次話の見逃しにご注意ください。
現世行きまで、あと二日。
*
*
*
*
*
*
その唸るような轟音は、流魂街に住む民にとっては普段まず聞く事はない音だった。
しかし、一部の住人はその音を聞いて、もうとうに忘れかけていた昔の記憶を思い出していた。
肩が凝るほどの機械に溢れていた現世での思い出を。
その轟音の正体は、舗装されていない流魂街の道をガタガタと走り続け……やがて、
「ありがとうございます、檜佐木さん! バイクって本当に速いんですね! 私もお金を貯めて買おうかなー」
「…それはいい考えだ。だがまあ……それなりに覚悟はしておいた方がいいぞ…」
ヘルメットを取って無邪気な事を言うアリスの背後で、カワサキZ-IIの持ち主である九番隊副隊長 檜佐木修兵はこのバイクを買うまでに味わった苦節惨憺を思い出し、少し複雑な表情。副隊長の給料を持ってしても相当な節約と貯金を強いられてようやく手に入れたのだ。バイク仲間が増えるとしたら嬉しいが、そこに至るまでのアリスの苦労を想像すると少しいたたまれない気にもなる。ちなみに檜佐木が現世の物価について疎いのを利用して、バイクの売り手である浦原喜助から結構ぼったくられている事を檜佐木は気づいていない。
アリスは檜佐木にヘルメットを返すと、懐かしき西流魂街64地区『錆面』の村落の地をキョロキョロと見渡しながらも、あの頃は朧げにしか分からなかった霊覚を研ぎ澄まし始める……が、次の瞬間にそれは必要なくなった。
アリスと檜佐木の二人の視界…村の奥の森から一筋の赤色の閃光が、空に向かって一瞬伸びて…やがて消えた。
「あれは…」
「間違いない! 彦禰の
檜佐木が二の句を告げる間もなく、アリスはたたっと駆け出していった。檜佐木はそれを追いかけながらも、霊術院の院生が虚閃を目印にして友達を追いかけるとは、何だかすごい状況だなとは思った。そもそも虚閃なんて普通、
*
*
*
*
*
*
「わあ! アリス! 帰ってきてたのですね!」
「彦禰!久しぶりー! 村の方にいなかったからちょっと心配だったけど、元気そうでよかったわ!」
「そうですか! 心配かけてすいません! ちょうど狩りをしていたんですよ!」
そう語るアリスの最初の友達 産絹彦禰の言葉通り、確かに背後には鳥や獣の亡骸が数匹折り重なっていた。しかもただ普通に狩ったのではなく、先ほどの様子からするに、虚閃を使って仕留めたようである。
「調整して虚閃を使うと、うまい具合に中が加熱されるんですよ! もちろん血抜きや解体は必要ですけど…あ、せっかくですので、すぐ皆さんの分準備しますね!」
「私も手伝うわよー彦禰! 解体、久しぶりだしね!」
「あー、待て待て。食い物の差し入れなら持ってきたっての。それに、俺の分はいい。すぐ仕事に戻らないといけないんだ。また数時間後に迎えに戻るからな」
檜佐木は軽く首を振った。せっかく彦禰が振る舞ってくれるという食事を拒否した理由は、言葉通りの意味の他にもまだあった。というのも、檜佐木は動物の解体を見るのが苦手だった。かつて何回か見た事はあったが、解体のグロさも匂いも、それを彦禰とアリスがどことなく手馴れた感じで作業する光景も、大人になった今でも刺激が強い。檜佐木も流魂街出身ではあるが、霊力のあった彼が腹を空かした時には食糧を分けてくれる仲間も保護者もいたため、二人みたいなサバイバル経験は皆無だし、内臓をほぼ素手で取ったり切り分けたりする作業は、敵を斬ったり鬼道で攻撃したりする戦闘とは別ベクトルのグロさがある。
食べ物の差し入れを彦禰達に渡した檜佐木は、半分逃げるようにバイクに乗って去っていった。彦禰とアリスは「?」と互いに顔を見合わせた。
*
*
*
*
*
*
「そうですかー。1ヶ月も現世に…」
「彦禰は、現世に行った事ある?」
「いいえー。残念ながら、現世は見たことも行った事ないんですよ。
「そうなんだ………へっ!? 虚圏!?」
家の中で他愛のない雑談に花を咲かす、アリスと彦禰。その中でも初耳な衝撃発言を聞いたりするアリス。
「ね、彦禰。虚圏って、どんなところなの?」
「そうですね…あんまり長くはいなかったので、あまり話せることが……あっ、そうです! アリスが現世から帰ってきた時の、お土産話と交換というのはどうです?」
「…しばらく見ないうちに、
「帰ってくる時には、お肉たっぷり用意しますから! …ダメですか?」
「そんな顔しないで。…交換材料なんてなくても、ちゃーんと話しくらいいくらでもしてあげるから、安心して頂戴よ」
交換材料を持ち出す交渉術を覚えた彦禰ではあったが、まだまだ純粋なところが見え隠れしているようだ。交渉に応じた冗談っぽい言葉も真剣に受け止める彦禰に、アリスは軽く笑う。この純粋さが、彦禰と話してて楽しいところでもある。
「そういえば、アリスはどれくらい強くなりました? ひょっとしてもう、僕よりも強く……?」
「……そのこと、なんだけど」
さっきまでの柔らかい雰囲気とは違い、彦禰が放った言葉を聞いたアリスがちょっと体を固くした。
「私、ちょっと自信なくしちゃって…ね」
「…アリスが、ですか?」
「そう、私が。……自信を持ち続けるのって、意外と大変なのよね」
視線を彦禰から外し、アリスは遠くの空を見上げるようにして目を細める。森の中の大きな岩に座って足をぶらつかせながら、ぼやくように話し始める。
「さっき話した同級生……ユージオは剣の腕もすごくて、始解もできる。もう一人…雨涵は白打が強いし、私よりもたくさん修行して瞬歩まで身につけていた。私も、鬼道の腕前がすごいとは言われたけど…それじゃ、あの二人には勝てないの」
「雨涵の瞬歩なら私の鬼道を躱せるだろうし、ユージオは剣で防ぐなんてできちゃう。それで一度近づかれたら、もう私の剣の腕じゃ勝てっこない。霊術院に入ってまもない頃は一対一でも勝ててたけど…同級生にこうも差をつけられると…やっぱり、へこんじゃうわ」
手を組んで、ハァーと大きなため息をついてやれやれと首を振るアリス。何やら思い詰めている様子のアリスを見て、彦禰は心配の色をますます深めた。
「あの…アリス…」
「でもっ! 勘違いしちゃダメよ、彦禰!」
「わあっ!」
思い詰めた様子から突然アリスからビシッと指を突きつけられ、彦禰は驚いた。そう、純粋な彦禰はまたもや勘違いした。ただ思い詰めている様子だからといって、心までその通りという訳ではなかった。アリスは思ったより、自分の本当の感情を隠すのが上手い。
「自信をなくしたからって『彦禰を超える』という最終目標を諦めたつもりはないんだからねっ! ただ、その前にいくつも目標ができただけ! 『ユージオを超える』『雨涵を超える』という目標がね!」
「自信をなくしたなら、もう一回手に入れればいい! そのためにすべきことも分かってる! 修行をして、通過点の目標を超える強さを手に入れること! そのための覚悟なら、私はずっと持ってるし、これからも失わないんだから!」
「そうですか……やっぱり、アリスはアリスでしたね! 何も変わってない……いいえ、アリスらしいままもっともっと強くなったと思います!」
アリスの決意の言葉を聞いた彦禰は、にっこりと笑った。優しくて気が強く、決めたことは一直線。そんな友達のアリスが、もっと強くなって帰ってくる日を、彦禰はずっと楽しみに待っている。
*
*
*
*
*
*
*
*
*
*
*
*
*
*
*
*
*
*
アリスと彦禰が仲良く談笑している頃とほぼ同時刻。
ユージオもまた、流魂街にいた。ただしその場所はアリス達がいる場所とは遠く離れている。場所は瀞霊廷より近く、バイクを使うまでもない。
西流魂街一番区。そこにある住居のとある一軒家に、ユージオはいた。
もちろん、そこにいるのはユージオ一人ではない。
「日番谷隊長は、現世に行ったことはありますか?」
「ほとんどないが…一回だけはな」
「シロちゃんは昇進スピードが本当に早かったからねー。現世駐在任務とかをやる前に一気に隊長だもん。いつの間にか私なんかとっくに追い抜いて…」
「あれ…? ということは、駐在任務以外の理由で現世に……ですか?」
「…まあな。とは言っても、あまり現世には詳しくねえな。それほど長く滞在してねえし」
こうして家の軒先の下スペースに座って、日番谷隊長 雛森副隊長と三人で座って話していると、あの頃を思い出す。自分が初めて死神を志したあの日。そのきっかけは、こうして日番谷隊長達と会話した時のことだった。
もう明後日には、アリスもユージオも現世に赴く。その間に、二人は今までの尸魂界生活でお世話になった人達と会っておこうと思ったのだ。今頃はアリスも、流魂街にいた頃の友達と会っていることだろう。ユージオが会いに行ったのは、流魂街にいた頃にお世話になった日番谷と雛森の祖母でもあるお婆ちゃん。だけど、昨日突発的に決めたこの会合に合わせてなんと日番谷隊長と雛森副隊長が半休を取ったという話を聞いて、大層驚いたものだった。昨日の平子隊長といい、どうして自分たちのような院生達のために隊長格の人たちがよく時間を割くのだろうか。ユージオは疑問に思っていた。
平子隊長のことはともかく…なぜ、今日の日番谷隊長と雛森副隊長がわざわざ合わせた休みを取ってまでユージオに会いに来たのか……その理由は、もう間も無く氷解することになる。
ユージオの流魂街時代の保護者であり日番谷と雛森の祖母でもあるお婆ちゃんが、久しぶりに訪れた子供達のための夕飯を作るため台所に立っているのをチラリと確認した日番谷は、ゆっくりと立ち上がった。
「ユージオ。夕飯前に少し、お前に見てもらいたい場所がある。…ついて来てくれるか」
「えっ……? あ、はい…」
それは、何の前触れもない急な誘いだった。だが突然そのような事を言われても、そこで何の疑問や疑念も口に出すことはなく、ユージオは同行に了承する。それほどまでに、日番谷隊長に対する信頼は深かった。とはいえ、口に出さないだけで疑問がない訳じゃない。確かにこの流魂街近辺については、日番谷隊長の方が自分より遥かに先輩だ。なのでこの一番区にて自分の知らないような場所があっても全く不思議じゃない。けど……それは、わざわざ自分に見せる必要のある場所なのだろうか。
疑問が隠しきれないユージオの表情とは対照的に…先導する日番谷と、ユージオの後ろからついてくる雛森の両名は……神妙な表情をしていた。
*
*
*
*
*
*
*
*
*
出発前に日番谷から「少し歩くぞ」と言われた通り、しばらく歩き続ける時間が続いた。その間、日番谷も雛森も……家にいた時が嘘のように静か。無言のまま、ただ歩く。もちろんユージオも、気軽に口を開ける雰囲気ではなかった。代わりに頭の中で色々と考えていた。自分はこれから一体何を見るのか。しかし頭でその候補が思い浮かぶたびに、それは水泡のように弾けて消えていく。彼の考えでは、正解を導くことはできないようだ。
頭で考える事を放棄したユージオは、改めて周囲の光景に注意を向ける。歩いているうちに村落から外れ、森の獣道のような場所に入っていった。こうなってしまっては、辺りから場所を推測するのも無理というものだろう。何せ右を見ても木と草。左を見ても木と草しかないのだから。
仕方ない。今はあれこれ推測するようなことはせず、黙って日番谷隊長についていこう……と、考えたユージオが何気なく上の方に視線を向けた瞬間……
その目に映った光景に、心臓が大きく揺れ動いた。
(………あ)
日番谷と雛森の足は止まらない。彼らが見せたいものとは、今ユージオが心を乱されたあの光景とは別だろう。そもそも……その光景は、ユージオもよく知る……流魂街における、最も辛い記憶の場所。
初めてこの世界に辿り着いたユージオを救ってくれた、大好きなお婆ちゃんと永遠の別れをすることになった……あの、場所が。
心の動揺を抑えるためか、無意識にユージオの手が自らの胸を強く引っ掴む。一瞬、足が止まりかけたが…グッと堪えて、また日番谷を追って歩き出す。偶然、という言葉が頭の中でチラつき始める。だがチラつくその言葉の裏側では……もしかして、という言葉が張り付いて、またもユージオの心を揺さぶっていた。
偶然という言葉と、もしかしてという言葉。
ユージオの心に燻る二つの言葉のうち……それが正しかったのは、後者の方だった。
*
*
*
*
*
*
やがて、日番谷が足を止めた。
着いたのだ。目的の場所に。
その場所は、ユージオも知っていた。
来たことがある場所だった。
「あ……ああ…」
ユージオの喉奥から、ほとんど言葉にならない声が漏れた。
日番谷が見せたかったのは、この場所のことではなかった。
この場所に建てられた、ある物のことだった。
少し離れた郊外に静かに立つ、一本の木。
その前に、それは建てられていた。
「すまない。…造るのが、随分遅くなってしまった」
日番谷が発した言葉を背に、ユージオはふらふらと歩き出す。
それに近くにつれ、彼の鼻を
お婆ちゃんの名前が刻まれたその墓の前に、ユージオは両膝をついて座り込んだ。
この木の下は…お婆ちゃんが命を散らした、最後の場所。
ユージオのお婆ちゃんの体は死に、既に霊子として分解された。この墓の下に眠っている訳ではない。
だが…十二番隊の実験の犠牲となった無辜の民がいた事を忘れぬように、弔うため。
日番谷隊長 雛森副隊長 京楽総隊長三名の私財を元に、一基の墓が建てられた。
墓が建てられて以降…日番谷達の祖母も、定期的な墓参りと掃除のためにこの場を訪れるのだ。
*
*
*
*
*
*
——お婆ちゃん。
——あの時、貴方を護れなくて……救えなくて、本当にごめんなさい。
——どうして僕だけが生き残ってしまったのか、あの日からずっと考えてた。
——でも…今の僕は、その意味を自分自身で見つけ、決めたんだ。
——もう二度と、お婆ちゃんみたいな犠牲を出させない。
——たくさんの人を護りたい。多くの人を…救いたい。
——手の届く範囲だけじゃない。目で見える範囲だけでもない。
——山ほどの人を護り、救いたいと思う。
——そのためには、強さが必要だと知った。
——人を護るために、盾となれる強さ。
——悪を打ち倒せる、剣となれる強さ。
——人を救えるために必要な強さは……まだ、今の僕にはわからないけど。
——この道の……死神という道の先に、人を護れる強さと救える強さがある。
——僕は、そう信じてる。
——現世から帰ってきたら、必ずまたここに寄るよ。
————行ってきます。お婆ちゃん。
*
*
*
*
*
*
「本当に…ありがとうございます。日番谷隊長、雛森副隊長」
「現世駐在任務体験、頑張ってね!」
「気をつけて、な」
「はいっ!」
*
*
*
*
*
*
*
*
*
*
*
*
*
*
*
*
*
*
*
*
*
*
*
*
現世行きまで、あと一日。
明日には、行かねばならない。
*
*
*
*
*
*
昨日は、ユージオとアリスがそれぞれ懇意の人の元へ会いに行った。
しかし今日は、ユージオとアリス…そして雨涵。
三人で一緒に色々なところを巡った。
*
*
*
*
*
*
真央図書館の司書さんに、挨拶に行った。
「頑張ってね! それと…はい、これ。ちょっと少ないけど、これで現世の本を買ってみてね」
「そ、そんな…悪いですよっ」
*
*
*
*
*
*
ユージオがバイトしていた甘味処『雪味』にも三人で行った。
「ユージオ君の友達なら、好きなだけ頼みなさいな。ご馳走するわよー」
「あのー女将さん…僕は…」
「常識的な範囲内だったら、もちろんユージオ君もご馳走するわよ?」
「「はは…」」
*
*
*
*
*
*
アリスが手伝い兼勉強に赴いてた四番隊救護詰所にも、三人で行った。
「寂しくなるな〜アリスちゃーん!」
「現世で困ったことがあったら、いつでも帰っておいでね〜」
「アリスちゃん、四番隊に入る気はあったりするー?」
「…すごいなあ、アリスの人気……」
「ユージオ…ひょっとして、妬いてたりするのか?」
「まっ、まさかー…」
*
*
*
*
*
*
お世話になった隊長達、副隊長達にも挨拶に赴いた。
特に、五番隊の所へ赴いた時は…
「ええか。現世での注意点その1!ユージオ君はともかく、義骸のアリスちゃんが一人で出歩くのはアカン! 必ずユージオ君も義骸に入って一緒に行動し……そしてお互い、恋人同士のように振舞うんや!」
「「「ええーっ!?」」」
平子隊長による独自の見解から解説する、現世での心得講座を受けたりした。
*
*
*
*
*
*
そして、綺麗な夕焼けが空に浮かび始める頃。
パシャリ!
「…はい、これでどうかな?」
「ありがとうございます!」
色んな場所で色んな人にカメラを託し、院生達三人揃った写真を撮ってもらった。
何枚も。何枚も。二人っきりで現世に赴いても、寂しくないように。
*
*
*
*
*
*
今日という1日は、あっという間に過ぎてしまった。
もう、残りの時間も少ない。
霊術院に入学してから、ほぼ毎日通っていたいつもの銭湯。いつもの弁当屋。
それらも全て、しばらくお別れとなる。
たかが1ヶ月、されど1ヶ月。実際に感じてみないと何とも言えないが、言葉だけの時点ではやはり長く感じる。
「それじゃあ…おやすみ」
「…おやすみなさいー」
「ああ……おやすみ」
この何気ない就寝の挨拶でさえ、明日からはいつも通りではなくなる。
今日は色んなところへ挨拶へ行くたびに、雨涵と言葉を交わすたびに、一抹の寂しさが心を
それでも、決して後悔はない。
現世という世界への道筋に進むことは、ユージオとアリスの悲願の一つ。…正確には、現世という世界の中で別の世界を探すことこそが悲願であり、目的となる。
明日、ユージオは島崎雄次郎として。
アリスは、茅野愛梨として。
現世に赴き……そして、必ず目的を達してみせる。
敬愛する兄姉達のためにも。
*
*
*
*
*
*
*
*
*
*
*
*
*
*
*
*
*
*
*
*
*
*
*
*
尸魂界から旅立つ直前の、この夜に。
ユージオは、久しぶりにあの夢を見た。