早坂 愛は恋をしたい   作:現魅 永純

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 今回は平均文字数より短め、役8400文字!
 ではどうぞ!!


※導入が変だと感じるかもしれませんが、安心して下さい。ちゃんと『早坂 愛は恋をしたい』です。






第16話

 

 

 

 ───ああ、憎い。全てが憎い。

 私は生まれた時から疎まれる存在。世界から呪われ、あらゆる迫害を受けてきた。何もかもに絶望した。涙を流して助けを求めても、お前は害となる存在だからと突き放される。

 故に全てを憎む。全てを呪う。この疎まれた力を以ってして、あらゆる嫌悪を断ち切る。なんて心地よい悲鳴だろう。高らかに笑うその姿は、まさに魔女の名に相応しい。

 もう後戻りなんて出来ない。するつもりもない。奪われて来たモノはもう戻らないのだから、その分のお返しをしてやる。

 

 そう、お返しに奪う……決めた筈なのに、どうしてだろう。

 

 

「……ああ、俺のモノは君のモノだとも……そして君のモノも、俺のモノだ」

 

 

 どうして、こんなにも心を動かされるのか。

 

 

「ぶつかり合い、支え合い、共に生きよう。君が何者であろうとも……俺は、君を愛し続けるから」

 

 

 もう、何人も手に掛けた。私は許されない事をした。お前の横に立つ資格など、私にはない。

 

 

「資格? ……いいや、残念ながら君は持っている。生きようとする意思。それは立派な資格だと思うぜ?」

 

 

 ───馬鹿な男だ。

 

 

「よく言われる」

 

 

 でも、そんな馬鹿さが愛おしい。

 ……私は、生きて良いのだろうか?

 

 

「何を言ってるんだ。この世に生まれた時点で、君は生きる資格を手に入れた。“生きたい”と思えるならば、それが生きる理由となる」

 

 

 世界に呪われていても、か?

 

 

「なら俺は祝おう。俺の隣という世界は、君を祝い続ける」

 

 

 ───私は恨み続けるぞ、この世界を。

 

 

「俺の隣に居るという幸福に、いずれ塗り替えてやるとも」

 

 

 ああ、やはり馬鹿な男だ。

 英雄になろうとしてるわけでもない。勇者なんかじゃない。一介の一般人。特別な力なんて持たない、ただの人。

 なのに『愛』は、特別な力を超える不思議な魔力があった。事実、私はこうして変えられる。

 

 生まれてしまったものは変えられない。行った全ては覆らない。私はこの世界を恨むだろう。呪うだろう。私は疎まれ続けるだろう。

 でも、お前がその全てを塗り替えると断言するならば───期待してみようか。

 

 これが愛の弱さ。

 これが愛の強さ。

 惚れた弱みというべきか、惚れた強みというべきか。大いなる矛盾点。道理の欠片もない。無根拠。確証など一つもない。

 でも確証のない愛が根拠だと、胸を張って宣言する馬鹿がいる。ならば確証のない愛で、それを信じてみよう。

 

 確証のない愛を証明づける為に、私はその唇へ───

 

 

 

 

「はいカットぉお!」

 

 

「───やー流石だね、青くん! 名演技だったよ!」

 

 

 暗闇に包まれた世界は照らされ、同時に張り詰めた雰囲気は発散され明るくなる。

 二人だけが存在していたと錯覚してしまう先程の空気は壊れ、その場には賑やかなひと時が訪れた。

 

 広瀬は目の前で手を合わせて笑顔を浮かべる少女に、返事をしてから困った表情で問い掛ける。

 

 

「どうも、つばめ先輩。……でも、なぜ先輩が演劇部に?」

「今年の文化祭、新体操を組み合わせた演劇を披露することになってね。通常の部活の事を考えると、今から練習した方が良いって事で。演劇部の子達に少し教わってるんだ」

「ああ、なるほど……。自分が呼び出されたのは?」

「メインの子が体調不良でねー。部の子は殆ど役に入り込んじゃってるから、中々メインをやってくれる人がいなくって。だから助っ人で君を呼んだ訳」

 

 

 君の演技力は私も知るところだからねー、と。まあ実際問題、声や表情などの感情表現は、広瀬の得意分野ではある。演劇の助っ人としてはこれとない最適解だろう。

 とは言え、予定があったらどうしたのだろうと思わなくはない。

 

 

「予定があったらどうするんですか……」

「え、だって暇でしょ?」

「帰宅部が全員暇に見えます?」

「あははっ、違う違う。君の例のお仕事、それがある日って大体お昼休みに外で食べてるんだよね。一種の精神統一ってやつ? 今日は中で食べてたっぽいし、無いんだろうなーと」

「……あー」

 

 

 割と無意識的行動で、普段外で食べる時は広く静かな場所で食べている。つばめの言う通り、一種の精神統一だ。広い場所だと他生徒からそこそこ見つかりやすいのだろう。

 とはいえ、例の仕事の件について知ってる人は少ないから、そういった特定の行動を理解してる人も相応に少ないが。

 なぜつばめが広瀬の件を知ってるかと問われれば、その答えは簡単だ。致し方なく広瀬が教えた、それだけである。

 

 高校進学当初の部活選択に於いて、入る気はゼロだったものの見学だけはしてみようと見て回っている最中、演劇部は体験型だった。正確にはアドリブで新入生を演劇に入れたのだ。そこで前列に居た広瀬が選ばれた。

 元々素人の演技にそこまで期待はしてなかったのだろうが、それが相乗して広瀬の演技力が際立つ。伴い、勧誘を受けたのだ。

 が、当然仕事の手伝いもあるし、あくまで興味本位だったので、勧誘には乗らなかった。

 

 次の勧誘パフォをやる番だからと近くでそれを見ていたつばめが不思議に思い、かなりしつこく問い掛け、致し方なく理由を説明した訳だ。

 故に何か精神心理で困った事があれば言ってくれと連絡先を渡したが、まさか助っ人として呼ばれるとは思うまい。

 

 

「しかし流石だねー……。でもやっぱり違いはあるかな?」

「……一応違和感は無いようにしたつもりなんですけど」

「うんうん、勿論だとも青くん。劣ってるとか優ってるとか、そういう序列関係の話じゃなくてね。何と言うか……」

「役の入り方、ですか?」

「そうそれ! 青くんは問題なく『演じてる』んだけども、普段の子は『なりきってる』って感じで。もうホットケーキとパンケーキだよね♪」

(出たよつばめ語……俺あんま慣れてないんだけどな、これ)

 

 

 ノリに乗ると概念で会話し始める、誰がその名を生み出したのか分からぬ『つばめ語』。エモいやタピるなど数多のJK語が存在するこの世の中、色々な人物と接してきた広瀬はJK語ならばニュアンスでそれとなく理解できるものの、つばめ語は未だに理解できない部分も多い。

 何せJK語は元となった言葉が存在するにも関わらず、つばめ語に関しては何が語源となっているのか分からない言葉も多いのだ。理解するコツが『考えるな、感じろ』である。

 感情視を持つ広瀬でさえギリギリ誤魔化しながら何とか対応できるレベルだ。広瀬以外の大人のカウンセラーが当たり、テンアゲな状態だった場合、ほぼ確実に涙目となるだろう。

 

 今回はそこまで乗ってる訳では無いので、広瀬でも理解できる範疇だ。パンケーキとホットケーキの違いは『甘い』か『控えめ』かである。つまり些細な違いを意味してるのだろう。

 会話が限定されていたし、元々つばめの考えていた違いの正体たる『役の入り方』というのが分かっていたから、今回のつばめ語は対応し易かった。

 

 広瀬は安堵の息を吐きつつ、ジーっと見つめるつばめに戸惑い問い掛ける。

 

 

「えっと……何か?」

「んー……成績そこそこ優秀、運動能力も平均以上、コミニュケーション能力最高……かぁ。これが秀知院基準って考えると凄い優秀な人材だよね。……ねえねえ、苦手な事とかないの?」

 

 

 秀知院内の評価だとあくまで『そこそこ優秀』なレベル。しかし苦手な部類がないという『やれば割と出来る』タイプの人間はかなり重宝されそうな存在だ。

 が、苦手なものがない、綻びがない人物というのは珍しいし滅多に居ない。例え運動能力が高くても苦手なスポーツというのは存在するし、勉強が出来るのと頭が良いのは必ずしもイコールではない。

 

 何より、苦手がない人物というのは、ある種()()()()()

 

 

「ありますよ」

「随分あっさり認めるんだね……」

 

 

 もう少し見栄を張ると思ったのに、と。言葉にこそしなかったが理解出来る続いたであろう言葉に、広瀬は苦笑して答える。

 

 

「以前も言いましたが、嘘は苦手ですから」

「正直な子は嫌いじゃないけど、正直過ぎるのはどうかと思うよ?」

 

 

 特に脈絡のある言葉ではないだろう。単純な感想であり、率直的な意見。皮肉が混ざった言葉ではあるまい。つばめには『嘘が苦手な理由』を話してないが為、全くもって悪意のある言葉でもない。

 そも、他者からすれば「だからって本心だけを吐くのは違くない?」と言われる事間違いなしの理由だ。広瀬は純粋に疑問を浮かべるつばめを見て、苦笑を深めた。

 

 

「ちなみに苦手なものが何かは」

「教えないです」

「……誤魔化しはセーフなんだね」

「断固としてセーフです」

(苦手なものを教えるのはいいとしても、この人に教えるのは避けたいしな……。経由して愛に伝わる可能性もなきにしもあらずだし)

 

 

 つばめと愛の関わりに関しては詳しい訳ではないし、問えば何かと逆に問われる可能性もあるので問わないでいるが、校内擬態(ギャルモード)ならば接触してる可能性は大いにあり得る。弱い所を見せてると言ってもなるだけ弱点露呈は避けたいし、揶揄われる材料にされるのも面倒である。

 ジーっと追及したそうに見つめるつばめから何とも言えぬ表情で視線を合わせない様にしつつ、先ほどの会話を思い出す。「文化祭でやる劇の数」という台詞に対して広瀬は思考を巡らせ、問い掛けた。

 

 

「つばめ先輩、文化祭でやる劇の数ってどの程度なんですか?」

「え? んー……どうだろう。最近の秀知院だと文化祭の開催日数が二日じゃなくて一日になる可能性もあるから、それに合わせて調整はするけど……細かい事は今じゃ分からないかなー」

「そうですか……」

「それがどうかした?」

「……いえ、余裕があればなんですけど───」

 

 

 

♢♦︎♢

 

 

 

「……青星くん?」

「……」

 

 

 燃える様な夕日が教室を暗く照らす。

 仄かな風がカーテンを舞わす。

 まだ夏の終わりは早いと、虫の鳴き声が響き渡る。

 

 夕暮れ時の教室で、私は腕を枕にして静かに眠る彼を見つめてつい言葉を漏らす。

 心地良い様子で眠っているが故に起こす動作には僅かな躊躇い。私の伸ばした右手はやがて、後ろ腰の左手首を巻く。

 青星くんの机のすぐ横へと移動し、膝を曲げ、机の端に両腕を乗せる。髪を撫で上げ、その無邪気な寝顔をジッと見つめた。

 

 

「……」

 

 

 ほんの少し銀に染まった髪。だが手入れはしっかりしてると判断できる髪質。男の子にしては僅かに長めのまつ毛。一切かさばっていない唇。

 友人として接してきた時は、必要以上の密着や顔合わせは避けていた。彼を意識し始めてからは、恥ずかしくて顔を背ける事が多かった。

 だから、青星くんの顔をジッと見つめる事は今まで無かったかもしれない。これが初めてだ。

 

 寝ている彼の目上に人差し指を当て、力はいれないように静かに上げる。ジト目の様に微かに開かれたその眼は、翡翠色の様な、空色の様な、透き通った綺麗な色。

 ソッと指を下げて、静かに息を吐く。

 

 ───今までの情報と推測から言えば、青星くんは会長程張り詰める人物ではないし、余計なカフェイン摂取はなるだけ避けている。疲れが溜まってない訳でも無いし、一度睡眠に堕ちればそれなりの衝撃がない限りは起きない筈だ。

 だが寝ている彼に何かしようとする気は起きない。万が一にでも起きてしまったらと考えれば、告白もキスもする勇気などない。

 もう一度、静かに息を吐く。

 

 あらゆるシチュエーションを頭の中で展開し、今何が出来るかと考え、ハッとその思考を振り返り、ふと苦笑する。

 今まで散々主人に告白しろ、認めろと告げてきたのに、自分が局面に陥れば、こうして「どうやってバレないままこの好意を告げよう」と考えてしまう。

 

 ……いえ。まあ? 好きと認めないかぐや様に比べれば、何段階か私の方がマシですけど。そりゃ恥ずかしくて告白しようなんて気にはなれないですけど、こうして「この気持ちは恋だ」と自分の内で断言出来ますし。

 好きですよ。当然好きです。私の為に四宮家へ喧嘩をふっかけた挙句に、望み薄と思っていた結果を当然の様に残してくれた人を好きにならない筈無いじゃないですか。

 

 静かに寝息を立てる彼のすぐ側で、私は少しジト目となる。ズルい、酷くズルい。只の少女の様な───いや、それ以上にか弱い乙女の様な願いを、笑わずに叶えてくれるなど。

 ズルい。散々弱いところを見せた癖に、その瞬間だけカッコよく居てくれる所が。

 気取らず、私の為だと言って、弱い部分を曝け出しながら私の側に居てくれる。

 

 問いたい。私の事が好きなんですか?

 でも挫ける。「友達として」や、「カウンセラーとしての性格上見過ごせなかっただけ」という言葉が、凄く怖いから。

 

 

「〜〜〜〜っ」

 

 

 貴方から告白すれば綺麗に収まる話なのだと、八つ当たりの様に恨みがましい視線を向ける。

 あの時、会長が告られる方を推していたのは……女性側から、私から告白して欲しいという催促? それとも他に何か理由があるのですか?

 

 

「……知ったつもりでいても、こんなに知らない事があるんですね」

 

 

 青星くんの事は誰よりも知っていると思う。他の人が知らない事でも、私は色々と知っているだろう。でもそれは逆も同じ事。私が知らない事を、他の人は知っているのかもしれない。優越感に(かま)けて居るのは大間違いである。

 女性関係の噂など聞いていないが、それでは秀知院学園での過ごし方だけをみてこの人は基本ぼっちなのだと勘違いした時の二の舞である。もしかしたら童貞でない可能性は捨てきれない。

 彼は嘘を吐かない性格だ。率直に聞けば答える筈……あ、いや、駄目。「青星くんは童貞ですか?」なんて聞いて、童貞だという答えが返ってきたとしても、安堵の感情を浮かべた時点で色々とアウトだ。筆下ろし趣味があるとか思われる可能性もある。処女なのに。

 

 遠距離恋愛をしてないとは言い切れない。カウンセラーで知り合って果てに付き合っている、なんて可能性は充分にあり得る。……彼の性格上、「それは“救われた”から勘違いしてる、一種の吊り橋効果みたいなモノだ」とか言って避けそうではあるが。

 以前……確か、夢理奈という少女。ほんの少しチラッと見た程度だが、私でも分かる程度には、青星くんへと向ける目はただの友人に向ける視線と比べて熱っぽかった。断言こそできないが、少なくともあちら側が『ただのカウンセラー』と思っている事はないだろう。

 

 ……ああ、なるほど。

 

 

「私は、不安を覚えているのですね」

 

 

 主人が変わっていった時は、それが良いのだと一歩身をひいて感じなかった。きっと今まで一度も感じたことのない、『誰かを取られる不安』。全くもって図々しい。自分のモノでもない癖に。

 だから自分のモノにしたい。自分が恋人となりたい。貴方の隣にいる人物は私だと刻み付けたい。

 

 

「す……っ」

 

 

 今この瞬間だけでも良いからと、この瞬間だけでも貴方の特別として側にいるのは私なのだと、「好きです」という一言を放ちたい。

 でも酷く声は震え、その言葉は詰まる。

 主人は、間接的にとは言え、「貴方は私の事を好きですか?」と問い掛けた。……まあ余裕を持って挑みたいからと練習に付き合わされていたので、その辺の差はあるが、もしや恋愛下手と思っていた主人以上のヘタレでは無いだろうか、私。

 今だって、全く取り繕えずに乙女の様に顔を真っ赤にして突っ伏している。目の前で眠っている彼に告げる勇気すらない。

 

 ……でも、せめて。

 

 

「………」

 

 

 せめて、この一時(ひととき)を私達の特別とする為に───

 

 

 

♢♦︎♢

 

 

 

「ぅ……?」

 

 

 1秒1秒、チク、チクと、時が刻まれていく時計の針の音が鳴り響き、夕陽は教室を照らす。

 物静かで微かな影を作るその場に、広瀬の間抜けな声が漏れ出た。

 

 

「……あら、起きましたか?」

 

 

 自身の腕を伝い感じさせる机の固い感触───を想定していたが、その頭が感じるのは人肌の温もりと柔らかな感覚。

 寝惚けた思考と目を起こし、その視界が捉えたのは、自分を見下ろす早坂の顔。

 

 

「……愛さん、これは一体?」

「膝枕ですが?」

「ですよね。うん、分かってる。……いや、俺が聞きたいのは“何で膝枕をしてるのか”って点なんだけども」

「以前自分で仰っていたでは無いですか、膝枕をされたいと。女性に触れ合う機会など殆ど無いであろう哀れな男子に対する慈悲です」

 

 

 ニヤニヤと揶揄う様な口調と表情で煽る早坂に、広瀬は「確かに言った」と思い返す。あの時は「あわよくば“今”してくれんかな」という気持ちで言っていたが、巡り巡って現在される事になるとは思うまい。

 ただただ揶揄われただけという結果だけが残っていたと思ったが、こうしてされてる現在を思い、過去の自分に心の中でグッジョブサインを送った。

 

 現在も揶揄われているが、こういう時の対処法は既に広瀬は身に付けている。

 

 

「じゃあ遠慮なく、もう少しこうさせて貰うわ」

「───ん……っ!?」

 

 

 そう。言い返さずにノる事だ。

 早坂の揶揄いは、現状一種のルーティーンと化している。以前まで『距離感を維持する為の行為』を幾度となく行っていた為、“いつも通り”という行動として脳に刻まれているが故に精神が安定するのだ。

 が、それはあくまで()()()()の状態・反応でなければ効果は作用されない。このルーティーンは『いつも通り』を維持する為の行為。いつも通りでなくなれば、予想外の反応で簡単に脳は崩れてしまう。

 

 微かに笑みを浮かべながら目を閉じ、再度力を抜きリラックスする。普段ならば恥ずかしそうな素振りを見せるだろうに、その予想外の反応によって早坂は内心焦っていた。

 鼓動は収まらず、心臓の音が耳に響く。

 せめて平常運転は保ちたいが為、早坂は全力で脳を回して“今までの関係性”を維持する為の会話を考えた。

 

 

「……あ、青星くん、今日はお仕事……ないのですか?」

「ああ。今日の昼頃に連絡があって、キャンセルになった。……んで、リラックスしてたらこうして寝落ちした訳だ」

 

 

 流石にこれ以上過度な緊張状態にさせる訳にはいかないと判断したのだろう。広瀬は“いつも通り”というオーダーに答える様に、揶揄う様な声音は潜めて淡々と答えを返す。

 ───というか広瀬も広瀬で“いつも通り”にしたいという気持ちは同意なのだ。平静を装ってはいるが、その実『後頭部を太ももに預ける状態』から動かない様に硬直している為、結構疲れる。もし動いたら早坂の腹に顔を突っ込ませる事になりかねないし、早坂が体勢を整えようと動けば視界が太ももで埋め尽くされる可能性もあるのだ。

 

 互いが必死に普段を保とうと会話を続け、やがて十分の時が過ぎる。広瀬が寝ていた時間を考えれば、既に部活動は終了を知らせる時間だ。

 部活生は大抵帰りの荷物は部室に預けているので、教室に戻ってくることはない。だからこうして「誰かが来る可能性」は排除している。

 

 

「……なあ、愛」

「はい?」

「俺は───」

 

 

 ───ガラッと、教室の扉が開かれる音が鳴り響く。足音など一切聞こえず、唐突にドアが開く音だけが。

 早坂が反射的に顔を上げて扉の方を見つめると、そこには主人の姿。四宮が立っていた。

 

 

「あら」

 

 

 彼女は左手を口元に当て、ニヤニヤとしながらワザとらしく驚く。

 

 

「あらあらあら……珍しい姿もありますね。どうやらお邪魔してしまった様で」

「あっ、いやあの! かぐや様、これは!」

「別にいいのよ? 近侍がどの様なシチュエーションを好むかなんて、私の与り知らない事ですから。ええ、()()()()()()()()していいのよ?」

「〜〜〜〜ッ!」

 

 

 普段は早坂()四宮()みたいな関係なのだが、この時ばかりは四宮の余裕たっぷりで揶揄う笑みもあり、四宮()早坂()になっていた。

 自分がしたい事ではなくあくまで広瀬がしたい事を行なっていたという体を装っていたからこそ反論したかったが、心の奥底で自分がしてあげたいと思っていたのは間違いない。反論したかったものの、図星を突かれて言葉が詰まる。

 

 四宮は機嫌が良さそうに教室を出て行った。

 

 

「……まあ、なんだ」

 

 

 早坂の太ももから頭を離し、平然と起き上がり、広瀬は数回頬を掻いて同情しながらサムズアップする。

 

 

「ドンマイ」

「誰のせいだと……ッ」

「いや、俺一言も膝枕して下さいなんて言ってないし」

「そうですけどっ、そうですけど!」

 

 

 そこは「意図を汲み取ってくれて有難う、四宮には弁解しておく」くらい言ってもいいじゃないですか、と。だが実際問題、広瀬は「されたらいいな」程度の認識であったし、早坂もそれを理解してる。

 つまるところ、客観的に考えれば『早坂がしたいからした』という筋が一番通る訳である。

 しかも幾ら気を抜いていたからと言えど、人一人の足音が聞こえない筈もない。既に教室前に待機していたか、或いは悟っていて敢えて足音を立てずに歩いていたか。

 前者ならば弁明のしようもなく『早坂自らが行った』事が確立され、後者でも『二人が何かするのであろう』という推測を容易く看過されている事になる。そういう、いわゆる“下心”のある行為を見抜かれていたなど、恥ずかしがるのも当然だ。

 

 早坂は崩れる表情を隠す為に両手で顔を覆い、広瀬はそんな早坂を見て、ふと苦笑していた。

 

 

 ────本日の勝敗。

 早坂 愛の敗北(恥の上塗り)

 

 

 

 


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