「……ん?」
時間にすれば、仮拠点から数分で辿り着ける場所にある恵みの木。すでに見慣れつつある道なき道を行き、視界にその木を捉えたところで異変に気付く。何やら木の周りを慌ただしく飛び回る影が見える。どうやら、今回はあのコクーンの他に先客がいるようだ。
「ピジョー!」
「あれは……ピジョンか!」
先客の名はピジョン。とりポケモン。タイプはノーマル・ひこう。ポケモンシリーズ恒例の序盤鳥ポケモンの初代・ポッポの進化系。最終進化系のピジョットはスピアーと同時期にメガシンカを獲得した。俺個人としては、ゲームでは序盤のお供として、"そらをとぶ"係として、長らくお世話になった思い出のポケモンだな。
すでに何度か見かけてはいるが、こうやってかち合いそうなのは初めてだ。念の為にと木の枝と石礫は装備したままにしておいて正解だった。様子を伺いつつ慎重に近づいていく。ピジョンは木に止まったり離れたりを繰り返しながら、時折枝の中に頭を突っ込んだり足を出したりしているように見える。
この様子から見るに…お食事中、もしくは狩猟中かな?
元々ゲームでのきのみはポケモンが食べる(使う)ことで体力を回復したり、状態異常を治したり、能力を上げたりするアイテムだったので、他のポケモンが食べに来ても何らおかしくはない。どうする?何かの拍子に攻撃されるかもしれないし出直すか?
…だが、ピジョンにはビードルのような毒の危険はない。昨日俺がビードル相手に引き下がったのは、刺された分も含めて毒を警戒したから。純粋な力はビードルよりも上かもしれないが、毒を持っていない相手なら体格以外に何も恐れることはない…ゴメン、流石に猛禽類程度の大きさとなるとちょっと怖いわ。
ただ、今日の俺は追い込まれたネズミ。食料確保が失敗に終われば命の危機だということを痛感している。不退転の覚悟を胸に、木の枝をしっかりと握り締め、息を殺し、ゆっくりと近づいていく。ピジョンはこちらに背を向けており、接近に気付く様子はない。
そして…
「…そら!」
「…ピジョ!?」
追い払うために、ピジョンに石を投げつける。動物虐待の意志などない俺としては、当然当てるつもりはない。いきなりの攻撃に驚いたか、はたまた突然現れた俺に驚いたか、ピジョンはそれまでの動きを止めて木を離れ、空へと舞い上がる。そして、俺の目論見通りそのまま空の彼方へと…
…なーんてことを予想していたのだが、世の中何でもかんでも上手くいくほど甘くはないワケで…
「ピジョー‼」
「…え?え?…うわ、こっちくんなし!」
…ピジョンは飛び去るどころか、俺目掛けて進路を変更。一気に急降下して突っ込んできた。"たいあたり"か"つばさでうつ"か。どちらにせよ、完全に敵としてロックオンされてしまったらしい。まあ、食事の邪魔をされりゃ誰だって怒りますわな。俺だって怒る。『食べ物の恨みは怖い』なんて言葉もあるし。昨日のビードルのこともあるし、考慮に入れて然るべきだったか、クソ。加えて遠目だと分かりづらかったが、近づいてくるにつれてピジョンが思いの外デカいことにも気付く。アイツ、図鑑だと何センチって説明されてたっけ…
むむ、これは…かなり早まったことをしたかもしれない。
しかし、だからと言ってすでに賽は投げられている。ボロボロにされて尻尾巻いて逃げ帰るか、力づくで掴み取る勝利か…気は進まないが、とりあえず痛い目に遭うのだけは勘弁したいので御挨拶とばかりに木の枝を振り回して迎撃する。木の枝とは言っても、即席の杖として使えそうなぐらいの大きさのモノだ。当たればノーダメージとはいかないはず…あ、鳥獣保護法とか動物愛護法みたいな法令に引っ掛かってないよな?これ。生きて帰っても罰金ボーイなんて結末も御免だぞ?
ピジョンが進路を変えて後ろに回り込んだので、常に視界に捉えられるように向きを合わせる。以降、ピジョンの攻撃に合わせて迎撃するループがしばらく続く。ピジョンから感じるプレッシャーがすごいし、幼児退行の影響か、それともここ二日間の疲労の蓄積か、体力の消耗が大きい。ただ、森の中であるためか、木々に邪魔されてピジョンも思ったように飛べず、攻めあぐねている感じはする。
どうする?どうしたらこの状況を打破出来る?
動きを見逃さないようにピジョンに集中しながら考える。状況は膠着しているが、体力的・精神的にはかなり削られている。総合的に見てこちらが圧倒的不利。手持ちの武器は一本の木の枝のみで逆転は難しい。援軍はそもそも当てがない。周囲の状況は木が乱立する森の中。
…うん、木に紛れることが出来れば逃げ切れる可能性はありそうだ。それが無理でも、木を背にすることで迎撃範囲を狭めることが出来る。一番近場の木は…目指して動いたから当然だが、例の実のなる木だな。
ピジョンの動きを注視しながら、隙を見て一気に実のなる木の下へと駆ける。幹に背中を預け、ピジョンの位置を確認…って、背中向ければやっぱり狙ってくるか!
「ハァッ!」
かなり近くまで迫っていたピジョンを慌てて迎撃するが、その一撃は躱される。
「ピジョォーッ!」
「ぐぅッ!」
それに止まらず迎撃をすり抜けた一撃で、左の肩口を強かに一発。もんどりうって後ろ向きに倒されて背中を強打。地面が土で草もマシマシなおかげで背中にダメージはあまりないが、肩の痛みは…無視出来そうにない。ポケモンパワー、恐るべし、か。
「ハァ、ハァ…」
肩の痛みを何とか凌ぎつつ一息入れる。一発入れたからといって、向こうはまだまだ諦めてくれそうにはない。でも、何とか木の下までは辿り着けたことで、さっきまでの状況と比べれば幾分かやりやすい状況には出来た。あとは機を見て逃げ果せるだけだ。背中を幹に預け、上がった息を整え、痛みに耐えながらタイミングを窺う。
ふと上を見ると、そこにはやはりコクーンがいた。昨日のヤツだろう。この大騒ぎでも相変わらずどこ吹く風…と思いきや、よく見ると何やら様子がおかしい。やけにカチンカチンなっているように見える。これは"かたくなる"の効果だろうか?それにどういうわけか、ボロボロに痛めつけられた痕も…
…もしかして、あのピジョンがやったのか?
可能性としては十分考えられる。思い返せば、確かピジョンとか進化前のポッポなんかはコイキングやタマタマを餌にしていると図鑑説明があったような記憶がある。虫ポケモンが狩猟対象でもなんらおかしくはない。むしろ自然。おそらく、最初のピジョンの動きはコクーンを襲っていたんだ。そこに俺がやってきて邪魔をした…と。
…ん?と言うことは、だ。もしもこのまま俺が逃げ出したとしたら、コイツは…食われる?
…そうか、そうだよな。戦闘で木の実使うからと言って、全ての野生のポケモンが木の実食って生きてるわけじゃあない。ゲームじゃ何も描かれることはなかったけど、図鑑にはそれらしい記述がいくつもあったし、中には無機物だの電気だのが主食というポケモンだっていたように記憶している。それらは別としても、現実でもポケモン世界でも弱肉強食のサイクルは変わらない。であるのなら、他のポケモンを食べて生きてるポケモンだっていて当然だ。
「………」
自分の身に危険が迫っていても、何も言わず、動くことも出来ず、ただただ硬くなって身を守っているコクーン。俺が逃げればきっとそれまでの命。(たぶん)コイツには散々な目に遭わされたけど、ここで見捨てるというのも何かなぁ…一期一会、今日限りの関係…
「…これも縁ってやつなのかねぇ」
そうだ、まだ今日は終わってない。ならばここは一つ、腹を括って仇を恩で返してやろうじゃないか!男を見せろ、津田政秀。大和魂を見せてやるんだ!
「とは言え、どうしたものか…なっ!」
再び突っ込んできたピジョンを必死に追い払い、なおも考える。撃退に方針転換したはいいが、今の手札では決め手に欠ける。根競べの持久戦しか手が無いこのままじゃジリ貧だ。一気に勝負を仕掛けるのなら、ジョーカー的な切り札が必要だ。そうでなければ予期せぬハプニングに期待するぐらいか。何か、何かないか…
そこまで考えて、ふと思いつく。コクーンのことだ。ゲームだと野生で登場したコクーンは『かたくなる』しか技が無かった。しかし、手持ちのビードルから進化したコクーンはビードルが覚えていた技を使うことが出来る。つまり、このコクーンも『どくばり』と『いとをはく』が使えるのではないか。
いや、でも現実的には難しいか?普通の蝶やら蜂やらは蛹になればあとは羽化するまで飲まず食わずだ。それに俺の指示に従ってくれるかも分からない。期待外れの結果が待ってるかもしれない。
…それでも、この状況では賭けてみるしかない。やってみる価値はある。
「おい、コクーン!お前"どくばり"は撃てるか!」
「…?」
ボロボロな状態でこちらを見つめるコクーンに、攻撃が出来るか声を掛ける。理解出来ているかは分からないし、そもそも返事も期待してはいない。ピジョンから目が離せない以上、声を張り上げるだけでも精一杯だ。
それでも、今の俺には明確な覚悟と希望があった。
「アイツの攻撃は俺が受け持つ!撃てるんなら、アイツが突っ込んできたところに遠慮なくぶち込んでやれ!」
そうしているうちに、ピジョンが再度攻撃の兆候を見せる。少し遠くを回って勢いをつけて突っ込んでくるつもりだ。その動きと行方をしっかりと見据える。例えコクーンの援護が無くても、一発叩き込んでやる。それぐらいの意志で、その時を待つ。
「ピジョォ‼‼」
「来たな…!」
飯の恨みだとばかりに、ピジョンが距離を稼いだ分勢いを乗せた突撃の態勢をとる。俺は木の枝を横凪出来るように構えて迎え撃つ。徐々に互いの距離が縮まってくる。そして…
「……!」
『プスンッ!』
「ピジョ…ッ!?」
「!」
…突如飛来した『細い何か』がピジョンの横っ面に突き刺さる。スピードに乗ったところを横合いからぶん殴られた形になったピジョンがバランスを崩し、左に傾いて失速。よろめきながらも姿勢を立て直そうとしたところに…
「さっきはっ、よくもっ、やってくれたなコノヤローッ!」
『バシィィィ!』
「ピ、ピジョ…ォ…」
…俺の渾身の横凪がガラ空きの右側にクリーンヒット。ヨロヨロと後ろまでは飛ぶものの、木の枝に頭から突っ込んで停止。そこにもう一発細い何かを撃ち込まれて勝負あり。呆気なく地面に落ちた。
ピクリとも動かないため恐る恐る近付いて様子を見ると、アニメのようにぐるぐると目を回して気絶していた。戦闘不能だ。
「…フゥーーッ、何とかなったぁー…」
肩の荷が下りたと同時に、全身の力が抜けて地面にへたり込んでしまう。一仕事終わって安心した時に近い感じだ。同時に、それどころじゃなくて忘れ去られていた左肩の痛みも戻ってくる。
何はともあれ、俺は賭けには勝てたらしい。今はそれだけで十分だ。
「お前もいい仕事だったぜ。御苦労さん」
そして、もう一人…いや、もう一体の殊勲者にも声掛けを忘れない。不意の1発とトドメの1発、都合2発撃ち込まれた『細い何か』…もう言うまでもないと思うが"どくばり"だった。
ピジョンを共同で撃墜に持っていった相方、コクーン。本当に出来るのか、指示に従ってくれるのか…不安と問題が多い即席の作戦だったが、まあ終わりよければ全て良しだ。
心なしかコクーンも誇らしそうに体を揺らしている。何となくそんな気がする。散々痛め付けられた相手を逆にボコボコにしてやったんだから、鼻が高いはずだ。きっと。
「…ああ、いい天気だ」
大地に寝転び空を見やれば、木々の間から覗く清々しい青空に心が癒されていく。通り抜ける風もまた爽やかで、1戦を戦い抜いて疲弊した身体に心地よく染み渡っていく。
俺の、俺たちの勝利を祝福するかのように注ぐ日射しと吹き抜ける風を、ただ無心に受け止め続ける。いつしか自然と一体となった錯覚すら感じるようになった。
そうしてふと気が付いた時には、辺り一帯は見事なまでにオレンジ色に染まりきってしまっていた。津田政秀、不覚不本意な3日連続の野宿突入が決まった瞬間であった。
…こんなに寝ちまって、俺今夜寝られるのカナー?
なお、倒したピジョンは起きた時にはすでにいなかった。気絶から回復して逃げたものと思われる。たぶん。報復が無いことを心から願って、ポケモン世界の3日目は暮れていった。