常春頭の忍者道 作:さとる
「あ、寝る前にお水……」
就寝するため借りている部屋にむかった春樹だが、ふと喉の渇きを覚えて、くるりと反転して来た道を戻る。そして居間近くに来ると……なにやらしんみりとした語り口が聞こえてきた。
サクラが飾ってあった一部破られた写真に興味を持ったことから、居間ではタズナ一家とこの国で英雄と呼ばれた男の過去話が語られていた。
軽く聞き耳を立てた春樹だが、断片的に聞こえる内容で「ああ、なるほど」と、ことのあらましを理解した。「大好きで勇敢だった父親」「守る」「公開処刑」「死」「嘘吐き」「変わった子供と町人」。言うなれば悲劇としてはありがちな話。
まあ入っても大丈夫だろうなと、そのまま進み「お水いただきますね~」と変わらぬ調子で声をかけていく。
(ん~……。食べた後の眠さって、どうしてこうも抗いがたいんでしょう……)
晴れた日の午後。陽光の中でもこの睡魔による陶酔感は訪れるが、食後のこれはそれに並ぶ。
あふっと間抜けな欠伸を漏らした春樹であったが、それは場にいる人間が「この世に英雄がいるってことを、証明してやる」と……。なにやら格好いいようなことを言って外に出て行ったナルトに注目していたため、気付かれることは無かった。
水を飲んだ後、再度部屋に向かう春樹だったが……途中。膝に顔を埋め蹲る小さな影に気付き、足を止めた。
「! な、何だよお前!? いつからそこにいたんだ!」
ぼうっとした頭では唇を開いて声を発することさえ億劫で、じ~っとそれを数分間眺めていた春樹。そしてやっと春樹の気配に気づいたのか、顔を上げたイナリは目の前に合った微笑の能面にヒィ! と悲鳴を上げてから震える声で怒鳴った。
明かりのほとんど無い闇のわだかまった階段。その中で白い肌は暗闇に浮かぶようで、更にはうすらぼんやりとした頬笑み。……軽くホラーだ。
すぐに滞在して居る忍者の一人だと気付いて落ち着きを取り戻したイナリだったが、首を傾げただけで言葉を発しない春樹を見て言葉を飲み込んだ。突っぱねる感情よりも、得体の知れなさが勝ったのだ。……動けない。
見つめ合うこと数秒か、数分か。
「道……」
やっと発せられた単語に、やっとイナリも体の硬直をとく。どうやらイナリが塞いでいた階段を進みたかったらしい。
「う、上は! ぼ、ボクの部屋だぞ!」
「その……となり……。小さい部屋……お借りして……ふわ」
「そ、そう……だっけ」
あくび交じり、途切れ途切れにしか言葉を発しない春樹に、イナリは反発するよりもさっさと通した方がよさそうだと息をはく。
そして狭い階段の端に身を寄せたイナリだったが、おぼつかない足取りの春樹は階段を上ろうとして……ずるっと足を滑らせた。
「!?」
春樹はそのまま鈍い音を立てて階段の角に頭をぶつけ、さらにはずるずるずるっと階段の途中まで滑り落ちる。
イナリが居た場所は階段を上りきる直前。そこから滑り落ち、幸い階段半ばで止まった春樹だが……とても……とても痛そうである。
しかも滑り落ちたままうつぶせでピクリとも動かない春樹を見て、イナリはおそるおそる様子を窺った。
「イナリ? 今、変な音したけど、どうかしたの?」
「な、なんでもないよ!!」
階下から伸びた母親の声に、とっさに答えたイナリは途方に暮れた。なんでもなくない……。
今からでも、母親を呼びに行こう。そう思いつつ、あまりにも反応がない春樹が気にかかる。
(ま、まさか死んでる?)
混乱しつつ、ためしに足の指先でつついてみた。
すると春樹はごろっとうつぶせから横向きになり、幸せそうに不気味な笑い声を発する。
「ん~……んふふ……」
角にぶつけた額を赤くしながらも、どうやら本格的に眠りの国へ旅立ったようだ。笑いながらも実に幸せそうに寝息を立てている。
「生きてる……」
反応があったことにほっと息をつくが、今度は逆に腹が立ってきた。
なんて寝汚い奴だ、自分が苦しくて苦しくてたまらない時に他人がズカズカ家に入り込んできたと思ったら、さらにはこんなに呑気なさまを晒すなんて。まったくもって腹立たしい。
イナリは腹いせに思いっきり蹴飛ばしてやろうと構えたが、予告なくばちっと開いた瞼に声にならない悲鳴をあげた。
「……! ………!! …………!?」
「あれ? わたし……寝てましたか?」
ばくばくする心臓を押さえているイナリに春樹が問うが、彼としてはそれどころではない。
春樹はイナリ少年が落ち着く前にキョロキョロ階段を見回して状況を理解したらしく、やや申し訳なさそうな声色で言う。
「ああ、いけませんね。久しぶりにやってしまいました。わたし、ご飯のあとってどうしようもな~く眠くなってしまうのですよ。けどこんなところで寝落ちは久しぶりですね」
先ほど感じた得体の無さとは違い、のほほんとした雰囲気で言う春樹。ようやく落ち着いたイナリは大きく息を吐き出した。
「何なんだよ、お前……」
年下のいとけない少年をぐったりとさせた春樹は、何故か現在その少年の部屋にいた。
というのも、ひょいと覗き込んだ少年の部屋窓。そこから見えた絶景の虜となってしまったからである。遠慮なしに部屋に入り込まれたイナリとしては不幸という他ない。
「素敵ですねぇ……」
うっとり窓の外を見つめる春樹の顔は、ぶつけた所がまだ赤い。春樹とは別の理由で目元を赤くしたイナリは、自分の部屋だというのに身の置き場に困り入り口に突っ立っていた。先ほどまで頬を濡らしていた涙はすっかりひっこんでしまっている。
潮騒の音が、夜のしじまに溶けていく。
気付けばいつのまにか日を経て膨らんでいた月が、柔らかな光のカーテンを藍色の夜に重ねていた。そしてその月下には、薄い帯のようにゆったりと流れていく霧の世界。……時折その合間から、マングローブと水面が垣間見える。
それらが切り取られた一枚の絵画のように見えるイナリの部屋の窓は、春樹にはとても魅力的に思えた。
特に何をするでもなく、一言発した後はその景色に見入る春樹。イナリは最終的に諦めたのか、とりあえず自分のベッドに腰掛けて足をブラブラさせた。
しかしそれが数十分も続くと、ついに我慢できなくなってイナリの方が口を開く。
「いつまでいるんだよ、お前」
そこで春樹はイナリのことをようやく思い出したのか、少年に視線を向ける。
「ああ、ごめんなさい。あんまりにも綺麗だったものですから。……フフッ、美しい国ですね。波の国は」
「…………うん」
イナリは素直に頷いた自分に驚いた。綺麗だなんてのんきな言葉、この国の事を何も知らない癖に、どんなに苦しいか知らない癖にふざけるな……そう言うはずだったのに。
しかし述べられた言葉は心底そう思っているというような素直な声で、気づけば頷いていたのだ。
そうだ、この国は、美しいのだ。
自分の国を褒められた誇らしさが一瞬だけ、心にわだかまっていた色んなものを遠ざける。
「……でも、いくら綺麗だって意味無いんだ。苦しめられている限りずっと、綺麗って思えない」
が、すぐに高揚した気持ちはしぼんでしまう。いつも心を覆う怒りやら悲しみやら、どうにもならない憤りが……上向いた感情を飲みこむ。途端にイライラしてきて、言葉にとげが混じり始めた。
「のん気なもんだよね。何も知らない癖にさ。……護衛だか何だか知らないけど、お前らみたいな弱そうな連中に、何が守れるんだよ」
「弱い……。う~ん、否定しきれませんね。ふふ、わたしなんてこのざまですし」
以前と比べてどうしても動きの劣る新しい器。それを自覚する春樹は「弱い」の言葉を否定しない。
負傷した腕を見せて可笑しそうに笑う春樹に、イナリはくってかかった。
「! 弱いなら出てけよ! 何したって無駄なんだ、邪魔なんだよ! 入ってくるなよ!」
「わたしたちを呼んだのは、あなたのおじいさんですよ? 帰したいならまずタズナさんにお願いなさい」
しかし春樹はイナリの癇癪を特に気にした様子はない。微笑を浮かべたまま、視線はすでにイナリから外れ美しい風景に向けられていた。一応言葉は返しているが、イナリへの関心は失っているようだ。
「~~! じゃあ、この部屋から出てけよ! 僕の部屋だ!」
「ええ? もう少しいいじゃないですかぁ」
無関心に受け流されて、行き場の無い怒りが胃の中でぐるぐるまわる。だがまだ子供のイナリは語彙も少なく、気の利いた罵倒も出てこない。
ならせめて視界からいなくなれと退出を促すが、春樹はとたんにねだるような声色を出してきた。
「せめて、この一ページを書くまで。ね? いい文章が浮かびそうなんですよぉ~」
イナリが口を開く前に、ずいっと眼前に何かを差し出された。思わず一歩、後退する。
少し離れて見てみれば、それは白いページが開かれた一冊の本だった。
春樹はイナリが是と口にする前に、いつのまにかもっていたペンをもてあそび思考にふける。もとより了承を得ずとも居座るようだ。そのずうずうしさに、イナリは怒りを通り越して呆れた。
幼い少年から呆れられているにも関わらず、春樹はかまわずうんうん唸って白紙のページとにらめっこしている。
「ん~。そうですねぇ……。……ああ、今考えてるのはですね? ラストの締めの文なんですよ」
聞いてもいないのに説明されて、のらりくらりとしたマイペースは崩されない。そのペースに口を挟むのは困難で、呆れつつもイナリはもどかしさに口をパクパクさせていた。
それを気にも留めず喋りながらも思考の海に沈んでいた春樹は、最後の一文とやらを声に出しながら書き綴る。
『満ち満ちた涙の海、それは慟哭の果て。少年は船を浮かべた。溺れる前に涙の海路へと少年は漕ぎ出す。泡沫へとなり果てる前に進めと叫ぶ、心の血潮が導くままに』
春樹の中性的な声が言葉の羅列を音に変える。
耳に心地よいのは、音か、それとも言葉の並びか。
春樹の声はその年に似つかわしくない老成した響きを持ち、するりと心のバリケードを抜けてイナリの心に落ちた。その感覚にイナリは動揺したが、この浮世離れした風景と言葉の余韻に、意識がふわりと溶ける。まるで夢の中にいるような錯覚を覚えた。
今の言葉は自分に向けられたものではないし、よくわからない所もあった。けれど……まるで泣いていないで前へ進めと言われたようで。
もちろんそれは、都合のいい錯覚である。春樹にそんな気づかいは欠片もなく、たまたま書きかけだった小説の末文がイナリに励ましのように聞こえただけだ。
しかしどこかぼんやりした気分のイナリは、その都合のいい勘違いを納得はしなくても受け入れた。今この瞬間だけ、この夢の中のような曖昧な空間にいる間だけは、抱いていた感情を洗い流したくなったのだ。夢に沈むように。
怒りも悲しみも到底捨て去ることは出来はしないが、持続して抱くのは消耗する、という意味で難しい。
イナリは疲れていたのだ。
少なくとも、この一時の空間に流されるくらいには。
ぽすんっとベッドにつっぷしたイナリを見て、春樹も本を閉じてベッドに座った。
そしてふと、気まぐれをおこして聞いて見た。
「君は自分が死んだら、身近な人は悲しむと思いますか?」
「え、…………うん」
「おや、愛されてる自覚は有るのですね。でも」
君は今、子供として死んでいる。
その一言に、疑問符を張り付けたイナリの視線が春樹に向けられる。
「先を見ない子供は死人のようで、たいへん愛らしくありません。初めて会った相手にもほぼ無条件に慈しまれ、庇護欲をいだかせるのが子供という生き物です。しかし少なくともわたしは、君を可愛いとは思えない」
「別にお前に可愛いなんておもわれたくないよ」
イナリは一拍沈黙をおいてから、やっとそれだけ言い返す。
せっかく穏やかになりかけたひと時の安息を壊すのも嫌だし、話の焦点が「可愛くない」という微妙なラインのためもやっとはするが特に怒りも湧いてこない。可愛い、といわれても素直に喜べない生意気盛りの男の子の複雑な心境ゆえである。
それを可愛くないと言われたところで、どう反応していいのだろうか。
もし子供として死んでいる、に続くのが「だから君は今家族を悲しませているんですよ」という諫めるようなものであれば、まだ反発のしようもあった。だが春樹は自分の興味から派生させて思い付きで話しているにすぎない。のでイナリも、怒りであれ苛立ちであれ、返す言葉をひねり出しにくい。
そして春樹はかまわずさらに話の筋を別方向に歪曲させる。
「わたしはどうだったのでしょうねぇ。まあ悲しんでくれなくても、別に良いのですが」
「お前はまだ死んでないじゃないか」
「ふふ、それが一度死んでいるんですよ。驚きました?」
まともに受け取るだけ疲れるだけだ。班員が日ごろ心がけるスルー精神を幼さゆえの柔軟性か、早くも身につけ始めたイナリは適当にかえすことにした。
「じゃあ死んだお前はどんな気分だったの?」
適当に……そう思いつつ、ふと義父のことが頭をよぎり疑問を口にする。死んだ側の人間は、なにを思うのか。こんな夢みたいなあいまいな空間で何を話したところで所詮は泡沫とばかりに、仮定元死人に問うてみた。
春樹は首をかしげてしばし逡巡する。
「……さみしい?」
「悲しいとか、苦しいんじゃないの?」
「そういうのは特になかったですねぇ。でもその二つが死ぬ間際にあったとして、死んでしまえば終わった事実にすぎません。そこに挟み込む感情があるなら、さみしい……それだけ、ですかね。これはもう、わたしでないわたしが抱いた感情ですが。わたしに残っているのは思い出ばかりなので」
少なくとも春樹がこの世界で春樹となって、前世に未練を感じたことはない。春樹は目の前に横たわる時間を受け入れていくだけである。
だが、愛した記憶があるならば、慈しんだ記憶があるならば、二度と廻らない時を思って寂しいと感じることくらい春樹にだってあるのだ。
それは死を挟まずとも過ぎ去った時間に向ける感情と同じで、珍しいものでは無い。
すがるものではなく、戻りたいと渇望するでもない。ただただ、もう「あの子たち」と時がまじわらないのが時々寂しい。それだけだ。
「父さんも……さみしいのかな」
「さあ?」
さっくりと流される。
イナリはむっとして言い返した。
「さみしいにきまってる! だってボクがさみしいんだか……ら……。…………あ……」
ころがりでた言葉にイナリは自分で驚いた。
ウソツキと、なんで死んだんだという憤りを死んだ義父にもむけていた。しかしふたを開けてみれば、何よりもただ寂しかった事実に気づく。だから自分も寂しいなら、死んだ義父も寂しいのだと主張した。義理とはいえ親子の絆は、一方通行の思いでは無かったはずだから。
どうにもできない理不尽さ、悲しさ、怒り、憤り。それらの感情がぐちゃぐちゃに混ぜられて、処理しきれないどうしようもなさを吐き出すように来る日も来る日も涙を流していた。
強さにつぶされる弱さが嫌だった。父の格好よさが、努力が踏みにじられるのが嫌だった。好きだった父親の記憶をひねりつぶされてわからなくなっていた。
しかし……父に向けていたのは、置いていかないでほしかった、離れたくなかったという寂しさで。
ただただ寂しいといじけていた自分は、力の差を覆せない現実と父へのそれを混ぜていた。でも、寂しさを感じる分だけ、自分はまだ……あの義父が好きなのだ。
凝り固まったまま抱く感情はまだもやもやと消化できないし、考えも簡単に変えられない。けれど今だけ、このいつもの時間からきりとられた、この妙な時間の中でだけと自分に言い訳をした。
「……!!」
喉が、目元が熱を持つ。少年がぎゅっとつむった瞼の抵抗は空しく、寂しさの感情しか含まない涙は彼が疲れて眠ってしまうまで……後から後から、溢れているのだった。
「……なにか一人で納得して、一人で泣いてと忙しい子ですねぇ」
そして眠ってしまったイナリを「一応部屋の主ですからね」と片腕で抱き上げてベッドにただしく寝かせると、春樹は下書きを終えた本のページを見てにっこり笑った。
「さてさて、仕上げといきますか」
そう言って取り出したのは今まで使っていたものとは違ったペンで、先が必要以上に鋭利な光を放っている。
春樹はそれを、ためらいなく自分の傷口に突き刺した。
「ふふふ、都合よくインク壺の蓋が開いていて楽……と考えれば、この怪我もそう悪いものではないかもしれませんね?」
他に見ている者が居れば「ポジティブすぎない!?」とつっこんだかもしれないが、残念ながら唯一ツッコミを叩きこめそうなイナリは寝ている。
春樹は突き刺した傷口からペンの先に真紅のインク……真新しい自分の血液を掬い取ると、一気に本へ文字を綴りだした。
もしも念能力を身につけたものが凝でそれを見ていれば、文字を綴る春樹の腕に高密度のオーラが集中していることが分かっただろう。
「よし、フィニッシュ! ついでにこっちのページの補完もしておきましょうか。ちょっと能力が薄れていましたからね。三ページも加筆すれば十分でしょう」
誰に言うでもなく一人ごちると、春樹は更に本へ文字を書き連ねた。
そんな怪しげな行動をする下忍を見下ろすのは、波の国の月ばかりであったとか。