My Companion, My Dearest   作:春日むにん

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6. 開かずの部屋の秘密

 午後はテルドリンの勧め通り、図書館にこもることにした。

 

 テーブルの一つで初歩的な変性魔法の呪文書を読んでいるわたしの目の前には、本の山に囲まれ、余裕に満ちた表情で本のページを繰っているジェイ・ザルゴの姿があった。彼は、昼食の時はわたしから離れた席で憮然とした顔つきで食事を摂っていたのに、わたしを図書館で見つけるなり、大量の紙と本を抱えてわたしの使っているテーブルに移動してきた。

 

 テーブルに置かれたランタンの光でジェイ・ザルゴの繊細な毛並みが輝き、くるくると表情が変わるところを眺めているのは楽しい。楽しすぎて呪文書に集中できない。彼がページをめくる音や紙の上で羽根ペンを滑らせる音が少しばかり大きいのも、なおのことそれに拍車を掛ける。

 

 わたしが、読んでいる本と、ジェイ・ザルゴと、ジェイ・ザルゴの立てる音の間で意識をうろうろさせているうちに、夕食時を告げる鐘が鳴った。

 

 ジェイ・ザルゴはぐいっとしなやかに背伸びをして、実に満足げな笑みを浮かべて腰を上げた。

 

「かなり完成に近づいた。サルジアス先生も喜ぶだろう。頭を使ったら腹が減った」

 

 図書館司書のウラッグ先生に注意されそうな大声で彼はそうのたまい、ふいとわたしを見下ろした。

 

「どうした。夕食の時間だ」

 

「あ、うん、そうだね。行こっか」

 

 わたしは立ち上がった。

 

 ジェイ・ザルゴと連れ立って元素の間の外に出ると、雲がちのくすんだ夕闇が降りていた。

 

 夕食時のジェイ・ザルゴは普段の饒舌さを取り戻していた。今開発している何かを燃やす巻物とやらのことを声高に話し、回復魔法の個人授業の様子について聞きたがった。コレット先生の難しい一面については省いて伝えると、彼は若干妬ましそうな目つきで、次の回復魔法の授業ではもっと自分の有能さをアピールしなければいけないと一生懸命呟いていた。オンマンドの予言通り、けろっと機嫌が直ったらしい。よかった。

 

 夕食後、わたしは達成の間に向かった。テルドリンが帰っていないかを一応確認するためだったが、部屋にもキッチンにも彼はいなかった。トイレや風呂に行っているわけでもなかった。彼がいつも使っているナップザックが部屋の中になかったからだ。

 

 わたしは図書館へ戻った。ジェイ・ザルゴはさっきまで使っていたテーブルで引き続き書き物をしていた。彼は向かい側に座ったわたしと目を合わせ、どことなく嬉しそうな、それでいて微妙な警戒心も入り混じった顔つきになった。

 

「今日は図書館によく来るな。ジェイ・ザルゴの研究成果を盗むためか」

 

 相変わらず声が大きい。わたしは小声で応じた。

 

「そんなつもりはないよ。部屋だとちょっと落ち着かないから来たの」

 

 ジェイ・ザルゴは大真面目に頷いた。

 

「なんだ、そうか。ジェイ・ザルゴも幼い頃、自室では勉強が進まないと学んだ。暖かい風でゆらゆら揺れるハンモックに心を奪われ、気づいたら叩き起こされるまで眠っているんだ」

 

 その光景を思い浮かべて、くすりと笑ってしまった。もちろんそれはばっちりジェイ・ザルゴの不興を買った。

 

「またバカにしているな! 気持ちの良さそうな寝床を見ればそこで眠りたくなるのがカジートの本能だ。ジェイ・ザルゴはその本能に負けないよう、こうして工夫しているんだ」

 

「だからバカにはしてないって。工夫してて偉いと思うよ」

 

 ジェイ・ザルゴは、くしゃみでも我慢しているかのように、むずむずと鼻を動かした。口元が緩んでいた。彼は勢いよく首を左右に振って、黄緑色の目を疑り深そうにぎらつかせた。

 

「じゃあ、なぜ笑った」

 

「ええっと、それは」

 

 かわいいから、と言うと、たぶん怒る。どう誤魔化そうかと考えていたら、横から低い咳払いが飛んできた。

 

 ウラッグ先生だった。わたしたちのテーブルから少し離れた位置の椅子に座り、年老いた図書館司書にしてはあまりに筋骨隆々とした両腕を胸の前で組んでいた。こちらを見てはいないが、今の咳払いがわたしたちに向けたものだということは分かった。

 

 ジェイ・ザルゴは尻尾を背中に張りつけるようにぴんと伸ばした。彼はこちらへ少し身を乗り出して、ひそひそと囁いた。

 

「おととい、展示してある魂石をいただこうとしたら、殴られた。ケチなオークだ」

 

「え、それはそうなって当たり前だよ。どうしてそんなことしたの」

 

「珍しい魂が入っていたからだ。研究に使うつもりだった」

 

「見せてもらうだけじゃダメだったの?」

 

「ダメだ。スプリガンの魂を使って付呪することで巻物にどんな変化が現れるか知りたかった。スプリガンはこのあたりにはいない。なかなか手に入らない珍しい品はエンシルという倉庫番に金を払って手配させるものと聞いた。しかし、父上からの仕送りは来月にならないと来――ぐえ!」

 

 ジェイ・ザルゴの頭の上に深緑色の拳骨が落ちた。ジェイ・ザルゴの顔がぺちゃっと歪んだ。そんな顔もまた愛嬌があると呑気に思ったわたしの頭の上にも同じように拳骨が降ってきた。視界に火花が散った。

 

「ここは図書館だ。静かにできないなら、出ていけ」

 

 テーブルの脇でウラッグ先生がわたしたちを見下ろしていた。オークにしては彫りの深い顔立ちと照明の当たり方のせいで両目に影が掛かり、口元は豊かな白い髭と鋭い牙に遮られ、全く表情が窺えない。

 

「すみませんでした」

 

 わたしたちは、しゅんと頭を下げた。

 

 

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 それからの夜の時間は、集中できているのかいないのかよく分からない状態で呪文書を繰り、ときどきジェイ・ザルゴにいちゃもんやら雑談やらを吹っかけられ、ウラッグ先生から無言の圧力が飛んでくる、といった具合に過ぎた。

 

 ずっと椅子に座りっぱなしだったので、体を動かしたくなり、図書館の出入口のホールに散歩に来た。ホール正面の大きなガラス窓からは、青い光の立ち昇る中庭を囲んで、大学の塔がずらりと一堂に会している様子と、遠くのウィンターホールドの町の、篝火に照らされたちっぽけな町並み、更に、町から大学へと続く長い橋の一部が見えた。どんより暗い夜の曇り空から、結構な量の雪が静かに降り注いでいた。

 

 テルドリンは未だに図書館に現れなかった。中庭や橋を歩いていないかと目を凝らしても、あの特徴的な姿は見当たらなかった。

 

 背後から二人分の足音が聞こえてきた。

 

「帰るぞ。閉館の時間だ」

 

 ジェイ・ザルゴが大きな麻袋を背負っていた。ウラッグ先生が鍵の束を出して、図書館の扉を閉めようとしていた。

 

「あ、わたしの本」

 

「ジェイ・ザルゴがついでに持った。この袋の中に入っている」

 

 ジェイ・ザルゴが背中の袋をぺしぺしと無造作に叩いた。ウラッグ先生がジェイ・ザルゴを睨めつけた。

 

「くれぐれも雑に扱うなよ。一冊でもページをバラバラにして返してみろ、お前の血に贖わせてやる」

 

 彼は血管の浮いた拳骨を自分のもう一方の掌に当てた。いい音がした。

 

 ジェイ・ザルゴは若干早足でわたしの隣にやってきた。

 

「おやすみなさい、ウラッグ先生」

 

 慌ててぴょこんと頭を下げる彼につられて、わたしも頭を下げた。

 

「おやすみ」

 

 ウラッグ先生は唸るように一言答え、そのままホール横の上り階段へ向かった。上階の鍵を閉めに行くのだろう。わたしたちは彼とは逆に、下り階段を降りた。

 

 わたしは元素の間の前の大扉を開けた。大粒の雪がフードを着けた頭と肩の上に降り注いだ。服の下の肌が、寒さを追い出すためにぴんと張り詰めた。

 

 しかし、静かだ。町の酒場の喧噪も亡霊の海のぶつかり合う波の音も、この崖の上の大学からは遠い。

 

「ウラッグ先生の癇癪も困りものだ。殴られすぎてジェイ・ザルゴの頭が使い物にならなくなったら、ウィンターホールド大学、いや、タムリエルの魔法研究界にとって大きな損失だというのに」

 

 ウラッグ先生から離れられて安心したのか、ジェイ・ザルゴが鬱憤を吐き出した。

 

「まあ、わたしたちが悪かったんだから仕方ないよ。かなり手加減してくれてたと思う」

 

 オークの腕力は並大抵ではない。ウラッグ先生が本気を出したら、わたしたちの頭など簡単にかち割れるだろう。

 

 ジェイ・ザルゴは先生に殴られたあたりをフードの上からしかめ面でさすった。

 

「魔法使いにとって頭脳は命だ。ドゥラ・サッヤはそれをよく心得ていた。ジェイ・ザルゴを一日食事抜きにしたり、砂に首まで埋めて放置したりはしても、殴ることは一度もなかった」

 

 拳骨一発で済ませてくれるウラッグ先生よりもむしろ過酷な気がするが、感じ方は人それぞれということか。

 

 ジェイ・ザルゴがにんまりと笑った。

 

「でも、ジェイ・ザルゴはウラッグ先生に勝った。だからいくら殴られても悔しくはない」

 

「勝ったってどういうこと?」

 

「ふふん。秘密だ。気が向いたら教えるよ」

 

 ジェイ・ザルゴは得意そうに鼻息を噴き出して、肩の麻袋を担ぎ直した。

 

 達成の間は魔法のおかげで温かかった。ジェイ・ザルゴはわたしの部屋の扉をまるで自分の部屋であるかのように無遠慮に開けた。

 

 テルドリンはいなかった。彼のナップザックは相変わらず部屋のどこにも見当たらなかった。……さすがに遅すぎる。何か良くないことが起きたのか?

 

 いや、思い返してみれば、彼は「夜には」帰ってくるとだけ言って、夜のいつ頃になるとははっきり言っていなかった。きっと名残惜しくて長居しているのだろう。わたしの世話を焼くのにうんざりしているのかもしれない。

 

「オマエの本は奥の方に入れてしまったから、一度全部出さなければならない」

 

 ジェイ・ザルゴが麻袋の中から本を出してテーブルの上に積み始めた。わたしは扉を後ろ手に閉めて、彼の作業を手伝おうとした。その時だった。

 

 タッ、タッ、タッ、タッ。

 

 昨日わたしを恐怖に陥れたあの音が、本同士がぶつかって立つぱたぱたという音の合間に、聞こえた。背中に冷気が広がるのを感じた。

 

 わたしはジェイ・ザルゴに駆け寄って彼の肩を掴んだ。ジェイ・ザルゴがびくんと肩を震わせて振り返った。

 

「な――」

 

 わたしは唇に人差し指を当てて彼に目配せした。彼が不審そうに口を閉じると、部屋はあの何かを叩くような奇妙な音で満ちた。

 

 タッ、タッ、タッ。タッ、タッ、タッ。

 

 ジェイ・ザルゴがあちらこちらへ頭を振り向けた。どうやら、この音はわたしの白昼夢ではなかったようだ。

 

「なんだ、これは?」

 

 ジェイ・ザルゴが声を潜めて尋ねた。

 

「分からない。昨日も聞こえたの。テルドリンを呼びに行ったら聞こえなくなってて。探したけど、何もなかった」

 

 ジェイ・ザルゴはゆっくりと何度か瞬きをした。彼は右手に魔力を蓄えて、忍び足で近くの樽に近づき、蓋をそっと開けて中を覗き込んだ。特に何も入っていないことを確認したらその隣の樽へ、そしてベッドサイドテーブルへと、昨日のテルドリンと同じ作業を忍び足で行った。部屋をぐるりと一周しても、怪しいものは何もなかった。その間ずっとあの叩くような音は続いていた。

 

 最後に、彼は何を思ったか、床に片耳をつけて這いつくばった。彼は一瞬目を糸のように細めてから、真ん丸に見開いた。彼は、彼の後をずっとついて回っていたわたしを手招きした。腰を屈めると、ふわふわした手で後頭部を掴まれて下へ押さえ込まれ、わたしは彼と同じように床に横顔を押しつける形になった。

 

 叩くような音が急に大きくなった。心臓が止まりそうになった。大きく聞こえるようになってはっきりと理解した。これは、足音だ。それも、二本足で歩く足音。人? だとしたら、いったい誰だ?

 

 後頭部を掴んでいるジェイ・ザルゴの手は温かく、独りで音を聞くよりはいくらか恐怖が紛れた。ジェイ・ザルゴはじっと足音に聞き入っていた。どのくらい時間が経った頃だろうか、足音は次第に遠ざかっていった。消えるのではなく。どこか遠くへ歩いていったのだった。

 

 足音が完全に聞こえなくなると、ジェイ・ザルゴはわたしの後頭部から手を離して立ち上がった。

 

「分かったか? 音は『下から』していた」

 

 わたしは頷いた。急に足音が大きくなったのは、わたしたちが音源に近づいたためだ。

 

「下に何かの空間があるってこと? この塔に地下があるなんて、ミラベル先生は教えてくれなかったけど」

 

「あえて伝える必要もないと思っているんだ。ジェイ・ザルゴも教えてもらえなかったよ。でも、ウィンターホールド大学の地下には『ミッデン』という空間が広がっていると、以前本で読んだ。サルジアス先生もそれは事実だと言っていた」

 

 なんだ。では、あれは、そのミッデンという場所を歩き回っている大学の誰かの足音だったのか。そう思ってわたしはほんの一瞬安心したが、次のジェイ・ザルゴの言葉で戦慄した。

 

「出入口は十年ほど前に封鎖されて誰も降りることはできないとも言っていた。大きな事故が起きて、それ以来立ち入り禁止になったのだと。実際、ジェイ・ザルゴは出入口だった場所を見つけたが、漆喰で固められていた。過去に誰かがこじ開けようとした形跡もなかった。だから、さっきのは恐らく、生きた人の足音ではない」

 

 ジェイ・ザルゴは手近なところにあった樽を、うんしょという掛け声と一緒に持ち上げた。腕をぷるぷる震わせながら、彼は言った。

 

「この下に何かないか?」

 

「何かって?」

 

「スイッチとか、その類のものだ、地下への入口を開けるための。あるいは、入口自体だ」

 

 わたしは彼の突拍子もない言葉に驚いた。しかし、その真剣な眼差しを拒む理由も特になく、樽の下の埃を払って、石の床を観察した。怪しいものは何もなかった。ジェイ・ザルゴが残念そうにわたしを見下ろしていた。

 

「外れか。だが、まだ見るべき場所はある」

 

 わたしたちは次々と家具をどけ、仕掛けがないか探していった。成果は得られなかった。

 

 ジェイ・ザルゴは最後に、部屋の扉の向かい側にある、壁に固定された燭台に触れた。テルドリンとわたしはその燭台を使っていなかった。アーニエル・ゲイン先生が、ドゥーマーの遺跡の燭台を参考にして作った魔力で光る燭台を部屋に設置してくれたからだ。

 

 ジェイ・ザルゴはその古い燭台を握って、鍵穴に入れた鍵を回すかのごとく、横向きに回した。壊れて外れてしまうかと思ったそれは、意外にも彼の掛けた力に忠実に従って回転した。同時に部屋のどこかで、石同士の擦れるような、ざりざりという音がした。

 

 ジェイ・ザルゴは素早くしゃがみ、二つのベッドの下を覗き込んだ。

 

「大当たりだ」

 

 ジェイ・ザルゴは嬉しそうに跳び上がり、テルドリンのベッドの一方の端に取りついた。

 

「ベッドを移動させよう」

 

 わたしは彼の勢いに押されるがまま、一緒にベッドを脇に寄せた。

 

 テルドリンのベッドの真下にあった床の一部が、綺麗な四角形に切り取られて少しだけ浮かび、部屋の扉の側に向かって口を開くようにして傾いていた。床と床の間からかすかに覗いているのは、閉めきられていたこの部屋に初めて入った時と同じ、真っ暗闇だった。

 

 ジェイ・ザルゴは暗闇の中に両手を差し入れ、床を持ち上げようとした。秘密の扉に取り付けられた金具が重い音を立てた。ジェイ・ザルゴの力だけでは持ち上げきれないらしく、彼が物欲しそうな顔でこちらを見るので、仕方なく手伝うことにした。

 

 石の擦れる音と、扉の金具の久々に役目を果たせると言わんばかりの金切り声と共に、黴臭い淀んだ空気が部屋の中に流れ出してきた。その空気の出所は、扉の縁から続く石の階段の先に広がっている、暗闇だ。

 

 禁じられた領域ミッデンへの秘密の入口がわたしたちの目の前にあった。

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