My Companion, My Dearest 作:春日むにん
1. 魔法使いのカジート
眼前に屹立する、巨大な氷でできた人型の怪物が、分厚い氷の腕を振り回し、わたしの脇腹に重い一撃を入れた。なけなしの筋肉を精一杯引き締めたので体が真っ二つになることは避けられたが、脇腹で内出血が起きている気持ちの悪い感覚に囚われながら盛大に吹っ飛んだ。石の床で全身を強打する寸前になんとか受け身を取った。
短い叫び声が聞こえた。何を叫んでいるかは聞き取れなかった。脇腹と、受け身で衝撃を緩和しきれなかった腰が急激に熱を帯び、じんじんと痛んだ。両目から涙が噴き出た。にじむ視界の中で、氷の怪物はハンマーのように太い腕の前面を、誰かの頭上に振り上げていた。
このままでは「彼」が死んでしまう。だが、これ以上はどうすることもできそうにない。わたしにもっと力があればよかったのに――戦い、守り、癒す力が。そうすれば「彼」を救えただろうし、もっとずっと前に起きた色々な出来事も、全く違う結末を迎えていただろう。
わたしは瞼を閉じた。つい先ほどまで、こんなことになるとは思っていなかった。なんだかんだと不安は抱えながらも、今日ここで巡り合ったいくつもの「初めて」に、わたしの心は躍っていたのだった。
始まりは、あの馬車の中だった。
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二頭の馬の歩みと、地面の小さな凹凸でぶれる四つの車輪とが、わたしたちの乗る箱形の馬車を穏やかに揺らしている間、わたしは夢を見ていた。
幼いわたしは、薄暗いテントの中で、父の温かな右腕に顔をもたせかけていた。わたしは、彼がすり鉢にいくつかの薬草を入れて、乳棒ですりつぶし、混ぜ合わせていくのを眺めていた。父は鼻歌を歌っていた。それは、父とわたしを含む旅芸人一座がサーカスで披露する、そのときどきの流行りの歌だった。父は人前で演じる時よりも、怪我に効く薬を作り、魔法で仲間やサーカスの客を癒している時の方が楽しそうだった。
車輪が石でも弾いたのか、馬車が大きく揺れた。わたしは久しぶりに現れた父の幻を逃すまいと、彼の腕に必死でしがみついた。父はいつものように頭を撫でて声をかけてはくれなかった。出来上がった塗り薬を黙々と容器に詰め、次の薬作りに取りかかっていた。薬なんてどうでもいいのに。わたしはただ、父の顔が見たい。父の声が聞きたい。
「もうすぐ着くよ。そろそろ支度しとくれ」
顔のはっきりしない父がわたしを見下ろしてしわがれ声で言った。ああ、これは父の声ではない。これは――
わたしは瞼を開けた。眼前の御者用の覗き窓から、目尻に皺の刻まれた青い目が一対、わたしに笑いかけていた。
わたしは寝ぼけ眼で曖昧に笑い返し、覗き窓が閉まっていくのを見守った。それから、自分が夢の中で父にそうしていたのと同じように、誰かの右腕に顔をもたせかけ、しがみついていることに気づいた。
その腕は、父よりもずっとがっしりしていて、分厚い筋肉から発される熱で温かいというよりも熱い。橙色の目の粗い布服に包まれていて、奇妙な生物の殻を組み合わせて造られた、赤茶けた艶のある籠手を肘から先にはめている。胴回りに同じように赤茶けた鎧を装備し、頭部にヘンテコな形の兜と赤いマスクを身につけたその人物は、未だに体重を預けたままぼんやりしているわたしに文句を言うでも軽口を叩くでもなく、腕組みをしてじっと正面の馬車の壁を見据えていた。
「テルドリン、ごめん。腕を枕にしちゃったね」
腕から顔と手を離して声をかけると、わたしの従者のテルドリン・セロは、今ようやくわたしの存在を思い出したとでもいうように肩をぴくりと動かして、こちらにヘンテコな兜の正面を向けた。
「構わん。それより、今のうちにマントを羽織っておけ。ウィンターホールドはウィンドヘルムの五倍は寒いぞ」
彼のかすれた声には普段よりも少し覇気がなかった。わたしは足元に置いてあるナップザックの中から、ウィンドヘルムのヴィオラ・ジョルダーノからもらった派手な色遣いのマントを取り出した。
「テルドリンは何か着ないの?」
わたしは胸の前でボタンを留めながら聞いた。
「私は鍛えているからな。極寒の海に突き落とされでもしない限りはこの装備で十分だ」
威勢のいい減らず口もどこか上の空に終わらせて、テルドリンは再び正面へ向き直った。わたしは不思議に思いながら、傍らの窓の幕を上げ、窓の外に顔を出した。
わたしたちの乗っている二頭立ての箱型の馬車は、暗い藍色の海を望む崖沿いの道を進んでいた。灰色の曇天から大粒の雪が静かに舞い落ちていた。頬にぴりっとした痛みが走った。テルドリンの言った通り、ウィンターホールドはウィンドヘルムよりもずっと寒い。漏らした吐息は、真っ白になって進行方向とは反対側に流れていった。
海の彼方にはぽつんとひとつ背の高い岩山が突き出し、その上に直線的な輪郭をした灰色の塊がうずくまっていた。目を凝らすと、それは建物だった。遠くから眺めている今でさえ拳二つほどの大きさに見えるその建物は、ソリチュードのブルー・パレスやウィンドヘルムの王たちの宮殿に匹敵するか、もしかしたらそれら以上の広さ、高さがあるかもしれない。ただ、周りに他の建物が全くないために、どことなく物悲しそうな雰囲気も漂っていた。
「あれがウィンターホールド大学かな? すごく大きいんだね」
ここ二週間ほどずっと目指していた場所がようやく近づいてきたことにわくわくして、わたしはテルドリンを振り返った。彼は兜をほんの少しだけこちらへ向けた。二つのレンズが外の光を反射して鈍く煌めいた。
「ああ。変わらんな、あの大学は。相変わらず、まるで己こそがここらの真の主だと言わんばかりだ」
お得意の皮肉っぽい大仰な調子で彼は言ったが、両腕を組んだまま身振り手振りも全くなく喋ったので、なんとなくちぐはぐに感じられた。
わたしはふと、彼のこれまでの話しぶりから頭の中に浮かんだことを口にした。
「テルドリンはウィンターホールドに来たことがあるの?」
彼は腕組みは解かないままで肩だけ軽くすくめた。
「昔、住んでいたことがある。お前のひいじいさんが生まれるよりも前の話だ。大学の中に入るのは今回が初めてだがな」
普段はあまり意識せずに接しているが、テルドリンはダンマーで、二百年以上生きている。つい最近あったかのように話していることが、よく聞いてみると人間のわたしには想像もつかないような遠い昔の出来事だったなんてことがざらで、面白かったり、少し寂しかったりする。
いつもの彼ならもっと詳しい思い出話をペラペラと勝手に語ってくれるものだが、ここのことはあまり覚えていないのだろうか。わたしの曾祖父が生まれる前とは、どのくらい前のことだろう? 頭の中で大雑把に計算しようとしていた時、複数の人が言い合いをしているような声が馬車の外から聞こえてきた。
わたしは再び窓から顔を出した。ウィンターホールド大学のお膝元の町、ウィンターホールドはすぐそこに迫っていた。藁葺きや板張りの屋根の連なる町の内側とわたしたちの今いる側とを、ウィンドヘルムのものよりも小さいが整然と積まれた石煉瓦の壁が隔てていた。壁の片側は雪山の急斜面に潜り込み、もう片側は崖の縁で上の方がいくらか崩れて終わっていた。石煉瓦の壁の中央、わたしたちの馬車の行く街道の先に締め切られた木の門があった。その門前に立ち、門を守る衛兵と押し問答をしている人物がいた。
「ジェイ・ザルゴはカジート・キャラバンの商人ではない。大学に入学しに来たと、いったい何度言ったら分かるんだ」
独特の抑揚のある男の声だ。分厚いもこもこしたコートを着ている。フードを深く被ってこちらに背を向けているので、どのような顔形をしているかは分からない。ひとつ確かなのは、彼がカジートであるということだ。彼は、尻のあたりから突き出た焦茶色に黒の縞模様の入った尻尾で、苛立たしげにぱたぱたと自身の背中を叩いていた。
心臓をぎゅっと掴まれたような心地がした。スカイリムでは見かけることの少ないこのカジートという種族を見かけるたび、わたしは旅芸人一座で妹同然にかわいがっていた「彼女」のことを思い出す。
「ならば早く推薦状とやらを見せろ。俺には魔法使いのカジートがいるなどとは到底信じられん」
衛兵は頭一つ分以上も背の低いカジートに向かって背中を屈めて、居丈高に、若干の意地悪さも感じさせる声色で言い放った。カジートは尻尾をぶわっと膨らませた。
「イヤだ。この推薦状はジェイ・ザルゴの命にも等しい。オマエのような性悪ノルドに渡すことはできない」
「いったいどの口でそんなことを言っている。こんな北の果てで何を盗み出すつもりか知らんが、俺の目は誤魔化せないぞ」
「高度な付呪の施された指輪や上位魔法の呪文書なら盗んででも手に入れる。だが、オマエたちの守る薄汚れたゴールドや痩せたニワトリに興味はない」
「ハ、やはり貴様は盗っ人ではないか!」
二頭の馬の鼻息が空気を震わせた。馬車は不穏な雰囲気の衛兵と、魔法使いだというカジート、ジェイ・ザルゴの背後で止まった。
ジェイ・ザルゴがこちらへ顔だけ向けた。青緑色の目をして、口元に黒いヒゲを生やした、尻尾と同じ焦げ茶色の毛並みのカジートだ。彼は馬車の窓から顔を出しているわたしを胡乱げに見上げた。
彼は、少しだけ「彼女」に似ていた。年格好と、他人から向けられる感情全てをいっしょくたに拒絶する、きかん気の強そうな目つきが。
わたしはちょっとした親近感を覚えた。彼は大学に入学しに来たと言った。わたしも同じ目的でここまでやって来たのだ、あの偏屈な大魔法使いマスター・ネロスの推薦状を持って。確かに魔法使いのカジートなんて聞いたことがないが、「彼女」に似ているこのカジートが嘘をついているとは思いたくなかった。
「通してくれんかね? こちらはご覧の通り、ウルフリック卿のお墨付きだ」
御者が衛兵に言った。
衛兵はウルフリックという名を聞いた途端、それまでのジェイ・ザルゴに対する態度が嘘のように背筋をぴんとただし、馬車のわたし側の側面に回った。この馬車は、とある事情によりウィンドヘルムの首長ウルフリック・ストームクロークが貸してくれたもので、普通の馬車とは違い天蓋と壁板で客室が保護され、壁板の外側面にはウィンドヘルムの熊の紋章が描かれている。衛兵は熊の紋章を認めると、わたしに向かってさっと一礼した。
「大変失礼致しました! すぐに門を開けます」
わたしをウルフリック卿の使節か何かだと早とちりしたらしい。衛兵は木の門を決まったリズムで何度か叩いた。錆びた蝶番の軋む音を伴って門は開いた。
一連のやり取りを用心深く眺めていたジェイ・ザルゴは嬉しそうに跳び上がった。それから、まるで彼自身が馬車を町の中に招き入れ先導する衛兵であるかのように、胸を張り、尻尾を立てて、門の内部に入ろうとした。
「ジェイ・ザルゴも一緒に行く。ジェイ・ザルゴだって師匠のお墨付きだ」
そのコートの襟首を衛兵が雑に掴んだ。
「貴様にまで入っていいとは言っていない。馬車の進路を塞ぐんじゃない。こっちへ来い、盗っ人め」
「うわ、やめろ、放せー!」
衛兵は抵抗する彼を街道の外れへ引きずっていき、まっさらな雪の上へ放り投げた。
「ふぎゃ!」
ジェイ・ザルゴは固い雪にしたたかに全身を打ちつけ、悲鳴を上げて丸まった。フードが取れて猫に似た耳と黒髪が露わになった。彼が身につけていたポシェットから巻物や薬瓶がいくつか零れた。衛兵はさらにひどい仕打ちを加えようとしているのか、彼にゆっくりと近づいていく。わたしは咄嗟に叫んでいた。
「やめてください!」
わたしは馬車の自分側の扉を開け放って飛び降り、冷たい空気を切り裂くようにして駆けていき、ジェイ・ザルゴと衛兵の間に割り込んだ。
「は、どうなさった、の、で……?」
衛兵はわたしを見下ろし、言葉を鈍らせた。わたしがウルフリック卿の使節に相応しくない格好をしていると気づいたのだろう。ヴィオラからもらったマントは品質は良いが派手すぎるし、その下から覗いているズボンやブーツは逆にあまりにも飾り気がなく、何ヶ月も使い通しであるためによれよれになっている。
「乱暴なことはやめてください。彼はわたしが大学まで送り届けます」
そんな義務も権利もないが、勢いで押し切ることにした。唖然としている衛兵を尻目に、わたしはジェイ・ザルゴを立たせ、彼のポシェットから落ちた荷物を回収した。それから彼の手を引いて逃げるように馬車まで走っていき、目を白黒させている彼を馬車の中に押し込んだ。
馬車の扉を閉じながら、御者に馬車を出すよう頼んだ。間もなく、馬の脇腹を叩く鞭の音が聞こえ、馬車はそろそろと動き出した。
ほっと息をついたところで、腹の真ん中を肘で突かれてわたしは呻いた。無理矢理押し込んだジェイ・ザルゴがテルドリンともみくちゃになって、ジェイ・ザルゴが苦し紛れに突き出した腕がわたしの腹に一撃を与えたのだった。
ジェイ・ザルゴが大口を開けて喚いた。
「痛い痛い痛い、何かがジェイ・ザルゴの腹に刺さっている! おいオマエ、ジェイ・ザルゴからさっさと離れろ、殺す気か?」
「こんなに狭い中で満足に動けるわけがあるまい。この馬車は二人乗りだぞ。どうしてこいつを乗せた?」
テルドリンが、先ほどまでの若干憂わしい態度はどこへやら、怒りに満ちた声とともに奇妙な生物の殻で造られた兜をこちらに向けた。するとジェイ・ザルゴのもう一方の手がテルドリンの兜のレンズを覆った。テルドリンはダンマーの言葉で低く悪態をついた。
「だって、かわいそうだったから。大学はもうすぐでしょう? ちょっとだけ我慢してよ」
かく言うわたしも彼らの体積とジェイ・ザルゴの肘に圧迫されて馬車の扉に押しつけられている。痛みで気が遠くなりそうだ。
テルドリンは頭を煩わしそうに左右に振り、レンズを覆っているジェイ・ザルゴの手を脇に除けた。
「あの衛兵の言っていたことは正しい。カジートなど信用ならん。放っておけばよかったものを」
ジェイ・ザルゴがぎょっとするほど鋭い牙を剥き出した。
「オマエたちもジェイ・ザルゴをバカにするのか? 見くびるな。魔法で丸焦げにしてやる」
わたしに肘鉄をしている方のジェイ・ザルゴの手に実体のないエネルギーの粒子がじわりと集まる気配がして、その掌の中で小さな火花が散った。ああ、このカジートは本当に魔法を使えるのだ! だが、こんなところで火炎の魔法を使われたら、わたしたちはおろかウルフリック卿の立派な馬車まで丸焦げになってしまう。
万事休すというところで馬車が止まり、背にしていた扉が外側から開いた。わたしは馬車から転げ落ちた。続いて息苦しい密閉空間から逃れようと焦ったジェイ・ザルゴが馬車の足置きを踏み外し、わたしの上に俯せに降ってきた。
わたしたちは揃って潰れた蛙のような声を上げた。少し間を置いて二人分の荷物を背負って馬車を降りてきたテルドリンが、扉の横に控えていた御者と顔を見合わせた。御者は愉快そうに微笑んでいた。テルドリンは呆れたようにかぶりを振った。
「到着したよ。この先はあんたら魔法使いの領域だ。わしは町でひと休みしてからウィンドヘルムに戻る。うまくいくことを祈ってるよ、色々とな」
御者はそう言いながら、ジェイ・ザルゴの下敷きになっていたわたしを律儀に助け起こしてくれた。わたしは快適で安全な馬車の旅を提供してくれたその老人に弱々しく礼を言った。
御者の操る馬車が元来た道を戻っていく。この時、わたしは初めて石煉瓦の内側の様子を目にした。
そこは、スカイリム各地の首長が住んでいる土地の中では最もこぢんまりとしているように思えた。まだホワイトランを訪れたことはないが、伝え聞いた話から考えるに、この町よりはずっと栄えているだろう。
家は三十戸ほどしかなかった。しかも、確認できる範囲だけでも、いくつかの家は屋根と壁が壊れ、家の中の朽ちたベッドの枠や暖炉を風雪に晒していた。家々の屋根の間から抜きん出ている背の高い建物が恐らく首長の邸宅だろうが、ウィンターホールド大学と比べれば水牛に対してのネズミのようなものだった。テルドリンが大学を見て言った皮肉の意味がようやく飲み込めた。
わたしたちが放り出されたのは半円形のがらんとした広場だった。町の外から続く街道が広場を突っ切り、幅広の階段に遮られて止まっていた。階段は背の高い石壁に両脇を固められて、小さな石造りの建物へと繋がっていた。石造りの建物はアーチ型の鉄の扉で閉ざされ、その扉の表面には星の中に浮かんだ目のような模様が描かれていた。
「ここがウィンターホールド大学への入口か」
ジェイ・ザルゴが未だに雪に覆われた地面に倒れ伏したまま、顔だけ上げて呟いた。彼は目を細め、牙を見せて笑っていた。不敵な笑みとでも表現したらしっくりくるだろうか。地面に倒れたままなのでいまいち格好がついていないが。
「大丈夫? 起きられる?」
わたしは腰を屈めて手を差し伸べた。ジェイ・ザルゴはびくっと首を引っ込めたのち、両腕を支えにして一人で立ち上がった。
「この程度、へっちゃらだ」
ジェイ・ザルゴはフードを被り直し、服に付いた雪を払いながら、わたしをきっと睨んだ。
「あの性悪ノルドを魔法でこてんぱんに懲らしめて堂々と町の中に入ってやろうと思っていたのに、余計なことをしてくれたな」
強がっているのか、それとも本気で言っているのか知らないが、雪まみれの分厚いコートで着ぶくれした状態でうそぶかれても迫力がない。
「そんなことしたら逮捕されるよ」
「勝手な思い込みでジェイ・ザルゴを町から締め出そうとしたのはアイツの方だ。罪人扱いされるいわれはない」
わたしの言葉を一蹴したあと、ジェイ・ザルゴは眼前の建物に向き直り、鼻の穴を大きく膨らませた。
「だが、過ぎたことはもういい。師匠から既に書簡が届いているはずだ。彼女の最も有望な弟子が間もなくウィンターホールド大学にやって来ると。大学の者たち全員がジェイ・ザルゴの到着を今か今かと心待ちにしているだろう」
このどこか間の抜けたカジートが、今か今かと心待ちにされるほど優秀なのだろうか? わたしの胸の内の疑問をよそに、ジェイ・ザルゴは撫で肩を精一杯怒らせ、焦げ茶色の尻尾をくねくねさせながら、大股で階段を上がっていった。
「たのもー、たーのもー! 大魔法使いドゥラ・サッヤの弟子ジェイ・ザルゴだ!」
ジェイ・ザルゴの時代がかった口上がこだまして消え、彼が鉄の扉の前に立った時、扉が軋んで中央で二つに割れ、建物の内側へ開いた。
藍色のローブを着た女性が、灯火の魔法の白い光で照らされた小さな空間の中に立っていた。金色の髪、尖った耳、黄色の肌、すらりと細長い体躯。ハイエルフだ。彼女は冷ややかな印象の金色の瞳でジェイ・ザルゴを数秒間黙って見て、それから薄ピンク色の唇を開いた。
「ようこそ、ウィンターホールド大学へ」
鈴を振るような美しい声だが抑揚は小さく、浮かべた笑顔もなんだか取って付けたようだった。しかし、だからといって門前に立つ若いカジートに特別不信感を持っているわけでもなさそうだった。彼女は自分が彼を歓迎していることを強調するように唇の両端を引き上げた。
「エルスウェーアからはるばるご苦労様、ジェイ・ザルゴ。私は破壊魔法の教授のファラルダです」
どうやら、全員ではないにせよ、誰かしらが彼を待ってくれていたことは本当らしい。ジェイ・ザルゴの尻尾がぴんと立った。彼は胸元に手を入れて、本くらいの大きさの包みを取り出し、うやうやしい一礼とともに包みをファラルダに差し出した。
「ファラルダ先生、はじめまして。これがドゥラ・サッヤの推薦状だ。先に届いた書簡と見比べれば本物であることはすぐに判る」
ファラルダは包みを両手で挟んで持った。
「確かに受け取りました。ところで、あちらの方たちはどなたですか? 一緒に馬車に乗ってきましたね?」
彼女は金色の目を、広場にぼんやり突っ立っていたわたしとテルドリンに移した。ジェイ・ザルゴが彼女の視線を追ってわたしたちを顧みて、首を傾げた。
「さあ、誰だろう? ジェイ・ザルゴの知人ではない。単なる通りすがりのお節介焼きだ」
わたしはあんぐりと口を開けた。いや、確かにわたしは自分の目的を一切彼に話していなかった。だから彼にしてみればわたしは単なる通りすがりのお節介焼きだ。その認識はまったく正しいのだが。
ファラルダは何度か瞬きをしてから頷いた。
「そうですか。では行きましょう、ジェイ・ザルゴ。準備は整っています」
「あ、ちょっと待ってください!」
わたしは慌てて階段を駆け上がり、ジェイ・ザルゴと肩を並べた。
「わたしもジェイ・ザルゴと同じです。大学に入学しに来たんです、マスター・ネロスに推薦されて」
ファラルダの綺麗な弓なりの眉が少し上がった。
「そうなのですか? マスター・ネロスからは特になんの連絡も受けていませんが」
それはそうだろう。マスター・ネロスはジェイ・ザルゴの師匠のようにマメではない。そもそもわたしにウィンターホールド大学に行くよう勧めたのも、わたしが邪魔になって厄介払いしたかったからだ。そのために出来合いの推薦状を書く以上の手間を掛けるわけがない。
「ええと、でも、推薦状は確かにもらってます」
わたしはテルドリンを手招きして階段を上がってきてもらい、彼が持っていたわたしのナップザックの中を探り、油紙に包まれた細長い包みを取り出した。
「ファラルダ……先生。これがマスター・ネロスの直筆の推薦状です」
一瞬迷ってから、ジェイ・ザルゴの真似をして「先生」と付けることにした。
ファラルダ先生は、マスター・ネロスのたぶんものすごくおざなりな推薦状の入った包みをジェイ・ザルゴの分と重ねて持った。
「受け取りましょう。ひとまず、あなたも一緒に来ることを認めます」
わたしはほっと胸を撫で下ろした。隣のジェイ・ザルゴはスキャンプにつままれたような顔でわたしとファラルダ先生のやり取りを眺めていた。
ファラルダ先生は不意に唇を引き締めて、わたしの背後にいるテルドリンに問いかけた。
「あなたは、マスター・ネロスに推薦されて来た、ということではなさそうですね?」
テルドリンはくつくつと笑い声を立て、背負っているナップザックをわざとらしく揺すって、その上に引っかけているキチンの盾を見せつけた。
「誰に推薦されようが、今更行儀よく魔法を習い直す気にはなれんな。私はテルドリン・セロ、傭兵だ。今はこいつに雇われている。ついていっても問題ないか?」
ファラルダ先生は再び唇に笑みを広げた。しかし、先ほどまでのぎこちないものとは違い、なんだか本当に嬉しそうだった。
「ええ。問題ありません。外の世界に比べると刺激が少ないので、あなたのような方には退屈かもしれませんが」