護廷十三隊 五番隊副隊長、雛森桃は後悔の気持ちを抱えていた。
頰に涙の後を残しながら、寝息を立て眠る小さな少年の姿を見て、自分は真実を教えるべきではなかったのかもしれない…と。
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現場近くの詰所で待機していたこともあって、平子隊長に呼ばれた雛森が馳せ参じるのには1分もかからなかった。だが、「緊急事態」と聞いていたわりには、雛森の想像していた事態とは大分異なっていた。自らを呼びつけた五番隊隊長は、破面や滅却師の強い霊圧が飛び交う戦闘地点ではなく、そのはるか手前の地点にのんびり突っ立っていた。
「あの…平子隊長? 緊急事態って、一体何が…?」
「おお、桃。流石に早うて助かるわ。まあ、緊急事態っちゅうのは…こいつや、こいつ」
平子が少しばかり口角を上げてちょいちょい、と指で示したのは…流魂街の子供と思しき一人の魂魄だった。元流魂街出身である雛森からしても見たことのない服装をしてはいるが。一体これはどういうわけかと首を捻りながら近くにつれ、雛森もこの少年の不思議な霊圧について感じ取り、ますます首が横になってくる。
心底不思議そうにしている雛森をちょっと面白そうに眺めた平子だったが…すぐに真面目な顔に戻ると、未だ自分の側にいる少年を持ち上げて雛森の目の前に移動させ、強大な霊圧がぶつかり合う方面を見据えた。
「緊急事態…ちゅうのは、その坊主にとってや。残念やがオレはあっちの方の緊急事態をどうにかせなアカン。桃、その坊主の話聞いて、助けてやってや…泣かさんようにな」
「え、そ、それはどういう…隊長!?」
ある意味で平子らしい大雑把な指示だけを残して、平子は瞬歩で戦闘の地へ赴いていった。
てっきり莫大な霊圧の持ち主との戦いに加わってほしいという緊急事態の可能性を最後まで捨ててなかった雛森としては、はっきりいって今の展開は『拍子抜け』と言っても過言ではなかった。
だが、そんな考えもほんの一瞬。曲がりなりにも、隊長の指示だという事実は間違い無いのだ。確かに平子隊長は時々適当な指示は出すものの…それでも間違ったことを指示したことはなかった。
ふるふると首を振って気持ちを切り替えた雛森は、平子の時と同じように軽く屈み…不安そうにしている少年に目線を合わせた。
「えっと…初めまして。私は、護廷十三隊副隊長の雛森桃。君の名前は?」
「…はい。僕の名前は、ユージオ…です」
白い羽織の死神から紹介された、「カワイイ姉ちゃん」こと雛森桃に、少年は今日二回目の自己紹介をした。
気持ちを切り替えたつもりでも、雛森の心の中ではまだ微かながらに疑念の気持ちは燻っていた。だが、そんな気持ちはユージオから事情を1分も聞いているうちに、綺麗さっぱり消えてなくなっていた。その代わりに彼女の心を支配したのは、言い表せない程のやるせなさだ。
同じ流魂街出身である雛森には分かる。この街においては血筋も生まれも重要ではない。例え赤の他人同士でも、一日寄り添って暮らせば掛け替えのない家族となる。毎日孤独に死んでこの街へ流れ着く魂魄は、すぐに近くの家族のコミュニティの一員として迎えられるのが一般的になっているほどだ。そんな一風変わった家族形態は、時に現世や瀞霊廷における一般的な家族形態よりも繋がりが強いことが多い。
この少年は、そんなたった一人の家族が、突如襲ってきた衝撃によって吹き飛ばされたというではないか。
丘を穿つ程の衝撃。本来なら流魂街にそんなものを放てる存在は、いるはずないのだが…雛森は知っていた。「十二番隊の実験」と称されて、そのような猛威を振るえる存在が、今流魂街に解き放たれていることを。
雛森は、思わず拳を握りしめた。
自分の所属する隊とは別の隊による行為だったとしても、同じ護廷十三隊に属する身として、彼女は自責に近い気持ちを抱えていた。
──桃、その坊主の話聞いて、助けてやってや…泣かさんようにな
そんな中、自らの隊長から受け取った指示が、脳内で反復する。彼女の心は決まった。今の自分を悔いるよりも、まずは彼のために。
雛森はユージオの手を取って、内側の感情を出来うる限り押し殺し、彼を安心させるために精一杯の優しい笑顔を向けた。
「大丈夫。私が必ず、お婆ちゃんを見つけてあげるから」
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しかし、その作業は言うほど容易なことではなかった。一番問題なのは、雛森がユージオのお婆ちゃんを知らないということだ。その人の微かな霊圧さえ知らない、全くの0からのスタートで人探しが始まるのだ。仮に雛森がその霊圧を知っていたとしても、ここは流魂街。同じような弱い霊圧の持ち主は百や千では効かない数が存在する。この中から出会ったこともない一人の流魂街住人の居場所を探り当てるというのは、例え隊長格でも困難を極めるであろう。
しかし、今ユージオの目の前にいる五番隊副隊長、雛森桃はそうした隊長格の中でも、最もこの問題に対して適切な死神であった。何せ、隊長格の中でも決して高くない霊圧の持ち主でありながらも「鬼道の天才」と謳われ、綿密な霊圧のコントロールと独自の強固な鬼道構築を編み出せるほどの実力を持って副隊長の地位まで上り詰めた人物なのだ。
雛森は、まず少年の胸に手を当てた。当然感じられるのは少年自体の霊圧だが…その中で、微かに霊圧の“残り香”とも表現できる微かな違いがあった。紛れもなく少年のものとは違う霊圧、恐らくは少年の求め人…お婆ちゃんの霊圧であろう。
(よし…覚えた)
少年は老婆と悲劇的な別れをしてしまったが、長い間お婆ちゃんと共に過ごしていたことで、その霊圧が微かながら残っていたこと。雛森自身が流魂街出身であるが故に、流魂街住人の霊圧の感覚を覚えやすかったこと。そして、少年の霊圧が一般の流魂街住人とは一線を画すような特殊な霊圧であったこと。この三点が幸いし、雛森は少年の体に残っていた老婆の霊圧を完璧に見分け、感覚として暗記することに成功したのだ。
(霊圧は覚えた……次は)
次にやるべきことを見定めた雛森は、ひょいとユージオをお姫様抱っこで抱きかかえた。
何の前触れもなく抱えられて目を白黒させているユージオに向けて、雛森が質問する。
「ね、お婆ちゃんと別れちゃった場所って…あの丘の穴が空いている辺りだよね?」
「あ……はい」
「よし。それじゃあ、あそこまでいこうね。舌を噛まないように、気をつけて」
「え…?」
シュンッ。
そんな会話から僅か数秒。雛森とユージオの二人は丘の上に到着した。
「ゴメンね。急に飛ばしちゃって。 気持ち悪くないかな?」
「…はい。大丈夫…だと思います」
「無理しないでね。気持ち悪くなった時は、出来るだけ遠くの方を見るといいよ」
ちょっと気分悪そうな様子のユージオを下ろし、気遣って声をかける雛森。本当なら瞬歩を使わずにゆっくり歩いて向かった方がいいのだろうが、お婆ちゃんがどうやって吹き飛ばされていったのか。その霊圧の残滓を探るためには、出来るだけ早い方がよかった。
雛森は、丘の穿たれている地点に足を踏み入れた。
穿った光線の正体で
数分間、集中を続けている内に…雛森自身の霊圧に、乱れが生じてきた。それは、決して王虚の閃光の霊圧残滓に影響されたからとか、外的要因によるものではない。ただ単純に、雛森自身が動揺してきたからだ。自身の霊圧に乱れが生じてしまうほどに。
(……これは…多分…)
雛森は「その可能性」を無意識のうちに頭から追い出していた。ユージオは「お婆ちゃんが吹き飛ばされた」と言っていた。事実ユージオも同じように吹き飛ばされたと。だからどこかにいるはずなのだ、と。雛森もまた、その考えを真摯に受け止めていた。雛森自身にも、大切な祖母がいるからこそ...心から少年の気持ちになって考えていた。「最悪な結果となっている可能性」など考えなかった。考えないようにしていた。
だが、今こうして真剣にお婆ちゃんの霊圧を辿ろうとすればするほど、その「最悪の結果」が強く雛森の前に立ち塞がった。ユージオがほぼ外傷なく吹き飛ばされるだけに留まったのは、まさしく幸運としか言いようのない位置に彼がいたからに他ならない。だが、そうした幸運は彼のお婆ちゃんにまであったかと言えば、否と言うべき状況なのだ。
雛森が覚えたお婆ちゃんの霊圧は、確かに感じる。問題は、霊圧を感じる場所が…空高く、遠い場所にもあったこと。それも、強く。
空中に色濃くお婆ちゃんの霊圧が感じられるとは、一体どういうことなのか。空中に霊圧の残滓があるということは、その軌道で吹き飛ばされたということに間違いはないだろう。だが色濃く…となってくると、どのような可能性が考えられるか。雛森にとって、その結論は一つだった。
空中に吹き飛ばされた時点で既に、その体を構成する霊子が崩壊を始めていたということに他ならない。
雛森はゆっくりと振り返った。こちらを見つめる、未だに不安そうなユージオと目があった。
雛森は、心がキュッと締めつけられるような感覚を覚えた。一瞬だけ、躊躇の気持ちが雛森の心に生まれたが…彼女は、すぐに決心した。
自分は、約束したのだ。「必ず、お婆ちゃんを見つけてあげるから」と。
仮に…「最悪の結果」が待っているとしても、最後にお婆ちゃんがいたところまで、連れて行くのが自分の義務だと…感じた。
「…私に…ついてきて」
ユージオに声をかける雛森の表情に、笑顔はなかった。
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無言で、丘から降りて歩いていく二人の空気は、重かった。雛森は、これから少年の前に現れるであろう現実に対して、自分はどう説明したらいいのだろうと、深い思考に沈んでいた。とても少年を安心させようというところまで思考が及ばなかった。
それ故…ユージオが既に、何かを察して拳を握りしめていることにも、気づかなかった。
歩き続けること十分と少し。雛森の足が、止まった。
「……ここ」
雛森が無意識に呟くと、背後のユージオがピクリと震えた。
二人の目の前にあるのは、少し離れた郊外に静かに立つ、一本の木。
そこには、誰もいなかった。だが…雛森にだけ分かる、この場所の『過去』があった。
木の周りに感じるのは、今までで一番濃い…ユージオのお婆ちゃんの霊圧。それも、もはや残滓という言葉では足りないほどの霊子が漂っている。
姿はなく、ただ霊子が漂っているのみ。これが何を意味するのか、雛森にとっては明白だった。
そして……もう一つ。雛森だけではなく、ユージオにとっても分かる要素が、一つあった。
「ここ…が」
ユージオの呟きに、雛森はピクリと反応した。
雛森が振り向くより早く、ユージオは木の近くに駆け寄って……木の根元に流れる『血の跡』に、ゆっくりと触れた。
「ここ、で……お婆ちゃん、は……」
「……うん。……君のお婆ちゃんは………………ごめん、なさい」
全てを察していたユージオに対して…雛森は、明確に結果を伝える言葉を発することができなかった。
代わりに発した謝罪の言葉は、彼のお婆ちゃんを奪った護廷十三隊の一員として。そして…辛い現実に対して、唇を引き結んで震えているユージオに対して、自分は支えになってあげられない…あげられる自信がないことに。かける言葉が、見つからなかった。
ユージオは、両膝をついた。膝がお婆ちゃんの血で汚れるのも構わず…その頭が木の幹に触れた。
「……感じる。お婆ちゃんの感じが……匂いとか、じゃない……何か、よく分からないけど…ここに、お婆ちゃんは…いた…んだ」
「お婆、ちゃん…」
ユージオは、雛森と同じようにその霊圧を全身で感じ取り…この世界における初めての肉親の死を受け入れ…泣いていた。
その背中を黙って見つめる雛森は…死神としての力や霊圧といった指標とは異なる「力」のなさ…無力感に襲われていた。
(私は…この子に、なんて言葉をかけたらいいの? …分からないよ)
(ダメ、だね。私…)
雛森は、自らに足りないものを強く実感していた。
自分の周りにいる仲間は、皆雛森より強かった。特に自分の幼馴染だった少年は、雛森の後ろにいたのはほんの一瞬で、すぐに雛森を抜き去って…後はずっと、雛森は守られる側だった。副隊長という立場に立てば、部下もできるのだが…自分よりも実力をつけていく幼馴染や同期を前にすると、どうしても上ばかりを見つめてしまうのだ。ましてや、今でこそ崩れ去った幻想だが、かつては「憧れの隊長」の側に立つことを誇りとしていた時もあった。
つまるところ、雛森は…自分よりも弱い者に寄り添い、支えるという経験が不足していた。
こうした場面に出くわして初めて実感した、自らの力不足に胸を締め付けられる思いでいた雛森だが、それでも目の前で背中を向けて泣いていたユージオの変化は、見逃さなかった。
なんの前触れもなく、ユージオの体がふらりと横に倒れこんだ。
「ユージオ君!?」
すんでのところで、地面と頭が接触する前に体を受け止めることに成功した雛森。一体どうしたのかと、一瞬だけ本気で焦った雛森だったが、その口から漏れる微かな寝息を聞いて、心底ホッとした。少し前に強大な霊圧に当てられながらもお婆ちゃんを想う『心』の『意』志で体を動かしていたが、ここにきて緊張の糸が切れ、倒れこんだといったところだろう。
雛森桃は後悔の気持ちを抱えていた。頰に涙の後を残しながら、寝息を立て眠る小さな少年の姿を見て、自分は真実を教えるべきではなかったのかもしれない…と。
だが……願わくば、彼には真実を知った上で、再び立ち上がって欲しい。雛森には、そう祈る事しかできなかった。
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瀞霊廷に戻った雛森が、自分の隊長を探して辿り着いたのは、綜合救護詰所の一室だった。
「平子隊長! その怪我、どうしたんですか!?」
「おう、桃か。まあ見た目派手に包帯巻かれただけや。勇音のやつ、卯ノ花さんに似て心配性やさかい、参ったで。ま、後もうちょっとしたら、抜け出す手はずやから、安心してや」
ベッドに横たわり、瀞霊廷通信を片手に持ちながらニヤリと笑っている平子隊長。包帯は確かに痛ましく巻かれてはいるが、実際平子は元気そうだし、平子の言う通り確かに四番隊隊長、虎徹勇音は包帯ぐるぐる巻きにするくらいの心配性であるということは、雛森も充分可能性としてあるとは思っていた。だが、雛森が聞きたいのは…それではなかった。
「…流魂街に出現したっていう破面に、やられたんですか?」
「ん? ああ、色々あってな」
「色々って…何があったんですか?」
「色々は、色々や。白黒はっきりつけたさかい、桃は安心しとき」
実際に平子だけではなく、京楽総隊長を初めとする奇妙な連合軍が形成され、叫谷において実に『色々』と言えるような戦闘が行われたことは事実である。何時間にも及んで危険な戦いを繰り広げていたのだが、叫谷という時間流の濃い場所での戦闘だったがために、尸魂界から見れば2分にも満たない時間の戦闘ということになる。
一体どのような事情があり、どんな敵と戦っていたのか。この詳細は、基本的に機密事項として処理される手筈となっており、ちょうど京楽総隊長と伊勢副隊長がその処理に奔走しているはずだ。経緯上、雛森にはある程度詳細を伝えても構わないと言われてはいたが、平子はその匙加減が面倒なので、適当にあしらうことにした。
普段の雛森ならば、頭に疑問符を浮かべながらもとりあえず納得していただろう。だが、今の雛森は普段通りではなかった。普段と違うのは、胸に秘めた決意の部分。
「教えてください。平子隊長。流魂街の破面の件から、全てを」
「……えらい気にしとるようやな………何かあったんかいな」
笑みを引っ込めた平子が、真剣さを増した声で尋ねる。平子の言う「何か」の前、言外に込められた意味を察した雛森は、ポツリと語り始めた。
「…平子隊長は私に命じました。あの子を助けてやってくれと…泣かさないように、と。…でも、私は任務を果たせませんでした」
「あの子…ユージオ君は、泣いていました。お婆ちゃんが、消えた最後の場所で。……泣いているユージオ君に、私は何もできなかった」
「どう声をかけていいのかも分からなかった。私がどんな声をかけても…無意味なんじゃないかって。辛い現実を教えてしまった私に…何も言う資格はないんじゃないかって…」
「そうか…」
雛森の話を聞いた平子は、大きく息を吐いた。これは失望のため息かと、雛森がピクリと震えたが、ベットの向こうの平子の顔は、いつもの人をからかうような笑顔ではなく、優しさと励ましが含まれたような笑顔であった。
「いやあ、謝らなアカンのは俺の方やな。指示、ミスってもうた。桃、今回の任務は合格や」
「え…?」
平子の言葉に、雛森は思わず上ずった声を上げてしまう雛森。
そのままニッと笑いつつ、平子は言葉を続けた。
「泣かすな、っちゅうのは何も絶対涙を流させるなってことやないで。桃、お前の行動のせいであの坊主が涙を流すようなことが起こらんようにって言ったんや」
「…でも! 実際私がお婆ちゃんが死んじゃったことを教えてしまったから、ユージオ君は悲しんで…」
「ほんなら聞くけど、桃。仮にお前がお婆ちゃんの死を隠したら、その坊主は悲しまんかったと、思うんか?」
「!」
平子の指摘を受けて、雛森は目を見開いた。核心の疑問を放った平子はポリポリと頭をかきつつ続けた。
「まあ、俺はあの坊主とちゃうからなあ…100%そうとは言い切れんけどな。少なくとも俺が坊主だったら、例え優しさからくる嘘だとしてもや、頼りにしとったカワイイ死神に嘘つかれたら泣くで」
「でも…桃はちゃんと坊主と向き合って、真実を伝えたんやろ。確かに坊主は泣いたやろうけど、それは桃のことの恨んで泣いたわけやない。いずれくる事実を受け止めて泣いただけや。それを少し先延ばしにしたところで何も変わらん。そのあと坊主が立ち直る時間を考えたら、早い方がよっぽどええ」
「もう一度言うわ。あの坊主を助け、泣かさんようにする。この任務は合格。これがオレの評定や」
「はい...ありがとう、ございます!」
雛森は、自分の悩みを紐解いて解決へと導いてくれた隊長に対し、心からの感謝を込めた念と共に頭を下げた。
平子隊長は、少しだけ気まずそうに落ち着きなく指をくるくる回しつつ、呟く。
「あー、せやけど、ちょっと適当な指示だしたせいでこんなに桃を追いつめるハメになってもうたからな…そこはスマンな」
「全くですよ。平子隊長は指示が適当なのが玉に傷だって、この間も石和君がボヤいてましたよ」
「あ、あいつそんな陰口叩いとったんかいな…」
「でも私もおんなじ感想なんですから、今回の件を機にどうか明確な指示をお願いしますね、平子隊長♪」
「あーあ、調子取り戻した桃には敵わんなあ、全く」
あさっての方向を向いてボヤく平子だが、自らの副官が調子を取り戻したことの安堵と嬉しさから、口元には微かな笑みが浮かんでいた。
そして、ふと思い出したかのように、雛森に向き直った。
「ほんで、あの坊主は今どこにおるんや?」
「あ、はい。…今は、私のお婆ちゃんの所に預けています。私のお婆ちゃん、ユージオ君とのお婆ちゃんとも知り合いだったようで、快く引き受けてくれました。…しばらくは、ゆっくり考える時間を与えたいと、思います」
「せやなあ…ほんなら、桃。追加の指令でも出しとこか」
「…は、はい!」
先程の隊長をからかう態度とは一転して、体を硬くして上官からの命令を受け入れる体勢となった雛森に、平子は再び手元の瀞霊廷通信を読み始めつつ、言葉を投げかけた。
「これからも、あの坊主の支えになりや。仲間に寄り添って、守って、育てる経験っちゅうものを、ちゃんと積むことやな」
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それから、一週間の時が過ぎた。
「すみません、お婆ちゃん。僕、ちょっと…外出てきます」
「そうかい。夕飯は、いつもの時間までに作っておくよ。それまでには帰っておいで」
「……ありがとうございます」
雛森の祖母の家に居候することになって以降、三日間は殆ど布団でうずくまって過ごしていたユージオも、この頃は祖母からもらった着物に着替え、こうして外に出るようになった。だが、これも決して気を取り直して良くなった兆候と断言できるわけではなかった。
彼はむしろ家にいる時間よりも、外に出る時間の方が長くなっていた。それはつまり、ユージオにとってこの家を心の底から受け入れることが未だ出来ていないという証でもある。この家の持ち主である雛森の祖母もそれを感じていた。ユージオが自分を呼ぶ「お婆ちゃん」の声は、彼が本当に呼びたいであろう「お婆ちゃん」とはまた違うであろうことも。それでも、夜になる前に必ずこの家に戻ってきてご飯を食べ、この家で眠りについてくれるということだけでも、お婆ちゃんは嬉しかった。いつかこの家が、心のそこから安らげる場所になることを願っていた。
そんな祈りを受けているユージオだが、未だ心ここに在らずといった風な日々を過ごしていた。毎日外に出るのも、頭の中に明確な目的が思い浮かんでいるわけではない。彼が向かう先は、いつも同じ。自分の恩人を奪われた場所、奇妙な形に穿たれた跡の残るあの丘である。
ユージオにとっては、本来は嫌な記憶を思い起こさせる場所であるはずだった。だが実際のところ、あの時のことはあまりに突然で、非現実的に感じられていた。まるで夢の中の出来事のようで。夢の中で、お婆ちゃんを失い…現実でもいつの間にかいなくなっていたような、錯覚にとらわれていた。だが、この場所に来て、穿たれた丘の場所に足を踏み入れると…一歩ごとに、胸がキリキリ痛む。あの時の現実を、囁いてくる。思わず手が震えかけるが、その震えをユージオは両手を重ねて押さえ込んだ。
丘は、大きな穴が空いてながらも崩れることなく毅然と存在していた。
ユージオはその丘の上で座り込み、ぼんやりと空を眺めていた。彼の耳に木霊するのは、まだ生きていた頃のお婆ちゃんの声。
(この世界でも、人の終わりは来るんだよ。現世で死ぬ時と違うのはね…私達の体は霊子という粒になって、またこの空と現世を漂って、また人の魂として生まれ変わるんだよねえ。魂の形は失っても、本質は無くならないのよ。そう思って、空を見上げると…不思議な気持ちになるのよねえ)
「お婆ちゃんの魂も……空に…漂っているの、かな…」
口に出してみても、空は答えてくれることなく、相変わらず静かに雲を運び続けていた。
そんな時、ユージオは背中から…何かを感じた。
何かをあえて例えるとしたら、「小さな波」のような…。ユージオは最初、着物の中に虫でも入っているのかと思って背中を弄ろうとした瞬間、ユージオの背後から二人分の声が聞こえてきた。
「あー、こいつか?」
「多分な。隊長の言う通り、変な霊圧してんなこのガキ」
突然の声に心臓が飛び出そうなくらい驚くユージオが声を上げるより早く、背後から力強くその右腕を掴まれ、持ち上げられた。混乱収まりきらぬうちに力づくで引っ張られるユージオ。本能的に首を動かして、突然の乱入者を仰ぎ見る。
二人とも、見たことない男性だった。当然、なんの目的でこんなことをするのかも見当がつかない。ただ、ユージオにとって一つだけ分かることがあった。黒い着物を着て、腰に刀をさしている人々といえば、該当するのは基本的に一つ。
「死神…ですか?」
「おう。ちゃんと死神を知ってるようだな。感心感心」
とても心の底から感心しているとは思えない、適当な言葉を放つのは奥の方にいる死神。
なぜ自分が死神に捕まえられているのか、疑問の声を上げようとするユージオだが、それより早く腕を掴んでいる方の死神が声を張り上げてかき消した。
「いっとくが、説明はめんどくせーからナシだ。お前は黙ってついてこい、いいな」
「!」
いいな、と言われても…ユージオには素直に頷くことはできなかった。
ユージオがこれまで知っている死神といえば、自分の命を救ってくれた白い羽織のおかっぱ死神と、自分をお婆ちゃんの最期の場所を教えてくれた女性死神の二人。どちらも自分にとっては恩人だし、優しい人だったということを知っている。安直に考えれば、この死神も実は優しい人だと思うこともできるのだが…
「は…放して、ください…」
「あ? 黙ってろっつったのにこのガキは…こちとらこんなお使いとっとと済ませたいんだよ。もう一度だけ言ってやる。お前は黙ってついてくればいいんだよ」
「っ……」
威圧感。自分の腕を掴んでいる死神から「感じるもの」をそう定義した。圧迫される感覚、それは忘れもしないあの悲劇の日にも感じたもの。強さはあの時とは比べれば弱いものではあるが…あの時と違うのは、その感覚を発する持ち主が目の前にいるという事。ユージオにとって恐怖にも近い感情を呼び覚ますのに充分なくらいであった。
不安と恐怖から、思わずぎゅっと目をつぶってしまうユージオだったが、その時。この場に第三者の声が響いた。
「なにしてんだ、お前ら」
無論、その声もユージオには聞き覚えのないもの。その声に真っ先に反応したのは、ユージオの腕を掴んでいる方とは違う、後方で暇そうにあくびをしていたもう一人の死神だった。
「え…? ひ、日番谷隊長!?」
「な!? な、なんで、日番谷隊長が、ここに…」
ユージオの腕を掴んでいた死神も酷く狼狽した声を出して、手を離す。解放はされたが、どさりと体のバランスを崩して倒れこんだ。一体何が起きているのか、再びユージオが目を開ける。
先ほど自分をどこかへ連れていこうとした二人の死神が、何者かを前にして向き合っていた。おそらく先ほど声をあげた第三者だろう。ユージオの視界からは半分隠れてしまっているが、背丈はなんとユージオよりも低いくらいだ。黒い着物を着ているということは、あの人物も死神なのか。しかし繰り広げられている光景は、子供の背丈をしている死神が成人男性の死神二人に対して強い口調で話しているという、違和感満載の光景であった。
「…流魂街の子供相手に、十二番隊が何か用あるのか?」
「な…なぜ、我々が十二番隊だと…」
「名前はともかく、各隊の席官の顔程度なら記憶してある。それより、質問に答えろ。今やっていることは、お前らの独断か? それとも命令か?」
「っ……隊長の、命令、です…」
「やはり、涅の仕業か…」
小さな死神は、眉根を寄せた怖い顔で一瞬黙り込むが、やがて小さくため息をつくと、低い声でこう続けた。
「今は瀞霊廷の復興が最優先事項。未だどこも人手が足りない状況だ。技術開発局がどんな研究をしてようが干渉するつもりはねえが、あろうことか子供を捕まえるような命令を、復興作業に尽力すべき隊員が行なっているこの現状を看過することはできねえ。お前達には悪いが、この任務は放棄しろ。隊に戻って適切な任務を受けてこい。もし涅から何か言われるようなことがあれば、俺の名前を出して構わねえ」
「は、はいっ!」
「失礼します!」
先程ユージオに対して強気だった二人の死神は、あまりにも呆気なく、回れ右をして去っていった。
突然現れた死神に攫われかけ、それを別の子供姿の死神に助けられるまでトントン拍子に進み、何が起こったかの実感が湧かないままユージオはぽかんとしていた。だが二人の死神がいなくなり、自分を助けてくれた子供姿の死神と視線があったことで、ユージオはハッとした。
(…僕と、同じ目の色だ)
この世界に来た当初から髪の色と目の色のせいで避けられてきたユージオだが、初めて自分の外見を見たのは、雛森の祖母の家の鏡を前にした時だった。鮮やかに光景を映し出す鏡に映る自分の姿は、確かにこれまでユージオが見てきた他の流魂街住人とは一線を画すような風貌であることを理解したものだ。それに加え、柔弱そうな自分の外見も今ひとつ好きになれず、できるだけ鏡は見ないようにしていた。
だが、一度でも自分を見たことがあるからこそわかったのだ。目の前の死神が、自分と同じ翡翠色の目をしていること。そして、その銀髪もまたユージオと同じく…色こそ違えど、その特異性はまた同じなのだ。
この場にただ一人残った銀髪の死神は、一歩こちらに踏み込んで口を開く。
「…怪我はねえか?」
「え、あ…はい。大丈夫……です」
「そうか」
背丈だけを見れば、自分よりも年下に見えるのだが…明らかに年上のような死神二人を言葉だけであっさりと退かせていたこと。そして、その大人びた雰囲気から、ユージオは自然と敬語が口から出てしまっていた。もっとも、この世界に来てからは砕けた口調で話せるような同年代の知り合いは未だいないのだが。
何がともあれ、助けてくれた謎の死神に対してお礼を言おうと口を開く前に、その死神が続けて言葉を発した。
「お前が、ユージオ…だな」
「えっ…? 僕の名前、どうして…」
「雛森から、ある程度事情は聞いた」
雛森。その名前は、勿論ユージオも知っている。驚きで目を見開くユージオを前にして、その死神は無表情のまま…しかし優しい霊圧をその身に纏い、自己紹介をした。
「俺の名前は日番谷冬獅郎。…お前と少し、話をするためにここへ来た」
この世界に来たユージオは、様々な出会いを経て、第二の人生を歩んできた。
自らを受け入れてくれたお婆ちゃんと出会わなければ、周囲の視線と声によって心がすり減って壊れてしまったかもしれない。
あの時平子真子に助けてもらわなければ、自分は迫り来る虚閃によって跡形もなく消し飛ばされていただろう。
平子から紹介された雛森桃から真実を教えてもらわなければ、自分は今も現実を逃避し続けていただろう。
どれもこれも、ユージオにとって大事な出会いであることには間違いない。
そして、たった今起こった日番谷冬獅郎との出会いも、それらと同じくらい重要な出会いの一つに数えられる。
だが今回の出会いが、他の出会いとは違うところが、一つある。
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「…驚いたわ。こんなところに、人がいたなんて」
「はい! 自分も驚きました! 他に人がいないような場所を選んだつもりで、住んでいたので!」
「そ、そう…。でも、本当になぜかここには誰もいないわよね。…私も、誰もいない場所を探してきたんだけどね」
「わあ! じゃあ自分と一緒なんですね! でしたら多分、ここはちょうどいいと思いますけど…あっ、でも自分がいたらお邪魔ですか? でしたら…」
「あ、そんな大丈夫よ。見たところ、あなた悪い人じゃなさそうだし。私は、人からジロジロ見られるのがイヤになっちゃって、ちょっと離れたくなっただけだから」
「…悪い人じゃない、そう、言ってくれるのですね…」
「…? 私は、そう思うけど…。そういえば、あなたはどうしてこんなところにいるの?」
「自分は…今まで「世界」というものを知りませんでした。だから…自分の力だけで生きてみたいと思ったんです。今はまだ、明確にやりたいことができてる訳ではないのですが…」
「ふーん、何か深いワケがあるのね。でも…私も同じように「この世界」ってのをよく知りたいのよね。…うん、決めた! 私もこの近くに住むわ。見たところ、誰もいない割に家はたくさんあるみたいだしね」
「そうですか! あ、それならあっちの家がいいですよ!自分の家の隣なんですけど、全体的に汚れてないですし…綺麗な布団もあります!」
「教えてくれてありがとう。………あら、ホント。小さいけどいい家ね。私一人なら充分な大きさだし、お言葉に甘えて住まわせてもらうわね」
「気に入ってくれてよかったです! ということは、これからはお隣さんですね! よろしくお願いします!」
「あら、これはご丁寧にありがとう。…そういえば、あなたの名前まだ聞いてなかったわね。教えてくれるかしら?」
「はい! 自分は
「ウブギヌ、君? ちょっと不思議な感じがする名前ね」
「あ、いえ! 産絹は苗字です! 彦禰、が自分の名前です!」
「え!? じゃあヒコネ君ってことかしら…でもおかしいわね、私は名前が先で、苗字が後だと思ってたんだけど…」
「そうなんですか? 自分の知っている人は、すべて苗字が先で、名前が後だったのですが……あなたは違うのですか?」
「うん。私の名前は、アリス・ツーベルク。アリスが名前で、ツーベルクが苗字なのよ。
ユージオの出会いとほぼ時を同じくして、もう一つの出会いが、生まれていた。
関西弁 is ムズカシイ