My Companion, My Dearest 作:春日むにん
1. ブレリナ・マリオンの失敗
わたしがウィンターホールド大学に入学して一ヶ月ほどが経った。初めの頃は大学構内の構造がよく分からなくて迷ったり、人の顔と名前が一致しなくてアーニエル先生をフィニス先生と呼んで怒られたりしていたが、そんな間違いももう犯さなくなった。ようやく慣れてきた、と言っていいのかもしれない。
ソルスセイムで数ヶ月前に雇い、それ以来行動を共にしている傭兵のテルドリン・セロは、大学構内に籠もりがちな毎日に嫌気が差してしまうかと思いきや、案外そうでもなさそうだった。わたしの魔法の訓練に付き合ったり他の学生や先生と交流したりして、それなりに満足しているようだ。さらに、ときどき大学やウィンターホールドの町の人たちから頼まれ事をするため、外出する機会もある。そのたびに必ず何かしらの成果が上がるので、退屈はしないようだった。
わたしが朝食を食べ終えて部屋に戻ると、テルドリンは床に敷いた毛皮の寝床にキチンの装備を並べて手入れをしていた。ちょうど最後の布拭きを終えたところらしく、片手に愛用のぼろ布を持って装備の前に跪いていた。彼は鎧を着込んだまま眠る代わりに、安全な場所では時折、ご自慢の防具を隅々まで点検する。ただし、顔の上半分を覆う兜だけはどんなときも絶対に外さない。だから、もう何ヶ月も一緒にいるのにわたしは彼の素顔を拝んだことがない。食事のときに赤いマスクの下から現れる灰色の肌を見なければ、彼がダンマーであることも忘れてしまいそうだ。
「今日はなんの講義があるんだ?」
テルドリンはてきぱきと鎧を身につけながら尋ねてきた。わたしはポシェットから授業の予定を書いた羊皮紙を取り出した。
「午前はファラルダ先生の破壊魔法の講義。夜はコレット先生から新しい回復魔法を教えてもらう予定」
「それなら、午後は丸々空いてるんだな? これまで溜め込んできた戦利品を町に売りに行かないか。ただでさえ部屋が狭いのに、場所を取って仕方ない」
確かに、ドゥーマーの鎧やら盾やらが部屋の隅にうず高く積み上がっているのは、その手前の床で寝起きしている彼にとっては死活問題だろう。ちょっとした拍子に山が崩れたら大変なことになる。
「そうだね。ビルナさんのところに売りに行こう。ついでにフローズン・ハースでご飯でも食べてくる?」
「ああ、そいつはいい。あそこのビーフシチューはなかなか旨い。ブラックブライア・ミードもたっぷり置いてあるしな」
大学の食堂で出される食事は安くて体を動かす栄養を摂るには十分だが、やはり安いなりの味がする。たまには贅沢をしたい。それに、テルドリンはこの機会をわたしよりもさらに喜んでいるに違いない。彼は大学の正規の所属員ではないから、いつも寮のキッチンで食堂の余りの食材を使って自炊している。しかも、しばしば食べ足りない学生たちにゴールドと引き替えに分け与えているのだから。
わたしはベッドに腰掛け、テルドリンは毛皮の上に片膝を立てて座り、午後のために戦利品の荷造りを始めた。しばらく作業に没頭していたところ、部屋の扉をせっかちに叩く音がした。
「はい、どなたですか?」
ベッドから降りて部屋の扉を開く。外には同期の学生であるダンマーのブレリナ・マリオンが立っていた。驚いたことに、いつも美しく整えられていた彼女の髪の毛が今朝はぼさぼさに乱れ、目の下にはくっきりと黒いクマができている。
「お、おはよう、ブレリナ。どうしたの? なんかやつれてるよ?」
のけぞり気味にそう指摘すると、ブレリナはわたしの両肩を力強く掴み、いつになく晴れやかな表情でわたしに笑いかけた。
「聞いて。新しい呪文が完成したの! 術をかけられた者の身体能力を一時的に超人並みにする呪文よ。あなたで試させてもらってもよろしい?」
そういえば、しばらくブレリナを見かけなかった。一昨日と昨日はアンカノ顧問主催の会議があるとかで臨時で授業がなくなったので、どこかに遊びに出かけているか、図書館で本でも読んでいるものと思っていたが。ずっと部屋に籠もって呪文を作っていたのか。
「ええ……大丈夫なの、その呪文? この前の呪文では大変なことになったよね」
大学に入学したばかりの頃、彼女の呪文のせいで牛に変身してしまい、その後一週間くらいテルドリンにからかわれ続けたことは今でも密かに恨んでいる。
「大丈夫! 今度はきちんと理論に則って作ったから。少なくとも命に関わるようなことにはならないわ」
命に関わらないようなことにはなる可能性があるのか。わたしは彼女の矛先をずらせないか試みることにした。
「ジェイ・ザルゴに頼んだら? 彼も個性的な研究をしてるみたいだから、お互いに勉強になると思うよ」
その研究のせいで、わたしは危うく火だるまになるところだったわけだが。
「それがあの猫、大いびきをかいて寝ていてわたくしの声に気づかないの。オンマンドも留守みたい。でも、わたくしは今すぐこの呪文を試したいの。お願い、お金ならいくらでもあげるから、協力して」
わたしの肩にブレリナの指が食い込み、彼女の赤い目がギラギラと輝いた。金云々ではなく、うんと言わなければ解放してもらえなそうな雰囲気だ。
「わ、分かった。お金のことは終わった後で話そう。それで、どこで呪文をかけるの?」
ブレリナはわたしの肩から手を離し、ベッドを指さした。
「この部屋で結構よ。ベッドに座って」
わたしは先ほどと同じようにベッドに腰掛けた。ブレリナがずかずかと部屋の中に入ってくる。
「あら、テルドリン。ごきげんよう」
ブレリナは、床に座り込んでいる彼に礼儀正しく挨拶をした。テルドリンは既に荷造りの手を止めて、わたしたちの様子を観察していたようだった。おはよう、と挨拶を返して、彼はからかうような笑いを含んだ声でブレリナに言った。
「先日は最高の見世物をありがとう、ブレリナ嬢。今度は私の主人を筋骨隆々の大女にでもしてくれるのか? もし本当にそうなれば、私としては非常に助かるんだがな」
あからさまな皮肉だ。しかしブレリナはよく言ったとばかりに大真面目に胸を張った。
「ご明察! まさに筋力を増強するのが今回の呪文の効果よ。もっとも、肉体を直接変化させるのは危険だから、魔力を一時的に筋肉に組み替えて肉体に付呪するの」
彼女は懐から取り出した複雑な図式や文章の書かれた羊皮紙をわたしの膝に置き、それに目を走らせながら両手に魔力を集中させる。白、赤、青、黄、紫、緑、橙、黒など、さまざまな色の光が彼女の両手に集まり混ざり合っていく。こんなにたくさん色の顕れる魔法は見たことがない。わたしは、一年ほど前にシロディールの空に架かっていた美しい虹を思い出した。
視界が真っ白に染まった。そう思ったのは一瞬のことで、わたしの目はすぐに大学寮の一室を映し出した。
ベッドに腰かけているローブを着た人物に、ブレリナが、いかが!? 筋肉がついた感じがする!? などと興奮がちに話しかけている。ローブの人物は心ここにあらずといった様子で、ブレリナの問いかけに答えず、自分の手を覗き込んだり胸や腰を触ったりして、そわそわしている。
……何かがおかしい。
わたしはまばたきをした。視界が先ほどまでより狭く、わずかにかすんでいるような気がする。身体の感じも違う。確かにブレリナの望み通り筋肉は付いたようだが、全身が重い。指先や口元が窮屈だ。下腹部のあたりに奇妙な違和感がある。毛皮の上に片膝を突いて座っているせいで、その違和感がさらに増している。
毛皮の上に、座っている?
わたしは自分の状態を確認するために身体を見下ろした。ところどころつぎはぎの当たった茶色い服の上に、何かの生き物の殻でできているらしい軽装鎧を身につけている。
わたしは信じられない気持ちで、放心したように両手をだらりと下げているローブの人物を凝視した。ローブの人物が、わたしの視線に気づいたのか、こちらへ顔を向けた。
そこには、わたしがいた。いつもは水鏡の中でわたしを見つめ返すだけの女が、目を皿のように丸くして、わたしを見下ろしていた。いや、このわたしは、わたしの姿をしているがわたしではない。だってわたしはここにいる。でも、ここにいるわたしはなぜかわたしの姿をしていない。テルドリン・セロになっている。これって、つまり――
わたしたちは、同時に叫んだ。
「わたし(私)たち、入れ替わってる!?」
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ブレリナの実験はまたしても失敗した。わたしを筋骨隆々の大女にするはずが、わたしとテルドリンの中身を入れ替えてしまったのだ。
「すごい効果だわ! どんな作用が働いたか気になる。あなたの魔力を動かしたのと同時にテルドリンの魔力も引っ張って、ついでに二人の魂全体になんらかの影響が及んだのかしら。あ、今はあなたがテルドリンだったわね、ごめんなさい」
二人して天地がひっくり返ったように慌てふためいてブレリナに状況を説明した後の、彼女の第一声がこれだった。わたしはキチンの兜の上から頭を抱え、それにより自分がキチンの兜を被っていることを自覚してますます混乱したが、テルドリンはかえって冷静になったらしかった。彼は(わたしの)眉を怒りに燃えるデイドラのように逆立てて、ブレリナの鼻先に人差し指を突きつけた。
「詳しい原理の解明はどうでもいい。今すぐ元に戻せ。さもなければ貴様をメファーラの許へ召すことになる」
いや、前言撤回だ、冷静ではない。しかし少なくともわたしの姿と声で喋ることに対する戸惑いや躊躇いを表面上は抑えることに成功している。
ブレリナはそんな彼(わたしの姿をした)を恐れる様子もなく、ころころと笑った。
「あら、あなたがそんなふうに喋るとなんだか新鮮ね。まあ落ち着いてちょうだい。この呪文は百まで数えるくらいで効果が切れるはずなの。少し待ってみましょう」
わたしはテルドリンの兜の下で過呼吸になりそうな勢いだったが、その言葉を聞いて少し安心した。なるほど、ブレリナは少しで元に戻ると知っていたからこんなに冷静だったのか。
ブレリナと、わたしになったテルドリンと、テルドリンになったわたしは、そのまま待つことにした。
わたしの部屋に沈黙が降りた。隣の壁の向こうからほんの微かにゴーゴーと火炎の魔法を放っているような音が聞こえる。ジェイ・ザルゴのいびきだ。狸寝入りではなく、本当に眠っていたらしい。彼が起きていればこんな妙なことにはならなかったのに。わたしは、ジェイ・ザルゴの両頬をつまんでぎゅうぎゅうと外側に引っ張って遊んでいる、という妄想を頭の中で繰り広げた。さぞふわふわしていて気持ちがいいことだろう。だいぶ気が紛れた。
余裕で二百は数えられるほどの時間が経つ頃になっても、変化はなかった。わたしは相変わらずテルドリンのまま、テルドリンはわたしのままだ。
「……戻らないよ」
わたしはブレリナに言った。明らかにいつものわたしのものではない低いかすれた声が部屋に響いた。思わず喉に手をやった。手袋と口元のマスクの向こうから硬い骨の感触が返ってきた。
ブレリナは、先日わたしを牛に変えてしまったときと同じように、白々しい誤魔化し笑いを浮かべて目を逸らした。
「お、おかしいわねえ。計算では確かにほんの少しで元に戻るはずだったのよ。やっぱりただ付呪するのと魂が入れ替わるのとでは勝手が違うのかしら、おほほほ……」
テルドリンが、わたしの姿でウエッヘンとわざとらしく咳をした。ブレリナは、ごめんなさい! と素直に頭を下げ、わたしの姿をしたテルドリンの肩に手をかけた。
「必ず治すから、それまで我慢して。他の方には話さないで。特にアンカノが知ったら、どんな罰を下すか分かったものじゃないわ。あら、あなたはテルドリンだったわね、失礼」
彼女は改めて、テルドリンの姿をしたわたしに向かって謝った。
「それじゃ、早速部屋に戻って治す方法を考えるわ。今日の講義はどの先生がご担当だったかしら? ブレリナ・マリオンは体調不良で欠席と伝えてちょうだいね」
ブレリナはそそくさと部屋を出ていった。後にはわたしたち二人がなすすべもなく残された。
「……どうするんだ? 教授たちに素直に報告した方が賢明だと思うが」
テルドリンが、わたしの顔で眉間に皺を寄せて、わたしの声で尋ねた。わたしは、内臓に直接冷たい水を掛けられたような嫌な感覚に襲われた。こうして直接話しかけられると、自分の身体が自分以外の者に乗っ取られていることを否応なしに実感する。テルドリンもわたしと同じだったのだろう。わたしが喋り始めた途端、熟していない苦いスノーベリーを口の中いっぱいに頬張ったかのような表情になった。
「ブレリナを裏切るのは悪いから、少し様子を見てみよう。どちらにせよ、ファラルダ先生の授業までもうあまり時間がない」
「待て。もしや私に講義に参加しろというのか? この姿で?」
テルドリンは熟していないスノーベリー顔のまま、片方の眉だけを器用に上げる。
わたしが頷くと、テルドリンはがっくりと肩を落とした。