今回は13200文字!
ではどうぞ!
人は常、嘘を吐く生き物である。
別に特定の人物を指した言葉でもない。人間という種全体を示した言葉。決して悪口などではなく、それが“当たり前”である生物なのだ。
もし人が嘘を吐かない正直者だけの生物ならば、きっと世界は
嘘と言えど千差万別。例えば『破壊衝動』を持つ者が
抑えられるなら理性で抑えよ。動くならば理性で動け。全ては「何にとって良い嘘か」と“自分の判断”に託し、自分を騙し続けるのである。
───さて、人々が嘘を吐く事に抵抗のない生物であるという事は理解しただろう。そして
そんな当たり前の“嘘”。“本当”と分け、二つを確実に当てるという離れ業をやってのける人物がいたら……果たして、人はどう思うだろう?
凄いと憧れる? 何かに活かせないかと悪い企みを抱く? いいや、体験すれば殆どの人物は『恐怖』を抱く。隠したい事が隠せないから、誘導次第ではどんな事も知れてしまうから。
でも証拠も無しに暴ける人物などいない。精々は“疑い”を抱く程度。“確信”に至り100%外さない『技能』など存在しない、と。人は必ずそう思う。だから本当にバレたくない事は徹底的に隠し、理論的に可能な言い訳を考えればいい。
ああ、だからこそ。
「───別に危害なんて加えるつもりはない。……ん? いやいや、ホントだって。俺だってクライアントを減らすなんて手段は出来るだけ避けたいしな」
「ただ、
「……藤原さんに呼ばれて来たんだが」
「ああ、悪い悪い。藤原はあくまで伝手。用があるのは俺だ」
「噂の二股さんが何の用だ?」
誤解なんだがなぁと苦笑
恐ろしさを感じない事や油断は、楽観的な思考と同義。言葉の裏や意味を考えないのは、駆け引きに於いて負けと言えるだろう。
翌日の昼、広瀬は藤原を経由して校舎裏に家鹿を呼び出していた。
「いやー、愛に頼まれてな。ちょっとしつこいくらいに絡んでたんだって? 彼氏として少し忠告を、な?」
言質は取る。その意思を伝える為に、広瀬は胸ポケットからボイスレコーダーを見せつける様に取り出し、「忠告しに来たのなら何かしらの準備はしてるだろう」という思考の“準備していたもの”をボイスレコーダーに誘導する。
柔らかい。別の言い方をすれば、油断出来そうな印象を持つ人物ならば、それほど入念な準備をするとは思えないから、その一つ分かればそれ以上の疑いを持たない。
「別に人の彼女寝取る趣味はないぜ? まあ女誑しよりは幸せに出来る自信はあるけど、選んだのなら納得する他ないさ」
広瀬が見つめる視界に映るのは、『偽り』。そして『極度の興奮』。偽りが示す意味は明白。この会話全てと、家鹿の振る舞い・性格。そして極度の興奮状態。これが最大限に上がった台詞箇所は、「他人の彼女を寝取る趣味はない」。
恐らく「その感情を浮かべている」という言葉さえ分かれば、「何故その感情を浮かべているのか」については大抵の人は理解出来るだろう。
所詮これは口約束。ボイスレコーダーは後に壊せば良い。証拠がなければ訴える事は出来ないのだから。
広瀬は胸の内に大量の怒りを秘めながらも、一息吐いて人当たりの良い笑顔を浮かべた。
「そっか、安心したよ───」
安心した。広瀬が放つこの言葉に嘘偽りは一切なく、ただ本心から安心している。
「お陰で家鹿家を潰さずに済みそうだ」
これで、心置きなく家鹿を潰せるのだから。
「……は? 潰すって、何言ってんだ?」
「言葉通りだけど。……ああ、別に危害を加えるつもりはない。だから安心していいぞ?」
「つ、潰せる“材料”があるって聞いて、気にならない訳がないだろ」
「……んー、それもそうか。じゃあ家鹿くん、信用性を高める為に情報を纏めようか」
広瀬は先ほどの安心させる様な笑みとは程遠い、薄笑い気味な表情で人差し指を立てながら言葉を紡ぐ。まず一つ、と。
「家鹿家父の名前は、大手携帯会社を取り締まる立場の人間たる『
「……」
「が、其処は途轍もなくストレスが溜まる場所である。ああ、人とは何とも脆く、意思の弱い生物。普通と打って変わり余裕があると「この程度なら」と思い、疲れ切ったその身体に癒しを齎す為に、疲れた思考は判断を鈍らせながら買ってしまった。……ヘロイン、って言えば分かるか?」
「き、危険ドラッグじゃねえかよ。流石にんなもん吸ってたら俺でも気付くわっ。……捏造情報か? 下らない真似しやがって」
名前も、会社名も、立場も、家鹿がこの秀知院学園に入学出来た理由さえも全てが事実。それは勿論驚く対象ではあったが、肝心の『潰す為の情報』に関しては全く見に覚えのない出来事。捏造情報と思っても仕方がない。
が、当然疑いは芽生える。後はその疑いを確信へと後押しさせる情報を出せば良いだけだ。
「家鹿くんが中学二年の頃、約一ヶ月の間、義文さんが帰らない期間があった」
「───」
「出張ならば普段は聞かされている。だが事前通達無しに空けられた一ヶ月はあまりに長いな。……ヘロインは一度飲むと身体的依存性を強く高める効果があり、2〜3時間の間飲まないでいると身体中に大きく激痛が走るらしい。とは言え、本人が自ら依存を止める意思を持てば治せない訳じゃない。その休養の為の一ヶ月の空白……と、考える事が出来ないか?」
もちろん、これはあくまで『広瀬が話す内容』の為に確実性はない。何故なら人は自分の目で確かめた事でない限り、殆どの人物は100%信じる事は出来ない。それこそ信頼してる相手の話でない限りは、だ。
が、
疑いが濃くなればその話の信憑性は高らかに増し、そうなれば家鹿家は、本当に潰れかねない。
「……なんで、そんな事を知ってんだよ」
だからこそ、追い詰められた側が『情報の出自』を問うのは必然である。情報の真偽を見極めるに最も適した質問。何故ならこれで「言伝」などと答えようものなら、僅かばかりの疑いは残れど信憑性はかなり落ちる。断言出来る証拠がないならば信じる事に躊躇いが出来るのだ。
でも、逆に言えば。その『情報の出自』が信憑性の高いモノならば、必ず疑いは芽生える。いや、より正確に言えば、『疑いの確信』へと変わる。
「おっと、これは申し遅れました。私、カウンセラーを務めている広瀬 青星と申します」
礼儀正しく。両足を揃え、片手を胸に当て、軽く頭を下げる。紳士を装ってはいるが、かなり自然な様子で行うあたり、相当に慣れている行動だと予測できる仕草。
「───なーんて。まあそんな訳で、俺は義文さんのカウンセリングをしている立場の人間。廃人になりかけたクライアントを助ける以上、事情は知っちゃった訳だ」
紳士の真似事をしたまでと、おちょくる様に片目を閉じながら言葉を紡ぐ。重くなりかけてる雰囲気を和らげる為に行ったが、家鹿はそんなの知らんとばかりに追い詰められた表情で、現在の状況を冷静に判断しようと視線を下げた。
人が本気で物事を考えようとする時に視線を下げるのは自然な行動である。視界に余計な情報を入れないだけで気を取られるという事態がまず減るからだ。
広瀬は
だから考えさせなどしない。押し付けるのは『選択肢』。判断はその中に限る。
「あ、一応言っとくけど、本人に確かめても
第一の選択肢、本人への確認───と名ばかりの牽制。人が情報を根拠のあるモノに変えようとする時、その真偽が定かでない情報を発した本人が取る行動は二パターン。一つ、自信を持っての宣言。一つ、狼狽。
狼狽する理由は明らか。それを確認されたくないから。だが自信を持って宣言する以上、その情報が「間違いのないモノである」という“信憑性”が芽生えてしまう。
が、
だからこれは、あくまで“牽制”。自信のある台詞で「嘘ではない」と思わせる為の牽制である。
「ただ、決心するにはまだ早い。……これは自分の都合上の問題でさ、クライアントにはなるだけ俺の存在を隠して貰ってるんだ。報酬の何割かを返金してな。このカウンセリングについて知ってるのは当の義文さん本人のみ、奥さんも知らない事情だ。つまり? 家鹿くんが
「……ドラッグの存在を息子が知った事の証明」
「そう。……ヘロインの単純所持は、確か十年以下の懲役だっけか。そうなれば会社は辞めさせられるし、当分の間は家族も悪意に晒される。ましてや───」
広瀬はスマホを取り出し、一つの動画を立て画面で見せつける。
それは早坂が「何かしらに使える可能性」を考慮し、咄嗟に髪を纏めるシュシュ。それに偽装させた自作スマホによって撮影された、襲われる寸前の動画。
「そのご子息がレイプ未遂なんて、マスコミが好きそうな事案だしな」
「な───ッ」
「……ん? おい、ちょっと早とちりしてないか? さっきも言ったけど、俺は別に危害を加えるつもりはない。そもそもクライアントの不貞が露呈されたら、
そう、これらはあくまで情報の纏めだ。確証の無い情報とそれらによって起こり得る出来事を纏めただけ。実際にそうなるとは言っていない。
「……そうやって油断させて報告し、絶望させる算段を立ててる訳じゃないのか?」
「いやいや、ホントだって。リスクはなるべく最小限にしたいし、愛に対して何もするつもりが無いなら公開するつもりはない。俺だってクライアントを減らすなんて手段はなるだけ避けたいしな」
実際、人が絶望する様を見て喜悦を覚える程に狂気染みた性格はしていない。確かに以前までは他人の不幸を見る事で自分よりも不幸な人はいると安堵を覚えていたが、あくまで安堵だ。それに内心どう思っていようとカウンセラーとして救ったのには間違いない。失敬である。
とは言え、客観的に見れば家鹿がそう思うのは無理もない。薄い笑みを浮かべながら淡々と『潰せる要素』を喋り、かと思えばあっけらんとした顔で困り顔を表に出す。他人を潰せる情報を持ちながらヘラヘラとしている人物を見れば、そういったサイコパス気質な性格をしてるのではないかと疑うのも無理はない。
断じて広瀬に家鹿を潰す意図はないのだ。
「ただ」
とは言え、自身の好きな人を襲おうとしたのは事実。広瀬も人間だ、怒る事くらいは当たり前にする。感情的に責める事は一切せず、それこそ四宮の如く『精神を蝕むやり方』を。
「こんな可能性もあるよって教えてるだけだ」
♦︎
「気分は如何ですか?」
「クッソ吐き気がする」
家鹿が去り、広瀬が立ち止まるその場にて、早坂は足音を立てながら近付き気分を問う。広瀬はその問いに答えながら嫌悪感丸出しのまま頭を壁に打ち付けて、血が出るほど強く擦り付けたい欲を必死に抑え、地面に倒れ込む。
早坂は倒れ込んだ広瀬が打ち付けた頭に、
「
───そう、当然ながら嘘である。
もちろん全てが嘘という訳でもない。むしろ割合で言えば半々といったところだろう。真実の中にブラフがあるからこそ騙せる。
とは言え嘘に変わりは無し。『あまり使いたくない手』と言ったのは、事後にこうなる事が分かっていたからだ。
家鹿の反応から見て取れる通り、家鹿の父の近辺情報に嘘偽りはない。広瀬がカウンセラーの依頼を受けたのも間違いないし、依頼をしてきた相手に自身の存在をなるべく隠す様にお願いしているのも事実。
だが『潰せる算段』たる重要な情報である『ヘロインの摂取』に関してはまるっきり嘘である。
「……そうなるくらいなら、やはり映像だけで充分だったのでは?」
「まあ、
「半ば脅迫の様な手口ではありません? 今回の出来事も」
「俺は一度でも「バラされたくなければ止めろ」なんて言ったか?」
「物は言い様ですね。……脅迫罪に問われるリスクでも考えましたか? 彼のやろうとしていた事を考えれば、バッシングを受ける可能性は極めて低いと思いますが」
「いや、そりゃ、まあ……」
映像だけを見せて「これをバラす手段もある」と教えたとて、恐怖心を煽るには不充分だっただろう。広瀬に武道の心得は無いし、他者を殴る勇気も然程ないので、言葉で負かせなかったら証拠を消されている可能性もあった。……いや、無論の事バックアップは数件取っているので仮に広瀬の端末に入ってるのを消しても無駄ではあるのだが。
単純に怪我をするリスクを減らしたかったのもある。しかし、それ以上に。
「愛がまた襲われる可能性はトコトン減らしたかったし……」
もちろん、早坂は多少なりとも自衛手段はあるだろう。スタンガンも常備してれば屈服する可能性などかなり低い。でも万が一がある。その可能性を無くせるならば無くしておくに越した事はない。
───
「この程度はやっとかないと、雁庵さんにドヤされそうだしな……」
「雁庵様……?」
広瀬が早坂に惚れてる件については、四宮家の家族間ぶっ壊し計画の過程……というか、何の為にその計画を実行したのかという問いへの答えで雁庵は知っている。
早坂は四宮グループ幹部の娘。ともすれば、一応とは言え彼の保護下にある存在だ。ましてや彼の直属の娘たる四宮 かぐやを誰よりも傍で支え続けてきた存在。
そんな彼女が一学生に襲われる? 仮に被害が無かったとしても、「この程度すら止められないのか」と呆れられる可能性は高いし、家鹿への当たりは広瀬が考えていた物以上に酷い結果へとなり得る。本当に海に沈めるだろう。幾ら怒りの対象でもそこまでされてるのは見たくない。
「なぜ雁庵様?」と本当に疑問に思っている様子の早坂を見て、広瀬は苦笑しつつ話題を逸らした。
「それより愛、伊井野の方はどうなったんだ?」
「……ええ、取り敢えずは平気です。誤解は解けました」
「ちなみに、何があったかってのは……」
「秘密です」
ですよねー、と。
そう、
「お待ちしておりました、伊井野さん」
「……早坂先輩?」
学園で要チェック対象であり、且つ先日の件にて広瀬と付き合っているのを見せ付けていた、伊井野の一つ上の生徒。
生徒会選挙の最中にある現在、別の事情に現を抜かす暇など無かった伊井野は、あの件はアレで打ち止めだと割り切って票集めの為に勤しんでいた。が、例の件に纏わる一人たる早坂を目の前に普段通りの態度でいられるかと問われれば、否と答えるだろう。
伊井野は四宮に呼ばれてこの場───生徒会室へと入った。ならばこれも四宮の策略か。そうやって頭を回す伊井野を見つめ、早坂は僅かな思考。即座に何を話すのかを決め、無表情のまま微かに頭を下げてお辞儀する。
「この設定での対面は初めてですね。では改めて……私は四宮グループ幹部の娘、そして四宮家にお仕えしている早坂 愛と申します」
「……四宮先輩が学園内とは言えボディガードを付けないのは不自然だと思っていたので、それについては然程疑問には思いません。しかし早坂先輩、それを私に打ち明けてどうしたいのですか?」
今まで隠して来ていたものを明かすというのは、隠すだけの理由が存在する情報を提供するという事。つまり取引に於けるアドバンテージを自ら差し出すのと同意だ。
自らが不利になるその行為をいとも簡単に行うには、相応の理由が伴うだろう。
が、早坂はポンコツメイドが如く「ハッ」と今更気付いたかの様子を曝け出し、今までの無表情が『あくまで装い』だったと意識させる様に苦笑する。
間違いなく演技。いや、装いをしていたと分かれば誰だって演技だと見抜けるほどのワザとらしさ。その筈なのに、全く演技と思えぬ自然な装い。今まで見て来ていた姿とのギャップを感じているから困惑が生じている? いいや、これは紛れも無く早坂の演技力によって生み出されたもの。余程感性が鋭くなければ疑問すら抱けない程の演技力だ。
「あー……やってしまいました。これは迂闊でしたね。ええと、伊井野さん」
早坂はニコやかに、だが目は笑わず、両手を合わせて“懇願”する。
「
───ミス・失敗・懇願。
伊井野は正義を貫いて来た人物だ。例え四宮家の伝手を使おうが、絶対に“裏”を暴く事など出来ない。裏のない人物など居ないと断言は出来るが、皆が皆、その裏を“表”に出す訳ではないのだから。
例え伊井野に“裏”があるのだとしても、今まで間違いなくその裏を出す事なく正義を貫いた。稀に存在するそんな人物に、脅迫という名の飛び道具は大して効かないだろう。
だから逆に考えた。ならば“表”に脅迫を掛けよう、と。今まで積み上げて来た正義に傷を塗ってやろうと。
伊井野は僅かにたじろぎ、数瞬の思考。なるほど、伊井野の様に“善”の表を紡ぎ続けて来た存在相手に“裏”を狙い落とす術はさして効かないのだろう。だからこそ表にキズをつけるやり方が効果的だ。
仮にこのまま選挙に出て、伊井野が勝ち取ったとしよう。その状況で「伊井野 ミコは四宮 かぐやの秘密を暴いて脅した上で生徒会長となった」なんて噂を流す。伊井野が秘密を握った事は紛れも無い事実だ、否定すれば『容易く嘘を吐く』存在であるとも認知される。
『伊井野は人の弱みに付け込む人間』『容易く嘘を吐ける人間』。そんな存在にどうして信頼を置ける? 正義を貫いていた人間が評価を一つ落とせば、トコトン堕落するのは目に見えている事だ。
もしここで伊井野が「証明のしようもない事だ」と吐こうものならば、彼女が入って来た時点で作動させていたシュシュ型スマホ(自作)のボイスレコーダーを再生してやる。その時点で伊井野は降りる以外の選択肢を失うだろう。
ではどんな行動を取るのかと早坂が目を細く開きながら確認すると、伊井野はゆったりと間を置いて話し始めた。
「それは、四宮先輩からの指示ですか?」
「いいえ、私の独断です。……ああ、まあかぐや様も概ね似た様なものですか。ではこれからかぐや様の意見をお話ししたいと思います」
そう、単に四宮の指示通り動いた訳じゃない。だが主人のお願いに沿う様動いたのは紛れも無い事実。ならば先に四宮自身の考えを伝えた方が、後々早坂も楽に話を運び易くなるだろう。
そう決心し、紡ぎ始める。
「かぐや様からのご意見は一つ。───貴方が生徒会長となる為の手助けをする、との事です」
「え……?」
「貴方が二年生になったら……と、付きますがね」
「……だから此度は見逃せ、と? いえ、そもそも来年の約束自体も怪しい」
「
「………」
伊井野は数秒間を置き、緩く首を振る。ボイスレコーダーで録音するまででもないと判断したのだろう。四宮家の名前に誓ったのなら、約束を反故にするつもりなどない、と。
いや、或いは。早坂の狙いに気付き、「それに気を囚われてる場合ではない」と判断したのか。
そう、この場面にて判断すべきは「四宮の誓いは嘘か真か」ではなく「生徒会選挙に出るのかどうか」だ。早坂は意図的に「その話は真実かどうか」への思考へと誘導して「来年の選挙にするか」という意識に持って行こうとしていたが、伊井野がそれを一切合切断ち切る為に首を振った可能性は高い。
やはり頭が良い。自分の信念に従ってきたが故の迷いの無さもあり、秀知院学園一年トップの成績を待つだけの能力は充分に備わっていた。
「ここまでがかぐや様の意見です。が、個人的に申し上げるならば」
だが四宮 かぐやという天才に比べれば天と地程の差が存在する。本人が自分に掛けた制約によって取れる手段は大幅に狭まっているし、誰よりも近くで見守ってきた早坂からすれば相手取るのは容易い事。
簡単に潰せるだろう。だからこそ
「伊井野さんは選挙を降りた方が宜しいかと」
故に、焚き付ける。
「数多の成績を残し、正義に従い仕事を全うしてきた。世の中から見れば間違いなくこの上なく正しい生き方をしている───なのに会長に選ばれた事は一度もない。何故だか分かりますか?」
「……いえ」
「法的に正しく生きても、客観的には“悪”と見られる行動をしているからです。悪さを取り締まるのは正しいでしょう。ですが厳しくし過ぎれば、それは“支配”となんら変わりはありません」
そう。幾ら正しいとしても、独裁は反感を買うやり方だ。人は縛られる事を嫌う生物。何事も『程よく』が大事なのだ。
「校則を破って良い訳ではありません。ですが、人の心や感情は、全てが論理に従える訳ではありません。……例えば伊井野さん、白銀会長の事をどう思いますか?」
「質実剛健、でしょうか。少々威圧的で、真面目で真っ直ぐという印象です」
「では、何故会長は皆から慕われていると思いますか? 下馬評が圧倒的なまでに会長へ傾く理由は」
「実績、ですか?」
「いいえ、もちろんそれもあるでしょう。ですがそれ以上に、会長が勝り貴方が劣るモノがあります」
理由は明白だ。
「この人に着いていきたいと思える思想であるかどうか。……率いる者として最低限求められる能力です」
白銀は“他”を思い今までを積み上げてきた。当然下馬評が傾いている理由は実績もあるだろう。ではその実績を積み上げられた理由は? 他人が白銀に着いていきたいと思える思想であったからだ。
対して伊井野は『“他”の為にと言い聞かせて自分の為』を思い、自分の考えを貫いてきた。優秀である事は認めよう。だが優秀だからというだけで独裁をしていい理由にはならない。
どちらに着いていきたいかなど、もう明白だろう。
「そして何より、貴方には致命的な欠陥が存在する。……自覚していますよね? 人前で話す事が苦手な貴方は、年々選挙に負ける度にそれが酷くなっていく。話せないというのは、何を伝えようとしているのかが分からないに等しい。何も分からない人物について行けるほど、人も馬鹿ではありません」
「………」
分かっている、自覚していた。自分は自分の考えに迷いがなく、何時も正義を貫き通してきた。でも迷いがなくとも恐怖はある。自分のやり方は酷く敵を作るやり方だ。大勢から向けられる悪感情。怖くない筈がない。
でも正しい事は正しい事だ。何か間違っている訳でもない。正しい事だけすれば人は間違いを犯さずに済むだろう。何故その区別もつかない? 自分が間違っているのか?
そうやって、無数の迷いを生ませる。
……もし、これが『伊井野を選挙から落とす策』であるならば、この時点で目的は達せられていただろう。でも早坂にそんな狙いはない。むしろ逆、立ち直らせようとしているに他ならないのだ。
故に、次に紡がれる言葉は必然だった。
「だから、考え方を変えてみませんか?」
「え……?」
「人は必ず間違いを犯す生物です。だからと言って、もちろんしていい理由にはならない。でも人は間違いに気付き、それを学ぶ。節制ばかりしていては決して気付きません。学ばなければ、何が正しい事か。何が間違いなのか。それに気付かない───ならばすべき事は一つでしょう」
伊井野は率先し、悪い事をしようとしている人、悪い人、正義に反する人を罰してきた。でも『ただ悪いから』と決めつけ取り締まるだけでは、率いる者としては不充分だろう。
故に、足りない能力を教える。
「生徒の意見を訊きましょう。その上で『正しい』と判断したのなら認める。『間違い』ならば、何故間違いなのかを教え、導いて下さい。……その上で自分の意見を『伝える』。
「意見を、
「そしてこれはアドバイスです。人前で話そうとして硬直するならば、“皆”の目を見るのは止めてください。一人一人の目をハッキリとその瞳に映す。……これだけで、見方は変わりますよ」
「……あの、早坂先輩は四宮先輩の近侍……なんですよね? なぜ私をフォローするような役目を?」
当然の疑問だ。もし四宮の全面的バックアップを望んでいるならば、白銀が会長となる事への後押しを優先する筈。なのに実際に起こしているのは白銀が会長となる可能性を減らしているという手段。
伊井野が疑いの目を向けると、早坂は「何故その様な質問を?」と逆に疑問を覚えた様な表情をしながら、アッサリと当然の様に答えた。
「踏み台ですよ。
「───ホンっト、今季の先輩方はッ!」
当然の様に踏み台認定し、当然の様に白銀達が生徒会入りすると断言し、当然の様に挑発する。躊躇なく人を敵に回し、敵に回したとて必ず勝てると断言する。
全く甚だ憤慨ものである。流石の伊井野も今回ばかりはブチ切れそうだった。
「アドバイスありがとうございます! では私はこれで───」
「ああそうそう、これは個人的に伝えたかった事ですが」
生徒会室の扉に手を掛けた伊井野を呼び止め、あくまでこれは私用だと伝えてから言葉を紡ぐ。
「私と青星くん、実際には付き合っていません」
「───え?」
「青星くんはこの“設定”も四宮家に仕える人間だという事も知っています。恐らく学園内ならばかぐや様以外で一番近しい人物でしょう。故に『
それはつまり、偽の関係によって彼の自由を束縛しているという事。広瀬が望んで早坂と付き合っていたのならば、風紀委員として注意する事はあれど恋愛事情は好きにさせた方が良いだろうと伊井野は判断していた。
でも“フリ”と聞いて呆然と出る声を抑える事など出来なかったし、何より「自分にもまだ可能性があるのでは」と思わせるには充分である。
「とは言え、私は彼の事が本当に好きです」
「すっ……随分とハッキリ言うんですね」
「嘘を吐いても仕方ありませんから。……私はあくまで“フリ”として頼み事をしました。彼の性格上、そうすれば断り難いですしね。少なからず好意も持って頂けているでしょうから」
それはつまり、広瀬という少年の性格を“利用した”という言葉に等しい。ワザと断り難い表現で“偽”の付き合いとして近付く。だが手段としては確かに有効だ。
「分かりますか? 目的の為なら、多少の“建前”は必要なんです。悪かどうかなど
「む……」
「感情よりも論理を優先するのは正しい。でも論理よりも感情が厄介である事は誰もが知る事実。人は感情を優先してしまうモノですから……彼にメロメロな私が少し“ズル”をしてしまうのは、仕方ありませんね?」
「ふ、フリはフリです! 実際に付き合ってる訳ではありませんし、広瀬先輩が貴方の事を好いている確証もありません! では失礼しますっ」
今度こそ感情的に扉を開き、伊井野は生徒会室を出て行く。バタンっと音を立てて閉められた扉を見つめ数秒、立ち上がり扉に近付き、その前に気配がない事を理解して一息。
早坂はシュシュを一撫でし、タンスの奥の隠し部屋から出て来た四宮へ視線を向けた。
「主人の断りも無しに敵に塩を送るなんてね」
「……会計くんからのお願いですよ」
「石上君の?」
「出来れば、真っ当に選挙へ挑める状態にして欲しい……と」
「……はあ、貴方は誰の味方なのかしら?」
「かぐや様ですよ。それに変わりはありません。……知っていますか? 人は盛り上がりや展開の“幅”により心動かされる生物です」
もし伊井野が『今まで通り』で選挙へ臨んでいたのなら、今まで以上に酷い演説を発し盛り上がりを最低限に下げた後、石上のお願いによって白銀は彼女を救うやり方をしていただろう。
そこから盛り上がろうモノならば人は大きく心を動かされる。そういう“補正”により、億が一と言えど選挙に負ける可能性はあった。
だからこれは、伊井野を救うと同時に“もしも”の可能性を先回りして潰し、白銀が生徒会長になる可能性を高める『四宮の為の行動』だ。
「私は予想外の手を予め潰し、真っ当に相手取る機会を作ったに過ぎません。正当に行けば白銀会長へと戻る事は間違いありません」
「……貴方が私の代わりに伊井野さんへ取引すると言った時はどういうつもりかと思ったけど、貴方なりに考えがあったのね」
「ええ。とは言え、油断すればそれが容易くひっくり返ります。……まあ、かぐや様と白銀会長に限って“負ける”などあり得ないでしょうが」
「相変わらず意地が悪いわね……いいわ」
四宮は溜め息一つ、「リスクを高めるよりも言い訳の余地なく勝つ方が現在ならば良い判断」だと決める。が、それはそれとして気になる点が一つあり、本心から疑問を浮かべて問い掛ける。
「しかし意外ね、広瀬くんの件。早坂は話さないと思ったのだけれど」
「……そうですか?」
「ええ。早坂は自分が有利だなんて言ったけど、アレは条件をフェアにしたのと……」
と、そこまで言い掛け、何かに気付いた様に数秒の思考。後に薄い笑みを浮かべ、「なるほど」とニヤニヤを続ける。
「随分と毒されて来たわね、早坂も」
「………」
どちらの意地が悪いのかと、早坂は赤く染まりそうな頬を見せない様にそっぽを向き、無表情を取り繕う。数秒の沈黙を経て、早坂は空気をリセットさせる咳き込み一つ、「それ以上に」と言葉を続けた。
「最近
「……?」
今度ばかりは意図も掴めなかったのだろう。キョトンと目を開いて疑問を浮かべる四宮を見て、早坂はふと微笑んだ。
「青星くん」
「ん?」
「まだ、多少気に掛かる部分はありますが……」
早坂は一度目を閉じる。
伊井野との一件───蹴落とすのではなく助ける。自らが広瀬の事を好きでいる事を伝える。四宮からの命令ではなく、自らの判断によって嘘偽りなく起こせる行動。今まで他人に決して見せることのなかった本心の自分を曝け出した事を振り返り、早坂は笑みを浮かべながら言葉を紡いだ。
「演じずに自分を見せられるのは、案外楽しいものですね」
「───だな」
人は演じないと愛して貰えない。演じる事でしか愛を与えられない。……広瀬に関しては演じても無駄だからという理由で仕方なしに本心を出し続けていただろう早坂の、自ら演技を外した事への嬉々。
何があったのかは分からない。何を話していたのかは気になるが、問い掛けても恐らく答えは返ってこないだろう。でも早坂が自主的に演技を外し、本心を伝えた事に僅かながらにも嬉々を覚えたのであれば、それは広瀬にとっても喜ばしい事だ。
演じなくても良いと思ってくれる。……それを本心から言う早坂に、広瀬はゆったりと目を閉じて微笑んだ。
「これからも、宜しくお願いします」