最近のかぐや様はとても可愛らしい。
高校二年の春、桜が舞い散る季節。
新学年から暫く経った頃、私はふとそう思った。
以前まで可愛げがなかったと言えば嘘になるが、どう言えば良いのだろう。明確に、周りを見る眼が違っていた。
感情は奥深く、思考は損得から感情的になり、世間一般で言われる四宮家才女の雰囲気は薄くなった。有り体に言えば少々アホになったのだ。とは言え、別にその天才性が失われた訳ではない。何というか、無駄が増えた。
お陰で気苦労やら物理的な面倒やらが増えたのだが、その“無駄”が可愛さの原因となると中々「NO」とも言えない。
白銀会長への恨みつらみは絶えないが。
「はぁ……」
誰もいない廊下。
生徒会室の前で、今日も一人黄昏る。
無理に動かして少々疲れが溜まっている表情筋を軽く撫で、風を感じる為に窓を開けた。
静かで生暖かい風が頬を撫で、私の脳をリラックスさせる。
………とっとと付き合ってくれれば、私もこんなに疲れなくて済むのになぁ。
「けど、ちょっと羨ましい」
かぐや様が可愛くなられた理由は明白だ。
恋。人を好きになるという人の本能。
恋愛ホルモンの放出や表情の豊かさなど、理由が証明されている。
私も誰かを好きになれば、あんな風に可愛くなれるのだろうか。
「────なーんて」
そんな事、無理だというのは分かっているのに。
私は異性を好きになった事はない。
親愛の類ならば……侍女としては少々失礼かもしれないが、かぐや様に抱いてはいる。
ママの事も好きだ。
でもかぐや様のお父上を見ているからか。
あの厳格な姿を見ていると、違うと思っていても男性とその人を重ねてしまうのだ。
だから私は、好きな人が出来ない。
異性を恋愛的に好きになるという感情が、私には分からないから。
「───早坂、早坂……っ」
……危うく自分の使命を忘れる所だった。
生徒会室から掛かる綺麗な声音に振り返り、表情を改める。
「如何なさいましたか、かぐや様」
「会長が寝ちゃったのよ……。今日バイトだって言ってたし、このままにしておく訳にもいかないでしょう?」
「……はぁ。それで?」
「どうしたら良いと思う?」
「普通に起こせばいいじゃないですか」
「ダメよ!」
えー……。
「一応尋ねますが、理由は?」
「まだバイトまでは時間が有り余ってるもの。今起こしたら「貴方と話していたい」って意味になるでしょ? そんなの告白同然じゃない!」
この恋愛(頭)脳(戦)め。
何故白銀会長のシフトを知っているのかはこの際置いておくが、会話したい=告白はどんな女子高生も普通は浮かべないだろう。
流石に初心過ぎないだろうか、私の主。
その癖、変なタイミングで大胆に仕掛けたり頭脳戦という名目なら告白ギリギリの行動をするのだから、この人の思考回路はよく分からない。
「では、ギリギリの時間に起こせばよいのでは?」
「ダメよ! そんなギリギリまで一緒に居たら「貴方と一緒に居たかった」ってなるじゃない!」
かぐや様曰く、相手に告白させる事がこの勝負での勝利条件。
好きになった方が負けという心理戦の下、駆け引きが行われているのだ。
その条件を顧みれば……まあ言わんとしてる事は分からなくもない。誤魔化し様は幾らでもあるが、どの道行われた“事実”は覆らないのだから。
これが勝負である以上、事実を僅かばかりに悟られた時点で不利になる。
と、真面目に考えてはみたものの、好きになった方が負けというのならかぐや様はもう敗北してるだろう。
頑なに認めないから勝敗が決定してないだけで、かぐや様の不利である点は変わらない……。
いや、見ている限りでは白銀会長もかぐや様を好いている事に間違いはない。
私から見たら、どちらも負けている。
でもそれを私が言ったところでかぐや様は認めないだろうし、告白するつもりなど毛頭ないだろう。
勝負という名目を捨てて、単純に恥ずかしいという感情を素直に出せば私も協力するのだが……。
「では“どちらも選べない”という詰んだ状態に持ち込まれた時点でかぐや様の負けです」
「は、早坂? なんだか怒ってない?」
「いえ。もうとっとと告れよとか、素直に起こせよ面倒だなとか、別に思ってませんから」
「言ってるわよ! それもう言ってるも同然じゃない!」
この面倒な状況ならば言いたくもなるだろう。
もう少し私の気持ちになって考えて欲しいものだ。
「ぅ……」
「っ! 早坂、先に車に戻ってなさい」
白銀会長が寝ぼけ目で声を洩らしたのを察知し、かぐや様は即座に私へと命令する。
「分かりました」
……まあ、私を呼んだのは決して無駄にならないだろう。
白銀会長に聞こえるように扉を閉じれば、「誰かが居た」という事実によって「かぐや様が生徒会室に残っていた理由」を作れる。
かぐや様ならばそれを理解してるだろうし、私も理解してる。
白銀会長の目が薄く開かれるギリギリを見極め、ほんの少しだけボンヤリと姿が視界に映るように扉を閉じ、不自然になり過ぎないように足音を立てる。
まあ、後はかぐや様が何とかするだろう。
私は言われた通りに車へ戻るとしよう。
───かぐや様の考えは分からない。
起こさないという選択が無いのは分かる。
起こして「はいさよなら」は乙女的にNGだとも分かる。
ギリギリまで残っていた理由として「生徒会の仕事をしていた」と言うのも、「貴方よりも仕事の方が優先度が高いです」と言っているようでNGなのも分かる。
そこまで思考を回しておいて、何故白銀会長が好きだと頑なに認めないのか。
一歩踏み出せば、自分が欲しいものは手に入るというのに。
かぐや様のそれは、唯の言い訳にしか聞こえない。
「……素直じゃない女性と素直じゃない男性が好き合ってる時ほど、疲れるものはないな」
能天気な書記ちゃんは兎も角として、何処か察しの良い会計君は心が休まないのでは無いだろうか。
まあ彼に関しては、彼自身の口が過ぎる事もあるので一概に庇う事もないのだが。
────誰か、私の働きを労ったり、理解してくれる人物は居ないだろうか。
一瞬、脳を揺さぶる立ち眩み。
頭痛も同時に走り、頭を抑えて立ち止まる。
風邪だろうか? でも熱はない。咳も出ていないし、唯の疲労だろう。
一度息を吐いて、再び歩き始めた。
「わ────っ」
が、直ぐ近くの曲がり角。
視線を落として歩いていた為に、先から歩いてきた男子に気付かずぶつかってしまう。
尻餅をついて倒れ込んでしまった。
立ち眩みで意識が乱れてたとはいえ、体幹には自信のある私が簡単に倒れるとは。
思っていたよりも疲労が溜まっていたのかもしれない。
……いや、今はそれを気にしてる必要はないか。
同じ学園の生徒である以上は私を知っている人物かもしれない。変に思われないように取り繕うのが先決だ。
「ま、マジごめんね! 何処か打ったりしなかった?」
ギャルの口調を装い、普段通りのテンションで言葉を紡ぐ。
ぶつかってしまった焦りと心配の表現として言葉を選び、違和感のない“私”を演じる。
知らない人物ならば変に装う必要はないかもしれないが、同じ学園の生徒───ましてやクラスメイトである以上関わる可能性が皆無な訳ではない。
なら、誰かと会話する時は必ず演じている私でなければならない。
ポーカーフェイスは我ながら完璧。良く取り繕えたと思う。
「……いや、こっちも悪い」
目の前の男子は視線を私に向けず、手に持っていた制服を私の脚に掛けて手を差し出す。
今時珍しい紳士っぷりである。見ないように目を逸らして手を差し出す男子ならば何人かいるが、大抵は「少しくらい見えないかなー」という願望を抱いて少しだけ目を向けるものだ。
わざわざ見ない為に脚に被せるとは徹底している。
「あ、もしかして見た?」
「見てないけど」
「えー、じゃあ何色か言ってみてよ!」
「合ってたら「やっぱり」とか、間違ってても「そういう趣味なんだ」とか言うんだろ?」
「む、単純な疑問なんですけど。失礼だし」
嘘である。
絡みやすいギャルとしての性格ならば、変に察しが良いのも違和感があるだろう。学ランを掛けてくれた理由については言及せず、見たのではないかという疑問を押し付けるのはキャラとして合っている。
もし答えたのであれば揶揄うつもりだったし、その方が「ああこういう人物なんだな」と印象付け易くなるだろう。
思っていたよりも鋭いので、その辺の考えはパァになった訳だが。
「……なぁ」
「ん?」
腰巻きにしたパーカーに付いた埃を手で払っていると、男子の方から話し掛けてきた。
笑顔を浮かべて返すと、男子は何処か同情するかの様な視線で言い放つ。
「そんな生き方して楽しいか?」
───────。
バレた? いや、ポーカーフェイスは完璧だった筈だ。今までの流れを振り返ってもバレる要素など皆無。
なら、ギャルのキャラでいる事が苦痛だと勝手に思われている?
それなら誤魔化し様は幾らでもある。でも、この男の同情の視線は確実に見抜いたかの様な眼だ。
「何言ってるし。厨二病って奴? ちょっとキモいよ」
「キっ……いや、まあ別にいいけどさ。じゃあまたな」
私の発言に対してショックを受けた様に声を洩らしたが、会計君の様な豆腐メンタルでも無いのだろう。
学ランを持って去っていく彼に、私は目を鋭くした。
秀知院学園。
東京都港区に拠点を置く、幼稚園から大学まである私立一貫校。
かつては貴族や士族を教育する機関として創立されたという由緒正しき歴史を持ち、富豪名家の子供が多く就学している名門校。
一般人の編入も可能ではあるが、その難易度は他の学校と比べれば遥かに高い。
故に大抵はお坊ちゃんお嬢ちゃん育ちの人達がこの学院に在籍している。
ともすれば、彼も何かしら有名な家系の一人である可能性が高い。
クラスメイトだから顔は覚えているが、特に話した事もない。どんな家系のご子息かは知らないが、注意すべき人物だろうか。
……いや、そこまで注意する人物でもないだろう。
家庭事情やらは全く知らないが、クラスにいる時の彼は私の見ている限りだと誰かと積極的に絡んでいるという様子はない。
私と普通に話せてはいるから、コミュ障という訳ではないだろうが……変に噂を流されるとは思わない。私の考えを読んだかもしれないという可能性があるにせよ、紳士的な態度があった事も事実。心配するだけ無駄だ。
まあ、何でもかんでも見抜いたような眼で見られるのがキモいと思うのは事実だが。
「ァァァアアアっちまったぁもうッ!?」
───時刻、夕方の六時。
広いリビングのカーペットの上で、一人の少年が転がり回っていた。
何を隠そう、つい数十分前に早坂と話をしていた人物である。
その早坂との会話を思い出し、羞恥に顔を赤く染めて感情を吐露していた。
「何が、何が「そんな生き方して楽しいか?」だぁッ!? 違う言い方があっただろうが! キモいとかアレ割と
精神攻撃。
人間は嘘を吐く生き物だ。それを前提に生きているからこそ、多少の煽りや侮蔑の言葉は笑って流す事が出来る。
無論嘘かどうかは当人しか知り得ないし、実際は分からない。
でも「嘘なのかもしれない」という考えによって、偽りの言葉と捉えて精神的ダメージを減らす事は可能なのだ。
だが、嘘か本音かを見抜ける能力があるならば話は別だ。
精神攻撃に於いて最もダメージの大きい物は何だか知っているだろうか?
答えは簡単だ。
嘘ならば嘘と流せるが、本音ならば本気で思っている事だ。分からないならば「嘘」と認識出来るが、分かっている以上「本音」だった時のダメージは計り知れない。
起こり得た事実を体感している以上、それを上書きする嘘を思う事は出来ないのだから。
「例えばもっとこう、「俺相手なら別に本音でもいいぞ」とかさ! ……あ、やだ。大して話した事のないクラスメイトがそんな事言ってきたら吐き気を催すわ」
ソファーに顔を沈め、深く溜め息を零す。
「あーもー……好きな相手だからって調子に乗りすぎた」
───そう。この男、早坂 愛に好意を抱いている。
そう! 主人の変わり様を見て「自分も」なんて淡い期待を抱いていた早坂に!
が、少年は変に察しが良すぎる為、人との関係性が続いた試しがない。感情を見抜いて言い当ててしまうから、なるべく他人と距離を置いているのだ。
本音ばかりを言い当てられれば、相手が逃げる気持ちも分からなくはない。
他人を気遣うから、関係を築かない。
故に、彼の恋が実る事はないだろう。
早坂 愛が、彼に好意を抱かなければ。
同時刻。四宮邸。
ベッドでうつ伏せになり、枕に顔を沈めて脚をバタバタとさせながら唸り声を上げる四宮に、早坂は呆れた視線を送っていた。
「シフト時間が早まって、会話時間が無かった……ですか。全くの無意味でしたね」
「ホントよ! 折角考えていたプランが台無しになったじゃない!」
顔を上げてCDプレーヤーを指差す四宮に、早坂は溜め息。
「5月9日。告白の日、ですか」
本日、5月9日。
花言葉や占いなどを軽く信じる学生の中では話題性の高い、日にちによって変化するその日の意味。
5月9日は、年に7回ほどある告白の日の内の一つである。
「そんな日に生徒会室で二人っきり、ラブソングを流され「告白の日」である事を伝える。……まあ絶好のシチュエーションではありますよね」
CDプレーヤーにはラブソング系の曲を纏めたアルバムが入っており、生徒会室の雰囲気を変える為にそれを設置していた。
二人っきりの状態にするのは案外簡単で、石上の場合は四宮関係で軽い脅し。生徒達は部活やらで生徒会に来ることは滅多にない。
最大難関であった藤原 千花も、今日が「告白の日」という事で他者の恋愛話に現を抜かしていた。
そう、絶好のチャンスなのだ。
「
自らするならば───その言葉が頭に付くが。
四宮の考えはこうである。
告白するタイミングとして最適な状況を作り出し、且つ何でもない事かのように「今日は告白の日らしいですね」とさり気なく伝える。
藤原が居ない事の理由が正にそれだ。さり気なく伝えるには最も適していた。
普段は聴かない音楽を掛け、二人っきり。そして告白の日ともなれば、白銀はこんな考えを抱くだろう。
「あ、こいつ俺の事好きなんじゃね?」と。
白銀はこういう時に慎重となる男。あくまで想像である以上、自ら告白に動く事はないだろう。ましてやそのシチュエーションを作り出したのは四宮本人。彼女から告白を仕掛けるのは道理。
だが! 告白した方が負けというのならば、四宮かぐやが自ら負けを認めるはずがない! しかし白銀には「俺の事を……」という期待感があり、自らシチュエーションを作り出した四宮こそが告白するものだと思っている!
そういった「告白してくれる」という期待感を裏切ってかぐやが自然に帰ろうとすれば、白銀はこう思うだろう。
「俺に何か伝えたい事があるのではないか?」と。その言葉さえ引き出して仕舞えば、四宮は勝ったも同然。告白の日にそういった言葉が出るのは告白への期待に他ならない。
だからこう言って仕舞えばいい。
「何故会長は告白されると思ったのですか? ……ああもしかして、私に告白されたい願望がお有りでしたのでしょうか? あらあら、まるでそれは私と付き合いたいみたいですね」……と。
間接的に白銀は四宮の事を好いていると発言している様なモノだと伝えれば、告白も同然だと気付くだろう。もう後戻りは不可能だ。
四宮の勝利!
だが、その考えは白銀のシフト時間変更によって容易く終わってしまう。それ以前に白銀が睡眠に落ちた時点で自然に仕掛けるのは難易度が高すぎるのだ。
さり気なさが無くなって僅かにでも強引さが出て仕舞えば、「私は貴方に告白したいんです」という意味が出てしまい、白銀の期待感を薄くさせて冷静さを取り戻させてしまう。
イレギュラーにイレギュラーが重なった。
仮に告白
───本日の勝敗。
四宮 かぐやの完敗(予定外の行動によって作戦を事前に防がれた為)
「……あの、かぐや様」
そして早坂は、その作戦で気になっていた事が一つ。
「なに、早坂?」
「その作戦で考えると───」
「告白させたい」という思考によって成り立っているこの作戦。
白銀が四宮へと告白させたい。その願望を抱いて期待を問うのが告白というのであれば、逆もまた然り。
かぐやが白銀に告白させたいと考えている時点で、白銀の事が好きだという事実が確立されるのではないか。
「……いえ、何でもありません」
そう問おうとしたが、早坂は目を閉じて「何でもない」と伝えた。
普段ならば鬱憤を晴らす意味を込めて全力で弄り倒していただろうが、作戦が決行出来なかった以上追い打ちするのも可哀想だ。
四宮は疑問符を浮かべるが、直ぐに考えを取り消して起き上がる。
「早坂、学校生活はどう?」
「……珍しいですね。そういった質問は」
「いえ、
「……? はぁ。まあ特にこれといった事もありませんが」
小等部から変わらない。早坂はあくまで四宮の近侍として学校に通っているだけだ。学園での接点こそ最低限ではあるが、それでも役割はキチンとこなしている。
それ以上でもそれ以下でもない。
「ああ。しかし気になる男子生徒なら、今日いましたね」
「え、なに? 早坂にも遂に春がっ!?」
「他人の事なら一気に“好意”という感情へと持っていけるなら、自分の方にも意識を向けて下さいよ。……いえ、異性としての話ではなく、人間性としての話です」
つい数十分前に廊下でぶつかった男子生徒の顔を思い出し、更に記憶を探る。
「名前は確か……
「ああ、あの広瀬ね」
「……ご存知でしたか?」
何処か表情が嬉々へと変わる四宮。
そんな表情と、早坂が知らぬ情報を有している様子に疑問を抱くと、四宮は色々な本が収納された棚へと歩きながら答えた。
「四宮家を継いだ時の縁作りの為に、秀知院学園に在籍する生徒の家系についてはそれなりに調べているわ。生徒会副会長なら、生徒のちょっとした情報程度は手に入れられるもの」
「言って下されば入念に調べ上げましたが……」
「いいわよ別に。軽い気持ちで調べただけだもの」
本棚の右端に存在するファイルを取り出し、開く。
「広瀬 青星。心理学者の父とカウンセラーの母が両親である、
「心理学者に、カウンセラーですか。道理で……。しかし一人暮らしとは?」
「さあ? 必要項目以外だとこの程度しか書かれてないのよ。まあ親と何かしらあるのかは明白ね」
必要項目以外書いてない中、唯一必要ではない情報。
本人にとっては必要な事として書かれた可能性が高い。
一人暮らしが必要な情報と同意だという事は、親との関係性を断ちたい何かが存在するのだろう。
そう推測し、ファイルを閉じる。
「……そうね。いい機会だわ。早坂、この生徒と接触しなさい」
「はぁ」
「広瀬家の息子にはある噂があってね。その辺を探って貰いたいのよ」
四宮の指す噂は、彼女が小等部にいた頃の噂だ。
実は広瀬 青星が秀知院学園に入ったのは中等部の頃。だからこそ彼の過去を知る人物は秀知院学園には居らず、元々あの性格のまま進学していた。
が、そんな彼には一つの噂がある。
秀知院学園内でこそその噂は流されなかったものの、四宮家の令嬢。まして才女となれば、彼女自身以外の“天才”の話は耳について仕舞う。
本当に小さい頃の話だ。本来ならば、最早誰も覚えていないはずの噂。
しかし記憶容量が桁違いの天才たる四宮だけは、ハッキリとその噂を覚えていたのだ。
「噂、ですか」
「そう。何でも彼、人の思考を読めるとか」
「思考を読む……」
確かに、早坂には覚えがある。
あの何でも見抜いたかの様な、同情の眼差しを。
「仮に私が相手の心理を見抜こうとしても、70%の精度があれば上出来でしょうね」
「一昔前に開発されていた脳活動から心を読む機械と然程変わらない……それも充分凄いと思いますが」
「彼の精度は十割。100%で言い当てている」
「……噂、ですよね?」
噂ならば幾らでも捏造可能だ。それが噂である以上、100%というのはとても信じられるはずがない。
早坂は無意識に息を飲み込み、恐る恐る問う。
「ええ、あくまで噂。だから貴方に調べて欲しいのよ」
「畏まりました。私も今の話を聞いて、少々興味が湧きましたので」
四宮かぐやは天才だ。
その四宮でさえ70%が上出来だと判断するジャンルを、噂とはいえ100%と言われる広瀬の才能。
仮に本当ならば、その件に限るとは言え、四宮以上の才を有している事になる。
四宮を身近で見てきた近侍として、その話に興味を持たない筈が無かった。
かくして、彼らの話は幕を開ける事になる。