My Companion, My Dearest   作:春日むにん

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2. いざない

 暖炉の薪の爆ぜる音で、ふと目を覚ました。小屋のはめ殺しのガラス窓の外は暗い。遠くから、びゅうびゅうと風の唸る音が聞こえてくる。

 

 少し前から気になっていたことがあった。それが何かは寝起きのぼんやりとした頭ではよく分からなかった。分からないままにしておくと落ち着かないので、確かめておこうと思った。

 

 わたしは毛布から抜け出した。暖炉の火に照らし出された、盛り上がっている毛布の数は四つ。アンカノ顧問は結局小屋に帰ってこなかったらしい。わたしは小屋の扉の閂をそうっと上げた。なるべく音を立てないよう気をつけつつ、扉を開けて戸外に出た。

 

 肌に沁みる冷気が剥き出しの顔や手に纏わりついた。強烈な風の音が耳に張りついた。わたしは灯火の魔法を頭上に放った。灯火は黒い空の下で白いものが荒れ狂っているのを照らし出した。雪が、亡霊の海から凄まじい速さでやって来る海風で舞っているのだ。海風と、海風に絡め取られた雪は、時々流れを外れて掘り下げまで吹き込み、わたしの全身を冷たい火のように炙っていった。

 

 少しの間その光景に見入った後、視線を地上に戻した。薄暗い視界の端に、アーチ型の影が佇んでいた。サールザルの遺跡の扉だった。

 

 わたしの足は自然と扉の方へ向かった。灯火の光の届かない周囲の暗がりに何かが潜んでいるかも、足元に何かが転がっているかもしれない、風のせいでろくに物音も聞き取れないのに、そういった心配事はふわふわと意識のうわべをうろつくだけで実感がなかった。

 

 扉の前に立って、両手をその厚みに沿わせた。精密な彫刻の凹凸が掌と指先をくすぐり、熱が鳩尾のあたりに生まれた。無駄なこととは知りつつも、両腕に体重をかけて扉を押してみた。

 

 重たい振動が掌に伝わってきた。扉の真ん中に隙間が開き、そこから明るい光が漏れた。

 

 開けられる。

 

 全身に鳥肌が立った。扉にはアーニエル先生が鍵をかけていた。その鍵は今小屋で眠っている先生の懐に入っている。だから、開けられるのはおかしい。

 

 何かが間違っている。小屋へ戻って先生たちを起こした方がいい。どうせ明日の朝からは遺跡に入り浸れるのだ。でも……一度開けてしまったからには、今、中を見てみたい。少しだけ。何が間違っているかを確認するだけだから。

 

「ここで何をしている」

 

 誰かの大声が、強風の合間に背中に叩きつけられた。右肩をぐいと掴まれた。わたしは肩に置かれた手を振りほどき、背後を顧みた。

 

 甲殻類のような兜と赤いマスク、つぎの当たった茶色い服の上に奇妙な鎧を着けた頑丈そうな体躯。テルドリン・セロだ。わたしは胸を撫で下ろした。だが、明らかに彼は、こんな夜更けにトイレに行くでもなく、締め切られているはずの扉の前にいるわたしを咎めていた。

 

「鍵が開いてたから、気になったの」

 

 後ろめたくなって、わたしは俯いてぼそぼそと言い訳をした。

 

 テルドリンは首を少し横に傾けた後で、かすれた声を張り上げた。

 

「開いていた? 妙だな。すぐに小屋に戻るんだ。アーニエルを起こしてその扉の鍵を閉めさせるぞ」

 

 その通り、一刻も早くアーニエル先生に知らせるべきだ。そう、思いはしたのだが。

 

 わたしは風のせいで彼の声が聞こえなかったふりをした。彼が再び何か言い出さないうちに、わたしは遺跡の扉に体重をかけて自分が横向きにすり抜けられるくらいの隙間を作り、内部に滑り込んだ。

 

 乾いた石と土の匂いが鼻の中に広がった。天井は剥き出しの土になっていて、足元には石の下り階段があった。階段を数段降りると、狭い通路に降り立った。通路はしばらく先でもっと広い空間に繋がっているようだった。通路と空間の境目あたりに火の灯されたランタンが置いてあった。

 

「おい。どういうつもりだ。まさかこの扉を開けたのはお前か?」

 

 テルドリンがわたしを追いかけてきた。彼の背後で黒い石の扉が閉まり、風の音が止んだ。今度は聞こえないふりはできない。

 

「違う。わたしが来たときにはもう開いてた。この中で何か起きてるんだよ」

 

 わたしは通路の先を片手で示した。テルドリンはわたしにつられてそちらを見やり、不機嫌そうな声色で続けた。

 

「だから確かめようとしたのか、お前一人で? 感心しないな」

 

「テルドリンがいるじゃない」

 

「今はな。さっき私が見つけていなかったら、お前は下手をすれば行方知れずか、死体になっていたかもしれない」

 

「あはは、大げさだなあ。危険な感じがしたらすぐ逃げ帰ったってば」

 

「私が今までに何度お前の命を助けたと思っている。お前には危機感がまるで足りない。おまけに戦う力もない。扉を開けていきなりドラウグルに襲われたらどうするつもりだったんだ」

 

 なんだか説教臭くなってきた。エルフの彼にとって、わたしはときどき生まれたばかりで何も知らない赤ん坊のように見えるらしく、こうして小言を言われる。でも、わたしは人間としては一人前の年齢で、一応彼の雇い主でもある。見くびりすぎないでほしいものだ。

 

 わたしは彼の小言から逃れようと、通路を早足で歩き始めた。

 

「はいはい、悪かったよ。今はテルドリンがいるし、ちょっとだけ見たら先生たちのところに戻るから、心配しないで」

 

「そうなるといいがな。どうも嫌な予感がする」

 

 間もなく通路が終わって、視界が開けた。

 

 正面に、巨大な人間の顔の彫られた石柱が聳えていた。石柱は石の天井から下の石畳までを貫いていた。石柱には元は石の階段がついていたらしいが、大半は崩れ去り、木製のものに替わっていた。わたしとテルドリンが立っているのは、壁を伝ってこの石柱に繋がっている木の足場だった。

 

 石柱の周囲には、何十人かで集会ができるくらいのスペースが広がっていた。そこは、今は、アーニエル先生か前の調査隊が持ち込んだと思われるいくつかの荷車と木箱、それに保管用の棚でごった返していた。広場は石の壁で四方を囲まれていて、左側の壁には幅広だが奥行きの浅い、やはり雑多な物品の散らばっている横穴が開いていた。そして正面の柱の影には、更に奥へ続くアーチ型の通路が見えた。

 

 壁際には一定の間隔でランタンが設置してあり、全てに火が灯されていた。それらの放つ光がこの空間をまんべんなく照らしているおかげで、わたしはこの光景を一目で見渡すことができた。

 

 穏やかな埃の匂いが乾燥気味のひんやりした空気とともに鼻腔に忍び込んだ。鳩尾の熱がかすかに沸き立ち、腹の中をくすぐった。

 

 テルドリンがわたしの隣に立った。広場の隅から隅まで二つのレンズをゆっくりと油断なく巡らせている。わたしは彼の真似をして、壁や床に一通り目を凝らしてから尋ねた。

 

「罠はないよね?」

 

「……ああ。あるとすればあの通路のあたりだが、魔術師ギルドの調査隊かアーニエルが解除済みだろう」

 

「よかった。じゃあ、下に降りるのは問題なさそうだね」

 

 わたしはうきうきした足取りで足場と階段を辿り、石畳に降り立った。テルドリンは不服そうに腕組みをしてわたしの後をついてきた。

 

 石柱周りのスペースは上から見た時の印象よりも更に雑然としていた。石畳には、長い年数が経過したためか、ボロボロに崩れている箇所があった。それらを避けるようにして置いてある荷車には、発掘に使うらしい道具が載っていた。広場の壁に張りついている足場の下には机と椅子が何脚か放置されていた。

 

 保管用の棚の中には、古びた武具、装身具、器、壷といった、この遺跡にもともとあったと思われる品が種類毎に並べられていた。わたしは石畳の崩れた箇所や荷車や積み重なっている木箱を避けて棚の一つに近づき、上から下までをじっくりと眺めた。

 

「すごい量。奥にはまだ沢山あるのかな?」

 

「さあ。遺跡の規模によるんじゃないか。ここにあるのが全てなら、そこそこ大きめの墓所という程度だ」

 

 テルドリンは荷車の向こうから答えた。どうにも気が乗らない様子で、腕組みを解いて左手で剣の鞘に触れている。だが、文句がないならもう少し先へ進んでも大丈夫だろう。

 

「奥も見に行こう。扉が開いてた原因も全然分からないし」

 

 飛び跳ねるようにテルドリンの横を抜け、遺跡の奥へ続く通路の入口に立った。全身に馴染んだ埃の匂いが、わたしの意識を薄暗い通路の先へといざなった。何かとても大切なものがその先にある気がした。わたしは暗闇に向かって足を踏み出した。

 

「やはり卑しい性根は隠せないと見える」

 

 突然、氷のダガーのように鋭く冷たい男の声が背後の広場に響いた。わたしはぎょっとして振り返った。足場の下に放置されていた椅子の一つに、いつの間にか、黒い服を着た背の高い人物が足を組んで座っていた。

 

 突風が体に吹きつけた。と思ったら、わたしはテルドリンの背中に庇われていた。テルドリンは左手で剣の鞘を握り、右手を剣の柄に置いていた。

 

「貴様の主人に襲いかかるとでも思ったか? 馬鹿馬鹿しい。単に、少々観察しておきたかったのだよ、貴様らが人目のない場所でどのような行動を取るかを」

 

 その嫌味っぽい喋り方には聞き覚えがあった。わたしはテルドリンの後ろから顔を出して、突然現れた男の姿を確認した。誰あろう、アンカノ顧問だった。

 

「顧問。大学に帰らなかったんですか?」

 

 わたしは、まだ戦闘態勢を解かずにいるテルドリンを押しのけるようにして、前に出た。

 

 顧問は、嘲笑とも溜息ともつかない、恐らくそれら両方を含んだ短い息をついて言った。

 

「あの浅はかなブレトンの思い上がりを報告するためだけに大学に帰るはずがなかろう。彼奴が実りのない調査を延々と進めるつもりなら、私は別個に動くまでだ」

 

 どうやらわたしたちが考えていたより、彼はずっと度胸があるようだ。

 

「もしかして、遺跡の扉を開けたのも顧問ですか?」

 

「無論。私の鍵開けの魔法にかかれば、二百年前の帝国製の鍵など造作もない」

 

 そういえば先日の騒動の時も、顧問は自前の鍵開けの魔法でドアの鍵を開けていた。わたしは素直に感心した。

 

「ドラウグルや罠が怖くないんですね」

 

 顧問は傍らの机の上を長い人差し指で叩いた。そこには、薄茶色のページを上にして、大判の本が開いてあった。

 

「魔術師ギルドの報告書によると、彼らが調査を行った全ての区域にドラウグルはいなかったそうだ。更に、アーニエルは報告書に書かれている事項を一通り確認したと言っていたが、危ない目に遭ったという話はしなかった。二百年の間にこの遺跡に新たな異常が発生していればあの男が騒ぎ立てないはずはない。すなわち現在においても、魔術師ギルドが調査を行っていた区域に限っては安全なのだ」

 

 一気に語ってから、顧問は今度はあからさまな軽蔑の眼差しをわたしに向けた。

 

「この程度は報告書を読んでいれば容易に想像がつくことだ。ところが君は先ほどアーニエルから話を聞くまで報告書の存在さえ知らなかった。発掘調査の前に予習をしておけと言われたであろうに、図書館の目録も確認しなかったのか? もしや文字もろくに読めぬのではなかろうな」

 

 恥ずかしくて頬に血が昇った。文字は一応読めるが、読み慣れてはいないので、他の学生と比べると理解が遅い。それに、図書館の使い方が未だによく分からない。だから、サールザル関連の本は一緒に予習していたブレリナに探してもらったのだ。思い返してみれば、何冊かの本が貸し出し中か行方不明だと彼女がぼやいていた気がする。

 

 どう答えたらよいか分からず黙りこくったわたしの隣に、さすがに剣からは手を離したテルドリンが並んだ。

 

「こいつと違ってあんたはおつむがいいということか。そいつは結構。ならば当然、スノーエルフの探し物とやらはとうに見つけたんだろう? 何せ、わざわざ透明化までして私たちの間抜け面を眺めている暇があるくらいだからな」

 

 顧問の尖った耳の先端に朱色が広がった。彼は椅子を払いのけるように後ろへ引いて立ち上がり、つかつかと近づいてきて、彼よりも背の低いわたしたちを威圧するように胸を反らした。

 

「私はこの遺跡に到着するまでに疲労困憊した。ゆえに、未知の領域に踏み込む前に、ここで休息を取っていたのだ」

 

 テルドリンは彼の言葉を一笑に付した。

 

「先へ進むのが怖くて仕方なかったと正直に言えばいいものを。サルモールには何につけても大げさな言い訳をする決まりでもあるのか?」

 

 顧問は切れ長の目を見開いて肩を怒らせ、今にもなんらかの魔法を発動させそうな勢いで両拳を握りしめたが、わなわなと震える息を吐き出して、それらの不穏な身振りを押し込めた。わずかに波立っている声で彼は言った。

 

「単独行動に懸念を抱いていたのは認めよう。いかな私でもドラウグルどもに際限なく沸いて出られたら分が悪い。ゆえに、私のために時間を稼ぐ囮が欲しいと考えていた」

 

 なるほど。つまり、顧問は一緒にサールザルを探検してくれる仲間が欲しくて、物好きな誰かが遺跡の扉が開いているのに気づいて入ってくるのを待っていた、というわけだ。

 

「ならば、そこらの頭の弱い傭兵でも雇って連れてくることだな。私にはあんたに付き合う気はない」

 

 テルドリンは顧問の遠回しな誘い文句を即座に拒絶した。

 

 顧問はひくりと喉仏を上げ、しばらく瞬きもせずにテルドリンの奇妙な形の兜を睨みつけていた。それから、不意に唇の端に歪んだ笑みを浮かべた。彼は、テルドリンから、二人のエルフの言い争いをはらはらしながら見守っていたわたしに視線を移した。

 

「君はどうなのだ?」

 

 顧問は、胡散臭い優しさに満ちた黄金色の眼差しをわたしに注いだ。

 

「その口の悪い従者はともかくとして、君は、この遺跡に非常に興味がある。そうではないか? ノルドどもの宝を掠め取りたいのか、それとも低俗な野次馬根性を満足させたいのかは知ったことではない。しかし私についてくれば、君の望みを叶えてやることができよう。どうだ、共に行く気はないか?」

 

 わたしはまるで彼に魅了されたかのように動けなくなった。遺跡の埃臭い空気が、遠くにある不思議な存在に共鳴してかすかに揺れ動いている気がした。鳩尾でくすぶっていた熱が胸の裏側を焦らすように焼いた。

 

 わたしが真夜中にこの遺跡に入ったのは、入口の扉の鍵が開いている原因を確かめるという口実があったからだ。顧問が原因だったと知った今、わたしがここにいる理由はない。

 

 でも、わたしはなぜか切望していた。この遺跡をもっと奥まで調べてみたいと。今そうしなければ、間違いなく後悔してしまう。

 

「一緒に行きたいです、顧問」

 

 アンカノ顧問の歪な笑みが一層深くなった。テルドリンが兜の二つのレンズをわたしに向け、珍しく狼狽えた声色で聞いた。

 

「正気か? この男に本当についていくつもりなのか?」

 

 わたしは、声とは対照的に無感情な彼のガラスの目玉を見つめた。

 

「うん。ちゃんと調査しようとしてるアーニエル先生には申し訳ないよ。でも……」

 

 テルドリンはゆるゆるとかぶりを振って、わたしの弁解を遮った。

 

「もういい。お前が一度言い出したら聞かないのは分かっている」

 

 もしかしたら、テルドリンは地上に戻りたいと言い出すかもしれない。でも、彼がいてくれないととても困る。わたしは自他ともに認める戦闘音痴だ。この顧問なら、そんなわたしに業を煮やして、本気で囮にしかねない。

 

「テルドリン。ついてきてくれるよね?」

 

 わたしは尋ねた。彼は、情けない顔をしているわたしから視線を外して嘆息した。

 

「当然だろう。私はお前の従者だ。来るなと言われない限りどこへでも行く。例えどんなにいけ好かん同行者がいようともな」

 

 最後のとげとげしい一言を向けられた当の本人は、すっかり勝ち誇った表情で自らの顎を撫でていた。

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