いったいどれほどの剣士となるだろうか?
もし……もしもその彼と本気で剣を交える場面に至ったとしたら、
果たして俺は彼の前に立てるのか──?
── ソードアート・オンライン09 アリシゼーション・ビギニング──
銃弾、鉤爪、軍旗、刀剣、
五本指折り
お前を待つ
──BLEACH69 AGAINST THE JUDGEMENT──
※本編とは特に関係ありません。
アリスという仲間が加わった日から、更に一週間。
授業再開の目処は、まだ立たない。
そして一週間の時を経た結果、
──ユージオの性格が、まるっきり変わっている。
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まるっきり、とは少しばかり言い過ぎかもしれない。
ただ、少なからず共に過ごした雨涵だからこそ分かる。アリスと出会う前のユージオと、出会った後のユージオは、目に見えて性格が変わっているのだ。
例えば、今まで出来なかった鬼道がアリスの指導でできるようになった時。
彼は「やったっ! できたー!」とガッツポーズをして喜ぶ。元気な性格の男子なら格別不思議な挙動ではないが、普段から大人しすぎるくらい静かで、大声の一つすらまともに出したことがなかったユージオがそんな風に喜ぶのは、雨涵からしてみればギャップが半端ない。
例えば、弁当屋で弁当を選ぶ時。
初めて弁当屋に赴いた時のユージオは、どの弁当がどんな味なのか分からずウロウロと視線を彷徨わせていた。なのでその時は内心で痺れを切らした雨涵が勝手に決めて押し付けたのだが、以降その弁当が気に入ったのかほぼ毎日の夕飯はそれで済ませていた。安定志向というやつだろうか。
だが、今のユージオは毎回のように悩むようになった。どの弁当にしようか、今日はこっちの気分かな、いやあっちもいいよねと、なんの前触れもなく、日替わりで様々な弁当を選ぶ楽しみに目覚め始めたのだ。
例えば、銭湯へ行った時。
今まで雨涵一人の時は、テキパキと入浴を済ませていたが、銭湯が気に入ったらしいアリスが加わってから、入浴時間は1.5倍も増えた。だがそれほど入浴時間が延びた二人が出てきても、ユージオ一人は中々出てこない。
やっとユージオが男湯の暖簾をくぐって出てきたと思いきや、毎回九割近い確率で他の死神と談笑しながら出てくるのだ。どうも、湯船の中で毎回初対面の死神との会話に花が咲いたようなのである。かつて道中の死神に物珍しげに話しかけられた時、オドオドしながらなんとか答えていた、あのユージオが。知り合った死神の人に向けてユージオが自分達を紹介すると、こっちの方がオドオドしてしまうくらいだ。自分よりもコミュニケーション能力が高いらしいアリスは、平然と受け答えしていたが。
つまるところ、ユージオは以前よりも元気で、活発的で、気さくな性格に変わっていたのだ。従来のユージオを知る雨涵からしてみれば、あまりの変わりように少しばかり不気味さまで感じてしまうが、その変化自体は基本的に悪いことではないのだ。故に雨涵は特にユージオへそのことを指摘したりはしない。いや─むしろこれがユージオ本来の性格なのかもしれない。かつての友達であるアリスと再会したことで、彼の本当の性格が戻ってきたのだろうか。
アリスといえば、彼女もなんとなくユージオと似ている気がする。社交的で明るく、時にユージオを超えて活動的になる。銭湯と弁当屋へ行った帰り道、まだロクに帰り道も覚えきっていないのに「ちょっとこの辺り見て回りたいから、先に帰ってていいわよ!」などとのたまい始める。流石に放っておけずユージオと雨涵はアリスの夜中の散歩に付き合ったところ、甘味処の店を発見。アリスとユージオはその店で売られているお菓子に魅了されることになった。結果オーライと言える。
そんな二人と共にいる雨涵は、影響されて同じように活発的に…はなれずに、どちらかといえば振り回されている側であった。例えば…今がまさにその時と言える。
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「準備、大丈夫ー?」
「ああ。……いつでも、いいぞ」
まだ日が照り続ける日中。霊術院の真ん前に、三人の院生の姿があった。
一定距離離れた位置から、アリスが手を降って声を上げる。それに向き合う雨涵は少し緊張したそぶりで、腰を少し低くして構えた。
向き合う二人から大分離れた位置にいるユージオが、手元の竹刀を掲げた。
「…それじゃ、いくね。……ゴホン、いざ尋常に……勝負開始!」
なんかの小説で覚えたらしい言い回しと共に、竹刀が振り下ろされた。と、同時に二人が動いた。
雨涵は真正面へ向かって駆け出す。それと同時に、アリスは右手の指を突き出した。
「破道の一!『衝』!」
「っ!」
迫り来る小さな衝撃の塊。雨涵はそれに対し、右の拳を突き出して…衝突しあう。
バチン、という音とともに空気が暴れ、雨涵の体が後方へ吹き飛ぶ…かと思いきや、両足は地を離れずになんとか少し後退するだけにとどまって踏ん張った。
(いつものように避けなかった? …でも、そっちが近づかないならこっちが有利!)
「縛道の四!『
「っ、破道の二!『
続いてアリスから放たれた黄色霊子の縄に対し、雨涵が放ったのは切断の波を放つ鬼道。二つの鬼道が接触し、完全な切断とは行かずとも『這縄』は二又に分かれた。雨涵はそのうち一方の縄を掴み、そこに二本の指を当てがった。
「破道の十一…『
「このっ! 破道の十一『
アリスも同等の鬼道を放ち、二人の間で霊子の縄を介した電撃の送り合いが始まる。…だが、雨涵が二又に『這縄』を切ったことで、アリスの側から送る電撃はもう一方の分かれた先へ分散してしまう。一方、そのうちの片方を掴む雨涵の方は全力でアリスの方へ電撃を送れる。その上…実のところ、雨涵はアリスよりも素の霊圧量が高い。もちろん鬼道を操るセンスはアリスに遠く及ばないのだが、純粋な鬼道の押し付け合いでは、雨涵に少しばかり分があるのだ。
その”分”を早々に察したアリスは、縄から手を離さざるを得なかった。そして、それを見越した雨涵は縄を持ったまま早々に足を踏み切り、アリスへ迫りつつあった。
(…そういう事! それが、狙いなのね!)
雨涵の狙い…それはリーチの長い即興の武器を手に入れること。
駆け出した雨涵は右腕を振り上げた。そして、電撃が付加された這縄のムチがアリスに向かって振り下ろされる。体を真横にして逸らし、なんとか避けきるアリスだが、これ以上接近されたらもう敵わない。
「破道の八!『
「っ、ぐ…!」
アリスの手のひらから発生した突風で、雨涵の上半身に勢いがかかって体勢が崩れる。雨涵の体が仰け反り、右手から這縄のムチが離れ。背中側の地面に触れる。が、その右手に霊圧を込め、思いっきり押し込む事で反作用的に上半身を起き上がらせる。が、そこに至るまでの数秒で、アリスは手を打っていた。
「縛道の二十一! 『
「っ、うわっ! げほっ!」
至近距離で発生した赤き煙。もろに吸い込んだ雨涵は咳き込む。
が、すぐに煙の中から逃げ出そうとはせず、先の見えない前に向かって突っ切った。アリスのこの煙幕は、おそらく距離を開けるためのもの。このまま煙を嫌って後ろに下がれば、彼女の思う壺だ。この煙を突っ切ってまでも、アリスとの距離を詰めて接近戦に持ち込めば…こっちの勝ちだという確信があった。
だが、それは思い違いだった。
一寸先もまともに見えない煙の中、胸に触れる予想外の感触に対し、雨涵は適切な対応ができなかった。それがアリスの手であることに気づいた時には、彼女は既に口を開いていた。
「破道の…二十!」
「なっ!?」
それを聞いて、アリスが何をする気か察した雨涵だったが、回避するために気を取り戻した瞬間には、彼女の右手が強く雨涵を押した。またもや体勢を崩し、上半身が背中側に逸れると…立ち込める煙の中で光りだす青い霊圧を雨涵は見た。
そんな雨涵に覆いかぶさるように飛びかかったアリスは、左手に丸く輝く青い霊圧の渦を掲げた。
「
アリスが突き出した青い霊圧の爆発が雨涵の胸元で炸裂し、彼女の体を大きく吹き飛ばした。
「そこまでー! 勝負あり! ゆ、雨涵! 大丈夫!?」
「あ、ああ…まあな」
「ちょ、雨涵! 頭! 血が出てるよ! は、早く救護詰所行かないと!」
竹刀を振り回して慌てるユージオを見て、その大げさっぷりに雨涵は思わず胸元と頭の痛みを忘れてため息をついた。
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「それじゃー、お大事にねー。あと…程々にねー」
「は、はい! ありがとうございました!」
「ありがとうございました。失礼します」
アリスと同じ金髪の女性─恐れ多いことに四番隊の副隊長さん─からの見送りに三人揃って頭を下げ、お礼の言葉を伝える。救護詰所から去る道すがら、三人は言葉を交わし合う。
「うーん、程々にした方が…いいかしら。まだたった三回しかやってないのに」
「いいに決まってるよ! まだ半年前の戦争で療養中の人もいるのに…健康な僕らが勝手に怪我して手を煩わさせちゃ悪いって!」
「いや、そこまで気を使わなくともいいとは思うが…重体になった時のことを考えると、あまり頻繁にやらない方がいいかもな」
先ほどのような実戦形式の立会いをするのは、元々アリスの発案だった。学んだことは実戦で活かしていかなきゃ意味がない、という主張に対し、雨涵は一定の理解を示したが、最近活発気味なユージオは珍しく不安そうにしていた。やはり大怪我した時のことが心配といった風だったが、事前に情報収集をしてたらしいアリスは自信のある表情でこう説得した。治療専門部隊である四番隊の隊員の腕は凄く、すり傷 切り傷 打撲はもちろん、火傷 凍傷 果ては脱臼 骨折に至るまで全て傷跡も残さずに治療し、怪我してからすぐに治療を受ければ、その日のうちに完全治癒も可能なのだという。だから、死ぬようなものじゃない限りどんな怪我をしても平気だと。
アリスの言葉は確かに正しかった。だが、彼女は一つ失念していた。ここから四番隊舎までの距離を。
要するに、あまりに遠すぎたのだ。いつもの仕事場である真央図書館まで程ではないにしろ、怪我をしたからすぐに治療してもらえる、といったような距離ではないのは確かだ。記念すべき1回目の実戦形式立会いの際、アリスは足首を捻挫して歩けなくなった。そのためユージオがアリスを背負って四番区まで歩いて行ったのだが、大層辛そうだった。雨涵は途中何度も「アリス背負い係」の交代を申し出たが、「いや…こういうのは、女の子にやらせちゃカッコつかないからね」と、額に汗を滲ませながら笑ってみせた。いつからカッコまで気にするようになったのかとツッコミたい気持ちはあったが、こういう変化は今に始まったことじゃないので一々口を出したりはしない。ちなみに背負われた側のアリスは、「ありがとうね…ユージオ」と申し訳なさそうな、それでいて嬉しそうな不思議な笑顔をしていた。
迷惑をかけた自覚は少なからずあるようだが、そんなアリスはまた実戦をやりたいと、二人に頭を下げてお願いした。彼女曰く、こうした実戦で、いつの日か勝ちたい相手がいるのだという。ユージオはまた渋い顔をしたが、それでもユージオが最終的に了承したのは、雨涵の援護射撃があったから。そう、雨涵もまた実戦形式の訓練に少しばかりの魅力を感じていたのだ。
そんなこんなで審判役のユージオを添え、アリスと雨涵の三回目の試合が今日行われた訳である。ちなみに初戦は雨涵が勝利を収めたが、以降はアリスの二連勝という形になっている。
「そうねえ…後一回、ユージオとの試合ができるのなら一度打ち止めにしようかしらねー」
「うっ…」
アリスがそんな風に呟くと、ユージオの表情が一気に気まずいものに変わる。アリスにこんな感じで試合のことを振られるたび、以前のユージオのようにオドオドし始める。
「私、雨涵の白打とだけじゃなくて、ユージオと斬魄刀を使った試合もしてみたいのよね。でも、ユージオったらいっつもあーだこーだ言って逃げちゃうんだもの」
「だ、だって…剣を向けるなんて、やっぱり怖いって…」
「呆れた。死神なんて
「いや、
そんな二人の会話を聞いた雨涵の表情が、辛そうで、泣き出したくなるようなものに変わったが、それも一瞬だけのこと。ユージオの言葉には当然思うところはあったが、すぐに別のことを実感したのだ。活発的で、元気で、気さくな性格に変わったユージオの根幹は、以前と変わっていない。とても、優しいのだ。訓練で仲間に刀を向けることすら、忌避してしまうくらい。…だけど、そんなユージオに自分の”過去”を打ち明けられる日は、来るのだろうか。そんな考えを頭を振って追い出した雨涵は、普段の静かな表情に戻って、ボソッと呟いた。
「でも、それじゃ勿体ないんじゃないか? せっかく毎晩こっそり斬魄刀を使った素振りをしているのに」
「えっ!? な、なんでそれを知ってるの!?」
「いや、私も知ってるけど…ていうか、あれ、こっそりだったの?」
そんな会話を経て、彼らはいつもの仕事場となる真央図書館に辿り着いた。図書館の秘書に頼まれたここでの仕事は、手際の良いアリスが加わってくれたお陰で一気に捗ることとなった。ただ惜しいことに、アリスもユージオと同じく本が好きであり、これはというタイトルを見つけるや否や、アリスの手はたちまち止まってしまい、雨涵の注意を受けることになる。それでも、その注意からしっかり反省して再開された作業のスピードは早い。…ただし、積まれた本の山が一つ減ったと思っても、奥からはまだたくさんの山脈がやってくるのだが。
最近は実践鍛錬→四番隊救護詰所で治療→真央図書館でお仕事 という流れがルーチン化していたが…今日は少し違った。
なぜなら、図書館の奥には珍しく既に先客がいたからだ。
自分達がいつもの作業をするための椅子に腰掛ける、死覇装姿の何者かを視認した時、三人の院生は揃って顔を見合わせた。こちら側には背中を向けており、その一瞬で正体を掴むことはできなかったが…最初に理解が及んだのは、雨涵だった。
「…伊勢、副隊長殿……?」
「……あら」
雨涵の声に呼応して振り向いたその姿は、確かにユージオの記憶にも懐かしい、キツい雰囲気の漂う副隊長……のはずが、今日この場所で纏う雰囲気は、記憶よりも随分と穏やかだった。
「話は聞いています…。図書館での分別作業、ご苦労様です」
「あ、いえ…」
おそらくは勤務時間から離れているのであろう、伊勢副隊長が頭を下げる。その柔らかな雰囲気のギャップに、微かながら戸惑うユージオ。ちなみに雨涵はただでさえユージオのギャップに慣れてないのに、さらなるギャップを受けて二倍戸惑っていた。
一方、伊勢副隊長とは初対面なために偏見を持っていない、アリスが軽く一礼の後に問いかけを始めた。
「その、副隊長さんは…私達に何か用ですか?」
「いいえ…ここへ来たのは私用です。久しぶりに半休を得たので、この真央図書館を見ておきたかったのです」
そう言って立ち上がり、席を離れた伊勢副隊長は辺りの本の群れをゆっくりと見渡した。その時の表情は…ユージオが好きな本を読み漁る時の表情にとてもよく似ていた。ただ、彼女の場合…本、というより……図書館そのものに愛着を覚えているようだった。
「…大切、なんですね。ここが」
「……少しばかり、思い出が深いのです。個人的にも…女性死神協会にとっても」
「女性死神…協会?」
伊勢副隊長の言葉に、アリスが首を捻る。名前からして死神関係の組合か何かだろうか。だが、この三人の中で一番死神の事情に詳しい雨涵も聞き覚えのない名前らしく、訝しげな顔をしている。
今までの穏やかな雰囲気に加えて、伊勢副隊長の顔に少しだけ陰がよぎった。
「女性死神協会とは、その名の通り…女性死神における権利向上や経済発展案などの会議や実施を行う組織の一つです。…ここには、女性死神協会の発行する書籍も収められています。…無事かどうか、一度見ておきたくて」
しかしそんな表情の中でも、彼女が近くの本棚に目を向けるとその陰が少しばかり晴れたように見えた。そんな様子だけでも、彼女の言う女性死神協会の発行する書籍が無事だったか否か、その答えを知ることができるというものだろう。
思い出に浸るような様子の伊勢副隊長を前にユージオも雨涵も黙って控えていたが、ただ一人アリスは手を上げつつ少し抑え気味の声で質問を繰り出した。
「女性死神協会…って正式に認められた組織なんですか? それとも、個人的というか…非公式のものなんでしょうか?」
「…興味が、おありですか?」
キラリ、と微かに眼鏡を光らせた伊勢副隊長を見て、アリスは一瞬ピクリとなったが、そこは物怖じせずに「はい!」と答えてみせた。ふむ、と考えるような仕草に移行した伊勢副隊長は、数秒の逡巡を経てこう切り出した。
「よろしければ…活動場所を、見学してみますか?」
「え、いいんですか!?」
伊勢副隊長の言葉に、目を輝かせて身を乗り出したアリス。この様子から見て、まだ軽く聞いただけの女性死神協会に強い興味を持っていることが一目瞭然と言えるだろう。思った以上の食いつきように伊勢副隊長は目を軽く瞬かせたが、すぐに軽く笑って頷いた。
「ええ。現在は活動を休止してはいますから、遠慮せずとも構いません。貴方達が将来、女性死神協会に入りたいとしっかり考えているのであれば、より詳細な活動について学ぶこともいいでしょう」
「そ、それじゃ、是非お願いします! ね、雨涵はどうする?」
「あ、ああ…そうだな。私は、興味がない訳ではないんだが……」
雨涵が少し困ったような表情で一瞬だけ向けた視線の先にいるのは、ユージオ。女性死神協会というからには、いくら死神見習いとはいえ、男性が見学することはできない可能性が高い。ユージオを放っておいて、二人だけで死神の特殊な場所を見学しに行くというのは、気が咎めるというものだ。
だが、ユージオは手元に本をいくつか抱え込むと、優しく微笑んだ。
「大丈夫、二人共行ってきなよ」
「…いいのか?」
「うん。僕もちょうど読みたい本が溜まってるし。今日はそこそこで切り上げて、ゆっくりとした読書の時間を作るとするよ」
この笑顔は無理をして気を遣っている訳ではないことを、雨涵は察した。ユージオがもし無理して気を遣ったとしても、必ず表情にそれが出てしまうような人間であることは、ここまでの付き合いから理解していた。ユージオはアリスと雨涵が自分を置いて一時的にどこかへ行くとしても、それに対して特に蟠りを持つことなく、受け入れられる。こうした生来の素直さはやはり変わらない、と雨涵は実感した。
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アリスと雨涵が伊勢副隊長に連れられて姿を消した後、ユージオは先の言葉通り程々の量で分別の仕事を切り上げると、いつもより多めの量の本を台車に乗っけて、真央図書館を出た。図書館を出てから、未だ復興途中の悪路を台車で進むのももはや手馴れたモノであり、いつものようにゴロゴロと台車の音を鳴らして進んでいくユージオ。
だが、今の状況は何もかも『いつものように』という訳ではない。ユージオが、一人で寮までの道を帰還するのは今回が初めてのことだ。それが、どういう結果を招くのか。
まず起きたこと。寮に帰るまでの道ですら、本を読みたいという欲望が際限なく湧いてくる。これはまだ、みんなと一緒に帰る道すがらでも普通に起きる出来事だ。ただし、今回少し違うのは…その欲望のストッパーである仲間がいないことだ。
欲望に駆られたユージオは、台車に乗せられていた特に一番気になっていた本を手に取り、めくり始める。それと同時に、ゆっくりと足が動き出し、ユージオの体重が乗っかった台車もゴロゴロと呼応して動き出す。所謂歩き読みである。かつて両手に本を抱えて歩いていたあの頃ならば到底歩き読みなどできなかったであろうが、皮肉なことに雨涵が提供した台車のお陰で、歩き読みという背徳的な行為を助長することになってしまった。
だが、そのような悪いことをすれば、必ず報いは訪れる。
いつもの帰り道を歩いているつもりでも、本に集中しながらでは、必ずやどこかで誤りが出るのは必然。そして一つ曲がり角を間違えれば、仮にその後正しく道を曲がれたとしても…
「………あれ、ここ……どこ?」
全く違う場所に出るのは、当然の摂理。
悪いことはするものじゃない、とユージオは思った。あれほど雨涵にも…アリスにさえも諌められていたのに、一人になった途端またやってしまった。自分を歩き読みさせてしまうほどの魅力を持つ本はまるで魔物だな、と嘆息するユージオ。彼は本のせいにしているが、この事態を招いたのはあくまで欲望を抑えきれなかったユージオそのものであり、本に罪はないに等しい。
しかし過ぎ去ってしまった過ちは仕方ない。今は無事に寮まで帰還することだけを考えよう、と辺りを見渡すユージオだが、想像以上に状況が悪いことに気づいた。何せ、ユージオが辿り着いたこの場所は、他に人どころか人家すら存在しない拓けた郊外のような場所であった。これでは人に道を聞くこともおろか、ここか何番区であるのかすら分からない。一番区から大分歩いただろうから、少なくとも五番区や六番区は超えているとは思うが…。
どうしよう、とユージオは唸った。下手に迷子になったら動かないのが鉄則─とは本で読んだことはあるが、それはあくまで小さな子供向けの教訓だ。例え更に目的地より遠くなったとしても、とりあえず人のいる場所にさえ辿り着ければ、最低限場所と道を聞ける。そこからなら、なんとか自力で帰れるだろう。そう考えたユージオは意を決して、またゴロゴロと台車を押して進み始めた。
だが…数十歩も進まないうちに、ユージオはふと何かを見つけた。建物…にしては小さいが、屋根のついた木組みの何かを。当然、そこに人の姿などないが…不思議に思ったユージオはその場所へ近づいてみた。
三角形の屋根とそれを支える4本の柱。中には簡易な柵と座れそうな石の腰掛。これだけ見ると、ただ小休止するための休み所に見える。が、その小さな屋根の真下には、何か石碑のような物が立っている。更にユージオが近づいて見ると、そこに刻まれている文字が、読める距離となる。
「…っ」
その文字は、ユージオにとって馴染みのないものだった。だが、一見しただけでも…恐らくそれは、何者かの名前であることだけは容易に想像がついた。そして、名前のついた石碑となれば、更に想像できる答えが一つ。
「……お墓、なのかな」
そう呟いたユージオは、ふと撫でられるような感触を覚えて、思い切りバッと振り向いた。
しかし、そこには誰もいない。
「…?」
撫でられるような感触、とはもちろん「霊圧」のことだ。肌に感触が伝わるほどの霊圧を感じたということは、その霊圧を発している何者がいるということのはずなのだが…見渡す限り平坦な光景が広がるばかりであり、人っ子一人見当たらない。なのに、肌に感じる霊圧は一向に消えない。
摩訶不思議に思うユージオが首を捻る間にも、姿の見えない何者かの霊圧が…徐々に大きく感じられるようになってくる。やがて、肌を強く押されているような、たまにチクリチクリと尖ってくるような感触を覚え始めた頃、ユージオは一つの予感を覚えた。
(ひょっとして…この霊圧は、遠くから近づいてきているって…こと?)
ユージオは流魂街にいた頃を思い出す。自分にとって初めての保護者であるお婆ちゃんが消え去ってしまったあの日。無我夢中で走ったユージオの体を強く押さえつけたあの感触。あの頃の自分には知識がないから分からなかったが、今の自分ならあの現象は霊圧に
今も、それと同じ現象が起きているのだとしたら。
(まだ姿も見えていない距離から、こんな霊圧を……っ!?)
そして、ユージオの体に異変が訪れる。肌に影響を与えていた霊圧が、とうとう肌を超えて体の内部にまで影響を及ぼしてきたのだ。
体の節々が凝り固まってしまったように動かない。
頭蓋骨のみならず、頭が揺さぶれるようにガンガンと痛む。
吐き気と眩暈が同時に襲い、とても立っていられない。
台車に寄りかかるように蹲ったユージオは、既にその霊圧を発する人物が間近まで迫っていることに、気づかなかった。
「……おい」
辛うじて、ユージオは耳に届いたその言葉を理解した。ユージオの体を脅かすほどの霊圧を発する隊長の言葉を。
「
ユージオは、辛うじて右目だけを見開いて自らに声をかけてきた人物を見上げて…そこから生まれる驚愕の感情すら、相手の発する霊圧に押さえ込まれて揺らぐ。
そこにいたのは、ユージオが初めて出会う隊長。だが、書籍に伝説的な事実の記述と共にその姿は載せられていた。
流魂街出身。
入隊試験を受けず、前隊長を決闘で殺害したことで隊長へ就任。
その地位は、十三隊最強を自負する戦闘専門部隊、十一番隊隊長。
彼の名前は、幾度切り殺されても絶対に倒れないという意味を持つ、代々十一番隊隊長に受け継がれる系譜の一つ。
(十一番隊…隊長……更木…剣八………!?)
それは『武』というのにはあまりにも荒削りな、
ある種の自然災害を思わせる膨大な力の奔流の持ち主。
道端に咲いた鋸草が、彼の霊圧の風に揺らいだ。