My Companion, My Dearest 作:春日むにん
落とし格子から先は、広めの一本道になっていた。一つ罠があったくらいで、敵は見当たらなかった。
進むにつれ、わたしの血管の中を柔らかくて小さな炎が巡っているかのような、ふわふわと心地良い感覚が全身に満ちてきた。それは今までずっと感じていた焦らすような感覚の集大成だった。目的の場所はもうすぐそこに違いないと、わたしの体は張りきって伝えていた。
しかし同時に、体の外側では、別の現象も起きていた。普通の石と苔の匂いのする空気の中に、ぴりぴりと肌を刺す空気が混じってきたのだ。空気が薄いとか、毒が撒かれているとか、そういうものとは違う。害はなく、実体もない。しかも、おかしなことに、それを吸い込むと頭が冴えてくる。そうするとなんだか、気持ち悪いような、気持ちいいような、よく分からない、まぜこぜの気分になる。
その空気を感じているのはわたしだけではなかった。アンカノ顧問のドラウグルはちょっとうきうきした歩き方になっていた。テルドリンは時々歩く速度を緩めては、纏わりつくそれを振り払おうとしているかのように頭を左右に振っていた。アンカノ顧問は胸を大きく広げ、肩を上下させて何度も深呼吸をしていた。
通路の果てに黒い扉があった。顧問のドラウグルがそれを躊躇いなく開け放った。
ぴりぴりした空気が少し濃くなった。下り階段の先に青緑色の光がちらついていた。
顧問のドラウグルを先頭にして階段を降りたわたしたちの目の前に、ウィンターホールド大学の元素の間くらいの大きさの四角い空間が開けた。わたしたちの立っている階段前のスペースから左右の丸太の階段を降りていったところが、この空間の地表面だった。
わたしたちの正面奥には四本の柱が聳えていて、青緑色のゆらめく空気の膜が柱の間に湧いていた。膜の内側に浮かんでいたのは巨大な球体だった。横方向にゆっくりと回転するその球体は、不揃いな形の岩のようなもので表面を覆われて、下から青緑色の光が透けていた。
わたしは一目でそれがおかしな空気の出所だと理解した。
わたしたちは誰からともなく、それをよく見下ろせるよう、スペースの縁まで移動した。
「スノーエルフが探していたのは、これか」
テルドリンとわたしの間に立った顧問が震える声で言った。その震えは、おそれから来るものなのか、それとも、喜びから来るものなのか、判断がつかなかった。
顧問のドラウグルが丸太の階段を降りて、球体に近寄ろうとしていた。わたしはその無邪気な姿を目で追おうとして、視界の中で別のものが動いたことに気づいた。
四本の柱の手前側に、蓋の開いた棺が一つあった。棺の中から一体の手ぶらのドラウグルが起き上がり、わたしたち三人を見上げていた。ドラウグルの体は球体と同じ青緑色の光を湛えていた。
番人。咄嗟にその一言が思い浮かんだ。いくら顧問が古代のノルドを馬鹿にしようと、彼らだって大切な宝を守るのにネズミ取りだけで済ませるわけがないのだ。
ドラウグルはやにわに片手を上げ、球体を穴が開きそうなほど凝視している顧問目がけてアイススパイクを放った。
テルドリンが顧問を庇って仰向けに押し倒した。アイススパイクは顧問ではなく、テルドリンの肩に突き刺さった。
ドラウグルが振り上げたもう片手で放った二発目のアイススパイクをわたしは横に跳んでよけた。テルドリンは顧問の胸の上から這い降りて立ち上がろうとしていた。彼を狙った三発目、四発目のアイススパイクを、わたしは魔力の盾で遮った。
「よくやった。あとは任せろ」
テルドリンがわたしの肩を引いて顧問の隣に尻もちをつかせた。彼は素早く抜剣しつつ左手で炎の精霊を召喚し、丸太の階段を駆け下りていった。
棺の中にいたドラウグルは、最も目立つ動きをしているテルドリンを標的に定めていた。ドラウグルは炎の精霊が背後からファイアボルトを浴びせてくるのを気にも留めず、テルドリンに向けてアイススパイクを連発した。
テルドリンは、それらのいくつかは剣で弾き飛ばし、残りは構わず撃ち込まれるがままにして、ドラウグルに突進していった。
「はぁっ!」
十分に距離を詰めた時、テルドリンはドラウグルの無防備な首に向かって剣の刃を一閃させた。それで全てが終わる、はずだった。
ところが。刃は、キィン、という、まるで鋼の鎧にでも当たったかのような音を立てて、折れた。ドラウグルの首に触れたところから、真っ二つに。折れた先は床ではね返って転がった。
肝心のドラウグルの首は無傷だった。ドラウグルは両手を振り上げて、魔力を掌にほとばしらせた。青光りする電流の膜がドラウグルの全身を繭のように覆った。雷のマントだ。
「ぐぅっ……!」
とどめを刺すために間近まで迫っていたテルドリンは、電流をまともに食らうことになった。彼はよろめき、覚束ない足取りで数歩後退した。ドラウグルはそこへ更にアイスストームを撃ち込んだ。
「テ――!」
思わず膝立ちになったわたしの口を、冷たく乾いた手が塞いだ。
「大声を出すな。私たちに標的が移るであろうが」
顧問の上ずった囁き声が耳のすぐ近くでした。
テルドリンは追撃のアイスストームを魔力の壁で防いでいた。全ては無力化することができず、足や脇腹に氷の結晶が張りついた。
その追撃が終わると、ドラウグルは両腕を下ろし、じりじりと後ずさった。魔力切れのようだ。テルドリンがすかさず追いすがり、折れた剣の先で首を突きにかかった。
また鎧とぶつかったような音がした。ドラウグルは剣に押されてのけ反ったが、無傷だった。
テルドリンはダンマーの言葉で罵声を上げ、ドラウグルの剥き出しの腕や防具の隙間を短くなった剣の刃で斬りまくった。全て、無駄だった。
呆然とした様子で再び後退したテルドリンを前にして、ドラウグルはがらがらと不気味な笑い声を立て、球体に近い片手を高く掲げた。球体を取り巻く青緑色の空気が、その掌の先に吸い込まれるように引き寄せられていった。
「力の源はやはり、あれか」
顧問が呟いた。次にはわたしの口を塞ぐのをやめ、例の光の円盤の魔法を発動した。彼はテルドリンとドラウグルを大きく迂回して、球体の斜め上に浮かんだ。そして、両手を胸の前に突き出し、球体に向けて電撃の魔法を放ち始めた。
ドラウグルは狼のような唸り声を漏らし、顧問の方へ頭を巡らせた。自分以外の何者かが球体に干渉していると感づいたらしい。球体から充填した魔力で、ドラウグルは顧問に向かってアイススパイクを撃った。
顧問は電撃の魔法を引っ込めて魔力の盾を発動し、間一髪のところでアイススパイクを無効化した。ドラウグルが古の言葉で何事か呟き、テルドリンにくるりと背を向けて走り出した。標的を顧問に変えたのだ。
顧問は焦った様子で天井近くまで浮上し、更にドラウグルから逃れるように空間の隅の方へ移動し始めた。
「其奴の動きを止めろ、老いぼれ! その魔法は私にしか解けない!」
既にテルドリンはドラウグルの後を追っていた。ドラウグルはテルドリンが迫っていると見るや、雷のマントをもう一度発動した。電流の膜でドラウグルの全身が覆われた。更にアイスストームが一発繰り出された。テルドリンは、容赦のない氷の暴風と、その先の電流に覆われたドラウグルの体に、微塵の迷いもなく跳びかかった。
ドラウグルが喚きながら床に仰向けに倒れた。テルドリンはその上に馬乗りになり、ドラウグルの両掌が下になるよう、手首ごと床に押さえつけた。
「テルドリン!」
わたしはテルドリンの言いつけを破って駆け出した。ドラウグルの動きは封じられている。だがテルドリンも無事ではいられない。さっきまでのダメージに加え、雷のマントで体力を奪われ続ける。
走り寄るにつれ、ドラウグルの怒声に混じって、テルドリンが食いしばった歯の間から苦しそうな息を漏らしているのが聞こえてきた。
「馬鹿。来るな」
テルドリンの叫びを丸っきり無視して、わたしは彼に抱きついた。
彼に触れたところから、肉や骨を少しずつ離ればなれにしようとしているかのような、気持ちの悪い痺れが広がってきて、わたしの体を支配した。喉から悲鳴が漏れた。頭がおかしくなってしまいそうだった。でも、テルドリンの背中の温かさが正気を保たせてくれた。わたしは彼に回復魔法を掛けなければいけないのだ。
「テルドリン……」
わたしは自分を奮い立たせるために彼の名前をもう一度口にして、体中を流れる電流の隙間を縫って魔力を掻き集め、テルドリンの肩から回して胸に重ねた掌から放出させた。穏やかな熱が、テルドリンの肩や脇腹のアイススパイクにやられた部分や、電流で弱りきった体の内部に沁みていくのが分かった。
その時、例の球体を覆っていた青緑色の膜が消失した。体の外側で渦巻いていたぴりぴりした感覚もなくなった。
顧問が球体の脇に浮かび、腕を組んでわたしたちを見下ろしていた。目をらんらんと輝かせ、高慢で誇らしげな笑みを浮かべて。
「終わらせろ。其奴はもう無力だ」
テルドリンは押さえていたドラウグルの両手を離し、ドラウグルが魔法を放つ隙も与えずにドラウグルの頭を素早く鷲掴みにして、折れた剣の刃で首を切り裂いた。
ドラウグルの体が一度、わたしたちの下でびくんと跳ねた。それから、全てが静まり返った。
テルドリンが頭を垂れて長い息をついた。彼は、まだ抱きついたままでいるわたしの腕に指の先で軽く触れた。
「無事か?」
「わたしは全然平気。ちょっと痺れただけ」
「ちょっと痺れただけって、お前なあ」
テルドリンはわたしの腕を外して立ち上がり、背を向けたまま、いまいち感情の読み取れない声で、もごもごと言った。
「何も、私と一緒に雷のマントにやられる必要はなかっただろう。離れたところから掛ければよかったんだ」
「そうなんだけどね。つい焦っちゃって」
「……さっきは体力が限界に近かった。回復魔法そのものはいい判断だった。助かったよ」
テルドリンはわたしを振り返り、柔らかく励ますような声色で続けた。
「ただ、次からは、焦りに負けず、冷静に行動しろ。間違っても自分の護衛と共倒れになどならんようにな」
「分かったよ。ありがとう、テルドリン」
テルドリンは小言も多いが、良いと思ったところはこうして率直に褒めてくれて、きちんと忠告もしてくれる。それが、こそばゆくて、嬉しい。
わたしたちの隣に顧問が降りてきた。相変わらず得意げに反り返っていたが、その表情の中にはなぜか苛立ちがちらついていた。
「脱出口を未だ発見していないにもかかわらず、既に外に出られたかのような口ぶりだ。大した楽天家だな、君らは」
確かに安心するのはまだ早い。でも、そんな突っかかるような言い方をしなくてもいいのに。
テルドリンが顧問に皮肉っぽい口調で応じた。
「お褒めいただいて光栄だ。その通り、出口はまだ見つかっていない。だが、あんたはもうお目当てのものを探し当てた。大学に帰る頃合いじゃないか」
顧問は片方の下瞼をひくつかせた。
「そうしたいのは山々だ。しかし、あのドラウグルの巣以外の出入口がもしあるならば、把握しておく必要がある。大学の者たちをここに入れ、転移の魔法陣を構築させ、あの物体を大学へ移動させるためだ」
彼は、四本の柱の間に浮かんで回転している球体を指さした。球体を覆っている不揃いな形の岩――その岩と岩の継ぎ目には、びっしりと青緑色の文字が並び、明るい青緑色に光っていた。未だかつてどこでも見たことのない文字だった。
球体を眺める顧問の表情は、いつになく生き生きとしていた。この球体に秘められた力のことを想像しているのだろう。わたしもウィンターホールド大学の学生の端くれだから、同じ気持ちが全くないとはいえない。しかし、どことなく不安も感じる。
この球体を大学に運びたいと顧問が言ったら、遺跡を壊されたアーニエル先生は憤慨するだろう。でも、他の先生や研究生、学生たちは? たぶん、いや、絶対に喜ぶ。あっという間に大学に移動させ、色んな実験を始める。……爆発したりしないだろうか。とても心配だ。
「したがって、君らは引き続き周囲を探索したまえ。脱出口が見つかったらここに戻ってきて報告するように」
「顧問は来ないんですか?」
顧問はじろりとわたしを見下ろし、次いで床の上に倒れているドラウグルに目をやった。
「私はこの球体とそのドラウグルについて調べることがある。君のお気に入りの仲間を貸してやるから、さっさと出発したまえ」
顧問が手招きをすると、球体の裏手から顧問のドラウグルが走ってきた。テルドリンが喉の奥で、うっと唸った。
わたしは、球体から顧問のドラウグルの方へ目を逸らした瞬間、体の奥の急かすような感覚がまだ消えていないことに気づいた。わたしが見つけたかったのは、この球体ではなかったのだ。