前話、前々話の見逃しにご注意ください。
三つのエピローグを載せて、現世編・前章は終了となります。
今日は、妙に風が強かった。
お陰でいつも身に纏っている研究者用の白衣が風に靡く音が、少し耳障りだ。
そもそもの話をすれば、白衣なんていつも身に着ける義務はなく、強制する人間だって存在しない。…なのだが、見栄えや美しさを考えて毎回服装をコーディネートするなんて彼女にとっては面倒極まりない。結局、着るのは毎日同じズボンとワイシャツ、ネクタイに白衣。いちいち考えるより、毎回このスタイルで決めちゃうのが楽というわけだ。そして、毎回同じ服装をしていたとしても、それを咎める人間すら、彼女の周りには存在しない。
そんな彼女は、人の気配が皆無な歩道を歩いていた。
隣接する車道にすら、車が通るのは30分に数台のペースでしか通らないほど、閑散とした道。
それもその筈。ここは山に隣する道路であり、通るのは運送業者のトラックくらいなもので、歩道なんてほとんど意味をなしていないほどだ。
しかしこんな場所だからこそ、今の彼女は日課のようにここへ通っていた。
ただ、この場所と言っても、正確にはこの道路ではなく…
彼女は、車が通らないのを確認して車道を横切り、そこに面する山の中に足を踏み入れた。
山の急斜面でも手をつくことなく、両足で危なげなく登り続ける彼女。
当然舗装や整備なんてされている訳もなく、凹凸激しい山の中を草木を踏み締め登り、進んでいく。が、スムーズに進んでいた彼女はやがて、足を止める。
彼女が足を止めた場所には…特に、何もなかった。
普通に周りに草木があり、虫も飛んでいる…いや、強いていうなら、彼女の前にはちょっと土が露出した開いたスペースができているくらいか。
だが、この場所こそが彼女の目的地であり、目印であった。
そのスペースを前にして、彼女は白衣のポケットからスマートフォンを取り出した。
今時珍しくケースもはめていない剥き出しの状態であることを除けば、特段なんの変哲もない白のスマートフォンであった。
「______・_________」
彼女が、”何か”を呟くまでは。
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彼女がその言葉を呟いた瞬間、
スマートフォンが一瞬で、まるで空中に溶けるかのように霧散した。
そしてその代わりに、彼女の周りに何かが浮かび上がる。
一つ…二つ…三つ。
それは…”ウインドウ”と形容すべきものだった。
空中にホログラムのように浮かび上がる、三つのウインドウ。
まるで、VRMMOゲームのようなその情景。ただ…今のこの場所は……ゲームなんかではなかった。
彼女は、指を使ってそのウインドウに浮かぶアイコンを触る。
もはや毎日一回以上は必ず触るそのアイコンは彼女にとって一番触りやすいウインドウと位置に置かれていた。
そして、彼女がそのアイコンを触った瞬間、彼女の前に突如としてマゼンダ色のブロックが現れる。それも一つではない。文字通り無から生まれたように、次々に目の前に組み上がっていく。
やがては人間一人分の高さまで長方形型に組み上がったそのマゼンダ色のブロックが、更にゆっくりと動き出す。
まるで扉が開くかのように、ブロックの部分が左右にずれ出す。普通、ただ積み上がっただけのブロックが開いたところで、ただ向こう側の木々が見えるだけのはず…が、なぜかその向こうには更なるマゼンダ色のブロックで形作られた部屋が見えている。
彼女は心なしか軽い足取りになって、そのブロックの扉の中へ入っていく。
やがて彼女の姿がブロックの中に消えていくと、また長方形の造形に戻ったブロックは、空気に溶けるように霧散していく。
そしてその山に、人間の姿はなくなった。
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ようやく、彼女はこの世界で最も落ち着ける部屋に戻ってきた。
しかしそこは部屋というにはあまりにも狭い。マゼンダ色のブロックが積み重なってできた、お世辞にも座り心地が良さそうとは言えない椅子がある以外は、何もない。というよりむしろ、その椅子に座って足を伸ばすスペース以外にモノを置ける余裕がないくらい狭いのだ。これでは部屋というより、運転席とかコックピットに近い。その例えにしたって、椅子の他に何一つモノがないのはおかしいのだが。
しかし彼女は構わずその椅子に腰掛けて足を伸ばす。そして側に浮かんでいた三つのウインドウは彼女の右手側に並んで浮かぶ。加えて、彼女が何もない空中にて指を走らせると、そこにはまたホログラムのように、独特な形のキーボードと入力欄が浮かび上がる。
更に、彼女の視線の先には同じようにホログラムのようなモニターが浮かび上がった。ここで彼女は小さな息を吐いた。
宙に浮かぶ、多種多様なアプリが詰め込まれた三つのウインドウ。
手元には指示を飛ばすためのキーボード。
目の前には結果を確認するためのモニター。
これらが存分に行使できるこの場所は、彼女にとってさながら秘密基地のように、興奮と安堵に満たされた場所だった。
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早速、彼女は素早くキーボードに入力コードを打ち込み、『地図アプリ』起動の指示を飛ばす。この部屋にてキーボとを触る時は、わざわざウインドウを引き寄せてアプリを触るよりも、キーボードで操作した方が早い。とりあえずできる指示は全てキーボードを使って完結できるように、自ら腕を振るってプログラムを組んだかいがあったというもの。
起動の指示によって、彼女の目前のモニターには周辺の地図が映し出される。彼女は、慣れた手つきで間髪入れずにキーボードに次の指示を打ち込む。
『行動ログ記録アプリ』が『地図アプリ』に同期されることによって、地図上に赤い線がゆっくりと引かれる。それはぐる〜りと地図上を満遍なく回っているように描写されていく。街の道筋とか全く関係なく、まるで子供の落書きのように、建物の上も容赦なく線が継ぎ足されていく。
それもそのはず、このログは”空中を移動する飼育室”のものなのだから。
ちょうど24時間前から、彼女が普段ずっと空中に浮かべている”飼育室”をわざわざこの辺一体をグルリと回ってくるようにプログラムしたのだ。とある事象を検証するために。
地図上に線が一通り引かれ、開始点と終点がつながって歪な輪っかが出来上がると、その線の側にいくつもの数字が浮かび上がる。この地点にいる時の時間を示す数字が次々と。
それを確認した彼女は一度その地図を画面の隅に移動させると、次のアプリの起動をキーボードを通して指示する。
『行動ログ記録アプリ』によって、モニターの中央に折れ線グラフが表示される。これは、”飼育室”の中にいる彼女の”最高傑作”の行動を示したものだ。
予想通り、ほとんどのグラフは地を這っている。寝ているのかじっとしているのか、ほとんど下の方で鬱蒼としているグラフが…ある一定の時間だけ、突如として針のようにグンとグラフが上をむき、すぐにまた下に戻っている。これは、この時間帯のみ彼女の”最高傑作”が突然興奮して”飼育室”で暴れ回ったことを示している。
その上を向いているグラフの時間を彼女は記憶し、また『地図アプリ』の方の表示に戻る。そこで彼女は、赤い線の時間表記を順番に目で追っていく。
「………ああ」
彼女の口から、ため息のような名状し難い言葉が漏れる。
急にグラフが上を向いた時刻。その時に”飼育室”が移動していた場所。
「台東区……上野……やっぱり、ね」
なんとなく、彼女はそうだと思っていた。だから、わざわざ地図を拡大して地名を確認しなくても分かったのだ。
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先日発生した暴走事故は、彼女にとって全くの想定外であった。
まさか突如として彼女の”最高傑作”が飼育室の壁を破壊して脱走し、あまつさえ
あれだけ頑丈な飼育室の壁を壊すことも、埋め込んだ制御機構すらも無視して暴走することなんて全く考えていなかったため、急いで虚の霊圧を探って向かった際、子供の死神二人が虚を前に戦っている姿を見たときは、思わず叫び出しそうになったくらいだ。
女の子の死神が巨大な炎の龍を放って、自身の”最高傑作”を丸焼きにして爆発させた時には心臓が止まる思いだった。だが、流石に”最高傑作”なだけあって、死ぬことはなかった。それに心底安堵した彼女は、隙を見つけて『捕獲アプリ』を使って”最高傑作”を回収。即座に退避して『圧縮空間アプリ』を起動し、その中に逃げ込んだ。
今の今まで、”死神”という存在から完璧に姿を眩まし続けていたのに、今回の事故で自分の存在が感知されたんじゃないかと不安に襲われた彼女は、今までの倍の容量を使って飼育室の外壁を強化して”最高傑作”を閉じ込めて、自身もその飼育室のすぐそばの圧縮空間の中で縮こまって時が過ごすのを待った。
だが3日以上経過しても特に死神達からの襲撃もなく、彼女は少しずつ以前と同じような活動を取り戻した。活動を再開した彼女がまず明らかにすべきは、先の暴走事故の原因だった。無論、二度と自分の”最高傑作”が暴走しないように、飼育室の外壁強化、制御機構の改善も行ったが…特に外壁強化によってスマホの容量を食い過ぎるのがかなり辛かった。もし暴走の原因が分かってそれを修正さえできれば、わざわざ飼育室強化に容量を割かなくても済むようになるだろう。
“最高傑作”が暴走した原因。
それを探るためにまず、飼育室を簡単にぐるっと移動させてみたのだが…。
突然、”最高傑作”の活動が活発になったのは飼育室が東京都台東区の上野周辺。
そして、先日“最高傑作”が暴走して子供の死神二人と交戦したのも…同じく東京都台東区の上野周辺の上空。
これらを、偶然としては片付けられない。
「とはいえ……」
彼女は独り言ちてため息をつく。とはいえ、まだ課題はある。
その場所に“最高傑作”が暴走する原因があるとして、じゃあ何がというところまでは分からない。
上野という土地が原因か?
上野に建っている建物が原因か?
上野に住んでいる人間が原因か?
それとも…上野にいた、”死神”が原因か?
これを細部まで特定するとなると骨である。しかしやらない訳にはいかない。こんな”義務”に追われる感覚はいつぶりかと、彼女は頭に手を乗せてまたため息。
だが一度、その問題はまた後回しということにして、彼女はモニター上の『地図アプリ』や『行動計測アプリ』を終了させる。
そして、またキーボードを操作して開いたのは『監視カメラアプリ』
それによってモニターには映像が現れる。飼育室内にいる彼女の”最高傑作”が3カメの視点からそれぞれ映される。それを見ただけで、さっきまでの陰鬱な気分は一瞬で消え去った。
彼女が作り上げる、『ツキハギの合成虚』。
その中でも、これは紛れもない”最高傑作”。今まで自分が作ってきた作品を全て処分し、こいつ専用の巨大な飼育室を作る価値があるほどの大作なのだ。
ありとあらゆる虚を、体を形作る『肉』に。
偶然鹵獲した死神の斬魄刀を、体の中心を支える『骨』に。
そして、あの時手に入れた”普通とは比べ物にならないほど濃い人間の魂”を”四つも”『核』として組み込んだ。
今までは虚の合成だけで満足していた自分の作品とは比べ物にならない、革新的な最高傑作なのだ。
しかし、彼女はまだこの虚に名前をつけていない。
今までいくつもの合成虚を作ってきたから、分かる。これはまだ完成ではない。
まだだ。まだこの虚には”合成”させられる。新たな虚をさらに”合成”させた時、この”最高傑作”はまだまだ強くなれる。
そう考えただけで、彼女の頬が段々と緩んでくる。
彼女は一度『監視カメラアプリ』を終了させ、『メモ帳アプリ』を新たに起動し、今日得た記録と結果を素早くキーボードを使って入力していく。
モニターに次々と文字が書き込まれていく最中、彼女の頭の隅では別の思い出がふと蘇った。
過去の自分は、こんな素晴らしい能力が備わっているのを露知らず、なんと無意味な時間を過ごしたのだろうと思う。
この能力と出会う前の自分は、大切な”兄”に振り向いてもらうため、随分無駄な努力をしたものだ。ただの家族愛では収まらないほどの恋慕を本気で抱いており、兄に相応しい女になるために、内面と外面を相当な時間を金をかけて磨き、整え、洗練してきた。
結局、それらは全て徒労に終わった。兄は、決して現実の人間には越えられない存在に恋した挙句の果て…二度と、帰ってくることはなくなった。ただ、不幸中の幸いだったのは、兄のことを諦められた瞬間に、この能力の存在に気づいたこと。
ここまで思い出が蘇ったところで、彼女は一度反省し、その記憶を振り払った。
今となってはそんな兄のことなんて、考えている時間すら勿体無いからだ。
彼女にとっては、今や”最高傑作”の存在だけが全てであった。
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今日の分の記録を終えた彼女は、最後の日課をするために新たなアプリ…『飼育室管理アプリ』を起動する。彼女は必ず、自身の”最高傑作”と直接触れ合う。実際の目で見て観察、触って触診。霊圧計測。戦闘能力の確認。それらを行って見積もりを立てて、ようやく『虚の合成作業』がスタートする。今まで、捕獲してきた虚は全て『写真アプリ』に保存してある。これから虚を選定し、『合成アプリ』で合成する。これが何より、彼女にとっては楽しかった。
そして『飼育室管理アプリ』を開けば、そこではパスワードを求められる。
万が一 いや億が一にでもこのアプリを他人が使う・開こうとすることはあり得ないはず。なのにも関わらず、奇妙なことに彼女はわざわざパスワードを設定している。それほど大切なアプリ…という表れだろうか。
彼女は、当然慣れた手つきで…パスワードを入力する。
世にも珍しい、三桁のパスワードを。
イラスト:糸弓まや様
白と黒。花と樹。似通うところも、正反対なところもある二振りの剣。
何の根拠もないのだが、俺は二年前にルーリッドの村を旅立ったその時から、ひとつの予感に囚われ続けているのだ。青薔薇の剣と黒い剣は、いつか斬り結ぶ運命にあるのではないか、という。
── ソードアート・オンライン12 アリシゼーション・ライジング──
ぼくたちは ひかれあう
水滴のように 惑星のように
ぼくたちは 反発しあう
磁石のように 肌の色のように
── BLEACH4 QUINCY ARCHER HATES YOU──