「《ラナンキュラスの花乙女 アーシャ》で、《クロノジェット・ドラゴン》にアタックします」
「ダ、ダメージチェック! ……ああー! また負けたー!!」
浴衣姿のアリサが悲鳴をあげて畳の上に倒れこんだ。
ここはユキの家。周囲には障子や襖。床一面に敷かれているのは畳。ファイトテーブルはこたつ。古きよき香りのする木造建築の一室で、ミオ達、響星カードファイト部の面々が、発売したばかりのトライアルデッキによる対戦に明け暮れていた。
部活でトライアルデッキに触れる機会がないユキのため、彼女の家で遊ばないかと提案したのはアリサで、それならばと泊まっていくことを勧めたのがユキである。
この日の3人は、デッキを買いに行っては昼食を食べ。カードの考察をしては夕食を食べ。風呂に入って寝間着代わりの浴衣を借りてはファイトをして。ヴァンガード三昧の1日を送っていた。
「あら、いけない。もうこんな時間だわ」
壁にかけられた古時計を見上げて、ユキがとぼけたように言う。時計の針は午前の1時を回っていた。
「名残惜しいけれど、今日はここまでにしましょうか」
長年カードファイト部の部長を務めてきたユキに時間の管理ができないわけはないので、意図的に夜更かしをさせてくれたのだろう。
「はい。お疲れ様でした」
「おつかれー。思ったよりクイックシールドは厄介だったね」
「はい。最序盤に5000要求でアタックしても、確実に5000ガードで捌かれてしまうので、リアガードを1体だけ出すのはリスクが高くなりました」
「2体以上並べるのでなければ、先行は展開を控えるのが安定かなー」
ファイトが終わってもヴァンガードの話をしながら、アリサとミオがこたつを部屋の隅へ移動させ、ユキがそこに布団を敷いていく。
我先にと布団へ飛び込んだアリサが、妖しい笑みを浮かべてミオを手招く。
「ほら、ミオちゃん。隣に来なよ。せっかくのお泊り会なんだからさ。好みのタイプとかいろいろ聞きだしちゃうよ。まだまだ夜は長いわよー」
「? 私の好みはギヲやヲクシズですが」
「早いし、何か聞きたかったことと違う!」
「ふふ。けど、たしかにヲクシズやヱヰゴヲグのイラストは綺麗よね」
「あ、わかる! DaisukeIzuka先生、もっとメガコロのカードも描いてくれないかなあ?」
時計の針が3時を回った頃。
ミオは布団の中から這い出ると、アリサの穏やかな寝息を背中で聞きながら、障子を開けて部屋を出た。
すぐ近くに縁側があり、庭を一望できるようになっている。ミオはそこに腰かけると、真っ暗な空を見上げた。
冬の気配が残る冷たくも透明な空気の中で、金色の月がぽっかりと浮かんでいる。
いずれ月へと帰る、御伽噺に出てくる姫のように、その横顔は寂しげな憂いに満ちていた。
「風邪ひくわよ」
ミオの細い肩に半纏がかけられる。
「眠れないの?」
いつの間にかミオの傍らに立ち、同じ月を見上げながら、ユキが尋ねた。
「ええ」
半纏の前を閉じながら、ミオが答える。
「今日はとても楽しかったです。ですが、何かやり残したことがあるような気がして、これで1日を終えるわけにはいかないという焦燥、とでも言うのでしょうか……」
「では、ファイトをしましょうか」
「え?」
唐突な提案だったが、ミオの中で欠けていたパズルのピースが、かちりと音をたててはまった気がした。
「考えてみれば、今日は自分のデッキでファイトしていないもの。不完全燃焼になるのも当然だわ」
「そうですね。1日1根絶者の自分ルールを忘れていました」
「そんなものが……」
肌寒いというのに、何故かユキが一筋の汗を垂らした。
「アリサを起こしてしまうといけないわ。離れた部屋へ行きましょう」
気を取り直したユキが、ミオを先道するように歩き出す。
「後で『あたし抜きでファイトなんてずるい』とか怒られそうな気もしますが」
とは言え、デッキを取りに部屋へと戻ったところ、アリサがあまりにも気持ちよさそうに寝ていたので、結局、起こすことはしないままユキへとついていく。
彼女に案内されたのは、ミオ達が寝ていた部屋を1人用にしたような、こじんまりとした部屋だった。
畳が敷かれた部屋の真ん中にはこたつがあるのは同じで、壁際には2台の大きな箪笥。その隣では布団が丁寧に畳まれている。
部屋の隅に配置された作業机の上に、いかにもカードが入っていそうな化粧箱が山積みになっているのを見て、ここがユキの私室なのだと思い至った。
「そこに座って待っていて」
垂らされた紐を引いて蛍光灯の明かりをつけると、ユキはこたつの前に敷かれた座布団を指し示した。ミオは言われるがまま座布団の上で正座し、デッキを置いて待つ。
ユキは作業机の引き出しから自分のデッキを取り出すと、ミオの対面に同じようにして正座した。
「これがきっと、高校生最後のファイトね」
何気なくぽつりと漏らされたユキの呟きに、ミオは心臓が小さく跳ねるのを感じた。
明日の朝は1日1根絶者の掟に従い、カードショップに赴く予定で、ユキとアリサも誘うつもりだったが、卒業式を控えたユキは忙しく、きっと付き合ってはくれないのだろう。
得体の知れなかった焦燥の正体も、それで知れた。
高校生のユキに勝つ機会は、今日こそが最後だったのだ。
「はじめましょうか」
ミオの心情を知ってか知らずか、普段とまったく同じ調子でユキが尋ねる。
「ええ。よろしくお願いします」
ミオも平静を装って答えた。
ファーストヴァンガードを手に取り、同時に宣言する。
「「スタンドアップ ヴァンガード」」
「《発芽する根絶者 ルチ》」
「《忍獣 キャットデビル》」
響星学園1年、音無ミオ。
響星学園3年、白河ミユキ。
ある時は師弟のように。ある時は好敵手のように。ある時は姉妹のように。
この1年間、競い続けてきた2人のファイトがひとつの終わりを迎えようとしていた。
「私のターン。ライド! 《忍妖 ジャコツガール》!」
集いしは、忍びと呼ぶには面妖なる傾奇者。
されど、忍ぶばかりが忍びに非ず。
陽動もまた、忍びが使命と心得よ
隈取りの鬼が戦場にて見栄を切る時、必殺の刃は首筋に迫っているものと知るがいい。
我らむらくも忍軍。
帝国を覆う光となりて、仇なす者を惑わさん。
「《忍妖 ミッドナイトクロウ》をコール。その効果でジャコツガールを
さあ、ヴァンガードのジャコツガールでアタックよ」
「ノーガードです」
「ドライブチェック……トリガーは無しね」
ミオのダメージゾーンに1枚目のカードが置かれる。こちらもトリガーは無し。
「続けて、ミッドナイトクロウでアタックするわね」
「ノーガード。ダメージチェック……
「あら、困ったわねえ」
ユキが笑顔のまま白々しく思案顔をする。
「でも、リアガードのジャコツガールでアタック。攻撃は通らないけれど、影縫が発動。山札の上から7枚見て……《夢幻の風花 シラユキ》を手札に加えるわ。
私はこれでターン終了よ」
ユキの2ターン目が終了した時点で、ミオのダメージゾーンに置かれたカードは2枚。ユキのダメージゾーンには1枚。
「私のターンです。《迅速な根絶者 ギアリ》にライド。
ドロヲンのブースト。ギアリでアタックします」
「ノーガードします」
「ドライブチェック……★トリガー。効果はすべてギアリへ」
「あらあら。ダメージチェック……2枚ともトリガーはありません」
「ギアリのスキルを発動。ジャコツガールを
「ふふ。やるわね」
逆転され、主力のジャコツガールを除去されたにも関わらず、ユキは嬉しそうに微笑んだ。
「私を強くしてくださったのはユキさんです」
「ありがとう。
では、これはどうかしら?
ライド! 《隠密魔竜 ヒャッキヴォーグ》!」
百の鬼を従えし、謎多き忍竜。
その研ぎ澄まされし刃は、帝国へも向けられていたことを、この時はまだ誰も知らなかった。
後の世に、大いなる災いを招く諸刃の剣。
稀代の叛逆者、ヒャッキヴォーグ。
ここに見参。
「イマジナリーギフトはアクセルⅡを選択して、1枚引くわ。
《窮迫の忍鬼 ベニジシ》と《忍妖 レイニィマダム》を後列にコール。
ミッドナイトクロウの後列に《忍獣 メタモルフォックス》をコール。登場時の効果で、名称を《隠密魔竜 ヒャッキヴォーグ》に変更します。
そして、ヒャッキヴォーグの起動効果発動よ。手札を1枚捨てて、山札からアクセルサークルにヒャッキヴォーグをスペリオルコール。すべての《隠密魔竜 ヒャッキヴォーグ》にパワー+10000するわ。
さらに、リアガードのヒャッキヴォーグも同じ効果を発動。ヒャッキヴォーグをベニジシの前列にスペリオルコールして、すべてのヒャッキヴォーグにパワー+10000!」
夢か現か幻か。
ヒャッキヴォーグの姿が1体、また1体と増えていき、そのたびに、忍竜が纏う禍々しい気配が強くなっていくのを感じる。
「戦闘開始よ。レイニィマダムのブースト、ヴァンガードのヒャッキヴォーグでアタック」
「ノーガードです」
ヒャッキヴォーグが素早く印を切り結ぶと、その姿が先ほどとは比較にならないほど。途轍もない勢いで増えていく。
千、万、億、兆。それはやがて亜双義を越え、那由他の果てを数えるに至る。
幻影でも無ければ残像でも無い。その全てが明確な殺意と刃を携えた実体として、根絶者を斬り刻んだ。
「ツインドライブ。
1枚目……トリガー無し。
2枚目……前トリガー。前列ユニットのパワー+10000よ」
ミオのダメージゾーンに置かれる3枚目のカード。
「ベニジシのブースト。合計パワー40000のヒャッキヴォーグでアタック」
「これもノーガードです」
続けて4枚目。
「ヒャッキヴォーグの名を持つメタモルフォックスでブースト。合計パワー47000のミッドナイトクロウでアタック」
「ノーガードです。ダメージチェック……
早くも5枚目のカードがダメージゾーンに置かれてしまうが、この程度でミオは動じない。
ユキと対戦していれば、このようなことは日常茶飯事だからだ。
「パワー47000、アクセルサークルのヒャッキヴォーグでアタックするわ」
「完全ガードです」
「ユニットのアタックが通らなかったので、レイニィマダムの影縫が発動。レイニィマダムをソウルに置き、ドロップゾーンから《夢幻の風花 シラユキ》を手札に戻すわ。
私はこれでターン終了します」
(シラユキをヒャッキヴォーグのコストとして、ドロップゾーンに置いていたんですね)
やること成すことに無駄が無さすぎる。
ミオは改めて、目の前の越えるべき目標の偉大さに戦慄した。
(ですが。ユキさんに勝てるのは……もう、今日しかないんです)
決意を込めて、切り札を振りかざす。
「ライド――《絆の根絶者 グレイヲン》」
彼女の意志に応えるかのように、この1年間、共に戦ってきた相棒が闇に吼える。
(行きましょう、グレイヲン。私達の成長をユキさんに見てもらうんです)
グレイヲンがぶっきらぼうにだが頷くのを感じた。
彼にとってもユキは、苦渋を舐めさせられ続けた因縁の相手に違いない。
ミオとグレイヲン。2人の意志は、今、真に一つだった。
『「グレイヲンのスキル発動」』
静かなミオの声に、不気味だが力強いもうひとつの声が重なるのを、ユキは確かに聞いた。
『「ヒャッキヴォーグをデリート」』
グレイヲンが拳を叩きつけ、ヒャッキヴォーグの肉体を虚無へと散らす。
「《呼応する根絶者 エルロ》をコール。ドロップゾーンから《呼応する根絶者 アルバ》もスペリオルコール。
その後列に《発酵する根絶者 ガヰアン》と《速攻する根絶者 ガタリヲ》をコール。
……行きますよ、ユキさん」
「ええ。あなたのすべてを私に見せて」
『「グレイヲンでユキさんにアタック」』
グレイヲンが両腕に虚無を纏い、ユキの魂に掴みかかる。
「《忍獣 リーブスミラージュ》!」
ユキの呼び声と共に無数の木の葉が舞い、彼女の姿を覆い隠す。
「ツインドライブ。1枚目……★トリガー。効果は全てアルバへ。2枚目……
フォースⅠサークルにいるエルロ。ガタリヲのブーストで合計パワー38000。アタックします」
「《狐使い イヅナ》と《忍妖 ユキヒメ》でガード。ミッドナイトクロウでインターセプト」
「……ガヰアンのブースト。アルバでアタックします」
「ノーガードよ」
ユキのダメージゾーンに5枚目のカードが置かれる。
しかし、仕留め切れなかった。
「……ターンエンドです」
一方、ミオのダメージゾーンにあるカードは4枚。
「強くなったわね、ミオ」
「そうでしょうか。まだまだ全然足りません」
「それでも、あなたは諦めていない。あなたに敬意を表して、あえてこの言葉を使わせていただくわ。
……ファイナルターン!!」
それはふたりの時間を終わらせるという冷酷な宣言だった。
「まだ、終わらせません」
ミオは自らを守るように手札を掲げた。
ユキも切り札を手札から抜き放ち、高らかにその名を叫ぶ。
「ライド! 《夢幻の風花 シラユキ》!!」
どこからともなく三味線の音が木霊する。
それは噺の終わりを告げる音。
大妖の到来を告げる音。
「シラユキの効果! ミオの前列にいるユニットのパワーを-10000!」
シラユキが艶やかな仕草で、根絶者に吐息を吹きかける。
たったそれだけで周囲の大気が凍てつき、根絶者達は氷の棺に封じ込められた。
「ヒャッキヴォーグの効果。手札を1枚捨て、デッキからヒャッキヴォーグをスペリオルコール。3体のヒャッキヴォーグのパワー+10000!
もう1体のヒャッキヴォーグのCB。手札を1枚捨て、3体のパワーはさらに+10000!
アクセルサークルには《忍獣 ブラッディミスト》をコール。
ミオ。覚悟はいいわね?」
ミオは無言で頷く。
「《夢幻の風花 シラユキ》でアタック!」
シラユキの掌の中で、舞い散る六花が渦を成し、嵐と化してグレイヲンに襲いかかる。
「★トリガーでガード。アルバとエルロでインターセプト。2枚貫通です」
「ツインドライブ! 1枚目……前トリガー。前列ユニットのパワーに+10000するわ。2枚目……これも前トリガーよ」
「あ……」
突風が容易く守りを吹き飛ばし、身動きの取れないグレイヲンを引き裂いていく。
「……ダメージチェック。……引トリガー。カードを引いて、パワー+10000をグレイヲンに」
ダメージ5。されど力を増したグレイヲンは、氷の拘束を内側から打ち破る。
「続けて《忍獣 ブラッディミスト》でアタック」
「治トリガーと引トリガーでガードします」
「アクセルサークルのヒャッキヴォーグでヴァンガードにアタック。パワーは57000よ」
「……ノーガード」
第壱のヒャッキヴォーグが手にした小刀が閃き、グレイヲンの首を斬り落とした。
「ダメージチェック……治トリガー」
だが、致命傷を与えたはずの首はすぐに繋がり、その傷跡も再生する。
「ベニジシのブースト。パワー60000のヒャッキヴォーグでアタック」
ユキはそれすらも予想していたかのように、よどみなくゲームを続ける。
(そうですよね、グレイヲン……)
ミオは心の中で相棒に呼びかける。
「私達はまだ、終われないんです。《宇宙に咲く花 コスモリース》で完全ガード」
第弐のヒャッキヴォーグの刃は、突如として中空に咲いた、白き鋼鉄の華が受け止める。
完全ガードのコストを支払い、ミオの手札は残り1枚。
「ミオ……」
「褒められたばかりですからね。無様な姿は見せられません。
さあ、最後のアタックをどうぞ。私のデッキには、まだ治トリガーが残っていますよ」
「……ええ。メタモルフォックスのブースト。パワー60000のヒャッキヴォーグで……気高くも美しき
「ノーガード」
息を吸い。背筋を伸ばし。ユキの目を見据えて、ミオは堂々と宣言した。
第参のヒャッキヴォーグが、グレイヲンの心臓めがけて呪のこもった小刀を投擲。刃の突き立った部分が、再生するよりも早く灰と化していく。
「ダメージチェック」
6枚目のダメージゾーンにグレイドールのカードが置かれると同時、グレイヲンは塵となって消滅した。
万感の想いを込めて、ミオは深々と頭を下げる。
「ありがとうございました」
――異変はその瞬間に起きた
「痛っ」
焼けつくような痛みを感じて、ミオがとっさに右手の甲を押さえる。
「どうしたの?」
首を傾げてユキが尋ねた。
「いえ。急に手の甲に痛みが」
「虫刺されかも知れないわ。見せてみて」
何せ古い木造建築である。害虫もよく現れるのだ。
言われるがまま、ミオが右手をユキに差し出す。ユキは顔を近づけてそれを確認した。
「大変。あざができているわ……あら? でも、このあざの形ってどこかで」
よく分からないことを言い出して首を捻るユキが気になり、ミオも差し出した自分の手の甲を覗き込んだ。
「……これは」
「リンクジョーカーの紋章、かしら?」
ミオの手の甲には幾重にも重なり合う輪を模した紋章が、薄ぼんやりとした部屋の中で輝いているようにも見えた。
二人がまじまじと凝視する中、紋章はゆっくりと光を失っていき、やがて――
「消えました」
完全に輝きを失うと、あざも消えて無くなっていた。
「何だったのでしょうか」
「もしかしたら、惑星クレイのお友達が、ミオに力を貸してくれていたのかも知れないわね」
ミオの疑問に、ユキがロマンチストな意見を口にする。
リアリストなミオは「まさか」と言おうとしたが、何故か否定する気にはなれなかった。
根絶者を身近に感じることは何度もあったし、今日はグレイヲンと一体になれた気すらした。
それはイメージを越え、現実として実感できるほどに。
「不思議な夜だったわね」
カードを片付けながら、ユキは結論付けるように言った。
「そう……ですね」
不思議な夜。そんな言葉で片付けていいものかは分からないが、長く生きていれば人生に1度くらいは、そんなこともあるかも知れない。たまたま今日がその日だったのだ。
ミオはそう納得することにして、このことは
この日を境に、運命の歯車が動きだしていたことなど知る由も無く。
卒業式の日は、一昨日の夜とは打って変わって、春を感じさせる暖かな陽気だった
生徒会として長く学園に貢献してきたユキの人気は凄まじく、卒業式を終えて体育館を出るなり、彼女はたくさんの生徒に囲まれた。
ユキは彼らのひとりひとりに声をかけ、彼女に名前を呼ばれた者は、ひとりの例外もなく、その別れを惜しんで涙を流した。
ただ、白河ミユキその人だけが、いつもと変わらぬ微笑みを湛え、慈しみ深く、皆を見渡していた。
歩いて1分もあれば辿り着ける距離を、たっぷり1時間かけて、ユキはようやく校内から外に出ることができた。
「……ふう」
校門の前では、桜の花びらがちらちらと雪のように降っている。
生徒の数も少なくなり、誰も見ていないところでユキは小さく溜息をついた。
「卒業おめでとうございます。ユキさん」
ようやく人心地をついた彼女に、またひとりの生徒が声をかけた。
「……あら。去りゆく人のことなんか忘れて、カードショップにでも遊びに行っちゃったのかと思ったわ」
拗ねたように唇を尖らせながら、ユキは声のした方を振り返った。
「ねえ、ミオ?」
声をかけてきた生徒――音無ミオ――に微笑みかける。
「そんなわけないでしょう。ここで待っていた方が、落ち着いて話ができると思っただけです」
そう言って、ミオは小さく肩をすくめた。
「うふふ。冗談よ」
わかりきったことを言って、悪戯っぽくまた笑う。
いつもの着物より豪華な晴れ着を纏い、薄く化粧をした頬は、周囲で咲き誇る花のように桜色。
同性のミオから見ても、今のユキは魅惑的で、恋に落ちてしまいそうだった。
それはミオが生まれてはじめて抱く、憧れの感情だった。
「そ、そんなことよりアリサさんはどうしたのでしょう」
気恥ずかしさを誤魔化すように、ミオはもうひとりの先輩へと話題を逸らした。
「ごった返していた体育館の前にもいないようでしたが。あの人こそ、恩知らずにもどこかへ行ってしまったのではないですか?」
「あの子は、私以上に人付き合いがいいから」
ユキが遠い目をして言う。
「こういう日には、私以外にも声をかけないとならない人がごまんといるの。許してあげて。
それに――あの子とは先月に、もうそういうのは済ませてきたから」
その瞳には、この場にいない親友の姿が映っているようにも見えた。
「ユキさんがいいのなら、それでいいですが」
正直、意味はよく分からなかったが、ミオは納得したフリをして頷いた。
話題が無くなり、ふたりの間に静寂が訪れる。
これまでもユキとミオがふたりきりの時は、互いに無言になることも少なくなかったが、それはふたりともが落ち着いた性格であり、信頼関係で結ばれていたが故の心地よい静寂だったはずだ。
だが、今の静寂は違うとミオは感じていた。
何かを話さなければならないのに。話したいことはいっぱいあったはずなのに。まったく言葉が出てこない。
一緒にいられる残り僅かな時間だけが、春風のように過ぎてゆく。
焦りにまかせて、ミオはスカートの裾を握りしめた。
「ミオ」
いつの間にか俯いてしまっていた顔をあげると、ユキが腕を広げて、全てを受け入れんばかりの神々しい笑みを浮かべていた。
「取り繕おうとなんてしなくていいの。あなたが感じていることを、思うがままに聞かせてちょうだい」
心の中で何かが決壊し、気が付けばミオはユキの胸の中へと飛び込んでいた。
「行かないでくださいっ! 卒業なんて、しないでください! 3学期から、ずっと覚悟をしてたつもりでいました。
……でもっ! いまだにユキさんがいなくなるなんて信じられないっ! 耐えられないっ!」
「よしよし。大丈夫よ。ファイトがしたかったら、いつでも呼んでちょうだい。駆けつけるから」
ユキがミオの白い髪を優しく撫でる。
だが、ミオは止まらない。
「それでもっ! もう、ユキさんと新しいカードについて、部室でお話することはできません! 学校の帰りにショップに寄って対戦することも! パックの発売日に、一緒にパックを開封することも! 響星学園カードファイト部として大会に出場することもです!
それだけじゃありません! もう、学校の前でユキさんと挨拶することはありません。ユキさんに料理を教えてもらうこともありません。買い食いがばれて叱られることも、寄り道がばれて叱られることも、バイトがばれて叱られることも……」
「ちょっと待って。私、そんなにうるさかったかしら」
「けど、それ以上に、どんな些細なことでも褒めてくれたこと。ずっと私のことを見守ってくれていたこと。それらがもう、終わってしまうんです……。ユキさんが卒業するということは、私にとっては、そういうことなんです」
「……そうね。ミオの言う通りだわ」
「だったら!」
ミオが勢いよく顔を上げた。
強い意志を宿した、ユキの黒い瞳と目が合う。
「けど、私は大学生になれるわ」
「……え?」
「大学生は、高校生よりもずっと自由よ。今の立場ではやらせてもらえなかったことが、大学生になったらできるようになるわ。
高校生を卒業することで、できなくなってしまうことは確かに多いし、寂しいと思うわ。
けどね、ミオ。今の私は、大学生になってできることの方が楽しみで仕方がないの」
「ユキさん……」
そう語るユキの顔は、まだ見ぬ未来への希望に満ちていた。
ミオですら、もう止めようが無いのだと確信してしまうほどに。
「だからね、ミオ。あと1年か、2年、待ってちょうだい。白河ミユキが大学生になってよかったと思えるような、今の私ではとても用意できない、とびきりの贈り物をあなたのために準備しておくわ」
「……わかりました」
ミオがゆっくりと、名残惜しそうに、ユキの体から離れていく。
「ふふ。あなたは昔から現金ね。
ほら、涙を拭いて。綺麗なお顔が台無しよ」
「別に泣いてません」
ミオは白々しい嘘をついた。
涙が引いていたのは本当だったが、それはすべてユキの着物になすりつけたせいである。
ユキの着物を汚すのは、これで2度目になる。ユキは気にしてもいないだろうが、いずれさりげない形で弁償しようとミオは心に決めた。
「それにね、ミオ。あなたも高校2年生になるの。私がいなくなる代わりに、あなたには後輩ができるのよ」
「……そうでした。それは、何というか、楽しみです」
未知の出会いを想像し、ミオが思わずはにかんだ。
「ふふふ。ようやく笑ってくれたわね」
ユキも嬉しそうに微笑んだ。いつも微笑んでいるユキではあるが、安心しきったようなその笑顔は、その日ユキが見せた中でもとびきりの美しさを感じさせる、心からの笑顔だった。
「ミオも立ち直ったことだし……そろそろ行くわね」
ユキのその言葉に、ミオの心臓がまた大きく跳ねた。
「はい。お疲れ様でした」
ミオは精いっぱいの虚勢を張って、いつもそうしているように、小さくぺこりと頭を下げる。
「また会いましょう」
ユキが背を向けた瞬間、一迅の強い風が吹き、吹雪のように舞い上がった無数の花びらが彼女の姿を覆い隠す。ミオも目を開けていられなくなり、思わずその目を閉じた。
ミオが再び目を開けた時、風花の如く桜が漂う中、ユキの姿はまるで夢か幻であったかのように、跡形もなく消え去っていた。
取り残されたミオは乱暴に目元を制服の袖で拭うと、ユキとは違う道を歩き出す。
それは新たな始まりを予感させる、ひとつの物語の幕切れであった。
根絶少女 1年生編
完
これにて根絶少女1年生編は完結となります。
ここまでお付き合い頂きました皆様、ありがとうございます。
続く2年生編につきましても、どうかよろしくお願いいたします。
根絶少女もひとつの区切りということで、根絶少女の誕生秘話をあとがきに代えて、ここに記したいと思います。
この小説は本来、月ブシで不定期に開催されている「ヴァンガードマンガ大賞・小説部門」に向けて準備していたものというお話は、7月のあとがきで書きました。
第1回で準入選というありがたい賞を頂いた私は、ブシロの読者層的に、もっと女の子が登場した方がいいのではないかと(短絡的に)考え、女子高生が部活でわいわいヴァンガードを楽しむ物語を作りはじめました。
(※余談ですが、第1回で入賞した作品は、登場人物に女の子がいません)
メインとなる登場人物のうち、知的で茶目っ気もあるシラユキ使いの上級生というイメージは、ミオよりも先に浮かんできたものでした。
もっとも、それでは主人公向きの性格ではないので、彼女に導かれる主人公としてミオが設定されることになります。
言わば「根絶少女」は、はじめはユキのために作られた舞台であり、彼女は真の主人公と言っても、過言ではない立ち位置だったのです。
そんなユキも、今回のお話をもって卒業します。
登場しなくなるわけではありませんが、出番は減り、「えくすとら」のレギュラーでもなくなります。
原点とも言える登場人物を失う「根絶少女」ですが、その穴は新キャラが埋めてくれると、私は確信しています。
それほどまでに、2年生編は私が自信をもって提供できる面白い作品に仕上がったという自負があります。
どうか、根絶少女2年生編をお楽しみいただければ幸いです。
その前に、次の更新は、3月28日前後に公開予定、トライアルデッキ3種のえくすとらとなります。
なお、仕事の関係で、感想やメッセージに対する返信は2週間後になってしまう予定です。
ご了承くださいませ。