My Companion, My Dearest 作:春日むにん
角度を変えて連結し、徐々に上り勾配になって大学に繋がっている幅広の橋の上を、わたしは早足で歩いていた。
というのも、先を行くファラルダ先生の歩幅が大きいからだった。彼女よりもずっと背の低いわたしは、彼女に追いつくためにいつもよりも速いペースで歩かなければならなかった。それは、似たような背丈のジェイ・ザルゴにとっても同じだった。彼とわたしは並んで早歩きしていた。
「オマエが魔法使いだとは、思わなかった。とても、とぼけた顔を、しているから」
ジェイ・ザルゴが、はあはあと苦しそうに息をつく合間に言った。かなり傷ついた。とぼけているのと魔法を使えるかどうかは別問題だ。言い返したくなったが、わたしはぐっとこらえて大人の対応をした。
「わたしもカジートの魔法使いなんて珍しくて驚いたよ。知り合いのカジートに魔法を教えたことがあるけど、もう全然ダメ。一番簡単な治癒の魔法も使えなかったな」
旅芸人一座の若い仲間たちに宴会の余興で魔法を教えた時のことを思い返した。魔法なんて無理だと笑っていた力自慢の仲間も最後には治癒の魔法を使えるようになったのに、「彼女」だけは魔力を掌に集中させることさえできなくて悔しがっていたっけ。
「普通のカジートは、不得意だ。でも、ジェイ・ザルゴは違う。厳しい訓練の末、得意に変えた」
ジェイ・ザルゴは鼻をひくひくと動かした。不得意なことを克服するのは相当大変だったはずだ。すごいねと言うと、ジェイ・ザルゴは胸を張った。
「そうだ。ジェイ・ザルゴはすごいんだ。だけど、サイノッドもウィスパーズも蹴って、ここに来た。勉強に集中し、もっとすごい魔法使いになるためだ。ここでジェイ・ザルゴは大成するよ、間違いない」
彼の青緑色の瞳の奥には並々ならぬ熱意がこもっていた。
「オマエはなぜ、この大学に入学する?」
ジェイ・ザルゴに興味津々といった様子で問われて、返答に困った。わたしにはすごい魔法使いになるとか、大成するとかいう目標は特にない。マスター・ネロスと彼の弟子のタルヴァスの薦めで、なんとなく入学する気になっただけだ。
「自己流で使ってると危ないから一度きちんと習った方がいいって、知り合いに言われたんだよね」
わたしの答えを聞いて、ジェイ・ザルゴは青緑色の目を細め、口元から横向きに生えた細いヒゲを粉雪の絡んだ風になびかせた。
「凡庸な理由だな。いや、ジェイ・ザルゴが非凡すぎるのか。見ているがいい。ジェイ・ザルゴは早晩、アーチメイジになる」
背後からグフッと息を噴き出す音が聞こえた。すぐ後ろをついてきているテルドリンが発したものに違いなかった。
「オマエ、笑ったな!」
ジェイ・ザルゴがテルドリンに向かって牙を剥いた。テルドリンはにやついた声で答えた。
「ああ、悪い。アーチメイジになりたいカジートか。フン、こりゃ傑作だ」
「うぐぐぐ。その嫌味な喋り方、ブレトンか? それとも、インペリアルか?」
「この鎧がどこで作られたか知らないのか? モロウィンドだ。アーチメイジになりたいならよく頭に入れておけ」
「む、そうか、オマエはダンマーか。どうりで、ヘンな匂いがすると思った」
「なに、変な匂いだと!? 失敬な。お前こそ獣臭くてかなわん。さっきは鼻が曲がりそうだった」
「今のジェイ・ザルゴが臭いのは、認めるよ。チェイディンハルを出てから、風呂に入っていないから」
「……それ以上私に近づくなよ。今夜は念入りに体を洗わなければ……ここにまともな風呂はあるのか?」
彼らが話題にしていた「アーチメイジ」とはなんだろうか。マスター・ネロスが推薦状を書く時に今のアーチメイジがなんとかと話していた気もするが、覚えていない。ともあれ、いつもは余裕のあるテルドリンがジェイ・ザルゴの悪気のない発言でやり込められているのはちょっと面白い。
彼らが取り留めもない会話をしているうちに、わたしたちは最後の橋――大学に直結している平坦な橋を歩き始めていた。いよいよ大学が間近に迫ってきた。近くから見上げると一層巨大だった。橋の正面にある長方形の建物の左右に、縦に長い窓の設けられた壁を繋ぎにして、円形の塔がいくつも、後ろ側へ曲線を描くように連なっていた。
全体を合わせると、ブルー・パレスや王たちの館はおろか、ウィンターホールドの町よりも大きいかもしれない。とても壮大だ。けれど、大学と陸地を繋ぐものが今まで歩いてきた橋以外にないのは少し心許ない。もしこれらの橋が一つでも崩れてしまったら、大学の人たちはどうするのだろう。
長方形の建物は陸地側にあったのと同じ鉄の扉で閉ざされていた。ファラルダ先生がその前に立つと、ひとりでに開いた。
眼前は雪の積もった円形の広い中庭になっていた。周囲の塔と壁はこの中庭を囲むように配置され、塔の階毎に回廊が巡らされていた。中庭の奥には、中心から青い光を立ち昇らせている丸い井戸のような構造物と、その後ろに天を仰いで手を広げている男性の像が建っていた。像の背後には他の塔よりも一段と背が高く横幅も大きい塔が聳えていた。
ファラルダ先生は中庭の隅の回廊に近い位置に立ってわたしたちに向き直った。先ほどまでと表情は変わらないが、眼光が鋭くなっている気がした。
「ここで入学試験を行います。荷物は周りのベンチに置いてください」
「え。にゅうがく、しけん?」
わたしは呆然と呟いた。吟遊詩人大学の時のように何か力試しをするということだろうか。マスター・ネロスからの推薦状を渡すだけで入学できるのではなかったのか。
ジェイ・ザルゴはこうなることは知っていたらしく、回廊に設けられたベンチにいそいそとポシェットを置きに行った。ファラルダ先生はそれを見届けてから話を再開した。
「現在、魔法は一般的に破壊、変性、幻惑、召喚、そして回復の五種類に分類されていることは既に把握していると思います。加えて、付呪と錬金術も魔法使いの技能と見なされることがあり、この大学には専門の教授もいますが、それら二つは魔力がなくても習得できます。ですので、入学試験では、あなたがたに五種類それぞれの基礎的な魔法の素養があるかを確認します」
呆気に取られている間にどんどん話が進んでいく。そんな分類は初耳だ。今まで誰も教えてくれなかった。
わたしは隣のジェイ・ザルゴの様子を窺った。ばっちりと目が合った。彼は情けない顔をしているわたしに向かって得意そうににやっと笑った。
「では、まずは破壊魔法から。火炎の魔法を私に向けて放ってください」
ジェイ・ザルゴが尻尾をくねらせて、一歩進み出た。
「ジェイ・ザルゴから行くぞ。そうれっ!」
ジェイ・ザルゴは迷いのない動作で右手を出した。掌から一瞬黒煙が立ったが、すぐに申し分のない勢いで炎が噴き出した。
ファラルダ先生は右掌をジェイ・ザルゴに向けた。薄青色の球状の光が彼女の体を覆った。それはすれすれでジェイ・ザルゴの放った炎を受け止め、体の脇へ受け流していく。
「いいでしょう。止めてください」
ファラルダ先生の一声で、先生とジェイ・ザルゴが同時に右手を下ろし、真っ白な中庭に不釣り合いな鮮やかな色合いは消えた。
ジェイ・ザルゴは鼻歌を歌いながら後ろに下がった。お手並み拝見させてもらう、と小声で言い残して。
「次はあなたの番です」
ファラルダ先生は、物怖じしているわたしを軽蔑するでもなく、かといって励ますでもない無表情で促した。
わたしはぎくしゃくと右腕を前に差し出した。よりによって一番苦手な魔法を当てられてしまった。うまくできる自信は全くないが、知っているだけましだ。
わたしは右掌の上に体内の魔力を集中させた。緊張しているからか、魔力が不安定に波打っている。少し気を抜くと空中に飛び出していってしまいそうな魔力を抑えつけ、それでもって掌の周りの空気を包み込み、小さく丸めた。薪の爆ぜるような音とともに、掌に小さな炎が宿った。それは周りの空気を巻き込んでどんどん大きくなった。ここまでは上出来だ。これを、あとは先生に向けて放てばいいだけだ。
わたしはその炎を、まっすぐにファラルダ先生に放った、つもりだった。
ところが、炎はぶわりと枝分かれした。四方八方に火の粉を散らしながら、のたうち回る多頭の蛇のように広がっていく。肝心のファラルダ先生には全く届いていない。やってしまった。
一陣の強い風が前方の壁に設けられた窓から入ってきて、炎が大きく形を崩した。
「ぎゃーっ! あっっつい、あっっっついよおぉぉぉ!!」
背後で悲痛な叫び声が響いた。わたしは火炎の魔法を止めた。ジェイ・ザルゴのもこもこの服が盛大に燃えていた。枝分かれしていた炎の一つが今の風で燃え移ってしまったのだ。ジェイ・ザルゴは雪の上に倒れ、手足をじたばたさせて暴れていた。暴れれば暴れるほどあちこちに飛び火することに彼は気づいていない。わたしは彼を助けようと駆け寄った。
その時、冷たい水の塊が頭上からどっさりと降ってきた。ジェイ・ザルゴとわたしは瞬く間に、下水道を泳いできたネズミのようにずぶ濡れになった。
ジェイ・ザルゴの服に纏わりついていた炎は消えた。もこもこした服は焼け焦げて、中から毛の塊が無残にはみ出していた。ジェイ・ザルゴの焦茶色の毛並みは水で濡れたせいで彼の顔にぺったりと張りついていた。
もう一陣、風が中庭に吹き込んできた。それはわたしの冷水で弱った体を芯から凍え上がらせた。ぶしゅ、とジェイ・ザルゴが水っぽいくしゃみをした。
「うひー!! さささささむい、しし死んでしまううううう!」
ジェイ・ザルゴは叫んで、犬のように身震いした。彼の顔や服に垂れていた冷たい水がわたしの体中に飛び散り、わたしはさらに深刻な寒気に見舞われることになった。ガタガタ震えていたわたしの頭に見覚えのある布切れが被せられた。
「それで早く体を拭け」
テルドリンだ。テルドリンはジェイ・ザルゴにも布切れを押しつけた。水滴を拭っているわたしたちの横で、彼は何かを確かめるように頭上を仰ぎ見ていた。
「ご、ご、めん、ジェイ・ザルゴ」
思い通りに動かない唇をどうにか操って、わたしはジェイ・ザルゴに謝った。ジェイ・ザルゴは濡れそぼった毛並みを布切れでわしゃわしゃ引っ掻き回しながら、やはり寒さのために覚束ない口調でわたしをなじった。
「ジェイ・ザルゴは、な、習いたての、ここ頃でさえ、あんなし、失敗、は、しなかった! ライバルを、減らす、たたために、やったのか?」
「ちが、うよ。か、火炎の魔法、苦手、なの」
「あんな、き、基礎、的な、魔法が? オマエ、才能、ないな」
ジェイ・ザルゴの率直な一言が胸にぐさりと突き刺さった。ああ、そうか。薄々気づいてはいたけれど、わたしにはやはり魔法使いになれるほどの才能はないのだ。もうダメだ。試験は不合格、わたしはここで追い出される。
でも、ファラルダ先生は、この惨状を目の当たりにしても一切表情を崩さなかった。
「この状態では残りの試験を続行できませんね。屋内に移りましょう」
わたしたちは男性像の後ろにあった大きな塔の中へ導かれた。入口ホール正面の鉄格子の扉の先は三階分くらいの吹き抜けの空間になっていて、中央にやはり井戸に似た大きな構造物があって青い光を立ち昇らせており、その周りを回廊が囲んでいた。回廊のところどころには灯明の魔法で明かりが灯され、背の高い青いガラス窓の前にベンチが置かれていた。
塔の中は屋外と打って変わって暖かかった。びしょ濡れになったマントを脱いでしばらくすると、徐々に体温が戻ってきた。ぼろぼろになったコートと手袋を脱ぎ捨てて着慣れた様子のローブ姿になったジェイ・ザルゴは、すっかり元気になり、ここが元素の間だな、とか、この大学の建物内の温度は魔法で適温に調節していると本に書いてあった、とか、興奮した様子で喋っていた。
井戸のような構造物の前で引き続き変性と幻惑の魔法の試験が行われた。わたしは指定された魔法のいずれも知らなかったため、先生からやり方を教えてもらった。結果は散々だった。ジェイ・ザルゴはそんなわたしを横目にそれらの魔法を悠々と披露し、勝ち誇った笑みを浮かべていた。とてもみじめな気分だ。この入学試験とやらは、いつ、どのような基準で合格するかどうかが決まるのだろうか。確実なのは、わたしがジェイ・ザルゴの格好の踏み台になっているということだ。
「では、召喚魔法の試験に移ります。使い魔を召喚してください」
ファラルダ先生から次のお題が出た。ジェイ・ザルゴはまたわたしが知らないだろうと思ったのか、得意満面でふんすと鼻息を噴き出し、今にも名乗りを上げて前に進み出ようとしていた。
でも、実のところ、わたしは使い魔の召喚はかなり上手にできる。戦闘の不得意なわたしがせめて敵から逃げる隙だけでも作れるようにと、ファルクリースにいた頃、アーケイの司祭ルニルから教えてもらい、その後何かと活用してきたからだ。例え不合格になるとしても、わたしにもまともに使える魔法があると証明しておきたい。
「ファラルダ先生。わたしからやらせてください」
わたしは思いきって宣言した。先生は無表情で頷いた。
ジェイ・ザルゴはというと、顔じゅうの毛をぶわっと逆立て、目を真ん丸に見開いた。実に分かりやすい反応だ。
「ファラルダ先生!」
早速掌に魔力を集めようとしていたわたしと先生の間に、ジェイ・ザルゴが両手をばっと広げて大股で踏み込んだ。
「ジェイ・ザルゴはもっとすごいものを召喚できる。氷の精霊だ。精鋭レベルの召喚魔法が使えるんだ」
炎の精霊ならテルドリンがいつも召喚しているが、氷の精霊というのは聞いたことがない。けれども、それまで柱の陰で腕組みをして若干退屈そうにわたしたちの様子を見守っていたテルドリンが腕組みを解き、ううむ、と唸ったところを見ると、かなり高度な魔法なのだろう。
遮られたことでせっかくみなぎっていたやる気がしぼんでしまい少しむっとしたものの、氷の精霊を見てみたいという純粋な好奇心が勝った。わたしは魔力を霧散させて先を譲った。
ジェイ・ザルゴは全員の視線が自分に集中したのを確認すると、満足そうに目を瞑り、両手を広げたまま魔力を集め始めた。はあぁぁぁ、と何やら仰々しい掛け声を絞り出す彼の柔らかそうな毛に覆われた両手に、紫色の禍々しい光が渦巻いていく。ふんっ! という一声とともに、彼は両手を顔の前に寄せ両手の光を混ぜ合わせた後、それを自分の前に放り投げた。
黒い穴がジェイ・ザルゴの眼前の足元に現れたかと思うと、大きな氷の結晶が組み合わさった人型の物体がひとつ跳び出してきて、元素の間の床に太い腕を突き立てた。堅い氷と堅い岩が衝突し合って生まれた、ぐわあん、という轟音で元素の間が満たされた。
「やったぁー! ついに成功したぞ!」
ジェイ・ザルゴが万歳をして喜んでいる。わたしは、初めて見るこの強面の精霊に見惚れ、それを華麗に召喚してみせたジェイ・ザルゴへの称賛の念でいっぱいになっていた。そのせいで、彼の言葉の細かな違和感に気づけなかった。
氷の精霊は床に突き立てていた太い腕を斜め上に振りかぶった。それから、その長い腕の側面で、召喚者であり本来護るべき対象のはずのジェイ・ザルゴを殴り飛ばした。
「ぎゃ!?」
ジェイ・ザルゴの体はなすすべもなく宙を舞い、回廊の柱にしたたかに叩きつけられた。
氷の精霊の暴走はそれだけでは済まなかった。精霊は太い両足で床を踏みつけて、柱の下に背を預けてぐったりと横たわったジェイ・ザルゴに向かっていく。
何が起きているのか理解できなかった。だが、とにかくわたしは床を蹴って走り出した。ジェイ・ザルゴの倒れている位置まではわたしが一番近い。二度目の攻撃を加えられる前に彼を助け出さなければならない。
だだっ広い元素の間の中を全速力で駆けていき、ジェイ・ザルゴの前に躍り出た。しかし氷の精霊は既に再び振りかぶった腕で彼をなぎ払おうとした――。
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そうだ。そうして、わたしはジェイ・ザルゴの代わりに氷の精霊の一撃を受けて吹っ飛ばされた。邪魔をする者がいなくなった今、精霊はジェイ・ザルゴを無慈悲に叩き潰そうとしている。わたしはその瞬間を目にしたくないがために瞼を閉じ、こんなふうに今日の出来事を思い返して現実逃避をしていたわけだ。
だが、本当に、わたしにできることは何もないのか? 例えわたしの力の及ばない絶望的な状況であっても、諦めずに立ち向かうべきではないのか? だって、彼はまだ死んではいない。
わたしは瞼にぎゅっと力を込め、涙を追い出して、両目を見開いた。と同時に、床に横たえた手に魔力を集め、視線の先にちっぽけな犬の使い魔を召喚した。使い魔は果敢に吠えながら氷の精霊に向かって駆けていった。氷の精霊の注意が使い魔に逸れた。これでひと手番稼げた。でも、この後はどうする? わたしの体は動かない。魔法で回復させるのには時間がかかる。
そんなことを考えているうちに、氷の精霊の無慈悲な一撃により使い魔が悲しげな遠吠えを上げて消えた。またもや精霊とジェイ・ザルゴの間の障害がなくなった。ダメだ。最早、わたしの力では……。
目の前が真っ暗になりかけたその時、視界の隅に誰かが映った。でこぼこしたヘンテコなシルエットの、赤茶けた鎧を身につけた人物が。
「おい、でくのぼう。貴様の相手は私だ!」
その人物、テルドリンは、左手で炎の精霊をジェイ・ザルゴの間近に召喚するのと同時に、ファイアボルトを右手から放った。
氷の精霊は、ぐおお、と呻き声のような音を立てて、ジェイ・ザルゴから数歩後ずさった。体表面からじゅうじゅうと水蒸気が上がっている。氷というだけあって、炎に弱いのかもしれない。
わたしはこの間に自分の体を回復することにした。魔力を掌に集め、壊れた骨や筋肉や血管が再生するよう念を込めて全身に送り返す。無理をしていつもより治癒の速度をかなり速めているので制御が効かず、自然に治るときに徐々に経験するような痛みと痒みが一気に襲ってきた。わたしは歯を食いしばって耐えた。
一方テルドリンは、ジェイ・ザルゴの倒れている場所にじりじりと近づきながら、炎の精霊と一緒になってファイアボルトを氷の精霊に撃ち込み続けていた。氷の精霊は一時は苦手な炎による攻撃に怯んでいたものの、一撃一撃には大した威力がないと理解してしまったのか、再び前進し、炎の精霊をなぎ払い、別の回廊の柱に叩きつけた。
炎の精霊の最期の悪あがきである大爆発が起こった。氷の精霊が一声わななき、腕の先がじゅっと音を立てて融けたが、動きを止めるまでには至らなかった。
テルドリンはジェイ・ザルゴの前に辿り着いていた。氷の精霊が体をのけ反らせ、融けたのとは反対の腕を振り上げた。自分と標的の間に立ち塞がる邪魔者を物言わぬ肉塊にしようとしているのだ。わたしは魔法によって生じる痛みと痒みに耐えていたために声を上げることさえできなかった。そのまま氷の精霊の全体重のかかった太い腕がテルドリンに振り下ろされた。
鈍い打撃音が耳に届いた。テルドリンは潰されていなかった。彼は先ほどまで背中に掛けていたキチンの盾を両腕で自分の頭上に掲げ、氷の精霊の一撃を受け止めていた。彼は低い嘲り笑いを漏らした。
「ハッ。その巨体は見かけ倒しか。非力な定命の者一人負かすことができないとは、デイドラの眷属も堕ちたものよ」
テルドリンは遠目からでもそれと分かるほど両腕を震わせて、頭上から加えられる途方もない重みを跳ね返そうとしていた。氷の精霊が彼の言葉の意味を理解したか分からないが、より強い力をテルドリンの頭上に加えようとしていることは確かだった。テルドリンがじわじわと押され始めた。
わたしの体は魔法のおかげで完全とは言わないまでも動けるようになっていた。わたしは起き上がり、一目散にテルドリンの背後へ、ぐったりと体を横たえ目を閉じたままのジェイ・ザルゴのところへ駆け寄った。
「ジェイ・ザルゴ」
ジェイ・ザルゴの前に両膝をついて呼びかけた。彼はとろんと瞼を開けた。彼の視線はわたしの頭上のあたりを虚ろに彷徨い、再び瞼が閉ざされた。意識がはっきりしないようだ。頭を打ったのかもしれない。下手に動かすのは危険だ。
テルドリンが声を張り上げた。
「早くそいつを連れて逃げろ!」
わたしは叫び返した。
「ダメだよ。頭を打ってる。動かせない」
「ならばお前だけでも逃げろ。元はそのカジートの蒔いた種だ。お前が巻き添えになる必要はない」
わたしは息を呑んだ。
「そんなことできない」
「馬鹿を言うな。この精霊の標的はその猫だ。そいつさえくれてやればあとはどうにでもなる」
喉の奥からせり上がってくるものがあった。両目から熱い液体がこぼれ落ちるのを感じた。むざむざ人をデイドラの餌食になどできない。まして、「彼女」を思い出させるこのカジートを。
「ジェイ・ザルゴはわたしが治すから、その間、氷の精霊を抑えて。お願い、テルドリン」
テルドリンは震えがちの溜息をついた。
「まったく、無茶な注文をする……。言っておくが、そう長くは保たんぞ」
テルドリンは鋭い呼気を吐きながら両腕を押し上げた。氷の精霊が身じろぎをしたように思えた。テルドリンは震える腕を押し上げて、押し上げて――突然、素早く氷の精霊の腕の下からすり抜けた。
氷と岩の衝突による轟音が再び元素の間に響いた。床につけた両膝から張り詰めた衝撃が腰まで上がってきた。氷の精霊の腕はほんの一瞬前までテルドリンが立っていた床に叩きつけられていた。当のテルドリンは氷の精霊の懐に入り込んでいた。
「図体がでかい分、動きも鈍いな」
テルドリンは嘲りのこもった声で呟き、後ろ手でわたしたちの前にもう一度炎の精霊を召喚した。続いて彼が何か一言短く叫ぶと、彼の全身は突如、激しい炎に包まれた。彼のヘンテコな兜も、手入れを欠かさない鎧も、明るい色の炎の中でぼやけていた。
わけが分からなかった。いったいどこから火が燃え移ったのだろう。テルドリンが死んでしまう、と思った。
しかし、氷の精霊がたじろいで数歩後退し、彼を払いのけるために両腕を振り回した時、テルドリンは全身から噴き出す炎をものともせず、氷の精霊の股の間を素早くくぐってその背後に回った。次の瞬間、氷の精霊が勢いよく燃え上がったように見えた――テルドリンが火炎の魔法を発動し、氷の精霊に至近距離から炎を吹きつけ始めたのだ。
「さあ、どうする。このままでは貴様は氷粒一つ残さず消え去るぞ」
炎に取り巻かれているにもかかわらず、テルドリンの声は至極しっかりしていた。それに、彼の言葉はただの脅しではなかった。尋常でない量の水蒸気が氷の精霊の体から噴き上がっていた。
氷の精霊は一層ものものしい咆吼を上げ、背後に回ったテルドリンを捕まえようと、鈍重な足取りで体の向きを変えようとしていた。
「もう少し頭を使ったらどうだ? ハッ、氷しか詰まっていない貴様の頭では無理な話か」
テルドリンは、あえて自分で自分の体を燃やしているらしい。魔法や巻物を使った様子もなかったのでどうやってあの現象を起こしたかは不明だが、あの炎が原因で死んでしまうようなことはなさそうだ。
わたしはテルドリンがしばらく氷の精霊の動きを封じてくれると信じてジェイ・ザルゴに向き直り、彼の力の抜けた肩と腰に手を置いた。氷の精霊が背後で手足を床に叩きつけるたびに膝から全身へ振動が広がり心が泡立った。努めてゆっくり息を吸い、その流れに乗せるようにして魔力を掌に集中させた。魔力の粒子の一粒一粒に丹念に治癒の念を込めていく。全ての粒子が優しい白い光を帯びると、それらをジェイ・ザルゴの肩と腰から彼の全身に一気に流し入れた。
ジェイ・ザルゴの体が一瞬、内側からまばゆく光り輝いた。光が収まってすぐ、彼の腰にだらんと巻きついていた尻尾が少し動いた。彼は両目を薄く開けた。わずかな隙間から覗く黒目は、今度はしっかりとわたしに焦点を合わせていた。
「……う、うう……」
ジェイ・ザルゴのふわふわした毛に覆われた口元が震えた。
彼に手を添えたまま固唾を呑んで見守っていたわたしは、不意に体を起こした彼の勢いに押されて尻餅をついた。
彼は自分の頭やら腕やら足やらとにかく手の届くところを、ローブが裂けるのもいとわずに鋭い爪を出してめったやたらに引っ掻き始めた。
「あーっ、くすぐったい! かかか体の奥が熱くてかゆくて痛くてかゆい!!」
ジェイ・ザルゴは苦悶の表情を浮かべていた。わたしは、一刻の猶予もないと思うあまり、先ほど自分の体に施した以上の速さで治癒の魔法を使ってしまったのだった。
「うわぁぁあ体の中で毛虫がいっぱいもぞもぞしている!! いやだああかゆいかゆいかゆい気持ち悪いいぃぃ!!!」
彼はしまいには背にしていた柱や床に体を打ちつけ始めた。魔法は成功したようだが、この調子では今度は彼が自分で自分に重傷を負わせそうな勢いだ。第一今はこんなふうに悶絶している場合ではない。どうしよう。
慌ててそこまで思考を巡らせた時、氷の精霊の立てていた轟音がすっかり聞こえなくなっていることに気づいた。
氷の精霊はいなくなっていた。ちょうど氷の精霊が暴れていたあたりで、徐々に薄れつつある紫色の竜巻のようなものが、広間の床から吹き抜けの天井に向かって立ち昇っていた。
竜巻の向こうにテルドリンの姿があった。炎は消え失せていた。あれだけの業火に取り巻かれていたにもかかわらず、彼の装備も服も少しも傷んではいなかった。
広間にはいつの間にか人が集まっていた。
竜巻の前に禿げ頭の人間の男性が仁王立ちし、生真面目な表情で両手を掲げていた。テルドリンの背後に見える回廊のベンチに座っている、金糸で刺繍の入った黒い服を着た銀髪のハイエルフの男性は、顎を指で撫でながらこちらを睨んでいた。
ファラルダ先生は黒い服のハイエルフからやや離れたところに立って、両手を腰の前で組み、この空間にいる全員を油断のない目つきで見渡していた。そういえば、彼女はわたしたちが氷の精霊と戦っていた間、何をしていたのだろう?
元素の間の入口の大扉が開いて、人間の男性と女性が一人ずつ、七転八倒しているジェイ・ザルゴとわたしの方に走ってきた。顎髭を蓄えた、かなり年配と思われる白髪の男性がわたしに叫んだ。
「おおい、きみ、彼をちょっと捕まえてくれんかね?」
急に声をかけられたためにわたしは少し間抜けな声で返事をし、ジェイ・ザルゴが足元でもんどり打って俯せになったところに飛びついた。
「何をする、離せっ! オマエのせいだ、オマエのせいでジェイ・ザルゴの体はぁぁ!」
痛みと痒みのせいで正気を失いかけているジェイ・ザルゴに、男性は滑らかな手振りで何かの魔法を放った。途端に抵抗が止まった。ジェイ・ザルゴの全身の力がぐにゃりと抜けていた。男性はジェイ・ザルゴを慎重に仰向かせ、彼の頭を腕で枕をするようにして抱えた。ジェイ・ザルゴは目を緩く閉じ、眉間に皺を寄せて気絶していた。
浅黒い肌の女性がポシェットから小さな瓶を取り出し、中の濃い緑色の液体をジェイ・ザルゴに飲ませた。ジェイ・ザルゴの喉仏が何度か上下した。間もなくぷすぷすとかわいらしい寝息が彼の鼻と口から漏れ始めた。
年配の男性が息をついた。
「どうにか収まったね」
浅黒い肌の女性は、ええ、と短く答え、年配の男性にジェイ・ザルゴを任せて立ち上がった。
「トルフディル。担架が来たら彼を頼みます」
「うん。コレットの部屋へ連れていって看てもらうよ」
トルフディルと呼ばれた男性はわたしに穏やかな藍色の瞳を向け、人好きのする笑みを浮かべた。
「彼をよく守ってくれたね。また後で話そう」
わたしが照れ笑いを返した横で、女性は禿げ頭の男性に話しかけていた。
「フィニス。デイドラ送還の術は完了しましたか?」
紫色の竜巻は最後の一欠片が薄れて消えていくところだった。フィニスというらしい禿げ頭の男性は両手を降ろした。
「丁重にオブリビオンにお帰りいただいたよ」
「ありがとう。それでは、授業に戻ってください」
フィニスはわたしをちらとだけ見て、それよりもずっと熱心な視線を眠りこけているジェイ・ザルゴに注いだ。
「承知した。ところで、彼にはぜひ僕の中級召喚魔法の授業を受けさせてくれ、ミラベル。今回は失敗してしまったが、筋は悪くないと思う。安全な『門』の開き方を教えておきたい」
「前向きに検討します。彼があなたの堅実な姿勢から学ぶことは多いでしょう」
「ははっ、違いない。僕なら大事な入学試験で求められている以上の実力をわざわざ披露しようとは思わないからな」
フィニスが歩き去るのと入れ替わりに元素の間の大扉が再度開き、担架を持った人たちがどやどやと入ってきた。彼らがジェイ・ザルゴを担架に載せ、トルフディルに先導されて大扉の向こうに退散していくのを浅黒い肌の女性は見送っていた。それから、わたしに向き直った。
「自己紹介が遅れました。私はウィンターホールド大学のマスターウィザード、ミラベル・アーヴァインです。あなたは飛び入りの入学希望者ですね? いきなりこんな騒ぎに巻き込まれて、運が悪かったですね」
「いえ、無事に収まって良かったです。今のはなんだったんですか?」
ミラベル先生の気の強そうな吊り気味の眉の間には元からうっすらと縦皺が入っていた。彼女が眉を寄せると、縦皺は影を伴って深く、険しくなった。
「よくあることです。彼の実力では制御できない精霊を召喚し、暴走させてしまったのです。あなたはそのような無茶はしないでくださいね」
最後の一言で彼女は眉間の皺を少し和らげ言い聞かせるような表情になったが、続けてテルドリンに目を向けると元通り、いやそれ以上の渋面になった。彼女は、しかし彼のことは丸っきり無視して、彼の背後で彼女をじろりと睨めつけたハイエルフの男性も素通りし、ファラルダ先生に視線を移した。
「ファラルダ。あなたはなぜ彼を止めなかったのです? それに、デイドラ送還の術ならばあなたも使えるはずですが、なぜ使わなかったのです?」
わたしにも薄々分かっていた。ファラルダ先生はジェイ・ザルゴが殴り飛ばされてからフィニスが氷の精霊をオブリビオンに送り返すまで、ずっとこの場にいて、できることがあるにもかかわらず何もしなかったのだ。
ファラルダ先生は悪びれた様子もなく、鉄壁の無表情で答えた。
「入学試験ですから。彼らがどんな能力を秘めているか見極めたいと考えました。もちろん、本当に危なくなったらすぐに止めるつもりでした」
嘘ではなさそうだ。あの程度の騒動なら止めようと思えばいつでも止められる力を持っている、そんな自信が彼女の整った顔立ちの端々に漂っていた。
ミラベル先生は溜息をつき、彼女を促した。
「そうですか。それで、彼らの評価は?」
ファラルダ先生は、今までよりも心なしか穏やかな口調で言った。
「二人とも、大学に入学するのに申し分のない資質を持っています。あなたとサヴォスが彼らの入学を認めるのであれば、私も彼らを歓迎します」
驚いて息が止まりそうになった。てっきりわたしは不合格だとばかりと思っていたのだ。
ミラベル先生は渋い表情のまま頷いた。
「分かりました。彼はいつも通り、あなたの判断を信じると言っていました。私も同じです」
彼女は鳩尾の前で上品に手を組み、わたしに笑いかけた。
「おめでとうございます。あなたは今日からウィンターホールド大学の一員です」
彼女の笑顔は少し硬く、もろ手を挙げて歓迎している雰囲気ではなかった。かといってわたしを仲間に加えるのが全く不本意なわけでもなさそうだった。
わたしはミラベル先生とファラルダ先生に丁重に礼を言った。当初の目標通り、大学に入学できて嬉しかった。