My Companion, My Dearest 作:春日むにん
1. 決裂
サールザルは、ウィンターホールドから雪山を一つ越えた先にあった。氷に侵食された岩山に周りを囲まれて、石造りの巨大な遺跡が雪混じりの土の中から顔を出していた。遺跡の手前の土は深く掘り下げられ、足場が組まれていた。
近くにある亡霊の海からは体の芯まで凍えさせる風が常に吹きつけていて、視界を確保するために無防備になっていたわたしの両目の周りは痛みを通り越して何も感じなくなっていた。だが、掘り下げられたところまでは風も届かなかった。わたしは口元に巻いていた厚手の布を外した。それまでと比べるといくらか生温い冷気が頬に広がった。何度か瞬きをすると、目尻がちくちく痛んだ。
目の前には、複雑な文様の彫られた黒っぽい石の扉――この遺跡の入口があった。人が三人並んだくらいの幅のある両開きの扉だった。
わたしは、腹の奥から心地良い熱が湧いてくるのを感じた。新しい物や場所に出合ったときは、いつもこうなる。ノルドの遺跡を目の前にしたときはなぜか、特にこの感覚が強くなる気がする。今もそうだ。あの石の扉を押して中に入ってみたくてたまらない。
「二人とも、よく頑張ったな。もう結構な時間だ。発掘は明日からにしよう」
なめした毛皮の帽子、マフラーとコートでばっちり寒さから身を守っているトルフディル先生が、サールザルの外観に見入っていたブレリナ・マリオンとわたしに呼びかけた。白い滑らかな生地のローブを着ているブレリナが弾んだ息を漏らした。
「よかった! これ以上何かするって言われたらどうしようかと思っていました。朝から緊張し通しだったから」
「ははは、アーニエルは早速作業を手伝わせたがるかもしれんが、詰め込みすぎるのは良くない。今日のところは彼を中から引っ張り出してきて、何日かぶりのまともな食事を摂らせて終わりだな」
先生とブレリナのやり取りにがっかりする自分が半分、ほっとする自分が半分、といったところだった。ブレリナの言葉通り、今日は一日大変だったからだ。
わたしたちは、まだ鶏も鳴かない早朝に起きて、ウィンターホールドの町の西側にある雪山の急斜面を息を切らしながら登った。その後はなだらかな下り坂だったが、代わりに一帯に住み着いていた狼やトロールと戦わなければならなかった。もちろん、戦闘の苦手なわたしは敵にかすり傷一つつけられなかった。まともな戦力になっていたのはトルフディル先生、ブレリナ、それにわたしの従者のテルドリン・セロだった。
「まったく馬鹿馬鹿しい。なぜ転移の魔法陣を構築しておかなかったのです。一日を無駄にしてしまったではないか」
わたしたちの背後から、氷で作ったダガーのように冷え冷えとした男の声が響いた。ウィンターホールド大学顧問のハイエルフ、アンカノだ。いつも着ているサルモールの服と同じ色のコートを纏って、線の細い長身で足場の基礎部分に寄りかかっていた。ぐったりと疲れきった顔をしていたが、それでもなおわたしたちを威圧するように腰に手を当て、肩をそびやかしていた。
トルフディル先生は眉を八の字にして顎髭をしごいた。
「はあ。急に決まったことですからな」
「準備する時間は何日もあった。大学で行われているくだらぬ研究をいくつか中断させて、こちらに人員を回せばよかった話です」
「そう言われましても、魔法陣の構築も維持も手間がかかりますからねえ……。遺跡は逃げませんから、一日程度は問題にならないと思いますが」
「貴方がたにとってはそうでしょうな。しかし私は多忙の身でしてね、いささか事情が異なります。嘆かわしいことだ――かつては北にウィンターホールドありと言われたほどの大学であったのに、大切な賓客に対する配慮も、有能な人材の育成も、今や我々サルモールには及びもつかぬ。私がこの大学にやってきたのは、かような惨状を改善するためでもあるとご理解いただきたい」
「はあ。それは非常にありがたいことですがねえ」
話し続けるうちに、アンカノ顧問はいやに得意げな演説めいた口調になっていった。反対に、トルフディル先生の最後の一言はだいぶおざなりだった。
サールザルの発掘はもともとアーニエル・ゲイン先生が一人で細々と行っていたが、顧問の発案で、大学全体で大がかりな発掘を行うことになった。わたしたちはその先遣隊だ。
顧問が更に何か言おうと口を開きかけたところへ、一行のしんがりを務めていたテルドリンが近づいてきた。いつも通りのキチン装備で全身を固めている彼は、わたしたちの中では唯一、疲労した様子を見せていなかった。本人曰くモロウィンド一の傭兵だそうだから、このくらいは余裕なのだろう。
「そんなに時間が惜しいなら、これ以上無駄にせず、リコールの魔法か何かで大学に帰ってはいかがかな。遺跡掘りなど下っ端のやることだ。わざわざそのご立派な服の裾を汚す必要はない」
テルドリンは顧問の言動のせいでかなり気を悪くしているらしい。
サールザルに到着するまでの顧問は、お世辞にもわたしたち学生の模範になるような態度だったとは言えなかった。山を登る時には妙に大人しかった、というか、いつの間にか誰よりも早く登りきっていて驚いたが、その先は、敵に襲われるたびに自分だけ透明化して隠れたり、大学の食堂で用意してもらった携帯食に文句を言ったり、疲れると歩く速度を下げて物言いたげな溜息をつき、それを無視していれば怒ったりと、やりたい放題だった。
「傭兵の分際で、よくも私に向かってそのような無礼な口を聞けたものだ」
彼は筋の通った鼻筋を見せつけるように、顎を上向けた。
「無論、本来ならば私が埃塗れになる必要はない。しかしこの遺跡には私の推測によると極めて重要な、大学の未来に関わる発見が眠っている。それを見逃すことのないよう導いてやるのが大学顧問としての責務だ。
それに、そこの二人が先日の愚行の償いに励んでいるかも見張らねばならないからな」
顧問はブレリナとわたしをぎろりと睨んだ。わたしたちは数日前に大学でとある騒動を起こした。今回わたしたち二人だけが先遣隊となったのは、顧問がわたしたちになんらかの罰を与えろと言って聞かなかったからだ。
テルドリンはあからさまな嘲り笑いの絡んだ声で言い返した。
「身に余る役割を与えられたからといって、そう肩肘を張ることもあるまい。アーニエルとトルフディルは遺跡掘りと学生の世話にかけては、あんたよりよほど優秀だろうよ」
「身に余る、だと? 灰だらけの醜い老いぼれめ。私の実力を知らないからそのようなことが言えるのだ」
「ほう、注目に値するだけの実力があったのか。それは失礼した。これまでのあんたの様子からはまるで想像がつかなかったよ」
売り言葉に買い言葉だ。顧問はあれだけ疲れた素振りを見せているのに、よくわたしたちに嫌味を言う気力が残っているものだ。テルドリンも突っかかりすぎだ。相手はサルモールの一員なのだ。本気で怒らせたらまずいことにならないだろうか。
「トルフディル先生。夕食の準備をしましょう。寝泊まりする場所はどこですか?」
わたしはトルフディル先生に尋ねた。先生はそわそわと触っていた顎髭から手を離して、隅にあった掘っ立て小屋を指さした。
「ああ、うん、そうだな。これからしばらくはあの小屋で寝ることになる。邪魔なものを外に出してくれ。アーニエルは儂が迎えに行ってくる」
トルフディル先生は遺跡の扉の方へ歩いていった。わたしはブレリナに先に小屋に向かってほしいと伝えてから、顧問となじり合っているテルドリンに声を掛けた。
「テルドリン。寝床と夕ご飯の準備をするよ」
テルドリンは、むう、と短く唸ってわたしに視線を移した。
「分かっている。まずはあの小屋を片付ければいいんだな」
顧問と喧嘩しながら、わたしたちの会話はしっかり聞いていたらしい。器用なものだ。
「うん。それから――」
わたしは精一杯の親しみを込めた笑顔で顧問に話しかけようとした。ところが、顧問は邪魔されたのが気に食わなかったのか、金色の目をきつく細めてわたしを見下ろした。
「まさか、手伝えとは言わないだろうな」
まあ、そういう答えが返ってくるだろうとは思っていた。わたしは笑顔を崩さないように努めて、準備ができたら呼ぶと伝えた。テルドリンは、やれやれ、と小さく呟き、小屋へ向かうわたしの後ろに続いた。
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アーニエル先生は、トルフディル先生が三度くらい呼びにいってようやく遺跡の外へ出てきた。着ている服はよれよれで埃だらけ、おまけに生地が薄く、外へ出た途端、連続で大きなくしゃみをしていた。
「遺跡の中は寒くないんだよ。コートなんて着てたら作業の邪魔になるしな」
掘っ立て小屋に置き去りにされていたコートを羽織り、板張りの床に敷いた毛皮の敷物の上に腰を下ろし、テルドリンとわたしで作った簡単な鶏肉と人参のスープを音を立てて啜って、アーニエル先生は言った。わたしたちは車座になって座っていた――暖炉のそばに一つだけ置いてある椅子で、可もなく不可もなくといった表情でスープを味わっている顧問を除いては。
トルフディル先生が尋ねた。
「作業は順調か、アーニエル」
「んー、まあな。俺一人だったから、まだ魔術師ギルドの報告書のおさらいくらいしか済んでないけど」
アーニエル先生は眉間に皺を寄せ、スープの最後の一口を啜り終えた。
「魔術師ギルドって、何百年も前になくなった?」
わたしは驚いて尋ねた。魔術師ギルドは戦士ギルドと同じようにタムリエル全土に支部があったが、大昔に解体されてしまったと聞いた。
アーニエル先生が空になったお椀を目の前の床に置いた。
「だいたい二百年前だ。あんたはもう生まれてたんだったか、テルドリン」
「ああ。モロウィンドで傭兵をやっていた。尤も、私は連中とはあまり関わり合いにならないようにしていたよ。召喚に失敗したデイドラに付け狙われたり、つまらんことで仲間割れを起こしたり、護衛をするとろくなことがなかった」
テルドリンは呆れ声で答えた。
アーニエル先生はからからと笑った。
「そりゃあご愁傷様。そういう奴は目立つんだよなあ。実際はクソ真面目にコツコツ研究してる連中も大勢いたんだがな。ここを発掘してた連中もそうだ。生憎オブリビオンの動乱でそれどころじゃなくなっちまったっぽいけど。
報告書はうちの図書館に埋もれてた。帝国の考古学者と合同調査をやってたらしい。そのおかげで俺たちはまた一から始めなくて済んだってわけだ」
「二百年前の魔術師ギルドの仕事を、子孫でもないわたしたちが引き継ぐって……なんだか、すごいですね」
調査隊の人たちは、テルドリンのようにエルフでなければもう生きてはいない。それでも記録さえ残っていれば後を継ぐ人がこうして現れる。素晴らしいことだと思って、わたしは相槌を打った。
そこへ、顧問の冷たい声が飛んできた。
「彼らの無能さには感謝すべきだな。おかげでこれから発見するものは全て私たちのものになるのだから」
彼はこちらに目も向けず、スプーンでお椀の中身をゆっくりかき混ぜながら尋ねた。
「それで? 分かったことは?」
アーニエル先生は何か言いたげに顔をくしゃっと歪めていたが、顧問の方へ体の向きを変えた。
「報告書の通り、最初期のノルド、つまり末期アトモーラ人の入浴の仕方は今のノルドとほとんど変わらないようです。こいつはとても面白いことです。他にもノルドが無意識にやってることの中に末期アトモーラ人の名残があるかもしれません。
それと、植物の種は帝国の学者が持ち去っちまって跡形もありませんでした。惜しいですね、うまいこと復活させりゃあ食えるメシの種類が増えたかもしれないのに。
あとですね、『涙の夜』の壁画は、発掘を始めた時から何度も見てますが、まあ見事なもんです。他の壁画の作者とは力量が違います。古代ノルドの彫刻画の傑作の一つと言ってもいい。その手の専門家がもしどこかにいるなら見せてやりたいですね……」
話しているうちに興が乗ったらしく、アーニエル先生の声と身振りは次第に大げさになっていった。
一方の顧問は、眉間と口角にうっすらと皺を作って、スープをひとさじずつ口に運んでいた。アーニエル先生の声が高まるにつれて眉間と口角の皺はどんどん深くなっていった。しまいに顧問は話をばっさりと叩き切った。
「貴方はこの何年も、いったい何を調査してきたのか。私たちが知るべきはスノーエルフの探していた物のありかだけだ。それこそが報告書の要であったろうに。どうやら貴方は読解力に少々問題があるらしい」
わたしは呆気に取られた。なんの話だろう? サールザルは、ノルドの人口増加を危ぶんだスノーエルフによって、住民を虐殺され占領されたと聞いていた。ここに来る前に調べた文献にも同じことが書いてあった。スノーエルフが何かを探していたなんて聞いたことがない。
アーニエル先生は不満そうに鼻息を噴き出し、先ほどまでとは打って変わってやる気のない義務的な調子で答えた。
「確かにあの著者はスノーエルフ云々にえらく固執してましたね。正直、俺はちいと考え過ぎじゃないかって思ってましたけど。まあ、あんたに言われたんでもちろん一通り調べましたよ。でも、スノーエルフの攻撃の痕跡を辿ろうにも、すっかり修復されて跡形もない、と、今んとこは報告書通りです。ただ、ギルドが調査してないいくつかの落盤箇所の先を探せばなんかあるかもしれない、って感じですかね」
顧問はスープをちまちまと飲みながらアーニエル先生の報告を聞いていた。先生が言葉を切るとすぐさま、顧問は問いただすような調子で尋ねた。
「万に一つもありえぬとは思うが、まだ落盤を除去していない、ということはないでしょうな?」
アーニエル先生は、顧問の厳格なオーラを吹き飛ばすように、けらけらと笑った。
「いやいや、むしろあの量を一人で片付けられる方がありえないですよ。俺はそのために大学の学生を総動員するんだとばかり思ってましたがね」
顧問が目を軽く見開いた。
「貴方は、土砂のひと山ひと山を汗水垂らして掘り返そうとしているのか? ああ、まったく、そこまで愚かとは思わなかった。我々には魔法があるでしょう。落盤などエクスプロージョンでさっさと吹き飛ばせばよいのです」
アーニエル先生の肩がぴくりと震えた。彼は強ばった声で答えた。
「言わせてもらいますがね。遺跡でエクスプロージョンを使うなんざ、それこそ馬鹿のやることです。特にこの遺跡は何千年も前からあるんだ、当たりどころが悪けりゃ更にデカい落盤が起こりますし、周辺の遺物も壊れちまいます。大切な研究対象なんですから、慎重にやっていかにゃあいけません」
顧問は「馬鹿」のところで眉毛を持ち上げ、アーニエル先生の話を聞くにつれて鼻の穴を膨らませていき、ついにぶちまけた。
「大切な研究対象? ドゥーマーの遺跡ならともかく、こんな古臭いノルドの遺跡をつぶさに研究してなんの意味がある。肝心なのは、スノーエルフの欲しがっていた物だけだ」
顧問はスープの残りを飲み干すと、お椀とスプーンを傍らの床に置いた。
「明日になったらすぐ、落盤箇所をエクスプロージョンで全て貫通させるべきだ。私と貴方、トルフディル、ブレリナ・マリオンの四人で作業すれば長くとも半日で終わるでしょう。エクスプロージョンを使えない残りの二人には貫通した道の探索をさせます。よろしいですな?」
アーニエル先生は大きくのけぞった。肩を落とし、しばらく黙りこくっていたかと思うと、ぼそりと小さく、駄目だ、と言った。
眉をひそめた顧問に、アーニエル先生はがばりと顔を上げて、唾を飛ばしてまくし立てた。
「あー、駄目だ駄目だ! あんたの命令には絶っ対に従わない。スノーエルフの探し物だけありゃ十分だぁ? ふざけるなよ。あんたは考古学ってものをなんも分かっちゃいない。第一、ただでさえノルドはこの発掘にいい顔をしてない。少しでも何かやらかしてみろ、あの石頭の首長が黙ってないぞ」
さしもの顧問もアーニエル先生に気圧されているようだった。膝の上に置いた両手の指先が先生の大声に反応してぴくぴく動いていた。しかし、顧問は負けじと、声高に言い返した。
「私は大学全体の利益を優先している。貴方のこの仕事への思い入れにも、ノルドの感情にも重要性は認められない。しかも現在のウィンターホールドの経済は完全に大学頼みだ。私たちがどのように振る舞おうと締め出すことはできない。万一そうなったとて、サルモールに助力を仰げばいくらでも――」
「御託はもう沢山だ!」
アーニエル先生がぴしゃりと言い放った。顧問の演説をしているかのように朗々とした声が途絶え、小屋の中が静まり返った。アーニエル先生は大きく息を吸って、吐いた。それから、いくらか落ち着いた、しかしやはり底の方で何かが燃えたぎっている口調で続けた。
「この発掘の責任者は俺だ。あんたじゃない。あんたがサルモールでも大学の顧問でも関係ない。みんなには俺の指示で動いてもらう」
顧問は、苦々しげな表情でアーニエル先生を見つめていた。やがて、唇をぐにゃりと不格好に開け、絞り出した。
「ああ、どうぞご自由に。貴方のことはサヴォス殿に報告します。彼の方が、貴方よりはいくらか、自分たちの立場について理解がありますからな」
顧問はブーツで鋭く床を蹴って立ち上がり、小屋の扉につかつかと近づいて勢いよく開き、真っ暗な戸外へと歩き去った。外の冷気が一気に小屋の中へ押し寄せてきた。テルドリンがぶつくさ文句を言いながら扉を閉めた。
「……大丈夫でしょうか」
わたしは誰にともなく尋ねた。アーニエル先生はまだ怒りが醒めやらないといった様子で、毛皮の敷物の上に肘をついてどっかりと寝転んだ。
「構いやしない。あの野郎のことは前から気に入らなかったんだ。俺たちを下に見てふんぞり返りやがって。あいつの差し金で煮られようと焼かれようと、後悔なんてないね」
トルフディル先生がアーニエル先生を励ますように付け加えた。
「サヴォス先生も真面目には取り合わんよ。サルモールに報告されたら少し困ったことになるかもしれんが、そのときはそのときで、ミラベルに対策を考えてもらおう」
顧問がアーニエル先生についてどのようなことを誰に言いつけるかも気になるが、今はそれよりも。
「顧問は大学まで一人で帰れるんでしょうか? あんなに大騒ぎしてたのに」
その疑問に答えたのはテルドリンだった。
「あの根性なしが昼間と同じ道を通って帰るわけがなかろう。もう既にリコールの魔法で大学に戻って、サヴォスの部屋に押しかけているんじゃないか? あるいはそこらの物陰でどう言い訳して小屋の中に戻ろうか考えあぐねているといったところか」
あらかじめ指定しておいた地点まで瞬間移動することができるというリコールの魔法は難しいらしく、使っている人は見たことがないが、魔法大学の顧問に任命されるくらいの人物であれば使いこなせても不思議ではない。それに、例えリコールが使えなくても、テルドリンの言うように小屋に戻ってくるとか、やり過ごす手段はある。確かに大丈夫そうだ。
その時、右肩に温かいものがすとんと落ちてきた。見れば、右隣に膝を揃えて座っていたブレリナが、わたしに寄りかかって寝息を立てていた。空になったスープのお椀とスプーンは行儀良く膝の前に揃えてあった。そういえば、ブレリナはこれまでのやり取りに一言も口を挟まなかった。よほど疲れていたのだろう。
トルフディル先生は、幼い孫でも見守るような表情でわたしたちに微笑んだ。
「そろそろ休もう。明日からは重労働だ。アーニエルは手厳しいからな」
アーニエル先生はにやっと笑って、自分の腰のあたりを無造作に掻いた。
「そりゃ、たまに手伝いに来るだけのよぼよぼのじいさんに壊れやすい壷やなんかを持たれたら、細かく口出ししたくもなるさ。今度の助手たちはあんたよりはずっと元気だから、気苦労が少なくて済みそうだ」