My Companion, My Dearest 作:春日むにん
テルドリン・セロの家
ギャランド船長の判断により、ウィンドヘルム行きの便は翌朝に出港することになった。
一ヶ月間のソルスセイム滞在の間に、わたしはレイヴン・ロックの人々とすっかり顔見知りになっていた。レッチング・ネッチ亭の主人、ゲルディス・サドリにソルスセイムを発つことを話すと、彼は、夜にささやかな宴会を開きたいと言った。レイヴン・ロック鉱山を復活させ、街に活気を取り戻してくれた恩人二人のためという名目だった。だが、その恩人二人のうち、わたしの方はきっと脇役に過ぎない。宴会の主役になるのは、わたしの従者を務めている傭兵のテルドリン・セロだ。街の人々の友人である彼が、わたしに付き従って念願のスカイリムへ旅立つことを、宴会の参加者たちは大いに祝い、惜しむだろう。
夜に宴会があるのなら、昼のうちに準備を済ませる必要がある。わたしはテルドリンと一緒に市場へ行き、日持ちのする食材を買って二人で分けて持った。その後は、わたしの錬金術の素材の買い物に付き合ってもらったり、逆に、テルドリンが欠かさず持ち歩いているというモロウィンド産の香辛料の買い物に付き合ったりした。
ナップザックの中身が充実して、出立の気概もいよいよ高まってきた頃、ふと、今まで気にもしていなかったが、とても重要なことに思い当たった。わたしは、道端の木箱の上にナップザックを置いて中身を整理しているテルドリンに尋ねた。
「ねえ、テルドリン。スカイリムに行く前に家族に会わなくていいの?」
わたしが彼を雇った日から今まで、彼がレイヴン・ロックで自由に過ごせる時間はほとんどなかった。彼の家族はさぞ寂しい思いをしただろうと思った。
ところが、返ってきたのは意外な一言だった。
「私には家族などいない」
わたしは目を何度か瞬かせた。
「え、そうなの。てっきり結婚してると思ってたよ。優しいし、強いし、なんでもできて頼りになるから」
ぶはあっ、と空気が爆発したような音がした。ちょうど横を通りがかった、頬に切り傷があって目つきの悪いダンマーの男、スリッターが盛大に噴き出したのだった。彼は歪んだ笑いを浮かべ、陰気なだみ声でテルドリンに話しかけた。
「これまた熱烈な求められっぷりだな、おい! 悪いことは言わねえから、今のうちに唾を付けとけよ、爺さん。どんなに不細工なちんちくりんでも、若けりゃ構わねえって奴はそれなりにいるからな」
ある程度距離があるのに、息が酒臭いのが分かった。雇い主であるモグルルが牢に繋がれたために、彼は現在、一時的に失職している。この様子では、モグルルの牢獄行きのきっかけを作ったわたしたちをかなり恨んでいるようだ。
テルドリンはスリッターをちらと見たが、すぐにナップザックに視線を戻した。彼は皮肉っぽい声色で応じた。
「羨んでばかりいても幸運は巡ってこないぞ。モグルルはお務め中、有力な同業者も島を離れる。これを機に、あのやくざ者の腰巾着などやめて、まともな雇い主を見つけることだ。そうすれば、その不景気な面を気に入る奇特な奴も現れるかもしれん」
スリッターは赤い目をぎらつかせてテルドリンを睨み据え、怒気を含んだ低い声で囁いた。
「俺はな、ほいほい主人を替える薄情者のあんたとは違えんだよ」
テルドリンはナップザックの上端の紐を絞ってから蓋をした。彼は、相変わらずスリッターとは視線を合わせずに言った。
「私は生憎、返せない恩を作らない主義なんでな。せいぜい、次はお咎めを食らうほどやり過ぎるなと忠告してやれ」
さらに何か言いかけたスリッターを無視して、彼はナップザックを右肩に引っかけ、わたしにキチンの兜の奇妙な顔を向けた。
「家族はいないが、飯を食って寝るだけの家ならある。少し荷物を取りに行きたい。ついてくるか?」
わたしは頷いた。この場に一人で残ったら、スリッターに難癖を付けられて厄介なことになりそうだった。それに、一ヶ月一緒に旅をしてきた相棒の家がどんな様子なのかも気になった。
わたしたちはスリッターの敵意に満ちた視線を背中に受けて歩き始めた。背後で唾を吐く音が聞こえた。
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レイヴン・ロックの街には、東帝都社時代の名残である煉瓦や板張りの家屋と、現在の居住者たるレドラン家の人々の伝統的な住居である、エンペラー・クラブの殻で造られたクラブ・ハウスとが混在している。煉瓦や板張りの家屋は港に近づくにつれ多くなり、クラブ・ハウスは街の防壁であるブルワークに近づくにつれ数を増す。
テルドリンはわたしを伴って市場を出ると、イエンス夫妻のクラブ・ハウスの後ろへ回った。わたしたちは、ぽこぽこと頭を出しているクラブ・ハウスの群れと、ときどきぽつんと心細そうに現れる帝国風家屋の間を縫うようにして進んでいった。クラブ・ハウスの大きさはまちまちだった。聖堂と同じくらい大きなものもあれば、地上部分に人が三人入るのがせいぜいと思われるような小さなものもあった。だが、三人しか入れないクラブ・ハウスでさえ、元となったエンペラー・クラブは、生き物としては相当に大きい。こんなに大きな生き物が、こんなに沢山いるなんて、モロウィンドは不思議な場所だと思った。
「よそ見ばかりしていると、ろくなことが起きんぞ」
不意にテルドリンの声が前方から飛んできた。わたしははっとして正面に視線を戻した。中程度の大きさのクラブ・ハウスの脇にしつらえられた天幕の支柱が、鼻先まで迫っていた。慌てて体を捻り、支柱を避けた。
「うわ! もっと早く教えてよ、危ないなあ」
「ふん。一度痛い目に遭った方が学習すると思ってな。ここは寂れているからまだいい。大きな街にはより沢山の危険が潜んでいる」
テルドリンは狭い路地の真ん中で立ち止まって、もっともらしい教訓を垂れた。声がにやついていた。わたしはむくれた。
「いつもぼんやりしてるわけじゃないよ。今はエンペラー・クラブのことを考えてて油断しただけ」
テルドリンは、歌うように言いながら、再び悠々と歩き始めた。
「マルカルスでは過去の住人たちの生き様に想像を膨らませ、ソリチュードでは帝都を真似た立派な街並みに気を取られていたんだろうよ」
実際、それらの街に行った際には全くその通りの行動を取っていたので、何も言い返せなかった。よく面倒事に巻き込まれなかったものだ。以前の同行者が進んで面倒事にくちばしを突っ込んでいたから、あちらの方からあえて近づいてくる必要がなかっただけかもしれないが。
わたしは気を取り直し、今度はよそ見をしないようにしながら、テルドリンの後を追った。
「エンペラー・クラブって、一番大きいのはどれくらい?」
「まだこのカニどもが気になるか。そうだな、昔アルドルーンの評議会に使われていたものだと、ざっとこの街の四分の一ほどはあったか」
この街の四分の一はあるというエンペラー・クラブを先頭に、彼らの大群がモロウィンドの川辺を横歩きで進んでいくさまが頭の中に思い浮かんだ。壮観だ。
「どこに棲んでるの? いつか見に行ってみたいなあ」
テルドリンは愉快そうに肩を揺らした。
「はははっ、残念だが、とっくの昔に絶滅しているよ。私たちは土に埋まっていた奴らの死骸を掘り出して使っているだけだ」
なんだ、そうだったのか。ちょっとがっかりだ。
テルドリンが歩調を緩めた。眼前に一軒のクラブ・ハウスが近づいていた。これもまた、三人程度しか入れなそうな大きさだった。テルドリンは腰のベルトの縁に指を差し込んで、裏側にくくりつけてあったらしい小さな鍵を取り出した。彼はその鍵を使ってクラブ・ハウスの木製の扉を開けた。
「ここだ。狭いから、頭をぶつけないように気を付けろ」
家の地上部分は、なるほど、彼の言葉と外観から想像した以上に狭かった。扉から入ってすぐ目の前に地下へ続く階段があった。階段の周囲には、聖堂やレッチング・ネッチのように歩き回れる余裕はなく、すぐそこにエンペラー・クラブの殻が迫っていた。
テルドリンは立ち尽くしていたわたしの背中をやんわりと前へ押しやり、扉に内側から閂を掛けた。続いて、入口の脇に放置されていたランタンに火炎の魔法で火を点けて手から提げ、さっさと階段を降り始めた。わたしは彼に続きながら、ランタンの明かりで照らし出された地上部分を一瞥した。殻と階段の間に存在するわずかなスペースに、箒や雑巾や木のバケツなどの掃除道具が横たわっているのが見て取れた。
地下部分は、地上部分よりはいくらか広かった。といっても、レッチング・ネッチなどとは比べものにならなかった。部屋は、階段から直接繋がる一部屋と、その左右に一部屋ずつの、合計三部屋しかなかった。
階段と直結している部屋はキッチンだった。正面の壁際に暖炉と調理鍋があり、暖炉からこちら側へ丸く繋がる壁の一方には薪や樽や木箱や小さな食器棚が並んでいた。それだけでこの部屋はいっぱいいっぱいで、残る空間にテーブル一脚と椅子二脚が窮屈そうに収まっていた。テーブルの上のしゃれた装飾の蝋燭台は薄く埃を被っていた。少しだけ、焦げたアッシュ・ヤムの匂いが漂っていた。鍋で作った料理の匂いが壁や床に染みついているのだろう。
テルドリンはテーブルの上にナップザックを置くと、左側の閉ざされていた木の扉を開けた。わたしはその中をひと目見た瞬間、
「なんか、ごちゃごちゃしてるね」
頭に浮かんだ正直な感想をついそのまま口に出していた。
その部屋はキッチンよりさらに狭い印象を受けた。右奥にベッド、その手前の左右の壁際に衣装ダンスと棚が詰め込まれている上、床にさまざまな荷物が放置されているせいかもしれなかった。幸い、戸口からベッドまでは歩いていける程度の隙間が確保されているので、ベッドで眠ろうというときにそれらの荷物に足を取られて転ぶことはなさそうだった。
テルドリンは特に気を悪くした様子はなかった。彼は入口の近くにある松明に火を点けつつ言った。
「ほとんどは前の住人の持ち物だ。なかなか整理がつかなくてな」
「出ていく時に持っていってくれなかったの?」
テルドリンは、ふっと息を漏らした。笑ったようにも、溜息をついたようにも聞こえた。
「あの世に引っ越すときには何も持っていけないものさ」
わたしは少しばつが悪くなった。わたしの気持ちを見透かしてか、テルドリンはひょうきんな素振りで首を傾げた。
「気に入る品があれば譲ってやってもいいぞ。思い入れがあって手放せないというわけじゃないんだ。奴も文句は言うまい」
彼はベッドの脇に歩いていった。ベッドの上には衣類が雑多に散らばっていた。下着らしい布切れや、彼が今着ているのと同じような厚手の服もあった。
彼がそれらをつまみ上げて確認している傍ら、部屋の中を見学することにした。鎧、武器、兜、置物、山積みの本、鉱石の塊、何かが詰まった大小の麻袋、使い道のよく分からない材木までもが置いてあった。まずは、手近なところにあった鉄の鎧の色合いや施された文様を観察した。それに飽きると、隣で山積みになっている本の題名を上から順に眺めた。題名だけでも前の住人の人となりが分かる気がして面白かった。一冊を手に取って前書きを読んでいたら、肩を軽く叩かれた。
「服を替えてくる」
テルドリンが片脇に衣類の塊を抱えて立っていた。わたしは彼の無表情な兜を見上げて頷いた。遠ざかる足音を聞きながら、視線を本に戻した。さらに何ページか読んでみたが、この本は思ったよりも難しそうだし、内容にあまり興味がない。もっと簡単で気晴らしに読めるような本はないだろうか。
わたしは部屋をぐるりと眺めた。すると、ベッドの向かい側の壁際にも本が積まれていることに気付いた。
テルドリンが置いていったカンテラを持って近づいた。その本の山は、鎧の隣の山と違って乱雑に重ねられていて、少し衝撃が加われば崩れてしまいそうだった。
その一番上にある、大判で赤色の革表紙に金色の刺繍のされた、わたしの手首の幅ほどの厚みのある本が目を惹いた。表紙にも背表紙にも題名や作者名は書かれていなかった。そっと手に取って、数ページめくってみた。
そこにあったのは、絵だった。さらに正確に言うと、ものすごく大人向けの絵だった。左のページで、貴族風の部屋の天蓋付きのベッドの上で裸の人物二人が見つめ合っていたかと思うと、右のページでは体をべったりくっつけ合っていた。
非常に繊細な筆致であるがゆえに、とても生々しく、とても美しかった。隅々まで見入ってから、次のページに移った。そこにもやはり大人向けの絵が描かれていた。舞台と登場人物は前のページと同じで、体勢や表情がより扇情的になっていた。もしかして、この類の絵がこの本いっぱいに描かれているのだろうか。なんだか胸がどきどきしてきた。近くにあったベッドの上に腰掛けて、読み進めることにした。
もう何ページか進んだ時、間に何かが挟まっていることに気付いた。取り上げてみると、それは指輪だった。絡まり合ったツタを模したらしい優雅な装飾の施された銀の石座に、小ぶりなアメジストが嵌め込まれていた。同じく銀でできた指輪の腕も、石座の装飾に合わせてツタを模してうねっていた。綺麗だなと思った。
「何をしているんだ!」
不意に、誰かの狼狽した声が聞こえた。顔を上げた時には、赤茶けた手袋に包まれた手が赤い本を奪い去っていた。目の前にテルドリンが立っていた。なぜか、ものものしい雰囲気で、肩を強張らせていた。
「あ、ちょっと、読んでたのに」
腰を浮かせて奪われた赤い本へ手を伸ばすも、それは素早くテルドリンの背中へ回されてしまった。彼は後ずさり、本を元の場所に戻した。それから、激しい抑揚を伴った声で言った。
「まったく、少し目を離すととんでもないことをしでかすな、お前は」
なんだかよく分からないが、怒っているようだ。わたしは戸惑った。
「読んじゃいけなかったの? 前に住んでた人が置いていったんでしょう?」
テルドリンは、急に、見えない手で首を絞められているかのように絞られきった、苦しそうな声になり、どもりがちに答えた。
「い、いや、それは…………そうだが。これはその、なんというか、お前にはまだ早い」
本の山の前に立ち塞がったまま、頭の堅い父親のようなことを言い出した。どうにも、彼はわたしを純粋無垢な子供扱いしたがることが多い。
「ああいうの、何度も見たことあるよ。昔の仲間が集めてたから」
「なっ……、だ、だからといって読んでいいことにはならん。刺激が強すぎる。特に後半は目も当てられないくらい酷い。眠れなくなるぞ」
そういった世界を知らないわけではないと遠回しに伝えたのに、テルドリンはなおも鼻息荒く言い募った。
しかし、なるほど、眠れなくなるのは困る。ただでさえ悪夢に悩まされているのだ。少し悩んで、いい解決策を思いついた。
「じゃあ、二人で一緒に読むのは? 夜までしばらく暇だし」
テルドリンの兜のレンズがランタンの光を反射して不機嫌そうにぎらついた。
「はあ!? 冗談じゃない。いったいどうしてそんな馬鹿げた考えが浮かんでくるんだ」
すごい勢いで拒否されてしまった。わたしがとてつもなく非常識な発言をしたかのような口ぶりだ。わたしは不貞腐れて呟いた。
「テルドリンと一緒なら、グロテスクな絵を見ても大丈夫だと思ったの」
テルドリンはその場で落ち着きなく足踏みをした。
「酷いってのはそういう意味では……いや、いい。とにかくお前にこの本は読ませられない」
彼はがっちりと腕組みをして私を見下ろした。お前があの本を諦めるまで一歩も動かないぞ、とでも言いたげな態度だ。気に入った物があれば譲ってくれるとまで宣言していたのに、どうなっているのだろうか。でもまあ、前の持ち主は亡くなっているから、今の持ち主はテルドリンだ。その彼からお許しが出ないなら仕方がない。
「分かった。読まないよ」
テルドリンの姿勢は変わらなかったが、本を取り上げてから強張ったままだった肩の力が抜けた。彼は視線を虚空に逸らし、ぼそりと小さい声で言った。
「いきなり怒ってすまなかったな」
「え? う、うん。別に大丈夫だけど」
わたしはそう答えるしかなかった。どうも、先ほどから彼は情緒不安定だ。
――そういえば、本の間に挟まっていた指輪が、わたしの掌の中に収まったままだった。
「これも前の人の?」
掌を広げて見せた。テルドリンは指輪を見下ろして数拍沈黙してから、しわがれた声を発した。
「ああ、そうだ」
「嵌めてみてもいい?」
「ああ、まあ……構わんが。ただ、私が以前試したら――」
構わんが、と言われた時点で、わたしは指輪を右手の中指に嵌めていた。指輪はまるで吸い寄せられるように滑らかに嵌まり、アメジストが中指の付け根で煌めいた。見惚れたのも束の間、鋭い耳鳴りに襲われた。視界の中の全てのものが何重にもぶれて、揺らいだ。耐えきれずに目をつぶった。途端に重心がおかしくなり、体がふらついた。
誰かに背中を支えられ、柔らかい場所に横たえられた。体の下から、溶かしたバターと蜂蜜に何かの香辛料を混ぜたような、蠱惑的な甘さの中にぴりっとするものの混じった匂いが舞い上がってきて、わたしを包み込んだ。心地良い痺れが背骨を緩やかに走り抜けた。このままずっとこの匂いに埋もれていたいと思った。
だが、その願いは叶わなかった。早々に、呆れた様子を露わにしたかすれ声が上から降ってきた。
「ひとの話は最後まで聴くものだ」
薄目を開けた。キチンの兜がわたしの顔を覗き込んでいた。
「その指輪には強力な魔力増強の付呪が施されている。体内に取り込まれる魔力が急に増えるから、ほんの少しの間目眩と頭痛に襲われるんだ、今のようにな。起きられるか?」
わたしは上半身をおっかなびっくり起こした。はじめのうちは側頭部がじんじん痛んだが、しばらくすると何も感じなくなった。頭を左右に振り、痛みが残っていないことを確かめた。次に、ベッドから立ち上がって体を動かしてみた。違和感はなかった。
試しに片手に魔力を集めてみた。今までは体のあちこちに薄く乗っている魔力を掻き集めているような感覚だったのに、指輪を嵌めた今は、分厚く積もっている魔力がひとりでにごっそり集まって、なお有り余っているような感覚だ。明らかに量が違う。
すごい、と呟き、改めて、右手中指に嵌めた指輪を眺めた。銀のツタをかたどった指輪の腕部分が中指に絡みついて離れまいとしているかのように見えた。唐突に頭に浮かんだことがあった。
「これ、婚約指輪とかなのかな?」
テルドリンが弾かれたように肩を揺らした。
「は!? どうしてそんなふうに思うんだ」
「装飾がすごく凝ってるし、付呪の効果も強力だから、その辺りで気軽に買えるものじゃないと思う。もしかしたら特別に注文して作ってもらったのかも。きっとすごく値段が張るよ。前に住んでた人への、誰かからの贈り物だったんじゃない?」
テルドリンはゆっくりとかぶりを振った。
「想像力が逞しいな。単に自分で使うために作らせた可能性もあるだろうに」
放置されている他の品物を見る限り、この指輪の装飾は前の住人の好みではなさそうだった。
「そうかなあ。でも、どっちにしても、綺麗だね」
石座に嵌まっている小さなアメジストを覗き込んだ。誰かの愛情のこもった指輪だと思って見れば、硬い殻の内側に温もりが宿っているような気がした。ずっと本の間に挟まっていたなんてかわいそうだ。
「……ふん。そんなに気に入ったなら、お前に譲ってやるよ」
テルドリンが低い声で言った。
わたしは驚いて首を横に振った。
「こんな大切そうな物、もらえないよ。お墓に供えてあげたら?」
「その必要はない。本当に大切だったら肌身離さず身に着けているものだ。自宅に置き去りにしていたということは、そこまで思い入れがなかったんだろう。あるいは、渡そうとした相手に袖にされて行き場を失ったのかもな」
いつもと同じ自信たっぷりな口調なのに、どことなく虚ろな響きが混じっていた。テルドリンだって大概想像力が豊かじゃないかと思ったけれど、それを口に出すのはなぜか気が引けた。
わたしは努めて明るく尋ねた。
「じゃあ、本当にもらうよ? 呪われたりしないよね?」
テルドリンは力強く頷いた。
「ああ。この部屋でろくな使い方をせずにくすぶらせているより、誰かに役立ててもらった方がよほどいい。……と、誰だか知らんが、元の持ち主も思うことだろうよ」
傭兵としていくつもの死線をくぐり抜けてきたためか、現実的な考え方だ。
綺麗な指輪をもらえたことが嬉しくて、わたしは右手を色んな角度に曲げたり高さを変えたりして、アメジストや銀のツタの見え方の変化を楽しんだ。
テルドリンは少しの間わたしの様子を眺めていた。それから、ふ、と、笑ったのか溜息なのか分からない息を再び吐いた。
「私はもう少しだけ荷物の準備をする。他にもめぼしい物がないか探してみるといい」
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テルドリンの荷物の準備はすぐに終わった。しかし、わたしが前の住人の遺品を物色がてら整理し始め、ときどき質問に答える以外は手持ち無沙汰になったテルドリンが在庫処分だとばかりにスケイスクローを煎じた苦い茶を淹れて押しつけてきたりもして、辛うじて部屋の入口付近の品物の整理ができた時には、夕刻を知らせる鐘が鳴り終わっていた。そろそろ宴会の参加者がレッチング・ネッチ亭に集まる頃合いだ。
テルドリンはわたしを連れて地上の扉の前に立った。そこで、ふと思い出したように話しかけてきた。
「昼間みたいなことは、宴会では言うなよ」
わたしは首を傾げた。
「昼間みたいなことって?」
閂の横木を引き抜いて階段の傍へ片付けながら、彼は答えた。
「結婚がどうとかいうあれだ。あの手のことはその気がなければ口に出してはいかん。誤解を招く」
あの時は純粋に褒めただけだったのだが、スリッターはわたしがテルドリンを口説いていると思って馬鹿にしてきた。なかなか難しい。
テルドリンは人さし指をぴっと立てて、わたしの中指を指した。
「それから、その指輪のこともだ。もし聞かれたら、そこらの遺跡で拾ったとかなんとか適当に答えるんだ」
「え、なんで? テルドリンがくれたのに」
「連中がその一言を聞いてどんな想像をすると思う?」
わたしは、グローヴァー・マロリーかエイフィア・ヴェローティあたりになったつもりで想像してみた。テルドリンと一ヶ月行動を共にしていたわたしが市場で突然彼に求婚めいたことをし、彼の家を訪ね、戻ってきたら高価そうな指輪をしている。どうしたのかと尋ねれば、テルドリンからもらったと答えが返ってくる。
心臓が跳ね上がった。これはまずい。大変まずい。
テルドリンは、それみろ、とばかりに鼻を鳴らし、扉を内向きに開け放った。西の空からのっぺりと広がっている夕陽の穏やかな赤色が、家の中に差し込んできた。彼はわたしに顎でしゃくって先に外へ出るよう示し、自らも出ると扉に鍵を掛けた。振り返りざま、彼は腰に片手を置き、まるで信用ならないといった様子でわたしを見据えた。
「いいか、今夜はさっき言ったことに重々気を付けろよ。私だけでなく、お前も被害をこうむるんだからな。ったく、ろくな娯楽がないせいで、誰も彼も要らん世話ばかり焼きたがる。これだから田舎町は嫌なんだ」
ヘンテコな兜を赤く染めて拗ねたように呟くテルドリンは、なんだか少しかわいかった。
-了-