元人工フラクトライト達と二人の死神物語   作:り け ん

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今回は三話更新になっております。
前話、次話の見逃しにご注意ください。

三つのエピローグを載せて、現世編・前章は終了となります。


第五十八話 現世編エピローグ サイド:二人の人間

時刻は、平日の火曜日 午後一時三十五分。

まだ日本国のほとんどの人間が仕事か学業に勤しんでいる中、一人の学生が西武新宿線の急行電車の中で真剣な表情のまま電車内で揺られていた。

 

学生である以上、彼ももちろん本来は学業である。だが、彼は今日の午後の授業を受けることを放棄している。それも先生に話せるような公的な理由もなしに、だ。

無断欠席者の烙印を押されるのは、彼にとっては大変不本意なものであるはずだった。だが、彼の脳内はそのような烙印を気にする余裕すらなかった。

 

平日の午後三時に、銀座のとある喫茶店。

 

一番直近で“あの男”に会えるのがこの日、この場所のみと言われれば、彼はどんな烙印や勉学の遅れを背負おうが関係なかった。あらゆる可能性が限りなく排除されていく中、唯一の可能性を手に入れられるとすれば“あの男”を置いて他にはないのだから。

 

 

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高田馬場駅で降りて地下鉄を乗り継いで辿り着いた銀座は、比較的空いていた電車内とは違って相当に人で賑わっていた。着飾った婦人や外国人観光客が目立ち、高校の制服を着た学生は聊か場違いに見えなくもないが、彼は一切構わずに歩き進んでいく。

高級店が居並ぶ中央通りを南に歩き、七丁目交差点の角にある特徴的な赤い建物に入る。ここの三階にあるお店こそが、今回“あの男”に指定された場所。

 

エレベータの扉が開いた時点で、明らかに高級そうな雰囲気と空気が漂っているものの、彼は臆することなく目的の店の店名が合っていることを確認し、そのドアを開く。

 

 

応対に出たウェイターさんには待ち合わせの旨を伝えた上で、店内を見渡してみる。

一瞬、まだ来てないのかとも思ったが…目的の人物は、奥まった窓際の席にいた。

 

 

「………」

 

 

彼は、その目的の人物の近くに歩み寄る。しかし、その人物は彼に気づかないかのようにジッとスマートフォンを見つめている。テーブルの上には、その人物が頼んだであろうフルーツサンドが載っているが、ほとんど手がつけられていない。

彼が正面の椅子に座ってもなお、スマートフォンから目を離すことをしない。どうやら本気で気づいていないらしいその人物に対し、多少の疑問を覚えながらも声をかける。

 

 

「……菊岡さん」

 

「うおあっ!?」

 

 

声をかけられたことで、その人物は大袈裟な声を出してスマートフォンを取り落とした。こんなにも無防備で、よくもまあ自衛隊の二等陸佐を務めていたものだ、と彼は一瞬呆れた。

 

 

「あはは…いやあ、カッコ悪いところ見せちゃったな。気づかなくてゴメンよ」

 

 

ごまかすように軽く笑うと、ダークブラウンのスーツを身にまとう黒縁メガネの人物…菊岡誠二郎は、床に落としたスマートフォンをいそいそと拾う。さっきの声でそれなりに店内の注目を集めてしまったが、菊岡にとってはそれより携帯をフルーツサンドの上に落とさなかったことに安堵している様子だった。

 

 

「あんたはカッコとか気にしないだろ。…何か、大事なものでも見てたのか?」

 

「んん……まあ、今はどうでもいい話だよ。キリトくんがわざわざ、僕を呼ぶくらいの用事に比べたらね」

 

 

菊岡は目の前の学生…キリト。もとい、桐ヶ谷和人に対してやけにニコニコしながら答えた。

 

 

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「ところで、僕はいつも君を呼び出す側としてデザートを奢ってきたわけだけど…もしかして今日みたいにキリトくんが僕を呼び出した日なら、僕が奢られる側になっても…」

 

「………」

 

「…やだなあ、もちろん冗談だよ! まさか学生に奢らせるほど、僕も人ができていない訳じゃ………?」

 

 

(自分基準で)渾身のジョークを放って、目の前の当人から無反応と見るや否や慌てて訂正の言葉を吐くものの、その様子が妙なことに気づいて言葉が途中で止まる。

 

両肘を机につけて両手を組み、そこに額に乗せて俯いている。そんな様子を見て、桐ヶ谷和人が決して自分のジョークに冷たい反応を返したわけではないことに気づく。

 

 

(…珍しいな。こんなキリトくんを見るのは)

 

 

桐ヶ谷和人という人間は、一般の学生では到底味わうことのないような経験をその身に受けてきた。その経験を彼がどう感じているのか…その心を正確に推し量れはしないが、菊岡は心配している。いつ、その経験による重みで、身体が押し潰されないか。

 

少なからず、苦難と苦痛となってきたであろう今までの人生を乗り越えてきたのは、彼に仲間がいたからだ。大切な友人、妹、娘、そして…恋人が。彼に辛いことがあった時、必ず彼女らが側に。側にいない時には、おそらく彼の心が壊れないように支える、柱になっていたのだろう。

 

だからこそ、彼が()()()()()()()()()()()()()()自分を前にして、ここまで悩ましげな…いや、苦しげな様子でいることが、珍しい…いや、例がないと菊岡は思った。

 

キリトくんのためになるならば、協力してあげたい…という気持ちも勿論あるが、今の菊岡の心中を占めるのは、どちらかといえば『興味』の感情の方が大きかった。

 

 

「………っ」

 

 

和人が顔を上げて口を開こうとするものの……何か、突っかかった様子で、言葉が喉から発せられることがない。どうやら…うまく言葉にすることができないようだ。

 

ますます、普通ではない──そう、感じ取った菊岡は、比較的優しい声色で告げた。

 

 

「急ぎじゃなければ、ゆっくりしようか。順序立ててなくてもいい。適当でも、支離滅裂でも。後で話を纏めるから。なんだったら、話すより先に何か食べるかい? もちろん、僕が奢るよ」

 

 

高級なケーキなどのデザートが並べられたメニューを差し出すものの、和人は頷きこそしたがメニューを手に取ることなく…また俯いた。

 

 

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「………菊岡さん」

 

「…ん?」

 

「……いくつか…聞きたいことが、ある」

 

 

五分ほど経った後に、ようやく和人が絞り出した言葉がそれだった。

ちょうどフルーツサンドを食べ終わった菊岡は、静かにフォークを置くと無言で頷いて肯定の意を示す。

 

顔を上げてその肯定を受け取った和人は、ゆっくりと話し出す。

 

 

「アンダーワールドの…人間が」

 

「……?」

 

「…仮に、アンダーワールド人が現実世界で、現実の肉体を持って現れる可能性について…聞きたい」

 

「え? …………それって」

 

()()()()()の可能性、だ」

 

 

先ほどの憔悴と混乱を滲ませた様子とは一変した口調で、菊岡の言葉を遮って強く言い放った。

 

 

「どんな小さな可能性でも、いいんだ。菊岡さん…教えてくれ。その…可能性について」

 

「……」

 

 

どんな答えがこようとも、最低限フリだけでも真摯に対応するつもりでいた菊岡は、正直あっけにとられた。質問の意図が、全く以て分からない。どうしてそんな…分かりきったことを?

しかしそれでも、菊岡は律儀に一度頭をリセットした上で全ての記憶を最初から洗いざらい検討する。彼が文字通り命を懸けて推し進めてきた「プロジェクト・アリシゼーション」の前提から結果にいたるまでを、全て。

 

自らの覚えていること全てを総動員して、菊岡は自らの出した答えを告げる。

 

 

「ゼロだ。僕が考えられる可能性は全くない。ライトキューブ・クラスターをあの中から持ち出し、ましてや彼女のようなボディを製作し載せられる技術、機会、時間、人物、組織……どれか一つをとっても、存在しないものだ」

 

「……」

 

 

その答えを聞いて、和人は小さくため息を吐いた。そして、また真剣な表情で俯き…考えに耽りだした。そして、それとほぼ同じタイミングで菊岡も顎に手を当てて思案を始める。さっきは呆気に取られて考えることすらままならなかった、この質問の意図について、だ。

 

 

(キリトくんは、こんな分かりきったものを聞くためだけに、僕を呼び立てるような子じゃない)

 

(……あの深刻そうな様子からして、キリトくんはただ質問しにきただけじゃない。簡単に想像はつかないが、たぶん”何かあった”んだろう。今の分かりきった質問は、それに関連する確認か…気休めか。いずれにせよ、キリトくんの大切な仲間には話せない、あるいは話しても分からないような…”何か”)

 

 

そう菊岡が考えている最中に、ふと。思い出したことが二つ。

 

 

(…待て)

 

(”アンダーワールド人が現実世界で、現実の肉体を持って現れる可能性”……?)

 

 

まず、先ほどの和人の質問を思い出す。そして……菊岡は、先ほどポケットにしまったスマートフォンを取り出して、片手で操作。

 

そこに掲載されていた、”とある写真”。

和人が来るまでの間、その来訪に気づかないくらい集中して見つめ、思案していたものだ。

 

 

(…………まさか?)

 

 

和人の質問と、その写真。

何も関係ないように見えた二つの点が、薄い線で結びつき始めた。

 

 

「キリトくん……何があったんだい?」

 

「……」

 

 

「もしかして……誰か、いたのかな? ()()()()の、アンダーワールドの人間…人工フラクトライトが」

 

 

その問いに顔を上げた和人は、一瞬だけ躊躇するように視線を下げた…が、やがてゆっくりと頷いた。

 

 

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そこから、和人はポツリポツリと語り始める。

聞き手側の菊岡は、どんな話が飛び出してきても大丈夫なように身構えていたが、そんな決意すらたやすく無にするような話の連続に、菊岡は頭が痛くなった。

 

桐ヶ谷和人とその仲間達のたまり場でもあるお店に、かつてアンダーワールドで”死亡した”とある人工フラクトライトと”瓜二つ”な”人間”が現れた。

 

この話を和人以外からされたとしたら、笑いどころのよく分からないジョークとして一笑に付すところだった。だが、逆にこの話でようやく菊岡は理解できた。和人がなぜ、仲間達ではなく自分に話をしにきたか、だ。

 

和人が”キリト”としてアンダーワールドで苦節苦難を経験したこと。そしてそのアンダーワールドを巡り、内外で起こった事件は今も記憶に新しい。ましてや、和人にとっては単なる記憶や思い出という言葉では足りないくらい…彼の人生観に影響を及ぼしていることに違いない。

 

そんな彼は、アンダーワールドの中で何人もの仲間─もちろん人工フラクトライトである存在─がいた…が、あの世界の戦いでその仲間達は多くが死亡し、彼自身のフラクトライト…心は、文字通り大きなダメージを受けた。それによって、彼の魂は最悪の一歩手前の状態にまで追い込まれることに。

 

その死んだはずの仲間が、現実世界に現れたとなれば…和人でなくても、激しく動揺するのは仕方のないこと。加えて、その”死んだはずの仲間”というのが”死んだはずの人工フラクトライト”というのが、さらに混乱と動揺を引き起こしている。

 

 

いの一番に立ち上がる問題が、『人工フラクトライトが現実世界で、現実の肉体を持って現れる』ということ。まさか、さきほど和人が言った”現実の肉体”という言葉が、『A.L.I.C.E. 2026ーアリス・シンセシス・サーティ』のようなマシンボディの話ではなく、文字通り()()()()()の話だったとは。あまりに想定外すぎて前提条件からすっぽり外れていた。

 

ライトキューブ・クラスターに格納された百数十億キュービットの光子で形成された人工のフラクトライトが、現実世界に? それをアリス・シンセシス・サーティという一人の人工フラクトライトで実現させるために、どれほどの人、時間、資産がかかったか。

 

ましてや、アンダーワールド内で死亡してライトキューブ・クラスターが初期化されたはずの人工フラクトライトが、生身の肉体を持って?

 

論ずるに値しない話である。これではまるで、人工フラクトライトを題材として書いた、出来の悪い創作小説のようなものだ。そう断じて早く切り上げる事自体は簡単である…が。

 

目の前で憔悴しきっている桐ヶ谷和人は、まさにその出来の悪い創作小説のような話を体験してきたというのだ。彼にそんな嘘をつく理由もなければ、嘘をつくような人間でもない。そんな彼が、一刻も早くこの嘘みたいな話に結論をつけたくて、ほんの微かでも可能性を求めて自分との会合を求めてきた。

和人の仲間達は、彼が苦しい時、辛い時、悲しい時に支えてくれる大切な柱。だが、今の和人に必要なのは「支え」ではなく「答え」だった。

 

おそらく何百分の一、もしくは千分の一の可能性に賭けてやってきたであろう和人の気持ちに応えてあげたいという、菊岡の気持ちに嘘偽りはなかった。

 

加えて…和人の話と、例の”写真”についてのとある”推測の合致”も気になっている…。

 

 

「唯一、手がかりがあるとすれば…君の相棒と”瓜二つ”だというその人物」

 

「彼自身に話を聞けるのが、一番手っ取り早い…が、病院では彼の個人情報は教えてもらえなかっただろう?」

 

「…ああ。身分証を持っていたらしいけど、名前と県くらいしか…」

 

「だろうね…よし」

 

 

菊岡は、もはやフルーツサンドの粉末しか残っていない皿を一瞥した後、ガタリと立ち上がった。

 

 

「今はこんな身だけど、一応アテはあるからね。どうにか、彼の身元を辿れる情報を…」

 

「…! いや、ダメだ! 待ってくれ、菊岡さん!」

 

 

席を立って行動を起こそうとした菊岡に、和人は大声で制止をかける。

ギョッとする菊岡。当然店の人々も何人もが怪訝そうにこちらを見てくるが、和人は気にする様子もない。

 

彼のその真っ直ぐにこちらを見つめてくる、その目。

菊岡は、彼の目の中に…”恐怖”の感情があることが伝わってくる。

 

 

数秒、固まった後にゆっくりと体を返して再び椅子に座り込む菊岡。

 

 

「…ダメ……か…。その意味、教えてくれるかい?」

 

「…………」

 

 

先程強い言葉でこちらを止めてきた和人は、理由を問われると……口を開けようとして…言い淀む。それでも菊岡は、特にこちらから言葉をかけることはない。ただ、和人の言葉が整うまで、待ち続け…

 

 

「………………もう、あの病院には………いないんだ」

 

「いない?」

 

 

乾き切った雑巾から無理やり搾り出すように言葉を紡いだ和人は、菊岡に問い返されると…顔に恐怖の感情を滲ませつつ…片手で、頭を抑えた。

強い頭痛を、感じているかのように。

 

 

「病院だけ、じゃない……あの時…あの一瞬で、()()()()までも……」

 

 

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「訳がわかんないんだよ……俺はあの日、確かに…あの……会うために、病院に行った…」

 

 

件の、和人の相棒と瓜二つの人間のことをどう呼んでいいか分からないらしく、言葉を濁しつつも当時のことを語る。その顔からは、恐怖の色が消えない。

 

 

「あの時…病院のドアを開けようとした瞬間に…俺は、()()()んだ」

 

「…………」

 

 

無言で手を組む菊岡に、先ほどとは違って、堰を切ったように溢れ出す和人の恐怖と混乱の言葉。

 

 

「あり得ないだろ!? でも…あの時、俺は病院に来た理由を何も分からなくなったんだ! あの日、朝俺が目を覚ましてから、学校に行って、授業を受けて、病院に行くまでの道のりまで、今日のことを全部を覚えていたのに! “どうして”病院に来たのか! それが全部分からなくなったんだ! その病院に、”ユージオ”がいることも、全部!」

 

 

あくまで”ユージオと似た人物”がいたという前提すら分からなくなるほどに、和人の声色が錯乱に近づいてくる。

 

 

「アリスに言われるまで、俺はあの出来事のことを何一つ思い出せなかった! それでも俺は、思い出した瞬間にすぐ病院に行った…でも、そこにユージオはいないどころか…病院の人間は誰一人、”覚えていない”って言うんだ! しかも、”そのような入院記録もない”とまで言われた!」

 

「確かにあの日、俺の目の前のユージオがにいた…なのに、どこにもいないんだ! 俺とアリスの記憶の中にしか…いや、その記憶すらも、病院の前で一瞬で消えたんだ! なんだよ、どうなってるんだよ……だってこれは」

 

 

「はい、ストップ」

 

 

和人は止めなく溢れる感情の爆発、その言葉を発するあまりにいつの間にか菊岡が立ち上がって彼の背後に回っているのに気づかなかった。そしてその言葉の奔流は背後に回った菊岡に口を手で押さえられ、強制的に封鎖されることになった。

 

 

「話は充分に分かったから。あまり大きな声を出すと、他のお店の人に迷惑だからね。一度落ち着こう。ほら、深呼吸をしようか……ほーら、吸ってー…吐いてー…」

 

「……」

 

 

まるで小さな子供を諭すような口調だが、和人は自分の動揺と興奮ぶりをここでようやく自覚したために、心を落ち着かせるために菊岡の言う通り深呼吸を繰り返す。

 

菊岡は、ここまで和人が憔悴しきっている本当の理由を、ようやく理解した。

 

彼は、”理解できない出来事”を”その目で見た”だけではなく、

“人知の及ばない出来事”を”その身をもって味わった”のだ。

 

人間の特定の記憶を消去する技術は、一般に普及こそしてないが既に体系化されており、実際和人もそれを体験している。だが…今回彼はなんの機械も、気配もなしに、一瞬で記憶が消されたのだ。

 

もはや、機械技術とかそういう垣根を超えた、魔法の類としか思えない記憶の消去。架空の世界でしか許されない出来事を、和人はその身に味わった。

幸い、第三者のと話し合っているうちに記憶は蘇ったという。しかし、件の病院に行ってみれば、記憶を消されているのは自分だけではなかった。まるで、”その人物”が最初から世界に存在しなかったように、病院の関係者は誰も覚えていない。

 

”その人物”の容姿が容姿だけに、全てが夢だったなんて現実逃避に逃げる選択肢もなく、和人は発狂したくなるような記憶をずっと内に秘めていた。それが爆発したのが唯一手がかりを握ってる可能性のある、菊岡の前だった。

 

ほんの一瞬で、魔法のように人の記憶を消せる”存在”。

そんなものが本当に存在することを認めてしまえば、人間なんて容易に恐慌に陥る。人は誰しも忘れたくない大切な記憶、思い出、知識があるものだ。それをまるでパソコンの消去ボタンを押すかの如く、サッと消えてしまうことが、どれほど恐ろしいか。言われるまでもないことだ。

 

 

和人がその恐ろしさを収めるため、深呼吸で落ち着きを取り戻そうとしている間…逆に菊岡は、心中の興奮を表に出さないようにするので精一杯であった。

 

 

最初に、菊岡は和人から話を聞いた。

 

『かつてアンダーワールドで”死亡した”とある人工フラクトライトと”瓜二つ”な”人間”が現れた』というものを。

 

ここまで聞いただけでは、菊岡にはなぜそんなことが起きたのか、真相が見当もつかなかった。嘘と断じるつもりはなかったが、嘘と考えた方がどれほど楽かとも思うくらいだった。

 

だが、そこで菊岡は次の話を聞いた。

 

『病院へ入ろうした瞬間、”その人間についての記憶が一瞬にして消えた”』

『第三者から話を聞くまで、”一切思い出せなくなった”』

『自分だけではなく、”病院関係者の記憶””病院の記録”からも、”一瞬にして消えていた”』

 

 

その話を聞いた瞬間に…今まで見当もつかなかった”真相”が、”可能性”に姿を変える。

 

 

「………………考えられるとすれば……」

 

「…?」

 

 

 

「……………『彼らの存在』が関わっている。それしか、ないね」

 

 

 

菊岡は、『彼ら』もしくは『彼らと同じ存在』であれば、”可能”であると結論づけた。

 

 

*

*

*

 

 

「…正気なのか、菊岡さん。こんなことをできる人間がいるって…?」

 

「君が正気だとするなら、ね。もちろん僕も正気のつもりで話しているさ。ただ、勘違いしないでくれ。何も僕は謎が解けている訳じゃあない。今のキリト君の話を換算した結果、今まで0%だった可能性が1%に増えただけ…の話なんだ」

 

「それが、信じられないんだよ…自分で言っといて何だけどさ」

 

 

ようやく呼吸と気持ちの落ち着いた和人が、モニョモニョと口を動かして居心地が悪そうにしている。菊岡の信じ難い発言に思うところある気持ちに加え、先ほどの大声で店の注目を集めてしまったことや、あろうことか菊岡にあやされるような真似になってしまったことの羞恥が重なって、非常に複雑な心模様になってしまっていた。

 

 

「だったら、その1%の可能性でもいい。俺に…」

 

「話せないよ。少なくとも、今は」

 

「!!」

 

 

にべもなく言われたその否定の言葉に和人は思わず声をあげそうになるが、すかさず菊岡が話を通す。

 

 

「キリト君の気持ちはよく分かる。今この場で話せないのにはいろんな理由があるけれど…一番は、キリト君の安全のためにだよ」

 

「俺の安全…? なんだよ、話す話さないってだけで、なにを…」

 

 

「忘れてはいけない。僕は、”一瞬で記憶を消せる存在”がいる前提で、話をしているんだよ。そして、キリト君は既に彼らに目をつけられている」

 

「……っ」

 

 

和人は菊岡の言わんとしていることに気づいて…言葉を詰まらせた。それは、本来であれば荒唐無稽な脅しにしか聞こえない言葉のはずだが、和人にはそれが否定できない。実際に自分の身に起きた出来事が、それを何より肯定しているからだ。

 

 

「僕はまず、この1%の可能性について調べる。その間、キリト君は何も行動してはいけない。…君の仲間にこの話を伝えることも、やめた方がいい。キリト君と同じか…それ以上のことが、彼らに起きかねないからね」

 

「……わかってる…」

 

 

蚊の鳴くような小さな声で答えた和人を見て、菊岡は表情を緩ませて頷いた。そして、和人の前に人差し指を一本立てて忠告を話す。

 

 

「一週間後に必ず、何かしら進捗を君に報告するよ。ただし…もし一週間経っても僕から何も連絡がない場合は、キリト君はもう、このことを二度と考えたり、行動しようとしないこと。全てなかったこととして、忘れるんだ。それをこの場で、必ず約束してくれ」

 

「なっ……!」

 

 

菊岡の有無を言わさずとばかりに、急に強くなった語気。そしてその約束は、今回の件を…”ユージオへの手かがり”を、全て諦めろという命令に等しいものだった。そんなの、承服できるわけが…

 

 

「僕が君に連絡しないということは…もう、()()()()()()()()()()()()()()()()。そう思ってくれ。おそらく、その後に君が僕にいくら話をしようとも、僕は何も覚えちゃいないだろうね。いや、場合によっては…」

 

()()ごと、消えてるかもしれない。キリト君の話にあった君の相棒…ユージオ君みたいにね」

 

「……」

 

 

しかし…和人は、そんな不満を飲み込まざるを得なかった。

菊岡は相変わらず自身が掴んでいる可能性について明言をしないし、ぼかし続けた言動をしている。それはこの時に限ったことではなく、前々からそういうことが得意な男だ。だから和人は基本的に胡散臭い人物として認識していた。

 

だが、今の菊岡ははっきりと明言した。

これからの自分は、”命を懸けて”その可能性を追求するということを。

 

記憶…そして命すら危うい存在。

菊岡がそれに立ち向かうというのに、自分が何の不平を漏らせるというのだろう。そして、それほど危険な存在が自分の大切な仲間や…恋人に降りかかるというのなら、自分は何としてでも止まらなければならない。

 

だけど…もしも。

命を懸けるべきが、自分一人だけで済むのなら……。

 

 

「ま、君の踏み込もうとしている話は、それくらい大きなものだということ…。それを、肝に銘じておいてほしい。遊びでもなければ、ゲームですらない…現実の、真実の話だからね。これは…」

 

「…わかった」

 

 

和人の内心の危うさに近づく考えに気づいているのかいないのか…菊岡は和人の返事を聞いた後も、さっきとは違って鋭い目つきを変えなかった。が、やがて小さくため息をついて目を閉じて首を振る。

 

 

「OK。分かったならとりあえず良いとしよう。キリト君も知れるなら早く知りたいだろうし、早速働くとしようか。…今日はもうこれでいいかな?」

 

「ああ…待ってるからな」

 

「うんうん。ま、期待せずに待っててくれ。期待を持つより、覚悟の方を持っていた方がいいかもね。……あ、そうだ…」

 

 

話を切り上げて席を立った菊岡は、突然何か思い出したように和人の方に振り返った。

 

 

「働く前に、確認をしておきたいな。突然君の前に現れて、すぐに姿も記憶もなくなったっていうそのユージオ君…いや、”島崎雄次郎”という人物の容姿について」

 

「……ああ、そうだった…な。アイツは…その。背は大体俺と…」

 

「あ、違う違う。言葉で説明してくれるよりも、まずは…」

 

 

そう言って、菊岡はスマートフォンをポケットから取り出した。

 

 

「こっちの”写真”の確認から、して欲しいんだ」

 

「……?」

 

 

*

*

*

 

 

菊岡は立ったまま、スマートフォンをいそいそと操作し続け…その画面を見て、唇を引き結んだ。

 

 

「…やはり、こうなったか。僕が見た時にはまだ100ちょっとだったのが…今はもう『大バズり』の域だね」

 

「は? …ひょっとして、SNSの話をしてるのか?」

 

「その様子だと、キリト君も知らないみたいだね。…まあ、今日の時点じゃ無理もないか」

 

 

急に話題が180度変わったように和人は感じた。そもそもSNSとは縁遠そうな男が、そのような話を振ること自体意外なのに、どうして容姿の確認の話から、こうなる…?

 

 

「実はキリト君が来る前から見ていたんだ。とあるユーザーが投稿した写真付きの呟きをね。キリト君が来た段階ではまだそこまでバズってはいなかったんだが…もうここまで注目を集めてしまった以上、海洋資源探査研究機構…公式からちゃんとした声明を出さないと、収まりがつかないだろうね」

 

「え…おい、待ってくれ。なんでその名前が出てくるんだよ!?」

 

 

海洋資源探査研究機構…世界で初めて真正人工汎用知能 『A.L.I.C.E. 2026ーアリス・シンセシス・サーティ』を生み出したとして、今や世界一の注目を浴びていると言っても過言ではない状態にある組織。そして、今の和人が決めた目標が叶えられる、目指すべき場所でもあるのだが…。

 

 

「なぜなら『アリス』を…言い方は悪いけど、管理しているのはそこだからね。各社メディアのみならず、一般ユーザー達まで機構の方に鬼電をかけて、今はパニックになってるんじゃないかなあ」

 

「あ、アリスが? なんだって…?」

 

「仕方ないことだよ。何せ、今や世界中の注目を集め、厳重な管理と多忙なメディア露出やスケジュールに追われ続けているはずのアリスが…()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()が、こうも暴露されちゃあ、ね」

 

「………………………………………」

 

 

 

 

「菊岡さん……もう一度、言ってくれ。よく聞き取れなかった」

 

「アリス…彼女が、一人の男性と一緒に本屋にいる姿が目撃された。そう言ってるんだよ。まるで恋人みたいに仲良くね。しっかり写真まで撮られて公開され、SNSでは大バズりしてるんだ。今まさに」

 

「………………………………どういうこと、だよ…」

 

 

和人は、もう何も考えたくないとばかりに、ぐったりと椅子の背もたれに寄りかかり、顔を手で覆う。ただでさえあり得ない体験と情報で精神がすり減りそうなのにこの上…。本当なら絶叫したいくらいの驚きなのに、もはや大きな声など何一つ出せそうに、ない。

 

 

「写真を見る限り、髪型と服装は大きく変わっているが…それ以外はアリスと寸分違わぬ風貌でね。むしろその髪型と服装が違うという要素が、ネット上では火に油状態だよ。『人工知能が人間社会を学ぶために変装をして、秘密裏に街での暮らしを体験している』なんてのが今のネット上での通説だ。それが機構のプロジェクトの一つなのか、それともこの人工知能が独断で動いているのか何だかで、通説の枝分かれはもう止まりそうにない。よりにもよって、彼女の服装がコスプレ専門店で買えるような、架空の学校の制服だとまで特定されてるから、”変装説”が余計に盛り上がってね」

 

「”アリスと寸分違わぬ風貌”って。まさか、本当に…って訳ないだろ!?」

 

「僕もそう思っているよ。機構に確認をとっている訳じゃないから断言はできないけど、神代博士や比嘉くん…他のスタッフもそんなことを企画するほどに考えなしじゃないし、アリス本人についても…キリト君が、何より分かっているはずだ」

 

 

菊岡に言われて、和人は脱力しながらも即座に頷いた。確かに、アリスは一度だけ機構や神代博士にも内緒で、桐ヶ谷家訪問を行ったことがある。しかし、それには確かな意味を持ってのことだったし、独断で行動して心配をかけてしまったことを深く反省していた。彼女に、現世の街をもっと見てみたい気持ちがないとは言い切れない。しかし、彼女はそんな一時の好奇心でそのような行動を取るような”騎士”ではない。

 

 

「しかし、この写真に写っているのがアリスではないとすると…この本屋で目撃されたのはアリスという”人工フラクトライトに瓜二つの人間”…ということになる」

 

「どこかで…聞いたような話だと思わないかい? キリト君」

 

「……!!」

 

 

菊岡の言わんとしていること。それを察した和人はガバリと体勢を直した。あらゆる非現実的な情報の奔流で限界に陥っていた頭をもう一度再起動をかけて、再び考えを巡らせる。

 

菊岡は、そんな彼を尻目に、さらに画面を操作する。

 

 

「そして…彼女についてもさることながら、写真に写っている彼女と仲良く一緒にいる男性…当然、そこにもユーザーの目は向く。ここで注目された点は、写真の男性の”容姿”についてなんだ」

 

「よう、し…」

 

「純粋な日本人とは思えない髪色と瞳の色。だからと言って、外国人のような彫りの深さや特徴がほとんど見られない。まるで…日本人向けフォーマットのファンタジーゲームのキャラクターみたいな容姿をしているときた。それでいて、コスプレの感じや写真の加工も見受けられない。…そういう状態だから、男性についてのネット上での通説は、こういうことで持ちきりだ」

 

『海洋資源探査研究機構は、実はA.L.I.C.E. 2026以外にも秘密裏にもう一体、人工知能を生み出していた』

『その人工知能はA.L.I.C.E. 2026の恋人役として設定され、街での暮らしを体験している彼女と一緒に同棲して、”恋”の体験も同時にしている』

 

 

「………………」

 

「いかにも秘密や陰謀が大好きなネットユーザーっぽい通説の数々……。だが、この写真に筋を通す話としては、もっとも理に叶っているように見えるね。ただ、キリト君の話とは、色々と共通点が浮かんでこないかな…?」

 

 

和人に、菊岡の言葉は強く反響して聞こえるように思えた。もう何日分も働いたように思っていた心臓が、また早鐘を打ち始める。

 

 

『アリスという”人工フラクトライトに瓜二つの人間”が、街で目撃された』

『その人物は男性と一緒に映っており、男性の風貌はまるで”ゲームのキャラクターのよう”で』

『ネット上では、その男性は”もう一人の人工フラクトライト”として噂されて…』

 

 

「さて……ここで、キリト君に確認しよう」

 

 

菊岡は、その呟きに添付された写真をスマートフォンに全画面拡大表示させた上で、和人に差し出した。

 

 

「突然君の前に現れて、すぐに姿も記憶もなくなったという”島崎雄次郎”という人物は……この男性で、間違いないのかな?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

「…………ユージオ………………」

 

 

 




イラスト:貂猫様
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