祝っていいのか実際のところよく分かりませんが、とりあえず20万字超えました。
これからも頑張ります。
涙が、止まらない。
もういい、止まれと念じてみても…目から止めどなく流れる涙は、容赦無く枕を濡らす。ままならない体に思わず苛立ちながらも、あらためて上体を起こし、ベッドの上に足を伸ばして座る。
この世界にいる自分はなぜか寝巻き姿から院生服になってはいたが、懐に手巾はなかった。なので、代わりに枕を引き寄せて顔を
自分は、存在してはならない人間なのだ。
体が多少言うことを聞くようになったことで心が落ち着き始めた時、院生ユージオは冷静な思考のままにそう思った。今からでも自分が死ねば、自分のような偽者ではなく…たった一人、本物の”ユージオ”が尸魂界の土を踏む。それが…最も正しき道理に違いないと。
だけど、この世界で死んだ自分は、そのまま消えることができるだろうか。
それとも、ただ現実の世界で目覚めるだけなのだろうか。
もしくは…死ぬことそのものが不可能なのか。
院生ユージオの腕から離れた枕は、ポフリと地面に落ちた。多量の涙を受け止めて地に落ちた枕を気にかけることもなく、そのまま彼は背の斬魄刀を抜いた。試しに、刀を自らの首筋に当ててみる。現実の世界から院生ユージオについてきた斬魄刀は、この記憶の世界の中においても、相変わらず鈍く輝きながら…院生ユージオの首筋に冷たい『死』の感触を与えてくる。
そして…その冷たい感触は不思議にも、院生ユージオの脳裏にあの約束を思い起こさせた。
「…っ」
霊術院生徒三人、それぞれの血で刻み込んだ永久の誓い。院生ユージオは、無念そうに目を閉じた。もはや、今の自分は一人の命ではない。三人分の命で、ずっと繋がっているのだ。それは自ら望んだことであり、無論 後悔はしていない。しかし、消えるべき自分の命と、その肩に乗る掛け替えのない仲間の命……矛盾した二つの命を前に、彼は板挟みの感情に苦しむこととなった。
皮肉にも…彼は過去の雨涵と同じになっていた。
絶望のあまりに、自分という存在を否定することしか考えられない。クラスメイトとの誓いを交わす前の彼女と同じように…底無し沼に
院生ユージオの体は彫刻のように凍りつき、もはや一寸たりとも刀を動かすことはできない。
それなのにも関わらず…なぜか突然に、その手から斬魄刀が弾けるようにしてふっ飛ばされた。
ベッドの横に落ちて金属音を立てる斬魄刀、手に加わった衝撃によって思わず後ろに倒れ込む院生ユージオ。ベッドの上だったことが幸いして、痛みはなかったが。
「……何してるの…?」
院生ユージオの手から斬魄刀を弾き飛ばした張本人……青年姿をした自分自身が、酷く動揺した表情でベッドに倒れ込んだ自分を見下ろしていた。院生ユージオはまた胸の内側が痛み始めるのを感じながら、起き上がる気力もなくただ青年ユージオの顔を見つめて呟いた。
「…一人にしてくださいって、行ったのに」
「質問に答えてよ。君は一体、何を…」
「別に……刀を首に当ててただけ…ですよ」
まるで他人事のように淡々と喋る院生ユージオを見て、青年ユージオはさらに困惑の色を深めた。
「……死ぬ気だったとでも…言うつもりなの?」
「死ぬつもりでした、最初は。でも、僕は死ねないことを思い出したんです。約束が、あるから」
あっさりと自分の死について肯定する院生ユージオは、ベッドの上で寝転んだ体をゴロリと横に動かし、青年ユージオを視界の外に追いやった。
「もう少し…一人にしてくれませんか。あなたとこれ以上いると…………その……苦しい、です」
院生ユージオから放たれた、拒絶の言葉。だが、その言葉は完全に青年ユージオを否定しきれず、戸惑いがあることを彼は確かに感じとった。
ベッドに横たわったまま背中を向ける子供の自分に対し、青年ユージオはもう一歩ベッドに近づいた。
「…もしよかったら話してくれないかな。君が一体…何に苦しんでいるのか…」
「………」
「…頼むよ。ひょっとしたら…僕も力に、なれるかも…」
「そんな…”本物”のあなたには、関係ないですよ…」
「”偽者”の僕は…本来なら、消えて無くなるべきって。それだけの話、ですから…」
「……!」
青年ユージオの目が、驚きで見開かれた。
だが…その言葉で彼は全てを理解することができた。院生ユージオが一体何に、苦しんでいるのか。彼が苦しんでいるのは、自分自身の存在そのものだったのだ。いや…それに加えて、青年ユージオの存在自身もまた…彼の苦しみの一端となっているかもしれない。
青年ユージオの脳裏に、ある人物の姿が思い浮かぶ。
まだ自分の命が人界と呼ばれる世界にあった頃、出会った女性のこと。自分が救いたいと願った女の子と同じ姿でありながら、また別の魂を持った女性。共にいた時間も長いとは言えず、言葉もほとんど交わせていなかったが…凛としたその佇まいの中で、自らの信ずる物のために剣を振るっていた…騎士の魂を持つ女性。
───次に許可なく触れようとしたら、その手を斬り落とします
───いいでしょう、お前たちの邪心がいかほどのものか、その剣筋で試すこととします
───そのとおりです。十秒、どうにかして防ぎます。キリト、ユージオ、その間にチュデルキンを討ってください
───……けれど、私はこの痛みを……初めて感じるこの気持ちを消し去りたいとは思いません。なぜなら、この痛みこそが、私が人形の騎士ではなく、ひとりの人間であることを教えてくれるからです
彼女の姿を脳裏に思い浮かべながら、青年ユージオは…
一度大きく息を吐いてから…口を開いて言葉を紡ぐ。
ユージオの…自分自身の言葉で、彼を諭すために。
「それは…違うよ」
「君は、偽者なんかじゃない」
その言葉を耳にした院生ユージオは、背を向けて横たわるその体をピクリと動かした。
数秒の沈黙の後…彼の体はようやく、ゆっくりと起き上がり始める。
「…何を、言ってるんですかっ…!」
ゆらりと青年ユージオに向き直った院生ユージオの瞳には…未だ色濃く絶望が残っており……やがて、ずっと心のうちで燻ってた思いを吐き出すように、声を張り上げた。
「本当だったら…記憶が戻ったあの時……! 偽者の僕が消えて、あなたが現実の世界でたった一人の”ユージオ”になるはずだった! そうでしょう!? 僕が斬魄刀を持っていたばっかりに…あなたは、こんな記憶の世界で……ずっと一人で彷徨って苦しんでいたんだ!」
「僕は知らない間に…ずっとあなたを苦しめていたんだ! あなたが苦しんでいる間、のうのうと勉強して、食べて、遊んで! 挙句、やっと現実の世界に来ていたあなた達を勝手に”偽者”だなんて呼んで、捕まえようとしていた!」
さっきまでは抑えられていた涙が、また少しずつ溢れ出てくる。自分自身を貶し、否定し、攻撃するその行いは、当然自分に痛みを与えるもの。その痛みに院生ユージオの心が悲鳴を上げている。それでも彼は止まらない。止めてはならないと思っている。
「僕は…消えないといけないのに! あなたに、この体を返さないといけないのに……」
「それなのに……死ねないんです。約束を、してしまったから。僕が死んだら……アリスも、雨涵も、きっと…後を追ってしまう…」
「…死んで、欲しくない。二人は、生きていて欲しい…でも、僕は死なないといけなくて…二人が生きるために…僕は……僕は……もう…」
「………分からない。僕には、もう、何も…」
院生ユージオの体がまた、ベッドの上で崩れ落ちた。
彼にはもう、再び溢れ出した涙を抑えようと思うことすらできなくなり……
解決不能な
そんな子供の自分自身の隣に、青年ユージオは腰かけた。
ベッドがぽふりと、音を立てる。
「少し…聞いてほしい話があるんだ」
「僕が生きていた頃の…世界の話を」
「………」
「…実は、ね。僕がいたあの世界には…『アリス』が二人いたんだ」
「僕と幼馴染みの『アリス・ツーベルク』ともう一人…『アリス・シンセシス・サーティ』って名前の…騎士が」
「……きし」
青年ユージオは一つ頷いて、話を続ける。
「そう…とても強くて、凛々しくて……信念を持って、僕らと一緒に戦ってくれた人」
「僕は…そのアリスを、消すつもりだった」
「………」
「そうしないと…『アリス・ツーベルク』は戻ってこないから。あの世界では…アリスは一人しか、生きられなかった。僕が剣を振るって戦っていたのは…『アリス・ツーベルク』を取り戻すためであるのと同時に、『アリス・シンセシス・サーティ』を消すためでもあったんだ」
「だけど、そうはならなかった」
「死んだのは、『アリス・ツーベルク』……それと僕、だったから」
「僕とアリスは死んだ後は…
さっき君に話した通り、記憶の世界で随分長い間…彷徨うことになった」
「でも僕は、それで良かったと思ってる」
「…ぇ」
しゃがれながらも気の抜けたような、奇妙な声が隣から漏れる。
青年ユージオは、自分より少しクセ毛な彼の頭を優しく撫でた。
「だって…誰一人消えないでいてくれたからね。騎士のアリスも、”ユージオ君”も…ね」
「っ!」
青年の自分自身が言わんとしていることを感じ取った院生ユージオの心から…
崩壊の音が、止んだ。
「もし…僕が普通に記憶を取り戻していたら、確かに君は消えていたかもしれない。だからと言って、今の君が『消えるべき存在』とも、ましてや『偽者』だなんて欠片も考えていないよ」
「僕の世界の『アリス・ツーベルク』と『アリス・シンセシス・サーティ』…どちらも、立派な魂を持った本物のアリスであるように…」
「君も、僕も…紛れもなく本物の“ユージオ”だと、そう信じているよ」
「だから、君が消えなくて…本当に良かったと思ってる」
「…う、うゔっ……ひぐっ…え…う…」
本日もう何度目になるかも分からない院生ユージオの涙が、今度はベッドの端まで滴り落ち、床に転がっていた抜身の斬魄刀に滴が付着する。だが、今日に至るまでに流してきた涙とは、違う。
青年ユージオにも、それがよく…分かる。
「君を消してまで…僕は人間として生きたいとは思っていないよ」
「僕はもう…死んだ人間だからね。でも、君はまだ…生き始めたばかりじゃないか」
「だから…自分が死ぬべきだなんて、思わないで。ユージオ君」
「精一杯、君の世界で、君だけの人生を、思いっきり生きてほしい」
「それが…ただひとつ、僕から君への…お願い、だよ」
「う、う、ゔわぁぁあぁああああ〜〜ん!!」
「うわっ、おっ!?」
顔中体液で濡らしまくった院生ユージオは、感極まったような大声を出して青年ユージオに抱きついた。思わぬ奇襲を受けた青年ユージオは危うくベッドに倒れかけるが、持ち前の体幹と気力で何とか踏ん張ることができた。
「ひっぐ……う、うう…ん、っ…」
「………」
自らの胸に顔を埋めて泣き続ける院生ユージオ。青年ユージオは、静かに少年姿の自分を優しく抱きしめて、優しく撫でた。
院生ユージオの心に湧き上がる気持ちの整理がつくまで、ずっと。
偽者から、本物へ。
彼が自分の存在を”本物”であると感じたその喜びを、二人のユージオは共に噛み締めていた。
「ぐすっ…あ、あの……ひとつ、僕からも…お願いしたい、ことが……」
「…?」
「えっと…その…」
元は一人の魂が
「兄さん、って…呼んでもいいかな?」
今日、二人の兄弟となった。
(夢から醒める感覚と、よく似てるけど…なんか違うな)
瞼を開けた院生ユージオが一番最初に思った感想が、それだった。
そしてその感想を思い浮かんだ直後、自分が床に立てた斬魄刀に額を当てている体勢だったことをすっかり忘れていたお陰で、思わずバランスを崩して床に倒れ込んだ。その際、自分の体の下に位置することになった斬魄刀の唾の部分が胸に痛く打ち当たり、院生ユージオはカエルが踏み潰されたような悲鳴を上げた。
「だ…大丈夫かい?」
「なんとか……もう、背中の次は胸まで打っちゃったよ…」
一緒に現実世界にやってきていた青年ユージオから心配する声をかけられ、院生ユージオはゴロンと仰向けに寝っ転がって乾いた笑いをもらした。やっぱり、不思議な感じだ。あれだけ精神世界で泣き腫らしたのに、胸の痛みを除けば体はいつも通りだった。
…そうしていると、なんともタイミング良くガチャリと部屋のドアが開いた。
「…な、何をやってるんだ、ユージオ? もう刃禅は終わったのか?」
「あ、ああ…雨涵。刃禅は、そう…一区切りついた所かな」
視界に映る見上げた天井の中に、驚き顔の雨涵が現れた。刃禅していたはずの院生ユージオが部屋のど真ん中で転がっているのを見れば、そりゃ驚くだろう。相変わらず院生ユージオは乾いた笑いでごまかしながら体を捻って起き上がった。雨涵は後ろ手にドアを閉めながら「そうか…」と言いつつ、軽く青年ユージオに会釈した後に部屋を見渡した。
「時に…アリスは、どこへ行ったんだ?」
「へ?」
また思わず間抜けな声を出してしまった院生ユージオも、一緒になって二段ベッドの上の方を見ると…確かに、そこで自分と同じように刃禅していたはずのアリスの姿がない。
トイレにでも行ったか、それとももう自分の部屋に戻って眠ってしまったのか。アリスの行方について二つの可能性を院生ユージオが頭に浮かべたその瞬間、
バタン! という音と共に部屋の音が勢いよく開かれた。
「はぁ…はぁ……! ゆ、ユージオ! 大変! 大変なのよ!
雨涵が……雨涵が、どこにもいないの!!」
「……………え?」
息も絶え絶えになりながら部屋に飛びこんできたアリスの言葉に、ユージオ×2は思わず圧倒されてしまい、理解も及ばずポカンと口を開けるばかりであった。そして、アリスが勢いよくドアを開けたことにより背中が思いっきりドアに当たってしまい、部屋の隅で痛みに
「雨涵…ほんっとーにゴメンなさい!」
「だ…大丈夫、だ。元はと言えば、私が悪いのだからな…」
地に頭をつけんばかりにしてクラスメイトに謝る院生アリスと、その頭を物理的に上げさせようとアリスの肩を手に持つ雨涵。側では相変わらずユージオ×2が佇み、また逆サイドの側には青年姿のアリスがいた。
「もう、だから言ったじゃない。
なにもそんなに慌てなくても、あなたの友達なら心配することないって」
「うう…いいのよ、姉さん! 分かってはいたけど…
私としては、いても立ってもいられなかったんだから!」
院生のアリスが青年のアリスを「姉さん」と呼ぶその様子を見て、
二人のユージオは思わず顔を見合わせて、少し笑った。
それはともかく、何故こんなすれ違いのようなことが起こったのか…ユージオ達が事情を聞いてみたところ、どうも先に姿が見えなくなったのは雨涵の方らしい。
ユージオより先に刃禅を終わらせたアリス達が部屋を見てみると、雨涵がいない。トイレと雨涵の部屋にも姿はなく、寮全体を探し回ってもいない。ここで大きな不安に襲われた院生アリスは、青年アリスの制止にも関わらず外に出て、霊術院前など、深夜の瀞霊廷の中で心当たりある場所を手当たり次第探していたらしい。
タイミングが良いのか悪いのか、雨涵が何らかの用事から寮に戻ってきた直後に、探し回って疲れ果てたアリスが帰還したという訳だ。そのために雨涵がアリスの開けた扉に打たれたことを考えると、やはりタイミングが悪いというべきだろう。
これでお互い話の整合性はとれた…が、相変わらず疑問は残る。
つまり、雨涵はこんな深夜に外に出て一体何をしていたのかということ。
その疑問をユージオやアリス達が口に出す前に、雨涵が自ら口を開いた。
「すまない……さっきまで私が何をしていたかは…その……言いたくない」
明らかに挙動不審となった、否定の言葉。
だがそれを聞いた院生二人は、互いに顔を見合わせて笑った。
「『言いたくない』…そっか」
「それなら…仕方ないわよね」
「…必ず、いつかは話す。だから、今は聞かないでいてくれた方が嬉しい」
「もちろん! じゃ、雨涵が話してくれる時を、楽しみに待ってるからね!」
何だかよく分からないが、院生三人微笑ましく仲良しなその様子を見て、青年二人もまたなんだかほっこりとした気持ちになった。
ただ…その気持ちの影には、微かな寂しさも含まれていた。