常春頭の忍者道 作:さとる
ぼひゅっと、非常に情けない音を立てて現れたそれに出した本人以外は無言になる。
重い沈黙の原因となった少女は、心底不思議そうな表情で頭をゆっくり傾げてみせた。
「おや、まあ」
その声は非常にのんびりしたもので、さらには呑気に笑うと目の前に座る大人二人…………忍者学校の試験官達に、これまたのんびりとした声で言う。
「どうやら、また失敗したようです。う~ん、残念!」
まったく残念そうではない。
そして彼女の間延びしたのんびり声に一瞬意識をもってかれそうになるものの、いやいやいやと我に返った試験官二人。彼らは一人は頭を抱えて、一人は苦虫を百匹二百匹噛み潰したような顔で。…………盛大にため息を吐き出しながら、今回の結果を告げた。
「「桜庭春樹、アカデミー卒業試験不合格」」
ごく稀に生まれる前の記憶を、そのまま新しい生に引き継いだ人間がいる。
彼女、桜庭春樹はそれだった。
はっきりと自覚したのは三歳のころ。自我が芽生え始めたころから、紙に墨汁をたらしたようにじわじわと……記憶が広がり幼子の心を塗りつぶしていった。そして彼女は『春樹』になったのだ。
前世とは異なった名前を自分のものと受け入れた彼女が、初めて認識した自分の居場所は孤児院の一室。
大人たちの話を聞くところによると数年前に”九尾の狐”という化け物に"里"を襲われて、春樹の両親はそのとき里を護るために命を賭して戦い散ったのだとか。
前の人生でも両親はいなかったためそれを聞いても特に感情は動かなかったが、一応の礼儀として慰霊碑の前で「生んでくれてありがとう」と感謝した自分はなんて常識的で律儀な人間なのだろうと春樹は思った。しかし感謝しているのは本当だ。何故なら新たに生んでくれたおかげで、春樹はまた綺麗なものを愛でられて、美味しいものを食べられる。それが嬉しくてたまらなかった。
今まで死んだら悪人も善人も無い、動かなくなって何も出来なくなって消えて終わりだというのが純然たる事実だと考えていた。ところがビックリ、こうして自分は生きている。日溜りにいればぽかぽかとして気持ちいいし、花の香りは芳しい。美味しい物を食べたら口いっぱいに味が広がるし、怪我をすれば痛い。
一回命の停止を味わった春樹にとって世界はなんとも鮮やかだった。五感全てで感じる世界が、とても愛しい。
前世で生きた環境が環境であったためか、彼女の生に対する執着はそれほど強くない。強くないというよりは、どこまでも受動的なのだ。突発的な死も、どうしようもなく訪れる死も、穏やかなほどに受け入れる精神は成熟した老人のようですらある。
しかし同時に生きることの楽しさも知る彼女は、人生を楽しもうとする精神も豊かそのもの。
今の生を、春樹はそれなりに気に入っている。
自我が芽生えてからも、春樹は「子供」のままでいた。
とうに成人した中身をもつ彼女だったが、天才児なんて称されるのは御免こうむりたかったのだ。それはただ単に前の記憶を受け継いだに過ぎない自分は、恐らく「普通」の枠にあてはまると考えるゆえに。
将来「二十歳過ぎればただの人」と言われて失望させるのも申し訳ないので、あくまでも普通に普通に、を念頭に普通に過ごすことにしたわけだ。
それに、せっかくの子供時代。前世での子供時代なんて碌に覚えていないが、こんな「普通」を享受できる場所でなかったのは確かである。少なくとも腐った食べ物を腹に詰め込んで死にかけることが無いだけで上々だ。素晴らしい。
相変わらず親は居ないが、楽しまねば損だと考え春樹は「子供らしく」過ごした。……とは言うものの、もともとぼんやり、のんびりした性質だった春樹は特にそのままでも問題なく子供と認識されていたようだ。「春樹ちゃんはのんびり屋さんねえ」とは孤児院の長の言である。
それから季節は巡り巡り、二度目の人生を謳歌していた十一年目の昼下がり。
アカデミーの卒業試験の「分身の術」で、分身は分身でも中身と外が逆になった……皮膚が中で外が内臓という、なんとも醜悪な見た目かつ役立たずの分身を作り出し、ものの見事に落ちて春樹の留年は決定した。
アカデミーとは、忍者養成施設の名称である。
生まれ変わりにも驚いたが、それ以上に彼女を驚かせたことがある。春樹が生まれ変わった場所は、以前の彼女がいた場所とはまったく違う世界だったのだ。未知の土地、といえばかつて噂に聞いた暗黒大陸などがあるが、あそこはそもそも人が住めそうにない場所。そのためきっとファンタジー小説でよくある奴だと早々に理解した春樹は、それなりにお気楽で能天気で柔軟だ。
この世界の各国には”忍”を有する里がある。以前の春樹の認識としては、忍者とは小さな島国の隠密集団というものだったが、ここでは軍のような存在も兼ねているようだ。
春樹が生まれ育った火の国に存在する木の葉の里では、忍者以外の一般人も数こそ少ないものの忍者と一緒に暮らしている。が、春樹はアカデミーに入ることを選択した。
というのも、下忍になるかどうか卒業してからでも選択出来るのであれば、知識を増やせる機会を無にする必要もないと考えたためだ。身につくかどうかはともかくとして、知識欲は生前の弟の影響もあってか旺盛なのである。
春樹は被災孤児の保護を受け一人暮らしを始める前からアカデミーに入っていたので、卒業試験も他より少し早かった。が。何回も、ことごとく……それはもう、いっそ見事なほどに、箸にも棒にも引っかからず毎回毎回卒業試験に落ちていた。
それが何故かと言えば、忍術が苦手だからである。これに尽きる。
今回も見事に落ちた。しかし彼女はまったく落ち込んだ様子は無く、慣れたもので「ではお先に失礼します」とぺこりとお辞儀をして教室を出ていく。頭にある考えはあきれたことに、お腹がすいたことと夕飯の献立だ。
彼女が去ったあと、試験官は妙に疲れた様子で項垂れた。
「さてさて~、どうしましょうか。いい具合にお腹もすいてますし……ふむ……」
あれも食べたいこれも食べたいと悩みながら歩いていると、ふと木陰でうずくまっている少年が目にとまった。
つんつんとした金髪にオレンジ色の服といった、およそ隠密にはむかない色彩だ。まあもっと凄い人も居るには居ることだし、今さらだろうかと春樹はそれについては特につっこまない。どうにも以前の認識の中にある忍者とこの世界の忍者のイメージが合致しないのは、おそらくこの里の人間が忍者にしては自己主張が強すぎるからだ。
それはともかく、少年だ。
具合でも悪いのかと、春樹は何気なしに声をかける。普段あまり他人に興味を示さない彼女にしては、それはそこそこ珍しい行動だった。
「そこのあなた、どうかしたんですか? お腹でも痛いとか?」
声をかけると、少年は驚いたように顔をあげた。
(ああ、そういえば絶をしているのでした)
春樹はぽんっと手を叩いて「うっかり、うっかり」と"絶"を解除する。
彼女が前世から受け継いだのは、何も通常の記憶だけではない。ある能力の使い方も覚えており、それをしっかりと身につけていた。
実のところ忍術が苦手な理由もここにある。そして「絶」も能力の内のひとつであり、気配を完璧に絶つ技……とでも考えるのが一番容易だ。実に忍者向きな技能である。
春樹が絶を解くと、影のように希薄だった気配が急に肉厚を増したようだった。
「い、いつの間にいたんだってばよ!」
「ふふ、お気になさらず~。ところで、お腹は平気ですか?」
「別に腹が痛いんじゃねーってばよ……」
「おや、ならそのしみったれたお顔はどうしたんです?」
「しみったれた顔で悪かったな! 別に、ただ卒業試験に落ちただけ……って、あ!」
思わず口を滑らせた少年は慌てて口を押さえるが、時すでに遅し。春樹の耳にはばっちりと入っていた。
しかし少年よ、ならば恥ずかしがることはない。なぜなら自分も同じである。むしろ落ち込んでいるのなら、のんきにうふうふ笑っている自分よりはるかに向上心があって感心だ。……そんなことを考え少年を感心した目で見た後、春樹はにっこり笑った。
「おや! お仲間でしたか~」
「え?」
「実はですねぇ、わたしもさっき試験に落ちてしまったのですよ」
「! そ、卒業試験に……?」
「ええ、そうですとも。うふふ、ものの見事に落第です!」
「だったら何でそんなに笑ってられるんだってばよ」
どこか不満そうな少年を見て、春樹はぽんっと手を打つ。
「元気のない理由はそれでしたかー。ですが過ぎたことを悔いても時間がもったいないですよ? わたしなんかこれから食べるご飯を考えると気分がうきうきしてしまって! 落ちたことなんて忘れていました。あ、よければ貴方もご一緒しませんか? お腹が膨れれば元気も出ます!」
「今はそんな気分じゃ」
言いかけた途中で、少年の腹の虫が盛大に鳴いた。
「おや、お腹は正直ですねぇ。結構結構」
鳴ったお腹と情けなくハの字になった眉毛が空腹を存分に主張している。実に分かりやすく顔に出る少年だと、春樹は可笑しそうに笑った。
「う……!」
「もし次に受かりたいのでしたら、落ちた直後も落ち込んでいる暇など無いのではありませんか? 切り替えの早さも一流の忍への道ですよ、きっと多分おそらく~」
わたしは初めから何も感じていないだけですけれど、とは言わずこっそり心の奥にしまっておく。
まあ、だから一緒にご飯でも食べようじゃないかと言葉を続けようとするが、それは少年の大きな声に遮られた。
「あ、あったりまえだってばよ! オレは将来、スッゲーすっげー忍になって、ゆくゆくは火影になる男!」
急に胸を張って大声をだす少年に、春樹は目をぱちくりさせた。どうやら「一流の忍」という単語が効果覿面だったようだ。
なるほど火影か。大きく出たものだと、春樹は面白そうに少年を見る。
火影とは木の葉の里の頂点に立つ長のこと。まさに忍中の忍であるが、夢をはっきり主張し、途端に元気を取り戻したところを見ると彼にとっては本気の夢なのだろう。
春樹はさらに笑みを深めると、そんな少年に年長者から些細な応援な言葉を贈ろうと口を開いた。
「ふふっ、元気が出たみたいですねぇ。その調子その調子。火影に成れるまで頑張ってくださいね」
「お前……笑わないんだってば?」
「何をです?」
「だ、だって、だってさ……! 皆、オレが火影になんかなれるはずがないって、馬鹿にして笑うんだってばよ」
悔しそうに言う少年に、春樹は首をかしげる。
「その皆さんも、火影になりたいのですか?」
「へ?」
「『オレが火影になるんだ、お前なんかがなれるもんか』と言うならまだしも、自分が火影になる気がないのに貴方が成れないと決め付けるのは、可笑しいですねぇ。「なりたい」という気持ちがあるだけで、あなたは周りの方より遥かに火影になる可能性がありますよ。まだまだ成長途中なのですから、火影に成れないと決めつけるには早いでしょうに」
たしかにこの少年には落ち着きと言うものが欠けている気がするが、そこはまだ子供であるため許容範囲と言える。それにこの年頃というのは、きっかけさえあれば周りが驚くほど短期間で成長するものだ。
この少年について春樹は何も知らないが、周りの決めつけで成長を妨げられているというならあまりにも愚かしい。人の成長にある種の美意識を抱き、好んでいる春樹にしてみればそれはとても勿体ない事だ。
春樹が言い終えた後も笑っていると、少年も照れくさそうにしながらも笑顔になる。
「へへ! 何かお前って変なやつだな! よっし! 帰ったらすぐに修行だー!」
「ご飯はどうします?」
「あ、悪ぃ! オレこれからイルカ先生が一楽のラーメンおごってくれるんだってばよ。あ、か、帰ってからってのはその後のことだからな! 修行はするってばよ!」
何故か言い訳じみて言う少年。春樹は可愛いものだと眺めならが、少し残念にも思う。
「それは残念。先約済みですか。なら、仕方ありませんね」
「お前も一緒に来るか?」
「いえいえ、お気遣いなく~。わたし、今日は満腹亭の定食な気分ですので」
ちなみに決めたのは今だ。
「そっか」
「うふふ、また試験に落ちたらお誘いしますよ」
「ふ、不吉なこと言うなよな!」
「ふふふ~。では、また」
結局終始笑っていた春樹は少年に背を向けると、のんびりとした歩調で歩み去る。
少年は春樹の独特のぼんやりとした雰囲気にまるで白昼夢でも見ていたような錯覚を覚えたが、彼女が去って見えなくなって数十秒後に「あ!」と声をあげた。
「名前聞くの忘れたってばよ! それにあいつ、どこの組のやつだ!?」
頭の中で同性のアカデミー生を思い浮かべた少年だったが、どうやら春樹が少女であるとわかっていないようだ。
春樹は美しいものを好むが、それに反して自分の服装には無頓着である。着心地重視で選ぶため、洒落っけに気を使うくノ一の中では限りなく地味。そんな服装もあいまって、中性的な顔をしている春樹は少年に見えないこともない。
少年はその出会いの後、しばらく春樹を探して男子クラスをうろつくこととなる。
一方、春樹も少年の名前を聞き忘れたことに気付いて「あ」と声をあげた。しかし記憶を探ってから彼について思い当たった彼女は、特に慌てず見当をつけた。
「ああ、たしかイルカ先生のクラスの」
少し煩いが気さくで良い先生だと評判のうみのイルカ。彼のクラスには友人の想い人が居るらしいのでたまに関心を向けていたが、そういえばあんな子がいた。しかもよくよく考えたら、友人の言う特徴にぴったりと当てはまるではないか。
「うんうん、そうでした! 彼女の好きな相手は彼でしたか! じゃあ名前は……」
言いかけて、今度は春樹の腹の虫が鳴いた。
合点がいった春樹はすっきりした気分のままに、名前を思い出すのは後にして一目散に目当ての定食屋へと駆けて行った。遅れたら限定メニューがなくなってしまう。
普段から派手な悪戯を繰り返す少年を春樹が知らなかったのは無関心さゆえに。
少年が春樹を知らなかったのはその「故意的」な目立たなさゆえに。
そんな彼らが再び出会うのは、それから一年後のことである。
春樹は新しい出会いがあると、時々前の自分と比べて考える。
以前は大好きな家族に依存して、それが半ば自分の世界を占めていた。特に不都合なことはなかったが、今なら無意識に彼ら以外の他人を自分のテリトリーから排除していたように思える。必要なかったからだ。
だが、今。盲目的に愛していた存在が居なくなったことで、皮肉にも春樹の世界は広がった。もう二度と会うことはないだろう彼らに向ける心は未だに存在するが、自分はもうあの世界には居ないのだ。
_____わたしは「春樹」。でも、変わったのは名前だけではないのでしょう。
再び得た生で。世界で。
彼女は生きてゆく。
(ここは、わたしがわたしになった場所)