく戦わなくてはならないのか』
『尖兵計画は幸運なことに中止となり、その計画は無へと消え去った。
だが、義魂丸という改造魂魄の製造は今も行われている。その用途は、現世任務の死神が虚を退治するために義骸を抜ける時、現世の人間に怪しまれないよう、義骸に入って人間に成りすますためである』
『用途だけ聞けば、尖兵計画よりも人道的に聞こえる。だが、製造される魂魄は、技術開発局によって生まれながらに思想も、意思も、存在理由も全て書き換えられた存在である。それに加え、魂魄の元である義魂丸はケースの中に乱雑に詰め込まれた、使い切りの魂である。中央四十六室のみならず、瀞霊廷の死神はこの存在を当たり前のように受け入れている』
『人道を語るのであれば、使い切りの魂魄という存在について見直す必要があるだろう。我々の恣意的な目的のために、悪戯に魂魄を作り出すのを止めるか、あるいは…
生み出した魂魄達に強い尊重と敬意を持ち、共に生きていくべきだろう。
それこそ、死神と斬魄刀のような、強い絆で結ばれるような関係として』
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「…とまあ、この本は無駄に頭をこねくり回すだけ回すことを娯楽としている、道楽学者の滑稽本の一種だヨ」
人間とはかけ離れたレベルの色濃い化粧を顔に纏い、背中に十二の文字が書かれた白い羽織を背負った一人の死神は、手に持った地味な表紙を持った分厚い本を片手で閉じた。
その死神の背後に佇む人物…頭に小さな二本の角を持つ男性が、自らの上司であるその死神に向けて疑問を発した。
「滑稽本の分類はともかく、隊長が魂魄倫理学関係の本まで集めていたとは驚きでしたよ。まあ隊長の書斎の本の数からして、研究用に使う本だけじゃないとは思ってましたけど」
「一万の凡人が頭をこねくり回して、億の文字を書いて本を提供してくれるならば、天才が使う資料の一つにもなってくれるというものだヨ。下らない論を中央に朗々と並べ、真に価値のある情報を端に追いやる暗愚さまでを、透かして見なくてはならないのは苦痛の一言に過ぎるネ」
「だが、この本に載っている『真に価値ある情報』こそが、お前が見つけたという『特異魂魄』の解析に充分役立ってくれそうだネ」
そう言うと、「隊長」と呼ばれた厚化粧の死神が、手に持った本を角の持つ男性に手渡した。
男性は素直に受け取ると、その本をパラパラとめくり…先ほど隊長が見ていた辺りのページのあたりをつけて、そこの内容を目で追った。
「…現世の倫理学の話ですね。……『AI』の人権問題…ですか?」
首を捻る男性に対し、隊長はゆっくりと振り向いて訪ねた。
「阿近。AIという存在については知ってるかネ」
「大分前に、現世学好きの十二番隊員が話しているのを聞いたっきりですね。人工的に作られた知能ってやつだったはずですが…まさか」
阿近と隊長から呼ばれた男性は、眉根を寄せて困惑気味の声を出した。
「ありえるんですかね…そんな存在が『魂魄』を持っているなんて」
「科学的に可能性を探るとしたら、魂魄を持つ通常の人間との接触による霊子影響を受けるだとか、色々考えることはできるがネ。あいにく、現世の魂魄事情に関してはまだ研究の範囲外だ。AIに魂魄が本当に宿るか否かの議論は道楽学者の凡人どもに任せるヨ。我々からすれば、必要なのは確定の情報ではなく『可能性』だけで充分だ。可能性さえあれば、あとは解剖と実験で明らかにするだけだからネ」
ニィという化粧と相まって非常に気味の悪い笑顔を作った隊長は、阿近から本を受け取るなり棚にしまう。そして右方面にある映像受信機の方角に視線を向けた。
阿近も同じように映像を確認し…二画面に分割されたそれぞれに映っている二人の魂魄の姿を確認して、呟いた。
「…しかし、どうしてこれがAIの魂魄の可能性があるって思ったんです? 俺はただ単に西梢局の方の魂魄が紛れ込んでいるだけだと思ったんすけどね」
阿近の呟きに対し、隊長は軽快に盤のキーボードを叩いてもう一つのモニターを起動させた。そのモニターに映っているのは、二通りのよく似た波線のグラフだった。
「外見だけ判断すればそう思うのも無理はないネ。だが霊圧パターンに関して言えば、西梢局の方の魂魄とは似ても似つかない。比べるならまだ我々の魂魄形態の方が近いヨ」
「そうですか。流石に俺は西梢局の魂魄データまでは見たことなかったっすから、勘違いしました。…でも似てるとは言ったって、明らかにパターンが特異的…というか霊圧があまりにも
「『機械みたい』だネ」
隊長の放つその言葉に、阿近は顔を上げた。眉根を寄せて腕を組み、考え込もうとするより早く、隊長はスルリとモニターの前から離脱した。
「興味深い存在だネ…だが、私の中で既に解剖台の予約を埋めてしまっているのが残念だ」
「…他に何か研究計画があるんですか?」
「この
「…了解しました」
一つ頷き、局員召集のため去っていく阿近を最後まで見送ることなく…技術開発局局長をも兼任しているこの隊長は、『特異魂魄』の二画面映像はそのまま…更に隣のモニターに、
(本研究となる完現術者…箸休めの研究にもなりえる『特異魂魄』…どちらも流魂街に潜伏しているとは、悪くない条件だネ)
(あの実験体が充分に働いてくれるのならば…纏めて捕らえる段階まで行くのもやぶさかではない、か)
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幼い少年は、走っていた。
ただしその走りは、目的地だけを見定めた一方通行のものではなかった。
足だけではなく、瞳を必死に左右へ動かし、探していたのだ。この世界において、初めて出会った『恩人』と思える人物を。
(どこ…どこなの!? お婆ちゃん…どこ!?)
彼が走っている場所は、不自然に
勢いよく息を切らし、時に勢い余って転びながらも、とにかく「お婆ちゃん」と呼ぶ人物を探していた。
…少年が探し求める人物は……既に霊子の塵となり、空に還ってしまっていることを、少年が知るのはもう少し先───。
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自分と同じようにこの地…流魂街にやってきた人間は、他にもたくさんいた。だが、その中で自分だけ、髪の色と目の色が明らかに違った。
そのことをさりげなく尋ねられても、自分には何も答えられなかった。
少年は、自分の名前以外何も覚えていなかった。
周りの皆は、自分には親がいたことも、自分がどのように死んだのかも、どのようにしてここに来たのかも、覚えていたというのに。それに加えて唯一自分を証明する名前ですら、周りの皆とは一線を画すような独特の名前であったことが、より一層疎外感を覚えた。
視線が、耐えられなかった。
言葉では何も言われなかったが…奇異の視線も、軽蔑の視線も、少年にとっては痛く、不快なものだった。それに心細かった。周りの皆も、基本的に知り合いのいない初対面ばかりの人たちであった。だが、誰一人自分のことを知らない。自分自身すらも、自分を知らない。そんな人間は、やはり少年だけだった。
黒い服を着た人によって振り分けられた居住区のどこに行っても、周りの人々の視線が怖くて、少年はひたすらに歩き続けた。恐怖によって敏感になってしまった体は、ヒソヒソと話す周りの人の声でさえも脳髄に響き、少年の足がどんどん早くなった。
だが、そのうち歩き疲れて…喉も渇いて…
次に少年が目を覚ました時、目の前に見知らぬ老婆の顔があった時には、口から心臓が飛び出そうなくらい驚いた。
でも…その老婆の心から少年のことを心配している顔。その優しい眼差しは、少年がこの世界に来て以来、初めてのものだった。
老婆はどこかほっとしたような顔で、水を差し出した。少年は、一瞬だけ躊躇したが…喉の渇きに抗しきれず、受け取るや否や勢いよく飲み干した。渇きが潤され、勢いのまま口から溢れた雫を感じるのと同時に、少年の脳が落ち着きを取り戻してきた。少年は慌てて、床につけんばかりの勢いで頭を下げてお礼を言う。そんな少年を老婆は優しく抱き寄せて、「元気になってよかったねえ」と言ってくれた。
老人特有の甘い匂いと、間近に感じる老婆の鼓動が、孤独と視線に凍えていた少年の心を暖かく溶かしていった。
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それ以降、少年は老婆と共に暮らすことを選んだ。
老婆は現世で孤独死した経験があると語り、「あなたさえよければ、一緒に暮らしてくれると、寂しくなくてお婆ちゃんも嬉しいんだけどねえ」と老婆が語ってくれたのを聞き、少年はすごい勢いで頷いた。
老婆との生活は、雑談の時間が大半を占めていた。雑談とは言っても、そのほとんどは老婆が現世で過ごした経験を少年が聞くのがほとんどだった。「僕には記憶がない。どうやって生きたのかも、どうやって死んだのかも覚えてない」と少年が語ると、老婆は「そうかい…」と言いながら、優しく頭を撫でてくれた。
「私がこうして、あの世に来て思ったのはね…生きているうちには曖昧にしか感じられなかった『魂』というものがね…こうしてしっかりと感じられるのは、とても不思議で…素晴らしいことだってこと」
「あなたにも、今こうしてしっかりとした『魂』があるでしょ? …きっと、あなたの魂は全て覚えているはず。だから、必ず思い出せる。大丈夫。焦らずゆっくり思い出しなさい。おばあちゃん、死神の人に聞いたけど、ここでの人生は現世の時より長いらしいから、ね」
老婆の話を聞いて、少年は励まされた。だが、少年にとって必要なのは、励ましだけではなかった。
通常、流魂街の人間は霊力がそれほど高くないので、基本的にお腹は減らず、水さえ飲んでいれば生きていける。だからこそ少年が、控え目な言葉で空腹を訴えた時は、老婆は少し目を丸くした。…が、すぐに優しい笑顔になると、「ちょっと待っててくれるかい?」と、少年の頭を優しく撫でて、小屋から出ていった。
だが、意外にも「ちょっと」どころではない時間であった。
老婆が5時間後に戻ってきた時には、少年は老婆を心配するあまり小屋の外で延々ぐるぐる回っている姿があった。飛びついてきた少年に対し、「ごめんねえ、一番区まで行くのは久しぶりで、ちょっと道に迷っちゃってねえ」と言うと、背負っていた風呂敷を開いた。
「お婆ちゃん…これは?」
「見たことないかい? まあ、生まれの国が違うなら、仕方ないかもねえ。これは『甘納豆』っていうお菓子でね。一番区に住んでいる私のお友達が作っているものを、分けてもらったんだよ」
髪色と瞳から、少年のことを外国出身だと思った老婆が教えてくれた。
少年がそのお菓子を見た第一印象は、あまりいいものとは思えなかった。
だが「空腹は最高のスパイス」とはよく言ったもので、一つ食した少年が目の色を変えてあっという間に平らげてしまう姿を、老婆は微笑ましく眺めていた。
飢えが満たされた少年に、老婆が話したところによると…お腹が減るということは「霊力」というものがある証らしい。その「霊力」というものが何かよく分からずに首をかしげる少年。老婆は朗らかに笑う。
「じゃあ…きっとあなたは『死神』になれる素質があるのねえ…凄いじゃない」
「『死神』…前にもお婆ちゃん言ってたけど……『死神』って、何なの?」
「黒い着物を着て、刀を持った強い人達だよ。悪い魂から、私たちを守ってくれるのさ」
「…カタナ?」
「剣…って言った方が、分かりやすいかね?」
剣。少年は、もう一度反復して呟いた。
何か、自然と指が動いてしまう。記憶にない言葉のはずなのに…自分の口は、何だか滑らかに動く。
この時から、少年は何となく記憶にない自らの前世…ともいうべき時間について、意識し始めた。
同時に老婆の語る『死神』という存在も…少年の心の片隅に、一点の跡を残した。
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少年は、井戸への水汲みが日課となり、週に一回の割合で、一番区へ食料を貰いに行った。
小屋にいてもすることはほとんどないし、せめて少しでも老婆に楽してほしいという思いから、水汲みを始めた。
食料に関しては、そもそも自分に必要なものなのに、往復5時間かけて老婆に歩かせるのは流石に心苦しかった。だから、一度老婆に知り合いの家とやらを教えてもらい、せめて自分の食料は自分で、ということで通っている。
少年と共に暮らす老婆の友達、という風に聞いていたが…その人物も老婆であった。
初めて紹介されたカチコチに固くなっていたものの、「うちの孫と同じ瞳の色をしてるねえ」ということで大変気に入られたらしく、
甘納豆のみならず煎餅や羊羹など、少年にとっては未知なるお菓子をたくさん頂いてしまった。少年はカチコチに固くなる暇もなく、思わず慌ててしまった。老人の気遣いを前にして、若者はなすすべもなく甘えるしかないと、少年はこの時学んだ。
小屋に戻れば、頂いたお菓子を老婆と共に食べつつ、少年は話を聞く。老人の話というものは長く朗々としていて、若者によっては不快に感じることも多いが、少年は集中して聞き入っていた。たわいもない現世での老婆の経験だが、少年にとってはまるでお伽話のような響きを持って、認識された。
そんな生活をすること一ヶ月。少年は、とあることを自覚し始めた。
自分の心に空いている『穴』のこと。
「ねえ、おばあちゃん。人が二人一緒に死んだ時って、この世界でも…その二人は、近くに住んでいるのかな…」
「いや…死んだ月日に関係なく、私たち死者が振り分けられる地区は運任せだって、聞いたねえ」
「…そうなんだ」
老婆からしてみれば、単なるちょっとした少年の疑問だと思ったことだろう。
だが、少年にとってはとても大事な質問であった。この一ヶ月過ごす中で、少しずつ持ち上がってきた感覚。記憶はない。覚えはない。だが、自分の心から抜け落ちてしまった感覚を、思い出してきたのだ。
(…僕は……誰かと、一緒だった。…誰か、大切な人と一緒に、ここに来て…そして───)
(…そんな、気がする)
すくった砂が、手からこぼれ落ちる。今の少年の心境は、まさにそんな感じであった。
記憶とは違う感覚。喪失感。ここに来た当初に感じた疎外感や孤独感も、それと密接に関わっているのかもしれない。
そしてなおのこと少年を苦しめたのは、記憶がないが故に、喪失感の理由が分からないことだ。少しずつ思い出していけばいい、と老婆はアドバイスしてくれたが、それでも…時折少年は堪えきれなくなって、強く胸を抑える時間が増えた。
日に日に体をざわつかせる喪失感が抑えきれなくなった少年が、勇気を持って老婆に話を切り出したのは、それからさらに一ヶ月後のことだった。
「お婆ちゃん。…僕、遠くまで歩いて、色々と、見に行きたい。…この世界のどこかに、僕の大切なものがある…気がするんだ」
少し大げさかな、と少年は口に出した直後に少し恥ずかしくなってきたものの、老婆はいつもと変わらぬ笑顔で、少年の頭を撫でた。
「行きなさい。…人は誰しも、『自分』を探しに行く時間が必要なの。あなたの『自分』は、ここにはないわ。…でも、あなたならきっと…見つけることが、できるわよ」
そんな優しい言葉をかけられた少年は、心にこみ上げてくる気持ちのまま「…ありがとう、お婆ちゃん」と、呟いた。その感謝の言葉は、これまで少年の心を暖かく見守ってくれたこの二ヶ月の日常に対する、全てのお礼でもあった。
決意を口にした少年だが、実のところ少し困っていることがあった。
少年はこの流魂街に関しては無知であった。東西南北の4街だけでも相当な広さであり、その4街それぞれが80までの地区に分かれているという、広く複雑な街並みであるのだ。
そんな不安が少し表情に出ていたのか、老婆は「いいところに、連れていってあげようか」と言った。
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二人が、その『丘』に着くのが、あと数分遅れていただけでも……その後の『少年』の運命は大きく変わっていただろう。奇しくもその日…少年と老婆がいる流魂街の地から少し離れた場所において…激しい戦闘が行われていた。
少年が彼らと直接的に関わるのは、まだまだ先の話。
だが…あくまで間接的には…この時点から、少年の
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老婆が丘へと少年を導いたのは、少なからず流魂街の一部を広く見渡せるからだ。
丘の上に腰掛けた老婆は、大まかに方向を指差しながら、この尸魂界の知識を少年に伝えた。
あの遠くに丸く囲まれている地域が瀞霊廷。死神達がすむ居住区。
そこを中心として、周りに流魂街が広がる。瀞霊廷に遠ければ遠くなるほど、治安が悪く危険な土地になってくると老婆は教えてくれた。噂では、流魂街の住人同士での殺し合いが起こることも、あるという。
思わずゴクリと唾を飲んだ少年に対し、老婆はこう語った。
「流魂街は広いからねえ。探すのは大変さね。…もしかすると……死神さん達が住むあの瀞霊廷になら、あなたの探し求めているものがあるのかも、知れないねえ」
「瀞霊廷…死神になれば、入れる……のかな」
「きっとねえ。…大丈夫。あなたなら─────」
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見つめていた。
一ヶ月もの間、少年を優しく包んでくれた老婆の優しい顔を、ずっと、見ていた。
そのはずなのに──
全ては、一瞬で。
突如吹き荒れた衝撃が、少年と老婆を突然引き裂き……
少年は何も分からぬまま─────老婆と、永遠の別れを迎えた。
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少年の意識が朧げに浮上すると同時に、体の節々からの痛みが悲鳴のように少年の頭を襲った。あまりの痛さに、起き上がる気にもなれなかったが……少年の脳裏に、老婆の顔が思い浮かぶ。
(…お婆ちゃん!)
何か激しい衝撃によって、吹き飛ばされた。
それだけは理解していた少年は、悲鳴を上げる体を必死で動かし、上半身を持ち上げた。
空から、地上へ視線を移した少年は……絶句した。
丘の…ちょうど先ほどまで自分と老婆がいた場所周辺が……綺麗に抉り抜かれていたからだ。
何が起こったのか。なんでこんなことになったのか。少年は混乱の渦中にあった。
あの丘を穿ったものは、一体何なのか。無論、少年には到底知り得ないことである。
それを放ったとある破面は、丘を抉ることを目的として放った訳ではなかった。
恐怖・憎しみ、そして喜び。溢れ出す感情を乗せた殺戮の光線は、とある同じ破面一人を殺す為だけに放ったもの。
しかし、それは標的の破面に躱されてしまい…空間をも歪めてしまうほどの威力を持った光線は勢いを減らすことなく…はるか遠くにあった丘を穿つほどの威力を見せたのだ。
強大な霊圧を持つ者同士の戦いの影で、紛れもない『悲劇』を体験することとなった存在が、ここにいた。
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幼い少年は、走っていた。
丘を穿つ巨大な閃光によって引き裂かれた老婆を探すために。
未だ煙を放つ穿たれた部分も含めて、丘全体を走り回って探した。老婆の姿は、ない。
丘を降りて、周辺を走り回った。いない。
もっと遠くに吹き飛ばされたのかもしれない。走っていって探す。いない。
もっと、もっと遠くにいるかもしれない。いない。
もっと、もっと、もっと………
少年は、走った。ひたすらに信じていた。
お婆ちゃんは、生きている。無事だ。遠くへ行ってしまっただけだ。
無事なんだと言い聞かせながら、走った。あてもなく、走った。
どの方向へとか、どんな勢いでとか、考えることもしたくなかった。ただ、走り続けて探しているのは、一種の現実逃避でもあったかもしれない。ひょっとしたら……という可能性を振り切りたくて、もしかすると……という恐怖から逃れたくて、走っていた。
無我夢中で、少年が走って向かっている方向……そこではまさに『強者』と呼ぶべき存在が、戦っていたことも知らずに。
戦いの地から避難していた大多数の流魂街住人からの、慌てた静止の声も少年には届かなかった。
だが…その走る速度が徐々に緩やかになっていく。それは、ただ単に少年の体力が尽きてきたからというだけではない。
戦っている場所に近づけば近づくほど、その場で戦っている破面達の霊圧が、少年のいるところまで影響を及ぼしているのだ。
霊圧を発する者と受ける者に差があると、それはプレッシャー・威圧感から始まり、差が広がるにつれて息苦しさを覚えるなどの体調不良を引き起こす。いわゆる「霊圧にあてられる現象」だ。並の死神の霊圧すら持たない普通の魂魄である少年にとっては、破面達が視認できないほど遠くの距離の時点でも、体に影響が出てきてしまうのだ。
一歩動くことに、体がしめつけられるような感覚に始まり…それにも負けずにさらに進めば、今度は心臓を胸焼けを起こしたかのように苦しくなり、呼吸さえもおぼつかなくなってくる。
やがて、とうとう体の言うことが聞かなくなり…少年の歩みは止まった。
無理もないことだった。普通の霊魂からしたら『化け物』と認識されても仕方のないレベルの霊圧の持ち主が、何人もこの先にいるのだから。
(……く、う、うう……)
(…お婆…ちゃん)
無理もないこと、のはずなのに。
少年はフラフラと立ち上がり……また、歩き始めた。
それは、この世界の観点から見れば「あり得ない」ことであった。
一度動けなくなるほどの霊圧に当てられてしまっているということは、体全体が毒で麻痺しているも同然の状態だ。並の死神や、それなりの霊圧を持つ人物であれば多少の抵抗はできるかもしれないが……この世界に来てたった二ヶ月の魂魄が、強大な霊圧に逆らって体を動かすというのは、骨が砕けた両足で歩いてみせるほどの無茶に等しい。
なぜ、少年はそれでも動けるのか。それは、少年を動かしているのは体だけではないから。
突如として離れ離れになったお婆ちゃんを見つけたいという『心』の『意』志だ。それも、やる気とか気合いとか単なる精神論からなる力ではなく…この世界において
じわりじわりと、戦いの場に近づいていく少年。だが幸か不幸か、戦っている破面、完現術者、滅却師の誰もが、少年のことを気づいていなかった。まだ少年のことを目視できないほどの距離であることに加え、少年の霊圧も普通の魂魄並みの微弱なものであったからだ。
しかしそれでも、少年が危険な場所へ近づいていることには変わらない。
そして…激しい戦いを前にすれば、自分に近づいてくる危機は一瞬。それも、少年には認識もできないスピードで。
襲いかかってきたのは…先ほど丘を穿った王虚の閃光…ではなく、ただの赤い
虚閃のたった一部といえど、ただの魂魄である少年を消し飛ばすには、充分なスピードと威力を持っていることには変わりなかった。
そして、それを少年が認識するより早く……
少年の眼前に『白』が舞った。
「おーおー、間一髪やな。やっぱ、急いで正解だったわ」
そんな声が少年の耳に届いた時、ようやく少年の目がまともに物を認識した。
目の前に舞っていた『白』は、正確には白い羽織。背に書かれた『五』の数字が、少年の目に飛び込んでくる。
「しっかし驚いたわ。
羽織を背負っている人物が、ゆっくりと少年に振り向いた。
おかっぱ頭で怪しい笑みを浮かべた人物の顔を認識するよりも早く、少年は別の所に視線が向いていた。それは、その人物の腰に刺さっている刀……通称『斬魄刀』
「黒い着物……カタナ……あなたは、ひょっとして…死神?」
「なんやなんや。死神見るの初めてか? …まあ、坊主の言う通り、ひょっとしなくてもオレは死神や」
少年の危機を救った死神……それも、死神の中でも上位とされる護廷十三隊の隊長である平子真子は、ちょっとだけ困った顔でフラフラな少年の姿を爪先からてっぺんまで一瞥した。
(現世でも尸魂界でも見ない服しとんな…着物姿でないとこ見ると、死んでからまだ半年経っとらん魂魄かいな)
(いや、そっちもそうやが…この坊主が一番変わっとるのは霊圧やな)
護廷十三隊隊長の中でも、ファッションに気を使うことで有名な平子隊長なだけあって、まるで西洋のファンタジーゲームの一般キャラクターのような格好をした少年が気にかかるようだが、その霊圧の特異性にもすぐに気がついた。
(さっきのヒコネっちゅう坊主ほど変ってるわけやないけどな。霊圧量自体は普通の魂魄並み。やけど霊圧そのものが、まるで伝令神機から出る霊波みたいに一定しすぎとる)
(こんなごっつい霊圧の中立っとることといい…おもろい坊主やけど、今は気にしとる場合ちゃうか)
条件反射的に少年を助けに入った平子だったが、彼の真の目的はこの先で「ごっつい霊圧」を出している連中を見張り、時には抑え込むことだ。
「とにかく坊主。死にとうなかったら一目散にここから逃げることや。きーつけてな。ほなまた…」
「待って!」
「んあっ!?」
颯爽と瞬歩で去ろうとした平子だが、隊長羽織の裾を少年に掴まれたことにより、不自然に体を曲げた状態でその場に留まることとなった。平子ほどの…いや例え平隊士の瞬歩でも服を掴んだ子供の制止程度、振り切ることだけは容易ではある。だが、平子は無理やり瞬歩で移動したことで、服をつかんでいる少年が引きづられ怪我をする可能性を一瞬の判断で危惧し、なんとか急ブレーキをかけたのだ。
だが、出鼻を挫かれたことには変わりなく、「なんやねん…」としんどそうな表情で振り返る平子。そんな死神を前に、少年は泣き出しそうな顔で訴えた。
「死神さん! お願いです! 僕の……お婆ちゃんを、探して欲しいんです!」
「ハァ!? なんや…人探しかいな。うーん、坊主…悪いんやけどなあ、オレ、こう見えても忙しいんや。ほんまにな。後で瀞霊廷近くの死神にでも頼みや」
「後じゃダメなんです! 今、お婆ちゃんは吹き飛ばされて…大怪我してるかもしれないんです! だから! どうか…」
「な、なんやて? お前の婆ちゃんが吹き飛ばされたて…どこでや?」
あまりに突拍子もない話で思わず聞き返してしまった平子だが…少年が指差した丘を見たことで……少年の語る話の全貌というものを一瞬で理解した。
綺麗に抉られた丘の後。そこからもうもうと上る煙が、その傷跡ができたのはついさっきという事実を教えてくれる。一体誰がやったのかというのは、もはや平子にとっては疑問にすらならない。例によってあの「ごっつい霊圧」の連中の一味に違いない。そしてお婆ちゃんが吹き飛ばされたという話…そんな連中の戦いの余波のせいだとしたら……
(…何やってくれんねんあの破面連中…。お前らのせいでうちの住人被害出てんで!…なんて言おうたとこで意味もないやろしな…こんな実験を企画した十二番隊にしたって聞く耳持っとるかも怪しいとこや)
(あー、
(…しゃーない。困ったら素直に救援や)
「…ちょお待ってな、坊主」
不安そうに自分の羽織を掴んで離さない少年に対してそんな言葉をかけた平子は、目の前に手のひらを掲げて見せた。
「えーと、どんな感じやったかな……ああ、せやせや。縛道の七十七 『天挺空羅』!」
平子が鬼道を唱えたことにより、手のひらに奇妙な紋が浮かび上がる。平子が発動したのは、伝達用の鬼道である天挺空羅。大多数の対象に同時に言葉を送れるこの鬼道は、本来両腕にも紋を書く事前準備が必要なのだが、今回の平子の場合…伝達の対象をたったの一人に絞った簡易版である。
「あーあー、こちら真子。桃、今どこや?」
『あっ、平子隊長! はい! 私は今、京楽総隊長の指示で現場近くの詰所で待機中です!』
平子の掌の紋から、少し慌てながらもしっかりとした女性の声が響く。そんな声を聞いて一つ頷いた平子隊長は、紋に向けて一言だけ声を発した。
「緊急事態や。すぐにオレんとこまで来てくれや」
『…はいっ! すぐ行きます!』
気丈な声が手の紋から響いてきたことを確認した平子は、ゆっくりと手を握って拳を作ることで『天挺空羅』を解除した。
そして平子はしっかりと少年の前に立ち…目線が合わさるように片膝をついて屈み、語りかける。
「ま、安心せい。今からカワイイ姉ちゃんがお前の婆ちゃんを助けに来てくれるわ。その手に関してはオレよりプロや。せやから、元気出し」
「…うん」
プロ、という言葉は少年にはよく分からなかったが…微かな涙の跡を残しつつも、小さな少年は唇を強く引き締めて、頷いた。
そんな少年を見て、平子はニッ、と笑って立ち上がった。
「強い子やな。せいぜい、がむしゃらに頑張って生きや。……ああ、せや。せっかくやから、坊主。せっかくの縁やしな、名前…教えてくれや」
「名前…僕の、名前は…ユージオ、と言います」
第1話の文字数は12445文字でした。読者としての読みやすさはどうですか?
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1話にしては多すぎる。字数を抑えるべき
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1話にしては多いが、このままでも大丈夫。
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1話の文字数としてちょうどいい
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1話にしては少ないが、このままでもいい
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1話の文字数としては少ない。増やしていい