身に纏うは紺の鎧。その手に握るは必殺の魔槍。神代の大魔術師を前にして堂々と立つその後ろ姿は、見紛いようもない。ケルト神話最大にして最強の英雄————ランサーだ。
「ほらよっと」
何らかの魔術か。淡い光が俺とイリヤを包み込み、傷付いた身体を癒す。動かなかった四肢が、辛うじて動けるようになった。
「坊主の方は大丈夫そうだな。そっちの嬢ちゃんは、まだ生きてるかぁ?」
「っ! イリヤ!」
少女の身体をゆっくりと起こす。
「だい、じょうぶ……」
呼吸は弱弱しいが、命に別状は無さそうだ。けど、分からない。どうして————
「……何の用かしら? ランサー」
苛立ちを込めてキャスターが問う。その怒りを飄々と受け流しながら、ランサーが答える。
「ハッ、いけ好かねぇマスターからの指示だ。『“おやびん”のマスターが命の危機に瀕した時、全力を持って守れ』ってな」
「おやびん……? もしかして、あそこで無様に転がってるサーヴァントの事を言っているのかしら?」
キャスターが疑問符を浮かべる。—————アイツを“おやびん”何て呼ぶ人間を俺は一人しか知らない。まさか、ランサーのマスターって……⁉
「つっても、アイツは別に令呪をもって命じた訳でもねぇし、あのオレンジ色のバケモノは存在自体が気に食わねぇ。っつー訳で、そのマスターになってる小僧がどうなろうが、五体満足なうちは放っておこうと思ったんだけどよ」
ランサーが、ちら、と真紅の瞳で俺を一瞥する。それは、あの日の夜とは全く別の、何処か、親しみを持った眼差しだった。
「女子供を守る為、命を棄てて絶対に勝てねぇ敵の前に立つたぁ、見上げた根性だ。その上ひよっこ魔術師の癖に、曲がりなりにもサーヴァントの攻撃を三度も防ぎやがるとはな……。女を守る為に強くなる男は、好きだぜ。つい手を貸しちまう位にはな」
なんという、自分勝手で、だけど、どこまでもサッパリとした理由だろうか。この男は、オレの事が個人的に気に入ったからという、理由にもなっていないような理由で助けてくれたのだ。
「—————まぁ、どうでもいいわ。貴方を倒すのは少しばかり手間ですが、邪魔立てするのならば纏めて消し去るだけよ」
キャスターが、再び数多の魔方陣を展開する。十、二十……そのどれもが、バーサーカーさえ殺しうる大魔術ばかりだ。しかし、
「ハッ」
ランサーが鼻で嗤う。次の瞬間、俺達に照準を向けていた数十の魔方陣、その全てが
派手な爆発が起こる訳でも、魔力同士の激しい衝突が繰り広げられた訳でも無く、ただ、あるべきものがあるべき形に還ったような、そんな、自然な消滅。
「⁉ 小癪な……!」
キャスターが再び魔方陣を展開するが、何度繰り返そうとも、数を増やそうとも、やはり悉く霧散してしまう。これは—————
俺は、この現象を知っている。幾度となく体験した事がある。あの蔵で毎晩、生死の境を彷徨いながら。
「魔術を……
「おう、ご名答。中々鋭いじゃねぇか」
ランサーが嬉しそうに声を上げる。けど、キャスタークラスとしてサーヴァントになるほどの魔術師が、なぜこんな時に……?
「分からねぇか? 小僧。ヒントは、まぁキャスターの魔方陣をよく見てみるこったな」
よく見てみろ、だって? ランサーの言葉に従い、魔方陣を注視する。紫に光る複雑怪奇な文様の中に、小さな、それこそしっかり注視しなければ見落としてしまう程小さな、赤い文字が刻まれていた。
ランサーの仕業なのか? けど、何の意味が————
「おのれ……ランサー! 私の魔方陣を『不完全なもの』にしたな⁉」
「オイオイ、人聞きが悪いな。オレは出力をちょいとばかし弄ってやっただけだぜ。発動さえ出来れば物凄い魔術が放てるだろうさ。つっても、
不完全? 許される? 一体何を話してるんだ……?
「————世界の修正力」
イリヤが、唐突に口を開いた。
「何が起こってるのか分かるのか? イリヤ」
「うん。聖杯戦争で必要になるからって、おじいさまに教わったの。
***
この世界には、二つの理が存在する。『神秘』と、『物理法則』だ。
現代においては物理法則が世界の中心となっている為、神秘はその在り方に大きな
例えば魔術の失敗とは、その『結果』を生み出す代償として十分な魔力、生贄等を差し出さなかったが故に
又、強大過ぎる神秘は、物理法則が支配している現世界を脅かすものとして世界から多大な修正力を受ける為、展開、維持するために強大さに比例した膨大な魔力が必要となる。
***
多分キャスターは、その『
成程。内包する神秘が極めて高い魔術を操るが故の弱点を、ランサーは突いているのか。加えて、常に先手を打てているのはランサーの使用する魔術の特性ゆえだろう。
キャスターの魔術は、ごく短時間とは言え『詠唱』を必要とする。それに対しランサーの使うルーン魔術は、文字を一つ浮かび上がらせるだけでいい。キャスターの詠唱速度は同じ人間とは思えない程早いが、ランサーと比べるとやはりタイムラグは発生してしまうのだろう。
だけど今ランサーが行っている芸当は、キャスターの行使する魔術の神秘が高い故に成立している。つまり、もしキャスターがあえて神秘の低い魔術を使ったなら———
「時代が悪かったなぁ、キャスター。この時代に呼び出されたテメェの運の悪さを呪いやがれ」
「……やるわね。けど残念、粗方貴方の弄している奇策のカラクリは分かったわ。——————貴方、まさか私が神秘の『格』を変化させる事すら出来ないとでも思っているのかしら?」
キャスターが魔術を展開する。さっきよりも
しかしランサーは、特に慌てるような事も無く、一瞬俺とイリヤに目をやる。
「まぁ、だろうな……ここに居ちゃマズイか。伏せてろ、坊主」
ランサーが指示と共に駆け出す。だが、遅かった。防御も何もしていない無防備な体に、キャスターの放った魔力弾が炸裂する。
「ランサー!!!!」
「フフフ。中々面白かったわ、ランサー。けど、最後は惨めだったわね。それこそ、打ち捨てられた駄犬みたいに」
キャスターが、勝ち誇るようにそう嘲る。
「
ランサーが、粉塵の中からその姿を現す。キャスターの攻撃をその身に受けたにも拘らず、その体には傷一つ付いていない。あの日の夜と同じく。
「何っ⁉」
キャスターが、驚きの声を上げる。
「いやまぁ、『ピチピチもっこり青タイツ』だの『ゲイ♂ボルグ』だのと比べれば可愛く思えちまうんだけどよ……」
対照的に、ランサーは落ち着き払った声で言葉を続ける。……いや、その節は俺のバカサーヴァントがご迷惑をお掛けしました……。
「……ヘラクレスと同じく、貴方も何らかの概念防御を有しているのかしら?」
「ご名答、『対魔力』ってヤツさ。いやぁ、便利な能力だなぁオイ。サーヴァントになってから色々と出来ねぇ事が増えちまったが、いい事もあるモンだ」
対魔力。遠坂が言っていた。セイバー、ランサー、アーチャーの三騎士は、一定以下の魔術を無効化するスキル、『対魔力』を有していると。ランサーに対し、生半可な魔術は意味を為さない。生半可ではない魔術は、世界の修正力を利用した技で掻き消される。ランサーは、まさしくキャスターの天敵だった。
「それより、キャスター。魔術の失敗ってのはその規模がデカイ程術者本人が受ける
「っ! ……そういう貴方だって、魔力消費や反動は相当なものでしょう。それも、キャスターではないランサーの体には」
「いやぁ、全然。魔力に関しちゃテメェが境内一杯に溜め込んだモンを使わせて貰ってるし、そもそも今オレは子供のお遊びみてぇな魔術しか使ってねぇからな。んで、テメェの魔術と違ってオレの魔術は文字そのものが力を持ってるからオレ自身とは独立してる。反動なんてあるはずがねぇ」
「くっ……おのれ! 貴方が用いている魔術、それはかの大神オーディンが創りし『原初のルーン』でしょう! その偉大なる魔術を斯様に姑息な方法でもって用いるのですか! 魔術師としての誇りは無いのかしら‼」
キャスターが激情のままにランサーを糾弾する。しかし、ランサーはそんな言葉などどこ吹く風。あっけらかんと、
「ねぇな、別に。オレはただの『戦士』だ」
そう答えた。
「何だと……⁉」
「……いや、オレだって出来る事なら真正面から魔術でドンパチやりたいぜ? 楽しめそうだしな。けど、悪いがオレのマスターは魔力が貧弱でねぇ。加えて、ランサーになるにあたって元々持ってた魔術回路が半分程消されちまってるんだ。仮にマスターを魔力が潤沢な奴に変えたとしても、大した魔術は使えねぇだろうさ」
……つまり、生前のランサーはあの神がかった槍術だけでなく、キャスターと撃ち合えるほどの大魔術をも行使出来たという事なのか。日本では余り知られていないけど、ランサーって実はとんでもない英雄なんじゃないのか……?
「—————そう」
ランサーの返答を受け、キャスターの声音が、冷酷なものに変わる。
「いいでしょう。ならば、出し惜しみせず、全力をもって貴方達の全てを消し去りましょう——————」
夜が明け、朝になった。
いや、違う。世界は未だ夜のままだ。けれど今、この場所だけは、昼間と変わらぬ明るさを持っていた。
天を仰ぎ見る。太陽に代わり俺達を照らすのは—————空を覆い尽くす、幾千もの魔方陣だった。
「な…………」
「え………………?」
絶句する。現代の魔術師を尺度にするのも莫迦らしいほどの、圧倒的な魔術行使。
これが、キャスターの本気。人の力など及ばぬ、天変地異の具現化。
最早、神にも等しい所業。戦う、なんて次元じゃない。抗う、なんて出来はしない。身体が、イリヤを抱えて勝手に蹲っていた。せめて、この子だけは—————
「嬢ちゃん!!! 令呪を使ってバーサーカーの拘束を解け!! んで防御に専念させてじっとしてろ!!!」
ランサーの檄が飛ぶ。その声で、俺とイリヤの止まっていた思考が動き出す。
「ハッ! 面白くなって来やがったぜ!!!!!」
そう言うと、懐から小袋を取り出し、中身を地面にぶちまけた。あれは、宝石だろうか。それら一つ一つが発光し、鼠のように素早く地面を這いずり回り始める。同時に、先程の技を使い、次々と魔術で埋まった空に大穴を空けていく。消し切れなかった魔術が降り注ぐが、
「■■■■■■■■!!!!!」
「よっと!!」
再起動したバーサーカーが斧剣でもって弾き、ランサーは軽やかに回避する。
「Όλα μαζί Σκοποβολή!!!!」
キャスターの爆撃は、スコールのように絶え間なく繰り出されていく。神罰に等しい大魔術を、予備動作も、長時間に渡る詠唱も、宝具の発動すら無しに行使し、大地を紙切れのように吹き飛ばしていくキャスターは、現代の魔術師が何百人束になろうが足元にも及ばない、神話の魔女そのものだった。
—————このままじゃ、ジリ貧だ。
ランサーの技によってキャスターの魔術の大半が無効化されているとはいえ、処理しきれない物だけでも凌ぎきるのはギリギリだ。未だにキャスターの位置は分からないし、このままでは物量差で押し切られてしまう。
「……負けないで、バーサーカー……!!」
イリヤが、震える声で自らのサーヴァントを鼓舞する。その言葉に、ランサーが応える。
「ハハッ、そんな悲しい声出すなよ嬢ちゃん、心配すんなって。—————さて、そろそろ見つかっただろ」
「え?」
ランサーがそう言うと、境内の至る所で一斉に爆発が起きた。
「くっ⁉ ……小賢しい真似を!」
「『上でド派手な事をして注意を逸らし、足下に仕掛けた罠に嵌める』なんていう素人戦法に引っ掛かるのは、余程の間抜けかバカだけだ。罠使うならもっと上手くやれよ、キャスター」
どうやら先程ばら撒いた宝石には、探知系の魔術が掛けられていたようだ。そして『罠』というのは、さっきから首領パッチが何度も引っ掛かっている空間固定魔術の事だろう。境内中に張り巡らされたそれらを、ランサーは即座に無効化したのか。そして、自由に動き回れるようにしたという事は————————
「うし、そろそろ終わらせるとするか」
ランサーが、音すら置き去りにする速度で飛び出した。キャスターはその姿を捉えきれないのか、今までの集中攻撃を、狙いを放棄した絨毯爆撃に切り替える。しかしランサーは必要最低限の魔術のみ無効化し、その猛攻をいとも容易く掻い潜っていく。
攻撃に指向性が無くなったことで俺達への攻撃も激しさが衰え、バーサーカーも俺達を守る事が容易になった。
だが、罠を全て無効化したとはいえ、キャスターの姿は依然行方知れずのままだ。一体ランサーは何処へ向かって————
直後、山門の付近で巨大な火柱が上がった。そこには、
「Άμυνα!」
防御障壁で身を守る、今までその実体を表す事の無かったキャスターの姿があった。
「この程度の魔術—————」
「動くな」
「ッ!?」
そしてキャスターの隣には———一瞬にして間合いを詰めた、ランサーが立っていた。魔槍の穂先を突き付けられ、その場で硬直するキャスター。
「バ、馬鹿な、どうやって……。私の認識阻害魔術は完璧だった筈……」
「ハッ、山門の近くに罠を張り過ぎだ。それも、仕留める類のモンじゃなく、動きを止める類のモンばかりな」
……確かに、さっきから首領パッチが何度も罠に嵌っているが、直接攻撃を加えるものは一つも無かった。そして、アイツがさっき走り回っていたのは……山門付近だ。
「バーサーカーの戦闘能力を削れるだけ削り、撤退させた所で動きを止め、テメェの『宝具』で支配下に置くつもりだったんだろうが……罠の配置をもっと均等にすべきだったな。どこら辺にいるのか、容易く見当がついちまう。んで、およその位置さえ分かっちまえば、そこからテメェを炙り出すのは簡単だ」
どうやらランサーは先程放った探知系の魔術と同時に、姿を晦まし続けていたキャスターの居場所までも発見し得る程高性能の魔術を刻んだ宝石も放っていたようだ。……戦神オーディンが創りし『原初のルーン』……。火力がなくとも、その性能は、現代の魔術どころかキャスターの魔術さえ上回るものなのか。
「———さて、変な気は起こすなよ、キャスター」
ランサーが、その手に握る魔槍に魔力を纏わせ始める。余りにも濃密な『死』の気配に、キャスターの頬を冷や汗が伝う。
「テメェが何をしようとも、この槍からは逃げられねぇぞ」
ランサーの宝具、因果逆転の呪い。命あるものが、逃れる事は能わない。……どこぞのバカを除いて。
「……何故、殺さないのかしら?」
「いや、何。オレが受けたオーダーはそこの小僧を逃がす事だけだからな。わざわざテメェを殺さなきゃならん義理はねぇ」
ランサーがそう言うと、少し間を置いて、キャスターは—————愉快げに笑い始めた。
「フフフ、アハハ!! 分かったわ、降参よ。何処へでも行きなさいな、坊や。それに、お嬢ちゃんも」
「——————え?」
先程までの態度とは打って変わったそのアッサリとした言葉に、思わず戸惑ってしまう。何か裏があるのではないかという考えがよぎったが、ランサーに槍を向けられている以上、下手な事は出来ないだろう。事態が悪化する前に、早く逃げるべきだ。
「行こう、イリヤ」
「…………うん」
そうして俺は、イリヤの華奢な体を抱きかかえながら、足早に柳洞寺を後にした。