My Companion, My Dearest   作:春日むにん

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4. 奇妙な音

 ウィンターホールド大学に入学してから数日が過ぎた。

 

 大学では、魔法の分類別、さらにその中で習熟度別に、主に集団での授業が行われている。わたしは回復魔法以外は初級の授業を受けることになった。オンマンドとほとんどの授業が被っているのは心強かった。

 

 ジェイ・ザルゴはあの事件の翌日にはすっかり元通りになっていた。彼とは錬金術の授業しか被らなかった。彼が受けているのはほとんどが中級、上級の授業ということだ。彼の溢れんばかりの自信は根拠のないものではなかったのだった。

 

 ジェイ・ザルゴは初回の授業から早くも大活躍し、教授陣やずっと年上のクラスメートたちに一目置かれている。……と、食堂で食事を摂るときに毎回、彼自身から聞かされる。食堂では食事の時間中に現れればどこで誰と食べようと自由なのだが、彼はなぜか常にわたしの向かい側に座ってくる。ちなみに食堂は教職員と学生用なので、テルドリンは使うことができず、食堂で余った食材を使って寮のキッチンで自炊している。

 

「今日もジェイ・ザルゴの一挙手一投足が注目の的だった。魔法を放つために手を広げるたび、みんなが息を呑み、終わると感嘆の声を上げた。カジートの魔法使いが物珍しいことは理解している。だが、ジェイ・ザルゴはカジートであることとは全く関係なしに、とても優れた魔法使いだ。その事実になぜ誰も思い至らない?」

 

 この日のジェイ・ザルゴはなんだかご立腹だった。一気にそう言うなり、舌でも噛みそうな勢いで昼食のメインディッシュの鶏肉のパイに食らいついた。

 

「まだ入学したばかりだもの、仕方ないじゃない。そのうちみんな分かるよ、ジェイ・ザルゴがすごく頑張ってるって」

 

 わたしは飲みかけのジャガイモのスープを置いて彼をなだめた。こんなふうに気が早いところも妹分だった「彼女」に似ている。

 

 ジェイ・ザルゴは耳をぴんと立たせ、鼻の下から横に伸びるヒゲをぴくぴく震わせた。口に入れたパイの塊を注意深く咀嚼し飲み込んでから、彼は目を細め、胸を張った。

 

「そうだ。ジェイ・ザルゴは努力家なんだ。サルジアス先生に教えてもらいながら、早くも巻物の開発をしている。ジェイ・ザルゴの巻物はエルスウェーアでも評判だった。常人には到底扱えない代物だと噂された」

 

 ジェイ・ザルゴはパイを食べ慣れていないらしく、口の周りにパイ生地の残りかすがくっついたままなのに気づいていない。せっかくの自慢話もこれではいまいち格好が付かない。でも、こんなふうに微妙に抜けているからこそ愛嬌があって、自信満々な物言いもなんとなく憎めない。

 

 先に食事を終えた学生が、わたしたちの傍らを通り過ぎがてらジェイ・ザルゴに声を掛けていった。

 

「ジェイ・ザルゴ。口の周り、残りかすがついてる」

 

「むう。難儀な食べ物だ。あちこちにこぼれる」

 

 ジェイ・ザルゴは舌を出して口の周りをひと舐めしようとした。しかし、ふとわたしと視線を合わせ、瞳の中の黒目をぎゅっと小さくして、手元のナプキンで口の周りを丁寧に拭った。

 

「オマエ、何を笑っている」

 

「えっ」

 

 わたしは口元を手で覆った。つい頬が緩んでしまったようだ。

 

 ジェイ・ザルゴは不貞腐れた表情でナプキンを畳み、テーブルの上に置いた。

 

「ジェイ・ザルゴをまだバカにしているのか? ジェイ・ザルゴの実力はオマエが一番よく知っているはずだ。一度ジェイ・ザルゴを助けたからといって、自分の方が上だと勘違いするのはやめるべきだ」

 

「いや、そんなふうには思ってないよ」

 

 抜けたところがあってかわいいとは思っているものの、自分が彼より上だなんて思ったことはない。

 

「オマエは回復魔法の個人授業を割り当てられた。それなのにジェイ・ザルゴが初級の授業しか受けられないので、得意になっているだろう」

 

 考え過ぎだ。どんな意図で回復魔法だけ個人授業になったのかも分からないし、回復魔法の教授のコレット・マレンス先生は難しい性格だと聞くので正直一人で対峙したくない。わたしは彼の認識を正そうとした。

 

「だからそんなことないってば。ジェイ・ザルゴの方がわたしよりずっと色んなことができるじゃない。回復魔法の授業が初級なのも、たぶん入学試験で披露できなかったからだよ」

 

「もういい」

 

 ジェイ・ザルゴは大声で言い、椅子を引いて立ち上がった。

 

「ジェイ・ザルゴはもう食事を終えた。図書館へ行って勉強する。オマエがパイをおかわりして昼寝をしている間に、ジェイ・ザルゴはどんどん先へ進むんだ」

 

 呆気に取られているわたしを置いて、ジェイ・ザルゴは食堂から出ていった。

 

 周囲に座っていた人たちが静まり返ってこちらを窺っていたが、間もなく各々の食事や会話に戻った。

 

「大丈夫?」

 

 少し離れたところで食事を摂っていたオンマンドが食べかけの皿を持ってやってきた。わたしはうっすらと汗ばんでいた額を掌で拭った。

 

「ああ、うん、大丈夫。どうしたんだろう、ジェイ・ザルゴ」

 

「きみをライバル視してるんじゃないかな。『エルスウェーアでは史上稀に見る天才だと称えられていた』とか言ってたから」

 

 オンマンドはジェイ・ザルゴの下手な口真似をした。

 

「天才がわたしみたいな平凡な人間をライバルにしても意味がないと思うけど」

 

 わたしは愚痴を言った。ジェイ・ザルゴから敵視されるのはつらい。

 

 オンマンドは困ったように頬を掻いた。

 

「同じ日に入学したからね。同い歳の子供が張り合うのと似たようなものじゃない?」

 

「でも、何もあんなにむきにならなくてもいいのに」

 

 オンマンドはわたしの肩を軽く叩いた。

 

「気にしないでしばらく放っておけば、けろっとした顔でまた話しかけてくるさ。カジートってそういう奴らなんだろ?」

 

 確かに、カジートは前向きであっさりした性格であることが多い。ジェイ・ザルゴも、そうでなければエルスウェーアからこんな北の果てまで一人で来られないだろう。

 

「そうだね。ありがとう、オンマンド」

 

 わたしは彼と笑い合い、飲みかけていたジャガイモのスープと、手つかずだった鶏肉のパイに取りかかった。

 

 

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 食事の後、寄っていきたいところがあると言うオンマンドと別れて、わたしは達成の間の自室に帰ってきた。

 

 テルドリンは部屋にいなかった。彼はわたしの授業にはついてきてくれるが、それ以外の時間は結構好き勝手に出歩いている。毎晩眠るときに部屋にいてさえくれればこちらとしてはなんの問題もない。彼は特に大学寮の風呂をいたく気に入ったらしく、毎晩、石鹸と湯気のむんむんとした匂いの中に何かの香辛料に似た体臭をかすかに混じらせて戻ってくる。もちろん、その際もキチンの装備で完全武装していて、満足そうに緩んでいるであろう彼の顔を拝むことはできない。風呂から戻った後は剣の手入れやら体操やらをしてからベッドに入っているようだ。

 

 今日の午後は授業の予定はない。テーブルに置いてあった本を開き、椅子に座った。回復魔法の初回の個人授業までに目を通しておくようにと言われているそれは、回復魔法の種類と使用法について述べているもので、まだ三分の一ほどしか読み終えていなかった。文字の読み書きには慣れていない。授業で使う全ての本を三日で読破したと豪語していたジェイ・ザルゴとは雲泥の差だ。

 

 ジェイ・ザルゴのことを意識に上らせてしまったために、図書館へ行くと言った時の彼の不機嫌そうな表情が頭に浮かんで、落ち着かなくなった。難しい用語の並ぶ文章の上を目が滑った。小さく息を吐いて本を閉じ、瞼を閉じた。期限まではあと半日くらいある。慌てて読んでも仕方ない。

 

 ――と、耳が、かすかな音を捉えた。

 

 タッ、タッ。タッ、タッ、タッ。

 

 何か軽いものが石の床の上を叩くような音。途切れたかと思えば、しばらくして再び始まり、十回ほど繰り返してまた止まる。部屋の中を見渡した。目に見える範囲では何も動いていない。

 

 その音は本当に小さくて、少し別の音を立てればたちまち消えてしまいそうだった。わざと大きな音を立てて椅子を引いてみた。

 

 叩くような音は止まらなかった。それどころか少し大きくなった、ような気がした。

 

 なんだ、これは? 階上の住人の足音ではないだろう。夕食後など部屋にいる時間が被っていたことも多かったと思うが、今まで足音など聞こえたことがなかった。それとも外の廊下を誰かが歩いているのか?

 

 「四十年以上も開かずの部屋だったわけか」。テルドリンの面白がるような声が脳裏を掠めた。腹のあたりに冷気が集まるのを感じた。震える足を引きずって部屋の扉まで歩いていき、勢いをつけて開けた。

 

 廊下には誰もいなかった。吹き抜けを通して上階を見渡しても、それは同じだった。

 

 扉を閉めてみた。音はかなり小さくなったものの、まだ聞こえている。

 

 間違いない。この音は外から聞こえてくるのではない。この部屋の中から聞こえているのだ。

 

 わたしは部屋を飛び出した。テルドリンはこの時間、どこにいる可能性が高いだろう。彼でなくてもいい。誰か他の人のいるところへ行きたい。わたしの足はキッチンへ向かっていた。運が良ければ学生が間食でも作っているかもしれない。

 

 キッチンの扉を壊れそうな勢いで開け、転がり込むようにして入った。果たしてそこではテルドリンが一人、テーブルで自作のスープを啜っていた。

 

「テルドリン!」

 

 脇目も振らずテルドリンに走り寄り、彼の片腕にぶら下がるようにして縋りつき、床に膝をついた。腹のあたりにあった冷気はいつしか背中と両腕の先まで広がって感覚を麻痺させていた。彼にくっついていれば、その体から発される熱が冷気を溶かしてくれる気がした。

 

 紫色の唇にスープの器の縁を当てていたテルドリンは、わたしに縋りつかれるのと前後して素早く器をテーブルに置いたが、中身がこぼれるのを防ぐことはできなかった。こぼれたスープがテーブルに広がった。彼はわたしを振りほどいて悪態をついた。

 

「食事中の者にちょっかいをかけるなと教わらなかったのか。お前のせいでせっかく作ったスープが――」

 

 そこまで言ってテルドリンはわたしの必死の形相に気づいたらしい。彼は荒々しく吐き出していた息を止め、声を潜めた。

 

「どうした。何が起きた」

 

 わたしは再び彼に縋りたくなる衝動を抑え、代わりに両手を交差させて自分の二の腕を掴んだ。

 

「変な音がするの。あの部屋の中で」

 

 テルドリンは唇の両端に皺を作り、呆けたように薄く口を開けた。そんなことはとても信じられないとでもいうふうに。

 

 わたしは涙声になるのも構わず訴えた。

 

「嘘じゃないよ。ねえ、テルドリン、今すぐ来て。幽霊でもなんでもいいから退治して」

 

 テルドリンは意を決したように唇を引き結び、傍らに置いてあったマスクで口元を覆って立ち上がった。彼はわたしに手を伸ばした。

 

「立て。一緒に行く。妙なものがいたらすぐに斬り捨ててやる」

 

 わたしが彼の手を取ると、彼は先ほどと同じ人物とは思えないほど優しく、わたしを引き上げた。

 

 わたしたちはキッチンを出て、廊下を進み、部屋の前に立った。もちろん先頭はテルドリンで、わたしは彼の後ろで体を縮めていた。

 

 テルドリンが扉に左手で触れ、側頭部を近づけた。そのまま何拍か待った後で、彼は右手を剣の柄に掛けながら左手で扉を押し開けた。今にも抜剣して何者かに一太刀浴びせそうな気配を発散させながらも、彼が実際の行動に移ることはなかった。部屋の中にはやはり何も動くものはなかった。そして、あの音もすっかり消え失せていた。

 

 テルドリンは壁際のタンスの一つににじり寄り、扉を開けた。数日前に掃除をしてわたしの持ち物を適当に入れて以来、品物の配置は変わっていなかった。テルドリンは部屋の中の全ての収納を検めていった。でも、あの叩くような音を立てそうなものは見つからなかった。

 

 テルドリンが剣の柄から手を離し、こちらへ首を巡らせた。

 

「本当に聞こえたのか? ネズミの足音ではなく?」

 

 わたしは頷いた。ネズミやスキーヴァーなどの小動物の足音ならばもっと音と音の間隔が短いはずだ。

 

 テルドリンは困り果てたように首を傾げた。

 

「夢でも見たんじゃないか? 自分でも気づかないうちに眠っているというのはよくあることだ。特に、酒場で酔っ払いの退屈な長話を聞かされたり、誰かから押しつけられた小難しい本を読んだりしているときはな」

 

「夢じゃない。絶対に起きてた」

 

 言いながら、確信が揺らいだ。白昼夢だったのかもしれない。本を読むのは苦手だ。しかもあの時はジェイ・ザルゴのことを考えてぼうっとしていた。しかし、そうだとしても。

 

「テルドリンはこの後何か予定はある?」

 

 尋ねると、テルドリンは歯切れの悪い調子で答えた。

 

「あ、ああ。実は――これから大学の外に出たいと思っていたんだ。昼食を食べ終えたら、お前に一声掛けて出発するつもりだった」

 

 意外だった。彼が自分からわたしの傍を離れたいと言ったことは、雇い始めた当初の互いに不信感を抱いていた時期を除いて全くなかった。この数日間も、わたしに付き添うように、彼も完全に大学の中で過ごしていたのだ。

 

「誰かと約束してるの?」

 

「いいや。ただ、近いうちに一度機会を作りたいと思っていた」

 

 彼に似つかわしくない、控え目に呟くような調子で彼は言った。わたしは迷ったものの、素直に自分の要求を伝えることにした。

 

「今日絶対に行きたいってわけじゃないんだよね? だったらお願い。今日はこの部屋で、わたしとずっと一緒にいて」

 

「……は?」

 

 テルドリンの喉からわたしの正気を疑うような声が転がり出た。彼からしたらきっと馬鹿みたいに子供じみて聞こえるだろうと思いながら、わたしは懇願した。

 

「またあの音がするかもしれないでしょう。そのとき、わたしだけに聞こえるのならわたしの白昼夢だし、テルドリンにも聞こえるなら本当に音がしてるってこと。どっちなのか確かめておきたいんだよ」

 

 テルドリンは考え込むように腕組みをした。

 

「そうか。そういうことなら、まあ、私は構わん。だが、ただでさえその音が聞こえるか否かと気を取られているのに、私までいると勉強の邪魔にならないか? 図書館にでも行った方がいいんじゃないか?」

 

 わたしは首を横に振った。図書館にはジェイ・ザルゴがいる。今顔を合わせたら気まずくて仕方ない。

 

「大丈夫。わたし、誰かが傍にいても全然気にならないから。それに、分からないところがあったらあなたに聞けるし」

 

「しかし……」

 

 妙に食い下がってくるテルドリンに、卑怯なやり口だとは思いつつ言い放った。

 

「そもそも、テルドリンがわたしをからかわなければ、こんなふうにはならなかったかもしれないんだよ。先生たちの反応を、無視しておけばいいのにあなたが掘り返すから」

 

 テルドリンは腕組みを解いて苛々した様子で反論してきた。

 

「あの時はふざけすぎた。すまなかったよ。だが、お前に命じられてからは何も言わなかっただろう。お前の方こそ、忘れてしまえばいいものを掘り返しているだけじゃないか」

 

「忘れようと思って簡単に忘れられるなら、みんなもっと幸せに生きてるよ」

 

 反射的に口にした一言が効いたのか、テルドリンは両脇にだらりと下げていた掌を握りしめ、両足の角度を落ち着きなく何度か変えた。わたしはダメ押しした。

 

「お願い。明日の朝目が覚めるまで何もなければ、もう本当に気にしないことにするから。今日は傍にいて」

 

 テルドリンは再び腕組みをして、大きく音を立てて鼻から息を吸い、緩やかに鼻から出した。

 

「分かった。明朝までだな。それまでに何も起きなければ、悪いが私は午後いっぱい留守にさせてもらう」

 

「うん……。ありがとう、テルドリン」

 

 わたしたちは、以後、夕食と風呂の時間を除いて部屋で過ごした。一旦方針が決まれば特に言い争うこともなく、わたしは宿題の本を読み進め、分からない部分についてテルドリンに質問し、真面目な答えには感謝しふざけた答えには文句を言った。また、テルドリンはわたしのことは風呂に送り出してくれたが、自分自身は、毎晩たっぷり時間を取って入っていた風呂にこの夜は入ろうとしなかった。

 

 正直なところ眠る時も怖かったので、一緒のベッドに寝てくれと頼んでみたもののすげなく拒否された。わたしは怯えながらベッドに潜り込み、毛布を頭まで被り、それからいくらもしないうちにあっさり眠りに就いていた。

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