My Companion, My Dearest 作:春日むにん
球体の裏にあった黒い両開きの扉を開け、狭い通路を抜けたところには、石造りの遺跡には不釣り合いな、天然の土の地面と天井が広がっていた。天井に開いた穴は地上に通じているらしく、淡い朝焼けの光が差し込んでいた。外気が入ってきているせいか、遺跡の他の場所よりも寒かった。
その中に、雑草に囲まれるようにして、背の高い半円形の壁が建てられていた。壁の下半分には爪で引っ掻いたような文字が並んでいた。
体中の血液が、にわかに燃え立った。これを探していたのだ、とわたしは思った。
足が勝手に動いていた。わたしは半円形の壁の中に立った。寒さがいくらか和らいだ。壁は、その高さと重みでわたしを威圧しているようにも、外界からわたしを守ろうとしているようにも感じられた。
わたしは壁の文字に手で触れた。
瞬間、目の前が真っ暗になった。何も見えない。何も感じない。暗闇の中から色も形も分からない何かがふっと浮かび上がって、わたしの頭の奥深くへなだれ込んできた。その正体をわたしは知らない。知りたくない。前も同じようなことがあった。なぜだろう、さっきまであんなに求めてやまなかったのに、もうこれ以上わたしの中に入ってこないでほしい。
けれど、嵐のように荒れ狂う心の中で、わたしをなだめるわたしがいた。今はまだ分からないかもしれない。でも、怖がらなくて大丈夫。時が来れば、必ず――。
唐突に暗闇が晴れた。わたしは元の半円形の壁の中に立っていた。
「こんなところにもこの壁があったとは。驚いたな」
テルドリンがわたしの隣に立ち、壁の独特の文字を眺めた。以前、彼と一緒に入ったノルドの遺跡のいくつかでも同じような壁があって、同じようなことが起きたのをわたしは思い出した。
「お前はこの文字を読めるわけではないんだったか? まあ、今時分に読めるのは研究者くらいか。古のノルドの一部が使っていた文字だというが……」
テルドリンが喋っている途中で、背後から狼が無理やり人語を話しているかのような不気味な声が聞こえてきた。アンカノ顧問のドラウグルだった。歯の抜けた口を開閉し、喉の奥から声を絞り出していた。
「もしかして、これを読み上げてるの?」
わたしの問いにドラウグルはぽかんと口を開けて黙り込んだ。意味が理解できないのだろうか。
テルドリンが鼻を鳴らした。
「フン。まともな意思疎通ができれば、死霊術にも使い道があると認めてやってもいいんだが。やはり、邪悪で低俗な術に過ぎんな」
ドラウグルは、口を開けたまましばらく立ち尽くしていた。それから、よたよたと体を回転させて、石碑から見て右手側に歩いていった。
「あ、どこ行くの?」
「すねて引きこもろうとしているんじゃないか。主人に似てプライドが高いらしい」
軽口を叩くテルドリンを連れて、わたしはドラウグルを追いかけた。半円形の壁から抜ける時、少しだけほっとした。もうこんな妙なことは起こるまいと思う一方で、もしまたいつかこの壁に出合ったら、懲りずに同じことを繰り返す気もした。
半円形の壁ばかりに目が行って気づいていなかったが、右手には扉が一つあった。その先には、岩壁を掘って作られた、でこぼこした通路が長いこと続いていた。いったいどこまで行くのかと不安になってきた頃、波の音が通路の壁に反射して聞こえてきた。
通路の果ては、氷と雪でできた、冷気と潮の匂いに満ちた洞窟だった。通路付近は天井が高かったが、先へ進むにつれ低くなり、しまいには腹ばいで氷の天井と雪の地面の隙間をくぐることになった。波の音はどんどん大きくなり、灯火の魔法を使わなくても周囲の様子が分かるほど明るくなった。
やがて、鼻先を冷たい潮風が掠め、きらきらと瞬く白い光が目を射た。ホーカーや熊は潜り込むことさえ不可能と思われる小さな洞窟の出口が、朝焼けを映して鈍く輝く亡霊の海と、雪混じりの砂浜を切り取っていた。
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わたしたちはアンカノ顧問のところへ報告に戻った。ほどなく、顧問のドラウグルを先頭にして、氷と雪の洞窟に繋がる通路を歩くことになった。
「予想通りだ。外界への出入口は間違いなく存在すると思っていた」
わたしの前を行く顧問が得意げに言った。
「どうして分かったんですか?」
「君はこんな簡単なことも自分の頭で考えられぬのか? 例えば、遺跡のそこここで火を灯されていた蝋燭だ。何千年分も作り置きされていたとも、そのように長い年月を経ても劣化しない代物が作れるとも思えぬ。死体や小動物からも作れないことはないが、非効率的だ。だとすれば、定期的に外へ材料となる動物を狩りに行っていたのであろう。
ドラウグル――獰猛、従順、そして器用な死者を作り上げたという一点のみにおいては、私もノルドに感服せざるをえない」
顧問は興奮気味に語った。なるほど、言われてみればその通りだ。最初の一言がなければ、もっと気持ちよく納得できたのだが。
「感服したから、持ち帰って自分の部屋に飾ろうというのか? どうかしているよ、あんたは」
先ほど倒したドラウグルを肩に担いで、わたしたちの後ろを歩いているテルドリンが、怒りと呆れに満ち満ちた声で言った。
顧問は横顔を見せて、不貞腐れた様子のテルドリンと、事切れたドラウグルの体を満足そうに一瞥した。
「インテリアとしても悪くはないがな。まだ調べたいことが山ほどあるのだ。あの物体と一緒に置いておくと他の者に取られてしまう」
顧問からこのドラウグルを運び出せと命令された時のテルドリンは、それはもう猛烈な拒絶ぶりだったが、誰のおかげで無事でいられたのか云々と顧問が声高に主張し始めたために渋々折れた。テルドリンはドラウグルを担ぐ時、帰ったら風呂で念入りに体を洗わなければとか、鎧に臭いがついたらどうしてくれるとか、ぶつくさ呟いていた。
そういえば、顧問には先ほどのことも含めて、ろくに礼を言っていなかったのだった。さんざん馬鹿にされたものの、結果的に何度も助けてもらい、目的も果たすことができた。礼儀は尽くしておきたい。
「顧問。助けてくださってありがとうございました。今の戦いだけじゃなくて、サールザルに入ってから、ずっと。おかげでわたしの方でも探してたものが見つかりました」
テルドリンも、とてつもなく不本意そうではあったが、わたしに続けて言った。
「私からも一応は感謝しておく。あくまで、こいつの探し物に手を貸したことに関してだけはな」
再び正面に向き直った顧問の、尖った耳の先が少し赤くなっていた。
「……ようやく最低限の礼節を弁える気になったか。遅すぎるが、受け入れてやらぬこともない。貴様らの働きぶりは、諸々を考え合わせれば及第点といったところだった。またこのような機会があれば同行させてやってもよい。無論、私自らがこの荒涼としたノルドどもの領分を出歩く機会など、今後あってほしくはないが」
わたしも、そんな機会はなるべく訪れないことを願いたい。
それで会話はいったん終わった。しばらく黙って歩き、わたしたちは氷と雪の洞窟に着いた。
不意に、顧問が立ち止まった。つられてわたしもテルドリンも止まった。どうしたのかと思ってその黒い背中を眺めていたら、彼は何かを喉に詰まらせでもしたように、くっくっと苦しそうな笑い声を立てた。
「しかし、思い返してみれば、まるで再現だったな、これは」
独り言めいた小さな声で彼は言った。本当に独り言なら反応する必要はないけれど、独り言でないなら一応話を聞かないと怒るかもしれない。わたしは尋ねた。
「何がですか?」
顧問が振り返った。自信たっぷりの悦に入った笑いを浮かべていたが、同時に、どこか憂鬱そうな影が瞼の上や頬のあたりにかかっているようにも見えた。
「私たちが過ごしたこの一夜だ。スノーエルフもまた、何千年も前の一夜、愚かにも邪魔立てするノルドどもを倒して最深部に辿り着き、あの唯一無二の至宝を手に入れたのではないか?」
今の今まで、そんなふうに考えたことはなかった。でも、言われてみれば、顧問とテルドリンはあの壁画で描かれていた侵略者と同じ、エルフだ。彼らを迎え撃ったのはノルドの成れの果て。一度は奪われた秘宝を、もう二度と奪わせまいとして蘇った死者たちだ。そして、わたしは――
「彼らの傍らには、内通者がいたやもしれぬ。ノルドでありながらノルドを裏切った者。都市の最奥部まで彼らを手引きするような者が」
わたしとテルドリン、どちらに向けているともつかない顧問の黄金色の両眼は、あの「涙の夜」の壁画を見ていた時と同じで、とても寂しそうだった。彼が常に振りまいている傲岸不遜な態度とは天と地ほどの差があるその眼差しに、わたしは急に惹きつけられて動けなくなった。今、例えば顧問に首を絞められたり、火炎の魔法で燃やされたりしても、抵抗なしに受け入れてしまう気がした。
わたしを正気に戻したのは、テルドリンの心底馬鹿にしたようなかすれ声だった。
「ハッ。くだらん。その妄想、大学の連中には聞かせない方がいいぞ。神経質が昂じて、いよいよイカれたと思われるからな」
顧問の目の寂しそうな光は、みるみるうちに、燃え盛る憤りの炎に塗り替えられた。
「傭兵風情が……ッ、ウィンターホールド大学顧問たる私に向かってなんという口の利き方だ! 貴様らは用済みだ、いっそここで始末してやろうか!」
「やれるものならやってみろ。脱出口を見つけた以上、あんたのご機嫌を取る必要はなくなった。あんたが消えても大学の連中は頓着しないだろうよ。むしろ、私たちに礼を言いに来るかもな」
「なッ、なぁッ、ぬわぁ~にぃ~!?」
「ちょっ、ちょっと、落ち着いてください! テルドリン、言い過ぎだよ、謝って!」
「謝罪など聞かぬわ! その不格好な鎧ごと海の底に沈めてやる!」
「……貴様、モロウィンド一の鎧鍛冶の特注品を、不格好と言うか……? よかろう、返り討ちにしてくれる」
「もう、やめてってばー!」
すったもんだしているわたしたちを、顧問のドラウグルが不思議そうに首を傾げて見つめていた。
-『サールザルにて』了-