今回は約11000文字!
ではどうぞ!
「……えーと、つまり」
広瀬は目を瞑り、若干呆れた様子を見せながら言った。
「異性の同級生と出掛けた事ないから、注意する所があったら教えてくれ……と?」
「うむ、そういう事だ」
「そっかそっか、なるほど」
───心底メンドくせぇッ! ……と。
一週間のうちの学園がある五日間。その最終日たる金曜の放課後、広瀬は白銀に呼び出されて生徒会室に赴いていた。
ラインで直接話したいからと呼び出されたはいいが、この程度ならばわざわざ放課後の生徒会室まで待たなくとも、昼休みとかの休憩時間に教室で話す方が良かっただろう。
他人に聞かれるのは恥ずかしいと女々しい理由なだけに、本能的に面倒な気持ちが勝った。
幸い本日は仕事がないので、そっち方面への影響はないのだが……。
「それなら、意識変化はそこまでしなくてもいいかもな」
「普段通りの俺でいいと?」
「寧ろそうじゃないと変な誤解されるぞ」
「う……んむ……そう、だな」
返事を渋る白銀の反応に、広瀬は若干ジト目となる。
(四宮相手ならばそれもアリだけど、それはそれで頭脳戦に於いて不利になりそうだからここは同意しとこう……って考えか。多分)
一文一句間違いなく思い当てた。
彼ら……白銀と四宮は確かに天才だ。流石秀知院学園でトップ2を誇る成績を維持してるだけあると言えるだろう。
だが、それはあくまで頭脳の出来が通常よりも上というだけ。実際浮かべる思考というのは、広瀬が今まで視て来た人物と然程変わりはない。
表面上は兎も角、内面の感情はかなり素直な人種だ。寧ろ普通よりも分かりやすい程である。
最初こそ「天才達の対応はムズいかな……」などと思っていたものだが、いざやってみれば簡単なものだ。
内面が分かりやすいからこそ、表面上ももう少し素直になれば良いとは思っているが。
「あ、でも───」
「こんちゃーっす」
続きを紡ごうとする広瀬の声は遮られ、二人の耳には男子生徒の声が届く。
白銀は普通に挨拶を返し、広瀬は声の主が気になり振り返る。
そこには、片目が前髪で隠された少年の姿。
「……よっ、優」
「青先輩じゃないっすか。何で生徒会室に?」
気軽に笑みを浮かべて話しかける広瀬に、少々驚いた様子ではあるが同じく気軽に話しかける。
二人の『知り合い』といった様子が気になったのだろう。白銀は問いかけた。
「なんだ、二人は知り合いだったのか?」
「ええ、まあ。中学の時の件で自分のメンタルケアに当たってくれまして……」
「なるほど、納得だ」
白銀は頷く。
石上は二人を見つめ、疑問を浮かべる。
「お二人はなぜ一緒に? 会長は特にカウンセリングとか必要ないように見えますが」
───中間試験時とか体育の授業とか割とケアが必要な場面は多々あったが。まあ石上の言う事も間違いではない。
あくまで身体的・運動的な救助だ。現在の白銀にカウンセリングが必要かと言われればNOである。
石上は流石に“視れる”広瀬ほどではないにせよ、他人には敏感だ。石上自身のネガティブ的思考もあって考える事は大体マイナス方面だが、こういった“疲れてる”“疲れてない”の話程度ならば普通に考えられる。
石上が問うと、広瀬はヘラヘラと笑って答えた。
「ああ、白銀が『異性と出掛ける時の注意点』について聞きたいんだと」
「……へぇ。会長、へぇ……?」
「おい広瀬ワザとだなッ!?」
青春ヘイト───即ち「リア充爆発しやがれ」の思考を抱く石上を前に、「異性と出掛ける」は
確信犯だなと詰め寄る白銀に、広瀬はそっぽ向いて舌先を少し出して「何のことだか」という体を装う。
「あー会長もリア充入りかぁ……生徒会爆発しねぇかな」
「リア充の存在する空間をそこまで嫌うか!? いやそもそもリア充ではないんだけどなっ!」
「そうだぞ石上。女子二人の男子一人ならデートな訳ないだろ」
「3Pっ!?」
「ちげぇよッ!」
「うそ、
そんな白銀を見て、広瀬は鬱憤を晴らしたかのようにいい笑顔で言葉を紡いだ。
「んで、さっきの話の続きなんだがな」
「いい笑顔で話しやがる……」
恨みがましく見つめる白銀の呟きはサラリと無視し、広瀬は彼に近付いて髪をサラリと撫でる。
「内情的な意識を変化させる必要はないけど、外見的に変化させるってのはアリだと思うぞ」
「……それは意識の変化と然程変わりないと思うのだが」
「んー……その意見も間違いではないかな」
「実はそうでもないぞ」という言葉こそテンプレなのだろうが、生憎と事実は事実。変にでっち上げる必要など皆無なので、その通りだと頷いた。
「優、中二以前の写真って持ってるか?」
「すみません、自分中二病を患ったことは無いんで……」
「ごめん言い方が悪かった。中学二年以前の写真な」
白銀への説明の為、身近にいる『元カウンセリング対象』たる石上に声を掛ける。
広瀬のそんな言葉に「近所の犬に噛まれてる時ので良ければ」と目の前に写真が映し出されたスマホが置かれた。
何故この様な状況に陥ったのか非常に気になる場面ではあるが、白銀への説明を優先としてグッと言葉を飲み込む。
「白銀の言う通り、外見的変化は内心的変化にも結構影響はある。写真の優は髪が短めで……印象としては普通に爽やかな青少年って感じだろ?」
「まあ、そうだな」
「実際そうだった。でも今の優はどうだ?」
「塞ぎ込んでる様な、すっごい暗い感じだと思うが」
「会長に『オブラートな言葉で包み込む』という知識は無いんですか?」
長い前髪は片目を隠しており、雰囲気的にもかなりネガティブ。
とはいえ、どストレートでストライクな発言には流石に心を抉られるだろう。弱々しく意見する石上に、広瀬は慈悲なく「まあ実際そうだしな」と追い討ちを掛ける。
「そうする様に言ったのは俺だけどさ」
「……外見と、意識変化もか?」
「カウンセラーとしてはなるだけストレスは与えない様にしたかったんだが……発散させると逆に壊れる可能性もあったから。だから敢えて塞ぎ込ませた」
事件が発生した後の石上の精神状態を考えると、確かに発散させるのが正しい方法だった。
だが当時の石上は『このストレスを失くしたい』と考えると同時に『ストレスとなった原因の排除はしたく無い』という矛盾を抱えていた。
発散させれば石上が抱くストレスこそ解消出来るが、そのストレスの原因を見放す事で結局壊れてしまう。
いっそ事件で「誰も信じられない」状態に陥れば寧ろ楽なまであったのだが……。生憎と、石上 優という少年は優しすぎた。
詳細こそ白銀には語らなかったものの、メンタルケア当時を思い出した広瀬は「手間が掛かる可愛い後輩だ」と呆れた笑みで石上を見て、目を瞑る。
「この話で重要なのは、主観と客観だ」
石上自身の過去話は断ち切り、次の説明段階へと移り変わった。
「外見は人の印象を決める重要なファクターだ。その後の関係に関してはそれぞれの性格に反映されるけど……明るそうな雰囲気と暗そうな雰囲気、どっちが話し掛けやすいと思う?」
「それは……当然、明るい方だが」
「だよな? まあもちろんこれは第一印象の話であって、ある程度仲が良くなった友人相手だとまた別になる。でも『初めてあった人』と『それなりに仲良くなった友人』にも実は共通点があってな。分かるか?」
人とは「教えたい」という欲求や「質問形式で答えたい」という欲求が自然と現れる生物である。
無論個々によってそれは大きく異なるが、広瀬も例外ではなかった。
ワクワク顔で問い掛ける広瀬。
対して、ひっかけ問題の様な一癖ある問題には然程強く無い白銀と、それなりに仲良くなった友人の定義がそもそも分かってない石上は悩む。
『初めて会う』と『それなりに仲が良い』では大分差が出るものだ。
その差があろうと存在する『共通点』。
こういう系の問題なら藤原は強そうだなと密かに広瀬が思っていると、白銀が突如として気付く。
(なるほど……広瀬が放った1つの台詞そのものを問題として捉えていたが、思えばこれは『俺が四宮・藤原と出掛ける際に注意すべき点』という話の発展上に起こった問題。国語の文章問題みたいなものだ。そういったモノには会話の中に必ずヒントがある……)
腐っても秀才が集う学園のトップを担う男。「『初めて会う人』と『それなりに仲が良い人』での共通点」という言葉のみを問題として捉えていたが、そもそもこの問題は白銀の相談そのものが発展した末の会話だという事に気付いた。
つまり、広瀬の出した問いが文章問題だと仮定すると『今までの会話全てが文章』になり、その中にヒントが紛れ込まれている事になる。
文章中から引き抜き出しなさいという問い掛けならばいっそ楽な問題なのだが、共通点で考えると文章だけに絞らず推測までもが答えの対象になり得る。
試験で一位を維持する為に幾度と無く繰り返した勉強……その経験上、白銀は『最も高い可能性』を見出した。
(仮に会話の中で答えを出していないのだとすると、答えを導き出す為のヒントは『問題と直接関係してる文の直前』に書かれている事が多い。つまりこの問題に於いてのヒントは恐らく……『主観』と『客観』)
1つ1つのピースを繋げて論理的に解いていく白銀は、完成までの道をイメージして笑みを浮かべた。
(なるほど、『仲の良い友人』とは言わず『それなりに仲の良い友人』と付けたのは……)
「答えは───」
「ああ、『知らない』ですか?」
……白銀の浮かべた思考。『仲の良い友人』とは言わず『それなりに仲の良い友人』にした理由は、受けた側の『納得のしやすさ』だ。
何の納得かと問われると、石上の答えの通りである。
同じ答えを用意していた白銀は、一歩先に答えを言った石上にギギギっと視線を向けた。
白銀は若干ドヤ顔気味だっただけに先に言われて微妙な表情を曝け出している。
「ほう? その答えに至るまでの過程は?」
「いや……だって人間なんて、誰だって隠したい秘密の一つや二つ存在するでしょう。それなり程度の友人なら尚更じゃないっすか。だったら自然と知らない事は必ず存在している。初めて会った人なら当然知らない事だらけ」
「んー、人間の根本的性格まで出されるとネガティブ感凄いんだけど……まあ正解。……どうした白銀?」
「え? ああいや……何でもない。俺も大まかには石上と同じ考えだ」
石上の言葉に気圧されて存在感が薄くなっていた白銀だったが、広瀬が気にかけるように声を掛けると、ワザとらしく咳をしながら同意を示す。
そして先程浮かばせた考えを口に出した。
「ついでに言えば広瀬、多少心理学を交えたな?」
「おぉ……そこまで気付くか。あくまで分からなかった奴を納得させる為のものだから、別に気付く必要は無かったんだけど」
「心理学っすか?」
どっちも理解したのなら説明する必要はない。
だが興味を示す石上の視線に、広瀬は頬を掻きながら答えた。
「例えばだ、優。コップに水を多く入れてくれって頼まれたらどの程度まで注ぐ?」
「多くって言われたら……持ち運んでもギリギリ溢れない程度に」
「なら、“少し”多めに入れてくれって言われたら?」
「……なるほど。意識的なハードルの高低差って事ですか」
「正解」
人差し指で「その通り」とジェスチャーし、広瀬は続きを紡いだ。
「もし『仲の良い友人』とだけ言えば、相手は「えー、一般的にはそう思えないでしょ」ってなる可能性があるだろ? だから納得し易くする為に、“それなりに”を付けたんだ」
そうする事で、仮に「そんなん分かんないぞ」と言われても「それなりに、だからな」と付け加える事で相手に「何故仲の良い友人という言葉にしなかったのかという意味を考えなかったお前のミスだ」と突きつける事が出来る。
直接的にそう言わずとも、「まあ、確かに……」と問題文そのものに疑問を生じさせなかった相手自身にそうかもしれないと思わせる事が出来るのだ。
『仲の良い友人』とだけ伝えて言い訳がない場合は相手は納得しないだろうが、「“それなり”と付け足してるんだから意味があるに決まってるだろ」と言ってしまえば相手にも納得の余地はある。
とは言え石上の言う通り、『仲の良い友人』だったとしても隠したい秘密の一つや二つは必ず存在する。“それなり”の付け足しが無いとしても、別に答えは変わらない。つまりタダの保険に過ぎないのだ。
心理学と言っても、『納得出来ないか』『納得出来るか』の些細な違いに過ぎない。問題そのものへの影響はほぼゼロである。
(咄嗟に保険まで思いつく辺り、こいつも秀才だよな……)
元々触れていたからという影響もあるのだろうが、即興でしっかり論理的にも成り立つ問題を作り上げた広瀬に、白銀は感心するよう舌を巻いた。
「んで、これがさっきまでの話と何が関係するかって事だけどな」
「ん……ああ」
そういえばこれ、元々は外見的特徴と自意識の話だった……と、思い出したように白銀は頷く。
脱線した事に、笑みを浮かべながら申し訳ないように両手を合わせつつ、続きを紡いだ。
「それなりに仲が良くても知らない事はある。でもそれは、別に本人が隠してる訳ではなかった。つまり周りが知らないだけで、その正体は当たり前の自分でしか無いという場合なら?」
「自意識が変化せずとも周りからの印象は変わる、か。……しかしだな、広瀬。俺は平日と休日とで大して変化させる事は無いのだが」
「……今時の男子高校生にしては堅すぎるよな、お前」
普通ならば髪型やら服装やらアクセサリーやらと、相手からの印象を変える手段を何かしら思案するだろうに……と。
広瀬は可哀想な人を見るかの様に白銀を見つめる。
そんな広瀬の意見に、石上は「えっ」と驚いた様に零して言葉を紡いだ。
「自分も服装以外は大して変えたりしないっすよ、青先輩」
「ホントお前らって……いやうん、まあ着飾らない高校生も少なくはないしな」
仕方ないかと一息吐き、紡ぐ。
「この後暇か、白銀?」
「……一時間程度ならば」
バイトが入っていたのだろう。帰宅時間を含めて『一時間』と言った白銀に、広瀬は視線をズラして思考する。
頭の中で計算を行い、「よし、いける」と頷いて立ち上がった。
「なら白銀、今から
「え?」
「髪のセットと服くらいは見繕ってやるよ。……あ、ついでに優もやってやるけど、どうする?」
「あー……ご厚意は有り難いんですけど、遠慮しときます。この後用事あるんで」
最新作のゲームが良いところでストップしてるので早く再開したいだけである。
だが用事は用事。嘘ではなく本音。何となく察してはいるが、本人が遠慮するならば広瀬も無理強いするつもりはない。
スクールバッグを持って立ち上がり、白銀に声を掛けた。
「ほら、さっさと行くぞ」
「い、いや、俺に美容室と服屋を回る余裕はないのだが……」
「
予約制が定着してきた今、チェーン店だろうが個人店だろうか殆どは飛び入りでお願いする事は出来ない。
普段床屋で髪を切ってる白銀からしたら別時空の話である。
「出血大サービスだ。今回は
その言葉を最後に、広瀬は白銀の腕を引っ張って生徒会室を出て行った。
静寂が訪れ、夕日が照らす生徒会室。
石上は一息。パソコンを閉じて立ち上がる。……と、扉を開く音が耳に届いた。
「あら……石上くんお一人ですか?」
その音と同時に流れ込んできたのは、四宮の声。
帰ろうとした矢先の四宮の声音に若干肩を跳ね上げつつ、石上は返事を返した。
「あ、はい。会長なら先に……」
「……? カップが三つありますが、他に誰か?」
「青先輩です。会長を連れてったのもあの人ですよ」
「青先輩……?」
「ああ、多分広瀬くんの事ですねー」
四宮がソファの前のテーブルに置かれたカップを見つけて疑問を抱くと、石上は律儀に答える。
だが二人称の対象が分からなかった四宮が再度疑問を浮かべると、扉の奥から藤原が答えた。
四宮へ当たり前の様に話し掛け、四宮も当然のように返事をしている辺り、恐らく来る途中でお手洗いに寄っていたのだろう。そこまでは一緒に居たと推測できる。
が、石上とて学習する男。そんなホイホイ思った事を口にする筈が無い。
「石上くんと話してる所を偶に見かけるんで、そうだと思いますよー。石上くんが名前を覚えてる人って限られますしね!」
「石上くん……」
「あの、哀れむ様な視線はやめて下さい」
若干引き気味に哀れむ四宮の視線に心を抉られるも、この程度ならば耐えられる。
石上とて成長する男だ。そんな易易と逃げたりする筈もない。
「でも、広瀬くんが会長を連れ出すというのは珍しいですね?」
「そうかしら? 彼、割と場を引っ掻き回すのがお好きな様ですから……」
シガレットの件を根に持っているのか、若干納得のいかない表情で言い放つ四宮に、石上は同意した。
「ああ、確かに四宮先輩の言う通りっすね。先程も僕を誤解させる様に会長が異性と出掛ける、なんて言ってましたし」
「え、それってデートですかッ!?」
(で、デート!? 会長が、誰と!?)
……ホイホイと思った事を口にする筈もなく、易易と逃げる筈もない。
が、コミュニケーション能力で欠点ランキングベスト3に入る『言葉足らず』な所は変わっていなかった。
「いえ、異性は二人いるそうなんでデートではないかと……」
「3Pっ!?」
「さん……ぴー……? 石上くんがやっているゲームに時折出てくる3Pですか?」
「ん〜意味的には惜しいけど内容的には遠い! ヘイSiri、『3P 性行為』で検索!」
「せっ───三人で致すという事ですかッ!?」
───あ、ヤバい収集つかなくなりそう。
石上は察した。これは藤原が変に盛り上がって四宮も混乱するパターンで、最終的に自分のメンタルが破壊されるのがオチだと。
「あ、あの」
言葉足らずな自覚をしてなかった自分のミス。これは己が収拾すべき事態だ。
石上が声を掛けると、四宮は常人では認識不可能な歩法によって彼に近づき、間合いに入った瞬間胸ぐらを掴み上げる。
「どういう事ですか石上くんッ!」
「ぐぇッ────くるっ、はな……し」
やっぱりこの人ベテランの暗殺者なのではないのだろうかと、この場ですべき思考でない筈の事をパニクった頭は思い浮かべた。
藤原は藤原で「えーっ、えーっ!」と喚き、神って爽やかになりながら挨拶を交わす「俺、一皮剥けましたよ」的な白銀を思い浮かべながら顔を赤くする。
止める者はもういない!
石上は逃げられない!
藤原の妄想は止まらない!
四宮はどの様な手段で相手を特定し尋問を施すか考える!
だんだんと瞳から光が消えてく四宮に、石上はついぞ耐え切れずに叫んだ。
「そんなに気になるんだったら明日尾行すればいいじゃないですかッ!」
「え?」
「……明日?」
ポク、ポク、チーン……と。
異性二人───四宮と藤原。
明日───喫茶店に行く予定。
突如膠着した空気になったその場で、石上は恐る恐る目を開ける。
その視界に映るのは、先程までの姿が全く垣間見えない無表情で資料を整える四宮と、「オチとしては5点ですよ、石上くんはシナリオ作りに向いてませんね。ペッ」と唾でも吐きそうな表情でカップを片付ける藤原。
場に一人よく分からないまま取り残された石上は、「やっぱ怖いこの人」と言いたげに恐怖を浮かばせながら早足で生徒会室から出て行った。
「何か要望の髪型はあるか?」
「……いや、ないが」
鼻歌交じりに機嫌良く準備を進める広瀬の言葉に、白銀は若干の困惑を浮かべながら答える。
秀知院学園高等部から僅か徒歩7分。広瀬は己の家に白銀を招いていた。
一人暮らしにしては大きすぎる一軒家。てっきりアパート住みかと思っていた白銀は唖然とする。
居間、キッチン、洗面所、風呂場、自室、御手洗い、空き部屋三つ……。何ならルームシェアでもするべき物件だった。
「要望がないなら……軽めに髪を立てたりするくらいでいいか」
時間は大体一時間程度。バッサリと変えるとなると慌てて失敗しかねない為、取り敢えずは髪を立てる程度にしとくかと、広瀬は棚を漁る。
その手に持っているのは、ヘアカット用のカミソリ。
「多少髪を軽くするだけだから、見た目は大して変わんないぞ。……だから未知の物を見るかの様な目でこっちを見るな」
「いや、うむ……道具に関しては見た事もあるのでそこまで気にしないのだが……。広瀬、出来るのか?」
「出来なきゃ言わねーよ。……じゃ、さっきの話の続きでもしながら進めるか」
広瀬は目を瞑って一息。
懐かしげな表情を浮かべつつ、白銀の髪を霧吹きで濡らして言葉を紡いだ。
「人には主観と客観がある。自らの視点と相手からの視点。つまり二種の“自分”って事だな」
けど、と一回間を置く。
「偶にいるんだよな。主観を持たず、客観だけで自分を確立する奴が」
「……そうだな。よく言えば自分を客観視出来る人だが……悪く言うと、自分に自信がない人だ」
「ま、別に悪い事じゃないんだけどな。自分にめっちゃ自信がありますよーって人は寧ろ稀だ。ただ……自分に自信がないからこそ、些細な事での影響は大きい」
白銀の髪の毛(トップ)を引っ張り長さを確かめる。
大体立たせる為の目安を決めて指の間に挟み、レザーカットを始めた。
「そんな奴が、他人から良く思われてなかったとしたら……どう思う?」
「己に自信がないのなら、容易く傷付くだろうな」
「ああ。だから自然と、カウンセリングの対象は『自分を嫌う人』になりやすくなる。……自分に自信がないと、「傷付いたのは今の自分のせいなんだ」ってなっちゃうからさ」
手際よく、丁寧に。
ある程度長さを整えると、広瀬はヘアカット用のカミソリを仕舞ってドライヤーを掛ける。
生暖かい風が流れる中、広瀬は紡いだ。
「だからそういう人ほど、“外見”の変化と“意識”の変化は混ざりやすい」
「……俺にオススメした“当たり前”とは、また別のパターンか」
「ああ。主観では変わらないけど、客観的には変わった当たり前のパターン。それとは違って、今回は主観的にも客観的にも変化するパターン。ややこしくて悪いな」
苦笑し、乾かせる為に吹かせていたドライヤーの風を僅かに弱め、今度は形を整える為の強さに変化させる。
髪を何段階かに分ける様、少しずつ間を作って髪にボリュームを持たせていく。
「人の心情が最も変化しやすいのは外見を変える事。自分に酷く影響を齎した時の外見から離れる事で、その“影響”から遠ざける事が出来る手段だ」
「なるほど、だからか」
「ああ。最も遠ざける事の出来る手段は持っておくべきだと思い、習得したんだ。つっても、資格とかは持ってないけどな? 俺がそう思ってるだけで、他のカウンセラーが出来るとも限らないし。……さて、取り敢えずワックス無しでも整えられる感じにはしたけど……どうだ?」
ドライヤーを止め、少しだけ調整し、目の前の鏡を見る白銀に問い掛ける。
白銀は目の前の鏡を見て「アリだな」と思いつつも、広瀬の『全体的な束感』のある髪型を見て悩む。「ゆるふわな感じもいいけど、束を作って爽やかな感じにもしてみたい」と。だが「特に要望はない」と答えた以上言い出すのは少し渋ってしまい、悩む振りを続ける。
が、当然広瀬は見抜く。
白銀の思考を理解して苦笑し、「あくまで自分からの意見」だとお勧めする様に言葉を紡いだ。
「どうせだし、束も作ってみるか? 色々試した方が何にしたいか決まりやすいと思うしな」
「そうだな、では任せる」
「りょーかい」
広瀬は棚から幾つかワックスを取り出し、ハードでツヤのある感じに固めるか、若干マットな感じにするか悩み、自分の髪を見たのを思って普段自分が使っているタイプのワックスだけを取り出した。
人差し指で掬い取り、左の掌に乗せ、霧吹きで水を掛けて両手全体に馴染ませる。
ある程度型が出来ている髪なので、全体にバラつく様適当にワックスを塗りたくった。
「……かなり適当だが」
「そりゃある程度は完成してるし、変に丁寧にやるよりかは適当の方が良いよ。どうせ後々整えるしな」
言葉通り、全体的にワックスが行き届いた為、広瀬は束の向きや立ち具合を調整し始める。
アイロンをやればもっと綺麗な形には出来るのだろうが、時間は掛かるし手早く済ませたいならワックスだけで充分だ。あまり髪が長過ぎなければワックスのみでもそれなりに整えられる。
左流れになる様にし、最後にスプレーで固定すれば───
「よし、完成」
「おお……っ」
真正面、横向き、ポーズ。色々なアクションを取って自分の姿を見る白銀に、広瀬は以前までとの印象の違いを口に出す。
「元々はぺたんとした髪だったからな。立ち上げるだけでもかなり印象が変わるだろ?」
「ああ。なるほど、女子だけでなく男子もオシャレに気を遣う理由が分かった気がする……!」
目付きが悪いのが気にならない。何なら寧ろそれこそが良いアクセントになってるのが気に入ったのだろう。
うんうんと頷く白銀に、広瀬は肩を竦めて白銀の腕を引っ張って行った。
「じゃー次は服装だな」
「え、いや、そこまでして貰う訳には」
「圭から聞いたぞ、絶望的にダサい服しか持ってないって。初夏に入って若干暑いんだし制服は重いだろ。貸してやるからそれ着てけ」
「……何故、そこまでしてくれるんだ?」
何故圭からそんな話を聞いているのかとか、絶望的にダサいというのに物申したいとか、サイズは大丈夫なのかと聞きたいことは色々あるが、まず一つ。
友人とは言えここまでしてくれる事に疑問を覚えたのだろう。そう問い掛ける白銀に、広瀬は笑みを浮かべて答えた。
「そうだなー。強いて言うなら、今は結構機嫌がいいからだな」
一切の偽りもない本心の笑顔。
本当に機嫌が良いのだと思わせるその笑顔に、白銀は苦笑して納得した。
「あ、でも次回からは有料な」
「……機嫌が良いのならば最後まで良心的であって欲しかったぞ、広瀬」
「友達だからってサービスし過ぎないのも良心だと思うけどな」
悔しそうに、でも笑う白銀のそんな言葉に、広瀬も笑いながら肩を竦めた。
その後は「変に衒うよりかはシンプルな方がいい」「中身が良いなら尚更な」という広瀬の言葉通りに、白銀は柄が派手じゃないTシャツに薄めの上着と、言わゆる『爽やかコーデ』にする。
シンプルに白と黒で形成されたファッションは、広瀬が思わず「おぉ」と零すほど似合っていた。
やっぱ“着る人が誰なのか”って大事だよな……と、男としての敗北感を覚えるも、まあ別に良いかと思う。
割と時間がギリギリになった為に白銀は広瀬に礼を言いつつ急いで家から出て行き、広瀬は見送って家の中に入って行く。
画面の消えているスマホを開き、先日に送られてきたメッセージを見た。
『今週の土曜日にかぐや様と会長が一緒に出掛けるそうです。ついでに書記ちゃんも。念の為に護衛として隠れて着いて行きますが、青星くんも如何ですか?』
「……さて、俺も明日の準備をしとくか。その前に片付け」
そんな早坂からのメッセージを見て、一人笑みを浮かべる。
散らばった服装や削いだ髪を広瀬は鼻歌交じりに片付け始め、翌日の服装はどうしようかと悩み始めた。
───本日(?)の勝敗
広瀬の勝利(護衛兼尾行の名目ではあるが、好きな人と出掛ける約束が出来た為)
〜〜オマケ〜〜
「……へー、へえ! お兄ぃがお洒落なんて珍しいじゃん。まあ悪くないんじゃない?」
「お、圭ちゃんもそう思うか? まあ一回洗い流さなきゃなんないし、明日は自分でやんなきゃだけどな。どうやるかの手順は覚えたし大丈夫だろ」
「……それ、誰にやって貰ったの?」
「ん、広瀬だが」
「有料でも良いから明日も頼んで広瀬先輩にやって貰って」
「ず、随分と圧かけて言うな……」
「お願いだから四宮先輩に恥晒ししないでっ、私が恥ずかしい」
「そこまで言うか……?」
「自分でやると言うなら私がお兄ぃをぶっ飛ばす」
「そこまで言うかっ!?」
文化祭編(中等部鑑賞)で圭ちゃんが「むしろ頭はまだ取り返しが付く方だからいじらないで」って言ってたの思い出したから、多分会長は自分でワックス付けたら大変な事になる……。
広瀬、会長への訓練確定。