My Companion, My Dearest 作:春日むにん
枯れた草木や朽ちた集落の跡が点在する起伏の激しい荒野を、わたしは歩いている。
時折、前方から強い風が吹いて乾ききった土を舞い上げ、小規模な砂嵐を生じさせる。砂嵐はわたしが着込んでいるキチンの鎧に襲いかかってパチパチと音を立てる。さらに口元のマスクや、鎧の隙間から覗く服に牙を立て、その下のわたしの肌に刺すような痛みを与える。
少し足を止めて振り返れば、遠くに裾の長い赤い山が見える。山の頂上からは黒煙がたなびいている。黒煙は薄まりながらも空の隅々まで広がっている。そのせいで空はのっぺりと仄暗い。太陽も、月も、星も、この空には輝かない。ゆえに植物は枯れ、大地は潤いを失い、かつて豊かだったこの土地は荒れ果て、今のような姿になったのだ。
少し前をわたしと同じキチンの鎧を着込んだ人物が歩いている。わたしの雇い主だ。彼は――男か女か、人間かエルフか、若いのか年老いているのかさえ未だに分からないが、便宜的にそう呼ぶことにしよう――、疲れを知らない軽快な足取りでこの荒涼たる光景の中を進んでいく。
どれだけそうして二人で歩いていただろうか。前方にレドラン様式の丸い建物がいくつか並んでいるのが見えてきた。その向こうには黒い海が、小さな帆船と船着き場をひとつずつ浮かべて横たわっていた。潮の匂いと湿り気を含んだ海風が前からどっと吹いてきた。砂嵐を巻き起こす風はこの海上で生まれて陸地に向かって吹き込んでいたのだ。
わたしたちは海風に抗いながら、一回り大きな建物の前までやってきた。骨削の鎧を着た衛兵が扉の前にかがり火を片手に持って立っていた。
雇い主はそこで立ち止まってくるりと振り向き、今まで背負っていた杖をわたしに投げるように渡してきた。
「はいこれ。今までの報酬」
わたしはそのちゃらんぽらんな態度が彼の常態であるとは知りつつも、改めて呆れ返った。長い旅を共にして今が別れ際だというのに、いくらなんでもあっさりしすぎていないだろうか。だが、それが彼という人間(あるいはエルフ)なのだ。わたしは彼の淡泊な態度の方は諦めて、「報酬」に対して文句を言うことにした。
「お前の持っていたガラクタが報酬だって? 私は杖など使わないぞ。戦闘の邪魔にしかならない」
その杖はごく軽く、先端にガラス細工のような独特の飾りがついていた。そして確認した限りでは、なんの魔力も感じられなかった。
「いや~、ガラクタに見えてすごいんだよその杖は。それなりの店で売ってみな。この先十年は働かなくて済むくらいの小金持ちになるから」
彼がのんびりと言った。わたしは、彼が自分を騙そうとしているのではないかと一瞬思った。しかし、彼が誰かに不義理を働くなどとは、これまでの言動を思い起こす限りでは信じられなかったため、その報酬を受け入れることにした。
「この杖はなんて名前なんだ?」
「ん~、なんだったっけ。ずっと昔に教えてもらったきりだからなあ。え~っと……」
彼は頭の後ろで腕組みをしてその場で何周かぐるぐると歩き回ってから、パチンと指を鳴らした。
「ああそうだ、マグナスの杖!」
彼はその姿勢のまま、手の平を開いてひらひら振った。
「じゃ、そういうことで。ここでお別れだ、テルドリン」
彼は跳ねるように軽やかな歩調で、わたしの体を肩がぎりぎり触れ合わない程度に避けて歩き去っていこうとする――その直前に素早く、二枚のマスク越しにわたしに口づけをした。ほんの一瞬の出来事だったので、わたしの錯覚ではないかとさえ思ったほどだったが、唇に残った感触は幻として片付けるには生々しすぎた。
「きみの未来にネレヴァルの祝福あれ」
最後に聞いた声は、思いがけず柔らかく、優しかった。
わたしは慌てて振り返り、今のはいったいどういうつもりかと彼の背中に向かって叫んだ。彼は返事をせず、足を止めることもなかった。淡々と元来た道を辿っていき、やがて一段と強い海風により沸き立った砂嵐の中に消えた。
わたしはそれから長いこと、彼の案内がなければ何も見出せないその荒野を惚けたように眺めていた。
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瞼を開けると、そこはウィンターホールド大学の自室で、わたしはベッドに寝かされていた。わたしのすぐ横に誰かが椅子に腰掛けて座っていた。髪がぼさぼさのままのブレリナ・マリオンだった。彼女は祈るような眼差しでわたしを見守っていた。わたしは手をついて上半身を起こした。
「……ブレリナ」
耳に響いたのは、紛れもない元のわたし自身の声だった。おそるおそる顔に触れてみた。兜もマスクも着けておらず、馴染みのある感触が返ってきた。体を見下ろし、筋肉を軽く動かしてみた。大学から支給された魔法のローブを着込んでいる肉体は、先ほどまで自分のものだったそれと比べるとひょろひょろしていて頼りなかった。しかし、間違いなく普段から使い慣れているわたし自身の体だった。
わたしはわたしに戻れたのだ。安堵が胸に押し寄せ、わたしは自然と顔を綻ばせた。
「戻れた。元の体に戻れたよ、ブレリナ!」
ブレリナが息を弾ませて抱きついてきた。
「よかった! 呪文は成功したのね!」
わたしはブレリナと抱き合い、存分に喜びを分かち合った。ブレリナは、主にわたしの無事を祝福することと謝罪することを中心にしつつも、あの大がかりな入れ替わりの呪文が効力を発揮したことに大きな感動を覚えたようで、素晴らしいとかすごいとかいう意味を持つあらゆる語句をその合間に差し込んだ。わたしは苦笑した。今回の出来事を通じて、彼女の呪文の被験者になると決まってろくでもないことになるとよく分かったわけだが、それでもこうして溌剌としている彼女を見ると、また付き合ってあげてもいいかな、なんて思ってしまう。
ある程度興奮が収まったら、テルドリンのことが気にかかった。自室の中を見回して、毛皮の寝床の上でキチンの鎧を着た人物がむくりと起き上がったところなのを認めた。わたしはベッドから飛び降りるようにして彼に駆け寄った。
「テルドリン」
彼は自分の体のあちこちを確かめるように触ったり動かしたりしていた。その作業はどうやら彼の納得のいく結果に終わったらしく、彼はそこで初めてわたしを見上げた。
「戻ってるな」
当然ながらいつもの少しかすれたぶっきらぼうな声で、兜を被ったままなので表情も分からない。でも、わたしにはテルドリンがわたしと同じようにほっとしているような気がした。
ブレリナによれば、入れ替わりの呪文が発動した後、わたしたちはその場で抱き合ったまま昏倒し、この部屋に運び込まれたそうだ。わたしがテルドリンの腕で自分の体をがちがちに抱え込んでしまっていたため、運んだり、寝かせるために引き剥がしたりするのには苦労したという。それから数時間ほど、見張り役を名乗り出たブレリナの前でわたしたちは眠り続けていたらしい。
「トルフディル先生を呼んでくるから、二人ともここで待っていてね」
ブレリナは一通りの説明を終えてから、走るような勢いで部屋を出ていった。
わたしはテルドリンの方を向いてベッドに腰掛けた。先生たちに強力な呪文をかけられたせいか、それとも一日に二度も入れ替わったことが原因か、全身が緩やかに疲労していて立っているのがつらい。テルドリンも同じ状態のようで、寝床に腰を下ろしたまま立ち上がろうとはしなかった。
「さすがのブレリナ嬢も少しは責任を感じているみたいだな。謝礼はさぞかしはずんでくれるんじゃないか?」
テルドリンの皮肉っぽい一言で、わたしは危うく謝礼の話を忘れかけていたことに気づいた。
「ああ、そうだった! お金は後でもらうって話だったね」
テルドリンは軽く肩をすくめた。
「しっかりしてくれ。今日一日がただ働きだったなんて私は信じたくないぞ」
遠回しに分け前を要求している。それももっともなことだろう、今回は完全に彼を巻き込む形になってしまったのだから。
「ごめんごめん。ブレリナには忘れないうちに釘を刺しておく。受け取り次第、半分テルドリンに渡す」
「そいつは結構。さんざん苦労させられた甲斐があったよ」
テルドリンは腕組みをして体を左右に軽く揺らした。そんな些細な動作も、やはり彼が彼自身の体で行った方がしっくりくる。わたしはほっとして微笑んだ。
テルドリンは何か言いたげにわたしを数秒間見つめてから急に俯き、口元の赤いマスクに手を伸ばした。
「落ち着かないと思ったら、お前、マスクの着け方を微妙に間違ってるぞ」
テルドリンはキチンの兜と赤いマスクの位置を調整し始めた。昼食の後で着け直したときにどこか間違ってしまったのだろう。わたしは、ごめん、と気のない返事をしながら彼の様子をぼんやり眺めていた。彼のこの体をついさっきまで自分が操っていたなんて、どうにも信じられない気分だ。
そこへ、ちょうどブレリナがトルフディル先生を連れて帰ってきた。わたしがベッドから腰を上げようとするのを先生は押し留めた。彼はテルドリンとわたしを頭のてっぺんからつま先までくまなくじっと観察してから、満足そうに頷いた。
「うんうん。見た目も魔力の流れも特におかしなところはないね」
ブレリナは、事態が完全に収まったと分かったら若干の罪悪感に苛まれたらしく、トルフディル先生やわたし、テルドリンの顔色をこわごわと窺っている。トルフディル先生はそんな彼女に穏やかに笑いかけた。
「ブレリナよ、あまり気にするな。叡智は試行錯誤の積み重ねによって生まれるものだ。失敗なんてよくあることだし、ましてや今回のは失敗じゃない。体も魂も傷つけずに入れ替え、また元に戻せた。大成功だ。きみたちもそう思うだろう?」
にこやかに話を振られた。わたしが、ええまあ、と曖昧に同意する横で、テルドリンは呆れたように小さく溜息をついた。
トルフディル先生はわたしたちの反応を見てそれ以上の言及は無用と考えたらしく、さてと、と言葉を継いだ。
「そんなわけで、教授陣のほとんどは全く気にしていないというか、むしろさっさと解決してしまったことを残念がっているんだがね。アンカノ殿がどうしても気が済まないと言うものだから、一応きみたちには、罰、のようなものを与えることになってしまった」
やはりアンカノ顧問の癇癪は収まらなかったか。わたしはブレリナと視線を交わし、トルフディル先生の次の言葉を待った。
「実は今、極秘裏に『サールザル』という最初期のノルドの遺跡の発掘を行っている。きみたちにはそれに参加してもらうことになった」
トルフディル先生は、スカイリムの出身でないブレリナとわたしにも理解できるようにと思ったのか、丁寧な解説付きで「罰」の内容を明かした。しかし、ブレリナもわたしもその場所についてはよく知っていた。ウィンターホールドの町の人々や大学の学生の間での定番の伝説、あるいは怪談話に登場する場所だからだ。
サールザルとは、ノルドの始祖イスグラモルが建設したタムリエル最古の都市の一つであり、スノーエルフによる凄惨な侵略で滅びたと伝説に謳われる場所だ。怪談話の方では、当時の死者が今でも徘徊していて、時折彷徨い出てきては、道を外れた旅人を自分たちの死に場所に引きずり込むとおどろおどろしく語られている。実際には、遺跡は厳重に封鎖されているし、死者が自分たちの領域の外に出ることも滅多にないのだが。
わたしたちが既にサールザルについての初歩的な知識を持っていることを伝えると、トルフディル先生は手間が省けたとばかりに具体的な話に移った。
「これまではアーニエル先生がときどき一人で発掘していただけだったが、一昨日と昨日の会議で方針が変わった。まずは、少人数で色々な箇所を試掘して当たりをつけてから、全学を動員して大規模な発掘を行う。きみたちには、始めの少人数での試掘作業に儂と共に加わってもらいたい」
わたしはわくわくする気持ちを抑えきれなかった。それは、罰というよりも褒賞ではないだろうか。あの有名なサールザルをこの目で見られる、しかも皆より一足早く入れるなんて。ブレリナも同じ気持ちでいるようで、灰色の頬をほのかに上気させていた。
「念のため聞いておくが、それには当然、私もついていくことができるんだろうな?」
テルドリンが尋ねた。トルフディル先生は、もちろん、と首を縦に振った。
「きみに来てもらった方がこちらとしても助かる。それにアンカノ殿も……その、きみとぜひ一度、一緒に仕事をしたいと言っていた」
先生はアンカノ顧問について言いづらそうに付け足した。テルドリンはせせら笑った。
「アンカノも参加するのか? 意外だな。命令だけして偉そうにふんぞり返っているタイプだと思っていた」
どうやら彼はアンカノ顧問のことが気に入らないらしい。無論、わたしも顧問のことはニルヤの次くらいに苦手だけれども、接点がないのでそこまで強い感情は持てない。
「ま、どうせ、小生意気な老いぼれダンマーに身の程を思い知らせてやろうとでも考えているのだろう。一向に構わないが、私はこいつの従者だ。目を離すわけにはいかない。こき使われるのならこいつも一緒にしてくれ」
彼はわたしを顎で示した。……何か、面倒なことになりそうな予感がする。
トルフディル先生は申し訳なさそうに弱々しく笑った。
「彼がきみたちを理不尽に扱わないよう儂もできる限り注意するよ。すまないな、どうにもサルモールとの付き合い方は難しくて」
テルドリンはトルフディル先生を慰めるように声を和らげた。
「気にしないでくれ。お前たちに非はない。むしろサルモールの者をあそこまで大人しく丸め込んでいるお前やサヴォスに感服しているよ、私は」
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トルフディル先生は、わたしたちが来週のモーンダスの日から発掘作業に参加することと、それまでにサールザルの歴史について図書館で調べておいてほしい旨を伝えてわたしの部屋を去った。ブレリナからは、どうせなら調べ物は一緒にやろうと提案された。わたしは快く了解し、ついでに今回の報酬のことを彼女にそれとなく思い出してもらってから別れた。
わたしの部屋の中は再びテルドリンとわたしだけになった。長い一日だった、とわたしは思った。
「もう寝たいんだけど、明かりを消していい?」
わたしは扉に鍵を掛けてから、その横に備え付けられているドゥーマー製の燭台のレバーに手を添えた。
「ああ。構わない」
燭台から光が消えると窓のない部屋は一気に闇に包まれた。わたしは手探りでベッドに戻り、横になった。ブレリナと明日からの予定について話していたあたりから強烈な睡魔に襲われていたので、少し気を抜けばすぐに心地よい眠りに就けるだろう。しかし、その前にテルドリンに伝えておかなければならないことがある。
「テルドリン。今日はごめんね。あんなことに巻き込んで、あなたの体でさんざん情けないところを見せちゃって」
ベッドの斜め下からテルドリンの声が聞こえた。
「もう慣れっこだよ、お前やお前の友達がやらかしたことに巻き込まれるのは。それよりも私こそ、……すまなかったな、色々と」
だいぶ不貞腐れた口調ではあったものの、彼にしては珍しく詫びてきた。わたしは驚いて少し眠気が醒めてしまった。
「気にしないで。テルドリンは悪くない。変な話だけど、わたしはテルドリンのことが少しだけ分かって良かったよ。普段は兜のせいで表情が見えないし、マッサージの件も全然話してくれなかったから」
無論、自分の百面相を眺めるのは楽しい気分ではなかった。ブレリナやトルフディル先生から大金を積まれてもう一度入れ替わって欲しいと頼み込まれても絶対に拒否するだろう。しかし終わった後で思い返してみれば、わたしはわたし自身の体を通して彼が普段隠している一面を垣間見ることができたのだ。彼はあの無感情な兜の下で、お喋りで皮肉っぽくて実は心優しい彼に相応しく、さまざまな表情を浮かべている。そう思うと嬉しくなった。
テルドリンは何拍か置いてから、そうか、と短く応えた。不貞腐れた声色のままだったけれど、どことなく温かな響きも混じっているようにわたしには感じられた。
話も一段落し、ちょうどよく眠りの波が押し寄せてきたので、わたしは素直にその誘惑に従った。
最後に考えていたテルドリンの素顔のことが残響となって頭の中にたゆたう。彼の素顔、豊かな表情を隠す兜、キチンの兜、夢で見た、もう一人のキチンの兜の人物、あれは……。
「そういえば、さっき夢でね、わたしはまだテルドリンで、誰かと、旅を――」
どこまで伝えられたかは判然としなかった。わたしは心地良いまどろみに吸い寄せられるようにして落ちていき、翌朝に朝食の時間を知らせる魔法の鐘が鳴るまで、ずっと昔の、とても幸せだった頃の夢を見ていた。
-『君の名は。』了-