根絶少女   作:栗山飛鳥

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9月「零。なんと美しい数字だろうか」

 葉がうっすらと黄に染まってきた樹の幹で、死にかけの蝉が最後の力を振り絞って鳴き叫び、渇いた草原の中では、成熟したばかりの若い鈴虫が甘い恋の唄を歌う。

 命が環のように巡っていることを否が応でも認識させられるこの季節になると、時任(ときとう)レイは思い出す。

 季節の狭間にたゆたう、ひと時の思い出を。

 

 

 ――夏休みが明けて、初の休日。

 中学3年生のレイは、アテもなく近所の街並みをぶらぶらと歩いていた。

 受験生である彼女にとって、そろそろ勉強に本腰を入れなくてはならない季節であるが、もちろんその息抜きというわけでもない。むしろ、勉強などしている余裕は無かった。彼女の頭の中は、夏休みに見たテレビの事で頭がいっぱいだったのである。

 それは、ヴァンガード甲子園決勝大会の生中継を観戦していた最中の出来事である。

 ヴァンガード甲子園が終われば夏休みの終わりも間近だという現実に少しうんざりしながら、それでも目の前で次々と繰り広げられる、あっと驚かされるプレイングや、感動の大逆転劇に、現実逃避でもするように夢中になっていると、ひとりの女子選手に目が留まった。

 高校2年生という若さにありながら総白髪であり、そうは見えない程に幼い容姿。使っているデッキは根絶者。レイもヴァンガードを始めたばかりの頃から、ずっと愛用しているデッキである。ふたつ学年が離れているにも関わらず、彼女はレイとまるで双子の姉妹のように瓜二つだった。

(もしかして……)

 レイが左手の甲を目の前に向けて念じると、そこには輪っかを3つ重ねたようなリンクジョーカーの紋章が浮かび上がる。

(あの人もアタシと同じで、ディフライダーなのかも知れない)

 とある人物に、自分はディフライダーという惑星クレイのユニットが憑依した存在であることを告げられ。自分が他人に感じていたギャップの正体が腑に落ちたような気がして、その途方も無い話を信じるようにしたあの日から。その人物以外で、はじめて見つけた同胞かも知れない存在である。

(会いに行かなくちゃ……!!)

 ひょっとすると、彼女も自分と同じように、他者の感情が理解できず苦しんでいるかも知れない。そもそも自分は人とは違うのだということを教えてあげれば、きっとその苦しみも和らぐだろう。

 逸る気持ちを抑えながら、テレビに映る少女の高校を確認する。

「……うげ」

 思わず品の無い声が漏れたのを自覚する。

 響星(きょうせい)学園。全国でも有数の名門校であり、入学には学力もそれ相応のものが必要な難関校だ。自分の学力では、イチから勉強をし直さねばどうしようもないだろう。惑星クレイの知識など、勉強には何の役にも立たないし、そもそも自分は、自我も無く本能で戦いに明け暮れていた侵略者の末端である。

 仮に響星学園で常に学年1位の成績をキープしているディフライダーの少女がいたとして、そんなやつがいるならディフライダー関係無く、ただの天才だ。

 響星学園は実家からも遠い。幸い、近くに親戚の家があったはずなので、入学したらそこから通うことはできるかも知れないが、そもそも受験させてもらえるかも含めて両親の許可は必須だ。

(それに……)

 少女の使っているデッキはリンクジョーカー。自分と同じだ。同じ高校から3人1組でチームを組むヴァンガード甲子園には、2人以上が同じクランを使ってはならないというルールがある。今のままでは、せっかく見つけた同胞と共に、ヴァンガード甲子園に出場することもできない。

 そんなこともあってレイは、受験生にとって貴重な休日を、山積みとなっている問題から逃げるように、家の周辺を彷徨うことで浪費しているのであった。

 響星学園を受験したいという意思すら、まだ親にも伝えていない。

 リンクジョーカー以外のデッキもとりあえず組んでみたが、普段の対戦相手であるクラスメイトも受験生であり、2学期に入ってからはさすがに付き合いが悪くなっていた。

(本格的に勉強を始める前に、新しいデッキは形にしておきたかったんだけどな……)

 言い訳じみた論法ではあるが、最も困難なことに挑戦する前に、些細な憂いは残しておきたくなかった。

(……暑っつ。まだ9月だもんね)

 刺すような日差しの中、1時間ほど意味も無く歩き続けていたため、レイはすぐヘトヘトになった。

 レイは見た目相応に腕力も体力も無かった。ディフライダーとは言え、身体能力が向上するわけではない。

 仮に同学年の男子生徒をスポーツで圧倒できるディフライダーの少女がいたとして、そんなやつがいるならディフライダー関係無く、ただの超人だ。

(仕方ないか。休憩がてら、カードショップにでも行こうかな……)

 未完成のデッキでショップ大会に出場しても結果は見えているので、あまり気は乗らなかったが、何かのヒントは得られるかも知れない。

 ようやく指針を定めて、レイはその足をカードショップへと向けた。

 これまでアテも無く歩いていたので、普段は通らない道を辿って大通りへと――

 向かう途中に特徴的な建物があり、レイは思わず足を止めた。

 それは大きな和風のお屋敷だった。どれほどの大富豪が住んでいるのだろうか、塀の奥に豪華な庭園が見える。

 だが、レイが足を止めた理由は、その屋敷には無かった。庭園の奥にある縁側。そこに腰かける黒い羽織を纏った和装の老爺が手にしているモノに目が釘付けになった。

(ヴァンガードだ……)

 老爺はカードを1枚1枚手に取り、縁側に並べていた。どうやらデッキを作成しているようである。縁側将棋ならぬ縁側ヴァンガードというわけか。

(いいなあ……。おばあちゃんになったら、アタシもああやって静かに余生を過ごしたいなぁ……)

 塀越しに老爺の様子を覗き込みながら、幼い容姿に似合わない、老人くさいことを考える。

 ちりん

 その時、縁側の屋根にかけられていた、やや季節外れと言えなくもない風鈴が涼しげな音を鳴らした。その音で老爺が顔を上げ、レイとばっちり目が合ってしまう。

(やばっ!!)

 塀越しに屋敷の様子を覗いていた自分は完全に不審者である。泥棒と間違えられてもおかしくない。しかし、慌てて隠れるのも逆効果と思い、レイは顔の筋肉に全身全霊を込めて愛想笑いを浮かべようとした。

 が、それよりも早く、老爺が人好きのする穏やかな笑みを浮かべると、レイに向かっておいでとばかり手招きをした。

(……え?)

 さらに老人が指さす先には、小さな通用門があった。

(入ってもいいの?)

 鍵のかかっていない扉を開き、レイは庭に置かれた敷石を辿って、一歩ずつ老爺の待つ縁側へと近づいた。

 ちりん

 と風鈴がまた、レイを誘うように音を奏でる。

「いらっしゃい」

 縁側に腰かけたまま、老人が好々爺然とした笑みを浮かべてレイを出迎えた。

「は、はじめまして」

 レイがどうにか調子を合わせる。

「お嬢ちゃんもヴァンガードをやるのかい?」

「うん……」

 答えながら、レイは老爺を観察する。

 髪や髭は見事な総白髪だが量は多く、それらを無造作に伸ばしている。

 年の頃は……たぶん、70代後半くらいだろう。レイはあまりお年寄りと接する機会に恵まれなかったので、自信は無い。

「わしの名は黒澤(くろさわ)ミカゲ。お嬢ちゃんは?」

「あ……時任レイだよ」

 老人をまじまじと観察していたため、少し遅れてレイが答える。

「では、レイちゃん。わしとファイトせんか? 対戦相手がおらず、退屈しておったのよ」

「いいの!?」

 一転して、食い気味にレイが答えた。

「アタシもデッキを組んだばっかりで対戦相手を探してたの!」

「ほほう。それはよかった。それじゃあ、そこに座りなさい」

 促されるまま、レイが縁側に腰かけ、上半身だけ横に曲げてミカゲと名乗った老爺と向かい合う。腰にぶら下げたポーチから新しく組んだばかりのデッキを取り出し、老人がカードを並べていたプレイマットの上にドンと置く。

「それでは、始めようかの?」

「うん!」

 準備を終え、ミカゲが確認し、レイも頷く。

「「スタンドアップ ヴァンガード!!」」

「《ホワイトネス・ラビット》!」

「《妖魔忍竜 ウシミツマル》!」

(おじいちゃんのデッキは……ぬばたま!!)

 まだ昼過ぎだと言うのに、暗夜のイメージがレイの中で膨れ上がった。

 

 

 レイが最初に選んだデッキはオラクルシンクタンクだった。彼女もカードゲーマーの端くれ。アドとドローは大好物だ。

「ライド! 《スカーレットウィッチ ココ》!!

 ココのスキルで1枚ドロー! 《トパーズウィッチ ピピ》のスキルで、さらにもう1枚ドロー!!」

(見よ、この手札! 手札さえあれば何でもできる!)

「《スカーレットウイッチ ココ》で、ヴァンガードの《忍竜 ボイドマスター》にアタック!」

 赤衣の魔女が紅玉の杖を天高く掲げると、緋色の彗星が無数に降り注ぎ、黒き忍竜を撃ち貫く。

「ダメージチェック……これで5点目じゃなあ」

「あたしはこれでターンエンドだよ!」

 潤沢な8枚の手札に気をよくして、意気揚々とレイが宣言する。

「ほい。《修羅忍竜 ジャミョウコンゴウ》にライド」

 ――ザクゥッ!!

 瞬間、脳を鉈で真っ二つにするかのような不快な音と共に、手札の半分が削ぎ落とされた。

 ココ(レイ)が気配を感じて宵の空を見上げると、天守閣の上に、それを足蹴にするかのように居座る細身の忍竜が、苦無を片手に残忍な笑みを浮かべていた。

 手札とは、ヴァンガードファイターにとってユニットの記憶である。

 数千年に渡る修練を経て、それを刈り取る外法を極めた老竜。

 其の名をジャミョウコンゴウと言う。

「《修羅忍竜 フゼンコンゴウ》をコールして、バトルじゃ。

《月下の忍鬼 サクラフブキ》のブースト、ジャミョウコンゴウで、ココにアタック」

「プ、プロテクトで完全ガード!」

「ツインドライブ!!

 1枚目、トリガーではないのう。

 2枚目、(クリティカル)トリガー!! 効果はすべてフゼンコンゴウに」

 ジャミョウコンゴウの投げ放った苦無を、紅に輝く魔法の盾が受け止める。

 だがそれは囮にすぎなかった。

「《忍獣 モウカギツネ》のブースト、フゼンコンゴウでヴァンガードにアタック!

 アタック時、フゼンコンゴウの効果発動。ドロップゾーンのカード8枚をバインドし、パワー+40000、レイちゃんは守護者をコールできない」

「ノ、ノーガード……」

 ジャミョウコンゴウとは対照的な、筋骨隆々とした忍竜が絵巻物を広げて印を結ぶと、そこに描かれていた龍が実体化し、魔女へと喰らいついた。

「ダメージチェック、1枚目、2枚目、どっちもトリガーじゃないよ……」

 6枚目のカードをダメージゾーンに置き、レイはがっくりと肩を落とした。

 

 

「お、おじいちゃん、強いよー!!」

 こんな調子で早々に5連敗し、レイは悲鳴じみた叫びをあげながら頭を抱えた。その拍子に、散らばったカードがばらばらとプレイマットの上に落ちる。

「ほっほっほ。ダテに60年生きておらんわ」

 ミカゲは長い髭をしごきながら、45歳年下の少女に勝ち誇る。大人げない。

「レイちゃんは、そのデッキを使うのははじめてかな?」

「う、うん。ちょっと新しいクランを使いたくて……」

 たまにテキストを確認していたのを気付かれたのだろう。さすがにディフライダー云々の話をするわけにはいかないので、多少の脚色を加えて、新しいクランを使うことになった経緯を説明する。

「なるほど。行きたい高校に憧れの先輩がいて、その先輩もリンクジョーカーを使っているから、別のクランを使いたい、と」

「うん。けど、オラクルは合わなかったかなぁ。引けるのは楽しいんだけど、なんだかパワー不足なんだよねー」

「それはレイちゃんがフォースのパワーに慣れているからではないかな? 新しいクランを使うなら、まずは同じギフトを持っているクランを使うといいかも知れんよ」

「あ、そっか!」

「レイちゃんがよければ、明日も来るといい。わしでよければ、いつでも対戦相手になってあげよう」

「いいの!? じゃあ、来週も来てもいい!?」

「もちろんだとも」

「わあ! ありがとう、おじいちゃん!」

 レイは無邪気に歓声をあげ、ミカゲに飛びついた。

 

 

 それからと言うもの、レイは毎週の土日にはミカゲの屋敷を訪れて、ヴァンガードをすることになった。

 次にレイが選んだデッキはスパイクブラザーズだった。高いパワーでガンガン攻め立てるところが、根絶者に近いと思ったのだ。

「《将軍 ザイフリート》のスキル発動! 《ブレイキング・グランモービル》をソウルに入れて、山札から同名カードをスペリオルコール! ザイフリートとグランモービルにパワー+10000! 同じスキルを《デトネイト・バーレル》を対象にもう一度!」

(やっぱり最終的には攻撃力がものを言うよね! 力こそパワー!)

 などと調子に乗りながらバトルフェイズへと進行する。

「ザイフリートのアタック時、グランモービルのスキル発動! 同名カードをソウルブラストして、カウンターブラスト……あ、あれ? カウンターコストがもう無い!?」

 スパイクブラザーズは、豪快な見た目とは裏腹に、非常にテクニカルなクランだ。多くのユニットが細かなコストを要求し、カウンターコストはすべてグレイヲンにつぎ込むくらいの感覚で運用できる根絶者とは真逆の性質を持つ。

(な、なにこれ? 難しいー!!)

「タ、ターンエンド、だよ……」

 いまいちパッとしないレイのターンが終わり、ミカゲにターンが回る。

「ライド。《修羅忍竜 クジキリコンゴウ》!」

 6枚の翼を持つ漆黒の忍竜が、ザイフリートの巨大な影の中から音も無く現れた。

「クジキリコンゴウの効果発動! 手札を1枚捨ててもらおうかの」

 言われて、レイはしぶしぶ手札からカードを捨てる。

「《忍竜 ドレッドマスター》をコール。《デトネイト・バーレル》を手札に戻し、手札を1枚捨ててもらおうか。

《忍獣 タマハガネ》もコール。今度は《ワンダー・ボーイ》を手札に戻し、手札を1枚捨ててもらおう。

 ……そして、《禁戒の忍鬼 ミズカゼ》をコール」

「うっ」

 レイの口から小さな悲鳴が漏れる。

「G3をソウルブラストして、ミズカゼの効果発動! さらにわしの場にはクジキリコンゴウがいるので……」

「アタシはこのターン、G3とG0をそれぞれ1枚しかコールできない、だね……」

 G3はガーディアンとしては何の役にも立たないので、実質G0を1度しかコールできなくなったようなものである。

「バトルフェイズじゃ!

《忍竜 コクジョウ》のブースト、クジキリコンゴウでザイフリートにアタック!」

「ノーガードだよ……」

「ツインドライブ!!

 1枚目、(ドロー)トリガー! 1枚引いて、パワーはタマハガネに。

 2枚目、(ヒール)トリガー! ダメージ回復、パワーはミズカゼに!」

 クジキリコンゴウが巨体に似合わぬ無駄の無い動きで、その名の如く九字を切ると、周囲の影が触手のように蠢き、ザイフリートの巨体を拘束した。

「とどめじゃあ! ドレッドマスターのブースト、タマハガネでザイフリートにアタック!」

 クジキリコンゴウの呪詛により身動きが取れなくなっているザイフリートに、巨熊が疾風の如く襲いかかる。その両腕に装着した鉤爪が、スタジアムのライトを受けて鈍く輝くと――。

 閃光が交錯し、緑のフィールドが朱に染まった。

 そんな感じで、この日もレイは5連敗した。

 

 

 それからレイはロイヤルパラディン、かげろう、ジェネシス、シャドウパラディンと、様々なデッキを試したが、どれもしっくりこなかった。

 それだけレイも負け続けたが、不思議と不快感は無かった。

 勝ち負け以前に、ミカゲとファイトしているのが。そして、ファイトしながらお話をしているだけで楽しかったのだ。

 人生経験豊富なミカゲは、様々な話題でレイを楽しませてくれたし、レイも学校であったことを話すと、ミカゲは楽しそうにゆっくりと頷きながら話を聞いてくれた。

 こんな話もした。

「アタシのおじいちゃんとおばあちゃんは、遠くに住んでるから、ほとんど会ったことが無いんだよね。おじいちゃんが、本当のおじいちゃんになってくれたみたい!」

「そうかそうか。わしもレイちゃんのことを本当の孫のように思っているよ。

 わしにも孫娘がいるんだが、大学が忙しいらしくてな。今は、なかなか遊びに来てくれんのだよ」

「えー、ひどーい」

「いやいや。元気でやってくれているのが何よりじゃよ。それに、今はレイちゃんがいてくれるしな。

 ほい、ジャミョウコンゴウでアタック」

「う……また負けたー!!」

 また、レイから悩みを打ち明けることもあった。

「前に行きたい大学があるって話したよね?」

「ああ」

「お父さんや、お母さん。先生にそこに行きたいって相談したんだけど、やっぱり反対されちゃってさ。どうしたらいいんだろう」

「むう。それはいかんなあ。

 よしっ! わしが直々にレイちゃんのご両親を説得してやろう!」

 膝をパァンと掌で叩くと、その勢いとは裏腹に、ゆっくり立ちあがりながら宣言する。

「ええっ!?」

「レイちゃんはひたむきに努力のできるいい子だから、どんな大学にも行けますとわしが保証してやるんだ!」

「そ、そこまでしてくれなくていいよ!」

 レイは慌てて止めた。普段の語調が強くて年を感じさせないため、勘違いしそうになっていたが、ミカゲはもうずいぶんな老齢なのだ。縁側に座ってばかりいたこの老人が立ち上がるところは初めて見たが、足がプルプルと震えており、説得以前に、レイの家まで辿り着けるかも怪しい。

「むう? そうか……」

「うん! アタシは大丈夫だから! とにかく座って! 座って!!」

 レイの剣幕に押され、ミカゲが渋々と腰を下ろすが、それにも一苦労といったような感じだった。

「けど、おじいちゃん……。さっき言ってくれたことは、本当なの?」

「うん? 何の話かな」

「アタシが、その、ひたむきに努力のできるいい子だってこと……」

「おうとも!」

 さっきまで足を震わせていた老人が、それはもう力強く頷いた。

「レイちゃんは、こうして毎週カードファイトの練習をしてるじゃないか。

 それだけじゃない。家でも毎日、カードを見ながらデッキを研究しとるのだろう? その手を見ればわかるよ」

「手……?」

 言われて、レイは自分の手をまじまじと見た。その細い指にはいくつものあかぎれや切り傷があった。保存状態のいいカードとは、乾燥した鋭い紙片である。長く触れていると、そういった傷は簡単にできる。

「一応、寝る前にハンドクリームでケアはしてるんだけどね」

 レイはてへへと笑った。

「女の子はこういう手を恥ずかしいと思うのかも知れんが、何よりも美しい手だとわしは思うよ」

 ミカゲもそんなレイをいたわるように優しく微笑んだ。

「あとはその熱意を勉強に向ければ、どんな難関大学だろうと、お前さんならちょちょいのちょい、じゃよ」

「うん。ありがとう! アタシにはその言葉だけで十分だよ! アタシ、おじいちゃんの信頼だけは、絶対に裏切りたくないから!

 まずは中間テストでいい点取って、アタシの本気を両親や先生にもう一度伝えるんだ!」

「その意気だよ。だが、そのためにはまず新しいデッキを完成させんとなぁ。

 ほら、ミズカゼのスキル発動じゃ」

「あ……ガードできないー!!」

 

 

 そんな、充実はしているが進展の無い日々が3週間続いたが、ここで重大な問題が発生した。

 お小遣いが底をつきかけていたのだ。

 デッキを変えるたび、足りないカードをショップで補充していたためだ。受験生という都合上、お小遣いを前借りする理由も説明しにくい(毎週、週末は図書館で勉強してくると嘘をついて出かけていた)。どうやら、新しいクランでデッキを組めるのは、次で最後になりそうだった。

(あとフォースで組んでないデッキは……ギアクロニクルかぁ。……難しそうだなぁ。アクセルクランでもデッキを組んでみたほうがいいのかも)

 勉強机に広げたノートの上で、パラパラとギアクロニクルのカードをめくりながら考える。とそこで、1枚のカードに目が留まった。

(あ、そうだ。たしかロストレジェンドはOR(オリジンレア)で当たったんだっけ)

《時空竜騎 ロストレジェンド》のカードが、蛍光灯の光を受けて、箔押しカード特有の厚みある輝きを放っていた。

 レイはカードイラストを眺めているのも好きなので、リンクジョーカーに関係無いパックも、だいたいのカードが1枚ずつ揃うまで買い続ける。VR(ヴァンガードレア)には、さすがに諦めたカードが何枚かあるが。根絶者のディフライダーだからと言って、根絶者以外のカードを集めないわけではない。

 仮に根絶者のカードばかりお小遣いが尽きるまで買い続けるディフライダーの少女がいたとして、そんなやつがいるならディフライダー関係なく、ただの変態だ。

(ま、これも何かの縁か。キミを入れて、ギアクロニクルのデッキを組んであげよう)

 まずはロストレジェンドのカードを抜きだし、次に必要そうなカードをピックアップしていく。足りないカードは、数学のノートに書き綴った。

(週末が楽しみだな……)

 意外といいデッキになりそうだと自画自賛しながら独りごちる。

 年の離れた友人とのファイトが、今の彼女にとって一番の楽しみだった。

 

 

「今日こそ勝つよ、おじいちゃん!」

 ポーチから取り出したギアクロニクルのデッキをプレイマットの上に置いて、レイが宣言する。

「スタンド&ドロー! ライド! 《時空竜騎 ロストレジェンド》!!

 そして……時空超越(ストライドジェネレーション)!! 《時空竜 イディアライズ・ドラゴン》!!」

 黄銅色の軽鎧を纏った騎士竜が、手にした機械剣を暗夜に高く掲げる。すると、空を覆い尽くす叢雲を貫くようにして巨大な槍が地面に突き立ち、続けて、それの持ち主が降臨する。半身が未知の金属で構成された機械竜は長槍を引き抜くと、影に潜む忍竜へと、寸分の狂いも無くその切っ先をピタリと向けた。

「まずはロストレジェンドのスキルで1枚ドロー! そして、イディアライズのスキル発動!!

 アタシのバインドゾーンは11枚なので……えっと、《忍獣 タマハガネ》をデッキに戻し、山札の上から1枚……《ロストブレイク・ドラゴン》をスペリオルコール! ドロップゾーンから《スチームハンター リピット》、《テキパキ・ワーカー》もコールして、その3体のパワーに+3000!」

「おお、ギアクロニクルを使いこなしとるのぉ」

 ミカゲが嬉しそうに頷く。

「イディアライズでヴァンガードにアタック!!」

「プロテクトで完全ガードじゃ」

 イディアライズの突き出した巨大な長槍を、宵闇よりも暗い純黒の結界が押し留める。

「まだまだ! ロストブレイクでアタック!」

「《忍竜 ガンバク》、《忍竜 トガジュウジ》でガード!」

「リピットでアタック!!」

「《忍獣 トビヒコ》、《暴挙の忍鬼 スオウ》でガードじゃあ!」

「あーっ! おしい! あと手札1枚だったのに……」

 そして、ミカゲの残り1枚の手札は、先ほどドライブチェックでめくれたガード値を持たない《禁戒の忍鬼 ミズカゼ》だ。イディアライズのアタックでダブルトリガーを引けたのもあったが、本当に紙一重だった。

(ん? けど、今のファイト……アタシ、勝ててなかった?)

 そんな違和感を覚え、先のターンを振り返る。一瞬、プレイングミスをしたのかとも思ったが、実際は手札にあったどのカードを使っても勝てないという結論に至った。

(……ううん、待って? もし、あの状況で、あのカードに超越できていたら……?)

「ほれ、何を余所見しておる? ジャミョウコンゴウでアタック!」

「……ノーガード、……ダメージチェック、……アタシの負けだね」

 ぼんやりとした調子でファイトを終えると、レイは勢いよく立ち上がった。

「ごめん、おじいちゃん! 今日はアタシ、もう帰るね!」

「ああ。いいとも」

 ミカゲが鷹揚に頷いた。

「明日、また来るから! それじゃね、おじいちゃん!」

 レイは大慌てで屋敷を出ると、家に飛びこむように帰宅し、自分の部屋へと駆け込んだ。

 ギアクロニクルのカードをまとめたストレージボックスを棚から取り出すと、1枚のカードを探し当てる。

(……うん。これならきっと、おじいちゃんに勝てる!)

 確信に満ちた表情で、レイはひとり頷いた。

 

 

「今日こそ勝つよ、おじいちゃん!」

「そのセリフは昨日も聞いたなあ」

 老人に記憶力の無さを指摘され、少し赤面しながらも

「き、昨日のアタシよりさらに強くなったって言いたかったんだよ!」

 と言い返す。

「「スタンドアップ! ヴァンガード!!」」

「《プライモディアル・ドラコキッド》!」

「《妖魔忍竜 ウシミツマル》!

 ……ほほう。今日もギアクロニクルかい」

 驚いているようで、どこかこうなることを確信していたような口調でミカゲが呟いた。

「このギアクロニクルも、昨日とは違うんだから! はじめるよ!

 スタンド&ドロー!

 ライド! 《スチームブレス・ドラゴン》!」

 まずはレイがG1にライドし、ターンエンド。

 ミカゲもG1にライドし、アタック。

 それからもファイトは流れるように進み、大きな動きがあったのは、ミカゲがG2にライドした直後だった。

「《千本太刀の忍鬼 オボロザクラ》をコール。パワー+6000し、ソウルチャージ……おっ!」

 ソウルに入ったカードを見て、ミカゲが歓声をあげる。

「フゼンコンゴウ……G3が入ったのう。これは次のターンが楽しみじゃ」

 ソウルにG3があることで、もしくはG3をソウルブラストすることで本領を発揮するカードがぬばたまには多くいる。先のフゼンコンゴウもそうであるし、ミカゲが愛用するジャミョウコンゴウやミズカゼもその類だ。

(早めに仕掛けていかないと……)

 レイは決意を新たにターンを迎える。

「スタンド&ドロー!!

 ライド! 《時空竜騎 ロストレジェンド》!!」

 手札から、一際強い輝きを放つORのロストレジェンドにライドする。縁側で陽光を浴びたそれは、より強く光を反射させ、勇ましい騎士竜が本当にこの場に顕現したかのようだった。

「手札から2枚目のロストレジェンドを捨てて、超越(ストライド)!!

《時空獣 アイソレイトライオン》!!

 ロストレジェンドのスキルで1枚ドロー!

 さらにアイソレイトライオンのスキルでデッキの上から1枚を見て、そのカードをスペリオルコール!

 アイソレイトライオンのもうひとつのスキルで、そのカードをさらにG3へと変換する!

 スペリオルコール!! 《リノベイトウイング・ドラゴン》!!」

 レイは《リノベイトウイング・ドラゴン》のスキルも発動し、ユニットを展開しながらバインドゾーンのグレードを8まで伸ばした。

「さらに手札からユニットをコール!!

 バトルだよ!!

《スチームメイデン ウルル》のブースト! 《スチームメカニック ナブー》でヴァンガードにアタック!!

 アタック時、ドロップゾーンのロストレジェンドをバインド! これでおじいちゃんは手札からグレード1以上をコールできない!」

「ならば《忍獣 トビヒコ》でガードじゃ」

(これでアタシのバインドゾーンのグレードは11になった。イディアライズ・ドラゴンのスキルはすべて適用される……)

 だが、それでは昨日と何も変わらない。

「バトル終了時、ナブーをソウルインして1枚ドロー!

《ウェッジムーブ・ドラゴン》のブースト! アイソレイトライオンでヴァンガードにアタック!!」

「それはノーガード」

「ツインドライブ!!

 1枚目、引トリガー!! 1枚引いて、パワーは《ストロボスコープドラゴン》に!

 2枚目、★トリガー!! ★はヴァンガードに! パワーはロストブレイクに!」

 ミカゲのダメージゾーンに3枚目、4枚目のカードが一気に置かれる。どちらもトリガーは無し。

「よしっ! 《テキパキ・ワーカー》のブースト! ストロボスコープでヴァンガードにアターック!!」

「……ノーガード。これで5点目じゃな」

 追い詰められたにも関わらず、ミカゲは余裕の表情でダメージゾーンに5枚目のカードを置いた。

「バトル終了時。ストロボスコープのスキルで手札を1枚捨てて、オボロザクラを退却させるよ。ヴァンガードがG4なのでさらに1ドロー!

 アタシはこれでターンエンド!」

「わしのターンじゃな。スタンド&ドロー。

 ライド! 《修羅忍竜 ジャミョウコンゴウ》!!」

 月が雲に隠れた瞬間、ロストレジェンドの背後から巨大な蝙蝠が飛来した。それは騎士竜の兜をチッと掠めて、手近な木の枝にぶら下がる。同時に雲間から月が再び姿を現し、蝙蝠の正体が露わとなった。

 痩身の老忍竜、ジャミョウコンゴウ。

 その手に握られた苦無には、先ほど騎士竜から掠め取った記憶が、青白い霊気となって突き刺さっていた。

「ジャミョウコンゴウのスキル発動! レイちゃんの手札を4枚にする!」

 ジャミョウコンゴウが、苦無から抜き取った記憶を握り潰し、酷薄な笑みを浮かべる。

 レイは6枚あった手札のうち、2枚を選んでドロップゾーンに置いた。

「《忍獣 タマハガネ》をコール。スキル発動。ロストブレイクを手札に戻し、手札を1枚捨ててもらおうか」

「アタシは……そのままロストブレイクドラゴンを捨てるよ」

「《暴挙の忍鬼 スオウ》をコール。スキル発動。パワー+5000。

《嵐の忍鬼 フウキ》もコールして、バトルじゃ!

 スオウでヴァンガードにアタック! このアタックは2枚以上でしかガーディアンをコールできん!」

「つっ……ノーガード。ダメージチェック。トリガーは無いよ」

 これでレイのダメージも5点。

「サクラフブキのブースト、ジャミョウコンゴウでヴァンガードにアタック!」

「《スチームガード カシュテリア》で完全ガード!!」

「ツインドライブ!!

 1枚目、★トリガー! 効果はすべてタマハガネに!

 2枚目、こちらはトリガー無し!」

 ジャミョウコンゴウが苦無を投げつけ、ロストレジェンドがそれを盾で防いでいる隙に、ジャミョウコンゴウは一瞬にしてロストレジェンドの背後へと回り込むと、背負った刀を音も無く抜き放ち、無防備な背中へと突き立てる。

 瞬間、両者の間に割り込むように、未来から現れた少女が小型の盾でそれを受け止める。老獪な忍竜の動きを見切ることは不可能に近いが、そこに現れる事をギアクロニクルは察知していた。

 必殺の一撃を阻まれたジャミョウコンゴウは、深追いはせず、不気味な笑みと共に闇に紛れて姿を隠す。

「フウキのブースト、タマハガネでヴァンガードにアタック!」

 カシュテリアが元の時代へと還った一瞬の隙をついて、今度は巨熊が死角から疾風の如く迫る。

「《スチームメイデン ウルル》! そして、《ウェッジムーブ・ドラゴン》でガード!!」

 その速度を時乙女の巨大な砂時計が落とし、小柄な竜剣士が機械剣でカギ爪を受け止める。

「わしはこれでターンエンドじゃよ」

 ミカゲが飄々とした余裕の笑みを浮かべながら宣言する。もとよりこのターンで勝負を決めるつもりは無かったのだろう。狙いはレイを消耗させること。

(そしてアタシは《ウェッジムーブ・ドラゴン》を切らされた……)

 本来なら、G3として捨てることのできる《ウェッジムーブ・ドラゴン》で、このターンに超越するつもりだったのだ。

 レイの手札はすでに0枚。すべてはターン開始時のドローにかかっている。

(お願い……!!)

 レイは祈りながらカードを引いた。

 いつしか閉じていた目を恐る恐る開いて、ドローしたカードを確認する。

「……っ!! アタシはロストレジェンドのスキル発動!! 手札から《時空竜 イディアライズ・ドラゴン》を捨て、時空超越!!!」

「……ほう。イディアライズを捨てるのかい」

 いつの間にか、ロストレジェンドの背後には巨大な円形の(ゲート)が宙に浮かんでいた。

 宵闇よりも深い黒々とした闇が渦巻く、時空と時空を隔てる関門だ。

 ロストレジェンドはそれに鍵を差し込むようにして剣を突き立て、ゆっくりと捻る。

 異なる世界同士が繋がり、ただならぬ気配がこちらの世界へとなだれ込む。

「門よ開け……《クロノタイガー・リベリオン》!!!」

 少女の呼び声に応え、獣の咆哮が闇の奥より響き、狭い門を内側から引き裂くようにして紅の機械虎がその全貌を露わにした。

 本体よりも巨大な左腕を筆頭に、全身を砲と装甲、推進器で武装した、人型の虎という元の姿《クロノファング・タイガー》とはかけ離れたその威容は、猛虎の姿をした要塞と呼ぶに相応しかった。

「ロストレジェンドのスキルで1枚ドロー!! ……ドローしたロストレジェンドをコール! 《テキパキ・ワーカー》を前列へ移動させて、バトルだよ!!

《クロノタイガー・リベリオン》でヴァンガードにアタック!!

 アタック時、アタシの手札は1枚以下なので、リベリオンのスキルはすべて発動する!!

 スオウとタマハガネを退却!

 アタシの前列ユニットすべてのパワー+10000!!

 そして、ダメージゾーンのカードをすべて裏返して、このターン、ガーディアンのガード値を-5000!!!

 おじいちゃん、アタシの手札を減らしてくれてありがとね」

「……ぬばたまのハンデスを逆手に取ったってわけかい」

 ミカゲがはじめて驚愕に目を見開く。

 だが、その表情は、いつかこのような日が来ることを予想していたかのように、口元にはうっすらと笑みすら浮かんでいた。

「そうだよ! 別に《クロノファング・タイガー》じゃなくたって、《クロノタイガー・リベリオン》に超越してもよかったんだ!!

 対戦相手の動きに応じて、柔軟に戦い方を変えていく。それがギアクロニクルだよっ!!」

「なるほどのう。だが、せっかくのリベリオンのスキルも、このカードの前には無力じゃ。

 プロテクトで完全ガード!!」

 紅の機械虎が全身の武装を開放し、辺り一帯を焦土へと変える。渦巻く爆煙の中、何処かに身を隠していたジャミョウコンゴウの姿が露わにになると、クロノタイガーはそこめがけて巨大な爪を振り下ろした。

 ジャミョウコンゴウは素早く印を切り結ぶと、漆黒の結界を張ってそれを受け止める。

「ツインドライブ!!

 1枚目、トリガー無し。

 2枚目、治トリガー!! ダメージ回復して、効果はすべて《テキパキ・ワーカー》に!!」

「……むっ」

 ミカゲの表情がほんの僅かしかめられた。

「ウルルのブースト!! ロストレジェンドでヴァンガードにアタック!! いっけーっ!!!」

「……ノーガードじゃ!」

 ミカゲが胸を張って宣言した。

 ジャミョウコンゴウを護る結界が解けた瞬間を見計らって、ロストレジェンドが飛び出し、ジャミョウコンゴウは奇怪な足捌きでロストレジェンドを翻弄する。

 ロストレジェンドは目を閉じ、時を司るギアクロニクルの中枢にアクセスする。知るべきは僅か1秒先の未来。

 ロストレジェンドがあらぬ方向へと剣を突き出した。その先には、ロストレジェンドの背後へと回り込もうとしていたジャミョウコンゴウがいた。剣が心臓を貫き、ジャミョウコンゴウが吐血する。

 だが、ジャミョウコンゴウは血に塗れた顔面に不敵な笑みを貼り付けたまま、手にしていた爆弾を掲げた。

『!?』

 それが爆発するのと、ロストレジェンドが剣を手放し盾を構えるのは、ほぼ同時。

 爆音が鼓膜を裂き、爆光が瞼を貫いて網膜に突き刺さる。

 一時的に五感を奪われたロストレジェンドが、ようやく盾を降ろせるほど回復した時には、老竜の姿は何処にも無かった。

 ただ、地面にできた真っ黒な焦げ跡が、まるで影のようにぽっかりと横たわっていた。

 

 

 闇に生まれ、闇に死す。

 其れこそが忍びの定め也。

 刃の下に心を隠し、人知れず命を屠る戦場の黒子達。

 我らぬばたま忍軍。

 帝国を覆う影となりて、仇なす者を葬らん。

 

 

「ダメージチェック……わしの負けじゃなあ」

 6枚目のカードをダメージゾーンに置き、ミカゲが告げた。

「おめでとう、レイちゃん」

 負けたにも関わらず、これまでで一番嬉しそうに笑う。

「うん! おじいちゃん、今までありがとう。アタシ、決めたよ。これからはこの子達を。ギアクロニクルを使ってく!」

「そうかそうか」

「それでね、おじいちゃん。アタシ、明日から勉強に専念しようと思うの。だから、その、しばらくここには来れないと思う」

 一言一言を噛みしめるようにしてレイが言う。本当なら毎週ずっとここでヴァンガードをしていたかった。だが、自分の学力では、相当勉学に集中しなければ響星学園には受からないだろう。

「そうかそうか。それじゃあ、餞別をあげなければならんのう」

 ミカゲはよっこらせと立ち上がると、ふらつきながら家の奥へと引っ込んでいく。

「お、おじいちゃん?」

 思わず、支えてあげなければと立ち上がったが、庭と縁側くらいしかお邪魔したことのない家の奥に入り込むのは憚られた。

 幸い、ほどなくしてミカゲは戻ってきた。その手に2枚のカードを携えて。

「レイちゃんに、これをプレゼントしよう」

「え? 何これ……」

 裏向きに渡されたカードを、表に向ける。

「!? これって! 《時空竜 ミステリーフレア・ドラゴン》!? それも2枚!?」

「そうとも。レイちゃんは、このカードを持っていないんだろう? 持っていれば、このカードの方が有効な場面もあったものなぁ」

「そうだけど……。いいの? こんな貴重なカードを」

「もちろん。わしが持っていても使い道が無いからなぁ。レイちゃんが使ってくれた方が、カードも喜ぶだろうて」

「……うん! ありがとう、おじいちゃん! 大切にするね!」

 言いながら、レイはミカゲに抱きついた。

「また高校に進学できたらここに来るね! その時はまたファイトしよ! ミステリーフレアを入れて、さらに強くなった、アタシのギアクロニクルを見せてあげる!」

「……おう。そうさなぁ」

「アタシの『憧れの人』も紹介するよ! まだ会ったことはないけど、きっと素敵な人に違いないんだ!」

「……うん。楽しみにしているよ」

 ミカゲはしわがれた手で、レイの頭を優しく撫でた。幾多の年月を経てかさかさに乾ききった手は、それでも確かなぬくもりをレイに伝えてくれた。

 その日は、いつもより大きく手を振ってミカゲと別れた。

 しばしの別れ。だけど半年もすればまた会える。だからできるだけいつも通りに。「またね」と言って屋敷を後にした。

 普段は縁側に腰かけたままのミカゲも、今日は珍しく玄関まで出てきてレイを見送ってくれた。

 

 

 それからひと月が経過した。

 家の用事で久々に外出したレイは、気が付けばミカゲの屋敷のすぐ近くを通っていることに気付いた。

(少し寄り道すれば、おじいちゃんの家だよね)

 しばらく会わないと宣言して、わずかひと月で会いに行くのはやや気恥ずかしいが、自分とミカゲの仲で、ここまで来て会いにいかないのも変だろうと自分自身をむりやり納得させる。顔を見せるだけだ。デッキも持ってきていないし、ファイトはしない。

 それに、報告したいこともあった。中間テストでいい点を取って、両親や先生が響星学園を受験することを許してくれたのだ。

 逸る気持ちが抑えられず、早足になって屋敷のある角を曲がる。

(……あれ?)

 塀から縁側を覗くが、そこには誰もいなかった。

(……まあ、約束していたわけじゃないし。おじいちゃんも四六時中あそこにいるわけじゃないよね)

 少しがっかりしながら、レイは屋敷を後にする。

 季節外れの風鈴は、いつしか片付けられており、ちりんという優しい音は、もう聞こえなかった。

 代わりに遠くで救急車のサイレンが鳴っているような気がした。

 

 

 次の日、胸騒ぎを覚えて、レイは家を飛び出した。

(ダメ! やっぱりおじいちゃんに会いたい!)

 意思が弱いと笑われても構わない。嫌われたっていい。今はただ、とにかくミカゲの顔が見たかった。

 屋敷に辿り着いた時、レイは激しく息を切らしていた。呼吸を整え、俯いていた顔をあげると、ちょうどいつもレイが出入りしていた通用口から、人が出てくるところだった。

「!! おじいちゃ――」

 思わず声をあげて、それをすぐに抑え込む。小さな門から出てきたのは、ミカゲとはまったく別人で、40代くらいの女性だった。

 だが、その声でレイに気付いたのだろう。女性がこちらへと振り向くと、驚いたような顔をして、サンダルでパタパタと駆け寄ってくる。

「ああ! あんた、レイちゃんだね。ここ最近、お父さん――ミカゲおじいちゃんとカードゲームで遊んでくれていた子だろう?」

「あ、はい! そうです!」

 その言葉からすると、この女性はミカゲの娘なのだろう。

「あの、おじいちゃんは――」

 レイが尋ねるよりも早く、女性はレイの両肩をがっしり掴むと、目線をレイの高さまで合わせた。

 こうして顔を合わせてみると分かるが、その女性の頬は痩せこけ、憔悴しきっているようにも見えた。まるで一晩中泣き明かした後のように。

「落ち着いて聞いてね。ミカゲおじいちゃんは昨晩に意識を失ってね……今朝に亡くなったんだよ」

「…………」

 その言葉は自分でも驚くほどすんなりと受け入れることができた。

 分かってはいたことだ。

 あれほどまで眼窩の落ち窪んだ人間が。歩くだけで難儀しているような人間が。あんな骨のような手をしている人間が。もう長くは生きられないことなど、自明の理だった。

(……? あれ? じゃあ、何でアタシは「またね」なんて言ったんだろう?)

 半年もすれば会えない公算の方が高かったはずだ。

(……ああ、そっか。アタシは人の死を知らなかったんだ)

 レイはまだ身近で人を亡くしたことはない。人が死ぬということを知識として理解はしていても、実感できていなかったのだ。

 ミカゲの体調が悪そうだとわかってはいても、それを死と繋げるようなことはせず、楽観的な妄想に逃げ込んだ。

「あ、あはは……冗談、だよね?」

 だから、現実から目を背けるような言葉も平気で出てくる。愛想笑いで誤魔化していれば、ミカゲがひょっこり現れるのではないかという淡い希望に、今もすがりついている。

「本当よ」

 それを断ち切るように女性はぴしゃりと告げた。

「明日にお葬式を予定しているのだけど、あなたにも出席してほしいの。予定は空けられるかしら?」

「……親に聞いてみます」

 それだけ答えるのが精一杯で、レイは逃げるようにその場を去った。

 

 

 受験生の身の上で、まさか学校を休む許可は下りないだろうと考えていたのだが、事情を説明すると、両親はいともあっさり葬式に出席することを許してくれた。

 自分の倍以上生きている両親は、死というものの重みをレイ以上に知っているのだろう。今後、どれだけ遅刻の言い訳が必要であっても「親戚の葬式」だけは使わないでおこうと心に決めた。

 両親は葬式のルールを簡単に教えてくれて、お金も持たせてくれた。

 そして今、レイは黒い縁取りに覆われたミカゲと対面していた。

 遺影に選ばれた写真は、ミカゲがヴァンガードをしているところで、とても楽しそうだった。

 レイも見慣れた笑顔だが、記憶よりも若々しく感じる。レイの知る頃より、もう少しだけ元気だった頃に撮られた写真なのだろう。

 ミカゲの遺体とは、先ほど最後のお別れを済ませてきたところだ。穏やかな表情で、まるで居眠りでもしているかのようだった。棺桶には、彼が生前に愛用していた黒い羽織や、ぬばたまのデッキが入れられていた。

(アタシ、やっぱり泣けなかったな……)

 優しく微笑むミカゲの前で、レイはそんなことを考えた。

 自分には感情が欠落している。笑いたい時に笑えず、怒りたい時に怒れず、泣きたい時に泣けない。仕方がないので、常日頃から笑顔を作ることで、周囲を誤魔化してきた。とりあえず笑ってさえいれば、大抵の人は「レイちゃんは、いつもニコニコして偉いねえ」と褒めてくれる。そこには何の因果関係も無いというのに。

 唯一の例外はヴァンガードをしている時で、ファイト中だけは心から笑うことができた。

 自分がこのような歪な性格になった原因は分かっている。

 レイは自分の胸に手を当てた。

 自分の中にいる根絶者の存在だ。すべてを無に帰さんとする根絶者の本能が、自らの感情すらも消去し続けているのだ。

 根絶者のディフライダーであることは自分の誇りだったが、たまに思うことがある。自分は根絶者などではなく、化け物に魂を喰われかけているだけの、普通の少女なのではないかと。

「あなたがレイちゃんね?」

 それこそ鼻で笑い飛ばしたくなるような無意味な思考を断ち切ってくれたのは、凛とした若い女性の声だった。

 レイがいつの間にか俯いていた顔をあげると、そこには濡れ羽色の髪を肩まで伸ばした艶やかな女性が立っていた。まだうら若いにも関わらず、喪服を完璧に着こなしている。ただ、何となくではあるが、彼女には白い着物の方が似合いそうな気がした。

「はい。あ、あの、あなたは……?」

 問い返して、すぐにピンとくる。

「もしかして、ミカゲおじいちゃんのお孫さん……?」

「ええ。ミカゲおじいちゃんの孫です。おじいちゃんと、最後にたくさんファイトをしてくれたそうね。彼に代わって礼を言います。ありがとうございました」

 ミカゲの孫は丁寧に膝を折ると、指先を畳につけて頭を下げた。生まれて初めて見た完璧な形式のお辞儀に、レイは思わず見惚れそうになる。

「い、いえ! アタシの方こそおじいちゃんに世話になりっぱなしで、その……」

「楽しかった?」

 慣れない雰囲気に戸惑っていると、ミカゲの孫は突然そんなことを訪ねてきた。

「え?」

「おじいちゃんとのファイトは楽しかった?」

「はい! あんなに楽しいファイトは初めてだった! おじいちゃんとのファイトは、アタシの一生の思い出です!」

「それはよかったわ。ちゃんと両想いだったのね。

 私はたまにおじいちゃんと手紙のやり取りをしていたのだけれど。半年に1度手紙が来ればいい方だったのが、だいたい2ヵ月前からかしら。1週間に1度の頻度で手紙が来るようになったの」

「え、それって?」

「最初の手紙には『面白い女の子に会った。将来有望なファイターだ』って。それからは、あなたとのファイトの内容や、ファイト中にどんな話をしたかとか、とにかくあなたのことばっかり。実の孫に送るような内容じゃないわよね。少し妬けちゃったわ」

「あ、あはは……」

 目の前の女性がおどけた調子で笑う。顔の筋肉をその形に動かしているだけの、自分の笑みとは違う。本物の笑みだった。そして人を安心させるようなその笑顔は、どこかミカゲの面影を感じさせた。

「そして一週間前。おじいちゃんから最後の手紙が届きました。もし自分が死んだら、この手紙をあなたに渡してくれって」

 女性が喪服の袖から1枚の封筒を取り出し、畳の上にスッと差し出した。

 いちいち行動がサマになる人だなと思いつつ、レイは封筒を受け取り、糊付けされていた封を剥がす。そこから出てきた1枚の便箋には、筆を握るのも重労働だったのだろう、震える文字で、ぶっきらぼうに3つの言葉だけが記されていた。

 

 約束、守れなくてごめんな。

 楽しかったよ。

 ありがとう。

 

 たったそれだけの言葉に、無念と、思い出と、感謝の、すべてが込められているのが、レイにもはっきりと伝わった。

「あなたと初めて会った日のおじいちゃんはね。余命1週間を宣告されて、実家に帰ってきたばかりだったの」

「……え?」

 そして、女性の告げた言葉に目を丸くする。

「病気がひどくて、病院でももう手の打ちようが無いから、最期は家族に囲まれて過ごしなさいっていうお達しだったのね」

(え? それじゃあ……)

 レイはミカゲと初めて会った時のことを思い出す。その時のミカゲは、縁側にカードを並べていたが、あれはデッキを作成していたのでは無かったのではないか。自分のデッキを構成するカードの1枚1枚にお別れを告げていたのではないか。少なくとも、レイが余命1週間を宣告されたら、同じようなことをする気がした。

「でも、おじいちゃんは……」

「ええ。それからふた月も生きたわ。初めのひと月はあなたとのファイトが楽しかったのね。あなたの成長を見届けるまで、死ねなかったのではないかしら。

 残りのひと月はあなたとの約束を守るため。高校生になったあなたとファイトするために、頑張って生きようとしたのよ。

 最期まで足掻き続けたあの人を、私は孫として誇りに思うわ」

「そん、な……おじい、ちゃん……」

 両手の指を髪の毛に突っ込んでくしゃくしゃに頭をかく。可能なら、そのまま指を脳みそに突き刺してかき回してやりたかった。

「ごめん、ね……。アタシが無理させちゃったんだね……」

「そんなことないわ。あなたがいたから、あの人は最期の瞬間まで幸せだったのよ」

「う、わ、あ、あああああああああっ!!!」

 涙の代わりに悲鳴が溢れでてきて止まらなかった。

 ミカゲの遺影へと手を伸ばし、遺体が入った棺桶に駆け寄ろうとするのを、女性が優しく抱き止めた。

「あああああああああっ!! おじいちゃんっ! そんなのっ、優しすぎるよ!

 イヤだっ! また会いたいっ! 謝るからっ! だから、出てきてよぉっ!!!」

 静かな式場に、レイの悲鳴がこだまする。何事かと周囲の大人が立ち上がりかけたが、レイを抱いたままの女性が視線だけでそれを押し留めた。たかが故人の孫にしては、権限と影響力がありすぎる。

 レイはそんな女性に抵抗するかのように爪を立てて引っ搔いた。女性の首筋にじわりと血が滲む。

「大丈夫よ。あなたの気持ちは、おじいちゃんに届いているから。だから大丈夫」

 獣のように暴れるレイを、女性は赤ん坊に対してするようにあやし続けた。

「まったく……見た目だけじゃなく、不器用で世話の焼けるところまで、あの子にそっくりね」

 やがて、レイが疲れ果てた頃、女性が苦笑するように呟くのが聞こえた。

 その意味は掴めないまま、レイの意識はゆっくり闇の中へと沈んでいった。

 

 

 力尽き地面に落ちた蝉を、蟻がせっせと巣に運んでいた。これから訪れる冬に備えるのだろう。

 響星学園の1年生、時任レイはそれを踏み潰さないように気を付けながら、いつしか暗くなっていた夜道を歩いて帰路につく。

 無数の生と死が入り混じるこの季節になると、時任レイは思い出す。

 優しい温もりを与えてくれたしわがれた手と、もう動くことはない冷たくなった手のことを。




3年生編9月の本編をお送り致しました。

そして!!
ついに、ぬばたま使い「黒澤ミカゲ」が登場と相成りました。

いや、登場と言っていいのか。
なにせ、現在の時間軸ではすでに故人。
だからこそ、ミカゲの描写も、ジャミョウコンゴウをはじめとするユニットの描写も、魂を込めて書かせて頂きました。
お楽しみ頂けたなら、何か感じ入るものがあったのなら、幸いです。

それでは次回、9月3日前後に公開予定、Vクランコレクションのえくすとらでお会いしましょう!
ダイホウザンも書きたかったー!!(時間軸が合わない……

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