早坂 愛は恋をしたい   作:現魅 永純

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 今回は約7900文字!
 ではどうぞ!



12話 踏み出す勇気はない/前編

 

 

 私はかぐや様の近侍だ。

 幼き頃から主人の身の回りの世話を熟して来た。主人の命令に従って来た。かぐや様が知らない事を教える事もあるからと、泣き言を隠して教育を受けてきた。

 それでも、決してかぐや様を恨んだりなどしていない。寧ろあるのは同情心ばかり。

 

 私だけに隠さない本音を紡ぎ続け、無論私も本音を隠してない。関係性こそ主従だが、ずっと姉妹の様に過ごして来た。

 だからかぐや様の事は私が一番知っている。きっと、誰よりも───そう。あの親よりも。

 

 自分の娘に興味など無く、あるのは『四宮の娘』という建前の肩書きのみ。雁庵様に、娘への愛情などは……きっと無い。

 だから誰よりも歩み寄った。それがかぐや様の願いだからと、姉妹の様に。そうでないと壊れてしまうから。

 

 でも私に出来たのはそれまでだ。かぐや様が『四宮 かぐや』たる姿を保つだけ。私はあくまで近侍に過ぎない。彼女を変える勇気は、私には無かった。

 それで良かったのだろう。生徒会に入り、白銀会長と過ごすうちに、かぐや様は変わっていった。

 アホになった、なんて言ったが……誰よりも天才として、四宮家の才女として生きて来たかぐや様は、アホになるくらいが丁度いい。

 

 だから私は、こうして一歩身を引く。変えようとする勇気を持てない私よりも、知らずに変えてくれる白銀会長達の方が、かぐや様も心地がいいだろうから。

 精一杯のサポートはしよう。かぐや様が望むならば可能な限り力を尽くそう。

 そうして、一歩遠ざかる。

 

 ───何度だって繰り返す。踏み出す勇気が無いから遠ざかり、他人に託すしか出来ず、自分自身を偽りに染める。

 

 

「……くだばれクソ爺」

 

 

 だからまた、変える事は出来なかった。

 

 出来るのは『四宮 かぐや』という少女の精神安定と、彼女の気持ちは決して間違いでは無いと証明する為の雁庵様への罵倒。

 でも直接言う事は出来ない。そんな私を、私は何度でも嫌う。

 

 ああ、私はいつになったら───ホントの自分を愛せるだろうか。

 

 

 

♢♦︎♢

 

 

 

 ベッドに突っ伏す主人を見て、私は口を開く。

 

 ───何時まで寝っ転がってるつもりですか。あんな人の気持ちなんて考えなくていい、あなたがやりたいことをやればいいじゃないですか。

 

 そう言えたらどんなにいいだろう。私が四宮家に仕える家系である以上、そんな事は言えない。

 そっと、口を閉じる。

 もし自分が『愛』ならば言えたのだろう。でも『早坂 愛』である以上、ママを困らせたくない意思が働く。

 

 いや……はたして『ただの愛』であっても、私は言えただろうか。『早坂』の名字を冠する今だからこそそう思えるだけで、ただの愛だとして……友人としてかぐや様と接し、助けたいと思えるほど強気でいられるだろうか。

 きっと、無理だと思う。私は書記ちゃんの様な天然お人好し少女ではない。愛されるには偽りに染めなければならないこの性格で、無償に手助けするなど、きっと無理だ。

 

 ……青星くんならば、どうするのか。

 

 

「……っ」

 

 

 青星くんのアカウントをタップし、メッセージ欄を開く。

 フリックを繰り返して文を完成させ、送信しようと指を文の横に移動。

 

 だが躊躇う。違う、違うのだ。青星くんとはあくまで『友達』。それ以上でもそれ以下でもない。その為に適切な距離を保っていたのだ。

 踏み込ませるわけにはいかない。ホームボタンを押してスリープする。

 一度『友達として以外の願い』を言ってしまったら、もう、戻れなくなるから。

 

 胸の前で手を握り、表情を装う。私さえ弱音を吐いてしまえばかぐや様も釣られて弱ってしまうから。せめて、表面上だけでも。

 

 

「……今回のお出かけの件は仕方ありません。書記ちゃん達も気にした様子はありませんでしたし、お言葉に甘えて時間のある日に回して貰いましょう。それよりも、次の花火大会で着衣する浴衣はどういたしますか?」

「……そうね、そうよね。よし。早坂、どんな浴衣があるかしら?」

「私のオススメとしては───」

 

 

 そう、これでいい。かぐや様は変わった。きっとこれからは自らを形成していくだろう。私はそれまでの繋ぎになればいい。

 言い訳しているだけかもしれない。でも、かぐや様の為となるなら───

 

 

「なりません」

 

 

 ……ああ。この世界は、存在するかも怪しい神は、どれだけ彼女を嫌うのだろう。

 望んで『四宮 かぐや』として生まれた訳でもない彼女には……ほんの少しの自由も許されないのだろうか。まるで、竹から出られなかった可能性のかぐや姫を示すように。

 

 

「……少しだけでも、たった数十分だけでも、ダメですか?」

「早坂……?」

 

 

 一歩。たった一歩でもいい。勇気を出して踏み出そう。

 かぐや様の自由のために───

 

 

「近侍の身で何を言うのです。貴方は止める側でしょう。お嬢様に怪我でも負わせたいのですか? ……それにこれは、貴方の単独行動が多いからこその配慮です。いつどんな時でも身近にいるべき貴方が離れる時があるのですから、一番安全な家に身を置くのは当然でしょう」

「……っ」

 

 

 そう言われれば何も言えない。

 怪我など負わせたくないに決まっているだろう。でも無理やり連れだそうものならそう思われる可能性は高い。

 そしてここまで過剰に気にするようになったのは自分の責任。ただ心を許してる相手だからという理由だけで、かぐや様が行動することはないという憶測に過ぎない考えだけで、動くべきではなかった。

 ただの近侍───私は、ただの近侍なのだから。

 

 顔を俯かせたかぐや様は、やがて無表情で傍付きの言葉に頷く。

 安堵したように下がった傍付きを見送り、やがてかぐや様は私に笑顔で視線を向ける。

 

 

「ごめんなさい、早坂。変に気を使わせてしまって。……でも大丈夫、こうして前日に伝えられるもの。きっと会長達なら許してくれるわ。だから、大丈夫」

 

 

 何年もの付き合いだ。本音を見せ合うことなどザラである。妹のように意識してた。

 そんなかぐや様の感情を見抜けない筈があるまい。その「大丈夫」は、世界一信じられない言葉だった。

 

 大丈夫なら、なぜ寂しそうな表情なのですか。大丈夫なら、なぜ泣きそうな声音なのですか。

 なぜ、私は何も出来ないのですか。

 

 大丈夫だと繰り返すかぐや様を部屋に、私は自室へと戻った。あのまま私が居れば、かぐや様が壊れてしまう可能性があったから。

 部屋にはいつも通りの光景───

 

 

「───」

 

 

 と、机に置かれた小さなオブジェ。

 夏休みの初めに青星くんと出掛けたとき、家に置くには少々多すぎたからと貰った、花のオブジェ。

 青き薔薇を催すそのオブジェを見て、衝動的にスマホを手に取る。

 

 ラインのアプリアイコンを押せば、其処にはメッセージ履歴と先程の文が消えないまま残っていた。

 一度押せばもう戻れない。今まで保っていた距離感は崩壊する。

 でも、躊躇いはもうない。

 溢れ出る弱音がその指を止めさせない。

 

 ───ここまで弱ったのは青星くんのせいだ。本音を晒け出せる人物などいなければ、私はこんな弱い私にならずに済んだ。本当の友情を、愛情を知らずに済んだのに。

 責任を取って。……そうやって、八つ当たりするかの様に。その指を決して止めなかった。

 

 

「……っ、あ」

 

 

 ふと我に返った時にはもう遅い。メッセージは既に送信した後。慌てて消そうと指を動かせば、視界に入るのは送ったメッセージの下の既読文字。

 流石に何時もはここまで既読は早くない。つくづく運命は望まない方向へと道を進めるものだと恨みが募る。

 

 こんな弱みなど見せて───強気な今までを見せておいて、今更乙女の様な言葉を送るなど、きっと幻滅しただろう。

 力無くベッドに寄り掛かり、目を瞑る。

 もう何かをする気力はない。

 

 そうして数秒。力無く右手に包まれたスマホにバイブレーションが走る。それはメッセージを送る一回の振動ではなく、通話を知らせる数回のコール。

 画面が写すのは、青星くんの名前。

 

 

「……もしもし」

『四宮家当主様は何処にいる?』

 

 

 呼び掛けへの返答は無く、耳に届くのは唐突な質問。風の音が聞こえる。きっと外にいるのだろう。仕事を終えたところだったのかもしれない。

 尚更申し訳なく思うが、その質問には疑問を覚えた。だが問い返す気力もなく、遠くの別館だと答える。

 

 

『お、そりゃ丁度良かった』

「……丁度? 青星くん、一体何を」

 

 

 笑みを浮かべていると察する事が出来る声音とその言葉に、今度こそ問わざるを得なかった。

 一体何をするつもりなのか───そんな問い掛けに、青星くんは軽く声を出す。

 

 

『ん? んー、そうだな……言うなれば───』

 

 

 それは決して放ってはいけない禁句。決して敵に回してはいけない人を敵に回す発言。

 軽い気持ちで放ってはいけない言葉。

 

 それを、軽くも重い声音で放たれる。

 

 

『四宮家の破壊?』

 

 

 

♢♦︎♢

 

 

 

 慌てた様子の早坂の声を振り切って通話の終了ボタンを押し、即座に留守電へと切り替える。

 広瀬は送られたメッセージ───『たすけて』というたった4文字に、思わず頬を緩めた。

 

 分かっていた。早坂が何故『友人』であろうとしたのか。

 だからこそ自分も無理に踏み込むことは無い。早坂から歩み寄る時までそっとしておこうと。彼女がその意思でお願いする時まで、自分も友人であろうと。

 

 事情を察し、声音から感情を推測し、問題は大体理解した。

 早坂は自らの事ならばここまで弱くはならないだろう。翌日は夏祭り兼花火大会だ。このタイミングで他人の為に弱音を吐くならば、それは四宮の事以外あり得ない。

 やっぱり優しい心を持っているなと、笑みを浮かべた。

 

 何はともあれ、早坂が『助けて』と言ったのだ。例え衝動的な行動で、無意識で、今後悔しているのだとしても───それでも送ったのならば、それに本気で応える。

 そうでなくては男が廃るというモノだ。

 無意識に送ったのならば、尚更それだけ心を許されているのだと誇らなくてはならない。

 

 

「……運命の神様ってのも信じてみるもんだな」

 

 

 ただの偶然だ。意図して組んだわけではない。

 だが今己が位置する場所と四宮家当主、四宮 雁庵が居るであろう場所が近いという事実に感謝し、広瀬は一度深く息を吐き、首から垂れる青と金のネックレスを握りしめ、やがて覚悟を決めて足を進めた。

 

 

 

「───お邪魔しまーす!」

 

 

 唖然。

 広瀬が開いた扉の先にいるのは、四宮 雁庵とその対談相手数名。何も言えずに広瀬を見つめる彼らに視線を寄越し、興味を無くしたように雁庵は自らも広瀬に目を向けた。

 

 

「……警備員が居た筈だが?」

「アンタのカウンセリングっつったらアッサリと通してくれたよ。いやー、話の分かる人で助かったわ」

「話、か。……小僧、何の用だ?」

 

 

 本当に話で済ませたのかと訝しげな目を向ける雁庵に、広瀬は苦笑。嘘など言ってない。話で済ませたのは事実だ。……正確には、話と“権力”だが。

 率直に問い掛ける雁庵。広瀬は笑みを崩さないまま紡ぐ。

 

 

「今言った通り。カウンセリング」

「話にならん。帰れ」

「そっかー。アンタの娘の話だったんだけど……余計なお世話だったか」

 

 

 そりゃ残念だと首を振って振り返ろうとすると、視線を前に向けた瞬間鋭い眼光が広瀬を射抜いた。

 その反応───そして見えた感情に、広瀬は確信を抱く。見抜き、確信を抱き。呆れたような息を吐きつつ、内心で怒りを浮かべた。

 

 なんとなく()()()()()()()と思っていたが、実際そうであると確信すれば怒りが現れる。

 何故そんな事を───と。

 

 鋭い眼光で己を射抜く雁庵の目を広瀬は気怠そうに見つめ、その視線を対談相手の方へと移す。聞く気になったら邪魔だから引かせろという合図だ。

 雁庵はその意図を察し、何も言うことは無く視線を対談相手に向ける。あくまで「自分から引きました」という体制を取らせる為だろう。

 対談相手は慌てて会釈し、その場から立ち上がって出て行った。

 

 

「……これで数百万の損失が決まったが……まあいい。それで、先程娘の話と聞こえたが」

「雁庵さん、アンタ娘の事どう思ってる?」

「可笑しな事を聞く。自分の子供……それ以外に何が?」

「四宮 かぐやの事を、どう思ってる?」

「……」

 

 

 敬語は使わない。本来ならば敬うべき相手だろうが、今は別だ。そもそも今回は依頼された訳ではく、ただの頼み事。頼み事をした本人の望むような結果にせずとも良い。

 睨みつけるように問う広瀬に、雁庵は一度口を結び、再び広瀬の目を見て紡いだ。

 

 

「自分の子供だ。それ以外の情報が必要か」

 

 

 同じ答え。だが先程の「それ以外に何がいるか」という広瀬への問い掛けとは違い、「それ以外は不必要だろう」と断言する言葉。

 言葉としては微かな違いだ。だが広瀬の問い掛けた「雁庵自身の考え」への明確な答え。

 

 広瀬が見る世界に映るのは───疑念と確信。なんのつもりで問い掛けているのかという疑念に、これが自分の答えだという確信。

 じっと見つめ、その奥底に見えるのは……偽り。そして、溢れんばかりの愛情。

 

 先程の答えは「血の繋がった家族。それだけ」という冷たい答えだった。だがその偽装であり、愛情を浮かべているのであれば。それは四宮の事を「自分の愛する娘」と認識してる事実が存在している可能性が高い。

 つまるところ、広瀬が早坂から聞かされていた「雁庵様はかぐや様に興味のない冷たいお方」というのは事実ではなかったという事だ。

 ただ素直になれず、本人の前では冷たい反応になってしまうだけであった。それが事実である。

 

 

「…………」

 

 

 広瀬は何とも言えない表情で溜め息を吐く。自分の事……感情を見抜ける広瀬 青星という人物の事を知らないにせよ、カウンセラーにさえ自分の本心を話さないという徹底した隠し方には、最早呆れるばかりだ。

 無論雁庵がカウンセラーとして話してるつもりが無いからこそ隠してるのだろうが、仮に正式にカウンセラーとして依頼を受けたならば彼は本心を話すだろうか? 断言しよう。無理である。

 

 四宮の方はまだ見てて分かるレベルの「素直じゃない」感じがあって可愛い認識だったが、大の大人がそれは寧ろドン引きレベルだ。

 親子だなーとは思うが、それから派生するのが仲睦まじい光景ではなくピリピリとした空気の張り詰めた光景ならば、まったく微笑ましくなんてなかった。

 

 

「……雁庵さん、一発ぶん殴っていい?」

「海に沈めるぞ、小僧。答えが気に入らなかったか?」

「いや、そうじゃなくてさ……」

 

 

 愛情があるのに、素直になれない。それによる家族間の空気の悪さは気に食わなかった。

 何度問いかけようと今の状態では何も変わらない答えを聞いて怒りが溜まった広瀬はつい冷たい目で拳を握って素で言うが、一応相手は世界四大財閥『四宮グループ』の現当主である。雁庵の言葉を聞いて直ぐ思考を戻し、「長引かせない方がいいか。素直じゃない人が本心暴かれたら後々怖いし。四宮の血筋的に」と決意して言葉を紡いだ。

 

 

「……雁庵さん、別に誤魔化さなくてもいいぞ」

「誤魔化す?」

「疑念・確信・偽り・愛情。さっき「自分の子供、それ以外の情報が必要か」って言った時に浮かび上がった感情だ。……アンタならこれだけで理解したろ?」

「……小僧、名は?」

「広瀬 青星」

 

 

 雁庵は言葉を詰まらせ、もしやと思い聞く必要のなかったと認識していた名前を問いただす。

 広瀬から答えを聞けば、彼は天を仰ぐように視線を上げた。

 

 

「そうか───なるほど、誤魔化しようがない」

 

 

 広瀬の容姿を知らずとも、広瀬の名前と噂は聞いていた。或いは四宮の様に、10以上年前の噂を覚えていたのだろう。

 またそれらから「思考を100%見抜いたのではなく、感情を視て思考を100%言い当てていた」のだと考えが至り、誤魔化せないと確信を抱いた。

 

 やはり才ある者は他の異質な才を疑わないのだろう。本来ならば表に出さずとも訝しむだろう『感情視』を保有すると聴き、雁庵はあっさりと認めた。

 

 

「……かぐやは、我が娘ながら賞賛に値する子だ。きっと四宮家の血を引く誰よりも才能がある。無論、私以上にな」

「の割には、四宮を一度も評価しないんだな」

「私が評価する訳にもいくまい。彼女は私以上に才がある。私が満足する程度の評価では、四宮 かぐやという器には物足りないだろうからな」

 

 

 それが良いのだろうと弱々しく笑みを浮かべる雁庵に、広瀬はまたもやイラッとする。家族関係がある種地雷だというのもあるが、雁庵の言葉と表情そのものにも。

 

 

「……雁庵さん、アンタ四宮……あー、家系問題じゃなくて、四宮 かぐや個人の事な。四宮をどうしたいんだ?」

 

 

 「四宮をどうしたい?」だけでは『これからの四宮家』という家系全体への問いと解釈される可能性があるだろう。それを考慮して四宮 かぐや個人の事だと補足を加えてから問う。

 そんな広瀬に、雁庵は「これだけ言えば分かるだろう?」と疑問を浮かべながら答えた。

 

 

「どうもせんよ。娘が進みたい道を行けばいい」

「それを、本人や使用人達に伝えた事は?」

「……言える筈が無かろう。四宮家当主が放つ「自分の道を行け」は、「四宮の道を貫け」という言葉に等しい。使用人もそう解釈するだろう」

 

 

 何処までも四宮 かぐやの事を想い歩んできたのだろう。素直になれない理由が単に照れ臭いだけでなく、しっかりとした理由が存在している。それも理解出来る類の理由だ。

 でも納得はいかない。広瀬はついぞイライラが溜まりきり、雁庵に近付いて胸ぐらを掴んだ。

 

 不敬だ。首を刎ねられても文句は言えまい。自ら切腹を成すことになるかもしれない。彼の言葉一つで海に沈められるだろう。骨さえまともに残るか分からない。

 それでも抑えきれない怒りが、広瀬を突き動かした。

 

 

「ふざけんなよ……ッ」

「────」

「そんだけ娘の事を想い考えていて、そんだけ評価してっ、そこから選ぶ道が『何も言わない』だと? ぶっ飛ばすぞッ!」

 

 

 胸ぐらを掴まれた経験など……ましてや感情的な言葉をぶつけられる経験など無かっただろう。

 それだけ四大財閥の威厳は大きい。故に初めて、或いは初めてに等しいほど久しぶりだろう感覚に、雁庵は唖然とした。

 

 

「確かに言っても分からねぇ事は沢山ある。言っただけで分かるなら世の中はもっと単純だ。けど、言わないで分かるなんてある筈がねえだろ! ぶつかんなきゃ伝わんない、なんでそんな当たり前をやらない!?」

「それ、は……」

「照れ臭いか!? それとも臆病になってんのか!? 娘に拒絶されるのが怖いか!? なら別にいい、無理に仲良くなれなんて言わない! 仲良しこよしだけが常に正しい訳じゃないからな───でもッ」

 

 

 広瀬は頭を後ろに逸らし───その額を、勢いよく雁庵の額にぶつけた。

 ジンジン痛む頭。どんだけ石頭なんだと脳内で喚いて涙目になりつつも、その痛みが躊躇いを掻き消してくれる。やってしまったという思考を消し、ただ伝えたい事だけを口に出せる。

 

 仰け反り額を抑え、目を見開く雁庵に、広瀬は紡いだ。

 

 

()()()()()()()()()()()()()、それだけは伝えなきゃダメだろッ!」

 

 

 ───愛されたくても、愛されなかった子供がいるのだから。照れとか臆病とかあってもいい。愛し愛される関係になれとは言わない。それでも、一方的に言う形でもいい。どんな形でも、自分は愛してるのだと。そう伝えるべきだ。

 痛みとは別の悲しみに歯を食いしばって紡ぐ広瀬を、雁庵は呆然と数秒見つめる。

 

 何も言えない彼の表情を見つめ、広瀬は激しい呼吸を整え、掴んだ胸ぐらを離して額を抑えた。

 

 

「……四宮がアンタの事、なんて思ってるか知ってるか?」

「……さぞ、嫌ってるのではないか?」

 

 

 知る筈もない。だからタダの憶測。だが間違いなくそうだろうと確信してると推測できる感情を視て、広瀬は呆れた様に紡いだ。

 

 

 

()()()()()、だってよ」

 

 

 

 


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